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お遍路と人生

  この1年ほとんど公の場に姿を現すことがなかった、西武、巨人などで活躍した元プロ野球選手の清原和博氏(47)は今、四国霊場八十八カ所を巡る「お遍路」を歩いている。薬物使用疑惑報道によるイメージ悪化と離婚で、家族も友人も仕事も失った男は旅先で何に触れ、何を感じているのか。そのうちの1日、約15キロの道のりに同行し、胸中に迫った。

 4月下旬、午前8時すぎ。高知との県境まであと10キロに迫る徳島・海部駅前。菅笠に白装束の清原氏が金剛杖を突いて歩いていた。現役時代に故障した左足を引きずる姿が痛々しい。こわもてをさらに険しく曇らせながら、山と海に囲まれた四国路を進んだ。

  同じスタイルの「お遍路さん」はほかにもいるが、黒い肌と大きな体がひときわ目立つ。「清原や!」「大きいなぁ」。数十メートル進むごとに握手やサイン、記念撮影を求める人が次々に集まってきた。清原氏は表情こそ硬いままだが、そのほとんどに立ち止まって対応。飲み物や食べ物などの差し入れを受けると、お遍路の名刺にあたる「納め札」をお礼に手渡した。

  四国路に出たのは3月16日。1年間で全てを失ったことがきっかけだった。「昨年3月の(週刊誌の薬物使用疑惑)報道に始まり離婚もあって、仕事が減り周りから人もいなくなった」。自暴自棄になる中、自殺も考えたというが「息子2人のおかげで生きていられる。自分自身を見つめ直すため行動に移そうと思った」選んだのがお遍路。「現役時代、両親が2度も歩いてくれた。そのお母さんが体調を崩していて、病気を患っている友人もいる。僕は2人のために頑張りたかったし、自分自身の修行でもある」

  週末は、離れて暮らす息子2人の少年野球を見守る大切な時間。そして、平日に八十八カ所を少しずつ回る「区切り打ち」を重ねる。「区切り打ち」とは1200キロを超える全行程を何度かに分けて歩く巡拝方法。これまでの生き方に区切りをつけたいと願う気持ちに重なるのは何かの縁か。今月10日までに約300キロを踏破。1番札所の霊山寺から23番の薬王寺まで参拝した。

  道中では「懺悔の念を深めている」。家族や友人が離れてしまったのは自身の責任もあったと自覚しており「応援してもらって当たり前と思っていた。もっと家族や周囲への感謝の気持ちを大切にしなければいけなかった」と悔やむ。
(スポーツニッポン、2015年5月12日)

  このお遍路という修行、かつて私もアルバイトが決まらないので練馬観音巡礼を思い立ちなんと1日で挫折しましたw でも結局練馬中を廻る安定した仕事にありつき、結局西武グループ全域で応援していただきましたからねw爆発的ご利益があったわけです。弘兼ご夫妻と五島先生も私のことを知って下さったわけですから、石神井にもお寺があるのです。一方私の両親はドライブ小分け巡礼ですが、まず秩父34観音を制覇、次に坂東観音をほとんど廻ってあと3・4ヶ所になったんですね。私は都内で別居ですが、月島で回向院に善光寺出開帳のポスターを見たんです、それで両国まで行ってきた。どうもこの信濃善光寺、私は甲斐しか行ったことがありませんが、ここが坂東観音巡礼の終点らしいのです。おふくろは全部を廻らず亡くなってしまいました。もうひとつ、巡礼とは違いますが阿含宗のチラシ配りという「修行」があって、これも巡礼なんだ、やっているとアタマが真っ白になっておかしくなるんだwと先輩がお話をされました。だから「何のために」とか「これこれの功徳・目的のために」という観念を棄ててチラシを配っていたのですが、教団を追放されるようにして退会しました。その代わりといっては何ですが件の宮司先生の浄化法に出会ったわけですね。ですから1日で挫折して爆発的ご利益の不心得者がコメントする資格はないのでしょうが、お遍路や巡礼の功徳は予想不可能、意外な方向から来る、ということは言えるかも知れません。清原容疑者も自業自得とはいえ現在毒出しで大変な思いをしていますが、芸能人・有名人の方でも宗教の修行をされている方もおられるみたいです。早く健常な心身を取り戻していただきたいものですね。

  むかし天長の頃、伊予の国浮穴の郡荏原の郷(現在の松山市久谷恵原荏原)という所に河野衛門三郎という、強欲非道な大百姓が住んでいました。ある日衛門三郎の家の前に、一人の旅のお坊さんがやってきて托鉢の鈴を鳴らしました。心地よい昼寝を破られた衛門三郎はお坊さんを追い返そうとしたのですが、動きません。 腹を立てた衛門三郎は、竹箒でお坊さんの椀をたたき落としました。すると椀は8つに割れて飛び散ってしまいました。そんなことがあった翌日から、衛門三郎の8人の子供が次々と死んでしまいます。

   さすがの衛門三郎も声を上げて泣きました。ある夜衛門三郎の夢枕にあの旅のお坊さんが現れ、「全非を悔いて情け深い人になれ」 と告げます。夢から覚めた衛門三郎は自分が強欲であったことを悔い、あの時の旅僧は弘法大師だと気が付きました。衛門三郎は弘法大師に許してもらおうと、四国を巡っている大師を捜して四国の道を東からまわったり、西からまわったりして歩きますが、なかなか出会うことができません。四国を二十数回まわったところで、阿波(徳島県)の第12番札所・焼山寺で倒れてしまいました。

  その時衛門三郎の前に弘法大師が現れ、「これでおまえの罪も消える。最後に何か望みはないか」と声をかけました。衛門三郎は「故あって離れている河野一族の世継ぎとして生まれ変わらせてください。今度こそ人々のために尽くしたいのです」と言いました。すると弘法大師は「衛門三郎再来」と書いた小さな石を息を引き取る衛門三郎の手に握らせました。

  それから数年後、伊予の国(愛媛県)道後湯築の領主・河野息利に玉のような男の子が生まれました。ところがその子は幾日経っても左手を握ったままで開きません。そこで道後の安養寺の住職に祈願してもらいます。「きれいな川の水で洗えば開く」とのお告げがあり、そのお告げのとおりにすると、手が開いて中から「衛門三郎再来」 と書かれた小石が転がり落ちました。男の子は衛門三郎の生まれ変わりだったのです。その小石は安養寺に納められ、これを機に寺号を「石手寺」に改めたといいます。
(HP「四国遍路へのいざない」より抜粋)

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