五輪狂騒曲の背後を探る

  年末第2回目は少しは落ち着いたように見える東京五輪狂騒曲である。慎太郎知事時代から東京五輪招致は久しく言われてきた。しかし東日本大震災が起こってしまい、絶望的な放射能処理の状況下で、莫大な報酬を交渉人に支払って辣腕で招致が決定したという。その流れでのアンダーコントロールなのだろう。この交渉人依頼の段階から懸念が拭えない。その後猪瀬都知事が辞任したのは、東電病院の売却を企図したのは徳洲会から5000万円の軍資金を渡されたからだろう、という疑惑への禊であった。

  次にご存知のとおり、舛添知事が長期に指摘してきた新国立競技場の予算オーバーが目に余る規模となり、これは競技場デザインの前衛性、難工事に由来するものだとされ、先日日本人に受け入れ安いと思われるデザインに変更された。さらにwエンブレム問題であるが~ここからがいつもの妄想シリーズである~売れっ子アートディレクターの佐野研二郎氏は無名時代から1964年の亀倉雄策氏による東京五輪のシンボルマークをひとつの理想として捉えていた。これは2020年東京五輪招致云々に関わりなくである。

  しかし狭い業界内で一部の人間が「はじめに佐野氏ありき」で杜撰なヤラセコンペを露骨に行ってしまったため、そのムードに気づいた関係者から指摘や暴露を受けてしまった。さらに妄想を加速させれば、亀倉氏のデザインコンセプトには「力強い日本の復興」が込められているのに対し、日本の内外で面白半分に「日本壊滅の五輪w」を狙っている勢力が存在するのではないかという懸念である。前衛的な競技場デザインは思想的に左寄りでしょうw まあどちらでもよいのだが。

  批判の筋は妥当なようにも思えるが、業界の有力者がとんとんと進めていった方がコストや時間の削減につながるケースもあるかも知れない。従来もそうやって来たというし、問題なしとされてきたエンブレムをひっくり返した張本人、影の勢力は誰なのか? どうして私がさして興味もない五輪問題にそんなにこだわるのかといえば、一見真っ当なように思える批判が邪悪な破滅思想、そこまでいかなくとも権力抗争に基づいているのはよくあることだと思うからである。最後にいきなり飛躍するが、これが一般社会におけるテロリズムにまで発展した場合、看過することも難しいだろう。まとまらないが全3回予定であるw
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