ルミガン効果
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スリーエス戦略で見せたくないもの

➡3S政策とは)まあ現在でいえば東京五輪やプロ野球、最新映画ロードショー情報、芸能人の恋愛ニュース、というところに端的に現れているのでしょうか、広告代理店や大手新聞社はこれらの推進に熱心ですよね。私も長年マスコミは社会の木鐸で権力に対し批判的に警鐘を鳴らすもの、と思い込んで来ましたが、近年はいや違うなと思い始めました。スポーツ・セックス・スクリーン、これら自体を悪いものだとか全面的に完全禁止にしろなんて思いません。そうではなく、これらの産業がより重要な懸案事項から大衆の眼を逸らさせるためのスピン行為、社会的欺瞞に用いられている点が由々しき大問題なのです。最近はテレビでも明確な指摘をするキャスターが取るに足らぬ理由から降板する風景も珍しくなくなりました。その後任にはこの3S、スポーツ・セックス・スクリーンを連想させる人物を配置していたりしないでしょうか。豊洲新市場は外資の進出と関係があるようです。TPP発効で日本ブランドは潰れ、外資ブランドによる日本食・日本製品が世界に出回ることになるかも知れません。ブラジルの大統領は弾劾裁判、日本の天皇は生前退位、本当に流されるがままでよいのでしょうか? 災害で人口が減ると社会保障費が浮いていいやという意見も存在するようです。スポーツと映画と芸能ニュースを見て笑っていれば平和が続くのでしょうか。原発事故を忘却するための東京五輪なら即刻辞退返上すべきです。
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ポスト現代時評

教団の神霊を削除する

  7月末から顕著な体調不良が出たが、これを契機と卓効を信じるヒーリングを3つまとめて申し込んでしまった。それから何やかやと、10月末、一応体調不良は一定の終息を見たようである。私は真言密教は勿論、ヒーリングの方も教師資格などないのでそのつもりで、いつもの素人の駄文として参考程度の読み物として眺めていただきたい。

  従ってこれは仮説の話である。創価学会の本尊の霊体は何か、疑問を抱いてきたが、ここは単純に「日蓮曼荼羅の神霊」と割り切って捉えたらどうだろうか。日蓮自身も神格化された存在ではあるが、ここは単純に「曼荼羅の神霊」と捉える。

  ふつう願望実現のメカニズムというものはご存知の通り、想念⇒潜在意識⇒現象化のプロセスを辿る。それでは教団独自の本尊を持つ宗教組織ではどうなるか。ここを各教団が独自の本尊の神霊を保持していると想定する。教団教祖や職員が、一般信者の潜在意識に向けて、まずこの神霊パワーを風船を膨らますようにふうっと注入してやる。

  神秘的な儀式の効果か、あるいは無自覚なまま、一般信者は勿論、アンチ教団の人間も含めて(!)この教団の神霊を潜在意識に受容してしまうと仮定する。するとこの潜在意識内の神霊パワー内部においてのみ、教団の意図が叶うのだ(と私は勝手に考えている)。この神霊パワーは教団エゴを満たす方向に事象を誘導する働きがあり、それなりのランク・レベルの低級霊を引き寄せて神秘的にある環境を現象化させる。

  これを示せば教団エゴ⇒本尊神霊⇒低級霊障という具合だろうか。私は専門家でも何でもないが、この項で言いたいのは、①呪いという思念を削除して、②不都合な現象を終息させただけではまた霊障が再発する可能性がある、ということだ。どうするかといえば、上記の2対処に加えて、「③教団の神霊を体内から削除する」というプロセスが必要だろうということである。

  だから一例として、日蓮系の人物に呪われたとすれば、呪いの思念と不都合な現象を収めただけでは不充分で、「日蓮曼荼羅の神霊」なるものを想定して、体内をサーチしてそれらを浄化・削除してやる作業が必要だ、ということである。体内から教団の神霊が消失すれば、教団関係者から呪われてもその思念が滞留すべき拠り所が少ない、という理屈である。逆に教団神霊を体内や意識内に受容したままでは、呪いの思念と波長が合いやすい、すなわち呪いにかかりやすい、という理屈になるが、幾許かでも参考になったであろうか。

  蛇足であるが、私は阿含宗時代に五時教判はウソッパチという説を知り、さらに法華経は聖書信仰に由来すると考え、それ以来アンチ法華・法華抜き真言宗という我流の信仰をしているのであるが、寺院も空海も法華経は勿論認めている。その前は真如苑にいたのでこの大涅槃という概念を考えたことがある。これはまず①覚醒の知恵という小乗的意味、次に②生命の総体(大生命)という大乗的意味、これらが大涅槃という語に2重に掛けてあると見た。同じく五時教判を奉ずる日蓮宗では真如苑の大涅槃は久遠実成の釈尊に相当するのであろう、まあ後先であろうが。

  この②の大生命こそが法華・涅槃信者の信仰対象であり(私は真如苑で何を拝んでよいのか分からなかったw)これを「いのち・いのち」と呼んで霊や霊能は認めない、大生命から来る真の通力という概念を持っているのだろうか、この辺はよく解らない。この大生命という概念を潜在意識に打ち込み、この信念で霊狐を引き寄せているように思われる。このように信者と非信者では「低級霊のキツネだ」「いやそれは迷いで大いなるいのち・宇宙の律動だ」とか水掛け論・平行線になると思われ、「日蓮曼荼羅の神霊」という概念で捉えて信じたくない人は祓ってしまったらどうか、と思いついた次第である。
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仏法探究!
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