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不幸の兆し

2015.06.15(20:17)

  「恵比寿・大黒を飾りたい」
 親父がそう言い出したのは、2013年の正月だった。電話で息子の私はおふくろからその事を聞き、すぐに止めた。
  「その家は越してから間もない、小さくてもいい家なんだからフツーサイズでいいから神棚はちゃんとしたのじゃないとダメだよ」
  「でもお父さんがそうしたいっていうならいいでしょ、母さんも賛成」
 両親を実家に置いて盆と正月に半日ずつ帰るだけの親不孝な息子に別世帯の神棚についてそれ以上言えるわけがない。
 
 その年の夏の27時間テレビは光浦靖子さんや友近さんら女性お笑いタレントの出演であった。テレビ局の近くにバイト先があった私はお台場マックの向かいで谷村有美さんが打ち合わせをしてるのを横目で眺めながら職場に通った。その夏は選挙の応援にも参加し、結構充実していたのかも知れない。

  8月のお盆、実家に帰ると、神棚はお稲荷さんを祀るような一社建てになっていた。いままでの三社造りは撤去され、空いたスペースに越す以前の実家に安置していた恵比寿・大黒像が置かれていた。
  「これはおかしい」
  「おかしくないよ、それより半沢直樹おもしろいね。香川照之が出てるもん」
 おふくろは私が幼少の頃、家族で成田山に詣でた時から浜木綿子さんの銘が入った碑を見つけ、
  「東大の息子がいるんだよ」嬉しそうに言うのであった。
 そんなことはどうでもよい私は「ゆうゆう夕月食べましょー、決めま・し・た いたわさ」とCMソングを唄いながら買ったばかりの落花生の殻を破り薄皮を剥いてむしゃむしゃと頬張っていたのであった。 
  「半沢直樹なんか見るなよ」上沼さんと綾野さんの対談もあって、うだつの上がらない臍曲りの息子は吐き捨てた。

 この超人気ドラマの噂はテレビを見ない私もよく耳にしていたが、どうもこのドラマも私の昔の素行をネタにしている部分があるらしいと考えた。それはよいのだが、ここまで人気が高まってくると、勝手に盛り上げておきながら「調子に乗るんじゃねー!」とお仕置きを口実とした一方的な呪詛をふっかけられるのがこれまでの経緯から予想できた。だから見るなといったのだが、その理由までは説明できない。新興宗教の解説をしても「だからお兄ちゃんはダメなのよ」と一笑に付されるだけであった。まあごもっともであった。

 あくる朝、帰京する私におふくろが所用を言いつけた。それは田舎の感覚ではありえても現在では無用心かつ非常識なので断ると、急にキツネが取り憑いたかのような形相になって「どうしても、やれ」と強制的に命令するのであった。私はオーラが若干判るエンバスという軽い霊能体質なのであるが、明らかにいつものおふくろの様子とは違っていた。高野山や川崎大師で寺務手伝いの職員が見せたかのような非日常的な雰囲気であった。私ははっきりと断ると実家の門を出た。おふくろはむっとして見送っている。その後電話で話したが、直接顔を見たのはこれが最後となった。それと帰省の前か後か、友人たちと奥日光に行って一人立ちくらみでしゃがんだらしい。同伴のご友人たちは現在に至るまで何ともない。 

  9月13日、通勤中の私のスマホに、おふくろが倒れたとの連絡が入った。大至急実家近くの病院に駆けつけると脳下垂体における動脈瘤大出血(クモ膜下出血)ということであった。偶然来ていた東京女子医大の先生が立ち会ってくれた。家族が揃ってレントゲン写真を見せられ、手術方法にクリッピングを採用するか否かを決定しなくてはならなかった。少し前に見た映画「東京家族」の吉行和子さんの場面が浮かんできた。でもおふくろは死ななかった。植物人間になってしまったのである。病院内はハロウィーンの飾りつけをしていた。座間基地の跡地にもできた病院の系列だそうだ。後日療養病院に搬送する際、どういうわけか病院の書類は9月14日発病となっていたので訂正して貰った。

  帰宅した私は実家の親父を怒鳴りつけ、三社式の神棚を買ってこさせ、産土神社を祀り直そうと、身長170センチ以上の私が脚60センチの椅子に乗り、よっこらせと棚板の上にクビを出した。「うわっ・・・」棚板一面に散乱する稲のような茎や御幣、米粒にまみれて厄除神社と崇敬神社の御札が2枚、べったりと俯せに横になっていた。下から見上げて全部一社造りにまとめたのかという予想は私の思い込みだった。いつも神棚も仏壇もキレイに管理している親父なのに何故…「この状態で8ヶ月か・・・」私は全身からへなへなと力が抜けてしまった。だめだこりゃ…勿論きちんとゴミは棄て、すべての神札を祀り直した。その晩親父は就寝中血圧が急上昇したが、自分で救急車を呼び、大事には至らなかった。親父はそれ以来元気であるが、少々洗脳されやすいw

  さる6月7日、おふくろが亡くなり(享年68)、6月13日大きなトラブルもなく無事葬儀を済ませましたので経緯をここにアップしました。夜になって私の頸の後ろがビシビシビシビシと電流が走ったように痺れるので拝む準備をしていたら、病院から母危篤の電話がかかってきたのです。原因結果はいろいろ考えられますが、大震災と同じでこれも複合的です。6や13はフリーメーソンもそうですが、日蓮の命日も10月13日です。呪殺した人がいたならば許すことはできませんが、一方真言宗や浄化法、さらに各種新興宗教も一緒くたにして若く・明るく・運のよいおふくろにも慢心や心の隙があったのかも知れません。ともあれ過ぎた事は仕方のない事です。私はもういざとなったら密教の先生が応援に駆けつける状態には現在なっており、洗脳度合いも薄いようですが、油断は禁物です。私個人ではなく、私の家系に対する呪詛と見ていますが、霊障や洗脳の怖さを伝える一助となればと思い、記しました。ちなみにおふくろ自身は法華や日蓮や創価に対してはその集団ではなくその雰囲気に対して、アンチというよりは相当なシンパであったことを付け加えておきます。柩にはお祭りマンボの大正琴譜面と家族の写真を収めました。
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ガスとシリアの地政学

2015.06.14(23:14)

  中東で最も民主的な国家の一つ、シリアが、西部の隣人達の一部、獰猛な民主主義戦士を怒らせるような、一体どのようなことをしたのだろう? ヨーロッパでテロリストと見なされているのと全く同じ連中が、シリアのこととなると“自由戦士”だと宣言されるという、シリア危機に対する欧米諸国のやりくちの不合理さと無節操さは、シリアの悲劇の経済的側面を見ると、より明らかになる。シリアの文化的、歴史的ルートを、自ら破壊するのを支援することで、ヨーロッパは、なによりもまず、エネルギー資源の為に戦っているのだと考える十分な根拠がある。21世紀の主要燃料として登場しつつある天然ガスが、そこで重要な役割を演じているのだ。

  ガスの生産、輸送と利用にまつわる地政学的問題は、おそらく、欧米戦略家達の検討対象中、ほかのどれより重要なのだ。F・ウィリアム・イングドールの巧みな表現では「天然ガスは、この地域のエネルギーを求める狂気の戦いに油を注いでいる、燃えやすい成分だ」。東から西へのヨーロッパ向けパイプラインを、イランとイラクから、シリアの地中海沿岸にするのか、あるいは、もっと北より経路の、カタールとサウジアラビアから、シリアとトルコ経由にするのかを巡って、戦いが行われている。こう着状態のナブッコ・パイプライン、実際、南部回廊丸ごと、支えているのは、アゼルバイジャンのガス田のみで、ロシアのヨーロッパへの供給量には決して拮抗できないことに気がついた欧米は、サウス・ストリームの建設を妨害するか、ペルシャ湾からの資源で、それを置き換えようと急いでいる。シリアは、この連鎖の主要リンクに当たっているが、イランとロシア寄りだ。そこで、欧米各国で、シリアの政権を変える必要があると決定されたのだ。“民主主義”の為の戦いというのは、全く別の狙いを隠蔽する為に放り投げられた偽の旗なのだ。
(ブログ「マスコミに載らない海外記事」2014年9月24日より抜粋)

  日本にもロシアからパイプラインを引いたらという構想があるそうですし、クリミア侵攻の際にもウクライナへのガス供給を止める止めないという話が出ましたよね。勿論アメリカはシェールオイル技術を確立し、メタンハイドレードが眠るといわれる日本の海域は中韓と波乱含み・・・石油発電は温暖化を呼び地球環境に悪い、原発は放射能リスクが酷い、だから次代の主役はガス・・・そこから紛争のタネが世界中に拡散しているという見方もできそうです。

未来派左翼と現代ニッポン

2015.06.14(22:54)

「未来派左翼」Goodbye Mr Socialism: 2006年、イタリアで行われたインタビューをもとにまとめられた文集です。そのまま汲み取れば、衰退傾向にある《従来的な枠組内でのサヨク》からの離脱、新たなコミュニズムを構築すべく、奮闘するわれら、みたいな内容である。

 「一なるものに、もとづいて組織された大規模な生産システムとは異なる、もうひとつの権力、としてコミュニティ的権力を構築する。ここで言うコミュニティは、一なるものなどではなく、むしろ、さまざまな特異性、さまざまな試み、そしてさまざまなプロセスからなる、ひとつのダイナミックな集合体なのです。」

 ネグリが発するこうした、生きた集合体は、つまり、マルチチュードである。もうひとつの近代、近代の超克が現代であったように、現在は、新たなる収奪システムの上に築かれた新たなる近代ですらある、という自己矛盾、反復、デジャブ。

 「すなわち、資本主義モデルに支配されない開発やダイナミズムというものを、退歩的なものとしてではなく、あくまでも進歩的なものとして構想しうるかどうかということが問題なのです。」

 マルチチュードが語られるとき、それは、特異性たちのネットワークとして《活きて》反応すべきものとして、さまざまな差異の表現と生産からなるネットワークのこと。

 今日的な意味を放つ=コミュニズムとは、「労働に従事させられてきた主体たちがラディカルな変容を遂げていくことであり、そしてまた、新たなタイプの<歴史的時間>を構成していくことです。歴史的時間は、<共>=コモンを構築するものとして、すなわち、社会的なものを自由に生産し、再生産する<共>的な能力として、新たに構成しなければなりません。」

 ネグリと対峙するのは、ハンナ・アーレントのような抽象的な概念上で、虚ろな<自由>を、ただ語ること、もしくは、分析する行為でしかないもの、です。ネグりの志向/嗜好する自由は、生きて、表現し、再生産まで持っていくことです。<実体をもたない権利としての自由>ではなく、自らが関わることで拡張し、共有していく<生産的な力としての自由>です。

 さらに、進めて、「<共>とは<公>のことではありません。<私>でも<公>でもないもののことなのです。」それは、時に、ディスピアかもしれませんが、<私>の概念を<公>の概念も、ともに、<共>へと超克し、<みんなでひとつになる>ことが、求められる未来なのです。

 「人々が資本主義から、おのれを解放するためには、開発が連帯によって行われ、連帯とは、もっとも弱い者たちにに対する愛、愛一般ではなく、あくまでも私たち自身のうちのもっとも弱い部分(子どもたちなど)に対する愛、を通じて、貧困と富との関係を安定させることなのです。この視点から見れば、広大な自然環境や天然エネルギー源などを獰猛かつ野蛮なやり方で自分のものにしようとしたり、<共>的な物理空間に対してエンクロージャーを試みようとしたりする際の資本主義の機能は、以上のような連帯とはまさに正反対の方向に働くものだと言えるでしょう。」 

 「大都市における<共>」とは、都市住民たちが生産するもののことであり、さまざまなライフスタイル、喜びに満ちた通りのにぎわい、協働や、相互扶助、熱狂、ともにいることの安らぎなどのことです。(従来の)左翼の指導者たちはそうしたものを、<正の外部性>と呼び、最終的に自分たちの企業利益とされるべき対象だとみなしている。大都市は、資本の植民地としてあるということです。」
(ブログ「桃猫温泉三昧」2008年5月30日)

  しかし最近世界各地で国会を囲むデモが目に付きます。まあいつの世も社会問題は変わらないことの証なんでしょうが・・・それにしても「アンポ」法案反対の大合唱に力む野党が何故先の選挙で自民党の1強を許してしまったのか、投票した国民が愚かなのか、選挙に不正があったのか、野党の戦い方が下手なのか・・・やっぱりはっきりしてるのは与党はカネにならないところを大事にする、野党はカネ儲けが上手い、ここの温度差が決め手じゃないかな・・・

抑止力と平和主義

2015.06.14(21:37)

【藤井裕久氏の冒頭発言】  ・・・いま国会で議論が始まっているけれども、機雷掃海というのは極めて具体的すぎる話で、根っこは去年の集団的自衛権行使容認の閣議決定だと思う。そこから派生的にいろんな問題が出ている。集団的自衛権というのは、対等の軍事同盟だ。日本は過去に2回、対等の軍事同盟を結んでいる。日英同盟と日独伊三国同盟だ、戦後はない。

  この対等の軍事同盟には特徴がある。仮想敵国を必ずつくることだ。安倍首相は嘘をいって「どこの国も仮想敵国にしない」というが、仮想敵国というのは集団的自衛権の本質だ。ではこれだけ肥大化した中国にどう対応するかという話だが、私は敵対的な行動をするのは決していいことではないと思っている。殴られれば殴り返すのが常識だ。それが世界の常識であり、僕らの常識だ。国連は機能していないといわれるが、人種、人権、貧困といった分野では非常に役に立っている。

  それから米国の話だが、米国は完全に肩代わりを日本に求めていると思う。自分たちだけで世界の警察官をやるのはだめだということだ。本当のことをいうと、経済でも肩代わりを求めてきている。こういうことをやっていたら、日本は間違った道を歩む。
(産経ニュース、6月12日より抜粋)

  第7回「交詢社オープンフォーラム」(産経新聞社後援)が14日、「日本の進むべき道」をテーマに東京都千代田区の大手町サンケイプラザで開かれ、麻生太郎副総理兼財務相の基調講演と、自民党の稲田朋美政調会長を交えたパネルディスカッションが行われた。

  麻生氏は、昭和35年の日米安全保障条約改定の際にも「米国の戦争に巻き込まれる」と反対運動が巻き起こったことを引き合いに、「抑止力を強化したほうが安全だということは証明が終わった」と述べ、安倍晋三政権が進める集団的自衛権の行使容認を含む安保法制の整備に理解を求めた。

  続くパネルディスカッションでは稲田氏が「集団的自衛権(行使)の一部を認めるのは憲法に違反することではない」と国会で審議が進む安保関連法案の必要性を強調。戦力の不保持を宣言した憲法9条2項に関し、「自衛隊が憲法違反の恐れがあると教える状況は変えないといけない」と指摘した。また東京裁判をめぐっても、「判決は受諾しているが、判決の理由で書かれている歴史認識すべてについて反論が許されないわけではない」と述べ、改めて検証が必要との認識を示した。
(同、6月13日より抜粋)

  この問題は日本の自立、アメリカの覇権主義への懸念、アジア諸国との友好、流動的な力関係の諸点が絡み合って展望が読みにくい、一種の賭けの要素が強いと思います。未来はどうなるか分からない、しかしこれまでの経緯を踏まえれば、おおよその方向性は定まってくるのでしょう。民主党の暴挙は論外で、これは自滅行為ですが、与党も「アンポ」のフレーズから安倍ちゃんのカラーがどうしても「A級戦犯復古」に染まりがちなんですよw おまけに北一輝を尊崇し・・・だとホントに「黒地に死の丸」が浮かんできちゃいます そういう疑念を払拭して、抑止力強化を平和友好外交の進捗と米軍依存からの脱却につなげてほしいですね。

神道、国粋、慰霊、日蓮~全部ニッポン?

2015.06.05(18:40)

  法華系では「神天上の法門」と呼んで、神々不拝を説いた。末法の時代には、護法の善神はことごとく天に上っており、空家となった神社には魔が棲みついているとする。そのため神社を拝し神社に寄進することは、法華経をそしる謗法の大罪をおかすことになるとされていた。しかし鎌倉以来、皇室は真言宗の檀家となり、真宗でも日蓮宗でも、きびしい神々不拝は時とともに少数派の信念へと狭まっていった。(『天皇制国家と宗教』村上重良著P36より)

  鎌倉時代末期には、伊勢神官である度会による伊勢神道が生まれ、反本地垂迹説が唱えられるようになり、室町末期には吉田神道が「法華30番神信仰」を唱えた。こうして日蓮宗はその霊性を妨げられ勢いを失い、さらに江戸時代の本山制度の法度の中で息の根を止められて行ったのである。こうして霊的生命を失っていった日蓮宗各派僧侶は、明治維新直後に太政官が「妻帯せよ」と布告したのを受けて唯々諾々と取り入れたので、今日多くの日蓮宗僧侶は妻帯しているのである。祖師日蓮以来の反骨非妥協の血脈はどこへいったのか?世俗権力の教義への介入まで許してしまっている。

  日蓮の思想には明治国家にとって、いわゆる「不敬」にあたる内容が多くあった。例えば日蓮は「法華経を広むれば釈迦仏の使いぞかし、僅かの天照大神、正八幡なんぞと申す神は、この国には重けれど、小神ぞかし」(『種種御振舞御書』)と述べて、明治国家の絶対神たる天照大神を「小神」と呼んでいた。そのため明治元年、太政官は日蓮宗諸本寺に対して日蓮の本尊曼荼羅における天照大神の位置の低さを取り消すように通告した。すでに江戸時代に、祖師日蓮以来の独立独歩の姿勢を捨てていた日蓮宗諸寺はこの布告を唯々諾々と従ってしまったのである。

  こうして日蓮の教説を強引に歪めて、国体思想的に解釈する風潮が生じ、生まれたのが田中智学の「国柱会」であった。こうした大勢の中で、唯一日蓮の法統を引き継いだのが、当時3000人に満たない弱小団体、創価学会であった。1941年3月、「治安維持法」が改悪され「国家神道」による思想統制が強化。創価学会の座談会さえも特高警察の監視の下で行われるようになった。この圧力に宗門は屈し、全国の末寺住職檀家に伊勢神宮遥拝を命じた。しかし創価学会創始者、牧口常三郎はこれに反発し、43年5月遥拝のために配られた伊勢神宮大麻(お札)を拝むどころか、焼き捨ててしまった。牧口は「神道は邪教である」と叫ぶ。(神札事件)

  全国民が軍国主義とアマテラスにひれ伏していた時代の話であった。信仰に支えられていたとは言え恐るべき精神力である。この時代、投獄されたクリスチャンは多くいたが、これほど明確に真実を述べる事ができた人間はいなかった。かねてから牧口を狙っていた特高思想警察は、牧口以下幹部数名を「不敬罪」で逮捕した。牧口は拷問を受け、敗戦を前に責め殺された。幹部達も次々と転んでいく中、しかし2代目会長となる戸田城聖ともう一人が信心を守り通した。この3人による信仰は、戦後創価学会が爆発的に広まる基になったのである。
(かんごのブログ、2011年10月27日)

  廃仏毀釈を推進した大日本帝国が満州国を建設した時に、記念写真に映っていた日蓮曼荼羅はおそらく国柱会のものでしょうか。日蓮曼荼羅は魔を取り込んで法華パワーで清め善化するという意図があるのかも知れませんね。私の神道の神棚と真言宗の仏壇は基本的には別だし、魔や小神なら拝まなければいいんじゃんとか思うのですが…まあ当時の社会状況もあるのでしょう…一方神宮大麻を否定した牧口氏も天照皇太神の記された日蓮曼荼羅は拝むわけでしょう、不勉強なのでしょうがそんなに絶対的に素晴らしい筈の本尊である日蓮曼荼羅崇拝者の態度に、何故こうまでも違いが出てしまうのか、いったい牧口先生にとって日蓮曼荼羅は功徳があったのかなかったのか、まあ教祖故の殉教ということになるんでしょうが、何故龍ノ口の法難のように生還とはいかなかったのか…異教徒にはさっぱり解りません。

  こちらは政見ブログというより宗教ブログなので、今回は①日本神道②国家神道③戦災慰霊④日蓮主義、この4つはごっちゃにひとまとめにしないで分けて考えたら?というお話で、まず③戦災慰霊に対してこれをけしからん、やめろという人はまずいません。次に外国人観光客が来て、「ニッポンってホントにいい国ダ!」というのはこれは①日本神道によるのでしょう。従って神道には宗教だけではなく、日本語は勿論衣食住他の習俗も含まれるということでしょう。まあ神道という宗教もそうなのですが、日本の伝統習俗を受け継ぐ現代日本社会、これがいいものか悪いものかと問えばいいものだという声が圧倒的に多い。仏教徒の立場からいえば、そこには神仏混淆も含まれるでしょう。対して諸事情の存在した当時の昔ではなく、現在の情勢において、②の国家神道や④の日蓮主義、これは日蓮系宗教とは若干異なるその排他的な過激主義でしょうか、この2つはカルトのように私には思えます。

  ですから国家神道の復興存続を想起させるような靖国神社(これは前述したように元々日本神道ではない道教の死霊召喚術、招魂の寺院です)や創価学会内部における国家転覆思想とそのパワー、この2つは問題視しています。極右と創価、どちらも権力志向が強い全体主義に繋がる危険性を有していると思います。しかしこの②と④は①と③にぶらさがる寄生虫なので、槍玉に挙げられるのはいつも①と③なんです。いわく、靖国公式参拝はいけないといえば「戦災慰霊を蔑ろにするのか!」そうじゃなくて国家神道や日帝全体主義が復活しちゃったら危険なんですよ。この点がワンセットだから噛み合わない。また「絶対大丈夫」と保証する割には自爆顛末の多い日蓮主義がコケたら、謝るのはいつも日本神道の方なんです。潔く「どうもすいませんでした」…産経さんや朝日さんの論調を眺めていても、この4つを意図的にまぜこぜ、一体化していると思いますよ。「日本はイイ」「日本は悪い」って平行線・・・ファシズムに通じる国家神道と日蓮主義というカルトを排して、神仏混淆の日本神道をわが国の代表的文化様式と定めて、戦災慰霊も手厚く行えば内外収まるところも出てくるのではないかと考えるのですが…不勉強な卑見で失礼しました。

  さらに菅直人元首相、猪瀬直樹前都知事、みのさん古舘さん国谷さんという代表的人気キャスター、私時々の各論調に対して個人的な賛否はありますが、人物的にはバランスを踏まえた改革意欲に富む、尊敬すべき点を備えた方だと思っているんです。どのような噂を信じようと自由ですが、この私をダシにして騙る、悪魔儀式の生贄にされたかのように見えてしまうのは思い違いでしょうか。

  参考: “油男”に逮捕状① 油男に逮捕状②
  

  今日はどういうわけか広告の電話がどんどん来ました。断っても断ってもかけてくるのは片っ端から着信拒否にしてます。 長々話聞くのも面倒なのでこちらから「アア、○○でしょ。要りません。ハイ」で終わることも。「ホームページ作って、しかも検索でトップに出るようにしてあげます。」とか「プリンター買ってくれ。」と云うのや、昔懐かしいゲイノー人がお宅に行って取材しますというのもきます。

  要らないです。ほとんど会員制ですので。」「これ以上、人が来てもひとりなので相手できません。」で終い。なかには「水銀灯や蛍光灯には水銀が入っていていけないので廃止されます。全てLEDにしてください。」なんてのも。水俣水銀条約で水銀は禁止になるだの、うちの検診票だの持ち出しさせて「エー、そこの右のとこは記載はどういう風になってますか?」というように聞いてくる。いかにも東京電力のようですが関係ないのです。チガイマス!決して「騙されるな」とまでは言いませんよ。でも勝手に間違えないで!です。第一、検診表の記載とも話の内容は何の関係もないようです。

  いかにもまじめでおとなしそうな話し方をしますが東電さんじゃないのです。担当に代わりますというので、出た相手に「お宅は東電さんじゃないんでしょ。そういう商売ですよね。いらないです。廃止になるなら本当に廃止になるまで使い続けるのでケッコーです。」で終わり。別に東電が感心な優良企業とも全然思わないけどね。若し蛍光灯が全面廃止になるならテレビでもネットでも大騒ぎするでしょうよ。「軽々に勘違いするなかれ」であります。
(羽田守快師の金翅鳥院ブログ、4月23日)

  15年以上昔、学研ムーから北斗妙見不動護摩ビデオとかいうのがあって、その監修が羽田先生だったと思います。これは勘違いというか意図的で悪質な嫌がらせでしょう。この原因が私にあるとしたら本当に申し訳ないことです…ちなみに民主党の課題は耳当りのよい「選挙公約」ではなく泥臭さも含んだ「政権担当能力」だった筈ですが・・・もう忘れました? ホームセンターでケーヨーなんとかってありましたよね、あっ忘れたw

2015年06月

  1. 不幸の兆し(06/15)
  2. ガスとシリアの地政学(06/14)
  3. 未来派左翼と現代ニッポン(06/14)
  4. 抑止力と平和主義(06/14)
  5. 神道、国粋、慰霊、日蓮~全部ニッポン?(06/05)
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