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障碍神と高野山

2015.02.16(15:21)

  三宝荒神は日本特有の神で、その強烈な威力のため連綿と信仰されてきました。不浄を許さない厳しさを持つことから、火で清浄が保たれる竈(かまど)に祀られ、かまどの神、火の神として知られます。三宝荒神は人々を災いから守り、金銭を融通してくれる力強い神として家の守護神になってきました。祀る人を攻撃する悪人には、厳しい罰を下すといわれています。

  三宝荒神は飛鳥時代から奈良時代にかけて役行者(634~701)が感得したのが最初と言われます。その後772年(宝亀3年)2月に光仁天皇の子・開成皇子が箕面の勝尾寺で修行していたとき、三宝荒神は体長3メートルの鬼神の姿で夢に現れ、多数の眷属とともに暴れ回りました。皇子は驚き、自ら尊影を模刻し守護神として祀りました。そうしたところ人々を守る善神となり、爾来一千数百年、勝尾寺や京都・護浄院で多くの人の信仰を集めてきました。同じく8世紀の東大寺大仏殿建立のとき、多数の死傷者が出て悩まれていた聖武天皇は「荒神を祀れ」というお告げをお聞きになりました。良弁僧正に命じて笠山で七日七夜の祈願を行わせたところ、7日目に三宝荒神が姿を現しました。良弁がその姿を書き写して丁重に祀ると、全国から怒涛のように寄進が集まり、大仏殿は無事建立されました。

  816年(弘仁7年)、弘法大師空海が高野山を開くため地鎮の法を修法していたとき、にわかに天地が振動し、東の方より黒雲たなびき異形の鬼神が現れ、さまざまな妨害を行ってきました。空海が「汝は何者ぞ」と問うと、鬼神は「我は荒神ヶ岳に住む神である。九億の眷属を不信心の家に遣わし七難を引き起こすことができる。しかし自分を祀るならば、一切の障害を消滅させあらゆる願いを叶えてやろう。七難即滅七福即生が我の第一の誓願である。自分を祀れば必ず大願成就する」と告げました。そこで空海は三宝荒神の姿を描いて本尊とし、荒神供の修法を執り行い、立里荒神として祀りました。高野山の伽藍は無事建立され、空海は以後生涯に亘って毎月のように立里荒神に参拝したといいます。空海の後を継いだ真然僧正をはじめ代々の高僧も立里荒神を参拝し、あらゆる願いを叶えたと伝わっています。現在でも立里荒神は、山奥にもかかわらず多くの参拝者で賑わっています。

  日本でもっとも有名な三宝荒神の寺である兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺は、896年(寛平8年)に宇多天皇の発願により勅願寺として建立されました。開基にあたって招かれた益信僧都が三宝荒神を祀り加護を祈ったところ、社前にあった榊の木に御影が現れました。この霊験を聞かれた宇多天皇はたいへん感銘され「日本第一清荒神」の称号を下賜されています。戦国時代に清澄寺は織田信長と荒木村重の合戦に巻き込まれて炎上しますが、三宝荒神を祀った社だけが戦災を免れ、その威力の凄まじさを立証しました。

  1090年(寛治4年)、三宝荒神は白河法皇の前に出現しています。熊野参拝の途上、和歌山県橋本市にある観音寺を行幸された法皇は、寺が荒廃しているのを見て隆盛を願って一心に祈念されました。すると突如巽(たつみ)の方角が明るくなり、近づくと目も眩むほどの光を放っている鬼神がいました。法皇が「何者か」と問われると、鬼神は「我は三宝を衛護する荒神なり、叡慮に応え奉りて当地を守護せん」と答えました。法皇はさっそく奈良の仏師に御神体を刻ませ、祠を設けて祀らせました。現在でも光三宝荒神として篤く信仰され、毎年9月の献灯祭は幻想的として有名です。横浜市にある曹洞宗の大本山・總持寺は三宝荒神を守護神として祀っていて、毎朝荒神諷経(こうじんふぎん)という法要が行われています。入学成就、家内安全などの祈祷は三宝荒神を祀った三宝殿で行われ、たいへん効果があると好評です。
(日本黎明社HPより抜粋)

  まあ以上は仏像通販の営業口上なのでwそのつもりで読んでいただきたい(どんな仏さまでも同じでしょ?w)のですが、台所の神さま、ということで神社にも御札が置いてありますよね。「ケンバヤケンバヤ」という真言なんですが。品川方面にもお寺があるかも知れませんが、見るからにちょっと奔放な動きの、能動的なイメージのある天部ですね。弘法大師が祀らざるを得なかった、このエピソードが事実だとすれば、凄い障碍神といえるでしょう。

  私もかつては聖天さまに通ったり、ガネーシャマントラを唱えたりしましたが、やっぱり合わないですねw 聖天さまで叶うお願いは川崎大師でも叶うし、川崎大師で叶わないお願いは聖天さまでも難しい・・・結局潜在意識上に因縁が不足していれば幾ら願っても限定的な枠を感じざるを得ない、というのが個人的な感想です。お願いは誰でも出来るけど、その人の潜在意識全体の中でどういう位置状態なの、ということでしょう、自己矛盾も含めて。まあ人間の位が低い、ということなんでしょうね。

  であるお寺が荒神さまと聖天さまを合祀しているという話を伝え聞き、それなら家庭の厨子で祀るのは非常にリスクが高いのではないか、と考えました。ご存知のとおり、聖天(歓喜天)さまとは象体のガネーシャ2身の抱擁図、暴虐神である大自在天を十一面観音が仏の慈悲で諌め善導する図ですから、厳格なお祀りが要求され、粗相をすれば障りがある、とされています。このような厳しい聖天さまと合祀する荒神さまを一般家庭でお祀りできるんでしょうか、と問い合わせたところ、何と荒神さまは非常に荒々しいので、聖天さまを据えて諌める、そのように古来から伝わっているというんですね。そんなに凄いの?という感じです・・・ちょっとコワイですねw

  浴油で浄化する聖天さまは荼吉尼天や稲荷に通じ、荒神さまは火の神さま、これで台所の守護神ということなんでしょうね。芥川龍之介の短篇に「アグニの神」というのがありますが、日米中に印度の神さまが絡む?という国際的なw作品ですが、私はここから真言密教の護摩供養で召喚する「火天」という言葉を想起しました。マジメ生一本の通常の仏さまとは一味違う、複数の要素が込められた生命感に溢れる、躍動的、つまりインド的な障碍神という雰囲気が致します。
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摩多羅神~真如苑、立川流、そして風水龍脈

2015.02.08(14:46)

  宗教学者中沢新一さんが「世界の王」と呼び、哲学者の梅原猛さんが「日本のディオニソス」とほれ込む、怖しくも滑稽な異神に注目が集まっている。猿楽者らが芸能の守護神としてきた摩多羅神(またらじん、宿神)のことだ。昨秋から摩多羅神を通して日本文化の深層を探ろうとする研究書が次々にまとまっている。

  2人の踊る子どもを前に鼓を打ちながら歌うような絵、烏帽子をかぶって踊る彫像・・・摩多羅神と伝えられる図像は踊りや音楽と結びついている。『闇の摩多羅神 変幻する異神の謎を追う』(河出書房新社)を昨秋出した文芸評論家の川村湊さんは「念仏修行を邪魔しに来る天狗を驚かし追い払うために跳ね踊り、めちゃくちゃに経文を読む儀式がありました。そんなカーニバル的な芸能の場と結びついた神でした。体の奥底からわき出てくる踊るエネルギーのようなものがその本質でしょう」と感じている。

  摩多羅神は、時代とともにさまざまな信仰と結びつき、芸能・念仏修行の守護神から邪教の本尊まで姿を変えてきた。その変遷を川村さんは大きく4つ(1)念仏堂の後戸の守護神(2)猿楽能の始祖神(3)江戸時代には邪教とされた玄旨帰命壇の本尊(4)東照宮の三所権現の一つ、に分け「特定グループの守護神としてひそかに信仰されたため、信者を失ったときにあっさりと歴史の闇に姿を消した」と見る。

  摩多羅神の祭りは岩手・毛越寺の二十日夜祭などしか残っていない。『うつぼ舟Ⅰ 翁と河勝』(角川学芸出版)で摩多羅神についてまとめた梅原さんは「猥雑で熱狂と恍惚を特徴とする摩多羅神は、酒とセックスの神であるディオニソスそっくり。(古代の異端キリスト教)景教とともに日本に入ったのではないか。何ともいえない非合理的なものが仏教の奥に忍び込んでいることにひかれる。梅原さんらの目を摩多羅神に向かせたのは、03年刊行の中沢さんの『精霊の王』(講談社)。

  「陰陽師」シリーズで知られる作家夢枕獏さんにも影響を与えた。現在も月刊誌「一冊の本」で西行を主人公にした「宿神」の連載を続けている夢枕さんは「宿神は縄文時代の信仰にもつながっているもので、日本人の宗教観の原型として興味深い」。 能役者金春禅竹がのこした「明宿集」を柳田国男の石神信仰をふまえて分析した中沢さんは「摩多羅神・宿神には制度化され、生命力を失った仏教や神話の根源に立ち返り、我々の世界の活力を取り戻す可能性があるから、注目されているのではないか。創造と力の源泉の秘密を握る『世界の王』であるこの神について考えることは、王権や主権の本質を問うことにもなる」と話す。

  こうした広がりの中で、30年以上前から「宿神論」などの論文を発表してきた歌舞伎研究者の故服部幸雄さんの論考が今年1月、『宿神論―日本芸能民信仰の研究』(岩波書店)にまとめられた。70年代に書かれた「宿神論」や「後戸の神」は、中世史、思想史の研究者や建築史家の注目を集めたが、単行本化されていなかったことや、「専門ごとの縦割りの研究体制と芸能に深くかかわる被差別問題へのためらい」(川村さん)もあって、広く知られることはなかった。絶筆となった「後戸の神をめぐる研究の諸領域」では70年代以降の研究の進展に展望を与えようとしている。

  日本の宗教思想史が専門の山本ひろ子和光大教授は「摩多羅神を扱った私の著書は書店のオカルトの棚に置かれたこともありました。『精霊の王』以来、理論的に注目する人が増えたことは歓迎します。儀礼や芸能の現場での基礎研究が充実すれば、中世の秘められた思想史が明らかになる可能性があるでしょう」と話す。
(朝日新聞、2009年3月28日)

  麻婆春雨とアメリカンビーフで笑いすぎてお腹が痛い私ですがwww呼吸法・真如苑・立川流とまずここまで連想を進めた時に、思い当たるのはこの天台密教の玄旨帰命壇ですね。真言立川流というのは理趣経でも解説できるので、卑見ではこれは入我我入とか加持感応・道交の境地、深く配慮し合って本質的な機微を疎通させることを端的・内的に表したものではないかと漠然と考えているわけです。何もわざわざ髑髏を祀ってセックス儀式をする必要はない、それはインドの邪教を方便として採用したものだと。観光先で戒壇巡りとかされた方も多いと思いますがあれは修行そのものではなく修行の象徴、儀式・方便でしょう。ただ真如苑というのは涅槃経ですから当然五時教判に沿っているわけで、理趣経も読みますが、一方で玄旨帰命壇のような霊的エネルギーも引いているのではないか、と憶測するわけです。

  何故ここまで摩多羅神を持ち出して強調するのかといえば、真如苑というのは重工業とも繋がりが深いですから右傾で保守的な印象があります。真乗教主は目黒不動尊でも水垢離だかお滝をされたそうですから、この目黒というのも私にとっては真如苑エリアです。アマゾンがあるのは知りませんでしたが、ぶっちゃけ真如密教というのは醍醐派に属する天台密教のような趣があります。でこの秦河勝という人物は蘇我馬子とともに聖徳太子を支えた側近の渡来人であり、太子没後は赤穂で没しています。秦氏は伏見稲荷大社を勧請したこともあって、666という数字に関連付けられますが、河勝は聖徳太子に近い人物ですから法華経信奉者でもあります。

  ただ摩多羅神は障碍神、荒神的性格が強いのでもう一柱、泰山府君=新羅明神を富貴の神として天台密教では祀ったようなんです。この「新羅」というのは日本では「白木」「白城」と変名してますからこういう地名を見たらああ渡来かも、と考えてよいわけです。新羅の神である八幡神は火の神たる荒神に対して海神・水神と据えることもできます。これが富貴の神だというわけですね。聖徳太子の「太子」というのは「童子」「天童」のことで、これは朝鮮の高級神霊の特徴から来る尊称らしいのです。

  強引に真如苑と韓国、さらに芸能、性力を発散して元気づける、守護するという儀式を結びつけるとすれば不勉強なボンクラの脳内ではこのようになります。渡来と保守、この一見矛盾する性質の神祇は八幡神、筥崎宮が思い浮かびます。この稲荷と八幡はユダヤ教と関連があるといわれています。摩多羅神とは語源的に瞳・観音・地母神・太陽神が考えられるそうで、卑弥呼や天鈿女命を連想させますね。もし呼吸法が羽黒修験のエネルギーを取り入れているとすれば、山形の方には馴染みが深いのではないでしょうか。以下の霊火堂には是非行ってみたいと思います。(参考: 康珍化作品集

  同年元年(西暦806年)に弘法大師・空海によって開基された広島県廿日市市内にある霊山・弥山(みせん)。安芸の宮島(厳島神社)と共に世界文化遺産として有名です。山頂に雪が積もる弥山の頂上に久しぶりに訪れ、深い深呼吸で気を取り入れました!  山岳信仰のメッカだった安芸の宮島にある弥山に上ると、頂上の素晴らしい光景は類い希な風水パワースポット。眼下には広島市内や戦艦大和を造船した呉市、海上に浮かぶ海軍英学校のある江田島も間近に見えます。

  ・・・厳島神社の赤い鳥居に気が集中し、理想的な気の流れ。弥山は海軍士官学校の生徒が登山で鍛え、日露戦争で奇跡の勝利をおさめるほど国運を高めた場所でもあります。久しぶりに世界文化遺産である弥山と安芸の宮島(厳島神社)に行く機会を与えられました。ここは何度訪れても、清清しく、素晴らしいパワースポットとして良い気が充満しています。祐気取り(吉方取り)スポットとしてもお薦めです! 弥山は、平成8年(1996年)、世界文化遺産に登録された厳島神社と弥山原始林の中に含まれるエリアです。平安朝の宗教芸術に満ちた厳島神社は、風水で見れば、実はその背後にある弥山に重要な意味があります。

  嚴島神社は、弥山を中心に深々とした緑(天然記念物の弥山原始林)に覆われた山容を背景として海上に鮮やかな朱塗りの本社本殿・大鳥居等の社殿群を展開するという世界でも例をみない理想的な風水地形の下に独特の景観を作り出しています。弥山の風水としての魅力は登ってみないと価値が体感できません。「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」(初代総理大臣・伊藤博文)と評価される通り、嚴島神社の社殿群は、自然を崇拝して山などを御神体として祀り、遥拝所をその麓に設置した日本の社殿建築発展の理想型でもあるのです。昔から「弥山に登らずして宮島を論ずるなかれ」と言われるように、標高535Mの弥山からの眺望や登山コースに点在する史跡、原始林の豊かな自然は宮島の見どころの一つ。

  大正2年、植物学者でベルリン大学のアドルフ・エングラー教授が宮島を訪れ、弥山に登山した際、ヤマグルマやマツブサなど植物系統学上、貴重な植物を見て感動し、「できれば一生ここに住み、ここで死にたい」とまで弥山原始林を激賞したほどです。植物学者でなくても、ここから沸き立つ原始林の生命の伊吹は誰もが感じることが出来る世界でしょう。頂上に近い獅子岩までは麓からロープウェイがあり、便利です。弥山の頂上付近にある霊火堂には中国から帰国した弘法大師・空海が修行で使った火が1200年以上経った今も堂の中で燃え続けています。本題である弥山の風水について、実際に登った体感からご説明しましょう。

  厳島神社から徒歩6分で紅葉谷公園に行き、そこを突き抜けて10分で宮島ロープウェイ紅葉谷駅に着きます。この辺は原始林が素晴らしく、沸きたつ気を感じます。そこから循環式ロープウェイに10分間乗り、榧谷駅で交走式ロープウェイに乗り換えて4分で獅子岩駅へ到着。そこから弥山の展望台まで徒歩で40分ぐらいかかります。厳島神社を上空から見てみると、修行の山として名高い弥山からいくつもの尾根が分岐した形で厳島神社のある浜へ向かって連なり、中国伝統の風水図でいう「乱蛇出草形(草むらからヘビが飛び出す形)」になっています! 山から下りてきた気は湾の浅瀬海上にパワースポットができ、集まった山の気が河や海、湖で交わって泉のように清澄静寂に蓄えられる風水でいう「水乗遺気(すいじょういき)」となります。

  湾状の浅瀬に迫り出すような形で社殿・回廊がレイアウトされ、参拝者の意識が海上の大鳥居に向くことで境内に集められた気を胡散霧消させず、留める工夫が施されているのです。 水の中に龍穴を結ぶ非常に珍しい気の磁場ができた風水パワースポットと言えるでしょう。この場所は風水の流れから見ると、資格取得や試験合格、社会的ステイタスの向上、昇進などの祈願に向く場所であり、学問の神様と言われている場所よりも、よほど、風水的には効果を現す場所です。実際に弥山の原始林を眺め、山頂から360度の風景を眺望すると、眼下に見える厳島神社の大鳥居に意識が集中し、素晴らしい気を感じる人も多いでしょう。
( ブログ「天地人の運勢鑑定ダイアリー」2011年1月29日)


立春に風水

2015.02.05(20:03)

【地雷復】一陽来復。衰退と崩壊の季節が頂点を迎えた後、転換点がやってくる。追いやられていた力強い光が戻ってくる。その変化はしかし力で強制されたものではない。上卦坤の性質は献身、従って変化は自発的に起こされた自然なものだ。だから旧から新への転換が容易なのだ。古きの廃棄と新しきの導入。この2つの働きは時の要請に従って行われる。だから問題となることは何も起こらない。社会とは多くの人々がある見解を共有することによって作られる。それぞれの見解のもとに集まったグループが公然としかも時に従って一つになるので、利己的で反社会的な傾向の人々が排斥されることになり、問題は起こらない。復の卦は自然界の働きの写しである。それは循環し自己完結している。従って何事も人為的に急かせる必要などない。すべての事物は己の時間に従って動いている。これこそが天地の意図するところなのだ。

  大地の下に雷が眠る、復の描くイメージだ。かくして古代の王は冬至のおり、関所を閉ざして街道の通行を禁じた。商人も旅人も歩き回ることができなくなったし支配者自身も地方巡幸はしなかった。冬至は中国では1年の中の休息のときとして常に祝われてきた。新年を祝う休みのときとしてずっと続いてきた。冬には生命力は、その象徴としての雷という立ち上がってくる力は、まだ地中にある。生命の働きはまだその端緒にあり、力を養うため休んでいる必要があるのだ。そうしないとまだ未熟なうちに使われて力を失ってしまうかもしれないのだ。このような、つまり、エネルギーを休ませて力をつけさせ、再び働きができるようにしてやるというのは他のいろいろな方面に適用できる考え方で、病気の後の健康の回復や、仲違いの後の人間関係の回復などもその例である。そのどの場合でも、最初は慎重に注意深く扱って回復させ、徐々に活動を盛んにしてやるべきなのだ。
(ブログ「周易-八卦-八握剣」2008年12月20日より抜粋)

  初詣に行ってからバタバタでしたが節分までに何とか生活の整理がついたようです。新しい組織にも加入して心機一転、これまでの総括を明日に繋げていけたらいいなと思います。ご理解ご声援いただいた皆さまに厚く御礼を申し上げます。今年の星まつりのお札は冬至から節分まで販売しているお寺で購入してしまいました。節分以降に渡すというところも多いんですけどね、肝心の節分当日を忘れていました・・・w スマホをSIMカードに切り替えてしまいましたが、容量が軽くなった分、サクサク動きます、快調です。風水に興味のある方はお部屋の模様替えでもしてみたらいかがですか?(参考: 風水ワールド)6月の広島旅行の手配も済ませました。いまから愉しみにしています。

2015年02月

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  2. 障碍神と高野山(02/16)
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