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現代を斬る~時評と考察

世相を描いた文章と雑談から、政治と宗教の現実を読み解き、考察のヒントを探ります。

いきなり! 島谷ひとみvs小比類巻かほる!!

  全然唐突ですけど年末にパチンコCRルパン三世を打ったので島谷ひとみさん、そして小比類巻かほるさんという歌唱力に定評のある実力派歌姫を対比させる形で狭い了見の独断と偏見満載で紹介させていただきます。お2人とご関係者の苦笑失笑が目に浮かびますが、2015年は熟慮と断行の年!と思っているので何も考えずw進めさせていただきます

  まず一発目に「解放区」と「I’m Here」を比較させて下さい。どちらも不動の名曲、歌謡界に輝く金字塔ですねw ファンの皆さまごめんなさい 島谷さんはJ-POPファーストアルバムのこの曲である種の完成形を示してしまったため、SMEのような1枚目でピュアな原形、2枚目でポップな味付、3・4・5枚目で市場に大ブレイクというプロセスに慣れた、というかそれが愉しみだった私としては判断を間違えないという安堵と裏腹に、何か一抹の寂しさを覚えましたねw 私avexも余り聴かないのでこの会社の方針もよく把握していないのですが、島谷さんの魅力は何といっても①キメの高音②女心の唄③リスナーへの浸透力、これを演歌出身の低音と洋楽ボサまでのレパートリーの広さが支えているところだと卑見では思っています(スイマセン)。「解放区」はこの3点が見事に揃った名曲だと思います。歌詞通り、この1曲で島谷ひとみを満足してしまうw そこがネックかな?

  KOHHYはね、当時高校生だった私は念願のCDラジカセを買って貰うことになったんです。それで当時新製品だったCDを何か買おうと思ってレンタルショップの棚をぼーっと見てたら「I'm Here」のジャケットが目に止まったんですねw 中身もまだ聴かないのに直感的に「ああ、俺はこの女性歌手を20年以上、いや一生聴いていくんだ」と漠然と思いましたね もうこの頃からちょっとおかしかったんでしょうw 現在そのようになっています、想像以上に素晴らしいアーティストの方だったわけですね カラオケ行くと次の日から人から避けられてしまう私ですがw「I'm Here」だけはデュエットで唄って何故か100点が出たことありますw これもきっと機械がぶっ壊れていたに違いありませんw 感想になっておりませんなー

  次!はオススメアルバムベスト3発表!ということで、何の意味もないのですが、とりあえず島谷さんは①GATE②PRIMA ROSA③FLARE、KOHHYはうーん、①I'm Here②SO REAL③Frontier Live’92にしときます、とりあえず。スイマセン

  まず「ペルセウス」は島谷節の真骨頂だと思いますよ。私は元々島谷さんの魅力は安定した低音と男唄だと思っていましたが、やはりこのアーティストの本質は高音と女性らしさにあるんだと確信していますw(何の専門性もありません)ただ島谷さんが私の聴きたい歌手の狭い範囲に丁度収まっているのだと思います。でこのアルバムは広瀬香美さんの「赤い砂漠の伝説」(アントニオーニ映画みたいw)系列の同工異曲が多いんですね。エキゾチックな情熱を秘めた女性と背後に広がる荒野というか、そんなイメージから“忘れられない恋の思い出”を連想させます。

  あと変な言い方ですが「亜麻色」とか「いつの日にか」のような頭を使わない単純=純粋な唄・曲が島谷さんには合うと思います。おそらくご本人は男勝りで聡明なところもおありになると思うのですが、だからこそこういう曲がいいんです! シンプルな曲を潜在力で聴かせるというのも島谷さんの十八番です。島谷さんの歌唱はつよい浸透力があり、心にジワジワと沁み込んでくるのです。初見のインパクトには若干欠けるかも知れませんが、ずーっと聴いてるとやっぱりいいんだよなー…ただアマゾンレビューを見ても判る通り、その奥ゆかしさがなかなか表現し辛い部分があるのです。単に「歌唱力がある」んじゃなくてナチュラルに歌っているのに、訴求力があるんです。相当綿密に構築された表現技術を仕込んだ上で、殊更にパンチを効かせないからこそ逆に沁みてくる…ここに覚醒するとみんな島谷ファンになっちゃうわけ、違いマスカ? 小賢しいイデオロギーがないところも清々しいですね。

  KOHHYは一部ですがBlu-SpecCDも出ているので是非そちらも買っていただきたいと思います。やはり「Happy Birthday」このバイオリンとともに駆使させる高音がたまりませんw 「ふたりでいいじゃない」と「2人のジェネレーション」を比べることもないでしょうが、どっちもいいじゃない!w KOHHYは思い入れが強すぎて冷静になれませんw

  島谷さんの「PRIMA ROSA」は完成度高い、つうか一聴してこのアルバム好きです! avexぽいかな? 曲調がバリエーションに富み、また島谷さんがよくその楽曲群に応えている名盤だと思います。やっぱり高音のキメが冴える「Ramblin’」(青春の迷い道?w)が一押しかな。パチンコルパンに戻りますが、ピートマックJr.の主題歌を堂々カバーして新定番の貫禄を誇る熱唱(アレンジの勢いが原曲もFantasistaも超えている!w)ですが、私はいま挙げた理由から「ラヴ・スコール」もカバーしてほしかったですね、絶対島谷さんに合いますよ!

  やっぱりKOHHYは「SO REAL」ですよ、私は「飛べないブルーバード」次に「Shiny Rain」さらに「TONIGHT」ですね。もう本当に全曲いい曲で、当時は「こんなにいい曲ばっかり作ったら才能が枯渇してしまう!」とか本気で心配してましたw でも昭和シェル石油wと同じでまだまだ埋蔵量はたっぷりとあったわけですねー(ダイハツさんにも多謝御礼w) ホント失礼なブログだなースイマセン! そのCDラジカセは安物でクロームポジションとか付いてないんですよw それでも近所のホームセンターから強引にTDK-SRを買ってきてFUNKY STREETを録音してましたからねw もうその頃は1年365日でKOHHY聴かない日、CDかけない日は15~20日位しかないですね もう完全に中毒・キチガイでしたw まだ少ない方かな 勉強向かないんでしょうねwww

  島谷さんの「FLARE」は地味だと評されますが、洋楽テイストなんです 「Heavenly」「Start」もいいですがおすすめはボサノヴァ調の「Dear」ですね。すごい洗練された雰囲気で清々しい気分にさせてくれます。一方ブログでゆるーい一面や家庭的なところも魅せてくれるのでそこもグーですね! 勿論「追憶+ラブレター」の「Viora」「餞のことば」も名曲ですが、ヒットチューンの方程式にこだわらずもっと冒険してほしい遊んでほしい、島谷ひとみにはそれができる! そう思います。「深紅」はこの路線・曲調で1枚アルバムが作れそうな予感がします。今後に期待w

  「Frontier Live」もラインナップが揃っていて、「LA FESTA」「What's Going On」はハマります。この頃は円熟したマイルドな唄い方で、黄金期の楽曲も含め1粒で2度おいしいアルバムですが、個人的には武道館以前の叩きつけるような明暗演出がトラウマになってますからねw CD作品としても一般的に聴きやすいライブアルバムだと思います。CS放送のライブ放映(→歌謡ポップスch)で私などの拙いレビューとは違う専門的本格的な紹介文が寄せられていて安堵しましたw 私武道館ライブをスマホに入れて持ち歩いているのでいつでもどこでもKOHHYのライブが見れます いい時代になりましたねー 勿論ライブ版CDをきちんと出してくれたTDKにも大感謝です 「Time the Motion Live」CD、VHSありますが機会があれば是非味わっていただきたいと思います。全然まとまってねーまあしょうがないか こんなんでいいんじゃない?

  ということで今回はお開きです 島谷ひとみさん、そして小比類巻かほるさん、いつもこころに響く素晴らしい唄を届けていただいて本当にありがとうございます プライベートも充実させてこれからもますます我々ファンを本物の実力で驚かせ、妙なる歌声で堪能させていただきたいと思います。今回は国民的歌姫のお2人をご紹介しました! 
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五里霧中、ISISの不気味(下)

  盗人を捕らえて縄を綯うようだが、「イスラム国」についての情報が少ないので、『週刊現代』の「これから始まるイスラム国『血の復讐』とその能力」から、イスラム国についての部分だけを引用してみよう。 外交官として中東各国の大使館に勤務し、2006年から10年まで駐シリア特命全権大使を務め、「イスラム国の正体」(朝日新書)を出した国枝昌樹氏はこう話す。

  <「イスラム過激派がときに残虐なことをして世間を驚かせることはそれまでもありましたが、米国人記者らのように、首を斬ってそれを次々と世界の目にさらすなどということは、他の組織では滅多にありません。さらに世間を驚かせたのは、その実行役として記者の首を斬った男が、ロンドン出身の英国人だったと、ほぼ特定されたことです」>週刊現代によると、英国人が参加している理由は、彼らが他のイスラム過激派などに比べて格段にインターネットでの情報発信が巧みだからだそうだ。

  同じ書名(編集者の劣化の象徴だね)「イスラム国の正体」(ベスト新書)を書いた軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏はシリア人女性と結婚し、シリア情勢の混乱にプライベートでも巻き込まれた経験を持つ。黒井氏が話す。<「イスラム国には、ツイッターやYouTubeを扱う広報セクションがあり、外国人の参加者が各母国語を使って情報発信をしていると考えられます。彼らのなかには、欧米やチュニジアなどから来た、オタク的な映像マニアがいて、若者向けのテレビゲームでも作るような感覚で高品質な映像を作っている」>

  小泉純一郎、森喜朗といった元首相の通訳を務め、中東情勢に詳しいアラビア語同時通訳の新谷恵司氏もこう語る。<「極端な暴力はイスラムの教義とは何の関係もありません。しかし、『聖戦に赴き殉教したの者は天国で永遠の幸福を与えられる』と教えられるのです。人間は必ず死ぬ。この世はあっという間だが、死後の世界は永遠に続く。その永遠の時間を、天国の一番高い所で過ごせるのだと言われると、現世の生活が苦しい人にはこの教えが麻薬のように魅力的に聞こえてしまう」>

  一説にはイスラム国に行って戦士になれば月給6000ドル(約72万円)が支給されるとも言われ、イスラム国が魅力的な「就職先」として世界中から若者を集める求心力になっているという。国枝氏はさらにこう話す。<「シリアで50ヵ所、イラクで20ヵ所もの油田を支配し、1日の売り上げは計算上800万ドル(約9億6000万円)にもなるので、この原油の密貿易で得た利益が活動の原資だろうという人もいます。 ただ私の見立てでは、密輸では輸送手段が限られ、いまのイスラム国には石油技術者もおらず原油の質も悪いので、原油よりも支配地域から集めた税金や、強盗、欧米人の人質に対する身代金などが、実質的に組織を支えている原資なのではないかと思います。また初期の段階で近隣のアラブ諸国から相当な資金流入もあったと聞いています」>さらに、イスラム国は本格的に国家を運営しようとしているというのだ。

  <「イスラム国は民衆に、自分たちを受け入れる限り悪いようにはしないと言っている。シリアの支配地域では商人たちから2ヵ月に1回20ドル相当の税金を取るのですが、律儀に領収証を出す。アサド政権時代には税金はもう少し高く、領収書も出さなかったため、一度税金を払ったのに別の徴税官が来て、税金を出せと言ってくる不正もありました。そうしたことで民衆の中にも一定の理解を示す人がおり、イスラム国はますます力を蓄えている」>パリでテロ事件を起こした若者たちは、イスラム国に共感した連中が自発的に引き起こしたのではないかという見方も出ている。そのところを日本の公安関係者が危惧しているというのだ。

  <「イスラム国本体ではなく、その思想に共感する小さな組織や個人が『イスラム国のために』としてテロを行う。イスラム国の名のもとに、あらゆる不満の鬱憤晴らしをする。この動きが世界に広がれば、やがてはコーランを読んだこともない日本の若者が、『イスラム国のため』とテロを起こすことにもなりかねない」>この不安が現実のものになったとき、日本人はどういう行動をとるのだろう。その試金石が今回の人質事件であるはずだ。
(元木昌彦「深読み週刊誌」J-CAST、1月23日より抜粋)

  イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件で、在日ムスリム団体「イスラミックセンター・ジャパン」(東京都世田谷区)が2015年1月23日、抗議声明をフェイスブック上に発表した。冒頭、「重大な過ちを犯している」と「イスラム国」を断じ、「良識的な意見に耳を傾け、人質を即座に且つ無条件で解放するように要求します」と主張した。

  文中ではその「理由」を5つ提示している。1つは「日本が、パレスチナとイスラエルが紛争をしている際に、パレスチナに対して支援をする等、多くの場面において、相対的に公正な立場」をとってきたこと、2つは日本がパレスチナに対する最大の援助国であること。3つはイスラム教徒が日本で平穏無事に暮らしていること、4つは日本にいるイスラム教徒の宗教活動に政府が干渉しないこと、5つは「日本がイスラム国を含めいかなる国に対しても宣戦布告をしない唯一の国」であること。

  5つ目に関しては「おそらく最も重要な理由」と強調している。続いて、「日本人2人の人質を殺すことで、日本人のイスラムに対するイメージ、そして 日本に住んでいるイスラム教徒に、とても大きな影響を与える」と警告、「このような影響に対して、我々は全能のアッラーの前で、イスラム国が責任を負うべきだ」「日本人の人質を殺すことについて、いかなる弁解の余地もなく、正当性もない」と厳しく非難した。声明文の最後には「アッラーは、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けたり、またあなたがたを家から追放しなかった者たちに親切を尽くし、公正に待遇することを禁じられない。本当にアッラーは公正な者を御好みになられる」というイスラム教の聖典「コーラン」の記述にも言及し、人質の殺害がコーランの教えにも反すると主張した。
(J-CAST、1月23日より抜粋)

  映像の不審点と現実の被害状況とは別にして慎重な対応が求められるでしょう。果して彼らはカリフの後継者たる義勇軍なのか、イスラムを口実にした反米の暴徒なのか、紛争を巻き起こすための商売人なのか、各国首脳の知恵と決断が待たれます。

五里霧中、ISISの不気味(上)

  民間軍事会社を経営する湯川遥菜さん(42)とみられる日本人男性を拘束したイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」。イラク北部とシリア東部にかけて幅広い範囲で活動を活発化させており、アルカーイダをしのぐ世界最大規模の国際テロ集団だ。捕虜や方針に従わない一般市民を容赦なく惨殺するという、他の過激派組織とは比しない残忍さで知られている。湯川さんは、シリア北部アレッポ郊外バーブで拘束されているという情報がある。

  直前まで同行し、イスラム国とも戦闘を続ける反体制派武装組織「イスラム戦線」の地区幹部は共同通信の取材に対し、「命を賭けてでも助ける」と明言。自分たちが拘束しているイスラム国の戦闘員との「捕虜交換」を提示しているが、イスラム国から明確な返答はないという。ロイター通信によると、イスラム国は19日、シリア内戦の取材中に武装グループに拉致され、行方不明になっていた米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏とみられる人物を処刑する映像を公開した。

  中東だけでなく世界全体の脅威となっているイスラム国。もともとは2003年のイラク戦争後、国際テロ集団アルカーイダに忠誠を誓い、イラクでテロを展開していたが、13年に隣国のシリア内戦で台頭した。昨年末から再びイラクでの攻勢を強め、今年6月、国境を越えた「イスラム国」の樹立を宣言し、組織名もイスラム国を名乗ると発表した。指導者のバグダディ容疑者は、イスラム教にとって最高権威である「カリフ(預言者ムハンマドの後継者)」を名乗り、世界のイスラム教徒に結束を呼びかけている。
(ZAKZAK、2014年8月20日より抜粋)

  シリア北部アレッポで、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜さん(42)の消息がいまだ不明のままとなっている。そんななか、千葉県内に住む父親の正一さん(74)が夕刊フジの取材に応じ、揺れる胸中を激白した。事業の失敗に妻の死、自殺未遂…シリア行きは、多くの挫折を経験した湯川さんにとって再起を賭けた「人生のラストチャンス」だったという。

  「6日に電話で話したときには『お盆明けには帰る』と言っていたのに…今はただ1日も早く元気な姿で帰ってくることを願っています」千葉市花見川区の自宅で取材に応じた正一さんは、苦渋の表情を浮かべて言葉を絞り出した。外務省からの連絡を受けたのは17日。次男の湯川さんが渡航先のシリアで武装勢力に身柄を拘束された疑いがあることを告げられた。現地から伝わる情報はごく僅か。時間が経つごとに焦りだけが募っていく。生死さえ判然としないわが子の安否を気遣いながら、「息子がこれほど世間を騒がせるようなことをして本当に申し訳ありません。親として、教育の部分で足りない部分があったのか、と反省しています」と複雑な心情を吐露した。

  今年1月、東京都江東区で「国際民間軍事業」「国外警護」などを主事業とする「民間軍事会社」を立ち上げた湯川さん。活動実績はほとんどなかったが、日本でのその肩書が今回の災難を招いた可能性もある。経験不足も指摘されていたが、なぜ無謀な挑戦に及んだのか。「出発前、彼は『これが人生のラストチャンスだ』と言っていました。もともと、国際問題に関心がある様子もなかった。向こうで、事業の展望を開こうと思っていたのではないでしょうか」正一さんによると、湯川さんは、千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業した。

  2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、05年に暗転する。「店が潰れて莫大な借財ができた。借金は、私が方々駆け摺り回って返済しましたが、彼は夜逃げ同然に姿を消してそれからすっかり疎遠になってしまいました」10年、湯川さんの妻が肺がんにかかったことを知った正一さんは、入院先の病院を訪ねたが、そこでもわが子と顔を合わせることはなかった。その後、湯川さんの妻が亡くなり関係は断絶。親子の縁が戻ったのは、昨年12月のことだった。

  「突然、実家にやってきたんです。そこで名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを聞かされた。『知り合いに短命な字画だと聞いたから』と言っていました。自殺を図って局部を切り取ったことも知りました。生活の部分で、限界を感じていたのでしょう。親としてそのまま放っておくことはできなかった」正一さんは、今年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始めた湯川さんから新事業についてのプランも聞かされていた。「海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だと言っていました」会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かしていた湯川さん。4月に最初の渡航を果たし、今回が2度目だった。

  正一さんは、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った。人生の再出発を賭けて赴いた紛争地。そこで出会った人との縁が、湯川さんを危険な最前線へと誘ったのか。
(ZAKZAK,2014年8月22日)

  この昨年お盆過ぎの湯川さん拘束をかねてからの現地ガイド役であった後藤さんが救出目的で潜入し、交渉がこじれ、現在のような事態に至ってしまったということのようです。私は最近すっかりテレビもニュースも見ないので、「ん? 後藤謙次と井川遥、TBS?」とか不謹慎かつ全く見当違いな印象を抱いていたのですが、中東歴訪を終えた安倍政権に重い現実が突きつけられました。(参考: 山本美香さん回顧(上杉隆)

怖るべし、龍神パワー

信 者「最近、九州小倉砂津海岸沖と対馬沖において、空のエアポケットのごとき事象が発生し、既に数隻の船が不思議にも同一場所に沈没してしまい行方不明となっておりますので、海の怪事件として喧しく世評の的となっていますが、これはいかなる原因で御座いましょうか。御教えを賜りたく存じます。なお、エアポケットについて御伺い申し上げます。」

明 主「エアーポケットは空に真空が出来る事である。龍神は空間でいろんな事をやる。そこに龍神が住んでいて、船の通るのを嫌がるのである。龍神は潔癖なもので、汚されるのを嫌がる。行の妨げにもなるのである。」(昭和24年10月1日)

信 者「箱根の山はエアーポケットと聞きましたが、その急所は何山辺でしょうか。これは神秘的な理由が御座いますか。なお日本国のエアーポケットは何ケ所位御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

明 主 「エアーポケットは、空気が渦巻いている。神秘的な事が全然ない事はない。お魚など、龍神が守っている事がある。来させないようにしている。飛行機を落すのは悪龍である。」(昭和24年12月23日)

信 者「6月21日の長崎民友新聞に『五島沖の怪』の見出しで宇久島沖、白瀬燈台沖、奈良尾沖、沖ノ島沖に、アバ網(鰯)をおろしますと急に波が荒れ出し、摺鉢形に渦を巻き網を吸い込んでしまうとの事で御座居ます。これはいかなるものの仕業で御座居ましょうか。」

明 主「龍神である。その辺に龍神の居所とか住居がある。そういう事をされると困る訳である。蛇は巻くのが好きである。低気圧のごときもやはり巻く。中心に龍神が巻くと旋風が起る。」(昭和24年7月2日)
(岡田茂吉・明主通信カレッジより抜粋)

  だいたい毎年12月頃から翌年2月末辺りまで京都の阿含宗本山が星まつり修法のために若干パワーアップするのですが、所詮パフォーマンスです。①阿含宗で信仰する準胝観音や請観音経は楊枝と関係がある。②桐山管長の正妻(故人)は歯科医である。③阿含宗は現地イスラエル護摩で戦没者供養を行った。これまで阿含宗の予見して来た事が当たったか外れたか、各自で判断して下さい。

  真如苑も同様に念力で龍神を動かし、その周辺で神祇・天部の護法眷属を使役するものと思われます。もっとストレートにすぱっと幸福と平和を現出していれば私みたいなダメ人間にボロカスに指弾されることもなかった筈。真如苑については①立川流の発祥は諏訪神社、台密の玄旨帰命壇は法華経=聖書・秦河勝を通じて世阿弥や舞踊につながっていく(参考: 六部=法華経66部納経巡礼者)②双親さまの墓所は調布空港のある多磨駅下車、府中の多磨霊園③飯縄権現=豊川稲荷=秋葉可睡斎=足柄道了尊(金太郎で有名)とは烏天狗が白狐に跨った尊影。④応現院はモノレール立飛駅下車、、そこには地元体育館もある(東京五輪や舘ひろしさんには関係ないw)

  龍神は偉大なものから呪いヘビのような低級動物霊までピンキリだといわれます。私はパワーエリートとは無縁の人間ですが、「供養」「英語」「武道」「演劇」これらを奨励する行為はまことに結構です、しかしその誘い掛けを是としない(と一方的に見做した)者に対しては直ちに呪い殺す集団が存在したとしたら、法律的にはどうあれ、私はこの人々を内心で「カルト!」と断じます、つまり偏狭な過激派=危険人物・危険集団というわけですね。ボートや競艇も水流から龍神にカンケイあるかも?

訃報つづく

  アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男役などで知られる声優で俳優としても活躍した大塚周夫(おおつか・ちかお)さんが15日、虚血性心不全のため東京都新宿区の病院で死去した。85歳。東京都出身。葬儀・告別式は未定。声優として日本のテレビアニメの草創期から活躍。ねずみ男の他、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王、「美味しんぼ」の海原雄山などを演じた。洋画の吹き替えでは、チャールズ・ブロンソンさんらを担当。俳優としてもNHK大河ドラマ「春日局」をはじめ多くのテレビドラマに出演した。長男明夫さんも声優として活躍している。(1月17日、サンケイスポーツ)

  鬼太郎のねずみ男や美味しんぼの海原雄山が有名ですが、個人的には初代五エ門、暗黒大将軍の兜研造博士、さよなら999バルチザン老兵士、そして明夫さん・茉美さん共演のザ・プリテンダーのミスター・レインズでしょうか・・・ワンシーンで作品全体を喰ってしまう圧倒的存在感でした、本当に本当にありがとうございました。

  大河小説「幻魔大戦」シリーズや、漫画「8マン」の原作などで知られるSF作家、平井和正さんが17日、急性心不全のため、死去した。76歳。告別式は親族のみで行う。喪主は長男、新(あらた)氏。後日お別れの会を開く予定。神奈川県横須賀市出身。中央大学在学中に作家デビューし、昭和38年に原作を手がけた漫画「8マン」がテレビアニメ化されると、脚本も担当、大ヒットした。その後も石ノ森章太郎との共作漫画「幻魔大戦」シリーズなどを相次ぎ発表した。(1月18日、産経新聞)

  幻魔大戦は永遠に我々人類の光明、聖典です。どうか安らかにお眠り下さい。合掌

  作曲家で歌手の平尾昌晃さん(77)が2015年1月15日、肺炎のため救急搬送された。次男の平尾勇気さん(33)が19日にブログで報告した。勇気さんは「ご報告」と題したブログで「一時は危篤状態が続き非常に危険な状態でした」と昌晃さんの容態を説明した。19日早朝に更新したツイッターでは「今は少しづつ回復に向かっています!皆様、親父が元気になるように祈って頂けましたら幸いです!」と書いている。昌晃さんは14年大みそかのNHK紅白歌合戦で「蛍の光」の指揮を担当していた。(1月19日、J-CAST)

  呪詛は法律では無罪でも、周囲の霊には判るもの。霊と霊との間で因果応報は起こる、だから逃れられないのです。さあ、真犯人(集団)は誰かな?

時代を象徴する“功名心の暴走”

  今年は、佐村河内守氏の代作発覚、小保方晴子氏の論文不正、それに朝日新聞の誤報訂正事件と続いた。共通するのは“虚構”である。虚構を駆動したのは、グッドワーク(よき仕事)を志向する職人気質とは対照的な臆面なき“功名心の暴走”である、と私は思う。と言うと、佐村河内、小保方問題については同意されても、朝日問題は功名心の暴走だろうか、記者の左派イデオロギー(理念)の暴走によるものではないか。そういう異論がでるかもしれない。それに対しては『文芸春秋』12月号のアンケートでの、ある回答を示したい。

  アンケートは、朝日問題をめぐって朝日新聞関係者に行われたもの。ある記者はこう答えている。「従軍慰安婦」も「吉田調書」問題も根っこは似ており、巷間に言われる「左翼偏向」というより、官僚主義がはびこる会社で「手柄をあげたい」という欲求だ。同じ社で仕事をしている記者による動機解釈だけに注目すべき見解である。もちろん今回の朝日の誤報が、記者のイデオロギーと無関係に起こったとはいえないにしても、それに劣らず、社是・社風のもとでの担当記者たちの“功名心”という隠れた動機に着目しないことには真の理解にならないだろう。誤報記者たちは社の空気が異なっていれば、違った暴走をしたかもしれない。そう思ってかかるのが今日のメディア・リテラシーというものであろう。

  承認欲求は人間の基礎的欲求であるから、誰にも功名心はある。功名心があればこそ、偉大な仕事も発明発見も生まれる。だが、功名心は暴走しやすい。功名心の暴走は今に始まったことではないが、それだけに「功名心に走る」や「名誉欲が強い」などという警句で、暴走に牽制と抑制をかける文化が用意されてきた。「功名はあくまで、すぐれた業績に結果としてついてくる名声や名誉だ」という慎みの文化がともなってきた。そういう慎みの文化があればこそ、人々は結果が名声や名誉という形で世に受け入れられなくとも、よき仕事をめざして取り組むことができ、ひたむきさや誠実さをひそかな誇りとすることができた。

  ところが功名心をめぐる慎みの文化が衰退し、かわって功名心を暴走させやすいメディア社会化が加速してきた。メディアに取り上げられないことにはどんな業績も認知されない、逆にメディアに取り上げられれば中身がともなわなくとも遍く世人の知るところとなる。かくて「パフォーマンス」や「ウケ」(狙い)という用語が頻繁に使用されるようになった。パフォーマンスやウケ狙いは、何をするかや何をしたかよりも、訴求力がどうだったかに眼目をおく。心の成果主義である。冒頭にふれた今年の虚構事件は、そういう時代を象徴するものである。

  こうした功名心の暴走は、いまやあらゆる領域を蝕みはじめている。功名心の暴走で問題なのは、うけるためならルールなどおかまいなしの逸脱行為を平気で行うことや、何をするかが先にあるのではなく、うけそうなことをするという倒立が行われることである。今回の選挙では経済を中心にした政策論争のせいで沈静していたが、たとえば2012年衆院議員選挙のポピュリズムを思い出してほしい。政策(目的)があっての手段としてのポピュリズムではなく、うけそうなことを政策にするという目的・手段の倒立がおこっていた。自己目的化したポピュリズムがまたやってこないという保証はない。

  さらに、この間の野党議員には、政党を渡り歩く、渡り職人ならぬ、渡り議員が結構いたが、このような議員にも何をするかよりも当選できそうな政党を選んで、それに自らの政策理念を後づけで合わせるという倒立がみられる。言論も、この倒立から免れてはいない。「狼少年」のように政治・経済についての極論を開陳する言論人が注目を浴びる。いったい彼らは、本当にそう思って言っているのだろうか。極論というパフォーマンスが読者や視聴者にうけると踏んでの立論ではないか、疑ってしまう。朝日問題でふれたと同じく、言論の背後にイデオロギーだけを探索していては、この倒立現象の危うさはわからない。

  現代の功名心はネットを含めてメディアを舞台とする。メディアこそ、このような功名心の暴走による虚構を暴かなくてはならないのだが、残念なことにそうはならない。メディアの宿痾であるセンセーショナリズム(扇情主義)は功名心の暴走と共振してしまうからである。メディアは功名心で暴走する者を「現代のベートーベン」や「リケ女の星」とスターダムに押し上げた。ところが虚構とわかると、打って変わってのバッシングに走った。功名心の暴走をマッチポンプで消費している。だから新たな功名心の暴走がメディアを舞台に乱舞しかねないのである。
(竹内洋、産経新聞2014年12月31日)

  資質不足を承知ではっきり言いますが、野党も一般国民も、フジサンケイの批判に耐えうる左翼政党、一大野党を創設してはどうですか? 保守革新というと漠然ですが、「持続可能な成長重視」「持続可能な福祉重視」こういう2大政党が政権交代で切磋琢磨すべきだと思います。もう何でもかんでも夕刊フジや自民党に押し付けといて独裁呼ばわりするのは、いい加減に卒業しましょう。

大欲と大乗

  本日も近所のお寺に恒例の初詣に行ってきたが、大僧正貫主が理趣経の大欲とは自分さえよければいいのケチな根性じゃない、観音さまの6本の手のように六道それぞれの衆生をを如何に救おうか思案する大いなる目標・欲望を持つことだとご法話をされていたく感動したのである。阿含宗と違って年1回のシンプルな法要法話であるがやはり本物は全く違う。真言秘密の大乗精神を胸に抱き、不徳非才の身ながら今年も進んで参りたい。

ここが変だよ日蓮宗⑧日蓮曼荼羅の魔

  以下、日蓮系仏教を知らない人には、ちんぷんかんぷんの話です。

  ラーマ・クリシュナは母神信仰でした。 弟子が、なぜ偶像崇拝するのかと問うと、根本神は法則的な神だが、それを拝む事は容易じゃない。だから偶像を拝むのだと答えました。俺は、仏教をまだ頭で考えていた頃、偶像崇拝を否定していました。日蓮曼陀羅を「法」として拝んでいました。でも、手応えが無い。奇跡的体験もしました。ですが、それはいわゆる、潜在意識の法則と言うもので、宗教と関係あるわけではありません。クリスチャンでも経験します。俺はクリスチャンとも交流しますが、法華も彼らも奇跡話の多さは変わりません。それに、俺の求めているのは、奇跡じゃなくて、魂の変化です。

  それで、試しに思い切って、観音さんを拝んでみたら、心にじわっと来るものがあったのです。だから、ラーマ・クリシュナの言う通りなんですよ。キリスト教は、偶像崇拝禁止の教えなのに、イエスを拝むでしょう? 「偶像じゃなくて十字架だ」って反論があるけど、イメージの上で、イエスを拝んでいる。信仰には、偶像崇拝必要なんですよ。絶対に。日蓮は、確かにあの曼陀羅描いたけど、あの曼陀羅の上には、イメージとしてのお釈迦様が重なっているのが前提だと思うんです。日蓮教学から考えると。大石寺だって、人本尊として、日蓮を立てています。身延元締めの日蓮宗でも、日蓮像を拝んでいるし。創価さんは、日蓮を人本尊とするというスタイルから徐々に離れ、今は法信仰ですね。
 
  法信仰の場合、漠然としちゃうんですよ。仏教の究極の本尊は、宇宙の根源の法(物理学で言う暗黒エネルギー?)なんだろうけど、それって、空気拝むような感じ。だから、仲介者としての神仏があるわけです。本尊は、人の形してたほうがピンと来る。日蓮曼陀羅は日蓮流の密教曼陀羅なんですよ。不動明王、愛染明王は、密教経典にしか登場しない神さまです。法華経には出て来ない。阿弥陀如来は法華経に出て来るのに。阿弥陀如来は日蓮曼陀羅に描かれて無いけど、不動明王、愛染明王は、種字で両サイドに描かれている。

  不動明王、愛染明王は煩悩即菩提の意味。煩悩即菩提自体が密教教義。不動明王はあらゆるマイナスの感情をプラスに転じてくれる。愛染明王は性欲を慈悲の感情に高めてくれる。日蓮曼陀羅は密教曼陀羅なんですよ。日蓮自身が天台密教僧でしたから。密教曼陀羅には、魔物も描かれる事がありますけど、日蓮曼陀羅にも魔物が入ってます。第六天魔王。これは、悪魔の総大将。十羅刹女。羅刹とは、悪魔の事。つまり、十種類の悪魔の女。鬼子母神。他人の子供をとって食う女。実際に、こういう女が存在したのでしょう。猟奇的な女。

  こういう悪魔を曼陀羅に入れるのは密教の特徴なんです。普通に考えるとヤバいもの拝んでるわけです。単なる売春婦であるダキニの比じゃない。悪魔そのものですから。悪魔を曼陀羅に入れるのは、封印の意味です。鬼子母神は、女の中の魔性を仏の力で封印しているわけです。この理屈を知らないで拝むと、魔物を引っ張ってしまう場合がある。だから、真言宗や天台宗では、こういう曼陀羅は、一般信者には拝ませないのです。例えば、金持ちになりたいと思って、こういう曼陀羅に祈ると、同じ波長のものが来るわけです。そういう霊的なものを引き込む。魔物の描かれている曼陀羅だからです。

  あの曼陀羅は、日蓮の作った劇薬なんです。修行を積んだ密教僧は、まず、守護本尊を呼び寄せるのです。不動明王を本尊としている寺だと、まず、不動明王を呼び寄せます。次に、曼陀羅に念を向けるのです。日蓮も、最晩年の手紙で、信者が釈迦の立像を作る事を誉め称えています。日蓮自身、亡くなる際、曼陀羅を掲げ、釈迦の立像を枕元に置いています。つまり、日蓮の守護本尊は釈迦であり、弟子も例外ではありません。「釈迦はお前たちは拝むな」とは書き残してませんよ。その逆はあっても。ましてや日蓮は、自分(日蓮)を拝めなどとも言ってません。釈迦を呼び寄せた後で、曼陀羅に念を向けると言う手順じゃないと、意味が無いばかりではなく、危ないわけです。

  一生懸命に日蓮曼陀羅を拝んでいるのに、不幸になったり、仏教徒とは思えない素行の人が多いのはなぜかと考えると、やはり、このあたりに、原因があるように思えてなりません。日蓮系の人でも、日蓮や曼陀羅ではなく、釈迦に基軸を置いている人は、人柄も良く、信心が安定しているように感じます。そもそも、密教においては、曼陀羅は法具であり、本尊ではないのです。本当の原因はわかんないけど、日蓮曼陀羅を拝み倒した人で、狂ってしまった人、多いです。密教の坊さんでも、呪術に入り込み過ぎた人は、変になってますが。誰もが知る日蓮系教団の指導者、今、信者の前に姿見せて無いのです。金正日さえ、出ているのに。信者の信心が揺らぐほど、人前に出せない状態なのでしょう。堂々と病名も言えないような。

  俺の身内も日蓮曼陀羅拝み倒し、今では、一家全員精神病。支部長の父親はDV、母親は寝たきり、子供は入院です。一番まともなのは、彼らの言う、稲荷等の「邪教」やっている俺なんですよ。ちなみに稲荷神は狐じゃないよ。狐は神の使い。大石寺の鶴と同じ。稲荷は食べ物をもたらし、子孫を繁栄させる豊穣の神で、その本体はダキニ天です。伏見稲荷には、ダキニ天のシンボルが沢山あります。そんな邪教の俺は、うだつは上がってないけど、雨にも風にもアスペにも負けずにやってますから。イスラム教とか、ユダヤ教とか、キリスト教右派のほうが危険性は高い気がするけど、日蓮系はやっぱり怖いと思います。
(ブログ「兼愛ジャーナル」2011年10月12日)

  真如苑・阿含宗・創価学会を「身延系」として一括りにするのはこの日蓮曼荼羅というものが先祖供養を奨励しながら祖霊その他低級霊を浄化成仏させず「怨霊を集め、願いを叶える」代物だと考えているからです。だから副作用があり、精神的充足感が得られないのです。決して願望が叶わないわけではないのです。一方で阿含宗で観音千坐行、真如苑で「法華で救われなければ涅槃で救う」、さらに日蓮正宗系の機関誌名を「大白法」「大白蓮華」とそれぞれに言われますが、つまり因縁解脱・因縁切り・宿命転換の法として、個人的にはこれらの特徴を白衣観音経は備えているようにも思えます。

化身

  ちょっと頭のおかしいことを書きますが、私はよく桐山さんや真如苑の伊藤苑主の化身と遭遇します。桐山さんの化身は2種あって、1人は現在の老いたご本人、もう1人は星まつりポスター写真の昭和末期の初老ながらオールバックで精悍な桐山さん、こちらの方が圧倒的に多いのです。スポット派遣で倉庫で働いていると、ある男性と知り合いになりました。相互に手伝い合って仕事を済ませます。帰りのバスの中、その男性が私の隣に座ってきました。たわいない会話を交わすうち、話題がいきなり記憶術w無愛想な私も苦笑を抑えるのに必死でした。何故か電話番号を交換し、後日新たな仕事を紹介してくれましたが断りました。きちんとした実在の人物なのですが、私は彼を桐山さんの化身と思っています。真如苑の真砂子継主(苑主)、さらに真乗教主の化身も時々現れます。髪形とか眼鏡などで判断するのですが・・・阿含宗の職員や先達の化身は在籍当時からですね。もう退会してしばらく経つから止めてほしいのですが・・・最近Yさんという苗字が周辺に頻出します。この方が阿含宗なのか創価学会なのかはよく解りません。私に透視霊能は必要ないのです。向こうから3次元的に化身をとって近づいて来るのですから・・・いきなり豹変するんですよ、もう気にもしませんが。(2013年1月14日)

のどかさは交通安全の大敵?

  これは守秘義務に抵触しないと思うので書きますが、交通事故というものは意外と危険な状況では起こらないものなんです。渋滞中の複雑な交差点ではドライバー皆眉間に皺寄せてるし、乱暴な運転も信号無視もありますが、大事故に繋がるイメージは少ないものです。むしろ事故が起こるのは事故の原因がまず見当たらない平和な雰囲気、交通量の少ないところ。つい気持ちが大きくなって猛スピードで吹かしてみたりするのです。で歩行者も同様に気持ちが大きくなって油断しているのです。この両者がかち合うと起こる筈のない事故が起こってしまうわけで、油断大敵の箴言通り怨霊の侵入を招いてしまうのかも知れません。俗にいう「魔が射す」という奴ですね。(2013年1月14日)

密教と日蓮

  真言宗を信じる不勉強な素人として、また真如苑や阿含宗の説明、またはネット上の批判掲示板を眺めて感じるのが、①釈迦の阿含②密教の祈祷③神仏習合、これら3つがうまく並立しない、ということですね。①の釈迦は原因結果のサイクル、②は神仏を召喚した祈り、③はですね、これは本地垂迹とかその逆とかありますが、卑見ではこれ自然霊で同じだと思います。拝んでて日輪がパーッと射して来た時に、そこに大日如来を感ずるか、天照皇大神を感ずるかは信教の違いだと思います。それでも太陽の射し方に違いはあると思いますが、結局太陽光線である事に相違ないわけでしょうwただそこに自然霊という仲立ちをお呼びする、ということだと思います。神というのは杜のことですなわち「聖域」が原義らしいですから、ここから端的に「大自然の威力」ということでしょう。この自然崇拝と、空海の六大が関係してくるわけで、カルマの浄化ということを考えると、神仏を拝んだり、社会福祉に精励することで運命を好転させる=自分のカルマを神仏に同調させる、協調させるという意味で上記の①三密加持②四曼荼羅③六大無碍に通じてくると思います。ただ釈迦は祈りを否定し「すべては因縁だから仕方がない」という立場なんですね。しかしそれでは宗教にすがって来る困窮者の問題解決にならないので神仏に祈る、基督教などを模した大乗仏教が立ち上がってきたわけで、「仏教真理が難解でもとにかく仏神に祈れ、釈迦も天啓で悟ったに違いない」となって来たのだと思います。

  釈迦自身「因果関係は複雑微妙で難解だ」そう単純なものではないと告白している筈です。日蓮宗はこの複雑微妙な密教教義を整然としたのですが、教義では元ネタの本家を否定しても、拝んだ時には事実上エネルギーをそこから引いて来て日蓮曼荼羅経由で授かるのであろうから、信者以外が既成の神仏を普通に拝んで何が悪いの、どの宗派でもウチが一番よそはダメというでしょう、となってくるのです。日蓮曼荼羅の功徳というのは非常においしい魅力があり、実際そういう事例も多いでしょうが、釈迦の教えは場面場面で一喜一憂するのではなく因果のサイクルで考えなよ、と諭しているわけで日蓮宗信者の人生を長期的な視野で俯瞰した場合、果しておいしい場面だけなのかと問えばここは疑問なわけです。真摯な日蓮宗の方には失笑無礼な内容なのは承知ですが、やはり「出世の本懐」という出だし、仏教信者は出家隠棲するという古代から現在までも続く宗教者の苦悩という動機に日蓮宗は果してどこまで応えているのでしょうか。仏教を広く世に出すのと仏教を出世や金儲けの手段にするのとでは違うでしょう。これまでの歴史的経緯を見る限り、個人的にはやはり日蓮曼荼羅の示す功徳は「虚妄分別」「他者への寄生」「エゴの助長」に繋がってしまうのかな、と感じます。そうでない日蓮宗信者の方がたくさんいるのも事実ですが、こういう人が目立ちますね。日蓮本人は神社参詣も探究し密教修行も本家で勉強しているんですから、一切の神仏を棄てて日蓮曼荼羅一本というのは迷いこそ払われても、思考停止の危うさを孕みます。(2013年1月14日)

パワーと怨念

  まあ普通の人があこがれる超常能力、神通力といえばやはり読心・透視と念動力、この2つではないだろうか。新興宗教の修行、ヒーリングのパワー伝授、或いは大組織のオーラなどによってこのパワーが授かる人がいるのかも知れないが、その実効範囲は限定的である場合が多い。ところが不可思議な能力である故に、当人は無限の可能性を妄信してそこに踏み出してしまうパターンも多い。勿論どこかで従来の範囲に引き戻されるわけである。もう一点、こうしたパワーを恣意的に濫用する事で周囲の怨念を集めてしまうことも往々にしてある。これこそまさに実はパワーを得た時点から因縁の歯車が発動しているように思えるのであるが、周囲の怨念の度合いがある臨界点を超えると当人の運気が状態変化するわけだ。その結果運気が好転したりドボンしたりするわけである。世の中には本当にいろんな教えがあり、思えばその通りになるというのは先述したアストラル世界を考慮すればある意味当然なのであるが、同時に周囲の怨念も叶い易くなっている筈で、不可思議なパワーを行使できる反面、他人の思いの影響に過敏に反応したり、勿論怨霊の侵入を招いたりして普通にやった方が早道なんじゃないの、という顛末になることが多い。ちょっと怪しい霊能者でも相談者・依頼者に無断でその内容を当人を特定した上で他人に吹聴したりブログなどで公表したりすることはまずない。ヤクザが「あなたのこと何でも知っていますよ」と迫るのと同じで、これは常識中の常識、基本中の基本だからだ。こういうところも能力者における怨霊の関与の判別の手掛りとなるものだ。(2013年1月12日)

善意のオネガイ

  新興宗教も教団霊中心のものと怨霊中心のものとがあるように思う。教団霊というのは多数の集団を雰囲気で操る術を持っている。利己的な動機故のマッチ・ポンプな自己矛盾から結果が元の木阿弥、空騒ぎだけで進歩がない場合が多い。対して、この怨霊中心の宗教というのが前者に比べれば素人には一見高尚にみえる。勿論これは便宜的な区分で両者の要素が混在しているのが普通だが、何をいいたいのかというと、怨霊は自分の人間性に自信がある人に憑くのではないかという懸念があるからだ。つまりこの状況下では俗にいう「お前の心掛けが悪いんだ」という指摘が一見当てはまらない場合が多い。潜在意識を細密にほじくってここは傲慢、ここは自信と腑分け点検しても意味がないので、そうではなく感情的な「人間的・・・!」というセルフイメージの孕む危うさを指摘したいのである。こういう人は常にいい人であろうとして心掛けや手法の選択で自業自縛に陥っており、精神不安定のところに怨霊が付け込む隙がある。日頃悩み迷う人物がある時いきなり強い自信をもってコトを決行する、これは通常とてもよい事の筈である。当然それがすべて怨霊の仕業とまでは思わないが、怨霊の特徴として、他人に何か強く懇願する、こういう特徴はあるかも知れない。つまり善意を通じて他人を使役酷使するということだ。これが常識的な範囲や当然の配慮を著しく欠いている場合、そしてその結果がどこまでも実を結ばない場合には怨霊の影響が関係しているかも知れない。(2013年1月12日)

世俗的精神世界

  昔からなにかまじめな優等生に悪影響を与えるキャラがあってそれを想像すると心苦しいのだが、不勉強なボンクラの駄文・雑文なんだと思って読んでいただきたい。結局霊を扱う文章である以上、それなりの危険が伴うからである。真言宗の大本山複数、複数の霊能者に拝んでもらってようやく半人前の生活が遅れているのであって、相当私に憑いている怨霊は強烈である。しかも幼少時から宗教心が少ないので、「怨霊」という意識すら希薄であった。重要なのはまさにここが怨霊の真骨頂であって、怨霊はお祓いから当人の気を逸らすためならば、それこそ何でもやる。年末の紅白で美輪さんの熱唱が話題になったので、久しぶりに幻魔大戦のドラマCDを聞いてみた。美輪さんはフロイの声の担当であるが、この「アストラル」というのが霊幽界のことで、気功を経験してから不可思議な現象が日常化してしまっているのは、透視読心こそできないが、私がとっくにこのアストラル世界にすっぽり入ってしまっているからではないかと考えたのだ。複数の新興宗教世界に同時に邂逅するというのもこの理屈なら頷ける。もちろん地獄~仏の十界をエーテル・アストラル・メンタル・コーザル・ブッディのように2:2:2:3:1で配分してしまってもよいのであるが、ここは漠然と広範曖昧な意味合いでのアストラル、ちょっと低俗な精神世界、の意味である。(2013年1月12日)

真如苑からの“幻の女”

  非常に大まかではあるが読者の方々からのアクセス情報からどのトピックに人気が集まっているのか、まあ非常に狭い範囲ではあるが、阿含宗・創価学会・真如苑の批判が上位にランキングされており、その賛否はともかく我が意を得たという感がするのである。このような拙い文章をよく皆さん読み込んでいただいていると思う。それを励みに自分のペースで今年もやって行きたい。新年2回目の今日はいつもの通り真如苑についてのまとめで、日本社会における広汎性という点では創価学会、そして統一教会が双璧だとは思うが、瞬間的インパクトにおいては真如苑・阿含宗は前者2宗に勝ると思う。その強さ故に後出2宗を認知している人も多いのではないか、特に本ブログをふんふん、と読んでいる人ほどこの教団のパワーに吸引されるケースも少なくないと思うので、我流の浄化法も充全ではないが幾分か効いてきているようなので、かつて在籍した経験も踏まえ、もう一度真如苑の特徴をまとめてみたい。

  まず真如苑の霊というのは自分自身を信じなくさせるのである。自分のこともうまくいくのはすべて「苑のおかげ」こういう心境になってくるのである。しかし入苑後は私も体験談もともにだんだん悪くなるのであって、ますます精舎に通って悪運打破を念じて拝む回数が増えるのである。真如苑は会費が激安なのに何故莫大な寄進が集まるの?という問には「入苑によって難題のような不幸が覆い被さるから」と答えてもよいであろう。勿論何も不幸が起こらない人もいるかも知れない。真如苑の法要の際の勤行前には子守唄のようなBGMが流れ、これは明らかに催眠効果を狙ったものである。まあ読経というものが暗示効果なのであろうが、それ以上に真如苑では教団のパワー乃至エネルギーを信者会員に浸透させて行く。但しこの点は阿含宗でも創価学会でもその他どこでも同じであろう。

  問題はそのパワーの内実であり、運気が好転し因縁が切れる性質のものでなくてはならない筈である。しかし体験談を見ていくと、真如苑では奇怪な不幸によって地に堕ちた自分を教祖教団に対して心底から報謝する行為によって霊位が上がるのであり、その後不幸現象が回復して元に戻ったという話は余り聞かない。深い傷跡は残ったままである。以前「真如苑の本尊は飯縄権現を構成する5つの本尊に対応している」んだという考えを述べたが、今回は天霊である清瀧権現と地霊である笠仁稲荷に注目してみたい。これらは護法であり真如苑の門番のような存在であろうか。清瀧権現は何でも都内の八大弁才天を勧請しており、これが八大竜王にも繋がる。更に醍醐寺の神泉苑からも龍神さまを勧請しているという。笠仁稲荷というのは笠間稲荷との関連を伺わせ、全国の稲荷の統括役であるという。伏見とどちらが上なのか。この2大護法の存在感から「真如苑は動物霊・畜生霊」だという声があるがどうか。

  この教団は「色情と罪業の因縁がついてまわる」という点に特徴があると思う。更に身延という日蓮色の濃い土地柄に生まれた真言宗教団であるため、「真言・日蓮二刀流のソースを持つ」。この点は阿含宗も同じで、だからこそ真言宗がこの2宗を参考にすると日蓮宗のエネルギーを受けやすい、と私は考えている。極論すれば真言宗にとって「阿含宗や真如苑は日蓮宗と捉えた方がよい」くらいの考えを私は持っている。これも前述したが創価学会の分布が余りに広汎なので、真如苑も阿含宗もこのネットワークを使っている。つまり「現実的には創価学会員でもその背後でその人を操作しているのは真如苑だったり阿含宗であったりするケースがある」、ということだ。だから霊的正体を見破りにくい。昨年東京湾観音を紹介したが博多には蒙古襲来を予言撃退する日蓮像が建っているようだ。私は日蓮の聖地といえば小湊・身延・池上くらいしか思い浮かばなかった。

  まだまだ全然未熟者だが私が読経していると左右両脳の中枢から渦がぐるぐる巻くようにして真如苑や創価学会の霊気がすーっと抜けていくように感じている。勿論客観的裏付けのないただの主観である。それでもまたすぐ強烈に洗脳されたりするのであるがwその影響は以前に比べれば10分の1程度に軽減されているようにも思える。現在は洗脳されて解除する、の繰り返しであるが我ながらよくぞここまで来たと自画自賛しているw 動物霊云々というのはとにかく魔物に近い低級霊の意味で、力任せの獣的な要素が喩え話でも多いように感じる。余り他人を人間扱いしない。

  もうひとつ私はお台場にバイト先があるので豊洲を経由して通っているが、「IHIというのはかつての真乗教主の勤務先」であり、重工業が真如苑に安全祈願をするのか関係が深い。真如苑はいろんな会社の株主でもあり、IHIと連名で株を所有しているケースもあるようだ。豊洲には芝浦工大もあるし、注視されるフクシマ原発のメーカーである東芝ともパワーシステムという合弁会社を立ち上げているようである。昨年出会った女性は風貌がKOHHY、経歴がのりピーであったw 紅白逆転の立川流による威嚇、大物のお父さんと愛娘コンビ、彼氏とペアでも彼が写真を撮っていたりして背後に日テレが付いていたりすればこれはもう真乗教主・真砂苑主父娘の化身であろうw 昨年は真如苑から攻勢があったので分からなかったのだw

  このようにかつて真如苑は「敵味方双方に分かれて翻弄する」といっているのに女性と日蓮宗に気を取られ、その張本人が真如苑主だとは思いも寄らなかったのであるw 今年の初詣でそれらしき男女が目の前に着席しており女性の髪型で気が付いたのだw ということは倉庫バイトの時の女の子も真如苑主の化身なのだろう。当時は阿含宗に在籍していたのでわけがわからなかったものだ。真砂さんや桐山さんの化身は一人ではないからややこしいのである。今回は朝の各局ワイドショーがまとめて攻勢に出て来た感もあるw さらに紅白で活躍のホリプロ親韓・サンミュージック久留米・天草四郎の大物各氏も黒幕であろうかw とにかく今年はボンクラの話を不必要に広げるのは勘弁してもらいたいものである。ちなみに真如苑3代目教祖には伊藤家以外から鳥飼氏という東大卒の職員の男性が内定しているそうである。以上は私を中心とした背後の霊的関係の憶測であり、実在の人物には何の関係も責任もないことを申し添えておく。

あ~無上!

  前売り買っといたレ・ミゼラブルようやく観て参りました。空いている映画館でよかったです。BS日テレの紹介特番も観ました。平清盛風にいえばこの映画最初から最後まで画面汚いんですよw でも圧倒的な訴求力で爽快な感動を保証、全国民・老若男女必見の映画です。ミュージカルなんかわかんないよ~と正直抵抗があったのですが、暗く周知の内容がミュージカルという形式をとることで明るくスピーディーに、つまり見易くなっているわけで予告篇含めて約3時間の上映時間が長く感じません。ただインターミッション無しなのでトイレには行っておいた方がよいでしょう。

  映画の評論はできないんですけど、ヒュー・ジャックマンの存在感はさすが、アン・ハサウェイは熱唱もあって彼女は何か受賞するのではないでしょうか。アマンダ・セイフライドは来日挨拶時にも抑えた感じでしたけど、私は彼女の演技にも感動しましたよ。

  テナルディエ夫妻で脱線しますが、私子供の頃からああ無情を読むと、必ず「大草原の小さな家」のオルソン夫妻を連想しちゃうんですよw あのネリーと弟! 出て来ただけで血管ぶち切れる日本人は多いのではないかと想像します。私本気で父さんと友人のエドワーズさんがあの一家を猟銃で狙撃すればいいと思っていましたからねw 幸い牧師もいるんだし後日拝んでおけば後腐れもないw 

  ジャベールは私一番好きなキャラなんですw グラディエーターのラッセル・クロウが演じたというところが隠し味で、この自殺シーン辺りから私に対する個人的な呪いというか何か恨み節が見え隠れするのですが・・・海外旅行ついでに麻薬の運び屋で稼いで下さいw あんたたちは完全にコルレオーネ一家だよw

  子供の頃からパンを盗んだり蜀台を盗むジャン・バルジャンは鬼畜だと思っていました。本当に困っていれば「パンを恵んで下さい」とか神父さんに「お金を貸して下さい」とか頼めばいいだけの話でしょう。ジャベール警部ほど極端ではないですが、私も「この人は切羽詰まると犯罪行為で物事を解決する傾向がある」と判断せざるを得ません。完全に悪人だとは思いませんが、人格的に社会性が不足しています。

  やっぱりマドレーヌ市長がジャベール警部と結託してテナルディエ夫妻を監禁・拷問して洗いざらい吐かせればよかったと考えますねw コゼットも解放され、市役所事務員となってメデタシメデタシw

  日本アニメの影響はコゼットの唄はナウシカ、革命の唄はさよなら999、死後の世界はイデオンという感じでしょうか。石丸電気もエディオンになってしまいましたが、己に忠実に生きんがために盗みや変装、逃亡を続けるのはルパン三世ということでしょうか、東宝東和さんの配給ですw

  まず神の愛を受けないと真の愛を知ることはできず、人間社会を信じても不毛である、結局神の愛を受けた者だけが救われる話です。革命の描写で戦乱闘争の空しさも描かれます。もうこれはスタッフ・キャストに大感謝で、この映画をきっかけに全世界で世界平和と全人類の救いが祈られるといいですね。普段映画を観ない人も含め、まだ観てない人は必見ですよ。

  北のカナリアも駅もそうですが、私はこの映画も「面白い!」という感想の方が先行しました。感動したのはラスト、映画の見通す地平を示した場面ですね とにかく価値観は人それぞれ、みんな普遍の海の中で救われたと思えればいいんですけどね。(2013年1月4日)

進歩と現実、国民参加

  亀井静香さん、阿部知子さん、そして日本共産党は人気云々というよりも将来を予見した発言が当たっている場合が多いんですよ。これは競馬予想や占いとは違い、重要な要素だと思います。読みの方向性が事実や状況に即した、正しいことの証だからです。ただいずれもこれらの諸氏が提言する将来像は進歩的であり、みんなの党も含めて「本当に日本国民が現実についていけるのかなあ、実現可能かなあ」と思うのが正直なところです。だからその進歩と現実の狭間で自民党の采配に期待するのですが、軍事も産業もハイテク化が進んだ昨今、「国民参加」が進歩と現実にどれほど参与できるのかは正直悩ましい問題です。(2013年1月3日)

正月仏法雑文

  人間には精神性と霊性の双方が必要だという。釈迦の教えは原因-結果この「サイクル(=中道)」に注目活用しようということで、これら因・果の「どちらか一方」をその時々評価・記憶していれば悲嘆に沈まざるを得ない(無常)、といっているのだと思う。これはこれで真理である(精神性)。ただ一方で、願いがどんどん叶う人、努力順調で報われる人、罪や罰から無縁な環境にいる人、そしてそれらと対極に位置する人が存在する。これらを「因果律」の一言で片付けるのは簡単だ。しかしそれでは救われない。この不幸のスパイラルにはまり込んでしまった人々に対しては、神・仏、それも高級霊の力を注入し、自力を棚上げして他力のそれに縋るようにした方がよいのである。釈迦は因果努力の教えなのであるが、密教・浄土・禅・基督w各教えでは努力を否定し他力を説いており、それは修行の力尽きたところに救いの光射す、といった先人の体験に裏打ちされている。

  そしてこれは釈迦による「行為の業に伴って果が起こるのであって、行為中に業果を励い求めてはならぬ」との言説に一致する。「思考が現実化する」の成功法則は文字通りの現象に付随して、因・果双方の裏表を伴うことを忘れてはならないだろう。初歩的な仏教書理解すらも神仏を拝まなければ(そして度重なる願望実現効果によって現世への恨み・執着が薄らいでいなければ)到底叶わぬというのが偽らざる実感だ。自分のこころが見えない世界でどんな霊とアクセスしているのか、それが邪霊なのか、正法に準じた健全な霊なのかでは努力の結果が素直に出るのに大きな違いがある。それも本来は因果応報なのであるが、俯瞰者自身に自己を判断するのは不可能だ。だから正しい人も間違った人も一旦は正しい光に自己を委ねた方がよい。その時あれだけ求めていた自分を断片化する“価値”はこそげ落ち、自己存在はただの“普遍”になる。自己が価値から遠いのか近いのか自己測定し思い悩む人生から、いまこの現象から背後に潜むサイクルを推し量る知恵の人生に視点が移行するわけだ。(2013年1月3日)

こころの時代?

  毎年恒例の近所のお寺に初詣に行って来た 年々人ごみが増しているような気がするが・・・ 法要の方は周囲の参拝者がお経を唱和して全員参加の雰囲気もあった。法話の方はこころの時代とよくいわれるが、基本的考え方(知恵とは何か)をふまえなければ、ふわふわした心任せに迷いが深まり、何もできなくなってしまう、という旨のお話をされた。こちらのお寺は一見毎年同じようなのであるが、毎年確実に味わいと満足感深まる法要法話なので毎年行っている。今年もいい年にしたいもの。

  参考:「ムダなことなどひとつもない」「運命を拓く」(2013年1月2日)

お正月映画?

  北のカナリアたちがヒット中なので(まだ上映中w)年末は健さんの「駅station」を観たくなる。DVDを用意したら何と紅白にぶつけてBSでやるではないか! 自分の発想の貧しさにがっくりだw(2013年1月2日)

年頭所感

  元旦朝刊にもいかにも最もらしい美辞麗句が踊っていた 一方テレビは空しさ漂うバカ騒ぎ。いつも思うのは「大義名分・美辞麗句は危険」だということだ。日蓮曼荼羅が何故力を持ち、ずっこけるのか、その秘密はそこに込められた仏性、すなわち“価値の破壊”にあるのではないか、大魔王はそこを表しているのではないかと考えた。通常の日本の神社、真言宗はじめとする仏教は世俗的価値を大事にするが、それでは足りない。世渡りにはよい意味でのアナーキズムが必要なのではないだろうか。仏教とは通俗的価値一辺倒に鉄槌を喰わす哲理であると考えた。ちょっと難しいが、これは仏法や真理にも価値をおいてはならないということでもある。仏法真理を含めたくだらないものの集合体、それが法華ということではなかろうか。人間の原始的本能の裡に「仏」=「くだらなさ」を認めれば全肯定まで突き抜けられるのではないだろうか。進化実現のビフォーアフターも等価なのだ。(2013年1月1日)

罪業と赦し

  創世記のカインとアベルの話にしてもイエスのゴルゴダの丘にての磔刑にしても、まず神が善なる者、罪なき者を選別し、それが故に彼の人物が殺害されてしまう、というプロセスをとります。我々の通念で早逝したら何か行いが悪かったんだ、つまり神さまの怒りに触れたんだ、長生きすれば心がけがよかったんだ、神さまに祝福されたんだと捉えがちですが、この2つのエピソードを見てもそう単純なものではないらしいということが分かります。予定説というのは戦争や天災で生き残る人を判別する基準のようにも思えますが、明らかに神が見込んだのはアベルとイエスであって、それがすなわち現世での幸運とか力関係で勝るということには直結しないようなんですね。ですから「因果応報」という観点から見ると、基督教というのは「善悪逆転、因果なし」美しいこと言ってても勝つのはカインとパリサイ人でしょ、と不勉強な私には思えてしまうのです。教えでは善なる人の殉死の衝撃を糧として徐々に悔い改めて下さいということなのでしょうが、まず善人を滅亡させてそのショックで悪人たちを改心させる―全くナンセンスだとも思えませんが、ちょっと気が遠くなります。卑見ではここに管狐の項でも触れた「冤罪」と「免罪」の逆転交換・転移があるように感じます。「潔癖だと思っているから処刑する」「罪深いからこそ許される」みたいなね。これを強引に解釈していくと潜在意識下・集団無意識で人間は繋がっている、とどのつまりワンネスなんだ、だから聖者から率先して他者一般の罪業を購っていくべきだ、それが神の経綸である、まあ基督教とは違うかも知れませんが基督教や法華経、さらに浄土教にもこのような断面があるように個人的には感じています。これは神や法華の名の下に罪業を前向きに捉える生き方を生み、それにはプラスとマイナスの両面があるように思います。特に現代のような自由社会では、各自自分の欲望に忠実に従って偶々運の悪い責任者にみんなの罪をかぶってもらう、これは企業活動や政治その他組織的活動全般に言えると思いますが、そんな事を繰り返していて実際本心心底から改心できるの? むしろしめしめラッキー次もこのパターンでと考える人の方が多いんじゃないの、とはこれ我が身に照らしても言えるかと思うのです。本当に罪業というものは蓄積すると潜在意識を蝕んで呪縛してしまうと思います。神がいるとかいないとかじゃなくて、人間の深層心理の奥底にはそういう良心良識というか、よき円満に物事を運ぶ機能が潜んでいるようにも思えるんですね。

  2015(平成27)年   賀 正   本年もよろしくお願い申し上げます。


  

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時示郎

Author:時示郎
宗教批判を切り口に政治社会を眺める素人のつぶやきです。東日本大震災の被災者の皆さまには謹んでお見舞いを申し上げます。


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