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ここが変だよ日蓮宗⑦政界の創価力の行方

2014.10.21(00:36)

  小渕優子経済産業相と松島みどり法相の辞任について、韓国の聯合ニュースは20日、「日本女性閣僚2人、違法(行為)で落馬…安倍政権に打撃」との見出しを掲げて詳報した。辞任の背景については、「安倍晋三首相が政権運営に及ぼす打撃を最小限に抑えるため、急いで辞表を受理したとみられる」と指摘した。しかし2人は「“女性が活躍する社会をつくる”という旗印の下、安倍首相が抜擢した女性閣僚」だった点を強調、政権の「求心力低下は不可避」との見方を伝えた。また中国国営新華社通信も20日、「政治資金スキャンダルで辞職した」などと高い関心を示した。同通信は「女性閣僚2人の辞任は安倍政権に深刻な打撃を与え、女性の活躍という旗印が色あせる」と予測。靖国神社を参拝した他の女性閣僚3人を含め、「これらの女性閣僚が次々に政権の“地雷”になっている」と指摘。日本の世論調査結果を引用し、安倍政権の支持率下降を強調した。(産経ニュース、10月20日)

  内閣改造後間もない女性2閣僚の辞任・・・このニュース、どのような見方をすればよいのでしょうか。久々に日刊ゲンダイの古い記事ですが、長いので移動してお読み下さい。→コチラ この自自公連立が1999年の10月、そしてご存知の通り小沢自由党の離反劇が起こり、週刊現代にドコモ株譲渡のスクープが載り、周囲から慕われた小渕首相は2000年4月5日、永眠するのです。私この頃週刊現代を毎週買っていたのでちょっと衝撃的でした。この小渕首相の死、勿論他殺や暗殺という意味ではなく激烈なショックを与えた勢力はどこなの?と考えると、複数の選択肢があるのです。で肝心の創価学会はといえば、この教団は主張の相反する両者にも触手を伸ばし、事態がどう転んでも主導権を握れるように立ち回っているようにも見えます。そういう態度が己の主張を貫く、という意味になるのがよく解らないのですが・・・

  話を現在に戻して、右傾化批判を嫌った安倍ちゃんは、バランスに配慮して石破さんを地方再生の難題に取り組ませ、これまで批判してきた朝日新聞、TBS(毎日新聞)、そして日刊ゲンダイにゆかりのある人物を登用します。ところがいきなり朝日新聞が昔の誤報を謝罪して、今回の2閣僚辞任騒動まで行きました。靖国参拝を諌める松島発言に対してか、残る3女性閣僚は靖国を参拝します。昭恵夫人と千鶴子夫人は日露交流の場で薙刀演舞もしたのですが、まあここで官邸は米国の意向を忖度はしました。が、そう単純な話でしょうか? このブログは宗教批判ブログなので、法華経を貶す人間は自滅するよ、という教えがあるのですけれど、私自身はいや、法華経を信じている人から転落していくんだ、そういうケースもある、という立場なわけです。朝日・毎日・ゲンダイは中韓や左傾シンパのカラーですから、創価学会とも近い。そこの出身者が安倍首相と仕事をする前に自滅した、これはどういう意味を持つか。

  私はバカのひとつ覚えでだから創価シンパは転落しちゃうんだよ、阿含宗や真如苑の霊能に取り込まれると病気になっちゃうんだよ、と考えているわけです。しかしこれを米国の意を受けた民主党や創価学会からの安倍政権への攻勢、ジャブと見ることも出来るでしょう。でも創価シンパ以外の人が辞めるのならそうなるけれど、創価シンパの人物が辞めたら政権内における創価や中韓への賛同者が減ることにはなるでしょう。私はここまで見越して安倍ちゃんが入閣させたと見てますがw任命責任も問われるのはこれ当然でしょう。かつての耐震偽装事件の関係者もまず創価学会員で、さらに「安晋会」で安心を買おうとした?わけです。強力な創価本尊に対して失礼ではないのかと思いますがw 顛末はどうなりましたか―まあ先の解散総選挙を見据えての布石なんだと思いますが、米国・中韓、そして国内の右翼と左翼、これらすべてに浸透し、しかしそれらを振興させたいのか壊滅したいのか、意図が成功したのか失敗したのかよく分からない創価学会の影響力ではありました。エネルギーフィールドに入ると不幸になっちゃう? でもそのエネルギーを吸い込まないと霊視や念動が出来ないわけです。まあ虚業向けの霊力、怨霊パワーだとは思いますね。

  本格的に創価学会批判シリーズを始めてからアクセス数がガクッと減りましたw そのかわり下位の閲覧数は増えています。これは勢いやブームで眺めている人は去り、内容を読んでくれている人が残っているから、と解釈しています。読者の方々の興味、期待の方向はふまえているつもりなので、拙い文章で恐縮ですが、世相の背後の霊能の“企図”を、一緒に考えていただければ幸いです。
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新シリーズ!「マンガとは何か」~読み手に訴える“熱気”

2014.10.12(21:50)

  ・・・原作者の一番の泣き所は自分ひとりの力で作品が出来上がらないことだ。原作がどんなによくても、絵がダメだったら作品として成り立たない。私はマンガの原作を30年近く描き続けているが、自分で自信のある原作が漫画になってみたら無惨な失敗作になってしまったことが何度もある。そんな時に画家を変えてもう一度同じ作品を、というわけにはいかない。未練があってもその作品は諦めなければならない。こんな事をいうと、私が自分の原作の拙さを棚に上げて作品の失敗を画家のせいにしているようにとられる怖れがある。誤解のないように断っておくが、そのような場合、原作と画家の取り合わせの問題も大きい。

  原作と絵の相性というものは、出来上がってみなければ判らないものなのだ。その点、由起さんは違った。第1回の画稿を見た時に私は「やった」と思った。普通は他社での私の仕事を褒めることのない小学館の編集者も「今度のはいいですね」と口惜しそうに言った。由起さんの画力の凄さはその熱気にある。技術が伴わず熱気だけの絵は空回りしてしまってどうしようもないが、由起さんはその熱気を支える技術を確立していた。私の原作は他の原作者に比較すると、毎回の分量が多すぎるという非難を編集者たちから受け続けている。それは私が欲張りで、あれもこれも入れたがるからだが、この作品の場合も遠慮仮借なく大量の原作をぶち込んだ。それを由起さんはこなしてしまうだけでなく、画面から熱風が吹き出して来るような作品に仕上げてくれた。現在青年漫画誌は一頃の盛況が嘘のように沈滞している。売行き不振で廃刊になる雑誌も少なくない。

  その原因を出版社側では「若い人が携帯電話に金を使って雑誌を買う余裕がなくなったから」とか「不景気で雑誌を買わなくなったから」などというが、ざっと見回したところ、どの青年誌のマンガも安易な性描写や単調な暴力描写の作品が多く、作者のこころの底から吹き出してくる熱気を叩きつけている作品が見当たらない。安易な性描写ならポルノビデオの方がよいだろうし、暴力を振るう側のこみ上げてくる感情を感じさせない、必然性のない様式化した暴力描写では読者に訴えることはない。
(雁屋哲「完全版・野望の王国①」2002年日本文芸社刊、あとがきより抜粋)

  不勉強なノビタくんの大風呂敷にもいい加減うんざりしたと思いますので、これからはこのマンガとは何か?という問いに対して、余りマンガを読まない卑見よりも出版の最前線で格闘されている方の声を取り上げ探っていきたいと思っています。マンガが素晴らしいのは何故なのでしょうか?? 雁屋先生といえば「男組」の印象が強かったので「美味しんぼ」(1983~)が始まったときは「げっ、グルメ? トレンディー? もう権力と闘わないのかよ、裏切りだ~!!!」とか意味不明な悲鳴を上げていたものですが、最近の騒動でも明らかなように、長期かつ広範な人気を獲得しても、先生の気骨は全くぶれていないように見えますね。「野望の王国」の連載は1977~82年で、これは「Ⅰ飢男アイウエオボーイ」(1973~77)に続きますからかなり古いんですね。後年1990年より小学館のビッグスペリオールで「男組」(1974~79)での相方、池上先生がなんと武論尊先生を原作に迎え「サンクチュアリ」(1990~95)を出すわけです。ちなみに雁屋・池上コンビの第1作は競輪マンガでしたw 少年にトラウマを与えるマンガは数知れど、青年にトラウマを与える作品はそうそうないのではないでしょうか?w 未見の方は「野望の王国」「サンクチュアリ」そして「男組」の各作品を是非一度ご覧になっていただきたいと思います。
 

ここが変だよ日蓮宗⑥創価学会を斬る

2014.10.12(12:00)

  ・・・創価学会は、最初に「釈尊の法華経は、民衆の普遍的な生活法に据えた法理」と言っておきながら、最後には「『釈尊の仏法』は、民衆が成仏できない宗教」とすり替えます。これは、無知なる者に肯定できる常識的なことを先ず与え、知らないことを植え付け、これを繰り返すことによって洗脳するやり方です。では、その手法を順々に見ていきましょう。

  まずは「天台大師は、いたずらに精神主義や形式主義の横行する仏教界を革新しよう立ち返り、仏教思想を再検討した稀代の英僧です。」「一念三千論を展開」「中国に横行していた南三北七という既成仏教界と徹底的に対決し、宗教革命を行いました。」(p82)と述べ肯定します。そして「だが天台大師の場合でも、その実践法はまことに観念的なものでした。」(p83)と今度は否定するのです。「(日蓮)大聖人は~当時の日本の宗教界と徹底的に対決・まことに熾烈な宗教革命の実践」(p66)と宣いながら、「仏教界を革新・徹底的に対決し宗教革命」の天台大師の実践は、いつの間にか「まことに観念的」と切り捨てるのです。 彼等がここで「観念的」と話をすり替えるのに利用しているのは、天台大師の「止観」ですが、これを「法華経の法理(一念三千)を思い浮かべ、宇宙生命、仏の生命に合一しようとする実践」そしてこれを「日常の生活に余裕のない知識人でない限り、非常に困難な修行」(p83)と否定します。

  天台大師は、宇宙生命だとか、仏の生命に合一するなどとの仏教にあらざる事は言っていませんが、創価学会の主張もまた「人間が宇宙生命に合一、帰命したときに、初めて崩れざる絶対的幸福境涯に到達すること」(p93)であり、「その宇宙生命の根源を『妙法蓮華経』」とし、南無妙法蓮華経は「釈尊の仏法の域をはるかに超えて、その”宇宙即我”なる生命が、生命の実相」「だれにでも出来る簡明直截な実践法」(p84)とする観念的なものです。やや分かり難いですが、創価学会の教祖的指導者・池田大作氏は、天台大師の所説とは全く違うことであるのに天台大師の名を利用し、「南無妙法蓮華経」と宇宙生命と合一する(彼等はこれを成仏という)のが大仏法と宣っているのです。
(引用は「創価学会入門」より、法華行者の会HPより抜粋)

  従来は創価学会信者の中から精神異常者、社会的破滅者、確信的犯罪者が出ている、だからこの教団やその霊能は性質がよくない、という言い方でしたが、今回は明らかにここは仏教と違うよ、という点を指摘して、創価学会が似非仏教、外道仏教であるという卑見を進めてみたいと思います。

  まず仏教史を省みると、基督教宣教師の殉教も厭わない猛烈な布教は仏教国であるインド・中国にまで及んだわけですね。こりゃいかんと聖書の内容に似せて、一部教義を取り入れて作成されたのが法華経だったわけです。何故そういえるのかといえば、成立年代と内容のエピソードが聖書から引用されていることが明白だからです。実際キリスト教と仏教を兼学している宗教者も結構いたようなんですね。基督教会の取締りのゆるいアジアの地で、この2宗の融合が進んでいったと見るのは突飛ではないでしょう。

  ただ各宗教の内実を見ると、復活のイエスを証とする永遠の大生命を奉ずる基督教とは対照的に、仏教が奉ずるのは生死を超えたダルマ、法則なんですね。意地悪く言えば基督教とはみんな全員死後生き返るのか?w ということになるでしょう。いや、それは神に抱かれた安らかな王国で霊の平安を得ているのです、など言われるのでしょうか。

  ここでもう一度仏法とは何かサトリとは何かが問われるのであって、以前は「無価値、等価」と個人のあてずっぽうを述べましたが、今回は更に進めて「ものの存在のあり方は、対象そのものに由来するのではなく、俯瞰者の観点を原因として決定される」といってみたいです。これが無明の意味であり、絶対永遠普遍存在でないものは一時的に盛況を得てもやがて消え去ってしまう、そんなものは真理法則、真理存在ではないという考えが古代哲学の前提条件としてありますから、存在を支えていた「見方・考え方」の方から時期が来ると崩壊していく、というのです。よく人間の欲望には限りがないといいますが、人間の欲望なんてたかが知れている、そこに依存して構築された世界なぞ、人間の欲念が尽きればたちまちにして崩壊する、というのが仏教思想だと思うのです。

  めくるめく欲望の因果の炎を如何にして鎮火するかを説いたのが釈迦だと思うのですが、これは日蓮の説いた立身出世とは全く方向の異なるものです。まさに日蓮の説いたのは生活法であって、釈迦の説いたのは出家法なのだと思います。これは非常に尊いが在家にはとても不可能であるから、「とても成仏は出来ません、もう成仏は諦めました」という宣言として釈迦に法華経を唱えるのだと思います。卑見で考える日蓮宗とはこんな感じですね。

  天台大師は勿論宇宙生命との合一など説かず、成仏の方法論として坐禅を提唱しました。止・観=サマタ(三昧・禅定)とヴィパッサナー(気づき・内観)ですからね。静謐に入って自分には無明もたくさんあるがそれに捉われない仏性もあると見出したのかもしれません。ですから天台法華の提唱する生き方とは己の生き方・視点だけでなくそれを超えた、自分の人生が批判されつくして意味がこそげ落ちた時にこそ真の実存が顕れるという感じもします。ボンクラには遠い境地には違いありませんが、「一隅を照らす」「孤独を生き切る」これが現在卑見の考える法華であり禅であり、真如苑の真如・一如・貫徹というのも実はこういうことなんだとは思います。基督教の復活という概念も、いったん意味・価値が剥ぎ取られたが故に普遍的な魂の力・かがやきを再獲得すると考えては間違いでしょうか。独断と偏見の自分なりの価値観を脱却してカルマの意味づけを再構築してやったのが慈悲ある密教の曼荼羅だと思います。この慈悲の波動を索漠荒涼とした現世で捉える事が肝要ですが、真偽の見極めが非常に困難なのです。

  本題から脱線ばかりしましたがまとめると①日蓮宗とは立身出世・生活法に拘泥する者が釈迦の法理に対して「成仏は諦めました」とお願い事をする似非仏教である②聖書を引用した法華経に永遠の生命力を見出したのが創価学会で、これは金棺出現の釈迦など古来からあった、基督+仏教の民間信仰の潮流に区分することは可能だが、これは法華や仏性の誤解、教団組織化の企図に基づく強烈な信念におかしな霊体(蛇狐狸)が憑依したものである。だから「永遠の、久遠の・・・!」という割には効果が長続きしないし、低級霊故に人倫に反する行為も多い。③霊能を駆使するのに霊界を認めないのは因果応報や積徳の功徳を認めないから。創価学会は社会改革を非常に推進する点が特徴的であるが、仏教はクーデターを勧めてはおりません。国土が乱れれば人心も安定せず荒廃するからです、残念でした。このようにご都合主義的な唯物論が左翼運動と結びつくのだと思います。権力に拘泥するのは霊能に仏性が薄い証拠、そんな霊能で浄化は無理! 今回はこの辺で。

2014年10月

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