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ここが変だよ日蓮宗⑤似非宗教を批判する

2014.09.26(02:26)

  どうみてもお前が変だよ、といわれそうであるがwとりあえず本ブログのまとめをして次に進みたいのでこの項は少しこだわることをお許し願いたい。前回の補足を3点挙げる。①怨霊は仲間を集めて増幅する②怨霊は論点を逸らして欺く③頭波七分する法華経信者、以上である。

  ①怨霊は仲間を集めて増幅する

  前回の第六天魔王とは何か、それは奪功徳魔として一般や行者(仏道信仰者)の精力を吸引する霊体なんだ、というような話をした。いきなり話は変わるが、お稲荷さんと666という数字は関係が深い。勿論これは新約聖書黙示録の獣の数字である。お稲荷さんとは魔物なんでしょうかという話である。卑見ではお稲荷さん=666=魔王とは「この迷いの世界の王様、唯物的世界観の大王」ということである。すなわち精神的・霊的価値観・世界観を除いた、これを信じられないとする個人内面の自我の象徴、ともいえるのではないか。

  ウインドウショッピング、特にお金を出して購入しなくても、あれもいいなこれもいいな、これも欲しいあれも欲しい、ううん迷っちゃう、これは殆んどの現代人が日常やっている買い物の愉しみであろう。レストランのメニューが格安で食べられるランチバイキング、このお値段で食べ放題取り放題、でも実際は胃袋には限界がある、しかも一品一品がそれなりに凝っているためすぐ満腹になってしまう、でも口当たりが良いのでデザートの果物やスイーツに至るまであれも食べたいこれも食べたい、これがバイキングの愉しみである。これが私の考える「迷いの神様」お稲荷さんの管轄である、すなわち「商売繁盛」というわけだ。

  だから666というとウルトラマンの怪獣みたいなものを想定してしまうが私はもっと卑近に我々の商業的社会、そこから来る商業的な利潤至上主義価値観、拝金主義のような感じに捉えている。それは勿論真の神さまの霊的価値観とは異なり、対立する時もあるというのであろう。こういう煩悩至上主義的社会・価値観はもはや当然のものであり、是非の余地なく人間社会の現実であろう。でこれは「類は朋を呼ぶ」の法則どおり増幅集積していくのである。「怨霊」というと恨み節一辺倒のようであるがもっと広範囲な不成仏霊、すなわち「強烈な執着心」といえば解り易いかと思う。

  この執着心が行動を呪縛する場合があるため、浄化法によってこの呪縛を解き放つという試みがなされるのである。このような考え方に基けば、執着心の塊のような集団が商業主義的に宗教団体を運営したとしても、それは執着心の集積増幅装置にはなり得ても、その呪縛を解く浄化機関とはなり得ない、商業的執着心の延長上に浄化現象はあり得ないからである。繰り返せば商業的成功を収めた宗教団体に浄化機能があるとは限らず、むしろ霊的浄化とは真逆のベクトルに進んでいる可能性が強い、といえる。

  ②怨霊は論点を逸らして欺く

  利己的商売や生き方をしていても周囲からは賞賛・尊敬されたい、それは霊とて同じである。商業的成功を収めたい宗教霊は言葉巧みに論点・議論のピントをずらし、逸らす。霊術・魔術が使えればなおさらだ。魔術の結果に運命論・宿命論を絡ませ、恐怖心から相手を誘導していく。低級霊だから芳しい結果は得られないのであるがそれならそれで「お前が悪い、こうすれば・・・」と次から次へと目先を変えていく。元々は高次の霊的価値観をシカトして低次の商業的価値観に執着するという怨霊の根本的資質があると妄想する。

  ③頭破七分と法華経信者

  最後に再び外部からの日蓮宗についての所感であるが、まず密教を勉強し神社めぐりをした日蓮の理論は間違っていないように思われる。ただ、その方法論としての南無妙題目の効果には疑問符がつく。これは勿論天台智顗からで、彼は幼少普門品を読み、法華経が至上の経典であると了解、その行法として仮・空・中の三諦を円融する瞑想法「摩訶止観」を提唱し中国の天台法華宗開祖として隋の煬帝にも認められた人物である。これを踏まえると日蓮曼荼羅中央の2大本尊「妙法」「魔王」は精神的価値・物質的価値どちらか一方に偏らないようにせよ、一切の現象は観点の不定・決定両方を包含している(一念三千)という思想のように卑見では解釈する。

  天台宗でも法華経と弥陀名号を唱える。ただ現代の広範な日蓮宗信者の中には、自分の機根に応じて、「妙法」信仰に偏る人、「魔王」信仰に偏る人がいるのではないか。天台の三諦円融の観法なんて庶民には解らないとして止観(サトリの境地と日常的自我の統合?w)に代る行法を掲げ浄土教や日蓮宗が出てきたのであろうが、この行法だけが一人歩きしているところがないだろうか。密教や禅は肉体的心身は棄てきれないものとしてそこにどうやって仏の分量、働きを多くしようか道教の方法論も用いて試みていく宗派だと考える。すなわち煩悩まみれでも行法の進捗に伴い、そこに仏さまからの関与が多くなってくるのだ。対して天台・浄土・法華の3宗はサトリを開いた後の境地!から始まっており(五時教判)、霊界にも現界にも偏るな、一隅に両界が備わると説く。どっちがいい宗教なの?と聞かれても非常に困るのでwそれは各自がお決めになればよいとは思うが、卑見では天台の境地は凡人にはまず不可能ではないか、釈迦の阿含まで普通は行けないよ、ということだ。

  そこで法華題目を唱えるというのはありだと思うが、ここで本題に戻り、凡夫間ではこの時に、「妙法」組と「魔王」組に分かれてしまうのではないかという懸念が生じる。勿論組織としては一念三千理論で包含しているのであるが、個人レベルではAさんが題目でどんどん宗教的意識を深めていくのに対し、結構真面目だったBさんが題目を唱えてからどんどん堕落し、ついに人生を壊してしまったというような例もあるのではないか。ここから法華経を貶す人間の頭脳はそのままで法華経を信じる人間の頭脳が一部破壊されてしまうという現象も起こりうると思う。明らかに人一倍勤行している教祖の脳梗塞は基督よろしく信者の仏罰の身代わりだろうか、まあ潜在意識はつながっているのである。

  以上は教義面での解説だが、実際には南無妙題目を唱えると潜在意識の南無妙ワールドから特定の霊気を吸引する、南無妙世界の放射する思念波の周波数に同調するのだと思う。これが母乳を吸うように唱えよ、の意味であろう。そして心身に特定の南無妙レイキが充満したら、「その範囲内においてのみ」願望が実現したり南無妙ワールドが展開されるのだと妄想する。従ってその世界内で仕掛けられた呪縛を解くには自分の内部からその霊気を抜いてしまえばよい、周波数が同調しない、という理屈になる。非常に興味のある方が多いようなので是非皆さんも新興宗教の力のヒミツを解明していただきたいと思う。卑見妄想ばかりで大変失礼致しました。
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ここが変だよ日蓮宗④カルト宗教を批判する

2014.09.23(01:35)

  人間性の尊重を謳い文句に集まった人々の人間性を「修行」と称して蹂躙する。しかしその罵倒に耐えて耐えて耐えていると、悪魔本尊の分霊をほんのちょっと、分けていただける、つまりランキングが若干上がるのである。人間性の蹂躙に「耐える」といえば聞こえはいいが、それはすなわち人間性の蹂躙を「肯定する」ということに等しい。悪魔本尊の分霊も、収入だったり伴侶だったり部下だったりと様々だが結局そうして得たご利益を用いていままでやられっ放しだったのがほんの少し自分より弱い立場の者の「人間性を蹂躙できる」、この資格をゲットするわけである。こうして教団本部から全国の末端に至るまで霊統の上意下達が張り巡らされていくわけであるが、若干の悪魔性獲得者が気付かない点は、本部の匙加減一つで、そのような悪魔的ご利益が電磁波念波で簡単に吹き飛ぶ、という管理システムである。この懲罰を受けたくなければカルトラインの上司に対して絶対服従・絶対忠誠を示し続けなければならない。日本は半島由来のカルトによってまさに北朝鮮化しているといえる。そもそも北朝鮮自体が国柱会中心の満州国や戦中日本をモデルにしているからだ。

  カルト会員で幸福になった体験談をネットで探すのは難しい。カルトを崇めれば犯罪も見逃され、凄い運気が付くというのはどうやらカルト信者間の内輪受けにすぎないようである。しかしここがカルトの麻薬的な面であるが、信者の内面では「うちの教団って本当にいいな~」という強い実感が刻まれるのである。これは人間性を蹂躙されたことからくるカタルシス効果なのであるが、そこが洗脳の怖さで、これを人呼んで「殴打に快感を覚えるマゾヒスト」という。怨霊本尊の洗脳によって世界観のピントが教団都合中心にずれてしまうのである。この「ズレ」を矯正し、元に戻すのは容易ではない。こうして社会の価値観が転倒し、建設的意見を潰して破滅的意見がよく通るようになる。

  カルトが世間から嫌われる点は2つある。1つは、教団の欠点を非会員の相手に対する悪口としていきなり浴びせる点、もう1つは立身出世・世界制覇の野望のために非会員に対する露骨なゴイム視・奴隷化・家畜化に対して、全く良心の呵責がないこと、である。この2点はカルトの所属を伏せたまま暗喩のように行われるため、カルト内部のロジックに疎い非会員の一般人にとっては違和感と不快感・焦燥感が徒に増すばかりである。つまり何かおかしいとは感じても、カルト内部のロジックに無知なため、カルト所属者から軽蔑され利用される事態が延々続くわけである。

  カルトにとってワンちゃん=犬とは何か、これはカルト教祖が「批判者は犬畜生だ!」と教えていることから来る、つまり「非会員」の象徴である。それから「批判者は口が塞がる」という集団信念から、カルトの周辺者は抜歯・虫歯・口内炎・口臭が多く、それを嫌がられる。あと眼球の異常も多い。これらはまずカルトとの波長をずらし、医者の適切な治療を受けることである。それから吐血、これも顕著である。どこかに丑寅勤行というのがあって、真面目な会員は非会員を「仏敵!」と看做して呪うので、ある日いきなり吐血して、普段健康に異常がない場合はカルトを疑った方がよいかも知れない。あと腸閉塞・腸ガン・腸ポリープというように、下腹の病気である。あとは首筋や眉間から洗脳され、精神異常を起こして交通事故とか行方不明とか発作的衝動性による破壊的行動、社会不適応などである。黙って悪口を聞いていれば、それがカルトの特徴紹介、自己紹介みたいなものである。ただ普段は感じのよいその人が実はあのカルト所属だとはなかなか気付かないのが実情だ。

  帝王学、これは前述した「人間性蹂躙の正当化」に繋がるものである。何故わけもなく非会員を裏切り、奴隷化するのか、非会員にはその理由がわからない。それはズバリこのカルトが「世界制覇」を目指しているからであり、騙し・悪口・嫌がらせ・各種の攻撃、また卑屈卑劣なまでの自己保身はこのために教団全体で正当化されているのだ。集団に個人で抗議をしても、「それが何? コドモの戯言!」と一笑されるだけである。

  ただこれもカルトの特徴として、「寄生虫」のような「一発屋」的成功の後、泣かず飛ばずで「孤独死」「自殺」「横死」ということも実際多いのではないか。本当に真面目な善人が大勢所属しているので非常に心苦しいが、このカルトの「霊能」それ自体はこうした特徴を備えており、それは普通の生活に退屈した一般人にとって麻薬のような抗えない魅力があることも間違いない。ただそれが強大なパワーにも関らず「悪魔本尊」とか「麻薬」と称されるのは周辺にも信者自身にも結果的に不幸をもたらすからであり、この意味でこのパワーを「善用」し、「社会貢献に利用」しようという企図は成立しない。

  これも伝聞だが別のソースでは、魔性が本人から母親、さらに生死に関係なくその上の母親と伝播していくという。この考えに沿えば、父親は悪霊伝播の障害になるわけだ。さらに悪霊は自分を「神」と自称し、人体を酷使し、死霊・生霊同士でつながり連携し、下腹部に宿ったりして、目的を果たすと霊媒としての人間は使い捨て状態になる。カルトに接近して透視や念力、さらに友人ができた、と顔面を紅潮させている人間は傍から見ればただ失態を重ね、不幸になっているだけのことが多い。ただ本人の内面では華麗なお花畑が咲いている、この事を理解しない限りカルト洗脳の怖さは解らない。マイナスからゼロ以上を狙い、一旦は奇跡的に盛り返すのであるが、結局はマイナスで終る場合が多い。

  悪霊は人生を狂わせて薄情である。悪霊の犠牲者は、社会的に失敗し、事業は倒産し、人々を傷つけ、自分を中心に争いや揉め事、諸事分散の坩堝と化し、あげくは病気まで背負い込む。また悪霊は特定の男女を故意に引き付け合わせ、いい加減のところで心変わりをさせて面白がる。悪霊に憑依された人は、自分こそは大丈夫と他人の不幸を嗤っていても一夜にして敗残の身となる。社会的に有名であっても、家庭では不幸が渦巻いていたり、すべて悪霊の仕業である。これら直接憑依する悪霊の背後に、その悪霊を操る眷族霊が憑いている場合が多い。

  カルトパワーに接近すると、周囲の人から忌み嫌われる。これはカルト本尊が周囲の諸霊から忌み嫌われていることを反映しているのだろうか。当然カルトメンバー同士は仲がよい。心底では反発しているのだが、孤立した者同士で協力するわけだ。周囲から忌み嫌われるし、また同時に世間全員が自分の敵に見える。だから自閉気味になるか発作的に攻撃的になるかのどちらかで、その異常性の結果ますます人が遠ざかり、カルトだけしか信頼して寄せ付けない、という悪循環が起こり、洗脳を深めていくのである。

  いまある課題・宿題を創出して突きつけている当人が悪霊=因縁霊・憑依怨霊だと思うが、カルト本尊がそうした怨霊を強力に引き寄せる磁力を放射しており、因縁霊・宗教霊双方から心のピントを逸らせて電磁波を受信しないように努めることだ。諸々の手法を以てもし電磁波放射から逃れれば(知らずに植えられた自身の受信機・レセプターを消失できれば)課題と見えた奇怪な問題の方から霧散解消する筈だ。悪霊から因縁を付けられ、自分に非があると思わされているのである。カルト宗教こそまさに虚妄分別そのものだ。効果絶対保証!と称する実体のないものだ。ただお布施だけはやたら高くつく。

  カルトは頑なな非会員・アンチのあなたを集団で追い詰める。虚偽の悪評デマ・電磁波攻撃・違法スレスレの嫌がらせ、手法は様々だ。疲労困憊し、打ちひしがれたあなたの前に、事の経緯の真実とあなたの心労を的確に理解し、慰労と助力を差し伸べる実直な人が現れる。ストレスで少々おかしくなったあなたは彼(彼女)の出現にどっと感情の堰が切れ、安堵を通り越して内面の良心をその人に預けてしまう(カタルシス効果)。おいおい解ってきたのは、愛想のよい彼(彼女)があなたに罵詈雑言デマを投げつけていたカルト集団の支部内の有能な筆頭格ということであった。初めからアンチ非会員のあなたを囲い込むためのシナリオだったのだ。カルトはこのように偽善的な個人と悪辣な攻撃的集団の二重構造が堅固に一心同体となっている。

   カルトの呪いは稚拙だが、思考の現実化という点での念力は強い。咳・だるさ・発熱・弱視・体内がゴロゴロする・めまい・不測の出血・・・症状はさまざまだ。親切を装ったカルト信者が近づいて「この強い薬を飲むべきです」「あの専門医に是非診せるべきです」と忠告する。しかしどんな薬や有名な医師を試しても元々が呪い故の思念の現実化=病気の症状という外見の現実化なのでいまいち原因は不明であり、重症ではないがなかなか治らない。それでつい薬剤や診療に出費がかさむ。医師も医師で「じゃあ切開してみましょうか」とオペで異物を切除するも何も変らない。ただ人間の身体に薬物やメスを入れれば当然それだけ健康は弱体化する。数年経って治療を諦めた当人のところへ件の親切なカルト信者がいう「あなたの病気は心の悪さが原因となっているのです。神仏の計らいで毒だし・膿だし・デトックス、つまり好転反応が起こっていたのです。本当は我々の本尊さまを一心不乱に信仰してクスリや医者に頼ってはいけなかったのですね。1回数十万円という僅かな金額で先祖からきれいになりますから、お話を聞いてみては如何ですか?」こんな彼らに軽薄に見解を翻すことへの常識的な良心の呵責はない。

  このカルトは二重の「言行不一致」を常習とするようだ。ひとつは、非会員の相手を騙し陥れるため自分の欠点を相手に転嫁する故意の不一致、つまり虚偽だが、もうひとつは教団員のもくろみがセオリー通り実際にはなかなか進まない、つまりボロが出る・大口の割には間抜けな失態に終ることが多いため、それを言い繕うための不一致・ウソである。会員は教団のセオリーを妄信しているわけだが、今回はうまくいかないね、それは試練なのさというわけである。

  しかも本尊への拝みを毎日やっている会員は生命力とか霊力(この内実はおそらく迷える先祖系や生霊などの怨霊の集積が狐や蛇の低級霊に変化したもの)が体内・脳内(丹田から脳へのルート)で充満しており、強い自己肯定感を保有している。普通言行不一致に恥じ入るところを堂々と、または何食わぬ顔で押し切り、またぞろ次の詐術に着手するので、この前向きなw姿勢に周囲が根負けしドン引きするか話を合わせてしまう場合が多い。

  仏教の経典によれば、青「諂曲(てんごく)」(=ひねくれ曲がって他をさげすむ修羅の心)、黄「痴(おろか)」(=理性によらない動物(畜生)的な心)、赤「貪(むさぼ)り」(=ガツガツと欲望に駆られた餓鬼の心)なので、それらの心に陥らないように注意している。節分に登場する青鬼、黄鬼、赤鬼はその象徴。仏節を信じ、家内安全や無病息災を願い、より人間らしく生きようとする人々にとっては「仏敵」とみなされる存在である。また、説話に登場する「三途(さんず)の川」の三途とはこの「三悪」のことをいい、その人が生前に積み重ねた「三悪の悪業」の深浅によって、閻魔大王が判決を下す、という喩えが仏教にはある。悪業の罪が重ければ、閻魔大王から地獄行きを宣告される(仏教で地獄を表す漆黒は「瞋(いか)り」(=全く自由の無い苦しみ、瞋り)を意味するそうで、何と、青、黄、赤の三色を混合すればこの漆黒になる。ということは、三色旗の意味は三色鬼であり、その旗印の先は「地獄」を指している)。

  カルトについては意外なほどいい話が聞こえて来ない。いい事があってもすぐ同じ位の悪い事が起きるのがお決まりのパターンだからだ。その悪い事に目を背けるのは会員の自由だが。言う事もデタラメ、功徳もパッとしないこの宗教に何故これだけ人や金が集まるのか、それは切羽詰った人間の切ない期待感と半端な透視念力霊能に理由を見つけるしかない。・・・この霊能を身に付けた人に不幸が起きるのだが!w

  以上特定の教団を超えて、私がカルトと考える団体への印象の断片を集めてみました。

浄霊の実際~「クロヘビ」を祓う

2014.09.23(00:46)

  ・・・今まで黒(クロ)が憑いたら何年も山に籠ったり、お滝に打たれたりと簡単には取れないと聞かされておりましたが、ウチの神さんはパワーが違います。お祓いの中でも難しいとされる、生霊も動物霊も黒(クロ=神と同等の力を持ち、悪さをするモノ)も3代目が正体を掴む事さえ出来れば、大抵は一発で祓ってきましたし自信もあります。さぁそれではこの黒と化したヘビをお祓いする事にします。

  いつもの様に塩で手と口を清めてもらおうとしたのですが、娘さん「アカン! この塩はアカン塩や!」と言って、塩を嫌がって抵抗します。(この塩は一度神棚にお供えした塩を使っています。)ですが婚約者の男性が無理やり塩を口に入れ、手も清めさせます。今度は神さんの部屋に入るのを拒みます。ですがこれも無理やり男性が押し込み座らせます。あまりにもヘビの抵抗が激しいので、祈祷の信者が着る稲荷の家紋と十種の印が入った半纏を娘さんに羽織らせたところ、ううう!と大きな唸り声をあげ、体をブルブル震わせました。そしてこの娘さんに写経を108日してもらおうと、神前に用意していた般若心経の台紙を娘さんに見せて説明しようと見せた途端に体を大きくのけ反らせ、直視しません。

  とりあえずそのまま説明させて頂いてお祓いの為に祝詞をあげ始めます。すると先祖霊・生霊の時は横に倒れていたのに、今回はお母さんの時と同じ様に前に小さく正座をしたまま、上体を倒して頭を床につけた格好になって唸っています。3代目は祝詞をあげ「ヘビよ、この体から出ていくか!」と色々な方法で試しますがうううと唸るばかりでなかなか屈服しません。 一旦休憩を取って、リラックスした状態で娘さんと話をする事にします。
(稲荷神祷HP体験談より抜粋、改変あり)

  真如苑・阿含宗・創価学会と見てきましたが、日蓮曼荼羅の第六天魔王の正体は何なのか、具体的にどのような霊体なのか、想像もつきません。別名奪功徳魔ともいうのですが、とにかく祈祷の際のリバウンド現象というのは、この個人に本来備わっている「福禄寿」=好運・金運・健康が大幅に消失することではないでしょうか。この消失の度合いが非常に激しいものを「魔」と呼ぶのだと思います。いつもそうなのですが、こちらで引用した宗教宗派を殊更に薦めたりしているわけではありません。本来非常に個人的な祈祷や浄霊儀式の経緯に、共通の傾向がないかを探っているのです。これからは福禄寿を大幅に消失させる霊体を「魔物・魔障・魔性」、仮のニックネームを「クロヘビ」(実在するかしないかも不明、ただの仮称)と呼んでいきたいと思います。


狐の怪~憑依の実際

2014.09.13(23:48)

  「この病気の原因は、最初は不眠症からであります。不眠症はまず精神病の一歩手前と言ってもいいのであります。従って、後頭部の水膿溜結を溶解すれば眠れる様になりますから、眠れさえすれば精神病は治ってゆくので、吾々の方では精神病は必ず全治するのであります。不眠症から精神病へ進む順序を述べてみましょう。不眠の原因である後部頸椎部の水膿溜結が脳への送血を妨げるので、脳の中枢が貧血するのであります。その貧血へ邪霊が憑依するのが、その原因であるのと、今一つは憑依でなく、患者自身の腹中に常に潜在して居た邪霊が、頭脳の貧血に乗じ上昇して頭脳中枢を占領するのであります。

  元来人間の精霊は、平常はある程度の濃度を保っている。その程度とは、普通人の健康状態の血液の密度と同一であります。しかるに何らかの原因によって、血液が減少した場合、そのごとく精霊も稀薄になるので、その霊の稀薄に乗ずれば、他の霊即ち邪霊が憑依し得らるるのであります。一種の補給的意味ともなります。この例として、産後に不眠症や精神病が起り易く、又、月経時にヒステリーが起り易く、又、山に行って断食等を行う場合天狗等が憑依するのは、皆貧血に因る精霊の稀薄に乗ぜらるるのであります。右のごとき体的原因以外、精神的衝動を受けるにおいて、いよいよ不眠症に拍車をかけられるのであります。それは貧血が一層はなはだしくなるのでそれだけ邪霊の力が増す事になります。

  邪霊が憑依するや、あらゆる事象を連続的に無制限に想わせる。それは彼らの本能であります。そうして邪霊の思念がついに発展して、行動にまで及ぶので、それが常軌を逸しさせる種々の狂態であります。医学上でいう幻聴とは、霊のいう事が聞えるのであり、幻覚というのは種々の霊が見えるのであります。そうして邪霊というのはほとんど狐の霊で、稀には狸の霊もあり、なお稀には両方の場合もあります。精神病者が自問自答するのは頭脳の中枢に蟠居(ばんきょ)している狐霊と外部に居る狐霊との問答であるが、この場合本人の記憶を利用する事が多いのであります。又空間をみつめて驚いたり泣いたり笑ったりするのは霊が見えるからであります。要するに精神病なるものは、人間が狐霊に踊らされるのであります。本療法によれば、半年ないし2ヶ年位で完全に治癒するのであります。世間、脳梅毒が原因とされておりますが、これは極一部であって、ほとんどが右の原因である事は、吾々の永年の経験によって証明し得らるるのであります。

  一例として、前に私が使っていた職人で、それは一人者ですが、ある時相談をかけられた。彼いわく、「自分は最近・・・人から少し気がおかしいと言われるが、自分ではそうは思わない。どこか変な所があるんでしょうか」と言うのです。そこで「自分で変だと思う事はないか」と訊くと「少しはあります。それは夜遅くなって戸を締めて寝ていると(その職人は2階を借りている)往来を4、5人の人が通ると思うといろんな話をしている。耳をすますと「今晩、あの職人を叩き殺してやろう」などと相談するのが聞えて来るので驚いて飛出す」というのです。私は「戸を締めてから外を歩く者の言う事がはっきり聞えるというのはおかしいじゃないか」と言うと「しかし、とてもはっきり聞えます。又よく飯など食おうとすると「その中には毒が入ってるから食うと死ぬぞ」という声が聞える。それで恐ろしくなって飛出し、今度は蕎麦屋へ入り蕎麦を食おうとすると又そういう声が聞える。「その蕎麦にはモルヒネが入ってるぞ」などと威され、又他の家へ行くという様な訳であると言うのです。そこで私は「誰がそんな事を喋舌るか判るか」と言うと「それは判りません」という。

  そこで「それは危い。それは狐がそんな事を言って騙すのだから決して信じてはいけない。今度そういう声が聞えたら・・・必ず狐だと思え「狐が又騙すのだな」と思えばいい」と教えたのであります。その結果、彼の警戒心が湧起して来たので、段々と快くなり、ついに全治したのであります。これは私の話だけで治った実例で、未だ軽症の内だから宜かったのであります。そうして狐は「本体」を暴露されると、騙す興味が無くなるのであります。よく狂人が、誰も居ないのに喋舌ったり、何もないのに吃驚して逃げる事などがありますが、それはその人の霊を占領し、他の狐霊と呼応して騙すのであります。人間の霊を段々占領すると、顔までが狐のようになって来る事もあります。

  人間を巧く騙す程、狐の社会では名誉になるのであります。狐には、稲荷と野狐の2種あって、稲荷は祀られた狐であり、野狐はいわばルンペンであります。この野狐は絶えず祀られたくて策動しているのであります。日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通する事が出来る。そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が治したら稲荷に祀ってやると言うと、狐は祀ってもらいたさに一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるのであります。野狐でも稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧い程出世をするんであります。狐にも種々名前がある。日蓮宗の行者などはよく名前を付けます。眷族というものも沢山居る。
(「岡田先生療病術講義録 上巻 5」より抜粋)

  現時点で無責任にオススメする浄化法は①拝島熊川神社・懺悔法(蒲生の伝)②台湾道院・天上聖母③高王白衣観音経ですが、あくまでも自己責任でお願いしますw

自称“中道左派”の右往左往

2014.09.06(20:02)

   迷走する公明党・創価学会に擦り寄る朝日新聞

  同じ事柄でも、立脚点が違うと解釈がまるで違うようで不思議な感じがします。 朝日新聞は「集団的自衛権」否定派ですから、公明党の母体である創価学会の見解である「改憲経るべきだ」という集団的自衛権の否定論を掲載しています。 一方、読売新聞は、「自衛隊PKOの『駆けつけ警護』公明が容認へ」ということで、安倍総理が記者会見で事例にあげた集団的自衛権の一つに賛成しているという記事です。要は、公明党がふらふらしているから、新聞記者にとっては、自分の価値観での判断の記事になってしまうわけです。それではまず、朝日新聞の記事から見てみましょう。
   
   集団的自衛権行使「改憲経るべきだ」 創価学会が見解 岡村夏樹、冨名腰隆2014年5月17日

  公明党の支持母体である創価学会は16日、安倍晋三首相がめざす憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について「本来の手続きは、一内閣の閣僚だけによる決定ではなく、憲法改正手続きを経るべきだ」として反対する見解を示した。20日から自民、公明両党の協議が始まるが、学会の姿勢が鮮明になったことで難航する可能性がある。学会は朝日新聞の取材に文書で回答した。回答では、集団的自衛権について「基本的な考え方は、『保持するが行使できない』という、これまで積み上げられてきた憲法第9条についての政府見解を支持する」と明言し、行使容認へ転換をめざす首相の姿勢を強く牽制した。《以下略》

  次に読売新聞です。

   自衛隊PKOの「駆けつけ警護」公明が容認へ 2014年05月17日 04時21分

   国連平和維持活動(PKO)で海外に駐留する自衛隊が民間人や他国部隊などを助ける「駆けつけ警護」について、公明党が、新たな法整備を容認する方向で検討を進めることが16日、わかった。複数の同党幹部が明らかにした。政府・自民党は20日に始まる与党協議で、武装集団による離島占拠などの「グレーゾーン事態」とともに早期の合意を目指す。ただ、集団的自衛権行使を巡る憲法解釈見直しが置き去りにされることを懸念し、集団的自衛権を切り離した閣議決定には応じない構えだ。《以下略》
  
  朝日新聞のトーンをみれば、創価学会は「集団的自衛権行使反対」と読み取れますし、読売新聞を見れば、公明党は「行使に限定的容認」と読み取れてしまいます。外野から見れば、はっきりしなさいよ、ということになるわけですが、連立与党に残りたい公明党と、本来の主義主張を押し通せば連立離脱をせざるを得ない客観情勢を感じとっている創価学会の綱引きでもあると考えられます。でも、政権与党にいるうまみは、公明党も創価学会も手放したくはないのは明らかですが。ところで、なぜ創価学会の「憲法改正が先」という発言が、集団的自衛権行使反対になるのか、ということを論証しましょう。この「憲法改正が先である」と言うときには2つの議論が生じます。「戦後体制打倒のために憲法改正を主張する」場合、「集団的自衛権論議を進めさせないための手段として、憲法論議をせよ」という場合があるということなのです。後者の場合、憲法論議になると結論がなかなか出せずに、集団的自衛権論議を堂々巡りさせ、うやむやで終わらせてしまおうと言う算段が背景にあるのです。 公明党は憲法に対して次の立場をとっていました。

   「現在の憲法を守りながら、未来を見据えて新しい理念や権利を補強する。すなわち、加憲です」という主張をしています。しかも、第9条については、「戦争の永久放棄、平和主義の定めは守りつつ、自衛隊の存在や国際貢献について議論していく必要があります」と実に玉虫色の発言をしています。しかし、それでも、実際の本音は「9条を守りたい」というところに力点があります。これは、立党の時代から変わらない精神であるはずです。

  ということは、「憲法改正手続きを経るべきだ」と言いだしたということは、要は集団的自衛権行使には「反対」という意思表示ではあるのですが、露骨に反対と言えば政権から追い出されてしまうから、話を憲法問題にして、憲法問題になれば容易に結論がでないから、この論議をうやむやにしてしまおうという計算を働かしているわけです。ただし、集団的自衛権論議を憲法問題にすりかえると言う作戦は、これは自らが掘った落とし穴にはまってしまうということです。なぜなら「じゃあ憲法改正すればいいのね」と言う論理にもっていったときに、「それは困る」とは言い出しにくくなるからです。憲法に話題をふっておけば、それで事足りると考えてしまったのです。

  さて、話をもどして、朝日新聞は創価学会の話を聞いて「集団的自衛権には反対している」と確信してあのような記事となりました。一方、読売新聞は「公明党は連立離脱が嫌だから、自民党に擦り寄って、限定的容認した」と解釈したはずです。要は、創価学会・公明党の中途半端さが引き起こしたということになります。これでは、「中道政党」を称する公明党は、中道を歩むのではなく、ただふらふらと政治の現実の狭間で揺れ動いている存在でしかないわけです。こういう姿勢ですと、連立相手の自民党からも、さらには、左翼護憲勢力からも取り合われなくなってしまいます。なお、ご参考までに集団的自衛権の問題では民主党の長島氏がこのような意見を言っています。

  長島昭久のリアリズム 集団的自衛権について考える(その5・補論)

   慎重論の多くは「いったん認めるとなし崩し的に拡大するのではないか」というものですが、これはもはや法律論ではなく、政治論あるいは政局論です。詰まるところ、安倍政権が信頼できないということなのでしょう。であるからこそ、新たな立法措置を通じて「歯止め」について政府を確実な民主的コントロール下に置くべきだと考えます。したがって、私は、民主党を中心とする野党4党の同志とともに、リアリズムの視点に立って「安全保障基本法案」の策定を急ぐつもりです。

  この公明党、創価学会の状態について、また、そんな創価学会とでさえ、手を組もうとしている朝日新聞について有識者からご意見を頂きましたのでお伝えします。公明党が政権与党の立場にありながら、国民のための政治ではなく、創価学会のための政治であることが明確になっています。しかも、これをまじめに取材して報道している朝日の感覚も面白いことがわかりました。

・朝日は、相手がどこであろうと、(たとえ宗教団体であろうと)「集団的自衛権反対」と唱えているところは良いところだという気持ちがあるようです。

・朝日は従来であれば「宗教団体は悪だ」という姿勢で結構叩いていたはずなのですが、自分たちが主張している「集団的自衛権反対」と同じ主張の創価学会や公明党に対し親近感を持っています。

・本質的には朝日の主張と公明党の主張では若干の違いはあるのですが編集者たちは、「結果反対であれば何でもいいから取り上げろ」との業務命令が出ているようです。

・実はその背景には朝日新聞社と公明党には、「親中国という共通項」があるからなのです。

・両者の親密度は水面下ではさらに強いものがあり、今後の政界再編の予想外の結びつきにつながりそうです。

・公明党は自民党との連立が解消になった場合のことを視野に、民主党との接近も選択肢に入っているようです。
(赤峰和ブログ「日本が日本であるために」時事解説より抜粋)

  もう私は朝日さん小沢さん創価サンには関わりたくないんです、思考パターンの経緯から今後どうなるか予想が付くから。結局言論の自由には個人攻撃、バッシングも含まれてるわけでしょう。まず個人秘匿情報のリークと、「護憲」の主張が両立してるというのがボンクラには解りません。この手法で「人権尊重」とかいうんでしょ。次に民主党政権時代何故あれだけ小沢さんを叩いたかといえば、①親中派であることと②創価学会とパイプがあるからじゃないんですか? 結局創価パワーが内部からの左翼潰しに転じる(これは日本未来の党で露呈した図星の事実)だろうからでしょう。でも朝日はアメリカ寄りの“親米左翼”だから小沢さんをバッシングしたわけ。菅さんに対しても在日献金疑惑をすっぱ抜いたらフクシマが大震災でバクハツしてしまったわけですね。激しい小沢さんバッシングの後に、集団的自衛権反対や護憲については、小沢新党と近似する主張の公明党・創価学会と協調して主張していこうとしたわけでしょう。この一貫性のなさ、支離滅裂さはすべて外圧のせいなのか?という疑問ですね。

  まず2つの吉田証言、朝日サイドの味方をしてみれば、①従軍慰安婦の強制連行証言は、今後日本の軍国主義復活や対外戦争を防止牽制する目的の方便、つまり「よいウソ」なんだという考え、②フクシマ以前の原発事故でも東電は自社の規模に胡坐をかいて作業服の担当員が人を喰ったような応対で会見していましたよね。安倍チャンのネームプレートの誤字だって常識外のまずあり得ないことですよ、こういう社風に対して批判をするために所長証言を捻じ曲げて逃走を企図と報道した。これも正義感からの逸脱、勇み足なんだということでしょう。まあ卑見でこうとったとして、ではこのような虚偽捏造の入った記事拡散が実際に軍事台頭阻止や原発汚職縮減にどこまで役に立つの? ということでしょう。

  結論からいえば元々不満を持ってる人の気炎は上がる一方、批判された相手の方は「あれはデマ、だから俺たちの方が正しい」という口実を述べる、これはもう確実でしょう。「目的は手段を正当化する」この言葉は現代ではほぼ使用不能ではないかと思いますがね、自社の外圧も踏まえた上で朝日の社説はこうなんだという原点を探る純化作業が必要でしょう。その上で現代の報道に虚偽捏造が必要なのか? それで社会の信頼を得られるのか? 虚心坦懐に考えられてみては如何でせうか? まあこの謝罪が壮大なマスコミの浄化劇場であろうがなかろうがどちらでもよいことですw

2014年09月

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