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「魔が差す」とは「流される」こと

2014.01.05(00:31)

  久々に更新が続きますが、ナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け!」に感銘を受けたので本書の関係者の方々には申し訳ないのですが、ちょっと内容を自己流にピックアップさせていただきます。

  ・・・(悪魔の告白)私の唯一の心配は、本物の「考える人」がいつかこの地上に現れるのではないかということだ。それは人間が真実の中でも最大の真実を学ぶということだ。その真実とは、自分の持てる時間を恐怖に怯えて過ごすのではなく、もっと別のことに用いれば、物質世界で望むものはすべて手に入るし、死後の世界では悪魔から逃れることも出来る、ということだ。批判への恐怖は私が人間を鞭打つのに使える唯一の武器なのだ。・・・私の支配はお前たち人類の98%に及んでいる。私は否定的なエネルギーから出来ていて、私を怖れるものの意識の中に住んでいる。また私は、物質を構成するすべての原子の半分と、あらゆる精神的・物理的エネルギーの半分を支配している。・・・現実の裏にあるのは常に原因なのだ。実際には原因と結果が余りにも離れているため、運が働いているとでも言わなければ説明のつかないことが多いだけだ。・・・人間にとって少しでも価値ある救いがあるとしたら、それは自らの意識の力を自覚することによってしか得られない。人間に必要な救いは、無知と恐怖からの救いだけだ。私が怖れるものは、明確な目標を持ち、自分の頭で考える人間の思考の力だ。自分の頭で考える人間は決して流されたりはしない。一方、自分の頭で殆んど、あるいは全く考えない人間は「流される」人間だ。「流される」人間は周りの状況に影響を受けコントロールされても、それに抵抗しない。自分で考えるのが面倒で、むしろ悪魔が自分の意識を支配し、自分の代わりに考えることを歓迎する。人生に何が起ころうとそれに甘んじ、反抗したり反撃したりすることもない。(「悪魔を出し抜け!」ナポレオン・ヒル著、田中孝顕訳、きこ書房2013年刊より抜粋)

  1938年に執筆されたこの書は、その後親族の意向により封印され、2011年にようやく公開されたばかりです。この内容が妥当なものだとすれば、やはり昨今の新興宗教の多くは真実よりも悪魔に近いもの、と言えそうです。まあ私自身も相当この悪魔に毒されているようなので、そこは謙虚に反省・修正です・・・
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民主主義を滅ぼすTPP?

2014.01.04(23:06)

  米国全50州の州議会議員と米領プエルトリコの議員のうち129人が環太平洋連携協定(TPP)に反対する公開書簡を米政府の通商代表部にこのほど送りました。TPPに盛り込まれる「投資家対国家の紛争解決」(ISDS)条項が外国企業の利益を優先させ、州法や州の権限を侵しかねないと批判しています。5日付で送られたこの書簡は「TPPにISDS条項が盛り込まれ、州の規制や法律、司法上の権限に影響を与えることを特に憂慮する」と述べています。「資源採掘の規制やたばこの箱の外装に関する法律など中心的な公共政策の決定に挑戦するため外国企業が力を振るうことになりかねない」と懸念を表明。「北米自由貿易協定(NAFTA)のもとで州の法的決定が挑戦を受けた」と指摘しています。

  書簡を中心になってまとめたマラリン・チェース・ワシントン州上院議員(民主党)はホームページ上で「われわれの義務は州の法規を守ることだ。州法を超越した国際的協定を支持することではない」と述べました。「TPPに州法を超える権限を持たせれば、民主主義に障害をもたらす」と警告しました。ISDSは、外国企業が進出先で不利益を受けたと思えば相手国政府を相手取って国際仲裁機関に訴訟を起こすことができる制度です。NAFTAや中南米と米国との投資協定にも盛り込まれ、米国の多国籍企業に有利な判決が続出しています。ISDS条項は米韓自由貿易協定にも盛り込まれ、韓国で主権を侵す「毒素条項」と非難されています。TPP交渉の中では、ISDS条項を盛り込もうとする米国にオーストラリアが反対しています。
(しんぶん赤旗、2012年7月22日)

  ISD条項によって国民の代表である国会議員の立法権やひいては国家主権が抑圧されるという重大事が余り指摘されない現象が本当に不思議です。大企業の暴走を止める術を放棄してしまうわけですから、もっと単純に「民主主義を阻害するからTPPはダメ」という考えでよいのではないでしょうか。日本は何故この点を明確に指弾する人がいないのですか?


招魂祭と靖国

2014.01.04(21:49)

  招魂祭(しょうこんのまつり)は日本の陰陽道・中国の道教で行われる祭祀・呪術のひとつ。宮中でも行われた。近代に新しく招魂社・靖国神社などで死者に対して始められた「招魂祭」(しょうこんさい)については靖国神社参照。

  概 略 :日本の陰陽道では衰弱している生きた人間の活性化のため、中国の道教では死者の霊魂の離散防止のためとして行われる。神道の生者・死者の双方に対する鎮魂祭とは別のものである。

  日本の陰陽道 :平安時代の中頃から貴族社会に浸透した。初見は『小記目録』第8巻「御祭事付解除」の「永延二年十月十一日招魂祭時」という記述。「永延二年」は988年。人には「魂」というものがあると信じられ、熟睡したり悩み事に屈託したときには衰弱した肉体からその「魂」が遊離すると考えられていた。そのため、病気やお産などの際に身体から遊離した魂を屋根の上で衣を振るなどして招き戻す祭祀を行った。生者に対して行う祭祀であり、死者に対して行うことは禁止されていた。禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)。1025年8月の藤原嬉子の死去に際し陰陽師の中原恒盛は招魂祭を行い、祓を科せられそうになったという。日本の陰陽道では死者に対しては行わない点が中国の道教との大きな相違点である。

  用例と鎮魂祭との混同・区別 :用語としては『日本書紀』巻第29、天武天皇14年11月24日(丙寅)条に「是日為天皇招魂之」とあるが、『釈日本紀』巻21秘訓6はこの「招魂」を「ミタマフリス」と訓じ、同書巻15、述義11では「今鎮魂祭也」として、『日本書紀』の「招魂」の記述を「鎮魂祭」のこととしている。伴信友も『鎮魂伝』で「例の漢ざまに傚ひて、招魂と書なされたるもの」としている。伴信友はまた「比古婆衣」第20巻で「後醍醐天皇日中行事に、日毎せうこんの御祭、今は定まれる事なり、とあるせうこんは招魂にて、こは鎮魂にはあらず、陰陽家にて別に招魂祭とて為る方なるべし」と述べて、招魂祭と鎮魂祭との区別を明確にしている。

  中国の道教 :道教では死者に対しても招魂祭を行う。但し復活の儀式ではない。たとえば紀元前の戦国時代の『楚辞』には宋玉の「招魂篇」では罪なく奸人に追われて死んだ屈原を偲び、その魂の離散を恐れ、呼び戻す為に行われている。『楚辞』九歌の「国殤」には「身既に死して神以て霊・魂魄毅として鬼雄となる」とある。現在でも死んでから1~3年後に常設の「神主(しんしゅ)」(儒教でも用いる。仏教の位牌にあたるもの。)に名前を記し、新たな先祖として祀る。すると、一種の鬼でありつつ、子孫の幸福・安全を守る先祖となるとされる。
(ウィキペディアより抜粋)

  阿含宗を例にとって怨霊を呼んで願いを叶える、これは成仏法ではないと卑見を申して来たわけですが、そこの分岐点・元ネタがこの辺にありそうな気がします。頭からインチキ扱いしていますが、桐山管長が学んだ照真秘流ですね、これは宝塔に対して準胝観音真言と般若心経、さらに普門品観音経を唱える行法で、現在でも準胝真言行として残っているわけです。それでこれが、仙人とか道教とか気功やらと関係があるようなんですね。我々はもう完全に真言密教の枠内でのみ考えていたわけです。しかしこれは道教の行法として捉え直すべきなんですね。招魂か鎮魂かで異同がありますが道教でも成仏できる(鎮魂・昇天できる)という意見もあるわけで、これはやってみないと判らないところだと思います。降りてくるオーラが神さまなのか死霊なのかということでしょう。ただ現在の阿含宗に成仏法や鎮魂力はないと思います。真如苑や創価学会にしても、霊視やご託宣に頼るのではなく、事態が穏便に収まったかどうか常識的に眺めればよいのではありませんか。ただ日本の密教には道教を取り込んでいる部分がある、というお話でした。そして首相参拝で注目の靖国神社の宗教的起源は、伊勢神宮の系列ではなく、道教や新興宗教の考えに近いのではないか、ということが言えそうです。ただ私としてはそのような宗教的分類ではなく、もっと政治的社会的配慮をして、新しい戦没者慰霊施設を建立した方が、慰霊行事が摩擦なくスムーズに行くのではないかと思いますが、さていかがでしょう。

  招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀した各地の神社。東京招魂社は1879年(明治12年)に明治天皇の命名により靖国神社と改称。地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称。そういういきさつがあるので、明治末期になっても靖国神社という名称よりも、招魂社という名で庶民には親しまれていた(夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に幼い娘の発言に「招魂社」が登場する)。また日本初の招魂社は櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)である。

  王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。靖国神社の旧称「東京招魂社」は「在天の神霊を一時招祭するのみなるや聞こえて万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する」可能性があるために廃されたという。ただし、名称変更後も「招魂祭」(しょうこんさい)は続けられた。
(同より抜粋)

  社の殿中にご神霊がずっと常駐しているのか、儀式の時だけ召喚してご降臨いただくのかでは違うというんですね。


ハルマゲドンは心の中にある

2014.01.04(21:11)

  ローマ法王フランシスコは24日、バチカンのサンピエトロ大聖堂で毎年恒例のクリスマスイブの深夜ミサを行った。3月に即位した法王が迎える初めてのクリスマス。信者らに対しては私利を捨て、信仰に励むよう訴えた。法王は「人生には光の瞬間もあれば、闇の瞬間もある」とし、「神と兄弟姉妹を愛せば、光の中を歩めるが、心を閉ざして高慢や欺瞞、私利に支配されれば闇が生じる」と警告。その上で「神は忍耐強く、闇を照らす光である」と述べた。中南米出身初の法王は貧者ら社会的弱者のための質素な教会を目指しており、即位以来、その姿が多くの信者に慕われている。大聖堂には世界各地から信者約1万人が集まった。(MSN産経ニュース、2013年12月25日より抜粋)

  新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。さて年末年始にかけて本ブログのテーマに関わる解答が続々寄せられているようなので“模索”の立ち位置を忘れずにこれらを眺めていきたいと思います。


2014年01月

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  2. 「魔が差す」とは「流される」こと(01/05)
  3. 民主主義を滅ぼすTPP?(01/04)
  4. 招魂祭と靖国(01/04)
  5. ハルマゲドンは心の中にある(01/04)
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