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現代を斬る~時評と考察

世相を描いた文章と雑談から、政治と宗教の現実を読み解き、考察のヒントを探ります。

東映映画の面白さ

  所用で新宿に寄った折、チケット屋で「北のカナリアたち」が安かったので購入し、そのままバルト9で観て来ました。平日午後にも拘らず、中高年を中心に劇場はそこそこ埋まっています。(ここからネタばれ)まだ上映中ですのでね。これはテレビ朝日の製作で、まず小百合さんが「若造り」ではなくオーラからして「実際に若い」それがひとつ、主題曲の音楽と北国の厳しい風景が圧巻です。海に射す陽の光が救いを強調しているかのようです。

  柴田恭兵さん「はみだし刑事情熱系」を時々見ていましたが、希林さんの「ツナグ」と併せると興味深い。「あいつまだ殺人犯やっているのか・・・」お嘆きかもしれませんが私はやっていませんw アマゾンからも制作陣が名を連ね、まあ故意か偶然か私のお気に入りやレビュー作品と被る描写が多かったw 原作付きでここまでやっていいのかよ、というのが正直なところです。「苦役列車」の俳優さんも擁したオールスター・キャストで演技のレベルが高度に安定しています。集注が途切れず、眠くならなかったので安心しましたw

  北国の分校というと熱中時代の後日譚みたいでいいですね。不遇な小学生には素敵な担任の先生が女神さまのように一生心に残るのは私も同じですw 先生生徒お互いに教室で理想をぶつけ合っているわけですからね。優しい善人が不遇から脱却しようと工夫を凝らしたが事態が悪い方に進んでヘコむ、というのが実にリアルで、警察の額にあった「努力」というのがなかなか実を結ばない。学校の標語にあった「自信」になかなか繋がらない。私が「普通にやるとこうなるよ」という展開パターンです。

  余り映画は観ませんが、東映作品「飢餓海峡」と松竹映画「砂の器」、どこが違うの? 「男はつらいよ」と「トラック野郎」、どこが違うの?という問いには「登場人物の感情の起伏が、東映は激しく、松竹は安定している、それがドラマの進行に影響を与える」と考えます。商売人最終回に出演された蓮司さんの一言にも笑わされましたが、松竹は労組系(理性的)、東映は任侠系(本能的)wというのではありませんが、とにかく不遇な庶民でも、東映は情動の起伏・浮沈が激しく、それが長期的な人生展開に影響を及ぼし、松竹は比較的淡々としており時折り瞬間的に感情的になるのです。これは個々の人物の内面的変遷を重視するか、キャラクターを固めてしまうかの違いだと思います。だからアンチでへそ曲がりな私は、周囲が「邦画ベスト1は砂の器だよね」と言えば「いや飢餓海峡だ」と返し、「寅さんはいいね」といえば「いや、トラック野郎の方が面白い」と言う事に「決めている」のです。だから殺人犯扱いされてしまうのか?w 私自身は合唱・合奏も大嫌いなコドモでした。全体から外れていないと安心できない、困った奴ですw 必殺は松竹・大映・東映など種々の要素が詰まっていますから、若干松竹とは異質の雰囲気も入ってると思います。事件を軸にぐいぐいと引っ張るのが東映、日常の淡々とした描写が軸でキャラクターに安心感があるのが松竹、といった感じでしょうか。

  柴田恭兵さんは刑事アクションのイメージが強いですが、こういう役も社会派としての本質に迫るものがあり、説得力がありました。この苗字がどうとかモデルが誰とか、余りコメントできません、棒を握った時点でもう限界ですw 「題名のない子守唄」を観ても想ったのですが、この作品も一流スタッフ・キャストによる娯楽作品に違いなく、謎解きや衝撃性を縦軸にしながら横軸にどうにもならない不遇とか愛憎、善人と悪人との明確な境界線の無意味さ、辛苦故の愛や死への逃避衝動、栄えると隣人を傷つける顛末など、人生の現実に迫る本質的なテーマを提示しているわけです。両極の一方があるからもう一方も成立してるんだよという事ですね。各自苦労の多い人生であるが故に、分校での思い出が一際輝きを増すということだと思います。

  他の方のレビューなどにも小百合さん演ずる女教師が不自然だ、特に恭兵さんと仲村トオルさんが半分異常になってきますからそこで揺れるなんて、という意見がありますが、卑見では普段の苦悩が深い、だからこそ教室内では理想の先生を全うするのだ、これはリアルなところではないでしょうか。松竹映画でも大物俳優が不遇な庶民を演じることがありますが、東映映画がリアルなのは、実際一人一人の庶民は部分的なタレント性を兼ね備えており、そこに情動の浮沈が大きく加わってドラマが生ずるところです。凡庸な庶民、というのは実はいそうでいないと思いますよ。従って父親役の里見さんの方がちょっと落ち着きすぎじゃないかと思ったくらいです。「凡庸のまま」でなかなか落ち着けないから問題が生じるのではないですか?

  この作品が映画的によいか悪いか私には判りませんが、「面白い」「リアルな現実の断面だ」と思ったのは事実です。つまらない事で大揉めし、心の中の大切なものを大事に護るほど社会的にうまくいかない、というのは誰でも感じるところではないでしょうか。東映作品のいいところはそうしたところを娯楽的に描いて、暗く陰鬱にならないところです。とにかく私はこうした映画を「面白い」と捉える人間であり、それはどうしようもありませんw 常連の親父とスナックのママには笑ってしまいましたwでも現実はこんなもんでしょう。道民の方は本土の人間よりも情実の深い方が多く、その点でもリアルな映画だと思います。結論を得る映画ではなく考えるきっかけを提示する作品がもっとあってもよいと思いますね。
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検証・乱れた報道~週刊朝日

  橋下徹・大阪市長を取り上げた「週刊朝日」10月26日号の連載記事をめぐり、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)は、「見出しを含め、記事は橋下氏の出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」などとする見解をまとめた。これを受け、同誌を発行する朝日新聞出版は12日、神徳英雄社長が辞任し、篠崎充取締役を社長代行とする人事を決めた。

  同出版はこの日、見解と、見解を受けた再発防止策などを橋下氏に報告し、改めて謝罪した。橋下氏は「納得できた」などと述べた。同出版は、週刊朝日の河畠大四・前編集長と担当デスクである副編集長を停職3カ月・降格、雑誌統括兼コンプライアンス担当を停職20日とする懲戒処分も公表した。

  見解では、記事中に橋下氏を直接侮辱する表現や、被差別部落の地名を特定するなど、差別を助長する表現が複数書かれていたほか、主要部分が信頼性の疑わしい話で構成されているとして「差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命とし、正確な報道に努めるべき報道機関として、あってはならない過ち」と指摘。「差別の認識と人権への配慮を欠き、編集部のチェック体制が機能していない」と総括した。

  具体的には、企画段階でコンテがなく、連載の展開を編集部で検討していない▽社内のチェックで発行停止が検討された形跡もない▽掲載後のおわびも、タイトルや不適切な記述に対するものにとどまり、問題の本質に気づいていなかった――などと問題点を指摘。連載は2回目以降も橋下氏の親族を取り上げる予定で、これらの問題が検証されないままでは過ちを繰り返すことになるとして「連載中止はやむを得なかった」とした。

  また、記事は編集部が主体となり、意向を受けた佐野眞一氏が取材・執筆活動をしていたことから「問題の責任は全面的に編集部側にある」とする一方、佐野氏についても「人権や差別に対する配慮が足りない点があった」と述べた。一方、同出版は見解を受け、(1)記者の人権研修の徹底(2)記者規範研修の徹底(3)発行人と編集人の分離――などを柱とする再発防止策を発表した。記事は、橋下氏の人物評伝を意図した連載の1回目。掲載号発売後の10月19日に連載中止を決定。橋下氏は、記事掲載に至った経緯の検証と説明を求めていた。

  〈朝日新聞出版・井手隆司管理統括兼管理部長の話〉「報道と人権委員会」から、今回の記事について「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調にしている」との根幹に関わる指摘を受けました。差別や偏見と闘うことを使命とする報道機関として、深く反省しております。神徳英雄社長は事態を重大に受け止め、すべての経営責任を負って本日、辞任しました。今後は社員の人権教育を徹底し、読者の信頼回復に努めます。

  〈朝日新聞社広報部の話〉「報道と人権委員会」が「あってはならない過ち」との見解を示し、これを受けて朝日新聞出版の社長が引責辞任しました。親会社の当社もこのことを前例のない深刻な事態として、非常に重く受け止めています。差別を許さず、人権を守ることは朝日新聞社の基本姿勢であり、当社グループ全体が共有すべきものです。これを機に、当社はこの基本姿勢を当社内にも改めて徹底するとともに、見解を受けて朝日新聞出版が打ち出した再発防止策が確実に実行されるよう、同社に厳しく求めていきます。

  〈佐野眞一氏のコメント(要旨)〉人権や差別に対する配慮が足りなかったという「報道と人権委員会」のご指摘は、真摯に受け止めます。出自にふれることが差別意識と直結することは絶対あってはならないことです。私の至らなかった最大の点は、現実に差別に苦しんでおられる方々に寄り添う深い思いと配慮を欠いたことです。その結果、それらの方々をさらなる苦しみに巻き込んでしまったことは否めません。関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします。

  「報道と人権委員会」(PRC)とは・・・「報道と人権委員会」は、朝日新聞社と朝日新聞出版の取材・報道で名誉毀損やプライバシー侵害などの人権侵害があったかどうかを審理する第三者機関。社外の委員で構成され、2001年1月に発足した。当事者からの申し立てだけでなく、委員による問題提起や両社から要請があった事案も取り上げることができる。審理の結果は「見解」としてまとめ、朝日新聞紙上などで公表している。現在の委員は、東京大法学部教授(憲法)の長谷部恭男氏、元共同通信論説副委員長の藤田博司氏、元最高裁判事で弁護士の宮川光治氏の3氏。

  「週刊朝日」の記事をめぐり、朝日新聞出版の篠崎充社長代行ら3人は12日夕、大阪市役所で橋下徹市長に面会し、改めて謝罪した。市長応接室での面会は、報道陣に公開された。篠崎社長代行は「今回の記事で橋下市長とご家族、多くの関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを心から反省している」と謝罪。朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」の見解や、朝日新聞出版がまとめた記事掲載の経緯などについて説明した。

  これに対し、橋下市長は「今回の見解を拝読して全て理解し、納得した」と表明。そのうえで「先祖の生き様が僕の人格の決定的な要因になっているという考え方はとるべきではない」などと指摘した。橋下市長はまた、「民主国家においては報道の自由こそすべて。権力が報道の現場に乗り出さないように、報道機関が自主的にきちんと一線を越えないようにしていただくことが、報道の自由をしっかり守ることにつながる。そういうことも踏まえ、今後もよろしくお願いしたい」と述べた。

  橋下徹・大阪市長をめぐる「週刊朝日」の連載についての、朝日新聞社「報道と人権委員会」の見解の要旨は以下の通り。

 1 当委員会の調査の経緯と見解の要旨

  朝日新聞出版から、企画段階から取材・報道、連載中止に至るまでの経緯について報告書の提出を受け、次に、週刊朝日の河畠大四編集長(当時)、デスク、雑誌部門の責任者である雑誌統括、筆者の佐野眞一氏らから聞き取りを行い、委員会を開催し、朝日新聞出版から詳細な説明を受け、見解をまとめた。

(当委員会の見解の要旨)

  本件記事は、見出しを含め、記事及び記事作成過程を通して橋下徹・大阪市長の出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている。人間の主体的尊厳性を見失っているというべきである。また、各所に橋下氏を直接侮辱する表現も見られる。さらに記事の主要部分が信憑性の疑わしい噂話で構成されており、事実の正確性に関しても問題がある。

  報道を通じて差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし、正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として、あってはならない過ちである。本件記事の作成及び掲載に携わった者たちは差別に対する認識及び人権への配慮を欠いていたというべきで、編集部におけるチェック体制が的確に機能していないという問題も存在している。

  また、企画段階からタイトルの決定、表紙の作成、情報収集、原稿チェック、おわびの掲載まで編集部が主体になり、佐野氏は編集部の意向を受けて取材・執筆活動をしており、問題の責任は全面的に編集部側にある。ただし、佐野氏も人権や差別に対する配慮の足りない点があったと思われる。

 2 企画段階での問題

  この連載企画は、本年春頃、編集部において、編集長の提案により橋下氏の人物評伝として検討され、編集部の「目玉企画」として部数増対策の一環にも位置づけられた。編集長は外部の作家に執筆を依頼した方がよりインパクトの強い記事ができると考え、ノンフィクション作家として多くの実績があり孫正義ソフトバンク社長の評伝『あんぽん』を上梓した佐野氏が適任であると判断し、同氏と親交があるデスクに本企画を担当させた。

  デスクは佐野氏と話し合い、企画の狙いとして概ね次の3点を説明し、佐野氏の同意を得た。(1)橋下氏を知る多くの人たちの証言を得て橋下氏の人物像に迫り、それが彼の政治姿勢や政治思想とどう関わるのかを探る(2)橋下氏の巧みなマスコミ操作を検証し、他方、メディアに今何が起きているのかを考える(3)ツイッターを多用する橋下氏の手法を通じて、政治とネット社会を探る。

  担当デスクは、(1)との関連で、橋下氏の政治信条や人格に出自が投影しているであろうとの見方に立ち、出自について書くべきだと考えていた。それが差別を助長することにならないかという点に関しては、橋下氏は公人であり、知る権利、表現の自由からもその名誉及びプライバシーは制限されること、その人物の全体像を描くこととの関連で取材の対象に家系を構成する人々を入れることは必然であることから、表現することは可能であると考えた。

  6月末頃から、記者2人が取材活動を開始した。9月半ばまでに、橋下氏の親戚、各地の知人、維新の会議員、関西政界関係者、部落解放同盟関係者、郷土史家ら、60人近い人々に取材した。9月中旬には数日、佐野氏も取材に出向いた。9月20日頃、デスクは佐野氏から構想について書かれたペーパーを受領し、説明を受けた。10月初め、10月16日発売の10月26日号から連載を開始することが決定した。

  本企画は、多様な視点を含みつつも、差別や偏見を助長する危険の伴う極めてセンシティブな内容であったことが認められる。したがって、本企画については、その狙いの当否、各視点の相互関係、手法、表現のあり方等について、社内において慎重に議論すべきであった。しかし、これらを検討する資料となる企画書はなく、レジュメもコンテもない。佐野氏が示した連載展開の概要像も編集部で検討した事実はない。本件は、企画の段階において、慎重な検討作業を欠いていたというべきである。

 3 タイトルの決定及び本件記事の問題

  9月23日頃、担当デスクと佐野氏が打ち合わせる中で、デスクは孫正義氏に関する評伝が、孫氏の通名であった「安本」からとった「あんぽん」というタイトルであることにも影響され、また、すでに週刊朝日(8月17日、24日合併号)で、橋下氏の父が「ハシシタ」姓を「ハシモト」に変えたと報じていたこともあり、連載のタイトルを思いつき、佐野氏に提案した。佐野氏はこれを了承した。

  氏名はその人の人格を表象するものであり、氏名権は人格権の一つとされている。一般に、氏名と異なる呼称をことさらに用いることは、人格権を侵害することにもなりかねない。本件では、読者は橋下氏に対する侮蔑感情を読み取ると思われる。また、サブタイトルの「奴」「本性」という言葉にも橋下氏への敵対意識、侮蔑意識を窺うことができる。それらが大きなタイトル文字として表紙を飾っていることが、一層、敵対・侮蔑の度合いを強めている。

  表紙の「DNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」といった表現を含め、本件記事全体の論調から、いわゆる出自が橋下氏の人柄、思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している。出自と人格を強く関連づける考えは、人間の主体的な尊厳性を見失っており、人間理解として誤っているばかりか、危険な考えでもある。なお、家系図を掲載しているが、こうした流れに照らすと橋下氏が家系(血筋)に規定されているという前提での参考図と位置づけられているとも理解でき、極めて問題である。

  記事の主要部分は、「大阪維新の会」の旗揚げパーティーに出席していた正体不明の出席者と、縁戚にあたるという人物へのインタビューで構成されている。彼らの発言内容は、噂話の域を出ていない。本件記事には被差別部落の地区を特定する表現がある。朝日新聞出版記者行動基準、報道の取り決めに明白に違反している。

 4 記事チェック段階での問題

  10月9日夕刻、本件記事の原稿が佐野氏から担当デスクの手元に届いた。デスクと2人の担当記者は読んだが、編集長の手元に原稿が届いたのは12日昼頃であった。原稿を読んだ編集長は、部落差別に関連する文章上の問題点をデスクにいくつか指摘し、同時に、雑誌統括に当該原稿をメールで転送した。折り返し雑誌統括は「こんなことを書いていいと思っているのか。掲載できると思っているのか」と編集長と電話で激しくやり合った。

  雑誌統括からの依頼で原稿を読んだ他部門の社員からも、原稿には多数の問題があるという指摘があった。編集長は、デスクに佐野氏と交渉して直しを検討するよう求めた。佐野氏は当日、テレビのゲストコメンテーターとしての仕事があり、検討が遅れたが、締め切り日である13日夕刻、数点の修正を行った。雑誌統括は、さらに被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった。最後は、編集長が「これは佐野さんの原稿です。これで行かせてください」と押し切った。表紙が12日に校了しており、この段階では掲載中止は困難であった。掲載するか雑誌自体の発行を停止するかという選択であったが、発行停止が検討された形跡は見られない。

  最後は「時間切れ」の状況で、掲載に至っている。出自が人格を規定しているという誤った考え方を基調とし、主要部分を信憑性が乏しいインタビューで構成していることが問題なのであって、表現の手直しでは解消できる問題ではなかった。編集部としては、その点にいち早く気づき、本件記事の掲載を止めるべきであった。佐野氏から本件記事の原稿が編集部に届いたのは9日夕刻であり、デスクが原稿を直ちに編集長に示していれば、編集長は社内の意見を聞くとともに、顧問弁護士に助言を求めるリーガルチェックを受けることが可能であった。

  社内では差別的表現や侮蔑的表現に関し多くの点が指摘されている。編集部はデスクを通じて佐野氏にすべて伝えたとしているが、佐野氏は「指摘があったところで飲めないところはなかった」といい、言い分が食い違っている。社内の指摘が担当デスクを通じて佐野氏に的確に伝えられていたかどうか疑問である。また、編集部は筆者のオリジナリティーを大切にしたいという思いがあったとしているが、事柄の重大性に対する認識が欠けていたといわなければならない。

  本件記事と同内容に近い記事が既に他の月刊誌・週刊誌等に複数掲載されている。編集部や記事をチェックした者たちは、それらについては橋下氏からの特段の抗議はなく、社会問題ともなっていないと即断し、こうしたことから本件記事も許されるものと考えたとしている。しかしながら、仮にそうだとしても、人権侵害を拡散し、再生産した責任を免れることはできない。

 5 掲載後の対応の問題

  橋下氏が記者会見をした10月18日前日の17日夜に朝日新聞出版が発表した「今回の記事は、公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です。」などとするコメントは、発行から2日経っていながら、本件記事の正当化とも受け取れるものである。また、18日夜に発表したおわびコメントや、週刊朝日11月2日号に掲載した編集長名での「おわびします」でも、タイトルや複数の不適切な記述に関するおわびにとどまっていた。この段階においても、問題の本質に気づいていなかった。

  連載中止については、佐野氏は「1回目だけを読んで判断すべきではない。中止は言論機関の自殺行為だ」としている。また、この問題に関する新聞等の報道では、中止は読者の期待を裏切り、知る権利を損なうことを意味すると指摘する識者もいた。しかし、連載を続けるためには、この問題についての検証、編集態勢の見直し、企画の狙いや記事執筆の基本的な考え方などの再検討、タイトルの変更などが必要だった。さらに、2回目以降も橋下氏の親族を取り上げることが予定されており、過ちを繰り返さないためには一層の慎重さが求められた。継続は困難であり、連載中止はやむを得なかった。
(朝日新聞、11月12日)

   「大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます」との広告がありましたが「開いた口がふさがらない」「小沢を切れ」「スーパーマン廃業」・・・云々の社説他を何回書き写したところで文章力アップは難しいと思います。受験生の皆さんは「自分が理解・納得したもの」を条件に加藤周一先生の著作集や「夕陽妄語」、五木寛之先生のエッセイなどを書き写せば何某かのセンス・思想は伝わってくると思います。説得力は皆無ですがw

  メディアがおかしくなるというのはカルト教団由来の洗脳電波もあると思います。エリート集団のマスコミが我を忘れて常識を踏み外してしまうわけですからね。これまでも小沢裁判の日程が近づくたびに、私のブログに好意的だった諸先生のコメントが急に攻撃的になったり掲示板から排除されたりということが10回まではいかなくとも5回以上はあったと思います。けれども意見の立場に関らず、余りそういう妨害電波に左右されない先生やメディアも存在してるんですよ。日刊ゲンダイ・週刊ポスト・週刊朝日というのは内部に反小沢のカルト勢力を抱えていたと見ています。だからエネルギーが強い反面、脱線も激しい。

  ちっぽけな存在である筈の私への個人攻撃も凄まじい。「お前は取るに足らない奴だ」「所詮ちっぽけな生ける屍だ」それなら20年近くにも及ぶ大騒ぎや大々的バッシングも不要の筈でしょう。ここから私は「霊障」との予測を立て、30歳前後から宗教めぐりを始めたのです。それまでの20代までは「宗教なんてすべてインチキ」論者であり、気功も宗教色を抜いて捉えていたのですが、この気功のよい気・悪い気を見分けるというのが神道の審神観に繋がってくると思います。

  勿論いまでも真贋不明、心意不浄の凡夫素人ではありますが、神仏のナビゲートは存在するのかも知れませんね。能力差を問わず妨害電波にやられる人、そうならない人の違いは当人が秘めている人生観とは無関係だとは言い切れないのではないでしょうか。一人がたった一個の小石を特定の人物に投げつけただけでも、それが大勢・長年となればその人が血塗れになるのは当然ですね。そこが痛快、実に面白いという理由なのでしょうが・・・「貴様を鍛えてやるためにわざわざ試練を与えてやったんだ、感謝して修行の費用を払え、このバカたれが!」という論理なのでしょう。そんな風潮の中での平松先生・柳沢先生・板垣先生らのお心遣いは本当に励みになりました。多謝合掌

小沢裁判、無罪で決着

  再び無罪の判断が示されるのは確実といえる。控訴した指定弁護士の思惑とは逆に、小沢一郎氏の関与について「濃いグレー」を示した1審認定が薄まり、「普通のグレー」に近づく可能性もある。控訴審で事実取り調べを行わなかったため、判例上は「控訴棄却」と、1審に再審理を命じる「破棄差し戻し」が想定される。しかし、指定弁護士側のすべての取り調べ請求を退けた上で、審理の不足を指摘しやり直しを命じる、というのは考えづらい。

  そもそも、虚偽記載について小沢氏と元秘書らとの間に「報告・了承」があったと踏み込んだ1審認定には疑問が残る。この点で判断を変更するかどうかが、控訴審判決の分水嶺とみる。例えば「土地購入のどの段階で所有権が移転するか」について、秘書が詳細に説明し、小沢氏がそれを理解していた、といえるのか。指定弁護士側の立証は不十分に感じる。結論としての無罪に変わりがなくても、認定が“後退”することは十分に考えられる。

  小沢氏になぜ巨額の蓄財があったのか、土地購入の動機は何だったのか。一連の経緯に不透明な点は数多く見られる。しかし、検察が2度不起訴と判断し、さらに無罪が言い渡された事件で控訴した指定弁護士の判断は正しかったのか。小沢氏はすでに長期にわたり刑事被告人としての立場に置かれており、2審無罪となれば、上告すべきではないだろう。
(元東京地裁部総括判事・山室恵弁護士談)(MSN産経ニュース、11月10日)

  控訴審判決は1審判決で前提としていた元秘書らの故意性までも否定した。焦点だった小沢氏の共謀の有無について、『濃いグレー』が『薄いグレー』に後退したといえ、今回の判決は元秘書らの公判に影響するだろう。これまでは小沢氏と元秘書らの間に『報告・了承』があったのかが問題となっていたが、控訴審判決は元秘書の認識自体について言及。明確な故意があったことを否定し、小沢氏の故意性も否定した。土地購入の動機や原資の出所など不透明な点は残るが、争点になっていない部分であり、裁判所が判断を示すことはできない。そもそも十分な証拠を得られなかった検察側の失敗だ。(上記山室氏判決後談、同11月12日)

  まず何よりも小沢先生とその周辺ご関係者の方、無罪判決本当におめでとうございました。明らかに民主党政権潰しの謀略目的が明白ではありますが、司法の暴走に歯止めがかかった事は評価されてよいでしょう。小川裁判長の英断に敬意を表します。自民党支援の阿含宗擁護派だった毎日新聞と産経新聞を検察批判に導いたのは郷原信郎先生の働きによるところが大です。小沢代議士への資質・手法への疑念と、検察の無法な暴走とを分別した毎日・産経の社内にはジャーナリズムの良心が残っていたということなのでしょう、そこまでお粗末な検察側の詭弁捏造起訴事案でした。若狭勝先生もOBの立場からの検察批判ありがとうございました。検察捜査の逸脱不当性は社会不安の増幅と治安の悪化に繋がりかねません。

  石川議員は土地購入時、直前になり取引全体を翌年にずらすよう不動産業者側に要請。しかし、合意を得られず登記のみを翌年に移す契約を結んだ。実体として所有権が陸山会側に移動している点を、1審は「契約書を読めば、専門家でなくても容易に理解できる」と判断。石川議員の故意を認定したが、高裁の小川正持裁判長は「慌ただしい状況の中でその場しのぎの処理を行い、十分な検討をしなかったことはあり得る」と指摘した。秘書側に明確な違法性の認識がなければ、「報告・了承」の有無を問わず、小沢氏が「違法性の認識」を抱いたとはいえない。小沢氏の共謀を認めなかった1審について「判決に影響する事実誤認はない」と結論付けた。

  無罪の色が濃くなった高裁判決だが、小沢氏側の完勝とはいえない。報告書記載に対する誤った「思い込み」、簿外処理の「安易な認識」、摘発を受ける危険への「甘い考え」…。元秘書が虚偽記載の違法性、重大性を認識していなかった点については、厳しい言葉が並んだ。簿外処理の動機についても「追及取材、批判的報道を避ける目的だった」と“隠蔽工作”を認定。16年の土地取得費の支出を17年分の収支報告書に記載した点は、元秘書らの違法認定が維持された。「収支報告書の作成、提出を秘書に任せきりにしている」。小沢氏に対しこう苦言を呈した1審の判決時と同様、小沢氏の責任が改めて問われている。
(MSN産経ニュース、11月13日より抜粋)

  いままではよく判らなかった資金移動や記載方式の実態も今回の裁判でより情景がつかみ易くなりました。小沢さんから4億円は預かった、けれども報告は来年にずらしたいし土地業者は認めない、4億円は表沙汰にはしたくないし団体の運営資金も確保しなければならない・・・まじめな石川秘書の苦悩と混乱が伝わってきます。当時の石川秘書はこれは虚偽には当たらないと思い込んだ、つまり虚偽記載における秘書の「故意」を「事実誤認」としたこれまでの裁判の流れを変える画期的な判決といえるでしょう。

  トップは浪花節で、2位は講談。3位以下は落語、義太夫、民謡…。満州事変が起きた翌年の昭和7年、NHKのラジオ番組の人気投票だ。すでに検閲が厳しく、しばしば内容はカットされるようになっていた(永六輔著『昭和 僕の芸能私史』)▼80年の歳月が流れ、浪花節や講談を楽しむ人は少なくなった。ラジオを隅に追いやったテレビは、情報発信の王座をインターネットに譲り渡した。世代を超えたヒット曲が生まれなくなって久しい▼文化や風俗は時代とともに変わってゆくが、一角が崩れると国を危うくする領域がある。法秩序への信頼もその一つに数えられるだろう。だが、その信頼は今、法秩序を維持する責任を負う検察組織の愚行によって大きく揺らいでいる▼政治資金規正法違反罪で強制起訴された「国民の生活が第一」の小沢一郎代表の控訴審判決で、東京高裁はきのう、一審より踏み込んだ明確な無罪判断を示した▼検察審査会に提出された捜査報告書は偽造だった。それが明らかになった時点で「勝負あり」だった。検察は認めようとしないが、今回の強制起訴は素人の審査会を欺き、有力政治家を政治的に葬り去ろうとした東京地検特捜部の「権力犯罪」だった疑いが濃厚である▼傲慢な検察の世直し意識を助長してきた責任の一端は、マスメディアの側にある。猛省しなければならない。(東京新聞、11月13日)

  判決翌日の朝刊各紙一面は小沢氏無罪の大きな見出しはなく、東京新聞の筆洗も出だしは芸能やメディアの話題から・・・紙面のあちこちにさりげなく小沢裁判関連記事をしのばせる構成となりましたが、それよりも私が注目安堵したのは一面下段の書籍広告が「私を死刑にして下さい」ではなく「自分は自分 人は人」という点にあったのは言うまでもありませんw 日刊ゲンダイ・週刊ポスト・東京新聞・テレビ朝日・サンデー毎日で内部外部からの猛烈な逆風にも関らず小沢潔白・検察批判を一貫して訴えてきた現場の皆さんはジャーナリストの鑑です、本当にお疲れさまでした。

  資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり政治資金規正法違反罪で強制起訴された、元民主党代表で新党「国民の生活が第一(生活)」の小沢一郎代表(70)の控訴審判決で、東京高裁(小川正持裁判長)は12日午前、無罪とした1審東京地裁判決を支持、検察官役の指定弁護士の控訴を棄却した。指定弁護士が最高裁に上告しなければ、小沢氏は1年半以上にわたる「刑事被告人」の立場から解放される。第3極の中で、孤立・埋没気味の小沢氏だが、形勢逆転のシナリオはあるのか。

  「無罪を信じていたので、当然だと思います。裁判で時間を割かれ、政治活動に制約がありました。新しい政治の枠組みをつくれるのは小沢代表だけと思っているので、無罪を機に全力で政治活動にあたっていただきたい」小沢氏側近として知られる、生活の岡本英子衆院議員は控訴審判決後、夕刊フジの取材にこう心境を語った。野田佳彦首相が先週末、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加を表明したうえで「年内解散」に踏み切る方向で調整に入ったことを受け、永田町が激震している。小沢氏は14日午後の党首討論で、自民党の安倍晋三総裁らとともに、野田首相に解散に向けた真意を問いただすが、控訴審判決を受け、次期衆院選に向けた戦略に変化はあるのか。

  これまで、小沢氏は「統治機構改革」を旗印に、中小政党が結集する「オリーブの木」構想を提唱。大阪市の橋下徹市長率いる「日本維新の会(維新)」や、渡辺喜美代表の「みんなの党」との連携を模索してきた。週刊朝日(11月9日号)に掲載されたインタビューでも、「小政党や地域政党が全体としてうまくまとまって国民の期待の受け皿となり、『政権を取れる』という格好にもっていかないとダメだと思います。期待が集まらない。だんだん、わかってくると思います」と語り、政権を担当する可能性がある連合体づくりに自信を示していた。

  政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は「小沢氏は『裁判』と『政治』を切り離して準備を進めてきており、これまでは小沢氏のスケジュール通り。今年8月には、中小政党で内閣不信任案を出した。ここで、みんなの党を巻き込めたことで、渡辺氏とはあうんの呼吸ができた。今後、クライマックスである橋下氏との連携交渉を本格化させるはずだ」と話した。しかし、橋下、渡辺両氏との連携協議を先行させている石原慎太郎前東京都知事は、政界屈指の「小沢嫌い」として知られ、辞任会見でも「小沢とは組まない」と明言している。維新内も、橋下氏以外の幹部は「非小沢」姿勢が強いとされる。

  政策面でも不安がある。中小政党は「消費税」や「原発」「TPP」などの主要政策で温度差があり、年内解散があれば、第3極連携が“時間切れ”に陥りかねない。ところが、小沢氏周辺は「問題はない」といい、こう解説した。「選挙になればすぐに連携の形ができあがる。『統治機構改革』が最大公約数で、次に『今の形の』消費税増税反対、エネルギー改革という言葉を使えばいい。石原、橋下、渡辺各氏は選挙協力をやったことがない。小沢氏には、自由党や民主党で選挙区調整をした経験がある。石原氏もリアリストなので『第3極連合選対本部長』的な立場で、小沢氏を活用しようとすることもあり得る」

  小沢氏の深謀遠慮を証明するものか、生活は8月に発表した「党の基本政策」から、TPPを巧妙に外して、「反原発」と「反増税」「地域主権の推進」という3本に絞っているのだ。「民主党に残った反TPP議員は小沢氏に近いため、党内には『TPP反対を入れるべき』という強い意見もあったが、小沢氏が外した。維新は『TPP賛成』であり、第3極連携を考えている」(小沢氏周辺)

  軍資金をめぐる観測も飛び交う。政党助成金(政党交付金)の金額は1月1日を基準にして決められる。来年元旦以後の解散ならば、生活は現有議席分(衆参51人)の政党助成金がもらえるが、野田首相が「年内解散」に踏み切れば、生活の議席数は大幅減が予測されているため相当不利になる。このため、ある自民党幹部は「小沢氏は衆院選先送りを狙うはず。かつての盟友・民主党の輿石東幹事長と組んで、野田首相を解散ではなく、内閣総辞職に追い込む。細野豪志政調会長を新首相に据えて仕切り直すつもりでは」と分析する。

  新首相と協力する可能性について、小沢氏は前出の週刊朝日で「ありえないですよ。消費増税もやめる、原発も10年でやめる、というのなら別でしょうが」と否定する。小沢氏に起死回生策はあるのか。政治評論家の浅川博忠氏は「小沢氏にバラ色の未来はない。妻からの離縁状で、女性票を中心に有権者の心は離れている。同期当選組(=民主党の渡部恒三最高顧問や、自民党の森喜朗元首相ら)も引退表明して、世代交代が進んでいるうえ、年内解散があれば生活の当選者は1ケタにとどまる。政界への影響力はゼロに等しくなるだろう」と話している。剛腕復活への道のりは険しいようだ。
(夕刊フジ、11月12日)

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時示郎

Author:時示郎
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