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余震と雑感~精神衛生を侵す精神世界

2012.03.30(18:40)

  交感神経と副交感神経という2つの自律神経は、意思とは関係なく自動的に働いて身体の環境を調整していますが、何らかの原因によってバランスを崩すことがあります。バランスを崩す最大の原因は、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況、いわゆるストレスです。私たちの大脳は、理性や知性を司る大脳皮質、本能的な欲求や感情を司る大脳辺縁系、さらにその下に自律神経の働きを調整し、交感神経と副交感神経のバランスを保つ視床下部があります。

  視床下部は大脳辺縁系の支配下にあるため、ストレスで大脳辺縁系に激しい感情が発生すると、視床下部の働きに影響します。一方、人間は本能や感情のままに行動するわけにはいかないので、それらを抑制するように大脳皮質が働き、それが大脳辺縁系にも影響し、最終的に視床下部にも影響してきます。このような脳の複雑な働きのなかで、自律神経のバランスが崩れて、さまざまな症状が現れることがあります。なお、「自律神経失調症」とは、「頭痛がする」「だるくてつらい」「動悸が激しい」などさまざまな症状があるのに、病院で検査をしても何も異常が見つからない場合につけられる“診断名”で、“病名”ではありません。
(日本医師会HPより抜粋)

  まずわれわれが宗教に何か求めるその動機とは、具体的なものであれ抽象的なものであれ、必ずしもその宗教が提示する教えや答えとは対応していない場合も多々あると思うのですが、今回は内面の苦悩=抑圧を解放すると考えて、自我と無意識の調整をするという線に絞ってみます。

  どのような宗教・ヒーリングでもよいのですが、まあ自分が考えている動機なのか、それともその背後に隠された遠因があるのかはともかく、われわれは自分の苦悩・抑圧から解放されたくて精神世界に接近します。するとそこで親切な歓迎を受け、納得と神秘の混在した話をされた挙句、「苦悩を解放するツール・方法」を伝授されるんですね。それぞれが一長一短でも結局本人が解放されてよかったと思えば、そしてそれが犯罪でなければ、自由社会ですから何でもよいと思うのです。

  ただ新興宗教に顕著に見られる例は、本来苦悩や抑圧を解放するための宗教が、それ自体大きな「苦悩と抑圧」そのものになってしまっている実情が問題なのです。呪縛を解放するために新たな呪縛をひとつ、ふたつ、と増やしているのです。この点にクリシュナムルティやバグワンは言及し、「努力(劣等から優性へのシフト意識・強迫観念)は不要」と説いたのではないでしょうか。ですから実効性の高い宗教やヒーリングは「潜在意識を軽くする(=因縁解脱・悪業浄化)」の作用があり、副作用が多いものは「潜在意識を重くする(=因縁・運気を悪くする)」と言い換えることができるのではないでしょうか。しかしどの宗教もすべて前者の作用があると当然、主張しているわけで、結果がどう出るかは体験してみないと不明なところがありますね。

  新興宗教は教義こそ複数の宗派を整合してまとめてありますが、実際には教団の拡張・社会的伸長を優先するあまり、会員信者に負担=抑圧を押し付けるようになってしまいます。引用に沿っていえば、交感神経優勢の人間(AタイプBタイプなんてありましたね)が、それを副交感神経にもバランス配慮をすべきところを、宗教を頑張りすぎてますます内面の苦悩が高まった、これは男性に多い例ですが、女性の場合は霊能・霊感に憧れ、多少の透視や念力を獲得したが社会性を喪失し、かえって孤立が深まったとか、宗教に嵌ったことで逆に宗教に入信した動機が拡大している事例が多々あると思います。お滝場なんかで修行に絶望して自殺した生真面目な亡者の例にとり憑かれたりする。まあいまが厳しければあとあと見返りがあるというのに真実はあるとは思うのですが、「現在の完全な手段化」というのも極端でリスキーな考えです。そういう人は他人も自分のためのただの手段でしかないわけです。商売は必要ですが、それがモラルの矩を大きく越えてしまうわけです。救済のためにサリンを撒く、卑劣・陰湿な集団リンチを継続するなどはこの範疇で、結局集団的ヒロイズムの陥穽に堕ち、そこからナショナリズム・ファシズムといった政治的な話になってくるのではないでしょうか。

  「抑圧を解放する」と謳いながらかえって抑圧を増やす宗教はどんなに教義や理念が美しく、もっともらしくても人間を幸福から遠ざけます。あえて消費増税を避けて書いたのに、そっちの方へ行っちゃった?w 退屈だからストレスやトラブルが欲しいんだ!という人もいますが、これは自己チューで迷惑な話です。
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シンプルな正論も通らない司法は、国民を欺く「犯罪者」

2012.03.26(23:11)

  文部科学副大臣になって、もちろん副大臣としての仕事は全力で頑張っております。自分の所管出ないものまで口を出して、毎日怒られているんですけれども、放射能の関係は私、外されてしまったので、無理矢理口を出して、給食の安全確保事業は始めさせていただきました。小沢先生の裁判については、私も黙っているわけではありません。副大臣室に最高裁、そして検察の皆さん、異例なことだというふうには思いますけれども、おいでいただいております。

  今、植草先生、非常にわかりやすく、大変専門的な、これまでの経緯というか、分析というか、ご報告をいただきました。いろいろあるんですけれども、すごくシンプルに、とてもおかしいと思うのは、捜査する側が、たとえば前田元検事のように、証拠を改竄する、何でもできるわけです。全く罪のない人を犯罪者に仕立てることができる。だから、ああいう形になって今、裁判になっているわけですし、そして、検察は、最高検は、大反省をして、2度とこういうことが起きないというふうに、反省したはずです。

  しかし、相変わらず、今度は捜査する検察官が捜査報告書を捏造した、これも何でもできるわけですよね。無実の人を罪にできる。すごくシンプルな問題で、これは、裁判は即刻止めるべきです。なぜ、こういうシンプルなことが、すぐさま実行されずに、あーでもない、こーでもない、というふうに言わなければいけないのか。極めて、私は不思議だと思いますし、私の副大臣室においでいただいた検察官、最高裁の担当者、皆さん判事さんです。若い優秀な判事さん。

  いろんな理屈を並べてくれるんですけれども、検察官が捜査報告書を捏造したり、調書を捏造したり、証拠を捏造したり、そんなものは裁判をやる価値がない。誰が聞いてもそうなるのに何故、そうならないのか。このシンプルな質問に、検察も、そして裁判所も答えるべきである、というふうに思っております。それから、国会議員もだらしがない。

  私はお陰様で「新政研」小沢先生を会長とする「新しい政策研究会」がスタートいたしました。毎週木曜日、定例の総会を行い、今、ホームページができましたので、皆様も見ていただけると思いますが、毎回、必ず小沢先生からその時々の政治情勢について、あるいは政策について、非常に明快な講義が15~20分くらいあり、そして、質疑応答があるという、大変、開かれた、そしてそれは録画配信なんでしょうか、ユーストリームでも見れると思うんですけれども、そういう「新政研」の会合をやっておりますけれども、ちょうど約1ヶ月くらいになると思います、私の方から発言を求めました。

  先ほど、ご説明がありましたように、昨年の12月15日の公判で田代検事の捜査報告書の捏造、これが発覚した、そして、その後20日には確か会計の専門家が、そもそも焦点になっておりました、起訴事実であった「期ズレ」の問題は、これは「会計の処理上正しい」と、「何の問題もない」と・・・当たり前のことで、これが問題があると言っていた検察や、これが問題があると言って大騒ぎをしていたマスコミがおかしいんであって、融資を受けること自体も、現金が例えば100万あって、100万のお買い物を現金で行なって現金をゼロにするっていうことは普段の生活でもしない。

  こんな当たり前のことをわざわざ裁判にその専門家を呼んで、説明を聴かなければわからない、検察とか、今指定弁護士ですけれども、それから裁判長ってのは一体どうしたんだと・・・。私は今、法科大学院どうするかと、司法試験どうするのか、法曹の要請に関するフォーラムのそのメンバーの一人です。文科省が担当しております。ですから、法務省、文科省、そして総務省、財務省ということで、あと専門家を交えてやってるんですが、こんなシンプルな当たり前のことを、わざわざ裁判開いてわかんないような人たちは、全部、その免許返していただきたい。

  ほんとは国会議員がダラシナイって話だったんですが・・・「新政研」の会合で私は、だから「この裁判は今すぐ止めるべきだ」と・・・。ほんとはもうね、「暴動」を起こさなければならない事態ではないんですか、皆さん。私は政務三役で、文部科学副大臣の仕事をしておりました、国会議員一人ひとりの力というのは、持っている権力というのは非常に大きいというふうに感じております。誰か新人であっても一人の国会議員が、問題意識を持ち、そして質問を通告してくる、役所を呼ぶ、あるいは質問主意書を出す。これはものすごく役所にとっては非常に大きなプレッシャーになります。

  で、この検察の問題、あるいは検察審査会の問題、小沢先生の裁判の問題、陸山会事件、石川さんの問題、これも、もっともっと一人でも二人でも多くの国会議員が問題提起をし、「おかしい」と言い続ければ、こんな話、とっくの昔に終わってた筈なんです。まあ、「みんなダラシナイんじゃないか」って、そんなふうには言いませんでしたけれども、とにかく、終わらせなきゃいけない事態なんだと、だから皆んなで声を上げようというふうに呼びかけました。

  お陰様で有志、私以外の人が動いてくれることが重要なんでして、有志の勉強会が始まり、あらためて2年前に検察審査会のくじ引きソフト、このくじ引きソフトのデモンストレーションをやってもらうところから私の闘いは始まるわけですけれども、勿論、西松事件がスタートした時点から始まってるわけですけれども、特に、このくじ引きソフトのデモンストレーションをやってもらって、「おかしい」というところから、もう一度皆さんに参加してもらってやっております。

  先週も最高裁から来てもらって、議員が結構大勢の方が参加していただいて、最高裁、そして業者によるデモンストレーションをやってもらいました。34.55歳、全く違う11人の平均年齢が34.55歳、2回も出る訳がないんですよ。そしてその6000万円かけたくじ引きソフトは全くデタラメで、やってもらいましたよ、100人の名簿なんですけれども、東京第5検察審査会100人。まあ、ダミーデータというものでやってもらっているわけですけれども、もともと100人あるわけですけれども、そこの「欠格条項?」をチェックして、そして「承認」とか、そういうところをクリックすれば、100人あった名簿が22人、11人。いくらでも減らすことができる。

  「最初から、この人たちを選びたいという人たちを残して、事実上、その名簿を削除することができる。そして、その証拠は残らない、という私の指摘が違うというならば、その証拠をデモでやって見せてくれ」というふうに言いました。デモンストレーションをみんなの前でやってもらいました。やっぱり、私の指摘したとおり、もっとも私は実験したわけですけれども専門家のお力をお借りして。

  やっぱり前に実験した通り、100人の名簿から「うるさそうだなこの人」、「人生の経験もあっていろいろ質問してくるんじゃないか、邪魔だな」とか、そういう人たちはあらかじめ削除をして、自分たちが決めたい、自分たちが審査員にしたい、審査員11人プラス審査補充員11人、合計22人を最初から勝手に選ぶことができて、しかもその証拠は残らない、とんでもないくじ引きソフトだということが、あらためて証明できました。
(森ゆう子議員、3月23日豊島公会堂、小沢裁判糾弾集会の講演より抜粋)

  万人が揃って小沢さんの擁護・味方をする必要はない。ただ司法の不正・逸脱だけは厳しく追及・糾弾せよ! 国会議員として当然の義務だろう。自民・共産他野党もそれができないのは、何か疚しい裏事情があると見做されても仕方がない。

司法と“過激派政権”による貸借の闇

2012.03.26(14:12)

  法務省が所管する社団法人「民事法情報センター」(東京都新宿区)が、理事長で元最高裁判事の香川保一氏(88)に無利子、無担保で1500万円を融資していたことが13日分かった。政府が23日から始める事業仕分け第2弾に向け、民主党の衆参当選1回生議員らが行った事前調査で明らかになった。1986年設立の同センターは、住所から不動産登記の「地番」が分かる地図帳「ブルーマップ」の発行などを行っている。

  関係者によると、貸し付けは昨年3月、理事会の審議を経ずに行われ、借用書には利息や返済の期限も明記されなかったという。また同じく昨年3月には理事長の報酬アップも決定。月50万円から100万円に引き上げられたが、これも貸し付けの実施とともに、同6月まで理事会に報告されていなかった。同センター幹部は読売新聞の取材に、融資について「当時、使用目的ははっきりとは聞いていなかった」と回答。香川氏は「1500万円は懸賞論文の費用に使った」と説明している。
(夕刊フジ、2010年4月13日)

  当時の千葉景子法相が周囲に相談の末、「民事法センター解散」という事で幕引きをはかったわけですね。下って6月、鳩山・小沢氏からバトンを託された菅首相は堂々と自信満々に、「小沢排除」「公約転向」を宣言するわけです。過激派政権と司法内部が国民不在の「なれ合い談合」をやっていたという疑惑。脱原発は大変結構ですが、それによって司法・官僚・政権執行部・マスコミ・宗教・一部の大企業ぐるみの捏造・偏向犯罪が許される筈もありません。菅さんに自民党員がハガキ投票をしていた、と報じるテレビ局が菅さんを応援するミステリーw 自称エリートたちにそこまでパワーがあったら、事件の全貌はもっと隠蔽されていた筈。国民や不遇を託っていた良識派(全員がそうだというでしょう、よくよく吟味が必要)による大鉄槌(法治国家として至極当然の汚職摘発・有罪確定)は驚愕衝撃も無用の、「必然の推移」です。白楽の姐さんも「小沢を支援する奴は命が無い!」と脅迫する愚連隊とつるんでいましたね。ゲンダイとポストは取り込んだようですが、「マスコミの力をバックにすればふざけた態度も正当化される!」という根性は明らかに腐っています。もう、終わりだよ。

余震と雑感~「バカ息子」から本尊性向を妄想する

2012.03.25(23:12)

  「新訳聖書」の「ルカの福音書(15)」に、「放蕩息子の喩え」が載っている。(「聖書」新改訳2001年7月第11刷。いのちのことば社)参照。要約すると、 「ある人に息子が2人あった。弟は『お父さん、私に財産の分け前を下さい』といった。父は、身代を2人に分けてやった。それから、幾日も経たないうちに、弟は遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たした後で、大飢饉がきた。彼は食べる物に困り果て、飢え死にしそうになった。父のところには、パンがあり余っている。こうして父のもとに行った。家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、可哀想に思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません』。ところが父親は下僕たちに言った。『急いで一番良い着物を持ってきて、この子に着せなさい。手に指輪もはめさせ、足に靴をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て料理して食べようではないか。』そして彼らは祝宴を始めた」。 この場合の父とは、「神」を意味し、放蕩息子は一般大衆を意味する。

  これに対し、「法華経信解品第4」の「長者窮子」の譬え話は、次のようなものである。「ある富裕な長者に1人の息子があった。父は財をなしたが、その息子は50年もの間、諸国を流浪し、知らぬまに、落ちぶれて故郷に戻って来る。息子の帰りを待ち望む父の家の前までくるが、彼にはそれが自分の実家であることさえわからない。かえって威徳ある父の姿を見て、恐れおののき、逃げ去ってしまう。しかし、父は息子に気づき、使いをやって彼を連れてこさせる。息子は恐怖に震えながら、引きずられ、ついに失神してしまう。父は事情を察して彼を自由にしてやり、息子は貧民窟へと戻る。長者は一計を案じ、息子を傭い人として次第に打ち解けて行く。父であることを打ち明けずに、こうして20年を経て、死期の近づいたことを知った長者は、親族の者たちを集め、彼が実の息子であり、財産をすべて譲ることを告げる」。この場合、長者は仏(ブッダ)を意味し、息子は衆生を意味している。仏は思慮深い父として、衆生を次第に自分の方に引き寄せ、最後に仏の世界に入ることを譬えたものである。この放蕩息子と、長者窮子の譬え話は、表現こそ違え内容は、そっくりである。古来から、どちらが先にできた話なのか、という論争がある。

  まず、「新約聖書」の「ルカの福音書」の執筆年代は西紀61年以前といわれている。カイザリヤで書いたとすれば57年か58年、ローマで書いたとすれば59年か60年である。(「新改訂」ルカの福音書、緒論)参照。一方、「信解品」が書かれたのは、紀元前1世紀頃という布施浩岳説がある。また、西紀40年頃という中村元説がある。布施説は、文献的な言語学の立場からの結論である。一方の中村説は、社会、経済史的な観点からの結論である。(「法華経」上。岩波文庫。429~438頁)参照。布施説に立てば、法華経の信解品の方が、「ルカの福音書」よりも、約100年早く書かれたことになる。中村説に立てば、両書ともに同時期に書かれたことになる。中村先生は、同時説の立場から、「慈悲が東と西とで、ほとんど同時に特に強調されるようになったのは興味深い符号である」と言っている。(「比較宗教から見た仏教」中村元著。東方出版。159頁)参照。この論争に際し、見逃せない「ルカの福音書」(2ー25~35)の記述がある。それと対象する意味で、最古の仏典といわれる「スッタニパ-タ」の中の「ナーラカ」を要約して紹介しよう。

  「予言者アシタ仙人は、須弥山に住んでいる神々が大喜びしながら歌い踊る幻を見た。その理由を聞くと、『無比の見事な宝であるボディーサットバ(菩薩)が諸人の利益安楽のために人間世界に生まれた。シャカ族の村に。ルンビニーの聚落に。だから我らは嬉しくなって非常に喜んでいるのです』と答えた。それからアシタはカピラ城に尋ねて行き、『王子はどこにいますか。わたしもまた会いたい』と頼んだ。アシタはこころ喜び、嬉しくなって、その児を抱きかかえた。『これは無上の方です。人間のうちで最上の人です』と声を挙げた。しかし、自分の行く末を思って涙を流した。シャカ族の人は心配してアシタに聞いた。『われらの王子に障りがあるのでしょうか』。アシタは答えた。『わたしは王子に不吉の相があるとは思っていない。彼に何の障りもないでしょう。この方は凡庸ではありません。よく注意してあげて下さい。この王子は最高のさとりに達するでしょう。この人は最上の清浄を見、多くの人々のためをはかり、憐れむが故に、法輪をまわすでしょう。この方の清らかな行いは、広く弘まるでしょう。ところが、この世におけるわたしの余命はいくばくもありません。(この方がさとりを開かれる前に)わたしは死んでしまうでしょう。だから、わたしは悩み、悲嘆し、苦しんでいるのです』。(「スッタニパータ」中村元訳。岩波文庫)参照。

  これに対し、「ルカの福音書」(2-22~34)には、似たような記述がある。「モーゼの律法による清めの期間が満ちたとき、両親は幼子(イエス・キリスト)を主にささげるためにエルサレムに連れて行った。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の習慣を守るために入ってきた。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。『主よ。今こそあなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です』。父と母は驚いた。また、シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです」。(「イエスは仏教徒だった?」エルマーグルーバー+ホルガー・ケルステン著。市川裕+小堀馨子監修。岩坂彰訳。同朋社発行。(角川書店発売)参照。このシメオンとアシタ仙人は酷似している。
(ブログ今週の法話、2006年12月26日より抜粋)

  阿含宗は真言宗三宝院流(醍醐派)の所作であり、星まつりの修験道は天台宗聖護院流(本山派)、神社は中山神社の宮司さんが出てくる、これはなかなか本格的なものでしょう。しかし仏舎利塔に観音真言+法華経で祈念するというのは明らかに日蓮宗を模したものであり、これにヨーガやチベット密教・神智学が加わってくるわけです。真如苑他一般伝統宗教でも、勤行経典に「舎利礼」が含まれていればその寺院は仏舎利を祀っている可能性が高いわけです。中野の宝仙寺、白楽の孝道山、名古屋の千種、皆仏舎利や宝塔を祀っている筈です。さらに弁才天(本場は広島)を“裏の顔”とする観音さまもいるようですぞ。戯言はさておき、阿含宗は見かけの所作とは裏腹に、日蓮宗の影響が濃い教団です。

  真如苑も阿含宗も大筋の教義には納得共感しますが、霊能の質に関しては疑問符が付きます。しかしそれはそれでそこに「本尊の言い分・言い訳」があると思うので、今回は阿含・真如・創価という代表的な3教団の本尊に対する卑見を述べてみたい。書籍は勿論、ネットでもズバリ本質を突いている投稿はなかなか見出しにくい。いつもの個人的な感想となる。

  まず基準となるのが創価学会である。この池田大作名誉会長というご仁も毀誉褒貶が激しく、何度も追及されたが大教団の権力を以て批判を揉み消してしまっている。戦後の混乱期、この創価学会を倣った真言系教団が真如苑と阿含宗だと思うのだ。まず表面では創価学会を批判しながら、内実では創価の「題目による救済」を取り込む。真乗開祖も桐山管長も出所の身だからなおさらだ。もちろんお2人とも真言・日蓮・浄土・禅についてはそれなりに研究が済んでいる。真如苑については「5時教判の取り込み」ということだ。第5期に「法華・涅槃」とある、この「涅槃」に着目して教義を作成した。涅槃経は天台智によって権威付けられているのであるから、必然的に真如苑は天台や法華に「依存」せざるを得ない。かくして醍醐・法華を止揚した「真如密」というわけだ。豊山とどこが違うのか、法華の位置づけはどうなのか、ただの立川流霊能(この点は後述)ではないのかというのは修行未熟で判らない。さらにパーリ語で三帰礼文も唱える。阿含宗も見せかけだけは真如苑に倣い、醍醐・聖護院(天台)、さらにパーリ語で阿含経も勉強するという“ポーズ”は見せている。しかし実際は創価並みの軽薄な現世利益と全体主義で現代人の不安の受け皿を目論んでいるようである。真如も阿含も法要は立派で本格的ですよ、何しろ醍醐寺や高野山、東南アジアの僧侶から直伝ですから。しかし今回はこれらの教団が「なぜそんな功徳の出し方をするのか」について愚考してみたい。

  まず建前として、創価学会への入信目的は「貧・病・争の克服」というわけだ。すなわち教団で拝めば収入が増え、健康になり、人間関係が円滑になるわけである。私も創価学会や阿含宗については批判的だが、概ねこの点はクリヤーできると思う。そうでなければここまで拡大しないからだ。阿含宗の本尊は創価学会本尊の「毒」を短期的強力に濃縮したものと私自身は考えている。阿含宗の本尊は、創価学会員から「奪功徳」する事が可能なのだw 凄いですね~ でも長期的には創価学会の規模に敵う筈もない。ここでいいたいのは引用した「バカ息子の喩え」、法華経や聖書でも貪欲なバカ息子に対し、「この世は宝の蔵だから、何でも好きなだけ、思う存分浪費していいんだよ」という教え、すなわち「無限の供給」理論である。

  先祖や本尊を拝み供養して、潜在意識に何らかの霊力を加え、潜在意識と自我意識との通りをよくするのであろう(結果的には低級アストラルパワー・世界ではあるが)。しかしこの修行によって本人の「苦悩」が多少なりとも軽減すれば、創価や阿含はその役割を立派に果したといえるのではないか(看板の謳い文句の欺瞞・虚偽については今回は一旦置いておく)。キリストも悪人に対して愛を施し、「あなたは許されています!」とか告げてしまう。社会的にこれはマズイのであるが、ここにどんな意義があるか。
  
  すなわち、古今東西世間に生きるわれわれは何かと「ダメ出し」をされる事が多い。従って潜在意識にフラストレーション(抑圧意識)が堆積するのである。で、潜在意識に届いた願望は現象・実現するのであるから、ある日突然成功体験の最中に、そうでなければ“怨霊”の力を借りて噴き出してくるのである。この「怨霊」という存在も社会的・自責的抑圧意識の賜物・産物であることは納得される方も多いであろう。

  だから、抑圧された願いも叶えてくれる創価や阿含の本尊は本人周囲の「怨霊」の願いも叶えてしまう事も多い。それによって怨霊の苦悩も軽減されるわけだから、本人にトラブルが生じても、教団の先達から「霊が成仏した!」といわれるのはそういう意味(苦悩が軽減された)ということであろう。

  さて、真如苑の本尊であるが、真乗開祖による「法華で救われなければ涅槃で救う、創価で救われなければ真如で救う」という旨の法話を思い出す。これはどういう意味か。これは「社会的には表に出せぬタブー・禁忌的な願望も真如苑は叶えるよ」と私は解釈する。伊藤一家の破廉恥騒ぎ、酒井法子さんの一連の騒動に奇怪さを感じた人も少なくないであろう。クスリ中毒とか淫らな三角関係のようにクスリ・SEXに「耽溺」する、これらはタブーの領域だからだ。そうした禁忌の領域に社会的好感度の高い普通の人間が手を染め、それが通ってしまったこの事実が非常に「奇異」な印象を残すのである。つまり普通では決して成就しない、意識の深層に抑圧された邪悪な願望すらも真如苑は叶える可能性があるということだ。そうすることで「苦悩が軽減したでしょう? スッキリ・サッパリしたでしょう?」と魔性の本尊が懇切丁寧に覆い被さっているような気がするのである。何でもかんでも叶わない伝統宗教のよさを見直してもいいかも知れない。

明らかにされた小沢裁判の「虚偽」~これでも有罪か?

2012.03.19(12:46)

  資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第16回公判が19日、東京地裁(大善文男裁判長)で開かれた。弁護側が最終弁論で「小沢被告には提供した4億円を隠す動機は存在しない」と述べ、改めて無罪を主張した。午後には小沢被告が最終意見陳述を行い、この日で結審する。検察官役の指定弁護士は「共謀は明らか」として禁錮3年を求刑しており、判決は4月26日を軸に調整されている。

  最終弁論で、弁護側はまず東京地検特捜部の捜査について「小沢被告がゼネコンから違法に金銭を受領しているとの妄想に基づき行われたもの」と批判し、改めてゼネコンからの金銭受領を否定した。その上で、土地購入資金の4億円の原資は「適法に所持している財産」と主張し、指定弁護士側は違法な資金であることを立証していないと強調。指定弁護士側が事件の動機として「巨額の資金を保有していることの表面化を避けるため」と指摘した点も、「小沢被告も秘書も4億円が明らかになることを阻止したいという意図は皆無だった」と退けた。

  また、指定弁護士側が論告で引用した暴力団事件での共謀共同正犯の最高裁判例も「あくまでも事例判断に過ぎない」と指摘し、指定弁護士側の主張は失当だとした。土地購入の支出を翌年の政治資金収支報告書にずらして計上した際、小沢被告が「ああ、そうか」と応じたという池田光智元私設秘書(34)=1審有罪、控訴中=の供述調書については、「小沢被告の発言は関心の低さを示しているとも受け取れる」と反論した。
(産経新聞、3月19日)

  「本件は、東京地検特捜部の『妄想』の残滓である」。資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり政治資金規正法違反罪に問われた民主党元代表、小沢一郎被告(69)について、19日に東京地裁で開かれた第16回公判。弁護側は最終弁論で、強制捜査を行った検察当局への批判を展開し、「妄想から始まった事件は実在しない」と、全面無罪を主張した。

  午前9時40分、東京・霞が関の裁判所合同庁舎に姿を現した検察官役の指定弁護士3人は、笑顔を見せるなどリラックスした様子。約5分後には、硬い表情の弘中惇一郎弁護士を先頭に弁護団9人が入庁した。10時前、法廷に現れた小沢被告は紺のスーツに薄紫のネクタイ姿で、法廷に向かって2度頭を下げると、被告人席に着席した。

  「本日は、弁護人から証拠調べの結果に基づいて意見を述べていただきます」。大善文男裁判長が促すと、弘中弁護士が書面を手に立ち上がり、最初に最終弁論の骨子を告げた。「事件の組み立てが不合理であること、指定弁護士の主張自体が失当であること、事実経過の要点…」そして始まった最終弁論で、弘中弁護士は「東京地検特捜部は、被告人に対し、ゼネコン等から違法な金を受け取ったのではないかという根拠のない『妄想』を抱いて、収賄の嫌疑をかけた」と指摘。「大規模な捜査を行ったものの、結局、嫌疑を裏付ける証拠を得ることができずに『敗北』した」と、厳しい言葉を続けた。

  さらに、検察審査会の議決によって強制起訴された今回の法廷は、こうした捜査の「残滓」であると表現し、こう断言した「検察官が想定した、ゼネコン等からの不正な金銭収受は存在せず、政治資金規正法違反事件が成立し得ないことは明らか。妄想から始まった事件は、最後まで実在しないのである」

  指定弁護士側は、「巨額の資金を所有していることが露見するのを避けようとした」ことが事件の背景と主張しているが、弘中弁護士は「その存在を秘匿したいのであれば、最初から4億円を(元秘書に)利用させなければよかったのであり、被告が4億円の存在を隠そうとしていなかったことは明らか」と反論した。その上で、「本件は『動機が分からない事件』ではなく、『動機が存在しない事件』なのである」と小括した。
(MSN産経ニュース、3月19日より抜粋)

  判決は4月26日、検事総長が交代したり、解散総選挙に絡んだ工作は充分想定内ですから有罪の可能性は皆無とはいえません。ただ一般国民にとって「検察が強制捜査の末、不起訴処分にした事」「検察審査会に提出された資料が、小沢氏有罪の方向に恣意的に偏向された内容であった事」この2点で充分ではないでしょうか。本当はこれらに加え、「第5」(醍醐寺や真如苑とは無関係w)検察審査会の公正な開催に関する疑惑、2010年9月14日の議決と民主党代表選との絡みが当然指摘されているわけですが・・・オセロ中島さんや小沢さんの裁判にも共通するのは、とにかくマスコミ・報道各社の悲願は「売れるネタが欲しい! なるべく騒動は続いて欲しい!」が本音の筈で、これは賛否の違いを問いません。社会が平穏無事ではマスコミはジリ貧ですから、「マッチ・ポンプ」ぎりぎりでもネタを取ってくる筈です。マスコミイコール一般市民ではなく、立場が違うのです。何とかフジテレビ杯で3連複とりましたw 大賞典は⑫からの流しと①②⑫の3連複だったので・・・馬単にすればよかったw デムーロもオルフェもハラハラ、魅せますね~! 井崎先生の“暴走”は見ないことにして(居酒屋の接客で敢えて目を合わせなかった理由がお解りでしょうか)w、夕刊フジと井崎先生、ありがとうございました!w

余震と雑感~怨霊を集めるパワーとは

2012.03.19(06:18)

  まあ内面的な変な話が続きますが、私は幼少の頃から霊的世界とか潜在意識に関しては影響度が高く、対して日常的な物事は普通の人ができる事も満足にできない、努力・能力不足という事もあるが、プラス何かがあるようにも感じていました。つまりボンクラで自我が薄く、よくも悪くも潜在意識に影響を受けやすい性質だということです。これを学校のテストに喩えてみましょうか。

  普通の人はテキストを反復暗記してその記憶量と応用で試験問題を解きます。私は意図せずに、出題する先生の潜在意識と繋がりやすかったと思うんです。「知識よりココロ」とかいうと聞こえはいいのですが・・・だから授業をぼーっと聞いていても何となくヤマが張れたり、相性のいい先生だったりすると点数が上がるわけです。怖かったのは解答が間違っているのにマルが付いてしまっていたりすることで、それはさすがに申し出て訂正して貰いました。ですからいわゆる「頭のいい」とは違うんですよ。「潜在意識が開き気味」なのだと思います。

  そういう自分が嫌で詰め込み勉強に憧れた時期もありましたが、それをやっても全く点数は取れないのです。結局テストとは出題者との合性ですから、心証を相手側とチューニングする作業の方が効率がよいわけです。話は飛びますが、現在は潜在意識への情報インプット以上・以前に潜在意識が備える慈悲・慈愛に対する畏敬・感謝の念の方が大切だと思っています。私自身自己本位・自助工夫・人間本来イロとカネ・差別意識ありみたいな人間なのですが、それが道徳的に悪いのではなく(私自身不道徳な人間です)、普段から感情的に「格差」「差別」を意識しているとそれが潜在意識に入力され、結果「運気が落ちる」と考えているわけです。だから「弱肉強食」を信じている人からは距離を置くわけです。NHKも呼吸法ブームに慢心してNGCばりのナレーション(弱者は強者の生命となるのが自然の摂理なのですw)を多用して、結局「受信料不払い」「海老沢会長辞任」という“功徳”を得たという事例をもうお忘れか? 動物霊・畜生霊のパワーはリスクを伴います。口ではいっていても本音で違う方もいらっしゃいますからね、ポイントは「本音の感情が潜在意識に入力される」イコール“運気”というのが卑見による妄想です。

  で、感情というものが凝縮されると「念」になり、単純にいうとイコール「霊」となります。仏教の修法では「供養」といってこの「霊」を説得し、陰陽道の修法ではこの「霊」を溶融・破砕するようなのです。結局元は人の「念」ですから。マインドコントロールや洗脳は、逆に他人の潜在意識に恣意的に「念」を植えつける作業といえるでしょう。

  この感情や念から成る霊は、「類は友を呼ぶ」の法則で集散します。ここでは前述の「因縁霊」と「宗教霊」を見てみましょう、つまり「因縁霊」とはその人個人の“心癖”を形成している先祖・前世由来の感情・念のパターン・傾向と言い換えてもよいかも知れません。その人が霊能者や宗教教団を探し求めるときには、その人内部の「パターン」すなわち「因縁霊」に応じた宗教・霊能者、または気功・ヒーリングなどのパワー、すなわち「宗教霊」を「引き寄せる」ということです。「マッチ・ポンプ」というのも忘れがちですが、まず我々はレッテルを貼る傾向が強いこと、次に我々はしばしば安定した幸福というものに倦怠・退屈を覚え、不安・劣等と安心・達成の交錯する「ドラマ」を望む気持ちの方が強いことから、中長期で見れば、延々と空騒ぎを続ける「願いが叶いそうで叶わない」「修行としてのトラブルが時々来襲する」“偽本尊”の方が興味を繋ぐ、つまり「宗教ビジネス」には適しているといえるかも知れません。

  阿含宗批判の項で「成仏法」と「怨霊を引き寄せる魔術」といいましたが、これが自分にとってよい宗教・悪い宗教を見分けるひとつの目安になると思います。私自身は誰がどの宗教を信じようが知ったことではありません。つまり自己修養のみで心性を浄化できる人は神社にも仏閣にも詣でる必要がないわけで、自分の心を自分の心で操作するなんて事は純粋には不可能です。だって顕在意識と潜在意識とは繋がっているんですから。それらの名称は便宜上のものであって実際にここまで・ここからという境界線があるわけではないでしょう。潜在意識の先端である顕在意識が潜在意識を「独裁操作」できますか?

  従って通常の正しいお祓いならば、その人の持つ長所・美徳が増徴・評価され、周囲が動くということになりますが、低級霊能だとその人の悪感情・トラウマが増幅・独り歩きを始めることになります。後者の事例が発生した場合、霊能者の先生からは「あなたのためを思っています、もっとお布施を積んで修行量を増やしなさい」と指示が出るでしょう、これは全くの嘘ではありません。霊能者でご自分を「神仏の化身」と喧伝され、心底そう思われている方は少なくありません。いくら善意の先生でもそのパワーが「短所増幅のパワー」であれば、本人は周囲の悪化というドツボに嵌り、その結果当の先生にますます「依存」することになるのです。これは霊能で透視する必要がないでしょう。単純にお祓い・厄除けをした結果、「自分に評価が集まってくるか」「悪口が集まってくるか」を素直に観れば、その「ご本尊」がグーかNGか判断できる筈です。本物のご本尊は疑惑を超越します。嫌な言い方ですが、まず疑ってかかった方が賢明でしょう。従って同一本尊の教団内にいい人・悪い人、自分の敵味方がいるという視点を私は採りません。そのご本尊が正か邪か、それが重要です。対して「ご利益を戴くには教団内での人間関係を調整すること」という考えの人たちは、教団内部で派閥抗争に明け暮れるわけでしょう。その過程では人倫に反することも正当化されるわけです。

  しかしくどいようですがこの正常な単純構造を保つのが現実社会の世相では非常に困難で、本人の自意識をまず先天的な悪感情とトラウマ、次に後天的な霊能パワーがびっしりと取り囲み、本人の意識内では「全部自分!」なのです。どんなに洗脳されていても、されている本人にとっては「ぜ~んぶ自分の意思で自分の考え!」なのです。それは間違いとはいえないので、横から他人が「いや、ここまでが本当のあなたの自意識で、ここからはマインドコントロールです」などと機器を覗いて診断したりはできません。「思考停止をやめて自立した行動を!」と提起しても「そのようにやっています」と切り返されてしまうでしょう。だから非人道的な洗脳や低級霊能による嫌がらせも合法的行為なのです。ただそれらを従順に呑み込んでいけば、どこかがおかしくなるのは必然といえるでしょう、まさにそれこそが「因縁霊+宗教霊」=「怨霊」の目的なのですから。嫌がらせをして愉しむ心は誰にでもありますよね。

余震と雑感~マスコミ時評いろいろ

2012.03.16(11:45)

  いや~、朝日朝刊は2日連続で巨人の契約金問題ですか・・・こういう類いは週刊誌のネタだと思っていましたが、ミタの恨みは深かった・・・ともかく攻撃心・突破力が大事ですぞ。さて、最近の夕刊フジが凄いです。2面に復活上杉隆さん登場、今月末で休業予定だったのに年末休業宣言から新たなコンセプトの“ミドルメディア”を引っさげて早くも復活、ここは腰を据えて既成権力を攻めねばなりません。先日の山岡俊介氏「徹底追及」も圧倒で、フジのコラム陣の斬り込みも鋭く深いものを感じます。貧困・ヤクザ・放浪のこまどり姉妹さんの半生記、下手な励まし、キレイな人生のススメよりも圧倒的な説得力があります。しかし先日の“すきま風”、さらにナンシー先生の似顔絵コラムと連打されたので職場でも思い出し笑いが止まりませんでした・・・さて誰のことでしょうw 田村秀男氏からのお声掛けにはまさに天上人・雲上人からのようでただただ合掌・感謝ものです。中瀬さんの占い師エピソードはとてもリアルで、事の本質を突いていると思います。中瀬さんも白川先生もオーラに満ちて貫禄充分です。さて堀尾さんで出ました板野友美さん・ともちんですが、私はオタクとよくいわれますが、オタクではありません。秋葉にも行きますが、AKBも聴いた事がありません。ドコモの応援割引、GKB48宣言!、そしてそしてイーモバイルLTEですよ! 上杉さんとマツコさんと板野さん3人で小比類巻かほるさんを競って真似ているような・・・何でよりによって板野さんも「5時に夢中!」のメンバーに挟まれなければならないのか、お仕事とはいえ、また私絡みのオファーでしたら大変申し訳ございません・・・それでもイーモバイルLTEのともちんは最高に美麗です! 他の写真でも敢えて笑顔をつくらず毅然・凛としたスタイル・佇まいでオジサン泣かせ、いや~シビレます、本当に美しい! イーモバイルも思わず欲しい!と思える強力新製品ラインナップが続々登場、これが日本の技術力と低価格、わかる人にはわかる通信の王者、イーモバイルですぞ。キリンの広告も笑って観ています、和民はサントリーなのにw サイゾー記事の書籍コメントにも思わず爆笑ですw・・・新製品のプレミアムモルツ、炭酸がきつくて美味しいですね。若狭先生も偽証罪に言及、松本零士先生の新作アニメも登場です。最後に今週の週刊新潮、先週の私による酷評に応えて見事に元に戻っていましたw でも告白すれば、私自身こういう週刊新潮のような考えで日常を過ごしている人間なので、いつもの週刊新潮は正直嫌いではありませんw ただそれでは実も蓋もないので夢のあるサンデー毎日や夕刊フジを買うのです。この2誌は保守的現実と革新の夢が両立していますからね。書き手が夢と現実を充分踏まえていますから。でも新宿の街をしかめっ面して歩くのなら片手にサンデー毎日よりも週刊新潮ですね、これ褒め言葉ですよ?w サンデー毎日今週は大学合格特集、キヨスクで月曜中に売り切れて火曜日新たに補充されました。先週分の内容が充実していましたね。書くと影響されるのでわざと言わなかったのです。「41年目の検証」読み始めました、溝口先生「準構」解説なんかいいんですよ、祝辞もやけに丁重語・・・祝・10周年の3月号オールスター豪華版、きっちり結果を出しました?

余震と雑感~論点整理

2012.03.15(11:32)

  通常国会で消費税増税についての論戦が本格化するなか、永田町と目と鼻の先にある日比谷公園前のビルでは、まったく別の緊張感高まる事態が起きていた。「昨年夏から半年近くもの長きにわたって、中日新聞グループに名古屋国税局と東京国税局を中心とした大規模な税務調査が入っています。そうした中で東京新聞(中日新聞東京本社)が税務調査に入っている国税官から資料分析のために一部屋要求されたため、一部の社員の間では、東京での“本格調査”が行われるのではと緊張が走ったようです」(同社関係者)

  複数の同社関係者によると、今回の国税当局の徹底調査ぶりは異常で、同社記者らが取材相手との「打ち合わせ」や「取材懇談」に使った飲食費を経費処理した領収書を大量に漁り、社員同士で飲み食いしていた事例がないかなどをしらみつぶしに調べているという。「実際に取材相手と飲食したのかどうか飲食店まで確認が及び、名古屋ではすでに社員同士で飲み食いしていた事例が見つかったようだ。一方で『これでは取材源の秘匿が危機にさらされる』と一部では問題視されてもいる」(同前)

  ここ数年、大手紙のほか、民放各局、出版社などが相次いで国税の税務調査を受けていることから、「たんに順番が回ってきただけ」と意に介さない向きもあるが、「中日新聞グループは、野田政権がおし進める消費税増税に対して反対の論陣をはる最右翼。今回の徹底調査の裏には、国税=財務省側の『牽制球』『嫌がらせ』の意図が透けて見える」との見方も出ている。事実、中日・東京新聞は「野田改造内閣が発足 増税前にやるべきこと」(1月14日)、「出先機関改革 実現なくして増税なし」(1月30日)などの見出しで社説を展開、「予算が足りず、消費税率を引き上げると言われても、死力を尽くした後でなければ、納得がいかない」などと強く主張し、新規の読者も増やしてきた。それが今回の国税側の“徹底攻撃”で、筆を曲げることにならないといいのだが。
(週刊現代3月17日号)

  先日の報道ステーションで古舘キャスターが、「原発に批判的な取材を掘り下げていくと、(番組を)切られるかも知れません」旨の発言をし、波紋を呼んでいます。通常このような発言は番組中にはタブーでしょうから、テレビのプロが敢えて投じた裏事情を察すると利権と隠蔽の闇の深さを痛感します。余りに日本の原発は脆い、実際はもうお手上げだという実情・ムードが海外各所に拡散すれば防衛的経済的にもそりゃまずいでしょうが、もんじゅの事故もかなり重篤だったということは広く世間の知るところです。報道管制を敷いても原発鎮災が進めば結構な話ですが、そのような排他的独善的態度が今回の大惨事の一端であるというのも衆目の一致した見解なのですが。

  さて、増税論議と小沢判決を控え、少し拙ブログでの論点をまとめておきます。まず発端は民主党・小沢一郎氏の2010年9月代表選における演説の一部、

  ・・・本来の日本人の精神力と知恵と力さえ持っていれば、このくらいの困難を克服するのは容易に可能だ。しかし、今日の日本社会を見るとあらゆる分野で、政界、官界、財界、一般社会においても、精神の荒廃、劣化が急速に進んでいる。規律、モラルという美徳がかけらもみられなくなった。・・・政治経済ともに困難な時にあたって、日本人自身が自立した人間(になって)、自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につけることが大事だ。

  この小沢さんによる演説は各地で大盛況で、民主党員であるなしを問わず、現状に不満を持つ多くの国民に共感を呼びました。期待をかけてバトンタッチした菅さんは「社民連・市川房枝先生・天下りの害悪・沖縄問題の解決」をあれほど訴えていたのに、辺野古容認、消費税増税、TPP推進で、「格差はあっても厚い福祉でクリーンな社会」、官僚機構と社会構造を不変のまま財政緊縮と高福祉、「景気の前に、まず増税」という国民負担増加路線を宣言したからです。9月14日、検察審査会が小沢氏に起訴相当の議決をまず設定し、審査会の出席実績を後付けした疑惑がもたれています。それから半年後、東日本大震災が発生し、福島原発が爆発したのです。それまで原発推進だった菅首相はこの事故を契機に左翼的な脱原発を旗印に掲げ、不信任案を突破して延命しました。

  で、私は自分の狭い経験も踏まえ、日本の政局にはまずアメリカの意向も根強いが、創価学会・真如苑・阿含宗などの新興宗教が、その強力な霊的洗脳=マインドコントロール(実際には若干違うもの)を以て政治家・官僚省庁・マスコミ(大企業はそれ自体で宗教教団並のオーラパワーを有するので除外)に喰い込んで、特定の政策・特定の方向に多数の有権者の意向を抜きにして誘導操作している、だからこそ社会の精神が荒廃し、あるべき成長すら望めないのでは?と「妄想」したわけです。ちょっと資料が足りないのでできないのですが、これから創価学会や真如苑の本尊とはどんなものか?という輪郭にだけでも迫れたら、と思っています。新興宗教の霊的洗脳が強い→政治・官僚・報道の「エリート層」にその霊的バイアスが「おちから」として浸透している→社会の正気が喪失し、健全な論点と成長が阻害される、この構図を①由緒正しい伝統宗教によるお祓いや、宗教法人適正活動調査などで新興宗教の「霊力による政治介入(単なる選挙応援や必勝祈願を越えた金権優遇措置)、違法・逸脱行為(悪質な嫌がらせ)の「特権的赦免」とその集団化・正当化、社会的混乱を誘導する霊的洗脳」これらを当局で封じ込める。宗教法人課税はこの一環です。②宗教の霊的パワーが抜けた政治・官僚・報道は本来の正気のエリートとして目が覚める。③現実的有効妥当な解決策で、社会に正気と健全な成長が復活する。これがボンクラによる妄想シナリオですが、オセロ中島さんの例でも顕著な通り、一口に「霊的洗脳の除染」といってもなかなか難しく、「情緒的な捏造勢力による狂気の論点」に対して「自明な論点の提示」を微力にやって行くしかありません。さらに山奥の坊主ではなく市井の商売人として生きる他ない大多数の我々にとって、「正気」と「魔性」のバランス配分をどうすべきなのか、人気ブログの諸先生方のご高見も頼りに探って行きたいと思います。

震災から1年、日本人の「教訓」

2012.03.11(11:19)

  「今、反原発の人が急に人気になっていますが、余りに間違った情報を伝えている。困ったものです」そういうのは「『反原発』の不都合な真実」(新潮社刊)を上梓した藤沢数希氏。欧米の研究機関で理論物理学の分野の博士号を取得後、現在は金融機関で経済分析やリスク管理を行なう異色の経歴の持ち主である。つまりはエネルギー産業とはなんら利害関係のない人物。「まず原子力は火力や水力よりも統計的に危険性が小さいということを知らなければなりません。これは自動車よりも飛行機の方がはるかに安全だということに似ています」「ドイツを代表する研究所が割り出したのですが、アメリカの9.11テロ事件後、飛行機を避けて自動車で移動した人たちが、最初の1年間だけで1595人も事故死している。飛行機に乗れば死なずに済んだ人たちで、1年間の交通事故の確率と飛行機テロの確率を比べれば計算できます」「人命という観点からいえば、原子力発電は化石燃料による発電よりも1000倍は安全といえます。この数字はプラント事故や採掘の危険性、大気汚染の犠牲者数から導き出したもので、勿論チェルノブイリの事故も計算に入れた結果です」(週刊新潮、3月15日震災1周年追悼号)

  日テレも協力する「殺小沢」の増税密談を国民新党と批判、長野は長生き、河村市長と南京市の対立煽る朝日新聞・・・小沢批判の急先鋒だった癖に時流に右顧左眄する「日本の保守」を自任する老舗雑誌の1年経った結論は、「1度位の爆発で躊躇せず、大局を観て原発を推進せよ」ということか? いやはや、被災地で共産党が躍進するわけですな。「今回の事故は運転運営に問題が多々あり、直ちに原発システムの否定を意味しない」位の日本語だったらボンクラにも理解できますが・・・安全運転と定期点検が大切、自動車リスクを過大視してはダメという理屈。週刊新潮と週刊ポストは福島産の食材を摂って現地の人を応援しよう、それが風評被害を減らす道。

  さて精神異常者の錯乱妄想ですが、①まず真如苑はIHIと関係がある②真如苑と日テレ、読売と財務省は繋がりがある③東京西部多摩の民主党議員は菅氏の傘下④阿含宗は自民党を応援していた、そして⑤創価は空海特集を認めない、密教美術に強いのは醍醐寺と真如苑ということです。柳沢先生の区域の美術館では密教美術をやったりするんですか?w しかし新潮の中間広告は危険でしょう。何か誌面全体的に・・・阿含宗広告なかったとはいえ、変なムードですw ゲンダイの新人O大女史・水軍の末裔(設楽りさ子)、彼女は大学院志望者の中でも特に教授陣から目を掛けられていた逸材です。マスコミならNHKか講談社でダンス関係の仕事を担当すればよかったのに・・・バイトの休憩時間に「週刊現代と日刊ゲンダイは凄いね! 記事が現実とリンクして読み応えがある」とか確か塩分控えめの奥さんに喋っただけでしょう。中瀬さんを見習って頑張って下さい。窓際事件簿の椿さん(今井美樹、酒を注ぎすぎて便所で吐かせた)に続いて俺がエリート才媛の人生を狂わせたんだ。五木先生が何かいったってそれを上手く収めるのが編集の仕事じゃないですか。この前もTBSで久保田さんがお天気の森田さんと変なこと口走ってるの見ましたけど、公共の電波を私物化しちゃダメなんだよ。「エリートがご自分の努力と才覚で世に出る」シンプルにこれでいいわけでしょう。俺をダシにする必要ないじゃないですか。ご自分の仕事で名前を売ればいいだけの話でしょう。変な提案はしなくていいんです。都会の片隅で静かにひっそりと暮らす、これじゃあ全然叶わないよ、もっと目標下げようかな・・・

グラマー~幻惑と錯覚

2012.03.10(12:46)

  「グラマー」はしばしば、善意ある熱誠家を騙し欺こうとする「闇の勢力」と呼ばれるものの奇異な試みと見なされてきた。多くの善良な人は、グラマーのある面に「直面」したとき、自分たちの訓練が闇の勢力が関心を抱くほどうまくいっており、グラマーの雲で覆い包むことによって自分たちの素晴らしい働きを妨げようとしていると感じて喜ぶ。事実からこれほど遠いものはない。このような考え自体が現在のグラマーの一部であり、人間のプライドと満足に起因するものである。

  「マーヤ」はしばしば、物質というものは存在しないという、クリスチャン・サイエンスの人々によって広められている概念と同じ性質のものと見なされている。世界の現象すべてをマーヤと見なし、その存在は死すべきマインドの間違い、一種の自己暗示や自己催眠でしかないと信じるよう求められる。これを信じることによって、私たちは可視のもの、客観的なものは人間の想像力に富んだマインドの作り事でしかないと認識するようなマインドの状態へと自身を強いる。これもまた同様にリアリティーの滑稽化である。

  「イリュージョン」もまた、かなり似たものと見なされるが、(私たちがそれを定義するとき)人間のマインドの有限性を強調する点で異なっている。現象の世界を否定しはしないが、私たちはマインドを、現象を誤って解釈するもの、ありのままに見ることを拒絶するものと見なす。私たちはこの誤った解釈こそが大いなるイリュージョンであると考える。

  「敷居の住人」は通常、人間の勇気を試す最終テストを提供するものと見なされ、巨大な想念形態のようなもの、もしくはイニシエーションを受ける前に消散すべき要素と見なされている。この想念形態が何かを知っている人はほとんどいない。しかし、彼らの定義は、聖なる門に続く道を塞ぐ巨大なエレメンタル形態、もしくは、弟子の真剣さをテストするためにその大師が時としてつくる作り物の形態というアイディアを含んでいる。それを自分自身の欠点の総和、つまり聖なる道を辿るのに相応しいと承認されるのを妨げる自分自身の邪悪な性質と見なす人もいる。しかし、これらの定義はどれもリアリティーに関する真のアイディアを与えてくれるものではない。
(アリス・ベイリー著「グラマー~幻惑と錯覚の克服」AABライブラリーより抜粋)

  「グラマー」「マーヤ」「イリュージョン」「敷居の住人」、これらは宗教や精神世界に本分や興味をおく人間が陥り易い「霊的な罠」のことなんですね。勿論本人の内面ではリアルな現実としての霊的フォースによる勝負=葛藤が実感されているわけですが、その勝負・葛藤状態は真理の理解度の深まりによって克服しなくてはならないものなのです。神智学では釈迦の教えも含まれますから、単純ですが仏教でこれらを見てみましょう。グラマーは絶対善VS絶対悪、マーヤは存在と虚無、イリュージョンは客観的真理と主観的錯誤、敷居の住人は未熟と洗練、このような「二極化」が実際に「ある」と思わせ、一方から反対の極への「努力・勝負」に嵌っている状態のことだと考えます。仏教の項で説明したように、この二極項はあくまでも観念上の産物にしか過ぎず、実際は「中道」であり、観念を離れた形而上的「空」の存在なわけですね。しかし世間では自分や他人にレッテルを貼るのが普通ですから、宗教をやるような生真面目な人ほどこの陥穽に嵌りやすく、精神的危機を伴う場合もあるということです。「二極化からのサバイバル」を連呼・演出する「格差社会」や「アセンション」というスローガンは、まさにこのような「精神的な罠」なのです。精神的な錯誤が実際に、集団的社会的に形成されてしまうわけですね。人間の精神は「価値」というものに「機械的に」非常に弱いものなのです。従って「価値」を求めて宗教に入ったら、外部よりも内面の「価値」を薄めていかねばならないのです。顕教から密教へ、というわけですね。

金環食

2012.03.10(11:24)

2008.8.1金環食 / 2008.5.12 四川省大地震 87,587人 M7.9
2006.9.22金環食 / 
2006.3.29金環食 / 2006.5.26 インドネシア地震 5,749人 M6.3
2005.10.3金環食 / 2005.10.8 パキスタン地震 86,000人 M7.6
2005.4.9金環食 / 2005.3.28 スマトラ島沖地震 1,313人 M8.6
         / 2004.12.26 スマトラ島沖大地震 227,898人 M9.1
         / 2003.12.26 イラン南東部バム地震 31,000人 M6.6
2003.5.31金環食 / 2003.5.21 アルジェリア北部地震 2,266人 M6.8
2002.12.4金環食 / 2002.3.25 ヒンズークシ山脈(アフガニスタン)地震 1,000人 M6.1
2002.6.11皆既日食 / 
2001.12.15金環食 / 
2001.6.21皆既日食 / 2001.1.26 グジャラート(インド)地震 20,085人 M7.6
          / 1999.9.20 台湾地震 2,400人 M7.6
1999.8.11皆既日食 / 1999.8.17 トルコ大地震 17,118人 M7.6
1999.2.16金環食 / 1999.1.25 コロンビア地震 1,185人 M6.1
1998.8.22皆既日食 / 1998.7.17 パプアニューギニア地震 2,183人 M7.0
          / 1998.5.30 アフガニスタン-タジキスタン地震 4,000人 M6.6
1998.2.27金環食 / 1998.2.4 ヒンズークシ山脈(アフガニスタン)地震 2,323人 M5.9
          / 1997.5.10 北イラン地震 1,567人 M7.3
1995.10.24金環食 / 
1995.4.30皆既日食 / 1995.5.27 22:03 サハリン地震 1,989人 M7.5
1994.11.3金環食 / 1995.1.17 兵庫県南部地震 6,434人 M6.9(一部修正)
1994.5.11皆既日食 / 
          / 1993.9.29 インド南西部地震 9,748人 M6.2
1992.6.30皆既日食 / 1992.12.12 フローレス島(インドネシア)地震 2,500人 M7.5
1992.1.5金環食 / 1991.10.19 北インド地震 2,000人 M7.0
1991.7.12皆既日食 / 1990.7.16 ルソン島(フィリピン)地震 1,621人 M7.7
1991.1.16金環食 / 
1990.7.22皆既日食 / 1990.6.20 西イラン地震 40,000~50,000人 M7.4
1988.9.11金環食 / 1988.12.7 アルメニア地震 25,000人 M6.8
1988.3.18金環食 / 1988.8.20 ネパール・インド地震 1,000人 M6.8
1987.9.23金環食 / 
1987.3.29金環食 / 1987.3.6 コロンビア・エクアドル地震 1,000人 M7.0
          / 1986.10.10 エルサルバドル地震 1,000人 M5.5
          / 1985.9.19 メキシコ地震 9,500人 M8.0
1984.11.23金環食 / 
  
  日蝕と被害地震の両者を並べると発生頻度に顕著な偏りがない。俯瞰すると日蝕のなかった2007、2000、1996、1993、1989年は相当する被害地震が発生していない。日蝕があって地震欄が空白なのは、おそらく千人に満たない被害地震の発生がある筈である。日蝕が無い年の大規模被害地震は一考の余地がある。日蝕と地震の相関関係があったとして一年以上先まで続くのだろうか。奇しくも1984年から2008年まで日蝕の発生数と当該被害地震発生数は同じなのである。
(占星術思いつきメモ、2009年1月26日より抜粋)

  「金環食」といえばサンデー毎日連載の石川達三氏による映画化小説が有名ですね。月が太陽をすっぽり覆い隠すのが皆既日食、周辺から太陽光リングが観えるのを金環日食というそうです。今年2012年の金環食は5月21日ということです。何も起きなければよいのですが、最低限の備えと心構えだけは準備しておきましょう。

余震と雑感~新時代の“ソヴィエト独裁者”

2012.03.05(14:35)

  まあ大学を退学したということで、左翼活動家かゲリラというレッテルを貼られたのかもしれませんが、私にしてみれば現行の既成権力の方が「ソヴィエトの独裁者」のようなもので、自爆は時間の問題だと思います。私自身元来ネガティブな人間であり、バブリーな日本社会とは合わないと自覚してはおりますので。2012年の3月11日も近づき、少しの地震でも「世界滅亡が来た!」と不謹慎にも笑ってしまいますw

  まず精神異常な妄想によれば、まず2011年の2月11日に阿含宗が星まつりで護摩祈祷をし、3月11日に大震災と原発事故が起こり、4月11日に統一地方選で自民党勢力が圧勝した。対して3月13日の名古屋市議選での減税日本第1党は、大震災続報のニュースでかき消され、ベタ記事扱いだったわけです。大阪W選挙の扱いと比べてどうですか? さらに3月11日当日、朝日新聞が菅首相の献金疑惑をスクープし、大震災措置で延命しました。奇しくも朝日ジャーナルで辺見庸氏が糖蜜桃の比喩を用いているのに戦慄しました。桃は福島の特産ですからね。これは震災前の寄稿ですから。まあ事故の背景は単純一元ではないわけで、いろいろありますね、と妄想しているわけです。夕刊フジの潮広告、船橋洋一氏と竹中平蔵氏の対談があるわけです。東京電力の株主のラインナップ、彼らは「潰してはいけない」存在なのでしょう。フツーの庶民派を強調する野田首相・谷垣総裁の密談の有無がここに被って来ます。

  毎日新聞やフジ産経Gのマークはどうみても「目ン玉」で、これがフリーメーソンのシンボルを想起させることには難くないわけです。で、3月1日付でグーグルがプライバシーポリシーを改正し、PCアクセスから読み取れる個人データ・行動傾向を関係団体と共有する、ということらしいんですね。グーグル・マイクロソフト・アップル・アマゾン・ヒューレットパッカード・アンドロイド等・・・本人の嗜好に合った広告・情報が自動的に、恣意的に送られる時代に突入したわけです。欧米のマスコミにはこうした動きをプライバシー・個人情報保護の観点から批判する動きもありますが、日本のマスコミは既成事実として全面賛成です。ネットユーザーのプライバシーはすべて筒抜け、対して「ソヴィエトの独裁者」に加担する者の悪質幼稚な陰謀は嘘に嘘を塗り重ね、どこまでも隠蔽されてゆく・・・

  ただこうした世界統一政府、ニューワールドオーダーなるものがある日突然瓦解する、というのが2010年代に突入した現代の「大予言」の骨子であるらしいのです。個人的にはどっちもどっちという感じがしますがね。TPPでも消費増税でも、民主党と自民党、このそれぞれの政党内部に反対論と賛成論があり、選挙公約と執行部対応を別にして使い分けているわけで、これほど有権者国民を愚弄した話もありません。私にいえることは、創価学会を非会員の人間が受容すれば腸閉塞になるのでは? 阿含宗を信じたら頓死することが多いのでは? 真如苑を信じたら奈落に突き落とされて気のない助ける素振をされた挙句、「やっぱりダメだった」と突き放されるのでは? と個人的に実感しているだけです。勿論他のご意見もあるでしょう。教学の概要からもこれはいえるのですが、長くなるのでまた。

余震と雑感~ドイツと市長、そして朝日

2012.03.01(17:40)

  ドイツのホルスト・ケーラー大統領は31日、ドイツ連邦軍の海外派兵をめぐる自身の発言が誤解を招いたとして、引責辞任した。戦後、同国大統領の任期途中の辞任は初めて。ケーラー氏は、ドイツのラジオとのインタビューで、同軍の海外派兵に関連して「ドイツ貿易の利益を守る上で賛成だ」と発言。これに対して、野党などから「経済のためなら、違憲の海外派兵も容認している発言」として、厳しい批判を受けていた。ドイツ大統領は、政治的な実権はほとんどない。条約の締結や連邦首相の任命などを行う象徴的な存在だが、国民に対する倫理、精神面での影響力は大きい。ケーラー氏は、国際通貨基金(IMF)専務理事などを歴任した経済の専門家。2004年に大統領に就任、昨年5月に再選された。(共同通信社、2010年5月31日)

  偶然ですがこの後6月に入ってすぐに、鳩山さんと小沢さんが沖縄問題の混迷・政治とカネの風聞の責任をとって辞めてしまうんですね。何故これを思い出したかといえば、自民党が先日改憲案を出しましたよね。するとそれと呼応するように解散総選挙は当分ない、意外と民主党政権はこのままずるずるともつのではないか、との憶測が流れ始めたからです。で、後任のウルフ大統領も先日、過去の疑惑で失脚しました。相対的にメルケル首相は安泰ということでしょうか。

  ドイツのウルフ大統領(52)は17日、北部ニーダーザクセン州首相時代に経済界から便宜供与を受けたとされる一連の疑惑を受け、辞任した。検察当局が本格的な捜査に乗り出したため責任を取った。ドイツでは大統領は政治的権限がほとんどなく、国民の精神的な支柱としての役割が求められる。メルケル首相はウルフ氏を大統領候補として強く支持、疑惑発覚後も一貫して擁護していたため政治的な打撃となるのは必至だ。ウルフ氏は17日の記者会見で「国民から幅広く信頼される大統領が必要だ」と辞任理由を説明。メルケル首相もその後に記者会見し、後任選出について野党の意向も尊重したいと述べた。

  検察当局は16日、連邦議会(下院)に対し、ウルフ氏が2007年に映画プロデューサーに高級ホテルの宿泊費を肩代わりしてもらったとされる疑惑を捜査するため、ウルフ氏の訴追免除の特権を無効とするよう求めた。同州政府は06年にプロデューサーの借入金を保証していた。前任大統領のケーラー氏も、ドイツ軍の海外派兵をめぐる問題発言の責任を取り任期途中で辞任している。ウルフ氏は03~10年にニーダーザクセン州首相を務め、10年7月に大統領に就任。州首相時代に徳島県との交流を進めた親日家として知られる。ウルフ氏をめぐっては、知人の実業家の妻から銀行で借りるよりも低い利率で融資を受けた疑惑なども次々と明らかになっていた。
(日刊スポーツ、2月18日)

  かわって名古屋の河村市長も大阪の橋下市長より連携するなら減税封印をと迫られ、南京発言で摩擦も起こっています。人気市長に関するこのような経緯は当然小沢さんとの連携や国政改革の方向にも影響を及ぼすでしょうから、当面は慎重に状況を観て、足元の市政改革をしっかりやっていただきたいと思います。やはり大まかでも、政策の方向性は似ていないと連携も難しいのではないでしょうか。減税日本は党名ですから、やはりその原点は大切にしていただきたいと思います。何よりも経済理論に合致しているのですから。野田さんと谷垣さんが密談手打ちしたのなら増税反対派も結集を図れないのでしょうか。参院選で国民は増税反対なんですよ。「減税で結集」のスローガンは実に的を射ています。週刊誌も同じですが、「だからこそ」狙われるんですよね。

  最後に元朝日新聞幹部の船橋洋一氏傘下の組織である原発の独立事故調査委員会・・・で思い出したのが朝日新聞・週刊朝日による菅首相への献金疑惑がスクープされた当日に大地震が起こったという経緯です。もうこれは精神異常者による錯乱妄想ですが、つまり朝日は菅首相の背後の支援団-それが国際勢力なのか新興宗教の霊なのかは全く不明ですが-そのトラの尾をぎゅっと踏んづけたのでははないかと思うのです。実は朝日自身そのことを充分に認識しており、テレ朝の改編や各方面への調整配慮を図っているようにも見えます。自分を守ってくれている大きな力に安心して身を委ねていたら、いつしか自分が溶けていた-こんな官僚・マスコミの体質を放置して庶民無視の増税などを強行すれば、社会・経済全体のメルトダウンは必至です。

2012年03月

  1. 余震と雑感~精神衛生を侵す精神世界(03/30)
  2. シンプルな正論も通らない司法は、国民を欺く「犯罪者」(03/26)
  3. 司法と“過激派政権”による貸借の闇(03/26)
  4. 余震と雑感~「バカ息子」から本尊性向を妄想する(03/25)
  5. 明らかにされた小沢裁判の「虚偽」~これでも有罪か?(03/19)
  6. 余震と雑感~怨霊を集めるパワーとは(03/19)
  7. 余震と雑感~マスコミ時評いろいろ(03/16)
  8. 余震と雑感~論点整理(03/15)
  9. 震災から1年、日本人の「教訓」(03/11)
  10. グラマー~幻惑と錯覚(03/10)
  11. 金環食(03/10)
  12. 余震と雑感~新時代の“ソヴィエト独裁者”(03/05)
  13. 余震と雑感~ドイツと市長、そして朝日(03/01)
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