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現代を斬る~時評と考察

世相を描いた文章と雑談から、政治と宗教の現実を読み解き、考察のヒントを探ります。

霊障~低級霊の論理破綻

  まあこれは阿含宗でよく聞くエピソードなのですが、霊能者が相談者に対して「私にはあなたの状況が見えている、この場合はこうすればよい」とアドバイスする。しかし実際は「その状況」というのが実際とは微妙に違っていて、後日再度同じ人に事情を打ち明ける。すると「ああ、そういう事情があったとは知らなかった、前回そうといってくれたらよいのに」なんていわれてしまう。さらに後日別の霊能者に助言を求めると、またまるっきり考え方の違うアドバイスをされる・・・以上はよくある話です。

  「私には霊能力があるからあなたの実情はよく見える」「ああ、そういう裏事情があるとは知らなかった」この2つは日本語として文脈が繋がっていません。完全に間抜けでしょう。でもインチキという括り方は思考停止に近い。インチキといえばインチキであるが、完全にウソではないのです。それは、

  親身な霊能者自身が、低級霊に洗脳され、騙されているケースがある

からです。この情報を抜かして日常社会の問題として言った言わないの争いをしてもその構造は見えません。宗教トラブルの場合、「霊の存在」を介入させて考えないと、辻褄が合いません。つまり霊能力のない人が霊能者を判断する際に、普通にいえることはその霊能者が論理破綻・論理矛盾を犯してないかという点に留意して話を聞いてみます。霊能者は人間的で親切で、あなたを騙す様子は、特に見当たりません。

  私が「5人程度の班でやりくりしているんだから、奉仕時間中に2人して数時間も喫茶店に行かないで」と頼んだとします。それに対して「あなた大学の授業さぼったことないの? 私たちのコーヒータイム位大目に見なさいよ」といわれたらどうでしょうか(これは例ですよ)。嫌がらせをしているのはどちら? 班長たる私が昔の授業を無遅刻無欠席していれば、まあ注意に説得力はあったかもしれませんが。ふまじめなのはどちらなのでしょう。

  低級霊が憑依した時の特徴は「(論理破綻した扇情的な)フレーズを強い口調で繰り返す」ということです。通常の悪口なら周囲から「やめなさい!」などの声もかかりますが、憑依霊現象の場合、制止どころか上司、果てはお巡りさんまで憑依霊の味方をしてそちらを正当化する場合もあります。あるいは結局巻き込まれてしまう(味方をしてくれる人物の異動とか、トラブルをうやむやにして「とにかく許してやりなよ」とか)。私自身も経験ありますよ。味方はなきにしもあらずですが、正気の声が極度にか細くなり、狂気の声の方が白昼堂々大音声でまかり通るのです。

  しかもその内容のおかしな声の方が正論を訴える声よりも強く、よく通るのです。コワイですね、しかしこれは日常でよくある風景です。勿論根本治療は被害者の因縁霊を先祖供養しなくてはならないのですが、実際に現象が起こってしまった場合、法律だけではなかなか解決に至らないケースは見えない世界なのですが(さらにむこうは「見えている」と宣言しているのです)、このように見立てをして難しいですが感情を治め、慎重かつ冷静に対処していくしかありません。普通ならこの表現で通じないなら言い方・アプローチを変えますよね? 熱狂的に同じフレーズを「繰り返す」人は要注意です。小沢さんの「政治とカネ」、「財政赤字」だから消費増税・・・これらは論理的かつ事実証拠に基いた内容の案件なのでしょうか?
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小汚くて、卑劣な連中がウザい

  まあ佐高先生がしつこいので、私も項を改めて書くことにしました。結局この先生はポスト国友先生の連載に関係している2人の女性編集者?を応援しているのでしょう。私はこの人脈がそのままジェントルマンにシフトしたという見立てを持っています。まず原発記事で週刊ポストがおかしくなり、次に紳助さん引退、さらに週刊現代のかい人21面相記事、これらすべてが余り理性的でない根拠の怪しい扇情的なものであり、さらに明らかに特定の人物を攻撃するものであること、あたかも「魔が入った」状況である、と私は感じました。自分たちの「商売」や「活動」のためなら、根拠のないウソで多くの人々が健康障害を生じても何も感じないのは、週刊ポスト、お前だろ。何度でもいいますよ。原発停止をヘッポコ呪いで遅らせてるのか? 小沢さんや上杉さんは免罪符や防波堤ではない。ジェントルマンなぞ「動機は充分作りましたから、あとは是非切れて犯罪を犯して下さい」という集団的な煽りとしか読めません。週刊ポストはこれから1日3食、すべて福島県産の食材を摂取すべし。そうやって応援しなきゃ嘘つきだ。そして1年おきに各自の健康状態のレポートを記事にして下さい。それが風評被害を減らす道。

  とにかく佐高先生が蒸し返したので書きますが、白楽の大沢あかねさんは阿含宗でわずか数人の班で修行中、休憩時間を大幅に超過して友人と喫茶店に行ってしまいました。その日の班長は私だったので、終了時に2人に注意した。それを周辺の職員が「さぼるのは当然だ」みたいな態度で私を潰しに出たのです、複数で。私は当時月収8万円状態だったので、宗教に力が入っていたんですね。でそれを職員が徹底的に「餓鬼道だ、傲慢だ」とこきおろしたわけです。不動金縛りの呪い九字を打ち込まれ、阿含宗に行けなくなったこともありました。

  実は白楽の大沢あかねさんは私よりも行歴が長い先達で、「えっ、それでそんなにひどいの!」何しろ半日奉仕で立ってはいられない、教学の話に興味がない状態で、それはいいのですがその事で自ら苛立ち、私を攻撃してくるのです。ちょっと変わった心理の持ち主ですね。私は警備員や居酒屋のバイトでクレーマーや酔っ払いには慣れていますから、相手の話を聞いてこの人は日本語が通じるかどうか判別するのです。彼女の場合は自我防衛欲求から猜疑心が強く、それが阿含宗からの洗脳を強固濃厚なものにしていると私は感じました。

  結局職員がニヤニヤ笑いながら「お前は餓鬼だ、傲慢だ」では教団で活動することはできませんから、辞めることになります。奉仕修行の配置も班長も教団職員が決めるものだからです。星まつりの雑用をする前は月給25万円前後だったのにいまや8万円ですから、正直会費も重荷でした。しかも奉仕に来るなとむこうからいうのですから、従わない義理はありません。逆らって続けてどうなるのでしょうか。

  結局嫌がらせだったのか、その後も彼女らしき人物が2ちゃんねる、考察日記と出没し、私は2ちゃんねるを追い出され(あそこの反対派は阿含宗のバイアスが非常に強い)、考察日記も閉鎖・休止の運びとなってしまって、不気味さが漂いました。著作権・・・ってあのブログ、長いですよ。さらに気になるのが、夕刊フジで石井館長の雰囲気が柔かいと感想を一言いったら過去の写真が出されたり、正月の週刊ポストを読んでいたら頭が真っ白になって電車にも乗れなくなってしまったり・・・数時間で元には戻りましたが、これは何だったのでせう。脅迫行為ではない? 相手はきっと度量の大きな人物に違いありませんw ちょっとカルトの腐臭がプンプンしますが・・・窓際太郎の本籍である国税局に大物がいるのでしょうか。結局「そういう人たち」は私に何を要求しているのか、考えると不気味です。メトロの蛍光灯交換のCMを観て考えました。電通にもいるのかなあ・・・まあ卑劣な個人攻撃が20年近く続いていることは確かなので、何とかしなくてはと思っています。私も自分の身体に油をかけて火を付けようとしたことがありますよ。とその時、本当に雨雲がわーっとやって来て大粒の雨が降り出し、焼身自殺は雨天中止となりました。ゲートキーパーが云々なんて広告していますが(あれも電通でしょ、AKBも辛そう)、生命力が強い人が自殺を図るものです。くれぐれもご用心を。勿論自殺はいけません。

  何で阿含宗に行ったかって、こういう状態になるからですよ! 「私の言動が雑誌やテレビ、映画に出て来る、これは精神病か霊的障害に違いないから何とかお祓いで治してくれ、これはきっと花園稲荷や創価学会の霊から祟られているに違いない! バイトも順調に行くと必ず何か襲って来ます」って10年以上前から神社仏閣は勿論、新興宗教・ヒーリングなどでずーっとお願いしているのです。でも現在治らないし、どこの先生も笑って相手にしてくれませんw 「あなたは精神がちょっとおかしい、供養と奉仕の修行をしなさい」で終りです。ただ某寺の故人の大僧正の方だけが「そういうこともある」とは仰ってはくれました。いまはブログで発信していますからまだしも・・・でも内容がナイヨウ、なのにちょっとこの拡散は異常だな! まあ私個人は全部ひっくるめて「魔性の龍神・荼吉尼天」などと捉えているのですが・・・マスコミの皆さん、もういい加減に止めましょうよ。

余震と雑感~マジメな人は、極端だ!

  ついに国家権力の中枢・財務省がなりふり構わず牙を剥き出しにした。2月17日、小沢一郎・民主党元代表の公判で東京地裁が検察の捜査報告書を不採用にした。直後、本誌取材班は財務省中枢の不穏な動きをキャッチした。「財務省上層部が東京国税局の資料調査課に、密かに小沢一郎・調査班を発足させるように指示を出した」という情報だ。

  資料調査課は通称「料調(リョウチョウ)」と呼ばれ、マルサ(査察部)と並んで税務調査に熟練した精鋭部隊。1件の調査に何十人もの調査官を集中的に投入して複雑な資金の流れを短期間で解明する能力を持ち、東京地検特捜部も汚職事件の捜査などで非公式に協力を求めることで知られる。

  小沢氏にかかわる事件で「料調」の名前が出るのは今回が初めてではない。2年前の1月、特捜部が小沢氏の事務所を強制捜査した際、押収した資料の分析に資料調査課が協力したとされる。その直後には、小沢夫人の実家にあたる新潟の中堅ゼネコン「福田組」が関東信越国税局の税務調査を受けて約5億円の申告漏れで追徴課税されていたことも発覚。検察と国税の連携プレーをうかがわせた。

  財務省にとって税務調査権を持つ国税庁は権力基盤を支える重要な「暴力装置」であり、これまでも政治家や企業、メディアに睨みを利かせてきた。「料調」が集めた有力政治家の資産、収入、関係会社の税務内容などの「極秘ファイル」は東京国税局の総務課に保管され、政局がこじれた時、財務省の政策に反対する政治家への恫喝や懐柔に利用されてきた-というのが日本の知られざる政界裏面史である。
(週刊ポスト、2月27日より抜粋)

  正月から何やらポストの紙面記事から不気味な不動真言が聞こえてくるんですけど・・聖護院? まあいいやw単なる空耳か妄想でしょう。いや~、権力中枢の腐敗ぶりが明らかにされればされるほど、敵もなりふり構わず反動ぶりを見せつけて来ますな。原発停止も遅らされてますし・・・官僚主導による無駄の排除から「ぶれてる・逃げてる・理屈だけ」でしょう。

  さてサンデー毎日、岩見さん連載700回おめでとうございます。情と安定感が両立している名コラムです。私は井崎先生も読んでいますが、いや~この前のトランセンドは本当にどうしたんでしょうか、まあ配当は大きくつきましたが・・・井崎先生も長年日曜の午後を飾る定番の顔、まさに継続は力なりです。土方記者はお嬢さまなのかも知れませんが、お名前が庶民的でよかったですね。貧乏くさくハンバーグなどといわず、ご自分のお給料で血の滴る高級レア肉をたっぷりと召し上がれ。マツコさん、周囲もそうでしたが人生の意味を考える中坊の方が私にはよほど異常でした。とにかく忙しかったので・・・単に成長が遅かったんですね。

  甘糟先生、強引にこじつけて悪いのですが、私、辻堂からちょっと行った所で滝行に挑戦したことがあります。参加者の皆さんは若い女性も含めて堂々とおやりになるのですが、私がやると、もうお笑い芸人の罰ゲーム、参道で観光客に指差されて笑われましたもんw それがきっかけとなって阿含宗に入ったのかなあ。結局伝統宗教の一般参詣客に戻ってからもち直したんですけどね。佐高先生を読んで感じたのは、高野山イコール貞潔・住友銀行イコール強欲の図式はちょっと単純なのではないかなあと思いますね。平和主義と軍拡競争もそうですが、現実的に我々はそのいずれかではなく、その「中点」を取らなければいけないと思うのです。宗教や大学を辞めなければよかった~、っと思ったことは金輪際一遍もありませんw

  橋下市長も前原政調会長も庶民出身でもの凄い努力をなされ、現在の地位を掴んだとは思います。でもその過程でアメリカや創価学会の勢いに乗じたことはなかったでしょうか。現在の日本の問題点は果してアメリカや創価学会の提示する文化への傾倒や、その浸透の不足に原因があるのでしょうか? 仮に日本社会の問題点がアメリカや創価学会への過度の依存によるエリートの堕落と腐敗にあるとすれば、それらの支持を受けてのし上がった人物がそれらの問題点を指摘して解決できるのか、それは自分の地位を脅かすことになりますから論理的にできる筈ないのです。

  万一小沢さんに有罪判決が出ても、ここまで拡散した検察不信・司法への不信はもう止めようがありません。また欧州危機も話し合いを続け、オバマも何とか踏ん張り、日銀も円安に誘導・・・とエリートがちょっと「まともな」仕事をすると面白くない連中がいるのではないでしょうか。私はノストラダムスの大予言が好きでしたから、シリア・イラン情勢が気になるんですよね。まあ昔から揉めてばかりなんでしょうけど。2012年も2ヶ月経ちますが、ちょっと「濃い」ですねー。世界滅亡というよりも、数十年分の歴史がこの1年に押し寄せたりして。まあいい方に進めばよいのですが・・・社会の抜本的改革は不可避です。

  サンデー毎日は実力派編集陣を揃えた割には発行部数の少ない分、自由気ままに書けるところがあると思うのです。これが現代やポストのような部数をノルマにしたらもう大変でしょう。F1レースのように激しい先行争いの末に大炎上ともなりかねません。力の抜けた分、遊びもあって質が高い。“老舗の暖簾”って初めからいっていますよね、大声の客引きも満席を大回転させる行為も不要なわけです。でも売れるときはドーンと売れる。こういう大人の余裕が本当は理想ですけどね。どこのマスコミでも社内事情は大同小異の筈ですから、私としては記事・識見の立場の違いよりもその筆者・編集部の人間を見る目~審神のセンスがあるかないか、洗脳に強いか弱いか(強いということはそれだけ精神バランスと倫理観が備わっている証だから)の方を重視します。時事評論の意見なんて立場によって違って当たり前ですからね。というわけで私が読むのはサンデー毎日と夕刊フジ。

余震と雑感~小沢裁判と朝日新聞の行方は不明

  資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐって政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎民主党元代表(69)の元秘書石川知裕衆院議員(38)を取り調べた検事が、実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記載した問題で、検察当局がこの検事と当時の上司らから報告書作成の経緯などについて事情を聴いたことが、検察関係者への取材で分かった。

  問題の報告書を作成したのは、元東京地検特捜部所属の田代政弘検事(45)=現在、新潟地検所属。この問題では、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が一月、虚偽有印公文書作成・同行使容疑などで田代検事を告発。東京地検刑事部が受理しており、検事への聴取は捜査の一環とみられる。捜査報告書の作成の指示や、報告書の内容について特捜部幹部の関与がなかったかを調べ、立件の可否を判断する。法務省も人事上の処分を検討する。

  田代検事は、小沢元代表を起訴相当とした検察審査会の一度目の議決後の2010年5月17日、保釈中の石川議員を取り調べた。その際のやりとりを問答形式で文書にし、同日付の捜査報告書を特捜部長に提出した。元代表の弁護団は昨年12月、田代検事の証人尋問で、石川議員が取り調べを隠し録音した記録を基に報告書との違いを追及。報告書では、石川議員が元代表に政治資金収支報告書への虚偽記入を報告し、了承を得たと認めた理由を「検事から議員なのにウソをついてはいけないと言われたのが効いた」と述べたと記載されていたが、実際にはこのやりとりがなかった。検事は「逮捕中に石川議員が話したことと記憶が混同した。虚偽ではない」と弁明した。

  だが、元代表の公判で東京地裁(大善文男裁判長)は17日、石川議員らの供述調書を証拠として採用しないと決めた際、報告書について「田代検事が記憶が混同したとの説明は信用できない」とし、違法な取り調べがあったと認定。弁護団は「虚偽の報告書を基にした検察審査会の起訴議決は無効」と公訴棄却を求めている。
(東京新聞、2月24日)

  東京新聞の最近の広告、パンダの記事を手にするふっくらとした吉瀬美智子さんのかわいい笑顔の美しさにぼーっと見とれているボンクラを尻目に、事態は急展開の様相を呈しています。ただ、明白な違法行為を市民団体が告発しその案件を検察が捜査する、これは仰天事件でも何でもなく、法治国家として当たり前の流れであり、この流れが違法行為の正当化や隠蔽に繋がっていたこれまでの経緯の方がよほど異常だったといえるでしょう。ただしマスコミが利権ほしさから揃ってその異常性を追認していた、ただそれだけの話です。笠間検事総長は3月末までということで、ここで現場が奮起したのでしょうか? その後任に検察改革を反動させる人事を行なえば、目眩ましのパフォーマンスと意外な裁定で既得権益と手打ちをするかも知れません。小沢さんの罰金100万円有罪説もあります。背後の闇深い小沢裁判の行方はまだまだ予断を許しません。

  さて、金曜付の朝日新聞読みました。真如苑やら宗男さんやら石川議員の顔も浮ぶ天声人語、そしてオピニオン欄の明快直入な小沢氏インタビュー、池上さんの読売批判、ついでにルミネの広告コピー…全頁に渡ってまともだった朝日新聞、社内に意見の相違があり、実力派の若手編集員が台頭していると仮定しても、舟橋洋一・若宮啓文・星浩ら並み居る幹部各氏の権威圧力をどうやって通したのか? これは手の込んだ小沢潰しの一環なのではないか?などといろいろ考えてしまいましたが、とにかくスッキリ読めた紙面でした。エリートの考え・やることは不勉強な落第生にはとても理解できませんw 余計ですが先日の必殺SPのOPナレーションは市原悦子さんだったんですね。正月にも家政婦の特番を放送していました。ミタの人気が高かっただけに、日テレはテレ朝の恨みを買ったようですw うらごろしの市原さんの殺し技を考えると…コワッw

  まあ朝日の小沢記事も本来であれば、小沢氏への贈収賄疑惑とともに検察捜査の杜撰さ・無理筋度や小沢氏本人・周辺議員らのコメントも記事にしていかなくてはならないのが報道の常道であり、それが感情的集団的な恣意的偏向主張一色で埋まっていたこれまでが異常な暗黒時代だったわけです。朝日グループの幹部も時代の趨勢と報道の本道を鑑みてすばやく過ちを改めて軌道修正しないと、有能な人材がどんどん流出して新聞界・マスコミ再編の波に埋もれていってしまうのではないでせうか? そこまで心配をする義理もありませんがw

  真言宗にも大きな関与を誇る真如苑は芸能界・マスコミでも評判がよく、その血脈を保障する醍醐寺は仏教美術展にも力を入れています。醍醐寺や真如苑は仏教美術に強い、これはとてもいいことですね。島田陽子さんって元真如苑でしたっけ? 犬神家新作で後を継いだのはミタの女優さんですね。創価学会の池田大作会長の健康度を国民全体が案じています。もしご健在ならば、早く一般公衆の前にお元気な姿を見せてもらいたいものですね。阿含宗の星まつりに大金を供養して拝んだ個人・団体の皆さんは、成仏法で先祖が霊的に清まって、運気が強くなったでしょうか? もしそうでなかったらお布施が足りないということです。NHKの大越アナは実力派だから降板しても大丈夫…次は「趣味の園芸」メインキャスターでどうですか?

パワーと精神の安定

  「偏差」について: 偏差の語句の意味は、「正常からのずれ」。

  偏差とは、気功の錬功による身体に異常を感じる事です。体のふるえが止まらなくなったり、ひどいときは精神異常をおこすという。馬済人先生は、偏差を4つに大別しています。(多くの本で見ます)


  <内気不正> 錬功中に現れる熱感のような感覚が体のどこかにひっかかったり、あるいは動きが止まらなくなくなるような感覚。

  <外動不己> 身体が揺れて動いてとまらなくなる。

  <走 火> 火とは火加減のことで、陰陽のバランスがくずれて、陽が異常に盛んになった状態。胸腹部の締め付けるような感じや、激しい頭痛、ひどいときは精神錯乱になることもある。

  <入 魔> 錬功中に現れる幻覚、幻聴。

  これらの偏差の原因には、つぎのことがかかわっていると思われます。

  1.気功によって早く健康を取り戻そうとか、何か特別な能力を身につけようとばかりに、功をあせること。

  2.経絡や気についての正しい知識を欠き、間違ったイメージを追及すること。たとえば気感(体内の気の動き)だけを金科玉条と考え、これに執着すること。

  3.間違った呼吸法を矯正せずにつづけること。

  いずれにしても、気功の本質を理解していないことが原因で、このようなことを防ぐためにも、気功の本質を理解しているよい指導者につくことが必要です。
(癒しの高次元気功ブログより抜粋)

  非常に粗いくくりで申し訳ないのですが、この気功の“偏差”という体感現象は、オーラの感度が非常に敏感になることによって、ほんの些細な事やあるいはただの幻想に過ぎないことが本人の内面では重大かつリアルに捉えられる事象なんですね。まず先日の朝日新聞の松坂慶子さんが寅さん作品のマドンナ時代を回顧して「運・鈍・根」の大切さをお話されていました。内容は全くその通りなのですが、これを実行するにあたっては、そう易々とは行きません。何故なら、松坂さんは大女優としての豊かで強いオーラを身に纏っているからです。その大きなオーラの中で、女優として敏感で鋭く深いセンスで脚本を読み、設定を考え、監督に応えて行くわけです。そういった繊細な神経を使う仕事と「運・鈍・根」の両立、これは非常に絶妙な精神のバランシングを必要とするということです。運・鈍・根とは「タフネス」と言い換えてもよいかも知れません。日本を代表する女優さんの境地が垣間見えるコメントだと思います。松坂慶子さんも出演されている劇場版「必殺Ⅲ・裏か表か」DVDもおススメですw

  気功と宗教は違いますが、オセロ中島さんの様態が現在マスコミを賑させています。宙を見ているということは何か瞑想でもしているのでしょうか。一般にいえることは、失恋か何かで精神がひどくぐっと落ち込むと、普段は抑圧していた当人の苦悩やトラウマが意識の表面に吹き出す事があります。彼女の場合はその苦悩やトラウマが、件の霊能師のパワーと結びついたのではないでしょうか。これが前述した因縁霊と宗教霊という組み合わせです。普通なら感情悪化が過ぎ去れば終りですが、この場合は因縁を増幅する宗教霊が悪感情を固着させてしまいます。本人の意識とは別に因縁霊や宗教霊は「生きて」おり、結合増殖して人間の意識の主導権を握ろうとするんですね。中島さんは勿論、霊能師に必ずしも悪気があるとは言い切れないと思います。創価学会でもどこでも、会員がトラブルや逆境に陥った時には「いまこそ信心が試されている! 拝め・施せ・導け!」とかいって読経の時間を長くして、お布施を高額に支払い、他人に布教・勧誘をしてこいと進言されるのではないでしょうか。中島さんも「もっと修行が進めばトラブルが去る」のか、「修行をやめればトラブルも終る」のか、どちらでしょうか。ご本人の意志も尊重したいですが、意識の深部まで変調が入ると復帰にもそれなりの時間がかかります。

  最後に野田総理。千葉の街頭でのシロアリ演説。この頃は信望厚い民主党の有力議員でした。代って総理時代の国会答弁。内閣総理大臣のオーラが全身に満ち満ちています。明らかに街頭演説時代と違うんですよ、オーラが。それで思うのが普通なんですね、「この総理のパワーを以てすれば何事も強行突破できるぞ」と。菅さんもそうでしょう。私は気功も宗教も興味があるだけの一般素人ですが、パワーを身に付けたら普通と同じ精神状態ではダメなんです。私が「既知・未知の優・劣に左右されない」とか訳の分からない事を口走っているのも素人なりにこの精神バランスを取ろうとしているわけです。野田総理は比較的安定感がありますが、パワーを手にした途端に国民との約束を忘れてしまっては困ります。代表選では公約にしたかも知れませんが、有権者は街頭演説の内容で野田総理に投票しているわけです。パワーを身に付けてぶれないこと、これは口で言うほど易しくはありません。パワーに平常心が乗っ取られてしまうのが普通なのです。私自身、それで失敗ばかりですね。

余震と雑感~必殺仕事人をミタ!

  まあ「必殺仕事人2012」にいたく感動し、朝日紙面にも目を通したのであるが、ちょっと図々しさのついでに、主観的な私の視点をお話させていただきたい。まずイタリア映画にしてもニーノ・ロータ音楽の映画にしても、生命力や富裕度の格差、貧しい庶民の生命のきらめきや富裕層の退廃を描いているとボンクラ夢遊状態な私は20年前にかなり漠然と考えていたわけで、特にそんなに映画や演劇に詳しかったわけではない。勿論必殺も普通以下、というのも実家の両親が中学生になるまで敢えて必殺や左翼思想を遠ざけていたようだ。「暗い話や哀しいドラマは観ちゃダメ! 日本赤軍の過激派になっちゃうからw」というのが父母の口癖であったのだ。だから「必殺仕事人」というタイトルが果して何を意味するのか、これはドラマなのかバラエティーなのか、現代劇なのか時代劇なのか、ボンクラな私は中学生になるまで知らなかったわけでw 後輩に聞いたら「ボクは幼稚園の頃からお爺ちゃん・お婆ちゃんと家族揃って観ています、毎週女郎が舌を噛み切る番組ですよね」と笑顔で答えるではないか、エエーっ、そんなに有名な国民的番組なの! それから毎週金曜ヨル10時、「時代劇は、必殺です。」が私の合言葉になったわけです。

  で、ボンクラがマグレ(と多分男子優遇)で有名大学に入学したわけですが、当然一般教養から先生はその「南北格差」庶民と貴族をテーマにした文学を扱います、歴史の授業で。しかし偶々出た授業で(私はサボリでしたから)その講義中にお嬢さま連中がお喋りをぺちゃくちゃ始めてかき回してしまうのです。で、面白くてためになる授業を心掛けていた新進気鋭の男の助教授先生も流石に“学級崩壊”にキレてしまったわけです。浪人オジサンの私も苦笑と同情を禁じ得ませんでしたが、同時に「これはおかしいなー」という違和感も生じました。何故なら、彼女たちは(男は40人クラスに10人いないんです、いいでしょうw)私などと違ってはるかに真面目で潔癖な努力家、しかもリベラルで寛容で理解ある性格であることを普段から実感していたからです。つまり授業中にお喋りするタイプではなく、そこに集団的な「ある種の意図」、それも強烈なものを感じたわけです。ここで言いたいことは「ふざけた金持ちのお嬢さまがまじめな庶民出身者を差別し、苛める」単純な図式ではなかった、ということです。彼女たちは真面目であり、私は完全にふざけていたわけです、どうみても。加えて本当のお嬢さまというものは、貧乏庶民な私に対して差別したりしないんですよね。皆さん語学・文法・文化・芸術・理数の講義ならきちんと静かに聴いている。しかし社会的な、特に格差問題に関しては大学の講義すらも認めない!そこは彼女たちにとってはタブーの領域であるようなのです。

  勿論女同士では激しい確執・庶民いじめがあったようで、最上川の上流と下流でドンパチ戦争もあったようですがw私は狼狽するだけでした。でもやはり強調したいのは、収入格差よりも「おいしいところをかすめるか」「唯々諾々と働くか」の二者択一の生き方による“人種差別”なんですよね。従ってふざけた私が認知優遇されることもあれば、親切生真面目なお嬢さまが孤立冷遇される場合も生じるわけです。私が新興宗教本尊の性向を探るのはその点にあります。単純に金持ちVS貧乏人の図式ではなく、「周囲の波に乗ってうまくやる」「他人を思いやる・地道にやる」の間で個人が仕分けされるわけです。だから金持ち・貧乏人ではないんですね。まず虚弱な私が新聞配達に疲れてぼーっと座っていると背後からいきなり、「あなた、官僚を改革しようとしてるでしょ! お父さんを苛めないで!」とか叫んでくるのですw 社会の改革も何も、卒業できるか就職できるかすら怪しいのに、そんな高尚なことまでボンクラ頭が考えているわけありません。目を白黒させながら「でも気持悪いなー」と思いました。続いて「あの人は通帳の金額を何度も確認するのが趣味なのよ!」とか言われるわけです。自慢じゃないが通帳にカネなんかありませんw 世間知らずなのでそれが何を意味しているのか、よく解らないわけです。両親が中卒の労働者家庭出身の私に、留学経験のある官僚(ご両親とも高級官僚なんですよ)の子女、大企業の部長職以上の子息、庶民らしくて個人経営者、つまり社長の娘さんですから、英語ができないよりも何も、「やべっ、こりゃあ日本語(会話の前提概念となる富裕層なら当然の常識)が通じねえ!」と真っ青になりました。こりゃあ学校や予備校では教えてくれない、自分で問題意識を持ってたくさん本を読んだりしなくては無理だ、と。その問題意識すらボンクラだから持っていないわけです。ただ流されるまま部活と勉強を中途半端にこなしてきただけだった。さらに合格の疲れが出て、頭が真っ白になってきて予習も頭に入らない。「ハハハ、女やエロいことばっかり考えているからだ」と自覚はしていましたが、半分精神病の周辺をさ迷っていたのでしょうか、「破瓜型」「境界例」「精神病患者は精神病の理解が深い」という本を読んでゾッとしました。病院へ入ったら一生終りだと直観したんですね。実際には中途半端な気功で意識層が拡大し、憑霊体質になっていたのでしょうが、当時の私は宗教は勿論、霊なんて全く信じていませんでした。バブル崩壊後の世相に自身の合わせ方を全く見出せず途方に暮れて、ボンクラな方向に逃げていたのだと思います。勿論創価や真如の洗脳攻撃もあったかも知れませんが、まず私の電波の方が異常でした。

  話が飛びますが、まずお嬢さまのスタンスは苛めとは対極にあるわけです。ドン引き当然の汚い私に対して、彼女たちが有言無言にとった態度は「私はあなたのことが大好き、お友達になりましょう。一生懸命働いて、それは尊敬しています。だから、官僚や大企業の富裕層を批判して、世の中の矛盾を追及するのはお願いだからやめてほしいの。あなたが努力してその仲間入りをすればいいだけの話でしょう。大学に来るのが辛ければ、テスト対策のノートでも何でも貸してあげるから。」もうこれ以上の親切・いいお話があるでしょうか? ここまでされたら、南北問題・庶民と貴族、マフィア犯罪を生む社会的背景なんて口に出せる雰囲気じゃないわけですよ! 大学の環境・カリキュラムとしてはちゃんとその辺は抑えて扱えるわけです、文系ですから。でもそんな人が1人や2人じゃないのです。「生の意味を考える」ってパンフレットに書いてある通り、そのまま言う私も私ですが皮肉かつ上品に「ふふふふ…」と不穏な笑いが巻き起こるわけです。ああ、彼女たち(の親御さんの社会的地位)は大学教授などよりもずっと偉いんだ、と思いました。もう彼女たちはそれまでに世間からいわれなき冷遇差別や有形無形の迫害も受けており、若いながらそこに対する防衛意識が確立されていたのです。だから自分が大学で何かを考える前に、友情と引き換えにやんわりと釘を刺されたわけです。実際はどうあれ、私はそのように取りました。想定外の合格で疲労が出てきた私は彼女たちの心遣いと“無言の抑制”にただ呆然と脱力するのみでした。恨みどころかとても攻撃なんぞできません。拒絶され孤独になれば逆に自分なりの信念も強化されますが、周囲に厚意的に受容してもらった私は、自分の価値観や志向性が間違っていたのではないか?と迷いが深まりました。

  気功はかじってみたけれど、彼女たちは親御さんの高級官僚のオーラ、大企業のオーラを当然の如く身に付けていたのです。潜在意識開発などする必要もなく、願いはその場で叶うのが当たり前でした。「だめだこりゃ」と諦めの早い私は思いました。町田のaikoさんが「私のお父さんは北米の局長なの」という。ああ海外の一支局長ね、と流してしまった私は日本語理解力がなかったのです。放送局でも省庁でも、アメリカをトップにヨーロッパ・中国、アジア・中東・アフリカ…と「出世の序列」が決まっており、彼女のお父さまはその省庁のトップエリートであり、出世頭であらせられたわけで、返事としては「ああ、そう」ではダメで、「ホント? スゴ~イ!」でなくてはいけなかったわけです。それに大学を辞めてから気付いて後悔しても遅いわけで、やっぱりそんな私に大学に通う資格・資質はちょっとなかったようですね。

  逆にそんなボンクラにここまでしていただいて、身分不相応、過分を通り越して感謝の気持ちでいっぱいです。正直どっかで電波が通じちゃうんですよね。四国の今井美樹さんも千葉の「ウソつき!」の先生もできればここらで一区切りつけて、ボンクラに関するお騒がせは終焉していただきたいと思いますが、如何ですか。だから俗に云う「金持ちは悪党だ!」という風評が類型的で根拠のないものであることは私の経験から確実に断言できます。高級官僚や大企業幹部の方々には、豊かな見識・実力・人間性を厳しい陶冶の末に備えた人物が多数いらっしゃることもまた事実なんですね。彼らが悪人なのか? 実際に会ってみればそれはとんでもないと実感する、人間味と識見努力に溢れる方も数多くいる、これは間違いのないことで、むしろそうでなくては中央省庁や大企業は維持できません。私も新聞奨学生をやりましたが、富裕家庭の子息女でも学費を全額バイト代で賄わさせられたり、毎月定額を徴収されたりする方も結構いらっしゃいましたよ。高学歴・高収入なのに、いやだからこそ自分の子供さんにここまで厳しいんだー、とその親御さんの教育方針に舌を巻いたものです。そこまでやるんですね。その位人間性が高く、エリート故の金満を自ら厳しく戒め、わが子の教育にも反映させているわけです。付届けを拒否する方も実際少なくないと思いますよ。

  しかしだからといって、格差社会・税の逆進性・官僚主導・米国留学生優遇をそのまま促進してよいとはならないんですね。庶民の生活が崩壊すると、国力も弱ってしまうわけですから、ここは何とか持ち堪えてもらいたいところです。その解は必ずしも「国民全員が競争に打ち勝って豊かさや社会の恩恵を享受すればよい」だけではダメなんですね、それだけでは片手落ちであり、欠落している部分があると不勉強で申し訳ないですが、思っています。長々とすいませんでしたが、浜先生のコメントは勿論、仕事人(夕刊フジの東山さんの決意表明も拝見しました)、朝日新聞、モーニングバードを久々に眺めたのでこのようになりました。小沢さんは判決が出るまで要注視です。「お春」「文太」がよかったですねw

ブラックボックス~堕ちた司法と代表選の「闇」

  資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた民主党元代表小沢一郎被告(69)の第14回公判が17日、東京地裁であり、大善文男裁判長は、小沢被告に虚偽記載を報告し、了承されたとした石川知裕衆院議員(38)の捜査段階の供述調書の証拠採用を却下した。同様に虚偽記載の「報告、了承」を認めた池田光智元私設秘書(34)の調書は、一部を証拠採用した。小沢被告の共謀を示す直接の証拠は、報告・了承を認めた2人の調書しかなく、検察官役の指定弁護士にとって厳しい結果となった。指定弁護士側は、起訴内容を全面否認している小沢被告がいる法廷で、石川議員らは強い圧力を受けていたなどとして、公判での証言よりも検察官調書の方を信用すべきだと主張していた。弁護側は、取り調べは威迫や違法な誘導、一方的作文に満ちたものだったとして、公判証言より調書を信用すべき事情はないとしていた。(時事通信社2月17日)

  これは佐藤優先生指南によるボイスレコーダー録音がありますから検察側の捏造・虚偽は明白なんですね。しかもその証拠書類を元に素人集団の検察審査会で強制起訴の議決がなされたわけです。私も当然素人なのですが、この検察官や審査補助員らの行為はプロとして職務的に合法なのでしょうか? こうした一般市民を明白に欺いた結果に対して何らかの罪状で訴追されることは全くないのでしょうか? 法律的にこんなことが合法・可能であったとしたら、もう何でも思う存分やりたい放題ですね。さらに斎藤副部長や吉田弁護士の審査会への「実際の出席日」…こちらの「期ズレ」の方が重大問題ですぞ。参考映像: ①江川紹子 ②郷原信郎

  税金を使って運営されている検察審査会と、その予算を管理している最高裁が、検察審査会法を恣意的に解釈して、本来開示すべき情報を秘匿する事が出来ないことは既に明らかであり、それについて最高裁担当者は私に反論出来なかった。

  本日中に以下の資料を提出することを昨日要求し、提出されない場合、国会議員としての権限を行使すると伝えた。これまでの調査、実験で検察審査会くじ引きソフトに重大なセキュリティーホールがあり、いくらでも恣意的に審査員、補充員が選定できることが証明された。更に、計算間違いなどで3度発表されることになった審査員の平均年齢は1回目と同じ34.55歳。これは確率上0%に近い。

  小沢元代表の起訴議決を行った東京第5検察審査会の審査員、補充員、審査補助員(吉田弁護士)に対する日当、旅費の支払文書は、東京地裁の管理する行政文書であることが分かった。開示するとともに、文書が捏造されていない事を確認出来るよう現物を閲覧させることも必要である。

  私は検察官適格審査会委員として、既に審査員の氏名を知っている。従って、個人情報を含む支払文書を全くマスキングせずに閲覧させたとしても、何の問題もない。むしろ、審査会が本当に開催され、適正に予算が執行されたことを証明するために、開催日時と審査員等の署名入り領収書を含む関連文書を、積極的に私に閲覧させるべきである。検察審査会法では、起訴議決を行うことになる2回目の審査会には担当検事の出頭を義務付けている。審査事件票には、1回出頭した旨の記載がある。しかし、関係者によれば、担当の斎藤検事は9月14日の議決日以後に出頭したという。この情報が正しければ、小沢元代表に対する起訴議決は「無効」。
(森ゆう子議員のブログ、1月28日より抜粋)

  秘書判決のように供述調書なしで推論に推論を重ね、ゼネコンへの斡旋収賄で有罪にもっていくのでしょうか? 大善裁判長もここは自分の昇給・出世・異動がかかっていますから必死ですぞ。しかしまあこんなお粗末な検察審査会や検察・裁判所による重要政治家の公判、日本はしっかりした法治国家だと、再起不能なまでに洗脳憑依された官僚・マスコミを除いて、どこの誰ぞが信頼するのでしょうか? こんな裁判をトップエリートが糞真面目にやっている時点で、日本中枢のメルトダウンと醜態を世間に曝しているではありませんか。

  新たな重大疑惑が浮上した。小沢一郎民主党元代表が、検察審査会の2度目の「起訴相当」の議決により強制起訴になったのはご存じの通りだが、この審査手続きにおいて重大な誤りがあった可能性が高いことがわかった。事が事だけに情報源に関しては述べられないが、この議決内容に関して知り得る関係者の証言などからのことだ。

  この小沢氏の件で、2度目の「起訴相当」の議決を出したのは東京第5検察審査会。実際に議決が出たのは奇しくも小沢氏が民主党代表選挙で敗れた当日(9月14日。代表選結果が出た午後3時半ごろの30分ほど前)だった。

  ところが、この議決結果が公表されたのはそれから3週間近くも経た10月4日だったことから、もし小沢氏が民主党代表選で勝っていたら直ちに強制起訴に なったことを公表。小沢被告が民主党代表=首相ということはマズイということで、これを阻止しようとしての政治的動きがあったのではないかとの憶測を呼ん だ。

  そして、今回の重大疑惑はこの疑念とも、実は非常に関わって来る内容なのだ。では、ヘタをしたら検察審査会はむろん、検察制度そのものの存在意義さえ問われかねないその重大疑惑とはいかなるものなのか、以下、報告する。検察審査会法の第6章(審査手続)の第41条2項は、2度目の議決をする(今年4月27日に一度目の「起訴相当」が出たが、検察は5月21日、改めて不起訴とした)際には、不起訴にした検察官を出席させて意見を述べる機会を与えることを義務付けている。

  そのため、東京地検特捜部の斎藤隆博副部長が議決に先立つ9月上旬に呼ばれ、1時間以上に渡って説明したとされる。そのことは「朝日」(10月5日夕刊)、「読売」(10月6日)も報じており、斎藤副部長は「元秘書の供述だけでは、小沢氏と元秘書らとの共謀の成立は難しい」などと、共謀には厳格な証明が必要であるとの慎重な意見を述べたとされる。(「毎日」10月5日記事)

  一般国民から不作為に選ばれたとされる検察審査会審査員11名は、しかし8名以上の賛成を持って「起訴相当」の結果を出したわけだ。ところが、ここに来て、この斎藤副部長が検察審査会に出席して意見を述べた日は議決(9月14日)より後。つまり、後付で辻褄合わせがされているとの重大疑惑が出て来ているのだ。その傍証として、こんな事実がある。

  この疑惑、実は永田町の一部関係者の間ではすでに噂になっており、某代議士(関係者)が検察審査会に斎藤副部長の出席日を問い合わせしたところ、「9月上旬」としか答えていないのだ。この答え通りなら、9月上旬=9月10日まで。議決は9月14日だから問題ない。だが、実際は9月下旬の可能性があり、審査会としては本当のことを言えないため、「9月上旬」と曖昧な答えで誤魔化しているとの見方が出ている。

  こうしたことから、水面下では、某国会議員が国政調査権を使って正式に回答を要求する動きがあるとか、検察審査会の方では「前例がないので(そんなことはないのだが)答えられない」ということで意思統一しているとか、一方の当事者である斎藤副部長に関して、「小沢氏捜査との関係で答えられない部署に異動させられた」などという情報まで飛び交っているのだ。

  もし、この疑惑が真実だとして、民主党代表選結果に合わせて議決を急いだ結果なのか、それとも9月14日に議決したのは単に偶然(14日=火曜日が週1度の定例会だったのは事実のようだ)で、本来、あり得ない(しかし、この11名メンバーの公表平均年齢を訂正するようなところだ)ことだが、検察官を意見聴取しないという大ポカミスを犯した結果なのか、その点はまったく闇の中だ。

  しかしながら、斎藤副部長は実際には9月下旬に呼ばれていたのだとすれば、強制起訴になったことが10月4日に公表されたことは納得行くのではないだろうか。もっとも、こうなると当然のことながら、小沢氏の強制起訴そのものが効力を失う可能性が極めて高い。この疑惑、念の為に断っておくが、その審査手続きの公平性からいって、後で斎藤副部長の意見聴取したからいいというものでないことは明らかだろう。もし、いいというなら、それは検察審査会は政治的な動きをするところで、この件は小沢氏=クロと最初から決まっていたから後付でもいいということではないのか。
(山岡俊介、2010年10月26日)

  民主党代表選で危惧されることは、サポーター票の集計で不正が行われる危険が極めて高い確率で存在することである。投票用紙の管理があまりにも杜撰であるからだ。民主党はこの点について、日本国民に対して十分な説明をする責任がある。選挙は民主党内部のものだが、選挙で選出される新代表が、そのまま内閣総理大臣に就任するのだ。代表選は事実上の総理大臣選出選挙である。
 
  テレビ朝日がサポーター票で菅直人氏が100ポイント近く差をつけて優位に立っており、小沢陣営が代表選に勝利するためには、議員票で50人から100人の差をつける必要があることが明らかになったと報道した。こんな馬鹿げた放送などあり得ない。何をどう調べてこの報道を行ったのか。追及が不可欠だ。報道の不正を自ら自白しているようなものである。このテレビ朝日報道が典型例だが、これらの虚偽報道が、代表選投票不正集計のアリバイとして用いられている疑いが極めて高い。
 
  これは、すでにネット上で指摘されている懸念である。サポーター票集計で、組織的な不正を実行し、サポーター票で菅直人氏票が小沢一郎氏票を大幅に上回る数値を発表する。事前の世論調査で小沢氏圧倒的優位が伝えられると、投票集計での不正集計数値が強い疑惑の対象になる。もともと不正集計だから疑われるのは当然なのだが、その不正を見抜かれないように、事前の世論調詐で菅直人氏優位の虚偽情報をあらかじめ流布しておくのである。この虚偽情報が十分に流布されていれば、投票集計での不正が発覚しにくくなる。こうした大掛かりな組織的不正が進行している疑いを払拭できない。インドネシアから独立した東ティモールで2007年に実施された選挙に際しては、国連が選挙監視団を派遣し、公正な選挙実施に協力した。現在のような状況では、国連に選挙監視団の派遣を要請する必要があるのではないか。

  サポーター票は300の小選挙区ごとにある総支部ごとに集計され、それぞれの1ポイントが小沢一郎氏に入るか菅直人氏に入るのかが決定される。地方議員票の100ポイントは、投票結果がドント方式で候補者に配分される。地方議員票の取り扱いも厳正に行われる必要があるが、もっとも注意が必要なのがサポーター票である。この投票用紙の管理、書き換えの防止、集計の厳格性が確保されなければならない。サポーター票は9月11日までに郵送された分までで投票が締め切られるが、到着したサポーター票の集計および公表が極めて重要になる。郵送された投票用紙の一部が廃棄されることも防止しなければならない。
 
  サポーター票の事前発表は国会議員による本投票に影響を与える可能性があり、集計数値が厳格に管理され、事前に漏れることを絶対に防止しなければならない。この点について、どのような対応が取られるのかが、あらかじめ明らかにされる必要がある。何よりも重要なことは、サポーター票の集計が公正に行われることである。代表選は政党だけの問題でない。内閣総理大臣を選出するとの重大な意味を有している。この代表選で不正が行われることは絶対に許されない。すでにマスゴミによる激しく歪んだ卑劣な情報操作が実行されているだけに、代表選集計について、厳格な監視が求められる。民主党代表選選挙管理委員会は、これらの疑念について、直ちに明確な情報を公開する必要がある。公正な選挙が行われない限り、選挙結果を信頼することができない。
(植草一秀、2010年9月7日より抜粋)

余震と雑感~消費増税とニッポン

  朝日新聞の6月25日の報道によるとMITの経済学部のレスターサロー名誉教授(72歳)が来日し、「物価が持続的に下落するデフレ状態の日本で消費税増税が議論されている」ことについて「正気の沙汰ではない。消費が減るだけで、不況を永遠に引きずることになる」と指摘した。さらにデフレ脱却にには「財政出動を潤沢にやり続けるしかない」と発言している。以上については小生の意見と全く同じである。レスターサロー氏は10年以上前にも来日し、重度のデフレに陥っている日本経済について「日本政府がやるべきことはただひたすら輪転機を回し続けることだ」と発言したということが日本経済新聞に載っていた。そのときに「自分と同じ考えの人がいる」として注意深く読んだことを記憶している。日銀券を増刷して大規模な財政出動を続けるべきだと言う意味である。

  日本の不況はお金の使いすぎではなく、お金を使わなさ過ぎたことによる不況である。ここ10年間財政出動と減税が必要であったのに歳出削減と増税をやってきた結果である。このことを自民党も民主党も理解していない。相変わらず「無駄を削減する」「財政再建は重要」「消費税増税を」である。一度も正しい方向を向こうとしない。朝日の記者が「日本がバブル崩壊後巨額の財政出動をしたのに景気回復が遅れた」ことについて質問したがレスターサロー教授は「ほとんどが都市部ではなく農村部のインフラ整備であったためだ。東京でやれば意味があった」と答えている。これについては私と意見は違う。

  東京か地方かは重要ではない。景気が回復しなかったのは財政出動が少なかったことである。公共事業は悪だという宣伝に騙されて大規模な歳出削減に転換したからである。現在の公共事業は15年前の半分以下である。巨額の赤字に恐れをなしてアクセルをブレーキに方針転換したからである。小生は「デフレ阻止に使う資金は借金と考える必要はない」と考えている。通貨の価値を維持するのは日銀の職務である。通貨の価値が上がる(デフレではこうなる)のを防止するために通貨を増発する必要があればこれは借金ではなく湧いてきたお金である。自由に使える。日本の不況は日本にお金はいくらでもあることに気付かず節約しすぎた結果である。民主党は全くそのことに気付いていない。
(村島定行氏のブログ、2010年6月26日より抜粋)

  レスター・サロー氏のインタビューは日経新聞のサイトでも読めますね。民主・自民の議論はまるで公明を挟んだデキレースのようにも見えますが、みんなの党の現実的実効性以外に国民が自民・民主を応援するとでも思っているのでしょうか? みんなの党は現実的ですが、自民にしろ民主にしろ対米追従による追い風を追い求める時代ではもうないよ、ということでしょう。対米自立の基本方針に基づく公務員・官僚の働きに期待しなければ、対米追従による国際諸国の囲い込み、出口の見えない泥沼に国力を注入し続けることになるのではないでしょうか。

  西尾幹二氏の「平和主義ではない脱原発」を一気読みしました。海外は地球温暖化・CO2削減を相手にしない。高速増殖炉もプルサーマルにも手を出さない。アメリカ・フランス・韓国には地震が少ない。さらに世界では風力発電が急速に伸びている。でも日本では補助金頼みや諸々のトラブルで失敗が続き、コストのかかる太陽光発電に注目が集まっている-。原発や太陽光って無駄なコストが多くておカネが必要になるから都合がいいわけですね。ウラン燃料を何回も何回も海外とやり取りするわけですから、ガラパゴスな日本だけは原発を推進しなければいかんようです。コストのかからない発電産業は潰しちゃえ、化石燃料も地球を汚すな、ということでしょう。

  欧州諸国は数年前に危機を感じた時点で減税政策をとって需要を高めたのであり、それを受けての財政緊縮ということでしょう。ギリシャは公務員も年金の金額も多く、その手厚い社会保障を維持するために消費増税・法人減税をした。そしたらこんなんなっちゃった、ということでしょう。国民性も国債の内容性質も違うのに、「日本はギリシャのように破綻する」ってそれは日本政府・現執行部の方なのではないですか? IMFには歳出削減を必死にやっている姿を見せるべきでしょう。役人の放漫体質を放置していい気なものです。「日本政府の内閣閣僚・官僚公務員の放漫ぶり・非生産性・手厚い保障はまるでギリシャのようだ、だからこいつらから切れ!」とつくづく思うのですが。

  政策も重要ですが、慎太郎氏・亀井氏・小沢氏・宗男氏・鳩山氏らの「人間性」に大いに期待しています。怨霊憑依が脳髄に濃厚に喰い込んだ官僚・マスコミらによる洗脳人形はもう結構。彼らが「どうしても自滅したい」というその自主性は尊重しますが、日本社会を巻き込まないで自己責任でやって下さい。国民新党も民主党政権が続くのか終るのかを見極めてから消費増税に賛否を決めた方がいいですね。イシューは消費税だけではないし、むしろ社民党のように離脱してほしい、と執行部が望んでいるわけですから。沖縄問題も再び前原クン主導に戻ってしまいます。

気感と審神

  気やオーラなどと呼ばれる目に見えないエネルギーを感じ始めるようになると、徐々にエネルギーの性質の違いを感じられるようになっていきます。多くの人が最初に気づくのは、良いエネルギーと悪いエネルギーの存在です。これら目に見えないエネルギーはわたしたちの体はもちろん、心とも密接なかかわりを持ちます。

  良いエネルギーは、心を楽しくさせて不安やストレスを解消させてくれます。体も軽く元気になります。良いエネルギーは暖かく心地よいです。悪いエネルギーは、心を曇らせ、不安な気持ちやストレスを生み出します。体も重くなり、元気がなくなります。悪いエネルギーは悪寒のように感じます。

  物質に近いエネルギーほど重く存在感を感じます。逆に、非物質的なエネルギーは軽かったり、存在感を感じにくいです。エネルギーを感じるのは、香りをかぎ分けたり、 味を見分けたりするような感覚とよく似ています。感じ方は人それぞれ、その人の感性や感覚によって多少の違いはありますが、強い気感をもつようになるとハッキリと感じるようになります。エネルギーを正しく感じ取る事が出来る人たちは在る程度共通した感覚をもっています。

  例えば、物資に近い悪いエネルギーは ザラついた感じや、汚れた油のような感じでわたしたちが病気の時に自分に感じるあの不快な 感覚そのものです。非物質的な悪いエネルギーは、体感としては 分かり難いですが、不安や焦燥感を 感じたときなどの感覚に似ています。呪いのような人の思念はこの種の感覚を人に与えます。物質に近い良いエネルギーは気功の気のような感覚です。熱や振動として感じたりします。 これは、わたしたちが日常で生きるために使っているエネルギーに近いです。

  非物質的な良いエネルギーは、体感としては 分かり難いですが、包まれているような 安心感や、喜びのような感覚を与えて くれます。この種のエネルギーは祈りや愛情など 高い波動のエネルギーです。エネルギーを感じ、性質がより深く分かるようになってくると、エネルギーには色やにおいのようなものが存在する事にも気づき始めます。いずれそれらの色やにおいを実際に感じられる までになります。悪いエネルギーは臭く、良いエネルギーは心地よい香りがします。
(ブログ「天空の庭先」より抜粋)

  本文にもある通り、気感はごく初歩的なものです。講談社の道教の本にも邪気は遠避けよとの記述がある筈で、基本的な心得なんですね。ただ皮肉なもので、少し感覚が拡大すると魔物と引き寄せ合ってしまったり、肝心の自分のオーラが濁ってしまったりwとなかなかうまくはいきません。これは宗教でもヒーリングでも同様で、そこに関るものにはよくよく心したいところです。

  チベット・ネパールの祈祷師や日本の新興宗教の歴史を見て、神仏とのつながり方は2種類あると思いました。修行を通して自我を外していく方法が成就法です。チベットや日本の密教のお坊さんがこのやり方です。つながるまでに時間がかかりますが、行程が明確です。行法として護摩修法などがあります。

  突然神が降りて来るのが交霊法(降霊法=チャネリング)です。イタコの口寄せやユタがこの方法です。ネパールのディヨマーもこのタイプです。どうも女性が多いようです。彼女らは神秘体験の後に、お寺に行き、修行をしてヒーラーになります。男性は自我が強いため、なかなか自我を外せないのでしょう。ところが女性は出産や育児などを通して無償の愛を注ぐという体験をするためか、自我が外しやすくなるようです。人間は自我を外すことで、神仏とチャネリングするのです。

  交霊法で気をつけなければいけない点は、どのような神仏と交霊しているかということです。交霊者の意識が低いと、低次の霊と交霊する場合もあります。この判定をするために審神(さにわ)が必要になります。審神は宗教学を学び、降りてきた神を特定するだけの教養が必要です。真言宗の佐伯泉澄先生は「真言宗の僧侶こそ審神にならなければならない」という説を持っています。というのは仏教の中でも浄土宗、浄土真宗などは輪廻や霊魂はないと考える傾向にあります。しかし真言宗にとっては輪廻転生と霊魂の存在は欠かせないのです。
(まんだらや密教研究所HPより抜粋)

  当然私自身はまだこの領域は未知の世界であり、素人初心者の主観的気感で新興宗教その他を眺めているだけに過ぎません。だから“卑見と妄想”なのです。審神とは禅問答のように現れた神サマの境地を質問で確かめる方法のようですね。修験道の山伏問答もそうでしょう。それだけ他人を化かす目的か単なる勘違いの「自称神サマ」が人間・降霊を問わず多いということなのでしょう。本来は政治家の先生や世の指導者といわれるような方は審神の能力を持っていた方が話が早く、それには古神道の行法がどうも有効なようなんですね。まず各界の先生方がきちんと霊的浄化をしてから価値観の議論をする。政治家・学者・評論家・マスコミ・官僚の皆さんもそれが本当はよい。ただし日の丸や軍国主義の権威的強制にはノーですね。昔の朝日新聞のバックの日章旗もそうですが、日の丸のデザインはたしかに清廉な血気が漲って美しいのですが、どうも拡散的にすぎるようなきらいがあるのです。もっと勾玉とか稲荷宝珠のようなw収斂的なマークでは国旗にふさわしくないのかな?

余震と雑感~古本のカオス

  阿含の星まつりも無事?終わり、ここ数日私自身の内面では出所不明な“呪い”を何度か通過した。まあ小心者の妄想だろうが、まだ殺されないで済んでいるようである。土曜午前10時台に小地震。…けったいな火遊びなんかもうやめなはれ、社会の迷惑や!煙でぎょうさんオバケ散らかして、それってただの公害やんか。頓死が成仏の現証や、なんていくらなんでもシャレきついわ!昔と違うて客もよう集まらんしw

  さて、日曜は百貨店の古本市に寄ってみた。倫理、エロス、悪魔…タイトルが面白い。しかし中身は結構オーソドックスな真面目調のように思う。併設されている昔の映画のポスターや、1万円弱の貴重なパンフレットにある扇情的な広告コピーも同様だ。ボンクラ子供中年の私には実に面白い。結局これは「形而上的な世界への模索」だからである。再度両界曼荼羅の卑見解釈を言わせて貰えば、金剛界は「観念=ロゴス=既知」の曼荼羅、胎蔵海は「涅槃=カオス=未知」の曼荼羅だ。

  涅槃とは虚空のような“形而上的”世界のことであろう。つまり「解脱とはもう何が何だかわけが解りません」という釈迦の問いに仏神が「世界をあるがままに捉えなさい」という、これはすなわち「わけがわからない、そのままのカオス=涅槃(の側面、または本質)」ということではないだろうか。補足すると金剛界は観念やカルマの集積であるから「自我」の世界と言ってしまってもよいのだが、やはり無我を本質とするために刻々と移り変わるのでいつまで経っても「未完成の自己」としたのである。本質がカオスであるが故に、ロゴスは進み続ける(それが進歩なのか退歩なのかは判らない)ということなのだろうか。一方カオスの本質も鎮静化した無ではなく、動的な収斂現象として描かれている。すなわち金胎で「カオスの現象化」ということだ、これがこの世界。煩悩から努力して涅槃にシフトするのではなく、煩悩とはカオス、すなわち涅槃の現象化なのだろう。だから潔癖性と煩悩の間に厳格な境界線を引くことはできないのではないだろうか。

  だから既知・未知の「特別な一点」で「完成された観念だけ」「静的な涅槃だけ」というのは偏向・無明・妄想で、「いまここで」観念と涅槃に「二股かける」というのが中道のような気がするのである。表現が上品で仏さまには恐縮だがw「言語文章」と「不立文字」の中間をとって絵画・曼荼羅で説く・解く、これも中道。肉体自我が崩壊するのが老死現象であり、「自我も霊魂もあるともないともいえない」と釈迦は考えた。すなわち無我=涅槃の一時的現象化としての自我・霊魂・世界なら認めるし、そうでない本質的不変の真理存在としての自我・霊魂は認めません、ということではないか。六道輪廻というのも自我の変化に応じた観念世界間の旅路であり、上下構造である天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の積み木を、バタッと横に倒してしまう。そこに価値の優劣はなく、ただ個人の嗜好の違いが残るのみである。特にそこから離脱する必要もなく、分別とは別の、カオス一元的な視点を持てば精神衛生上よいか悪いか、私にはもうわかりませんw

  マスコミの一部が密教や脱原発を盾に消費増税や小沢有罪を正当化できるとでも考えていれば大間違いで、やはりこれは小人物のつまらぬ自我優越感を無理やりに確立したいがために、不当に捏造された罪悪を他方に擦り付ける卑劣で姑息な行為である。私自身地震も津波も嫌いだが、この報いは早晩訪れるに違いない。関係ないが、真如苑や読売新聞の価値観は潔癖の押し付けで共産主義的な臭いがする。悪いとはいえないが、上からの強制なので自由がない。ワタミの接客フレーズも全国に広まったがそれはマニュアルであり、結局接客の金太郎飴化・マンネリ化を生んだ。それなりに考えられた正しさがあるのかも知れないが、真如苑や読売新聞、さらに官僚の目指す価値観の社会に私は決して住みたくはない。といって自殺やヤクザを肯定するつもりもない。誰でもそうなるから、普通の感覚に加えてカオスの視点も持ったらどうですか、と妄想しているだけである。頭が悪いので雑感を項目にまとめる力がなく、いつもの卑見となりました。あいスミマセン。

ガスライティング~組織による思想統制、その手口

  会社が社員を辞めさせるためには、どのような方法があるか。日本の労働法は解雇規制が厳しく、安易に解雇すれば会社が訴えられるリスクが高い。裁判で負ければ「ブラック企業」のレッテルが貼られ、広く知られてしまう。そこで、退職勧奨をしても自発的に辞めない場合、加害者が分からないような「間接的な嫌がらせ」をして退職に追い込む例が実際に存在するという。その手口は「ガスライティング」と呼ばれている。

  ガスライティングとは、かつて街頭に立っていた「ガス燈」のこと。イングリット・バーグマンが主演した同名のサスペンス映画のタイトルが、その由来だ。この映画では、夫から「もの忘れや盗癖が目立つ」と繰り返し指摘された妻が、自分の頭がおかしくなったと思いこみ、不安に苛まれる様子が描かれている。しかしそれは、夫が妻を精神的に追い込むための手口だった。一種の精神的虐待といえる。

  「ガスライティングの手法で社員を追い詰め、辞めさせる方法は、大手企業で密かに行われているのは事実です。ガスライティングに加担した社員に接触し、確認しているので間違いありません」そう語るのは、ブラック企業アナリストの新田龍氏だ。具体的な手口は、会社がストーカーを雇って標的とする社員を集団でつけ回したり、家の前で張り込んだり室内をのぞいたりするという。郵便ポストを荒らして郵便物をグシャグシャにすることもある。「誰かにつけられている」「誰かにいつも見張られてる」。そんな恐怖感から不安が高まり、体調不良になると、上司が産業医の診察を勧める。会社と結託した産業医は「メンタルヘルス不全」の診断を下して、社員を退職に追い込む。

  行為の一部は法的にも問題があると思われる。本当にそんなことがあるのだろうか。会社の工作ではなく、個人の疾患や妄想ではないのか。この疑問に、新田氏はこう答える。「大手法律事務所やコンサルティング会社が、企業の人事部に対してこのような手法を提案していることを確認しています。某シンクタンクの裁判を傍聴した際にも、この点が問題になっていました。某精密機器メーカーからは、手口を紹介した社内勉強会用の資料が流出しています」米国では、ガスライティングの手口を解説した本も出ているようだ。「ガスライティング:あなたの敵を発狂させる方法」という書籍の一部を翻訳した「ガスライティング詳細解説」というサイトを見ると、その周到さと法律違反も辞さない異常ぶりに驚かされる。

  ターゲットを見ながら数人で囁きあい、冷笑する。自分のことを話しているのかと尋ねてきたら「なんだい、みんなの噂になるような重要な人物だと思ってるんだ。妄想じゃないの?」と突き放す。ターゲットの机に変態趣味の雑誌を仕込み、同僚に発見させる。上司の卓上ライターやペン、金メッキのレターオープナーを、ターゲットのポケットに滑り込ませる。ターゲットが空港を利用する日に、荷物に覚せい剤やピストルを仕込んでおく。免許証を複製し、ターゲットが免許証を偽造したことにする。密かに合鍵を作って家に侵入し、帽子やジャケットのサイズを変え、身体に異変が起こったように思わせる。調味料やコーヒーの味、香水のかおりを微妙に変える。椅子の高さを微妙に変える。ガソリンを抜くと窃盗と疑われるので、逆に毎夜注ぎ足す。

  映画「ガス燈」でバーグマンを救ったのはジョゼフ・コットン演じる私立探偵だったが、普通のビジネスパーソンが探偵を雇うのはなかなか難しい。新田氏は、個人の防衛策として、産業医の診断だけを信用して休職や退職をせず、信頼できる人に紹介してもらった医師のセカンドオピニオンを取ることを推奨する。また、つきまといなどの証拠を押さえるために、ICレコーダーやカメラを準備しておくことも考えられるという。しかし、証拠を押さえたところで、会社を相手取った裁判を起こすのも負担が大きい。少なくとも「おかしくなったのは自分の頭ではなく周囲だ」という確信を持ったら、よりよい条件を引き出して、そんな会社はさっさと辞めた方がいいのかもしれない。
(J-CAST、1月20日)

  私はこれを人為ではなく霊的洗脳でやっているのでは?と疑っています。占い染みて恐縮ですが、こんな陰謀めいたことをやらかして、会社の業績が上がったり個人の運気が上がったりはしないと思うのですが…。被害者が裏事情を知らなくとも、彼にも背後霊が憑いており、それが事情をよく知った上で自動的に動くそうですよ。従って因果は廻る、という奴でしょう。

阿含の仏さまと護摩の功徳

  さて、今回は阿含宗を改めて扱うのであるが、私も未だに不勉強かつ煩悩多きの身の上であり、しかも一般諸兄と異なり、霊能透視が全くできないのであるから、現実に経験・見聞した事実を積み上げて粗雑に推論するだけである。卑見ではあるがまずこの「思考盗聴」「透視霊能」について私見を述べておきたい。

  渡辺昇一先生らが翻訳したジョゼフ・マーフィーの潜在意識成功本に、競馬で閃いて一発当てた男性の話が出ている。私も「アーネストリー」と閃いたこともあるw ただここで問題にしたいのは、潜在意識で成功を志向したとき、それは①「世間を自分の恣意的に現実化するのか」それとも②「未来予知の潮流に素直に乗るのか」ということである。「潜在意識に願うと実現する」これは2種あって競馬なら①「武豊7番人気だ!来い来い」と念じるか②「やはりデムーロは固いでしょ、つかないけど」と考えるかは方向性が違うのである。これは大学受験にも言えることで①「自分の行きたい大学を受けるのか」②「自分に行ける(と他人がいう)大学を受けるのか」この2つの潜在意識活用法に分岐すると思うのだ。

  潜在意識による願望実現をやっていくと、このジレンマに嵌まる事が多い。個人的成功を超えて、社会的成功を収めると、従業員の生活や不動産その他の投資先についても考えを廻らせなくてはならないからだ。ヒトラーも霊能者だったが最後はおかしくなってナチス軍によるドイツ爆撃を始めた。日本でも戦争を煽った大本営幹部で日本敗戦を見据えて商売で儲けたご仁もあっただろう。そのように霊視術で「あなたは破滅する」とご託宣が出たら素直に首を吊るか身投げをするんですか?ということだ。やはり潜在意識は窮境を打開するためにあるのであって、破滅を予見して自殺するためにあるのではないだろう。

  以上は未来の予見と意志の矛盾であるが、過去の透視情報も透視者個人の恣意的な願望が介入するため対象が歪曲する。見えないものが見えた筈なのに、その裏事情までは察知できずにかえって人心を外す。この事情は透視など使わず心を砕いて考えれば充分常識的に察知可能だったりする。この矛盾があるため、私は思考透視に余り興味がないのである。

  阿含宗や桐山管長の霊視能力もこれに毛の生えた程度であって、当たる外れるは別にして、そんなに高度なものではない。気功や宗教をやると判るが、オーラを拡大した人物は寺院も含めたその周辺の神気を吸引する。音羽の講談社で言えば、まず護国寺や生長の家、雑司が谷墓地、大塚まで行けば真如苑やトム・クルーズで有名なサイエントロジー、勿論キリスト教の教会もあるだろう。巣鴨には創価学会の戸田講堂…とこれらのオーラをよくも悪くも「吸い込む」のである。霊能開発・潜在意識開発の過程で、この霊媒体質、いわゆる「憑依体質」になってしまうとこれらの宗教霊に翻弄されてしまう可能性があるのである。勿論霊視や念動など能力は付くかもしれないが、それ以上の運気のダウンや以前では考えられなかった不祥事や脳内錯乱、社会的逸脱…とパワーの代償は意外と高くつく。これを端的に示しているのが阿含宗という教団なのだ。

  そもそも阿含宗の霊的源泉は“真言宗金剛院派”という新興宗教の「照真秘流」という、準胝観音念誦行を通しての因縁解脱であり、そこに秘伝の神仙術を加えたものである。そこに日蓮宗や真言宗の教学を加え、さらに世間的なカモフラージュとして釈迦の阿含仏教を加え、神秘性を増すためチベット密教を上乗せしているのである。また当然企業としての競争原理から明るい全体主義の雰囲気を導入し、釈迦涅槃像を考察し、輪廻のアニメ映画を作りたいという。これは創価学会・真如苑・幸福の科学への対抗戦略である。桐山さんは文鮮明に似ているので、統一協会と対抗する必要はないようだ。だから桐山さんご自身が確かに霊視も念力も強いが、その一方で何でも吸い込む「憑霊体質」に陥っていることもまた自明であり、これは結界がきちんと張れていないという事で、だからこそ阿含宗は種々のトラブルが絶えないのである。

  普通なら霊的混乱があっても、座主や大僧正がご本尊を至心に拝めばそういった不浄の霊はバーっと雲を散らすように晴れてしまうからこそ「お祓い・厄除け」になるのである。しかし阿含宗にはこの「清浄な本尊」と「清浄な僧侶」がいないのだ。仏舎利尊は低級な動物霊であろうから、透視や念力は短期的にはかなり強くできる。しかし阿含宗には「成仏法」、すなわち霊的浄化法が存在しないのだ。来る2月11日の星まつり、ゼネコンや指定業者が組み立てた勇壮な2基の護摩壇で先祖供養・願望実現を全国から参集した信者一般で祈ったらどうなるか。

  そこには先祖霊は勿論、参詣者の悪しき因縁霊、表面的ご利益を与え代りにその何十倍もの健康・収入・対人の運気を簒奪する低級霊、そして浄不浄様々な参拝者の生霊が炎の中にどっと集積し、火炎に渦巻き、そして念を込めている参詣者各人に拡散、出所の不明な怨霊に偶然「憑依」されることになる。勿論浄化される霊も少しはあろうが、これまでの経緯から見て阿含宗の護摩供養では霊は浄化されない。霊を浄化するのは物理的な火炎や精神的な祈り・念力ではなく、そこに降臨する神仏による“他力”だからだ。もし桐山さんの言うとおり、阿含宗の総本山に仏さまが降臨していれば、桐山さんも女性問題は起こさないし、市川先生にもさかもと先生にも不幸は起こらなかった筈である。そもそも星まつりで運気がよくなりました、という話を阿含宗で聞いたことがない。体験談の会報特別号はあるが数年間同じ内容の使い回しである。警察発表の30~40万人は勿論信用していないが、午前中や終日の統計をとってみれば結構な数の参加者にはなる筈だ。関東以北からの参加者は京都を午前中で切り上げて帰ることが多いからである。

  繰り返すが星まつりでも前述の「憑霊体質」「霊媒体質」ということが問題になってくるのであり、これは裏を返せば「ネットワークの繋がりがいい」「世間の受けがいい」ことにもなる。携帯電話やWifiの受信感度が好調のような状態だ。だがそれ故に「怨霊」を膨大な量集積し、しかも浄化法がないのであるから、怨霊を「炎のおちから」としてくっつけた人々にどのような変化が起きるのかは読者各自のご想像に任せよう。目には見えない世界だが、霊は人間に訴えを伝えてくるものだ。阿含宗ではなくても野外護摩供養のイベントは全国各地の神社仏閣でやっている。規模も小さくテレビでは放映しなくても、ご自分で「ここの本尊には神仏がいる」と信じられたところに参詣されてはどうだろうか。

「ご本尊」、その魔性を考える

  まず前掲した「因縁霊と宗教霊」の項を再読していただきたいわけで、真如苑や阿含宗の教義も概ねこの線に沿っています。ただその問題の解決法としての「供養・布施・奉仕」が霊的浄化という結果にはなかなか結びつかない、というところが新興宗教の本尊を“魔性”と私が揶揄する所以です。もう少し創価学会を見ていきましょう。

  元々創価の嫌いな自民党の代議士が、選挙提携で仕方なく地盤の創価講堂で挨拶をした際に、満場の善男善女から一糸乱れぬ熱烈な拍手喝采をワーッと受けてそれ以来、「比例区は公明党へ!」と叫ぶのに何の躊躇もなくなったというのは有名な話です。私が思うに、創価の霊というのは、何か主張があるわけではないのです。ただ本人がこれこれ、というある主張をすると横から「そうだ、その通り!」「そうですね、全く同感です!」といってくれる「霊」なのです。だから「核を世界から廃絶せよ!」「原発は日本の成長に不可欠だ!」「消費増税なくしては国家が破綻するぞ!」「庶民いじめの消費増税は止めよ!」これらの相反するイシューにもすべて創価学会員は「そうだ、その通り!」の筈です。悪意なく、多分そういう性質の「霊」なのです。一方この性質は生硬な右翼・左翼に「憑依する」ことによってそのうるさ型の人物が“丸くなる”メリットがあります。コワもてだった人物の「線が細くなる」のです。これは昔突っ張ってたヤンキー兄ちゃんや姉ちゃんが成人して社会性を獲得するのに役立つんですね。「話してみると物腰が柔らくていい人だー」みたいな。

  で、上記の件にも関連してきますが、創価会員は勢力の強い人を判別し、そこに寄生する、いわゆる「勝ち馬に乗る」傾向が強いということです。これも毎日の読経で勢力の強弱がある程度判別がつくと思います。詳細は後述の予定ですが、毎日の読経、これを「勤行(ごんぎょう)」というのですが、これを続けるといわゆる「潜在意識開発」になるのです。ただヒンズー教のマントラ修行でも平田容疑者のように「出頭したのに捕まらない」効果があるわけで、そういう功徳をあてにして犯罪に加担していいのかよ、という議論はあると思います。昔は犯罪と出世の区分は曖昧だったでしょうからね。宗教の前近代性と、現代の社会性が合わなくなって来ているのです。

  繰り返しますが勢いに寄生するのが「創価の霊」の性質である、というのが私の持論ですから、「創価に近づくと運がいい」というのは非会員の視点から見えた間違いなんだ、という結論になります。自分の勢いが落ちれば、あんなにいい人だった筈の創価の人は罵声を浴びせて去っていくわけですよ。勢いに乗じておこぼれに預かるのが「霊の性質」なのです。風見鶏の代議士先生やマスコミが何故そこまで創価を信じるのか、納得がいきますね。たとえ似非宗教であれ、新興宗教の本尊を拝んでいれば伝統宗教の本尊(に感化された人物)が身近にやって来るのです。仕事はそいつにやらせ、功徳は新興宗教で独占、寄って来た奴は「修行が足りない、お前が悪い!」と突き放す、これが「新興宗教の霊=本尊」の顕著な特徴なのです。一方、搾取された伝統宗教側の人間は「文句を言うな、他人に尽くせ、前向きに捉えよ」と厳しく叩き込まれていますから、むしり取られればそうされるほど、熱く宗教心を奮わせる奇特な方も実際多いのです。宗教をやる人は多かれ少なかれ現実世界に絶望していますからね。かくして末端信者やシンパの非会員からこのように功徳を吸い上げて、新興宗教は肥え太っていくわけです。それを魔物のような霊が洗脳支配、偶然の一致なども駆使して行っているということです。前述の潜在意識開発の危険性もそこら辺にあるということでしょう。

マツダ殺傷事件の魔性

  マツダ無差別殺傷事件: 2010年6月22日朝の通勤時間帯に発生。引寺被告は、広島市南区のマツダ宇品工場と隣接する広島県府中町の本社工場で、約9キロにわたって出勤中の男性社員を乗用車で次々にはね、浜田さんを殺害し、11人に重軽傷を負わせた。車内にはナイフなども携行していた。公判前の精神鑑定は2回実施された。引寺被告はこれまでの取材で「責任能力はあり、殺意を持って工場に侵入した」などと話していた。事件後、知人に「オレは秋葉原を超えた」とも吹聴していた。

  広島県のマツダ工場で1人を死亡、11人を負傷させた乗用車での無差別殺傷事件で殺人や殺人未遂などの罪に問われた元期間従業員引寺利明被告(44)が26日、広島地裁(伊名波宏仁裁判長)での裁判員裁判の初公判で身勝手な“独演会”を展開した。引寺被告は「8人目までは認めるが9人目からは認めん」と突然意味不明の持論を主張した。開廷20分で休憩となり、再開直後にはあくびしながら入廷。さらに報道陣を挑発し、裁判員に説教するなど奇行ばかりが際立った。

  午前10時前、口髭をはやし、黒縁メガネに黒いジャージーの上下で引寺被告が入廷した。傍聴席をにらむように見渡し、ちょこんと軽く頭を下げた。冒頭の罪状認否で引寺被告が「マスコミの皆さん、よう聞いとってくださいよ」と報道陣を挑発するように話しかけ「8人目までは認めるが、9人目からは覚えていない。覚えていないことは認めるわけにはいかない」と起訴事実を一部明確に否認した。死亡した浜田博志さん(当時39)は「認めない」という11人目に車に衝突していた。

  さらに「同僚の集団ストーカー行為がなければ、この事件は起こしちゃおらん」と叫んだ。開廷から約20分が経過していた。慌てた弁護側は引寺被告の主張を確認するため休憩。再び姿をみせた引寺被告は、ふてぶてしくあくびをしながら入廷。弁護側は“同僚のストーカー行為”について「妄想に支配されていた」とし、暴走したことは争わないものの「心神喪失」を理由に無罪を主張した。検察側の冒頭陳述では真っすぐ正面を見すえた。検察側は「同僚から嫌がらせを受けたと思い込み、東京・秋葉原の無差別殺傷5 件のような事件を起こしてマツダの評判を地に落とそうと考えた」と指摘し、捜査段階の精神鑑定結果などから「計画性があり、完全責任能力があった」と主張した。

  ここで引寺被告が「裁判員に心構えを説きたい」と突然、脈絡もなく切り出した。「裁判員の皆さんは、裁判官になろうとしなくていい。素人目線で質問して」などと話し始めた。裁判員は顔をしかめ、不快感を隠すように苦笑いする場面もあった。証拠調べでは、裁判員らに示された犯行経路のモニター映像について「ワシは見られんのか」とかみつき、画面の見える席に移動。「道順が違うぞ」などとブツブツ繰り返し、裁判長から「被告人質問で述べるように」と制止された。

  後の証人尋問では、最初にひかれたとされる50代の男性社員が証言台に。引寺被告は「ワシの顔を見て直接言いたいことはないのか」とどう喝し「ワシなら『死ねや』と言うぞ」と怒鳴り散らした。刑務官が血相を変えて立ち上がり、裁判長も「やめなさい」といさめて休廷を告げた。公判は18回、精神鑑定の鑑定医や被害者ら計32人の証人尋問を予定。判決は3月9日に言い渡される。
(日刊スポーツ、1月27日)

  秋葉原の事件に比べ、比較的マスコミの扱いが小さいこの事件、文春によればご両親は毎日題目を唱える創価学会員だったそうで、被告本人側は犯行当時の心神喪失を主張、検察側は普段の勤務態度からも計画的で責任能力あり、としているようです。私なんかもよく小さい頃からよく「犯罪者」「精神異常者」呼ばわりされ、それが未だに続いているわけでw、まあ弱い者は早く死ねという世間の風潮は変わりませんな。ただ言ってる方がそんなに強い人間ばかりとは限らないわけで、このような観点から新興宗教の本尊の性質をボンクラなりに妄想・分析していきたいと思います。

  まず創価学会からなんですが、いまや都会は勿論、地方の真言宗色濃い街にも当然公明党のポスターが貼ってあるわけで、これだけの批判を受けながら、同時にそれなりのメリットも実感してる人が多いのではないでしょうか。まず私による創価会員の印象は、「線が細いのに正論を述べ、仕事がしっかりでき、遊びへの欲求もある」ことで、これは非常に印象がいいのです。当然学会員であるとは判らないわけですから。ただ仲良くなるうちに、職場のトップの悪口を吹き込まれ、クーデターではないがその人から主導権を奪回しようとする、それもまた共通した私の印象です。

  さらにこれは特に選挙の時、創価の人同士が引き合う、集まってくるということです。いつのまにか私の周りは来る人来る人、皆創価ばかりになっていた。さらに、創価の人同士は仲が悪い、反目が強いということです。これは法華経信者全般にいえることで、譲って合わせてしまう私なんか「欺瞞者」「詐欺師」「色情魔」などと「邪な下心の持ち主」とされるわけです。ただ実際私心が清廉潔白か淫靡邪悪か?と問われれば当然後者ですw

  さて、脱線しますが秋葉やマツダの殺傷事件のように、職場でムシャクシャした、よし10人でも20人でもいいから好きなだけ殺って来い!wと仮に許可が出たとして、そうそう暴れまくることが可能なものでしょうか? 池田小の事件も創価絡みだったようですが、小学生ではなく大の大人を、しかも秋葉で腑に落ちないのは、2ちゃんねるで賞賛されるような風貌の工場作業員が、現役の警官も吹っ飛ばし犯行に及んだという事実です。だってお巡りさんは拳銃も所持していただろうし、事件があろうがなかろうが、毎日毎日警察署内の武道場で、それこそ若い学生の時分から、柔・剣道の稽古に汗を流しているわけでしょう? そんな積み重ねを持った人が簡単にやられるというのがまず信じられません。

  秋葉の加藤被告は創価会員ではないようなので、これは脱線したのですが、彼は手記も見事にしっかりしており、そこに一貫性を感じるのです。そんなアッパッパな異常者とはとても思えません。そして創価学会員の方も外見は明るく温和で、仕事と人生に対する主張も実に筋が通っている、いわゆる真っ当な人物である場合の方が多いのです。少し話を聞いただけで「あああーっ」とこちらが脱力しちゃうような大人の方も実際結構多いですよねw ただ実際自我をしっかり確立している人物の行動が、そのまま真っ当なものとは言い切れないことに課題があるわけでしょう。次回からは創価学会は勿論、真如苑や阿含宗にも話の裾野を広げ、素人の妄想でその魔性を分析考察していきたいと思います。

阿含宗の全面広告~朝日新聞の場合

  日本のマスコミには、宗教団体の広告が掲載されることは少なかったが、ここにきて、宗教団体のイメージ広告や、イベントを直接的に扱う広告が目立つようになってきている。その一例が2010年1月29日の朝日新聞朝刊に掲載された阿含宗のイベント広告。テレビ・新聞ともに広告収入が激減する中、「苦肉の策なのでは」との声も出ている。これまで、大手新聞社やテレビ局は、宗教団体の広告掲載・放送にはきわめて抑制的で、せいぜい創価学会の出版部門である「聖教新聞社」名義で関連書籍の広告が掲載されるか、「潮」「第三文明」といった関連会社の書籍広告が掲載されるのが目立つ程度だった。

  日本新聞協会の「新聞広告掲載基準」には宗教団体による広告に関する記載はないが、例えば西日本新聞社(福岡市)の場合は「宗教団体の広告は、内容、表現が妥当と認められたものに限り掲載します。ただし、次の事項に該当するものは掲載しません」とあり、掲載しないものとして「信仰による利益を著しく強調したもの」「読者に不安感を与えるもの」「勢力拡大を標榜するもの」「布教宣伝にかかわるもの」など9項目が記載されている。このため、各社とも宗教団体の広告掲載には慎重で、せいぜい、毎日新聞が09年11月18日に、「核兵器のある今日から、核兵器のない明日へ」と題する創価学会の全15段のカラー広告を掲載したのが目立つぐらいだ。11月18日は、創価学会の創立記念日にあたるが、毎日新聞は08年にも7段のカラー広告を掲載している。

  ところがここにきて、毎日新聞以外の新聞に、別の宗教団体の広告が掲載され、波紋を広げそうだ。広告を掲載したのは仏教系の新興宗教「阿含宗」(京都市)で、掲載されたのは2010年1月29日の朝日新聞朝刊。カラーで、1ページ全部を使い、阿含宗のイベント「阿含の星まつり」をPRするものだ。阿含宗は1978年に創立され、最近は広告や出版にも力を入れている。最近で全国メディアに露出した例では、「週刊新潮」09年4月2日号のグラビアページに、「星まつり」の様子を特集する企画広告が3ページにわたって掲載された例などがある。

  さらに、朝日新聞に掲載された広告によると、2月11日に行われる「星まつり」は、全国のUHF局9局で生放送、4局で録画放送されるという。阿含宗がテレビ・雑誌・新聞ともにPR活動に力を入れていることがうかがえるが、やはり全国紙に全面広告が掲載されるのは異例だ。業界内では、「広告収入が減少する中、宗教団体は貴重なクライアントなのでは」との指摘も根強いが、朝日新聞社広報部では、「弊社の広告掲載基準や、個々の広告掲載の経緯、今後の広告掲載方針は公表しておりません」と、広告掲載の狙いについて口を閉ざしている。

  また、前出の創価学会についても、「これまでは地方局中心だったテレビCMが、キー局でも『解禁』になるのでは」との観測もある。ただし、創価学会広報室では「その種のご質問にはお答えしておりません」とのみコメントしている。09年8月の衆院総選挙の際には、「幸福の科学」傘下の「幸福実現党」が各メディアに大量の広告を出稿し、各テレビ局は対応に苦慮した末にオンエアに踏み切ったローカル局もある。今後も、メディアと宗教団体との距離感が問われることになりそうだ。
(J-CAST、2010年1月29日)

  旧暦では節分から節分が1年間、となりますからね。朝日の広告は朝刊一面に燃え盛る護摩の炎の壮観な写真で、これはインパクトありますねー。桐山靖雄大僧正という「現代の釈迦」を広告したことで朝日新聞はこの2011年、さぞかしご利益を満喫実感されたことと思います。今年はもう出たのでしょうか。この記事でせっかく直ったPCが、またいきなり故障しちゃうかも?w まあそれもこの季節、すべて想定内ということで。

国防費削減と部隊再編に残る普天間

  在沖米海兵隊のグアム移転計画をめぐり、米国防総省が米議会との水面下の交渉で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への代替施設建設を断念する意向を伝達していたことが3日、分かった。同飛行場の移設・返還については日米間で協議をやり直す見通し。複数の米議会筋が本紙の取材に対して明らかにした。

  米軍側は、中国の軍事力拡大を背景に沖縄に集中する海兵隊の拠点をアジア太平洋地域に分散させる必要性が高まったとして、2000~2500人規模の部隊編成に再構成。グアムやハワイやオーストラリア、フィリピンなどに分散移転させる案などを立案していた。計画の変更について議会筋は「グアム移転協定の再交渉を視野に入れた再協議が必要となる」との見通しを示した。

  オバマ政権は向こう10年間で国防費約4900億ドルと海兵隊員約2万人を削減する方針を打ち出した。一方、米議会は巨費を要する代替施設の建設は政権の方針に逆行しているとし、必要性を具体的戦略とともに示すよう要請。今春から本格化する議会で追及する構えを見せていた。

  米上院のレビン軍事委員長(民主)とマケイン筆頭委員(共和)、ウェッブ外交委員会東アジア太平洋小委員長(民主)は昨年5月、在沖海兵隊のグアム移転計画について、巨額を要するため必要性に疑問を提示。「計画は非現実的で実現不可能」と述べ、普天間飛行場の名護市辺野古への移設を断念し、米軍嘉手納基地への統合の検討を含めた現行計画の見直しを米国防総省に要請していた。米議会筋によると、当時から米政府内では「代替施設の建設は困難」との見方が出ていたという。
(沖縄タイムズ、2月4日)

  玄葉光一郎外相は3日夜、外務省で記者会見し、06年に日米両政府が合意した在日米軍再編のロードマップ(行程表)について「一定の柔軟性を持って米政府と協議している」と述べ、見直し作業に入ったことを明らかにした。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設がなくても、在沖縄米海兵隊の海外移転を進めることを目指す。沖縄の基地負担の軽減が図られる一方、普天間飛行場の固定化につながる懸念もある。

  ロードマップは普天間移設と海兵隊移転を一体で行うとしている。しかし、沖縄の反発で普天間移設は膠着状態となり、米議会は12会計年度(11年10月~12年9月)のグアム移転予算を全額削除。米国が国防費削減方針を打ち出したこともあり、実現目処は立っていない。米ブルームバーグ通信は2日、在沖縄米海兵隊に関して「オバマ政権が、グアム移転の人数を4500人に減らし、4000人はオーストラリアやフィリピン、ハワイをローテーションさせる計画だ」と報道。海兵隊移転については普天間移設の進展を前提としない考えだと伝えた。

  ロードマップ見直しの背景には、インフラ整備費のかかるグアム移転の規模を小さくすることで、経費圧縮を米議会に示したい米政府側の事情がある。さらに、グアム以外の拠点に海兵隊を分散させれば、アジア太平洋重視の新国防戦略の具体化にもつながる。日本にとっては、普天間移設前の海兵隊移転により、沖縄の基地負担軽減をアピールできる可能性がある。一方、ロードマップから普天間が置き去りにされ「米軍再編はなったが、普天間はそのまま」となる懸念もはらむ。玄葉外相はブルームバーグの報道について「詳細は控えたい」と述べるにとどめた上で、「普天間の移設先は辺野古が最善であるとの考え方と、沖縄に残留する海兵隊の定員が約1万人になるということに変わりはない」と語った。
(毎日新聞、2月4日)

  やはりパネッタ長官、経費削減策の指示通達が迅速ですね。とりあえずは普天間基地の位置はそのままに、危険軽減策を強化して、さらなる事態の進展は図れないものでしょうか。普天間も一環に加えた周辺基地へのローテーションで、一時期の住民負担も持ち回り、というのは非現実的な案でしょうか。

石原新党の問いにどう応えるか

  …万が一石原・橋下連合ができたとすれば、その時こそ本当の意味での良質な政治家たちのリベラル政党が生まれるかもしれない。そういう意味で、どっちに転んでも私は今度の石原新党結成に動きを歓迎するのである。そのことについてもう少し詳しく説明したい。

  結論から言えば、私は今度の動きはうまくいかないと思ってる。その証拠にメディアもほとんどすべて懐疑的に報道している。今週末のテレビもこの事ばかりを特集報道するだろうが、関係者が話せば話すほど矛盾が出てくるだろう。彼らの第一の失敗は、十分な合意のないままにこのニュースが流れ、一人歩きしたことである。明らかに焦りの見える亀井の先走りだ。ここまで騒がれた以上、話がまとまらずに新党結成が出来なければ彼らは恥をかく。おしまいだ。だから彼らは新党結成に突き進むしかない。これではうまくいく筈がない。

  二つ目は石原新党ができた時の国民の受け止め方である。石原ファンは多いだろうが、石原に反発する国民も多い。決して、国民的広がりは起こらない。国民的広がりにならない以上石原新党ができてもインパクトはない。むしろ保守が分裂して保守党たちの混迷につながる。

  三つ目に、これが最も重要なところだが、橋下がどう対応するかだ。石原新党が唯一広がりを持つ可能性があるとすればそれは橋下と組む場合だ。しかし、結論から言えば私は橋下は石原新党に合流する事はないと思う。もし橋下が石原に合流したら橋下もまた終わりになる。なぜか。

  石原新党は石原自身が公言しているように極右の保守イデオロギーを優先する政党である。経済問題の違い(増税賛成か反対か)などは二の次であると石原自身言っている。こんな馬鹿な事を言っている政党に橋下が合流すれば、橋下もまた極右のイデオロギストであるということだ。しかし橋下に大阪市民や国民が期待していることはそんなことではない。

  暮らしの立て直しだ。国民生活をここまで苦しくした政治・行政の無駄、無能に対する改革だ。橋下改革に対する期待が続くためには、彼があくまでも地域政党にとどまり、地域から日本を変える、地域から国民の暮らしをよくしていく、ということを訴え、実践する事しかない。それをやらずして、右傾化教育の徹底や、中国、アジア敵視のような事を石原と一緒になって言い出すだすようでは橋下は終わる。

  私は橋下は馬鹿でないから石原新党にもろ手をあげて合流することはないと思っている。こうして橋下に振られた石原新党はますます色あせたものになる。これが私の見立てであるが、4番目として、万が一私の見立てが外れて石原・橋下連合の石原新党が出来るようになると確かに大きな政治の流れができる可能性がある。その場合は石原首相、もしくは橋下首相の政治がこの国に生まれるかもしれない。しかし、そうなればそうなったで、私はこれを歓迎する。

  なぜならばその場合は、この国のリベラル派の危機感が高まり、この国の政治の中で、いままでには考えられなかったリベラル政党が生まれる可能性が出てくるからだ。それは決して共産党や社民党の復権ではない。共産党や社民党では国民はついていかない。石原・橋下連合に一蹴されて終わりだ。そうではなくて、イデオロギーにとらわれない真のリベラル政党が生まれた時、それがたとえ小さな政党であっても、その質、実力において石原・橋下連合に負けない力強いリベラル政党になる可能性が高い。そしてそのようなリベラル政党こそ、私がこの国の政治に望むものである。

  果たしてそのような政党を率いる人物が出てくるのか。その人物とは誰か。それを考えることもまた面白い。もし、石原・橋下連合が出来てもそれに対抗するリベラル政党がこの国に生まれないようではこの国はおしまいだ。この国の国民は所詮そのレベルだということだ。それはそれで一つの発見であり、確認だ。決して無駄なことではない。失望することでもない。主役はあくまでも我々国民一人一人だ。その思いを強めてこの国の政治に向かい合っていけばいいだけの話だ。以上述べてきた多くの理由により、私は石原新党結成の動きを心から歓迎する。
(天木直人ブログ、1月28日より抜粋)

  さてさて、やっとPCも復旧したので相も変らぬ引用頼みの愚考と駄文を綴って行きたいと思います。まあ石原新党の動き、新党礎ですか、私は賛成です。この党名の通り、現代日本国土の保守という命題を国民に問うのは必要で、私は頓挫どころか翼賛会的拡散を見ると思います。もはや日本の誇りは地に堕ちてますからね。ただそこで言われるのが日の丸・君が代の先にある「改憲」で、自民の進次郎氏や民主の前原氏が乗ってくると思います。で一気にドーっと自衛軍可決…従ってここで自衛隊整備堅持を併用するこの混迷する時代の渦中に政権担当実務能力のある護憲政党が出てくることが望みですね。やはり核武装にしても、例えばエマニュエル・トッド氏もそうですし、それが日本に現実的か否かは別にして、BRICs4ヶ国などは実際核抑止力を背景に持っているわけでしょう。そういった対米自立の姿勢が、経済成長に大きく関っている点はあると思うのです。ハイテクの進化が防衛にどう影響を及ぼすか? ただ、原発運営にも失敗してしまった日本が経済成長と対米自立・外交防衛をどうするの、といった問いにただ「平和友好で」だけじゃなく、具体的に日本の特質を活かした現実的回答が必要になってくるでしょう。当然これは“左翼”の定型化されたフィールドではなく、日の丸を背負う力強いリベラル政党の登場が待たれるところです。石原都知事・亀井党首にも期待大ですし、その一方で「安心できる暮らし・生活防衛」を考えた場合、選択肢は“日の丸万歳”だけでいいの?ということになるでしょう。社民・共産の理想や思想をどう具体的現実的に発展具現化、成功させるかということでしょうね。こんな現状ではかなりの難題ではあります。

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時示郎

Author:時示郎
宗教批判を切り口に政治社会を眺める素人のつぶやきです。東日本大震災の被災者の皆さまには謹んでお見舞いを申し上げます。


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