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NY護摩と地球壊滅

2012.01.25(12:49)

  阿含宗・桐山管長は、2000年11月2日から7日までニューヨークを訪問。11月4日(現地時間)、ニューヨーク・マンハッタンにある教会ユニタリアン・チャーチ・オブ・オール・ソウルズで「ニューヨーク護摩法要・講演」に臨まれ、世界の中心ニューヨークで阿含の智慧の護摩の神髄を示されました。以下に桐山管長のメッセージをご紹介いたします。このメッセージは、「ニューヨーク護摩法要・講演」に先がけて、阿含宗のホームページ(英語)やニューヨークの雑誌において、法要告知とともに発表されたものです。

  私、思いますのに、今、人類に最も必要なものは、平等にして差別なき隣人愛と、すぐれた高度の叡智であると思います。21世紀に入ろうとしている今、人類がいまだに爭いと貧困から脱出できないのは、この二つが欠けているからだと思います。殊に、叡智が欠けているのではないでしょうか? 隣人愛がいちじるしく欠けているとは、私は思いません。宗教が常に説いている愛と慈悲が、人間に欠けているとは、私には思えないのです。愛と慈悲は、本來、人間が生まれつき持っている特質です。その特質を持った人間どうしが、憎み合い、傷つけ合い、殺し合い、奪い合うという行動をするのはなぜでしょうか?

  それは、愛と慈悲が欠けているのではなく、叡智が欠けているからだと私は考えます。人間が本來持っている特質である愛と慈悲を目ざめさせ、発現させ、正しく伸展させて行くのは叡智であると私は思います。そしてその叡智も、愛と慈悲と同様、人間が本來持っている特質であります。ですから、私は、この特質を、人類はもっと重く考え、大切にすべきであると主張します。いま、私は、私の主張という言葉を使いましたが、実は、これは仏陀の教えられたことなのです。このたび、阿含宗がニューヨークで焚く護摩の秘儀は、仏陀のこの教えに基いた叡智を高度に成長させるための仏教の瞑想法です。私は、この護摩を焚くことにより、仏陀の説いた叡智を重んじ、叡智を身につけることを大切にする風潮を世に弘めたいと思うのです。
(阿含宗HPより抜粋)

  桐山管長率いる阿含宗一行が2000年秋、わざわざNYの教会まで出向いてそこで世界平和の護摩を焚いたわけです。その後アメリカでは何が起きたのか? お正月は勿論、2月の節分から建国記念日に前後して日本各地の神社仏閣で恒例の護摩焚きが行われている筈です。3月11日の1ヶ月前だなんてとんだ濡れ衣もいい所ではないか、そういう声も聞こえてきそうです。当然阿含宗の護摩供養自体に犯罪性など認められる筈もありません。しかし不況長引く昨今、多くの人々が金銭的欲求や健康不安、様々な悩みを抱えて京都の総本山にすがって来ることは明らかです。同時多発テロ、東日本大震災が発生した年、景気回復・世界平和、個人的にもそれを心から実感できたでしょうか? 2000年以前、桐山さんは不吉な世紀末大予言を書籍などで次々と繰り出していたのです。

  …インドから帰国後、桐山氏の世紀末破壊の脅迫的妄想はもっと具体的になります。1982年の「輪廻する葦」の中で、「原爆は三度落ちる」と題して、次のように書いています。「原爆はこの国にもう一度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。」いつ落ちるとは書いていないから、この予言がはずれたとは言えません。しかし、その前後から、1999年に原爆が落ちるという意味でしょう。1984年の「間脳思考」では、次のように書いています。「読者よ、いまや、人類は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。核ミサイルによる地獄の業火か、シャカの仏法によるきよらかな霊光(オーラ)か、二つに一つである。」この2冊の本では、1999年には核ミサイルが日本に飛んできて、日本に3度目の原爆が落ちるのだ、と述べています。

  1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。桐山氏は全国から集まった約1万人の聴衆に前述の内容を熱く語りかけました。後で、この場面を見ると桐山氏本人も感動すると言っていたほどです。桐山氏の自信に満ちた感動的な言葉で、3度目の原爆が落ちる、自分には見えるのだ、言われれば、多くの信者が信じたとしてもおかしくありません。だが、桐山氏の目にはっきり見えたはずの原爆はこの後、様変わりします。1988年の「地球壊滅」は、原発をテロリストが攻撃して、大惨事になるという小説です。1984年までは原爆で、1988年に原発崩壊と様変わりした原因はなんでしょうか。

  もちろん、1986年におきたチェルノブイリ原発事故です。冷戦時代には、ソ連が攻めてくる、核ミサイルが飛んでくるのではないか、という恐怖感が日本の中にありました。だから、1986年以前は、桐山氏は核ミサイルを持ち出しただけです。当時、桐山氏は、北海道の信者に、個人的な恨みでもあるのかと思う程、因縁が悪い、レベルが低いなどと、吐き捨てるように脅迫していました。信者たちは、桐山氏の霊眼には北海道の破滅的な未来が見えているから、救うために、叱咤していると信じていました。その頃、北海道にソ連が攻めて来る、核攻撃があるという話がありました。単に、桐山氏もまたこういう噂を信じて、利用していただけです。原爆や核ミサイルが「それがわたくしには見えるのだ」とまで書いているのに、1986年からは事情が変わったから、さっさと原発崩壊に乗り換えたのです。
(2ちゃんねるより抜粋)

  そこまで霊視ができるのであれば、そんな桐山さんが平和の護摩を焚いたのだから世界滅亡や原爆投下ももう起こらない!とか断言してくれてもよさそうなものですが…何のための護摩焚きなのでしょうか? そもそもお釈迦様に成った桐山さんが、釈迦の成仏法を密教護摩に応用しているという触れ込みなんですよ? 通常より強力なご利益が期待できそうな話ですが… これらの経緯に加えて小泉政権末期から自民党の応援団に加わるというおまけも付くのです。さらに阿含宗は結果的にオウム真理教の母体となった事実も否めません。悪いことは言いませんから節分シーズンは阿含宗以外のお寺に参詣することを強くお勧めする次第です。
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余震と雑感~汚泥と蓮華

2012.01.25(11:58)

  さて、前回の「無価値」「等価」すなわち「上位点の不在」ということを伏線を通じて見て行きたい。まずは「汚泥の裡の蓮華」すなわち法華である。顕教たる法華宗(日蓮宗)では当然この「蓮華のような菩薩になれ」と指導する。または「この蓮華を拝むとご利益がある」ということか。顕教とはどこまでも「価値」を追究する宗教であるから、「価値ある本尊と同一化すれば、無価値であった自己や世間が価値化する・シフトする」ということであろう。しかし卑見によれば密教は「煩悩一元」であるから、このイメージの主人公は蓮華よりも汚泥こそにある。むしろ「蓮華たる菩薩は汚泥に染まって生きよ」と示唆されているかのように妄想する。こちらの方が現実的だし、善悪超えた人生経験も付くのではないか。

  ここで思い出すのが野田首相で有名になった相田みつを氏の泥鰌と金魚の対比である。泥鰌は金魚になれない、だから泥鰌のまま、泥鰌の生活を味わう-これが卑見による「努力は不要」「努力しない」生き方である。これは「観念上の“移転・シフト”の現実的否定」ということであろう。花は何か上位の目的なく、自然の他力によってただ成長し、咲くのである。人間の生もまたその一部に他ならない。ただ花は種の時代からそもそもそういう花であり、そういう植物なのである。昆虫もそう、人間もそうだ。それらが「自分が変わる、自分を変える」ことなんてできるのか、それは“絶対他力”の一部じゃないのか、という話であろう。人生という有限のエネルギーは、神を含む観念的な目的・目標の手段ではなく、それと同等の価値があるのだ、ということではないだろうか。金剛界は人格の完成の否定=未完成の肯定、胎蔵海は理想世界の否定=煩悩世間の肯定と妄想する。神仏観念一切を含んだカルマ・生命が平等に価値ある存在だ、というのが私の曼荼羅のイメージである。

  従って「腐敗した」汚泥の裡に輝く「潔癖な」蓮華というのはエゴイズムも甚だしいのであって、密教では汚泥の一部としての蓮華と捉え直すべきである。そうしてこそ初めて、汚泥全体のエネルギーも活用できるというものだ。蓮華自身が自助努力でウンウン唸ってもダメで、土地を肥沃にし、水や日光という“他力”を適度に与えれば自然に蓮華の種子が開花するのである。一見汚泥とは対極なものも、元々は汚泥から生まれ、汚泥によって育成されるという事か。

  話を戻せば、既知だけでなく未知の誘惑も退ける、徒に価値を置かないということは、昨今の新興宗教問題、特にオウムのようなカルト問題に関係してくると思う。何故常識的な善男善女が財産を投げ打ち、殊に善良な碩学が怪しげなカルトにお墨付きを与えてしまうのか? 私の回答は「未知への探究心が強いから」である。常識人である彼らは既知の世界にはもう飽き飽き、うんざりしている。だからこそ、未知の世界へ大いに期待するのではないだろうか。

  反対に現実的・実務的・科学的な言動ばかりでは、たとえそれが正しくとも周囲にはうんざりされるであろう。科学にせよ神秘にせよ、生真面目かつ潔癖な彼ら“崇拝者”の問題点は、既知や未知の“境地”にある種の「完成」を覚え、その基準に見合わない現象は「未完成」「中途半端」として切り捨てる傾向がある、ということだ。これは当然私自身にもいえる。「無明とは目的意識である」と卑見妄想するポイントはそこにある。

  元々生物学的・原始的な欲動が根底にはあるのであろう。そしてその結果「求める対象は実在しない」「半端や腐敗の寄せ集め」に過ぎないということだ。カルト信者の依存対象が「カリスマ教祖サマ」であり、論理的で実直な人間ほどこの「完成と未完成」のジレンマに陥りやすい。真言宗・日蓮宗・新興宗教に限らず、宗教をやって成功するか失敗するかのポイント・分岐点はここら辺にあると思う。言語と実際の欺瞞を自覚する、これは実に重要なことである。ただこうした認識と科学の進歩とは余り関係がないような気がする。むしろ既定の言語上の存在に対して実証的見地から疑義を呈するのが科学的態度ではないかと思う。

  煩悩の裡にある既知・未知の“価値”という炎を吹き消す行為が涅槃寂静であり、来るべき社会への手段階梯ではなく、ただ目前の一人のためにする行為が利他の筈である。それは他力によって自分に還ってくるという事だ。人生の目的とか意味・価値はその上位にあるのではなく、人生そのものに内蔵されている、生きてみれば自ずと意味が生ずる、という事かも知れない。すなわち密教における蓮華とは汚泥の結晶に他ならない。以上いつもの卑見でした。

余震と雑感~既知と未知

2012.01.24(20:45)

  年頭にサトリとは「無目的」のことだと卑見・妄想したが、舌足らずだったので追加したい。繰り返すがこれはあくまでも私個人の妄想所感である。真面目に興味のある方は専門書・専門家に拠ってほしい。さて、手掛かりは空海の十住心論や秘蔵宝鑰だが、この第9住心まで「対立的に考えるから本当のサトリではない」とダメ出しをしているのである。因みに“真言宗の矛盾”については津田真一先生で、私はまだ著作を読み込む力が不足しているからお名前を出さなかったのである。「十住心論」「密教のこころ(読売ムック)」「反密教学」と難解な論文が出ているのでお判りになった方も結構多いようである。この「矛盾」がサトリとは何かという問いと密接に関連していることはいうまでもない。余り内実について喋るのは本来越法という重罪になるのだが、得度もしていない素人卑見なのでそこはスルーする。案の定「努力」や「矛盾」で騒ぎがあるようだが、それも興味のない人々としておいておく。これは日常生活ではなく、宗教・仏法の考察だからである。

  だから「無目的」とは日本語に不勉強なのでうまくいえないが、「無価値」ひいては「等価」、「上位点の不在」「優越点の否定」とでもいうべき感覚だ。法華経にも不案内なのでご専門の皆さんには呆れられてしまうが、既に真言宗ご関係者からも総スカンを食らっている模様なので、安心して妄想を進めていく。法華経の経文ではなく、ここではズバリ「汚泥の中の蓮華」というイメージを法華として扱う。これは元々儒教に出典があるようで、煩悩に溺れる俗人でなく、隠遁に籠る聖者でもなく、その中道、つまり俗世にあっても煩悩の垢に染まらず美徳・仏性の華を咲かせる“菩薩”のことをいうようだ。で、これは第8住心で、空海によってあっさりアウトw 何故? よくできてる教えじゃん! …因みに第9住心はスフィンクスの像?やら大海の波浪の喩えで一即多、華厳の教え、これも究極ではない。

  で、まず私が考えたのは「密教のホトケは煩悩一元」ということ。苦悩の原因は価値化による分別心に起因するので、拝む時の仏さまにも取り立てて価値を認めない、さりとて凡夫たる人間の側も特に卑下しない、すなわち「等価」なのである。で、人間は何を価値化するのかといえば「未知と既知」である。過去の記憶の再現であれば既知、不満な現状からの脱出であれば未知であろう。この既知と未知の二極が分別心の元になり、強く求めたり拒絶忌避したりする対象になると思う。潜在意識の深層まで含めた煩悩丸ごとの中で、未知と既知の境界線は微妙曖昧である。だからこそ、どんなに神秘体験を積み重ねても「これでは満足できない」といえばそうなるし、どんなに薄っぺらな人生でも、「余は満足じゃ」といえば御意になる。自我・煩悩・俯瞰者の既知・未知の何処に先天的な、確立された価値があるのかといえば、多分ないのだろう。むしろ自我や俯瞰者とはそのあやふやな曖昧模糊とした主観の流動的な境界線に過ぎないのではないだろうか。

  阿含経も含めた膨大な経典群を誇る大乗仏教時代、釈迦のサトリは判らないものとされてきた。しかし密教はそれを人間による「未知の探究」と捉えたのかも知れない。かくして密教は釈迦如来に「私は解脱が何か、もう解りません」と金剛薩埵に対して言わせたのだ。このシーンは実在の釈迦が断食を中断したときの心境である。一説では釈迦は供養された乳粥を匙や手で少しずつ掬わず、お椀をひっくり返してジョッキの生ビールみたいに一気飲みしたというのである。これが事実だとすれば明らかに無欲を目指す断食の失敗・挫折であろう。で、結局「無欲」「満足」「サトリ」とはこれと決定できない既知と未知の間を揺れ動く観念だと考えたのではないか。真言を唱えれば確かに効果は現れるが、それが主観的か万人共通の境地か、正しいか誤っているかと問われれば平安裡に問題が解決するかしないか以外に答えようがないだろう。煩悩一元でその中に仏もおり、既知と未知とを等価平等に捉え、優劣に精神を徒に左右されずに生きてゆく、これが卑見による現在の妄想である。顕教とはそれが真如にせよ、どこまでも価値を追い求める宗教であるが、密教はどうも違うようなのである。次回は蛇足をもう少し。

原発賛否の過去・現在・未来

2012.01.24(14:03)

2011年5月2日動画

Alex Jones:
  バズビー博士は、科学物理学者で、BBCやEUの専門部会に忠告をしており、アイルランドのオルスター大学で尊敬されている客員教授であり、本日はこの番組に電話出演していただきます。バズビー氏のいくつかのウェブサイトで情報が公開されていますので、検索して観ることができます。私は、警鐘を鳴らさなければいけませんが、バズビー氏の当番組への出演により、注目を浴びることになり、大衆が実際に聞くことになるでしょう。放射線同位元素の測定値があり、それがメルトダウンを明示しています。原子炉用の核燃料棒が、空に爆発飛散していますが、隠蔽されているのです。これは、チェルノブイリより更に悪い! そして、バズビー氏がこの番組に出た時は、我々は非難されたのです。人々が言いました。“ほんとに見苦しい。そんなのは、本当じゃない!”と。1ヶ月後にそれがニュースになると、表に出ていたトップ科学者は辞任し、日本の首相も辞任しました。彼らは隠蔽していたのです。日本の中央部から南へ人々の大移動がありました。それなのに政府は安全だと言い、国民は馬鹿だとした。放射能中毒の関連死が、報告されているのにですよ! フクシマ50が、そこに残りました。そして、今は、見えないから、関心がなくなっている。我々に報告を頂きたい。2011年の災害の記録を残す準備の為、そして、福島原発事故からどれだけ時間が経ったか正確な記録の為、バズビー博士に、何が起きたのかを要約して説明いただきます。新たな災害が起きていることについて、その将来がどうなって行くのかについてです。博士、ご出演ありがとうございます。

Dr. Busby:
  こんにちは。将来、人々はこれを思い返して、日本の原発事故は、おそらく人類史上最も深刻な社会の健康被害事故として認識されるでしょう。膨大な量の放射能が放出され、そして、いまだに日本北部の広大な地域を汚染しています。最近、日本政府により、原発で何が起きたのかという、その経過報告がされました。私は、ここで言わなければなりません。原発事故が起きてすぐに、BBCやITNで、最初に私がした総ての予想が正確だった事が、これで証明されたのです。それにも関らず、あなたが先に言ったように、誰もが言いました。“この予想は、脅かしていて見苦しい。”“この男は間違っているし、でっち上げだ。”などと。これも言わせて下さい。誰もこの事について、私に謝罪しませんでした。この非難の影響はひどいものでした。原発で何が起きているのか誰にもわからないのです。間違った質問がされ、その答えが戻ってきてないのです。

Alex Jones:
  トワイライトゾーンのようなコメントが、ガーディアン新聞の人達により、言われているのが、福島原発の4つの原子炉が、驚くほど、ざわざわしているのです。

Dr. Busby:
  はい。ですから、ジョージ・モンビオ氏が、ガーデイアン誌のコラムで、2週に渡って、私を個人的に攻撃し、中傷や戯言や嘘をつきました。イライラさせられても、私には何もすることができないのです。ガーデイアン誌は、その事についての私への返答を拒否しました。私にしてみると、この事は全世界的に行われている活動の一部であり、都市の電力供給や現代文明の為の総ての問題解決の方策として、"核"を使用するためです。私の懸念は、現代文明が、何か悪い指示を出して、この社会に住む人々を殺しているのです。社会の仕組みが、人々を殺しているのです。それは、あなたがよく話されていることです。私も実際に、あなたに同意します。システムそのものが、持続可能ではないのです。絶対に間違いなのです。原子力発電だけでなく、権力構造も含まれる経済構造の仕組みを、なんとかしなければならないのです。世界中の人々にとって、これでは生存出来なくなる。非常に恐ろしいことなのです。

Alex Jones:
  例えばですね、30年前にこの課題について、代表的な経済学者と話しました。米国や英国政府、他の国でも、失業率やインフレのとても正確な経済学的数値を出していました。いまは、完全に偽の数値を出して、失業率が8.9%とするが、実際は22%以上です。インフレが3%だと言い、実際は11%以上なのです。いま、支配階級の人達は、ほとんど狂っているのです。放射能を吸っている子供たちがいる。86年のチェルノブイリでは、彼らは本当の努力をしました。人々が、被曝した食べ物を避けるよう、少なくとも6ヶ月は牛乳を飲まないようするように伝えようとした。いま、日本の支配階級は、それをしようともしない!

Dr. Busby:
  ええ。ソ連では、努力していました。福島原発事故の当初は、誰もがチェルノブイリのようにはならないと言っていた。実際は、ソ連の専門家は、チェルノブイリから人々を、素早く避難させました。彼らは、本当に最善を尽くしました。ここで見えるのが、ほとんどまったく皮肉で犯罪的な方針を言い、膨大な数の人々を犠牲にして、"核"の未来を守ることを追求したのです。私には、どうしてこうなったのか、よくわからないのです。人々が私に何度も聞いてきます。“彼らの子供たちが、この人災にさらされて苦しむ結果になることを、どうして彼らは認めないのか?”彼らは、認めない様なのです。これは今、西洋社会がソビエト化(統制化)していく歴史のある種の蘇りなのです。大新聞社のガーデイアンのジョージ・モンデオ氏が、このことを書きつつ、原発推進論へと変換させている。彼らが、この隠蔽システムの一部のようで、スターリンの最悪の時代よりさらに悪い。ですから、何が起きていくのか知るのは、本当に難しい。

Alex Jones:
  どうなっているのか非常に良い説明をされましたね。本当の歴史分析をすると知らなかったことが認められる。なぜなら、隠されていたからですね。なにが起ったのですか? 9ヶ月、ほぼ10ヶ月前の2011年3月11日の津波のことに戻して、6つの福島の原子炉に、なにが起ったのですか?

Dr. Busby:
  私が言えるのは、こうです。非常に大きな地震が起り、地震が原子炉に損傷を与えた。津波が来る前です。この損傷が、原子炉への循環冷却装置を断絶させた為、冷却水が沸騰し始め、炉心溶融が始まり、メルトダウンした。地震の時、自動的に原子炉を自動停止し、バックアップ発電システムが、循環冷却を続けることになっていましたが、津波の水によりそれが一掃されてしまった。それは正しい発表ですが、これが問題ではないのです。なぜなら、次に起った(3号機)核爆発と(1号機)水素爆発が、原子炉を、最初の1週間で破壊してしまった事、が問題だと思います。そして、とても離れた東京の南側でも、その放射能レベルは、各種放射線観測器で計測してわかったのです。放射能レベルが上昇し、高く一定しているのを見ることが出来ます。津波後の週の月曜日です。その当時、我々は原子炉がメルトダウンしているのを判っていたのです。しかし、その時、国際原子力機関、東電、日本政府は、まだ問題はないと人々に伝え、原子炉圧力容器が保たれていると言ってのけた。Youtubeのビデオをみれば明らかなのに、この事実は興味深く、憂鬱にさせられますね。今や、ニュースは、新聞からでなく、Youtubeから得なければならないのですよ。Youtubeのビデオを見ると、3号機原発の爆発はとても大きく、水素爆発では有り得ないのがわかります。ですから、私は、その時、これは核爆発で、チェルノブイリ原発の爆発と同様だ、と言ったのです。

Alex Jones:
  ところで、この番組に招いた物理学者が、“そんなことは有り得ない。”と言っていました。別の物理学者に聞くと、“有り得ない!有る程度の(臨界)レベルにならないと小さな爆発すら起きない。”と言っていました。ですが、あなたはそれが起り得るとすると発言されている物理学者ですね。マスメディアは、有り得ないと長い間、論じていますね。

Dr. Busby:
  彼らが、有り得ないと言うのは、有名な英国の物理学者が、1959年のチュクチ海でのチャリオットで起きた有名な爆発について論じているからです。使用済み燃料の爆発はこれに似ていて、彼は、そんなことは起り得ないとしていたが、実際に起きたのです。私は、その爆発が起きた原因は…。

Alex Jones:
  バズビーさん、すみませんが、CMですので、ちょっと待って下さい。フクシマの話に戻り、いま何が起きているのか、そして別の災害についてのお話を頂きます。バズビー博士は、どの様にその核爆発が起きたのかについてお話しされようとしていました。もちろん、最初に博士が、放射性同位元素が検出報告されたとき、彼らは、この爆発があった時にのみ、その元素の検出がある事を認めざるを得なかった。

Dr. Busby:
  はい、その通りです。我々は、すぐに“彼らがこの放射性同位元素が、この種の爆発により発生するのがわからない”のだと判りました。ここが重要な点なのです。実際に、少なくとも、ひとつの原発で核爆発があり、プルトニウムとウランの混合MOX燃料ですからね。温度が上昇し過ぎると、何が起きるかと言うと、そのうち一つが違う温度で溶け落ち濃縮し、原子炉格納容器の冷却部分の格納タンクに入ってしまう。もちろん、臨界質量の数キログラムが必要になり、そして核爆弾になる。ですから、それにはメカニズムがあり、簡単に説明できます。まるで、アルコールを水で蒸留するようなもので、プルトニウムをウランで蒸留するのです。温度が合わないだけなのです。総てのプルトニウムは、一か所に集まるのです。

Alex Jones:
  爆発が周りで起きており、警戒できる爆発だったかもしれなかったですよね。

Dr. Busby:
  その状況下では、わからないことが多いのです。実際、科学者ですらわからないのです。私が指摘したいのはそこなのです。物理学者が、数学的に世界を縮小して、世界を説明するのに有効だと信じている簡単な方程式で計算する。実際には、よく、時に間違うのです。なぜなら、思いもよらないことを排除しているからです。

Alex Jones:
  カオス論ですね。

Dr. Busby:
  ええ、そうです。その通りです。思い出してください。物理学者は、95%の宇宙の中身を知らないのです。彼らは、それをダークマターと呼び、何だかわかっていないのですよ。彼らが、原子力発電所やその計算について語るときに、どうやって彼らを信じればいいのでしょうか? とても興味深い疑問なのです。

Alex Jones:
  事実ですね! 博士。今では、ブラックホールがあり、クエーサーや恒星の爆発、証明されたものにノーベル賞が渡されていますね。エネルギーは、それらのためにあることを発見し、それこそがダーク・マターなのだと。

Dr. Busby:
  その通りです。ダーク・マターは、まるで、呼び起された“悪魔”のようなものです。多くのとんでもない方程式を掛け合わせて、これが答えを導き出すと言うのです。 そして、5%の答えだけ判り、残りは“悪魔”だと言うのです。それを、“ダーク・マター”と呼ぶのです。私が観た限り、ガリレオ時代の初期の教会と大して変わらないのです。

Alex Jones:
  人類は、多くのハイテクを手に入れましたが、ほとんど何が何に関連しているのか判っていないのですね。

Dr. Busby:
  それが真実でしょうね。前世紀は、物理学の世紀だと思いますね。そこで気づくべきでした。物理学は、非常に力のある道具ですが、負の道具でもあるのです。物理学者が話す、魔法の様な考えを、人々が信じるのを止める時なのです。常識的に、そうじゃないからです。放射能や健康への影響は、私の専門分野で、確かに違うのです。福島原発事故の結果として、多くの人達が亡くなり始めるでしょう。しかし、現在は、彼らは誰も死んでないと言う。

Alex Jones:
  私は、原発で働いていたときに亡くなっている、日本の報告を見ました。何かの原因で亡くなったと。

Dr. Busby:
  もちろん。彼らはそういうでしょう。チェルノブイリでも同じように言っていました。我々は、【フクシマと健康-何が起きるのか?】と言う本を、ちょうど出版しました。チェルノブイリ事故後の調査が基になっており、我々は、フクシマで何が起きるのか判っているのです。もう既に、起っているのです! 私は、Eメールを定期的に受けとっており、そこには、“人々が、ポックリ亡くなった”とか、“学童がポックリ亡くなった”とか、“1分後に心臓が止まり、そして亡くなった”とかです。これはまさに、チェルノブイリで我々が見たのとまったく同じなのです。なぜなら、セシウムが心臓の筋肉に蓄積され、心筋を破壊するからです。そして、確実に有る程度の心筋が失われ、心臓が機能しなくなる。そして、心臓発作で亡くなるのです。 

Alex Jones:
  驚くべきことですね。最新のフクシマの話に戻って頂けませんか、CMの後で。博士の本があるのを存じませんでしたので、みなさんにその本を読んでもらって、学校の友達にも貸してあげていただきたいですね。その本についても必ずお話ししたいですね。何が最新の状態なのですか?日本政府は、福島原発を安定させたと主張していて、この9ヶ月間、そればかり聞いていたからです。

Dr. Busby:
  それは、ごまかしの演説ですね。安定化とは、これ以上悪くならないという意味の“安定”なのです。誰かが言っているような“安全になった”と言うのは間違いなのです。我々は、先月も核分裂生成物・キセノンの同位体を計測しています。この放射性同位体は、半減期がとても短くつまり継続して“核分裂”している証明なのです。
核燃料がメルトスルーして、圧力容器と格納容器を抜け、地面にめり込んでいるのは確かでしょう。ロシアTODAYは、“地面の割れ目から水蒸気が上がっている”と報道した。ですから、深刻な状態を示しているのですが、彼らは、ただただ事故を小さく見せようと試みている。なぜなら、彼らは、世界中の原子力の発展へのダメージを抑えたいからです。

Alex Jones:
  私にわかるのは、彼らには隠蔽の歴史があり、そして安全でないと言うことです。

Dr. Busby:
  そうですね。正しいですね。そして、その歴史は継続していくのです。

Alex Jones:
  物理学者を責めるだけではないのです。博士も物理学者ですが、この話が出来る。見てください。 彼らは、25年前には、劣化ウランを戦争に絶対に使うなと言い、広範に広がる“緩慢な殺人”兵器で、“遅発殺人”だから、使ってはいけないと言った。そして、1991年になり、我々はこれを使用すると言いだした。今は、兵隊たちにとり、有利な兵器だと言うのです。
(Jo2Rayden氏の邦訳ブログより、アメリカテレビ番組12月28日放送より)

  西欧にも武田教授のような先生がいらっしゃったんですね。原発事故の真相はいまだ不明ですから、これらの指摘警告が杞憂やデマに終れば一番いいことです。しかし世界中に核エネルギー利用の推進派がいるということで、週刊ポストの“天才”記者が詳述した「大事故に非ず、ありえない」論も、国際的権威による指摘が存在したことになります。水俣病発生から現在に至る過程はどうだったのでしょうか? 当然原発推進・原発反対もそう単純な話ではなく、微妙な議論の積み重ねも必要でしょう。ただ、「偉い人」から「もう、こうするしかないんだよ!」と強く迫られた時に、その偉い人が信用に足る人物なのかどうか、またそこに組織的な背景があるのかないのかの検証は必要でしょうね。日本もアメリカも原発支持で、反対派をバッシングする大新聞がある、ということです。

増税路線に変節する野田総理は「自爆に快感を覚えるマゾヒスト」

2012.01.24(12:39)

  「野合だと言われようと、数が多くないと政権を取れないという話になったところからおかしくなった」。民主党の仙谷由人政調会長代行は22日、大阪市内で講演し、2003年の同党と小沢一郎元代表が率いていた自由党との合併をこう振り返った。元代表をめぐる党内対立が絶えないことに、思わず愚痴が出たようだ。仙谷氏は「純化路線では日本で政権は取れない」と合併を追認する一方、「足を引っ張るやつが(党内で)多かったら、誠に困った話になる」とも指摘。「何をつくるのかが一番難しい。例えば事業仕分けは斬新で評価を受けたが、そこから先が本当の政治であり、統治というのは容易ならざる話だ」と、政権運営の難しさを嘆いた。(時事通信社、1月22日)

  政権公約も事業仕分けの理念も引っくり返して何が本当の政治、統治なのか? 庶民の声を抹殺し特権階級を擁護するそれこそ独裁政治ではないのか? さて、植草先生による、野田総理の増税に真っ向反対を唱える一民主党議員の“辻立ち説法”が普段の植草先生への賛否の垣根を超えて急遽拡大中です。この朴訥なまでに至極真っ当な正論を唱える一議員の素顔・正体はもう確認されましたか?

  植草一秀「知られざる真実」  現代ビジネス  夕刊フジ  J-CAST  日刊ゲンダイ  週刊ポスト

  榊原先生の笑い顔もコワイのですがw高橋洋一先生もソフトな口調でオリンパス問題なんかにはズバリ斬り込み、その視点の鋭さを垣間見せましたからねェ…まあ夏頃から私自身にも色々あったようですが、所詮バーチャル上のこと、実生活は至って平穏・元気です。ただ四方八方斬っては来ましたが、「真如苑・読売新聞・財務省」には敵も然る者、なかなか歯が立ちませんな。創価学会・大鳳会・検察関係、さらに朝日新聞などは「勝ち馬に乗る」傾向が強い浮遊・漂流・日和見的な所もある。まあ、強力なマッチ・ポンプ勢力には違いありませんが、それにも増して上記の3者は真言宗や重工業までも巻き込んでおり、菅首相や野田首相は所詮使い捨てのその「駒」の一つに過ぎません。もう一度原発事故を振り返り、これが世界的攻防だという点を見ていきましょう。

市田: 「財政再建のために」と(政府は)いっているわけですね。私は橋本内閣のときの歴史の教訓から学ぶべきだと思うんです。97年に3%から5%に引き上げられたときでも、消費税(増税)の分は5兆円ですよ。医療費の負担増などを含めて9兆円の負担増だった。あのときは緩やかだけど景気は回復基調だったし、国民の所得も上がり始めていたんですね。

反町: うん、うん。

市田: ところが9兆円負担増でどん底に突き落とされたわけですよ。今度は消費税(増税)分だけで13兆円です。それ以外を含めると16兆円の負担増なんです。(97年の)あのとき、消費も落ち込んだし、経済も景気もどん底に落ち込んだんだけど、借金がどうなったか。消費税増税前の96年に(国と地方の)借金が449兆円だった。GDP(国内総生産)比で88%です。それが(消費税の)増税後の2000年に645兆円に膨れ上がって、GDP比で128%になった。つまり税収も減る、景気も悪くなるという中で、かえって借金も増えた。だから暮らし、経済だけじゃなく、財政も壊すと(いうことです)。

反町: うん。

市田: それから今度の消費税でものすごく問題があると思っているのは、一つは“ムダ遣いを続けながらの増税”だという点です。例えば八ツ場ダムは民主党のマニフェストの一丁目一番地でしたよね。ムダの典型だ、削れといっていたのに(継続し)、総事業費で国と地方で9000億円ですよね。そこへ原発推進予算4200億円でしょう。それからアメリカでも軍事費を80兆円ぐらいこれから減らそうといっているときに、1機100億円ぐらいする戦闘機F35を42機買うという。関連経費を含めれば1兆6000億円です。それから政党助成金。

反町: …そうすると、1000兆円にも上る借金を共産党はどうやって返そうという話になるんですか。

市田: いっぺんにはなかなか難しい。いくつかの段階があると思います。第一にムダを削ることです。

反町: 防衛費なんかもカットですか。いま5兆円ですけど。

市田: そうです。軍事費をカットすべきです。「思いやり予算」なんてね、(反町「あれはでも4000億円ぐらいじゃないですか」)、これからもずっと使い続けるわけでしょう。さっきの戦闘機なんかも42機買い続けるわけでしょう。やっぱり軍事費は大幅に削る。アメリカでも削るといっているときに、きちんと削るべきだと(思います)。

反町: なるほど。

市田: それから大資産家、大企業にまけすぎてやっている税金がありますよね。これから毎年1.7兆円、大資産家と大企業に減税をやるというんです。これをやめる。いま、ヨーロッパでもアメリカでも富裕層自身が「もっと税金をとってくれ」とみずからいっている状況なんですよ。

反町: そうですか、それは知りませんでした。

八木: (うなずきながら)そういう集団もありますよね。自発的に…。

市田: ウォーレン・バフェットというアメリカの投資家は、ニューヨーク・タイムズ紙も書きましたけれども、“もっとわれわれから税金をとってくれ、うちの社員よりも僕のほうが税金が少ない”と(訴えた)。日本からそういう声が起こってこないんですよね。

反町: 金持ちの規模が(日本とアメリカでは)全然違うじゃないですか。

市田: ただね、株の取引とか配当にかかる税金が、証券優遇税制といって、本則2割だったのがいまは10%でしょう。

反町: なるほど。

市田: ヨーロッパではだいたい3割、4割で、5割にしようかとなっているときに、いまだに10%。これはひどい。やっぱり富裕層から負担能力に応じてきちんととる。

反町: なるほど。

市田: それから大企業ですけど、法人税が日本は高い高いといわれるんだけど、研究開発減税とか連結納税制度とか、特権的な減免制度がいっぱいある。実質払っている法人税は、例えばソニーは13.3%です。京セラは16.7%。住友化学は17.2%なんです。実効税率4割で高いといっても、特権的な制度があって(実際は)低いんですよ。むちゃくちゃ上げろとはいいません。しかし少なくともこれから1.7兆円減税するようなことはやめなさいと(いうことです)。

反町: うん、うん。

市田: それから将来的には社会保障をもっと拡充しようと思うとこれだけでは足りないですよ。やっぱり国民みんなが負担する。

反町: そのときは消費税ですか。

市田: いや、消費税というのはもっとも不公平な税制ですから。

反町: ほう。

市田: 「応能負担」の原則で(反町「じゃあ累進性を強める」)、累進性を強めて、しかもいま国民所得は落ち込んでいるから、国民の懐をもっと温めて、景気も経済も安定する状況をつくる。そのためには雇用のルールを確立するとか、最低賃金制をきちんとつくるとか、少なくとも時給1000円にするとか、大企業と中小企業の公正な取引のルールをつくるとか、そういう状況をつくった上で累進的な課税で(財源をつくる)。大企業と大資産家にさえ負担を強いたらいいんだ、という考えでは共産党はないんです。将来的には国民みんなが支えなかったら、社会保障の拡充はやっていけない。その場合でも、収入の低い人ほど負担が重くなる消費税に頼るべきではない。

反町: (消費税の)逆進性に問題があるということなんですね。

市田: やっぱり社会的な連帯で、負担能力に応じて国民みんなが負担していく。将来的にはそういうことを考えるべきだということで、いま具体的な案を検討中です。…暮らしと経済と財政まで壊してしまうような消費税増税はストップする。ムダを一掃して、増税するんだったら富裕層や大企業からまず始めなければいけない。同時に、景気が回復してまともな状況になれば、国民全体で負担して社会保障の拡充をきちんとやろうじゃないかと(いうことです)。国民の中には社会保障拡充のためには少々の増税はやむをえないんじゃないかという思いの方がおられると思います。

反町: ありますね、いまの状況では。

市田: しかしだんだん(政府案の)中身がわかってきて、「社会保障拡充のための消費税増税」というけれども中身はそうではないんじゃないかということで、どの世論調査をみても50数%の人が「反対」という声があがってきています。内閣を改造したけれど、ふつうはご祝儀相場で(支持率が)上がるのに全然上がらなかったのは、そのへんを国民のみなさんはきわめて健全で、よくごらんになっているなと思いました。
(しんぶん赤旗1月21日より抜粋、BSフジ「プライムニュース」より)


教団霊と因縁霊

2012.01.22(17:38)

  宗教団体には必ず、宗教霊という霊が働いております。その霊はほとんど低級自然霊や人霊ばかりです。簡単に言えばよくない霊です。大抵は教祖の背後霊か、教祖の心に沿った霊が宗教霊となっています。信心する者をまず難に遭わせ、祈りによって救うことで信心に励むよう仕向けます。

  思考を奪い、集団のいいように操ります。今日の宗教霊は低俗ですので、欲があります。自分の宗教を盛んにしよう、金をとろう、人を集めよう等しか考えません。なので、手段方法を選ばずに人集めしようとする。私も一時期、ある宗教団体に入信していた時期がありました。その中で出会う信者の大半は憑かれておりました。目を見ればわかりやすいでしょう。憑依された人間特有の目つきをしています。

  素晴らしい宗教ならみな健康であるはずが、彼らにはなぜこうも不幸が重ね重ね起こるのか。それは本人の家につく因縁霊と宗教霊が手を結んだ結果なのです。その宗教団体に入るに至ったのは、家の因縁霊の働きによってです。宗教では、難が起こるのは宿業が出てきているからだと、辻褄あわせの因果を教えていますが、決してそうではありません。宗教霊と因縁霊による仕業です。読経をし精神集中することで、より宗教霊の働きかけが容易になるのです。

  その宗教団体が霊魂説を否定しようが、宗教団体には宗教霊が間違いなく働いております。創価学会にも日蓮正宗にも、立正佼成会にもです。あらゆる団体についています。おもしろいことに、宗教霊同士はなぜか争いをするんです。人あつめ、金あつめ、集団拡大という、欲を持つ低俗な霊のため、それらを奪い合い、競い合うために、宗教霊同士がケンカしているんです。その原因が宗教対立というような結果として具現化しているわけです。

  宗教霊が信者を利用しようと、ときには不幸を与え、転ばし、苦しませ、より信心にしがみつかせようとすることもよく見受けられます。また、飴を与え救うことによって、信心を確信させようとしむけることもよくあります。彼らはいづれ、自分のすべてを団体に与えることでその畏敬と感謝を讃えるようになるのです。集団のよき手となり足となる運命が待っています。そのころにはもう完全憑依となっている状態です。彼らが例えば、勧誘するために友人や知人に対して祈るとします。彼らの祈りは、生霊としてその友人や知人につくわけです。また宗教霊も彼の勧誘に力を貸していますから、ターゲットとなった人がもし、気の弱い人、クヨクヨ悩む人、憑依体質の人であれば、間違いなく入信します。病気やなにかで精神力が低下している人もその念にやられてしまいます。霊的視点から見ると、このような理由があるんです。

  信者が宗教団体に入信するまでの、霊的な働きを見ていきましょう。まず入信するに至った人の元々の家には因縁霊がついております。因縁霊が原因で、病気や事故など不幸がおこります。そして因縁霊が宗教へと導き、入信させます。ここで因縁霊と宗教霊が手を結びます。低級な霊なので一時的に現世利益を与えたり病気を治したりします。治らせることで人間側が信心深くなり、活動に熱心になるように仕向けます。

  活動家となった信者は、宗教団体の拡大、信者勧誘、金銭の奉仕、教祖崇拝などを通して、宗教霊のあらゆる欲を満たす人間と化してしまうのです。しかし、このような運命を辿るのも、実はカルマが原因となっています。そのような道を歩むことが、カルマ解消となっているのです。カルマが解消されるに従い、その宗教とは疎遠になってゆきます。洗脳が解けてきたり、正常な理性が戻ってきます。
(2ちゃんねるより抜粋)

  私自身は真如苑や阿含宗に在籍しましたが、概ね上記のような感想を持っています。霊視能力は全くありませんが…霊視能力のある人ほど、伊藤苑主や桐山管長を尊敬するみたいですね。阿含宗というのは真如苑や創価学会からも会員が宗旨替えしてきます。ただここはよくも悪くもルーズなのでw以前の真言宗や日蓮宗、または真如苑や創価学会の信仰や修行を引きずる傾向があるのです。真如苑や阿含宗でも、入信時には先祖供養の不足によってあなたはここに導かれた、修行を継続して霊能を付けていけばいつかはこの宗教を信じられるようになる、と悪意なく親切心から言われます。しかし教祖以下全員が宗教霊のマッチ・ポンプに呑み込まれているのが現状のようですね。もし供養・浄化が進んだ場合、教団霊と縁(霊線)が切れ、拒絶ではなく教団に興味が湧かなくなるようです。

  新興宗教の問題点はこの成仏・浄化という宗教的な目標と、教団の維持運営・組織拡大という教団霊(宗教霊)のベクトルの矛盾にあります。私などは因縁霊と宗教霊(教団霊)を一緒くたにまとめて「怨霊」と呼んでお祓いの対象と見做すわけです。当然一朝一夕に浄化は成りませんが、万一紆余曲折を得ても進行したら、これは非常に「運のいい」ことですね。教団自身も必死に成仏・浄化法を模索してはいるのですが、大きくなった教団の規模も棄てられず、不本意ながら濁った霊術で妥協せざるを得ないのです。かくして悩みやトラブルを抱える人たちの進退不明の霊的互助会は今日も修行と称するイベント運営でお茶を濁しているわけです。

  阿含の星まつりも近づき、年明けから絶好調なマスコミ各社も今年はもっともっとお布施を増額し、各紙ぶち抜きオールカラーで全面広告を競い合わなければなりません。怨霊って複合増幅するんですよね。火炎や水流はもとより、思念や電波にも乗り易いのでしょう、エゴが強い、落ち込みが激しいと“瞬間憑依”されます。基本的人間的な常識が通用しないな、集団的感情的勢力が強いな、と感じたら注意するに越したことはありませんね。まず悪い霊をお祓い・厄除けし、さらに無闇に救われたい、救われたい!と焦らないことです。「劣」と同時に「優」も棄てないと、そこで引っかかり、騙されてしまうんですね。私も大好きですがw「このパワーブレスレットでギャンブル大勝!女にモテモテ!」の通販広告を思い起こしてみて下さい。短期なら効果はあるんですけどねw

内田樹: メディアの自滅(週刊現代)

2012.01.22(13:04)

  日本のメディア業界は、新聞も、図書出版も、テレビも、きわめて厳しい後退局面にあります。ビジネスモデルが、一変してしまいました。とにかくもう業界的には「先がない」状態だと思います。お気の毒ですけど。その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。

  先日の民主党代表選の報道でも、とても気になったことがありました。菅直人総理はじめ、政治家のぶら下がり取材をしている記者たちが、とにかく若い人ばかりなんです。20代から、せいぜい30代前半まで。ちょっと前までバラエティ番組で司会をやっていたようなアナウンサー出身の記者までいる。政治というのは経験の函数ですから、それだけ若い記者が政治イシューについて深い洞察を含んだ質問をすることなど、できっこないですよね。

  なぜこういうことになるのかというと、現場の記者に求められている取材能力レベルが格段に下がっているからに違いありません。新聞は、「こうやって書け」と定型の文体をまず徹底的に教え込み、その通りに書かせている。定型ですから、取材能力などなくても、必要最低限のことを聞けば、ある程度の記事は書けるわけです。

  …しかし、はっきり言って、医療、教育、司法などの現場で地道な下支え的仕事に携わっている人たちの実感からすると、メディアにはもう、かかわってほしくないというのが偽らざる本音なんです。私は20年間教師をやってきましたが、「メディアのおかげで教育環境が良くなった」と思ったことは一度もありません。いま日本に100万人以上の教師がいますが、メディアのサポートのおかげで教育環境が整備されたと思っている人は1%もいないでしょう。医療関係者も同じです。おそらく、公務員もそうでしょう。毎年のように「改革」を要求して、現場に過剰な負担を強いる。これだけ憎まれているのに、日本のメディアは反省がなさすぎます。

  …いま、若い人たちが新聞を読まなくなり、テレビを見なくなり、雑誌を買わなくなっている。一人暮らしの20代の人で、宅配の新聞を取っている人などほとんどいない。それはネットに客を奪われたからではなくて、「偽善的な定型」に安住したメディアの報道に胡散臭さを感じ取っているからだと思います。私自身は、民放テレビ局の番組を見ることはほとんどなくなってしまいました。とにかく音がうるさくて、出演者たちの声が癇に障ります。おそらくCMの音量が上がっているので、それに併せて番組の音量も上げているのでしょうが、まったくの悪循環。民放は、そういう作り手の配慮の足りなさが際だっています。周りの人との会話でも、民放の番組が話題になることはまずありません。
(10月7日より抜粋)

  エリート編集者・局員の世間との価値観の“格差”…非は不足を感じる読者・視聴者の方にあるのでしょうか。毎日新聞もマガジンハウスだ文春文庫かで出典騒ぎがありますが…環境いいから感度鈍っちゃうんですよねw 

2012年、新たなる闘い!

2012.01.22(11:39)

  ボクは千葉県西部にある“ドジョウ宰相”の選挙区の有権者である。地元では彼の人気もなかなかのものだった。伝説となっている駅頭での「朝立ち」。地元の名門高出身で、この地域で大きなコミュニティーを築いている自衛隊にお父さまがいらした、という点でもポイントを稼いでいた。首相になると、フツーのおばちゃんにしか見えない奥様はファーストレディーに。まわりでは「昔、ヨシヒコはねぇ」などと得意げにメディアに語ってみせる“にわかご学友”があふれ出す始末…。

  あの騒ぎから4ヶ月余りか。相変わらず、わが日本は「沈みっぱなし」の「ナメられっぱなし」である。ところが、わが“ドジョウ宰相”ときたら、こんなどん底の非常時にあっても悠然。恥知らずの隣国大統領から謂われなき罵倒を浴びても笑顔を絶やさず、“トンデモ大臣”らが失言を繰り返しても「党内融和」に勤しみ、揚げ句の果ては「改造」も不発。「消費税」とともに自爆の気配である。

  結局は“乱世のリーダー”じゃなかったということか。1970年代のアメリカで破廉恥なウォーター・ゲート事件にイヤ気が差すあまり“正直者ジミー(カーター大統領)”を選んでしまったのに似ている。前任者たちがあまりにウソつきでペテン師だったがために、いかにも誠実そうな“ドジョウ宰相”が誕生してしまった。かくなる上は今一度駅頭で「国民の声」に耳を傾けてみるか。そうすれば一刻も早く総選挙を断行し民主党政権に去ってほしい、という空気が分かっていただけるかもな。
(産経新聞、1月16日)

  新年早々、鈴木宗男さんに会ってきた。10年12月6日に収監され、ぴったり365日後の11年12月6日に仮釈放。シャバに出たその日から鈴木宗男は「政治家」としての活動をエネルギッシュに再開した。釈放当日、朝早くから出迎えの車で、そのまま永田町に乗り込み、国会内で記者会見。その様子はテレビニュースでも一部だけ流されたが、実際の会場は「THE 宗男ショー」と呼ぶにふさわしい。最近は、この手の会見を「ニコニコ動画」が完全放送するようになったから、そこで目にした人も多いことだろう。1年間、塀の中にいるというのは、これほど人間を饒舌にさせるものなのか。もともと声が大きく機関銃のような舌鋒を持つ鈴木宗男が、1年間でたまったフラストレーションによって、さらにパワーアップした感じだった。

  予定の時間がとっくに過ぎても話は尽きない。いくら関係者が制止しようとしても、「1年ぶりなんだから、きょうは好きにしゃべらせてもらいます。さあ、他に質問がある方は?」と止まらない。詰めかけた報道陣も熱気があったが、その何十倍も鈴木宗男はパワフルだった。鈴木宗男がすごいのは、そのテンションがそれから1カ月以上過ぎたいまも、少しも下がっていないことだ。「宗男さん、なんでそんなに元気なの?」私と2人で話しているときも、あの会見のボルテージのままの彼に、思わず聞いた。「答えは簡単。私は一切、やましいことはしていない。私ほど正直者はいないという自信がある。だからこそ、負けてたまるか、断固、闘ってやるという思いがある」そういえば、1年前、収監される直前に宗男さんと食事をしたときもそうだった。「もし俺が宗男さんの立場だったら、落ち込んでそんなに飯なんかバクバク食えないよ。そのエネルギーはどこからくるの?」「一番は自分の信念。次に家族の支え。とくに娘が『私は絶対にお父さんを信じていますから、胸を張って刑務所に行ってらっしゃい』と言ってくれた。それが私の力になっている」

  彼が塀の中にいる間、私は何度も手紙のやり取りをした。いわゆる獄中往復書簡だ。「元気ですか?落ち込んでませんか?体調を崩したりしてませんか?」そんな私の問いかけに、宗男さんは100%「大丈夫、私は元気いっぱい。心配ない。」と答えてくれた。そして、「この国難のときに何もできない自分が悔しい。テリーさん、どうか私の分もがんばってくれ」と励まされた。何のことはない。収監前も収監中も出所後も、私は宗男さんを励ますつもりが、いつも励まされてばかりだったのである。逆境の中でも元気な彼の姿が私に刺激と勇気を与えてくれたのだ。いままで、失脚しても病気に侵されても収監されても、何度もよみがえってみせた鈴木宗男。彼の逆境に立ち向かう魂こそ、いまの日本に必要なのではないか。
(テリー伊藤、毎日新聞1月14日夕刊より抜粋)

  PC故障のため更新が途切れがちですが、まずはお笑い系で2篇。植草先生が野田総理の街頭演説を拡散されていますが、菅首相にしても天下りの弊害や沖縄の基地問題などを解り易く国民に訴えていたわけで、それで総理になったら「君子豹変す」では何のための総理の椅子か?と素人でも思うでしょう。宗男さんのよさは歯切れのよさと実際の行動力で、これはベテランならでは、単純に見えてもそうそうできることではありません。基礎体力、ファシズム…シンプルで誤解されがちですが、宗男先生にはそこに信頼を集める“ちから”が備わっています。普通の人がただ言って、やってもそうそう人望はできません。やはり「積み重ね」ですね。

貧者と他力、そして法華

2012.01.15(13:16)

  翌朝、精舎では、仏弟子の目連が灯火の後始末をしていた。大方の火は油が切れて消え去ったが、中に一つだけ、夜明けを迎えてもなお、明々と燃える灯明があった。目連は道具で覆って消そうとするが、一向に消えない。

  "これはどうしたことか"不審を感じて、釈尊にお尋ねした。「昨夜の灯火の中で一つだけ、依然として煌々と燃え続ける明かりがございます。そればかりか、いくら消そうとしても消える気配がございません。これは一体、どうしたことでしょうか」

  その時、釈尊はこう言われたという。「それは難陀という女乞食が布施した灯火である。その灯はとてもそなたの力では消すことはできない。たとえ大海の水を注ごうとも、その灯は燃え続けるであろう。なぜならその灯こそは、一切の人々の心の闇を照らそうとする、海よりも大きな広済の心から布施された灯であるからだ」布施の功徳は決して、量の大小によって決まるものではない。その心こそ大切なのである。「長者の万灯よりも貧者の一灯」とお釈迦さまは教えられている。

  いや~、感動するいいお話ですね! しかし今回はお釈迦さまにケチをつけます。私もそこら中の偉人を敵に回して、もはや北朝鮮かオウム以下状態。しかし元々からそのレベルですw まずこの説話は「貧乏人は何故貧乏なのか?」という疑問からスタートするわけです。「それは前世において物惜しみの心が強く、布施をけちったからだ」というのでこの貧しい女性が何とか一灯の油を工面するわけです。でラストシーンが上記なのですが、臍曲りの私はここでごねます。「その貧しい女性が現世でも来世でも恵まれた、裕福な人生を送ったか否かが問題じゃないの?」

  本当にKYなコドモじみた質問ですね。この話は伝統宗教・新興宗教の大好きな鉄板話の筈です。お布施の額じゃない、ココロだよというストーリーなのに、「もしお布施が足りなければこの女性のように愚かな乞食になるよ」という脅迫が込められているからです。一番問題なのは、釈迦も弟子も供養を受けたが最後あの女の行く末など心配していないことです。よほど功徳に自信があるのでしょう。そして「わー蝋燭の炎が明るいなー」だって。本当に違和感を感じますね。まあ釈迦教団も乞食托鉢の身の上なんですが、これは既成宗教の格好の餌食となってしまいます。蝋燭ばかり見てるお前らのココロのどこに供養心があるんだよ、せめて少し位祈れ!と言いたくなります。でも釈迦は結果を出すには相応のカルマを作れという因果論者です。

  素人の私は他力論者ですから、そういう自助努力的な考えは採りません。貧乏という他力の流れを変えることに傾注しますね。勿論その中には自助努力も含まれますが、それはごく一部の一要素にしか過ぎないと思います。自分があって目標があって、そこに「自力(努力)」で行こうとするから到達しないのです。そうではなく、そこに「他力」で行く。どんな目標を立てたのか、どんな状況が動機になったのかA地点の自分からB地点の自分までぜ~んぶ「絶対他力」です。その台風の渦となる自我・自力は後付けの妄想に過ぎません。過去を美化するのには便利ですが、現実の役には立たないと思います。法華というのは所詮この自我・自助努力の中心ではないのですか。大国中国に拮抗するための心の杖です。自我を基点にすると目標が化城、つまり目前で消失してしまいます。起点・終点ともに幻影だからです。

  法華とは如来蔵思想に基づく「真如の寺」「他力の殻」なのでしょうか。観音は実はその内外に遍満している? 聖徳太子も実在は不詳。提婆の存在も結局は不明です。釈迦の中道が理解できず、聖なる修行を強力に推進しようとした原理主義的修行者の一派という説もありますが、いいことだけで悪いこと何もナシ、こういう単純な自我はあるのかないか判らない、そのようにあるのかないのか判らないのがマッチ・ポンプ的な法華効果ではないでしょうか。「ああ、私の透視能力であなたの今朝の排便姿がリアルにいま、見えます…今日のウンコ、いっぱい出ましたね、合掌~!」余り有難くない、それじゃ単なる変態覗き魔だよ。悪霊に脳内を洗脳されて魔性の見せたい映像が見えるだけ。何でも覗けるが故に人心を踏みにじって自爆炎上、まさに化城の火宅化じゃ!所詮法華とは「私は非力だ」の裏返し。非力も法華も棄てるべし。いつもの素人卑見でした。

ピラミッド、パブリック、などのコンゴ…

2012.01.15(12:11)

  まずフォーラム21最新号から。ミイラ獲りをミイラにするのがカルトの悪霊の真面目のわけであるから、「毒を以て毒を制す」のように政局がカルト対決の場になっては意味がない。カルトは会員を“選民”非会員を“賎民”とみなすから民主主義にとって有害なのだ。品の良い表現で恐縮だが、物分りの良すぎる「殴打に快感を覚えるマゾヒスト」が多すぎる。私の「もし池田大作会長死去が公表されたら」はこうである。現在の(1)池田大作崇拝派(2)日蓮正宗信仰派(3)アンチ大作・霊能解放派、この3派は厳密な境界があるわけではないが、まず(2)の会派が日蓮正宗に戻るという予想がひとつ。そして(3)の勢力が教祖・公明党・幹部職員に拘束されない自由な創価学会員の活動を求めて動く!に3分されると思います。当然現在“ご健在”の池田大作先生亡き後の予想ですよ。阿含宗内部でも、桐山崇拝派と不支持解放派に分裂するような気がします、

  次にサンデー毎日新春2号。まずは田原さんと佐高先生とのガチンコ対談、産業のパブリックな役割を民営化が、ものづくりを金融利潤が駆逐減殺するという新自由主義の問題点で早くも一致、現実の権力に食い込む影響力を誇る田原氏ならではの視点が新鮮です。慎太郎翼賛内閣誕生に備え、現実的左翼勢力の結集が急務だとは思うのですが… 自殺者や殉職者をこれ以上出してもしょうがないでしょ。法華=日の丸の選民意識に断固ノーといえる正論派を待望します。岩見さんと松崎さん、翠さんもしみじみ実感のこもった読み応えあり。突然ですがサンデーのグラビアフォトって毎号見応えありますよね。ほえ~っとさせるパンチの効いた世界と日本の風景、写真の力ですね。ゲンダイやフジでは読めない鈴木さん・浅川さん・伊藤さんの政局予測や保阪先生の新連載対談など今週も豪華版です。

  さて、今週も“全国民必読”の週刊ポストですが、まずは意外なピラミッドの特集でいかに正月を終えた自分のボンクラ頭が思考停止しているかを再認識させられました。才色兼備の尼さんの至言コメント、お若いのに深い境地の方はいらっしゃるのだなあと思いました。こういう方は現在時代の陰に埋もれてしまっていますから、もっと前面に出てきてほしいのです。ただ美人尼さんの魅惑に吸引されたらこれまた煩悩w 蛇足を加えれば“自分の思うまま”イコール幸せとは限らないということ。そこで要望は一旦仏さまに預け、他力で来たものを受け取る方が良いというのが真言宗の護摩の考えだと思います。8日に有名某大寺に参拝に行きましたが、混雑の中「平目、ケイコ・良寛」などの意味不明な?お話を、いつも深いご法話をされるお坊さまがされていました。先週のセゾン元代表のご意見には面食らいましたが、もう話がどこまで拡大しようともボンクラは優・劣に左右されません。西武で文庫本と鯛焼き買ってボンクラ・まいうぇいじゃ。創価の教義はともかく、その霊的オーラは正なのか邪なのかは興味のあるところです。真言宗に“公認”されてる真如苑も同じですね。法華や新興宗教が伸張して社会的に公認され、さてニッポンは“こんな風”になりました。マスコミ含めて正気を失い液状化してるのが実情です。一緒にその液状化を加速するのがオトナの責任?権威の後追いではない実際的な発想が必要です。食や女を断ち、極寒灼熱に坐禅一筋なんて…とても無理です。

累進課税の強化と、消費税「暫定3%」で景気を刺激せよ

2012.01.15(09:46)

  欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会は26日、金融危機と景気後退に対応するため、各国に消費税(付加価値税)や労働者の所得税減税を勧告する内容を含む「欧州経済回復計画」を発表しました。再雇用や中小企業の活動支援などEU域内総生産(GDP)の1.5%に当たる総額2000億ユーロ(約25兆円)の包括的景気刺激策が盛り込まれています。

  消費税減税についての勧告では、「素早い導入が可能」であり「財政的刺激を与えて消費を支える」と評価し、一時的な税率引き下げの効果を強調。労働集約型サービスや、環境にやさしい製品についてより低い税率を恒常的に適用するよう促しました。また、労働者の所得税減税が低賃金労働者の購買力を下支えすると強調しました。英政府は24日発表の包括的景気対策で「消費税率引き下げ」を盛り込みました。これに続いて欧州委員会が消費税減税に踏み込んだことは、この経済危機の中の対策として、消費税と労働者の所得税減税が“世界の常識”となりつつあることを示しています。

  発表された「欧州経済回復計画」では、困難な時期にもっとも困っている人を支援する「連帯と社会的公正」が基本原則としています。2つの柱として、購買力強化と需要を増やすこと、新たな成長へ向けた環境・省エネ技術などへの投資があげられています。再雇用支援や職業訓練では、18億ユーロの投入を表明。中小企業支援については、欧州投資銀行が300億ユーロを融資するとしました。さらに、ブロードバンド設備やエネルギー供給網の整備に、50億ユーロが拠出されるといいます。包括策のうち、1700億ユーロは加盟国が負担し、残り300億ユーロをEU側が拠出。12月のEU首脳会議で承認されれば、来年から2年間を対象に実施に移されることになります。
(しんぶん赤旗、2008年11月28日)

  「給与と待遇が余りに酷いので、まともな仕事もデキナイヨ!」と職務放棄をする公務員は不適格者として直ちに辞職せよ。野田内閣は財界大企業・官公労の支持を受け、これで磐石だ!

  クレジット・スイス銀行では内需拡大や鉱工業部門の中心とした景気刺激策の採用で、来年の連邦政府による減税や優遇税制による総額は421億レアルに達すると予想、今年の172億レアルを大幅に上回ると見込んでいる。

  8月初めにジウマ・ロウセフ大統領は国内産業保護を前面に打ち出した産業政策「ブラジル拡大計画(PBM: Plano Brasil Maior)」による減税は、264億レアルに達すると予想されている。ブラジル拡大計画による建材、トラックや自動車などの耐久消費財向け工業製品税(IPI)の減税は、43億レアルに相当する減税効果が予想されている。先週、連邦政府は世界経済沈静化の影響を防ぎ、内需拡大で国内経済活性化をするために、公立銀行のクレジット拡大のために国庫庁から資金提供の準備を整えている。

  今回の景気刺激政策は小売部門の売上活性化のための白物家電製品や金融投資部門での減税政策の導入で内需の刺激や海外からの投資促進で、世界経済減速の影響を最大限に抑制する効果が期待されている。白物家電の減税はガスオーブンの工業製品税(IPI)4%から免税、冷蔵庫は15%から5%、洗濯機20%から10%とそれぞれ大幅減税による効果は、白物家電販売の5%から10%増加に結びつき、来年3月末まで適用される。

  今回の景気刺激策では海外投資家によるブラジル国債の投資にかかる為替取引に対するIOF税は6%で据え置き、また工業品などの完成品輸出促進するために輸出業者に対して、3%の特別払戻税(Reintegra)の実施も決定した。社会経済開発銀行(BNDES)の低金利の設備投資用機械装置購入の投資持続プログラム(PSI)向けクレジットは120億レアル、ブラジル拡大計画による社会統合基金(PIS)や社会保険融資納付金(Cofins)の減税効果は77億レアルに相当する。連邦政府では国内消費の減少、レアル高の為替による輸入の拡大やインフレ指数以上のサラリー調整によるコストアップで、第3四半期の鉱工業部門の国内総生産(GDP)の落ち込みを非常に憂慮しており、投資拡大のために大幅な減税政策導入で国内経済を活性化する。
(ブラジル商工会議所HPより、2011年12月13日付ヴァロール紙)

  野田内閣は労働者から雇用と可処分所得を奪って国際競争に生き残れると思ってるんだ、ふ~ん。カツ・タンゴ!(意味不明)

  アメリカの著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏は、「私や私の友人たちは、億万長者を優遇する議会に甘やかされてきた」として、富裕層への増税を主張しています(8月15日、ニューヨーク・タイムズへの寄稿)。バフェット氏は、この中で、自身が支払った昨年の連邦税(693万8744ドル)は、所得に対して、その税率が17.4%しかなかったと明らかにしています。バフェット氏は「それは、私の事務所の20人の社員の誰よりも低い税率だ」と指摘し、「100万ドル以上の所得がある世帯の税率を引き上げるべきだ」と主張しています。先日、オバマ米大統領が提案した富裕層への増税を中心とした税制改革案では、「年収100万ドル以上の世帯の税負担が中間層より低くならないようにする」ということを「バフェット・ルール」と呼んで、税制改革の5つの原則の一つに掲げています。…もし、バフェット氏がニューヨークに住んでいたら、もう少し高くて30.2%です。これに対して日本の住民税は、株式投資分の税率が3%、その他の税率が10%だから、地方税全体で1.22億円、国税とあわせた合計額は4.71億円で、税負担率は14.8%となります。日本の富裕層は、アメリカの富裕層の半分くらいしか負担していないのです。(しんぶん赤旗、2011年9月23日より抜粋)

  野田内閣は暫定でよいから累進課税を強化し、とりあえず消費税を3%に抑え、景気回復を図った上で抜本的な行財政改革をで断行するのが世界潮流に沿った筋ではないのか。そんなこともできないのであれば、参院選の二の舞以上の大鉄槌だ! 選挙公約と180度も転換したら、国政の信任なんかできないよ。

シリーズ・カルトの疑惑③阿含宗

2012.01.09(11:56)

  桐山氏は阿含経の三供養品にある三福道こそが、在家信者に説かれた成仏法であると主張しています。三福道は阿含宗の二つある根本経典の一つで、在家信仰の拠り所であり、根拠です。この経典の重要性は『末世成仏本尊経』という名前を桐山氏がつけたことからもわかります。だが、阿含経には三福道など存在せず、三福道という言葉自体が桐山氏の捏造です。単に言葉を捏造しただけでなく、三善根の元々の意味とは正反対に用いています。桐山氏の主張を見てみます。『社会科学としての阿含仏教』に掲載されているのが下記の二つの経典です。桐山氏は、三供養品には三福道と書いてある経典と(288~289ページ)、三善根と書いてある経典(290ページ)の二種類があると主張しています。

  次に漢訳経典を見てみましょう。『國訳一切経 阿含部 8』にある三供養品のすべてです。三供養品とは十からなる経典群を指します。個々の経典には名前はなく、冒頭に「一」「二」…「十」といった番号をついているだけです。三善根を説いた経典は、「二」(191頁)にあるのがわかります。一方、三福道を説いた経典はどうでしょうか。三善根と書いてある経典はあるが、三福道と書いてある経典はありません。

  桐山氏は増一阿含経の三供養品であると指定しています(『末世成仏本尊経』254頁)。増一阿含経の三供養品のすべてですから、この中に三福道があるはずです。しかし、ありません。いかにも似たような経典が二つあるかのように見せかけたのです。つまり、三善根という言葉をただ三福道に置き換えたのではなく、一つの経典をまるごと捏造したのです。阿含経に実在する『國訳一切経 阿含部 6』の経典と、桐山氏が捏造した経典を比較すると、単に三善根を三福道と置き換えただけでなく、文言が追加され、捏造されているのがわかります。

  漢訳経典の原文「是を阿難、この三善根は窮尽す可からず。涅槃界に至ることを得と謂ふなり」

  桐山氏によって捏造された経典「是を阿難、この三福道は窮尽すべからず、須陀洹より阿那含に至り、五下分結を断ず。即ち涅槃界に至る三福道なり。」

  桐山氏はかねてより大乗経典を偽経典として厳しく批判してきました。ところが、その桐山氏本人が経典捏造に手を染めたことになります。しかも、驚くべきことに、桐山氏は自らの経典捏造を堂々と本に書いています(『末世成仏本尊経講義』255頁)。

  また、この書き加えは意味においても矛盾しています。桐山氏は「涅槃界とは完全解脱の境地」と表題まで付けながら、経典に書き加えた文章では、須陀洹から阿那含までと、完全解脱ではない境涯と解釈しています。原文では、須陀洹から阿那含までなど説いておらず、涅槃界というのだから、阿羅漢しか説いていません。

  桐山氏がこのような矛盾した書き加えをしたのは、三供養品が在家に説かれた経典であり、在家は須陀洹から阿那含までしか到達できないということの辻褄合わせをするためです。だが、この経典は涅槃界とあるのだから、明らかに出家のために説かれた経典です。桐山氏は経典に書き加えることが捏造であり、悪事であるという意識すらないことを示すのが次の一文です(『末世成仏本尊経講義』255ページ)。上記で桐山氏は註解として、次のように記述しています。

  福を受ける三つの道、方法、この場合の福とは霊性開眼して聖者になること。一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。また、「自須陀洹至阿那含断五下分結」の十三句は、のちに述べる通りの理由により、同意の他の阿含経から取り入れた。

  ここで、桐山氏は文言を他の経典から「取り入れた」と述べて、捏造したことを告白しています。桐山氏は経典に書き加えることが捏造という宗教的な犯罪であるという意識すらないようです。記述にはさらに首をひねるような、三福道の由来が述べられています。それは、「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を採用したという記述です。言うまでもなく「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を選ぶことはできません。一見、三福道を三福業と書き間違えた単純ミスのように見えますが、実はここに桐山氏の捏造の元ネタが隠されています。立宗前後に書かれた本には記述があります(『人間改造の原理と方法』210~211ページ)。

  運をよくする修行法として「三福業道」なるものがあると記述しています。では、桐山氏のあげた長阿含経の衆集経の三福業道を見てみましょう(『『國訳一切経 阿含部 7』158ページ)。三福業について書かれているのは、1~2行目の次の文章です。

  復た三法有り。謂く、「三福業」、「施業」と「平等業」と「思惟業」となり。

  ここには桐山氏のいう「三福業道」などなく、「三福業」です。桐山氏は『人間改造の原理と方法』で、

  どんな修行法か?『三福業道』と名付ける修行法である。

  と書いていますが、これ自体が捏造です。衆集経には三福業はあっても、三福業道などという言葉はありません。三福業に道を付けることで、特別な修行法であるかのように見せかけたのでしょう。だが、三福業道は桐山氏の造語あり、捏造です。 桐山氏は、三福道ではなく三福業であることを百も承知だったから、「三善根」と「三福業」のうちから「三福道」を選んだなどと書いたのでしょう。

  三福業 → 三福業道 → 三福道

  と、まるで伝言ゲームのように捏造したことは明らかです。三福業が三福道の元ネタであることは意味をみてもわかります。桐山氏は三福業について次のように説明しています。

  仏陀は、運のわるい修行者のために、運をよくする修行法を説いているのである。

  衆集経の三福業は『國訳一切経 阿含部 7』に示したたった一文です。三福業とは施、平等、思惟である、と説いているだけで、それらの解説すらもありません。ところが、桐山氏によれば、これが運をよくするための修行法であるというのです。桐山氏は施だけを取り上げて、様々な施しをすることで運をよくするだという意味不明の記述をしています(『人間改造の原理と方法』212~215ページ)。仏教では運や運命など修行や信仰の対象ではありませんから、運に関する記述などもともと阿含経にあるはずもなく、衆集経にもありません。桐山氏は経典そのものを引用せず、運を良くする修行法がさもあるかのように見せかけたのです。

  そして、十年ほど後に、仏に供養すれば運がよくなり解脱するという三福道として、修行法の捏造へと発展させました。桐山氏によれば、三福道も三善根も意味は同じであり、仏に供養するとその見返りに徳を授けてもらい、その徳によって解脱するという考えです。しかし、仏教にはこのような教法は存在しません。三供養品にある三善根には桐山氏のいうような意味はないからです。三供養品にある三善根とは、貪・瞋・癡と呼ばれる根本煩悩をなくすことです。この三つの根本煩悩から解放されたら解脱者、ブッダです。つまり、三善根とは煩悩を断ち切るという仏教の目標や修行そのものを指す言葉です。どこにも仏に供養して解脱を得るなどという意味はありません。

  三善根は煩悩を断ち切れという教えであり、一方、三福道は仏に供養してその見返りを得ようというのだから、欲望そのものです。両者は正反対の意味です。桐山氏は、三善根ではインパクトが弱いので、三福道といういかにも御利益のありそうな名前にすげ替えたのです。以上、三福道を用いた桐山氏の捏造は次のようにまとめられます。

  ・三福道と書いてある別経典があるかのように経典を丸ごと捏造した。

  ・阿含経に存在しない三福道という言葉を捏造した。

  ・経典に文言を加筆して意味を歪めた。

  ・出家に説かれた経典を在家に説かれたかのように偽った。

  ・衆集経に三福業道という修行法があるかのように捏造した。

  ・衆集経の三福業が運を良くする修行法であるかのように嘘を書いた。

  ・三善根の本来の意味とは正反対の意味であるかのように歪めた。
(「阿含経の捏造」HPより抜粋)

  「運を好くする修行法」という意味合いを「善き行いをせよ」という阿含経に捏造を加えて強引にこじつけてしまったんですね。ポイントはこの国訳一切経のどこにも載っていない阿含経“三福道”を未発見?の重要なお経だとして信者会員は毎日「読経・勤行」しているという事実ですw 阿含宗は阿含経を広めた事蹟によって世間や仏教学会に評価されたわけですが、お膝元の会員は捏造された桐山さんによって書かれた偽経を毎日読まされているわけです。でも皆さん愉しそうですけどね…さかもと未明先生の泥沼不倫訴訟の記事が削除されていましたので、替りに掲載しました。目的が心地よい響きだと手段はどうでもよくなってしまうんですよね。それも集団でやれば無責任だし…2012年の社会も目が離せそうにありません。

"ヒロポン”より「ワクチン」を

2012.01.09(10:35)

  またまた消費税の話であるが、消費税増税、TPP参加、小沢弾圧、原発推進、この4つの重大案件は菅直人首相時代に鮮明になった。大事故が起きたので脱原発に先祖返りしたのだが、あくまでもこの政策は格差を一層進め、効率と集中で成長生き残りを図る新自由主義的な政策である。民主党が政権交代したのは小沢さんや鳩山さんが行き過ぎた新自由主義の疲弊を癒し、官僚主導・国民不在の戦後政治の腐敗構造を抜本的に改革するという正論が小泉フィーバーから覚めた多くの層に地殻変動を引き起こしたのである。しかしいまや民主党は反動政治に堕し、新自由主義路線の強化が中国の経済的・軍事的脅威に対抗し、財政赤字と社会保障の膨張を埋める有効妥当な方策なんだとして反対派を分断し囲い込んでいるのである。日本は自由主義国家だから社民政策は排除して競争原理を強化すべきだ-これは妥当な論理であろうか。
 
  喩えが悪くて恐縮だが、昔「疲労がポンと取れる」ヒロポンという商標の覚醒剤が容易に入手できたそうである。労働者は現在の健康ドリンクのようにそれを注射し、仕事に励んだという。しかし覚醒剤は中毒症状を引き起こし、仕事は勿論本人の人生までも暗転させた人が続出したらしい。たしかに格差反対の社民政策は左翼的だ。しかしそれを実施したからといって日本が左翼国家になるという考えはどうか。むしろ健全な資本主義、持続できる自由主義のために社民政策という"ワクチン”を注射すべきではないのか。

  公務員の給与を引き下げたら質が悪くなるという。では現在高給待遇を受けている高級官僚、天下り役人はそんな高給で引き止めざるを得ないほど質が高いのか。国民の生活向上に貢献度抜群なのか。法華経と同じで官僚勢力も戦後拡大伸張の一途を辿って来ているのに、何故国民の生活実感とここまで反比例しているのか。企業が内部留保を溜め込んだ結果日本の国際的地位が向上したのか低下したのか。極少数の成功者しか生めない日本と、問題を抱えながらもこれからより多くの豊かさが期待できる中国他新興諸国(この言い方も古めかしいが)と、どちらに投資すべきビジネスチャンスが多いのか。軍備を整備しようにも、原発という核燃料の平和利用にも失敗した日本が複雑化する国際情勢の中でハイテク兵器を有効に運用できるのか。

  「世界滅亡」というと笑われるが、キリスト教圏である欧米ではこの思想は文化として浸透していると思う。黙示録の終末思想を文化として信じてきた欧米が経済危機を何とか先延ばしし、「絶対安全」を謳った日本の原発が爆発したのは危機意識において相当な隔たりがあるといってよい。何しろ欧州では日本の事故なのに、国民投票を実施して脱原発を決めてしまったのである。世界の終末と来るべき新時代の到来はいつの時代も産業振興のための合言葉であり、日本でも駅前開発のスクラップ&ビルドはその象徴であろう。都会も地方も大型テナント施設に家電とユニクロ、シネコンが入っている。こういう現状がある一方で、何が格差社会を促進して効率と集中なのか解らない。郵政民営化も含め、高い供給能力を生かしてサービスの裾野を広げ、需要と雇用を創出すべきである。プロ野球パリーグの成功もその方向に沿っているのではないのか。

  消費税増税・TPP参加・小沢弾圧・原発推進は新自由主義におけるヒロポン注射であり、中毒症状と人間の荒廃を引き起こす。日本に必要なのは不当是正・地方自治・危機管理・安心再生のワクチン投与によって人間性への信頼を回復すべきである。前者が個人と社会を徒に分断し、後者が個人と社会を豊かに統合する方針である。薬物中毒を推進するより、寒くても風邪をひかない健康な体調を整えるべきである。

差別と肉食

2012.01.09(09:29)

  縄文人の日常は、女が支えた。野草を摘み、木の実を拾い、魚貝を漁って毎日の食糧とした。男たちは狩りに出るが、大物の獲物が捕れるのはひと月に一回かふた月に一回かでしかない。それでも女たちは男たちの毎日の労働を許した。ひと月かふた月に一回食べられる肉が、あまりにおいしかったからである。そんな中、弥生時代には、近親者が亡くなると、肉食を控えた様子が見られるという。獣の死体が近親者の死体を連想させるのだろうか。その肉をさばいて食すことは、はばかられた。

  『記紀』の時代、肉食は農耕に悪害をもたらすと考えられた。肉食が農事を穢すというのである。天武天皇4年(675)の有名な肉食禁止令は、牛と馬と犬と猿と鶏を食べることを禁止したが、毎年四月から九月までの農耕期間に限った。しかも、これら動物以上によく食べられた鹿や猪は含まれていない。鹿や猪は、肉食という以上に普通の食べものだったからか。「しし」とは食用の肉を意味する。

  飛鳥時代に仏教が伝来すると、仏教を国家鎮護の法として国づくりを図る天皇たちは、仏教の教えである殺生を固く禁じた。仏教の説く輪廻転生は、自分がいま、食べようとしている、たとえば牛が自分の親族の生まれ変わりである可能性をいうし、そう思うと、口に入れられなくなる。しかし、それから何度も禁止令が出ているところを見ると、やっぱり食べられていたのである。

  中世の武士たちは茶の懐石に鳥類をよく食べた。織田信長が徳川家康を招待し、そのまかないを明智光秀が務めたときの献立が残されているが、鳥類のメニューが目につく。鴨汁、青鷺汁、たけのこと白鳥、鴫の羽盛り。 江戸時代は、米が価値の基準となる。石高制社会では、米は貨幣であった。侍の階級も禄高で示し、藩の大きさも米の数をいった。米食が至上のものとなり、反対の肉食は最下等のものとして卑しめられた。動物の肉を扱う者は差別されるようにもなった。

  ところが、山里では、相変わらず、山の獲物を食べてきたし、「薬喰い」と称して庶民は獣の肉を食べていた。彦根藩では、牛肉の味噌漬けを将軍家と御三家への献上品として、また各地の殿さまへの贈答品として送り、好評を得ていた。不老長寿、滋養強壮の秘薬として内々に贈っていたのである。「彦根肉」の名で知られた。

  余談ながら、仏教への信心が厚かった井伊直弼は、殺生戒を守って牛の屠殺を禁じた。肉好きの御三家・水戸藩主、徳川斉昭は再三、肉催促の手紙を出すが、聞き入れられない。これが遠因となって水戸の浪士が直弼を桜田門で討ったのだと、まことしやかに語られている。

  肉食のように、たやすく食事の快楽を得ることができるようなものは、禁欲的な厳しい信仰生活の妨げになると、避けられてきた歴史が世界中にある。人間の欲望の水準を低くおさえ、それを精神の問題に昇華させることによって、社会の秩序を維持しようとしてきた。中東のイスラム教の国々の中でも産油国は、豊富な富により生活が潤沢を極めるため、宗教は戒律の最も厳しい原理主義に回帰しようとしているという。
(三井寺HPより抜粋)

  長野県の諏訪大社は鹿の生首や猪や兎の串刺しなどを山の神の恵みとして称え、奉げ祀るわけですね。仏教の教えなどから肉食をしていると厄疫が起こり、死後は動物に転生するぞといわれ、「肉は食べたいけど殺生はしたくない」という主に都会の人々が地方の屠殺する人々を差別して自分たちを清浄サイドに置いたのでしょう。肉食パンダの映像が軍備を増強する中国への脅威を煽るサブリミナル放送に映ってしまいます。

法華と民主主義

2012.01.09(09:04)

  週刊ポストの新年号は小沢さんの対談を除いてもまだまだ見所満載である。まず鈴木宗男さんの新党大地・真民主の立ち上げについてであるが、法華経嫌いの私は当然当初訝った。松木さんと石川さんを創価に引き込むような気がしたからである。小沢さんと宗男さんは専門家同士なのでどんなやりとりがあったのかは知らない。だが妄想をめぐらせるうち、「いや待てよ」と思ったのである。まず石川さんの入党は佐藤優先生のICレコーダー録音が検察の杜撰な供述を如実に示したわけで、これには納得できるのである。松山千春さんや佐藤優先生という創価学会に親しい人が周囲に存在し、それが真民主と称するのに抵抗があったのだが、この結党の舞台は「北海道」なのである。そういうことなのである。北海道は野党議員・民主党議員の汚職事件が多い。小林さんや鳩山さんも北海道ではなかったか。何故敵方はそこまで弾圧を強めるのか、当然ロシアと距離が近いからであろう。

  そして佐野さんの連載ではまだ北陸編であるが、牧口開祖は北海道に渡るのである。ロシアには反共を、中央には格差是正を求める創価学会の姿勢は教団の思惑とは別に道民の心を捉えた部分も少なくなかった筈である。さらに佐藤先生からはサイバーテロに関してイスラエルの名前も出しているのであるから、前述したSWCと統一協会・創価学会の提携を考えた場合、クリスチャンの佐藤氏が「潮」に礼賛文を寄稿する深い配慮が見え隠れするのである。ただ佐藤先生や中沢先生他、潮の執筆陣は余りにも豪華で、これでは雑誌が売れて皆創価学会に入ってしまうなあ…と危惧するのである。勿論私は執筆陣が好きでも絶対に買わない。ただ霊友会の石原都知事の厚い支持層中にも創価学会の影響が大きく、そんなに好きなら石原さん・亀井さん・宗男さん・公明党で「大公明党・法華翼賛会」でも結成したらよいのに、と思うのであるが、創価学会内部でも法華信者同士は「仲が悪い」のである。これはユダヤ・キリスト・イスラムと同じで、必ず"外敵”を想定しなければまとまれない。

  勿論法華経効果で生硬な左右両派の態度が丸くなる、という利点はあるのだろうが、マスコミも含めてそこまで法華に卓効があるのなら、ここまで法華が日本中を席巻して、さていまの日本は幸福ですか平和ですか信頼がありますか?と問いたい。法華は創価の専売特許ではなく、全宗派を総じればかなり高い割合が出る筈である。何しろ日本は聖徳太子の時代から法華経なのだ。それが現代でも広範な力がある。さて日本は好調ですか?ということだ。そう思う方は「大公明党」を組織し結集するかも知れない。小沢さんも創価学会と提携していれば裁判騒動も起こらなかったのであろうか。次期政局における公明党・創価学会の動向、不安に駆られる日本人と創価の関係が注目される。宗教同士では対立を避けるため宗派教団の和合ということがよくいわれる。しかしそれがすなわち邪教を認める口実にはならず、本来信者も政治的意見行動を教団によって指示拘束されるべきではない。政治も宗教も価値観を共有する"まつりごと”であるからこそ、政教分離が求められると思う。政治は代議士と支持者の双方向のやりとりがポイントで、宗教が絡むと上意下達に陥りやすいからだ。

消費税とマスコミ、偏向に潜む危険

2012.01.09(08:05)

  年も明けていよいよ解散総選挙を視野に入れた消費税増税論議が高まってきた。いつものようにメディアは巧妙なすり替え工作で詭弁を弄んでいる。いままで公共事業・バラマキ福祉のツケが祟り、過去の財政赤字と現在未来の社会保障に備えて消費税を増税すべきだ、そうしないと日本は立ち行かない、本当にそうか。特権階級である官僚や大企業が自己責任をとるべき不事を起こしたにも関らず、優遇措置で高給を得ているのに対し、庶民は非正規雇用が進み、勤労・通勤・諸経費の時間も手間もかからない生活保護者の手取額の方が高いという現象が多々見られる。つまり、公共事業はゼネコンや天下り官僚、福祉は大企業の不祥事救済や実際は働ける生活保護者に向けられ、何の恩恵もうけていない普通の一般労働者は現状でも彼らの犠牲になり、迷惑を蒙っている。

  そこへ来て「庶民は我侭を言わないで増税を呑め」とは幾ら何でも事実誤認と論理破綻、詭弁が過ぎるのではないか。増税をしても当然やるべき仕事をしない(またはできない)、官民の特権階級がそれらの税収を浪費して、さらなる財政赤字を出してしまうことは日を見るよりも明らかで、国策と東電双方の杜撰な運営による原発事故は官民の無責任と権威権力を笠に着た庶民負担の一方的な押し付けを明瞭に表している。いま必要なのは思考停止によるカルト染みた権威的運営から柔軟で開かれた合理的現実的な方針を行政が執行することだ。そしてそこに民間が伸張を図り、価値の多様性に拠った成長路線を確立すべき時なのである。マッチ・ポンプ利権を目論む偏向したマスコミの一方的論調は明らかに旧時代のものであり、マスコミが褒めない候補に入れようと考えている無党派層はきっと多いに違いない。

  さて年末は週刊誌も買わず静かに年を越したが、新年一発目の週刊ポストとサンデー毎日は購入した。久しぶりのポストであるが、ワイルドな見出し、重厚な論説陣、弱さや本音、エッチや笑いという人間性に対する温かい眼差し-こういうのどっかで読んだことあるなあ…と思っていたら90年代の週刊現代の芳香、あの「時代を糾弾する」という漲るスリルと期待感を個人的に思い出したのである。週刊現代はコラム陣が変わらず絶好調ではあるのだが、記事の書き方、姿勢には今回のポストのような捉え方が卑見なりの週刊誌を読む醍醐味なのである。慎太郎知事にも今回の対談記事に関しては全く同感である。石原父子で総理継承も夢物語ではなくなった。

  さてサンデー毎日の斎藤先生巻頭対談は私にとってのビッグなお年玉プレゼントとなった。イシューがいろいろ多岐に渡るが、私はこの先生を基本的に信頼している。ただ、その手段が猛烈なデモや抗議行動では、ハイテクや宗教洗脳がここまで進化してしまった現在、効果は限定的だなあと思うのである。所詮「私は何も知りません」の戯言だが、日の丸を本人の拒絶に逆らって強制するのも異常だし、また行事に際して国旗を焼くのもデモンストレーション効果が薄い逸脱行為だと思う。他方を力づくで排斥するのではなく、「現実的具体的にはどうなればいいのか」を関係者双方で話し合うことは不可能なのだろうか。反社的な暴力と社会的タスクフォースは違う筈で、その辺のルールを自衛・警察・消防・海外等の研修で身体で経験させた方がよく、その境界線が喪失するから戦争はいけないのだ、人間にとって有害なのだということにならないか。スポーツ界でも実際には訓練過程で両者が混同同化してしまうことも多く、弱肉強食・上意下達の組織的雰囲気がそれを助長促進してしまうため内柴選手のトラブルなどが起きるわけであるが、この件が記事になる・記事にするという現象を重要視したいものである。
  

シリーズ・カルトの疑惑②創価学会

2012.01.09(06:19)

  ・1995年のマルコ・ポーロを廃刊へ追いやる。(「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」)
  ・1999年の週刊ポストへの抗議(「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ」)
  ・2001年のテレビ朝日「スーパーモーニング」への抗議。(アメリカの炭疽菌事件に関連して、「アメリカのメディアを支配しているユダヤ人を狙ったものではないか」という趣旨の発言)

  現在、「SWC」は「創価学会インターナショナル(SGI)」と連携している。池田大作会長が最初に「SWC」のロサンゼルス本部を訪れたのは1993年1月である。この時、「SWC」は池田大作に対して「国際寛容賞(人類愛国際賞)」を贈り、池田大作を称えた。そして、この訪問を機に「SWC」と「SGI」は連携し、「ホロコースト展」の日本での開催の準備が始められた。そして、戦後50年の1995年8月15日、「ホロコースト展」が広島の国際会議場で開催されたのである。ところで、「マルコポーロ廃刊事件」の時、「SWC」の背後で「創価学会」が暗躍していたという情報がある。『マルコポーロ』の記事を最初に「SWC」に告発したのは「創価学会」の信者だったという。

  また、『マルコポーロ』廃刊号には、ガス室の記事と並んでもう1つ重大な記事が掲載されていた。それは、「徹底調査・新興宗教に入っている有名人一覧」という記事である。この中で、創価学会に入信している有名人がリストアップされていたのだ。(創価学会の日蓮宗破門も詳しく報じられていた)。『マルコポーロ』が廃刊になったのは、ガス室の記事よりも、この有名人信者の「一覧リスト」が原因だったとの見方がある。
(「ヘブライの館2」より抜粋)

  文春は池田大作氏の病状を証言した看護師に協力を拒絶されてしまったのでしょうか、謝罪記事が出たのですが、かといって名誉会長の元気な姿も拝めず、健康なのか病気なのか判らない状態となりました。これでは読者の中にも、「さては文春、創価と手打ちしたのかな?」と勘繰る人も出て来ることでしょう。創価学会も阿含宗でも、アウシュビッツ関連のイベントをやったら教団の株が上がったようですね。週刊文春も「アンネの日記」特集と阿含宗にもっともっと供養金を出資して運気を上げるしかないようです。

シリーズ・カルトの疑惑①真如苑

2012.01.09(05:29)

  人間が、生存を第一に置くのは生物として当然だが、自らの生存を優先するあまりに我侭に生きることで、他の苦しみを増す。それが、いずれ社会的な公害と成って自らの首を締める。それが人類の現状ではないでしょうか。それを釈迦は認めているでしょうか。苦しみの因を認識し、それを解消することを求めるのであれば、公害へと繋がる我侭を、仏は認めません。故に現代社会は、仏の見地から見ると「正法=正当法」ではなく、「逆法」であると言えるでしょう。

  真如苑は、「正法」でしょうか「逆法」でしょうか。 真如苑は尊き「商品」を売ります。その「商品」とは、「因縁切り」というもので、人間には認知不可能な「因縁」という「障害」を切り捨てることで人は幸せになれる、という理屈です。それは人の心の欠点と絡めて説かれ、「その欠点を是正することで因縁が切れる」と言います。釈迦が、人間に認知不可能な「因縁」というものを実在論として説いたのかどうかは、釈迦仏教を知る者にとっては既知の事柄でしょうが、真如苑では、心の欠点を解消するには、「勧誘や献金をせよ」と説きます。
  
  新興カルトは「正論」を説いて「従属」を勧めます。「正しいことを言っているのだから従いなさい」と言うわけです。さあ釈迦は従属を勧めたでしょうか。それは誰にも分かりませんが、私は「自灯明・法灯明」を重んじます。それは、「自らが自らを清めて自ら判断する・妄想ではないあるがままの真理を観じてそれに従う」ということで、その拠り所は、「正論を説く何とか教団」ではありません。拠り所は、自分です。もちろん、勧誘や献金もしません。あくまで、心のスタイルの問題です。

  このような「害」が教団創成期から継続されて流されているわけですが、そこで被害者となる方々は「無知」故に騙され「釣り上げられる」わけで、本人にも責任があるとはいえ、その邪まなシステムを放置することはできません。このような「廃液」が、宗教法人・真如苑によって垂れ流され続けています。しかし、公害工場の場合は「廃液」を流す行為を、「儲け」のために行っているわけで、「廃液」を流すことを目的としているわけではありません。

  垂れ流すことが経費の削減と成り得るからこそ 陰でコッソリと流すわけですが、真如苑をはじめとする破壊的カルトは、その「廃液」を垂れ流すことそのものが、組織運営の根幹にあるシステムであるが故に、その様態は「公害工場よりもさらに邪まである」と言えるでしょう。しかも、このような悪質な「破壊的カルト」は、人の「善意」によって運営されています。 これはミス・マッチ、どころの話ではなく、ジョークとしても成り立つものではありません。
(ブログ「欺瞞的善人の悲哀」2011年1月1日より抜粋)

  これは霊的・非常に内面的な個人的な問題なのでそれこそ信教の自由なのですが、私は個人的に真如苑に魔性を感じています。真如苑の霊から常に自分の意に反する逆の現象を起こされ、無力感を培養されているような気がしたのです。向こうは「修行させてやる」という気持ちなのでしょうが、こちらは「ただ単に真如苑の魔性を正当化したいだけだろ」という思いが強まります。和合とは「弱肉強食関係に屈服せよ」との意味でしょう。それはオトナの考えかも知れませんが、霊能中毒で悪徳を優越させるのは仏教ではないでしょう。不動護摩を観音経で焚くのは新鮮でした、近くには目黒不動尊くらいしかないもので…教学も整備されてるし、一定の配慮もされている。伝統真言宗派や学会・美術界とも仲がよい。しかし法律では悪くなくても、この宗教に魔性を感じることは否めません。当然「それはお前に憑いているんだ、お前の心得が悪いんだ」となるのですが、神社仏閣ってお祓いをしてスッキリさせてくれるところじゃないんですか。こっちは少なくともそのつもりで参拝するわけですから。現在の"双親”さまは開祖夫妻から継主(=苑主)夫妻(婿養子)ということになっているのでしょうか、とにかく低劣なキツネ宗教の印象は拭えません。

魔法のピラミッド、その内外の「格差」

2012.01.03(13:22)

  10月21日の日刊ゲンダイには思わず笑ってしまった。そして座布団を5枚ぐらいやりたくなった。外務省の反国民的無駄遣いが連日報道されている。会計検査院が指摘した数々の無駄遣いは、日々の生活に苦しむ国民が知れば怒り心頭に発するものばかりだ。その中でも最大の無駄遣いは高給ワインの膨大な買いだめであり、飲みきれないからといって捨てていたという、われわれの税金をどぶに捨てるような無駄遣いだ。それなのに誰も責任を問われない。メディアは追及しない。そこで日刊ゲンダイの出番だ。

  …とんでもない税金の無駄遣いを許してきた責任者は誰と誰なのか。大マスコミが報じないから、実名を調べてみた-こういう書き出しで、中でも度を越していた在仏OECD政府代表部、在ジュネーブ国際機関政府代表部の大使の顔写真入りでそのいい加減さを糾弾していた。そこには元同僚たちのなじみ深い雁首そろって掲載されていた。間違いなく彼らの責任である。しかしその日刊ゲンダイさえも気づかない事がある。彼らの多くが、外務省を根底から揺るがせた2001年に発覚したあの「機密費流用事件」の責任者であるということだ。あの事件は本当の責任者が追及されることなくウヤムヤのうちに国民の目から隠蔽されてしまった。そのもみ消しの責任者もまた彼らだったのだ。さすがの日刊ゲンダイもそこまでは気づかない。国民に知らされていない政府・官僚の罪はあまりにも深くて大きい、ということである。
(天木直人、2010年10月21日)

  政府は9日の閣議で、外務省が本省・在外公館で保管しているワインの本数が、計約4万9000本にのぼるとする答弁書を決定した。平成22年6月に約6000本だった本省用は約5000本に減り、初集計の在外公館は約4万4000本。今年は4〜11月の間に、計約2万4000本を購入していた。「今後とも政府資産スリム化の観点から、保管本数を減少させる」としている。新党大地の浅野貴博衆院議員の質問主意書に答えた。(産経新聞、2011年12月10日)

  国会が民主党のメール問題で揺れ続けていた2月28日、東京地裁で重要な判決が言い渡されました。外務省が機密費(報償費)についての情報公開請求を拒否したのは不当だとして全面的な開示を命じました。腐敗流用の疑いのある機密費にメスを入れる道を開くものです。裁判は、行政情報の開示を求める活動をすすめている民間非営利団体「情報公開市民センター」が2001年に起こしました。当時、外務省高級官僚の内閣官房機密費流用事件を契機に、機密費の閉鎖性が問題になり、市民センターが情報公開法を使い、外交機密費の支出にかかわる資料の公開を請求しました。外務省はすべての情報の公開を拒否する「不開示」を決定し、同センターはこれを不当と訴えていました。

  裁判を通じて外務省は、機密費は「国が国の事務又は事業を円滑かつ効果的に遂行するため」の経費であり、その具体的使途が明らかになれば「国の安全が害され、国際交渉上の不利益を被る」と主張しました。「外交機密」を盾に、一律に情報公開を拒む外務省の硬直した姿勢が通用するのかが争われました。会計検査院の指摘で一部が開示された外交機密費の使途のなかに、天皇誕生日の祝賀レセプションのための支出や高級ワイン、絵画の購入費などが含まれていました。判決はこれをあげ、「『公にしないことを前提とする外交活動』以外の経費支出に関するものが相当数あると推認できる」と認定しました。「支出対象に関する基準や運用のあいまいさ」を厳しく批判したのです。

  不開示の決定をする合理的な理由があることを立証する責任についても争われました。判決は行政機関の側にあると指摘し、外務省が「その責任を果たさないまま、開示に伴う弊害発生のおそれを理由にして、その全部を不開示とすることを情報公開法が容認しているとは解されない」としました。外務省の態度は許されないという判断は明確です。機密費をめぐる腐敗の闇は、あまりにも深いものです。01年の外務省の事件の際、日本共産党は国会で「報償費について」と題する内閣官房文書を暴露しました。そこには1988年から89年にかけ消費税導入が問題になった際、合わせて10億円もの巨費が「国会対策」費として計上され、使われてきたこと、外務省の機密費が毎年十数億円も内閣官房に「上納」されるなど財政法違反が常態化していたことが生々しく示されていました。

  国民の税金が「機密費」の名に隠れて、国会議員の海外旅行の際の「餞別」や日本共産党を除く野党の工作など国会対策、選挙費用にまで流用されていました。「国が国の事務又は事業を円滑かつ効果的に遂行するため」という表向きの理由とはおよそ無縁の腐敗政治の財源として利用されていたのです。今回開示が認められたものに限らず、機密費の全容に徹底してメスが入れられるべきです。事件当時、外務省の機密費は年間55億円にのぼっていました。その後減額されたとはいえ、いまも年間30億円もの巨額の金が「機密」のベールのなか、国民の監視を受けることなく支出されています。外務省は判決を重く受け止め、機密費をめぐる実態の全容をすすんで開示すべきです。情報公開の波のなかで、ウミを出しきり、腐敗政治と決別することが求められています。
(しんぶん赤旗、2006年3月6日)

  まあこれまで充分「努力」して来た見返りとしてワインを税金で浪費する位「ガタガタ抜かすな、貧乏人!」という了見なのでしょう。まあこれはこれとしてw 今回はお稲荷サマ(荼吉尼天)を法華経で供養する新興宗教の魔法についての続きです。

  稲荷、龍神と一口にいっても伝統宗教で祀られている由緒正しいものからどこの馬の骨とも分らない、チンピラのようなものまでそれこそピンキリなわけです。勿論霊体の浄不浄に明確な境界線などありませんが、似たような体験のパターンからある程度の分別は付くと思います。で、前述した通り、稲荷でも龍神でも法華経でガンガン供養すると金財・資材、衣・食・住が集中的に集まってくる。もう使い切れない、消費し切れない位ご利益がありますから当然、「浪費」するわけです。これが組織ピラミッドの上部構造、“特権階級”です。さらにピラミッドの下部構造には力が未熟な半人前のキツネ、これは実際には勿論人間なのですが“おこぼれ”を求めて大勢集まってきます。彼らの内には「働かないで報酬がほしい」という邪な者も多く、福祉を建前にあわよくば搾取を目論んでいるのです。幼稚な怨霊で構成された、このような組織ピラミッドは当然上から下まで健全な生産性は到底見込めませんから、彼らは念力、「引き寄せの法則」でピラミッドの外部から資産を供給するのです。チンピラ稲荷、チンピラ龍神であれば不可思議・奇天烈な“因縁”をつけて脅迫で資産を調達します。それが「ご本尊によるご利益」というわけです。

  当然組織ピラミッド外部の人間は自分の貢献に対して収益が見合わず、困窮します。実際にはピラミッド内部も余り上手くは行っていないのですが、彼らは外部の困窮を見て、自分側の特権意識を増長させます。この浪費する上層部と怠惰を貪る下層部、このピラミッドが勤労と福祉を外部に過重に押し付けているのが日本の現状のような気がしてなりません。選挙の時だけピラミッド外部に向けて訴え、一旦政権を手にしたら最後、どこまでもピラミッドの内向きでただ負担を外部に押し付ける、これは自民党でも民主党でも全く同様の事態となりました。まず改革の手始めにやるべきことは、この新興宗教・官僚・マスコミ他大企業で構成されたこの“無産浪費ピラミッド”の枠組みを叩き壊すことです。

  そしてその上で勤労と福祉を尊重した真っ当な社会構造に是正しなくてはなりません。上部は浪費を決して止めませんし、下部のキツネはどんどん増えるばかりです。改革をするか戻るかは建前で、実際の本音ではこのピラミッドに入るか出るかが焦点となっているのです。消費税を増税したとして、勤労者の消費が冷え込み、その結果社会保障の需要が大幅に膨れ上がるでしょう。その結果消費税をさらに増税してさらに困窮者が増え…これではイタチごっこもいいところです。財政赤字と社会保障費の増大、これはこの魔法ピラミッド内部の上層部による浪費と、下層部による福祉を盾にした怠惰が原因となっています。そうしたピラミッド内部の構成員の収入の得方の方が外部の人間よりもミクロ的には効率がよい、要領がいいとされているのです。これは道徳的にも実際的にも間違った風潮であり、勤労と福祉を尊重した社会体制を早急に立て直すことが求められていると思います。一方私の微かな希望は、恵まれたピラミッド内部の方が厳しい外部の人間よりも我侭で利己本位な不平不満が充満・膨張し、それによって自爆するのではないかという点にあります。

  蛇足ですが正月1日午後、東日本全域に地震がありました。阿含宗では1日には京都の総本山、3日には東京三田の別院で初護摩がどちらも昼前後(午前11時頃)焚かれる筈です。今日3日は地震がなかったのですから、やはり京都の総本山や星まつり会場に怨霊が集積していると見た方が適当でしょう。市川先生やさかもと先生も京都の総本山で取材をしている、私自身星まつりの裏方雑用で2週間本山に泊り込んだら運気が落ちた…ここは少しポイントのような気がします。勿論呪い等かけてはおらず、「東日本全体の安寧」を至心に祈念したのでしょうが…本尊が低級霊なので護摩の力で怨霊を寄せ集め、逆の結果を引き起こしたのだと思います。大震災でもゼネコン・マスコミは確かに大忙しになり、「縁起が悪いから民主党はダメ」と識者がコメントしました。自民党は春の地方選で“防災都市”を訴え勝利したわけです。勿論この真偽はどこまでも不明ですが、阿含宗に成仏法=霊的浄化法はないと思います。星まつりが2月11日、大震災が3月11日、地方選投票翌日が4月11日ですが、これも偶然でしょう。オウムの平田容疑者、出頭しても一旦追い払われたのは凄いですねw これじゃ捕まらないわけだ!

余震と雑感~釈迦と大乗、そして密教

2012.01.03(10:52)

  2日は近所のお寺に初詣に行って来た。比較的参拝客が少ない寺なのであるが、いつも様式と配慮が両立しているので毎年行くようにしている。今年は更にお坊さまが細かい工夫を凝らして実のある初詣にしようとされていた。これはなかなかできることではない。さて、真言宗では有名な先生の一見難解な論文を最近読んでいるのであるが、この先生は種々の論文で同じテーマを繰り返し扱ってくれるので頭に入って来易い。しかし学者であると同時に真言宗僧侶でもあるこの先生による経典解釈の基礎も私にはないし、とにかく扱う内容も難しい。それでも最近やっと文章を辿れるようになってきたので、今回はその内容の大雑把な部分を乱暴に採り上げてみたい。

  新春から初詣に行って叱られてしまうが、それは「真言宗のウソ」という話である。つまり空海の真言密教は即身成仏をその究極到達点とするが、まず①真言密教では釈迦のサトリは得られない②真言密教では大乗世界の顕現を目指さない③当然空海はそれを知っていたということである。何故いきなり年頭からこんな過激な議論を扱うかといえば、これを考察することで、政治・社会の右翼・左翼の分離の参考にならないか、と妄想したからである。勿論真言密教が釈迦のサトリを元に、その思想と境地を十二分に考慮して編み出されたことは間違いない。しかし厳密な意味で、真言密教から釈迦の成道を達成できるのか?と問われれば、ちょっと違うかな、と思うのである。

  卑見では断食苦行で瀕死の状態まで行った釈迦は、仲間の非難を背に修行を一旦中止し、方針を転換した。サトリを開いた後のお釈迦さまは深い禅定に入ることはあっても、断食したりヨガの体操を懸命にしたりはしなかった。「無欲への到達」から「少欲知足」へ、つまり「満足」という到達点を棄てたのだ。やはり深い瞑想で生命の根源的な目的意識まで到達し、それを超越してしまったのだろうと妄想する。断食やヨガのポーズでは力ずくで煩悩を抑え、殺していた。しかし今度は目的意識を超越し、生きながらにして「もう思い残すことは何もない」状態に達してしまったのではないかと思うのである。あるいはそれすらも棄てたのか。

  三毒である「貪・瞋・痴」の貪とは目的意識、それによって世間が二分され、目的に適わぬ部分の側に反発し、忌避感を覚える、これが「怒り」を表す瞋であろう。痴とは皆さんがお好きな「努力」のことで、「思考が現実化する」法則によって生死を超えて輪廻転生し、どこまでも望みに沿った人生が展開するという霊的な広い現象である。これは万人が「好む」ものであるが、必ず苦を伴う(またはそれ自体が苦である)からドツボに嵌ってしまう、だからそこから離脱せよ、というのが乱暴だが釈迦の思想であろう。

  おそらく大乗と小乗の統合を図った真言密教はこの「貪・瞋・痴」を殺すのではなく生かそうと考える。それが前者3つに対応する「菩提心・大悲・方便」であろう。菩提心とは仏道を精進する決意、すなわち目的意識、大悲は人間存在や人間社会の苦悩に対する問題意識、方便はその苦悩を解決するための様々な工夫・方策のことであろう。仏道を通じて煩悩を菩提に転換するのである。そして個人の精神を霊的に浄化し、社会に貢献する不思議な力を真言密教は持っている、と私個人はお護摩祈祷を受けた一信者の体験から断言できる。

  しかし「大乗世界」と「釈迦の成道」とは矛盾する、とこの先生はいうのである。目的意識から離脱した釈迦にとっては“大乗世界”という理想などあり得ないし、個人と社会が利他と互恵のカルマに充ちた大乗世界では、釈迦のような寂滅の境地に深く入って「娑婆にはもう戻りません!」と宣言したご仁に対して、「もっと世間に興味を持ちましょう! 目標を持って人生を明るく!」とセラピーを開始するであろう。それはいいとしても、「寂滅と互恵」という全く異なる(実際完全に対立する)人生へのアプローチが同じ「仏教」と呼べるのか?ということだ。

  密教の秘儀を得た伝授者には“巡礼地の果てで狂死せよ”という、まあこれも目的意識を潰滅させるための指示が与えられたそうであるが、このように本来の仏教に社会性はないわけで、“社会性のある仏教”が出現したとすれば、それは厳密な意味での仏教ではないのである。では釈迦や仏教を除いて大乗世界、互恵社会を創建しようとすれば、当然そこには釈迦の指摘通り利己的な思惑が複雑に絡み、結局利己的な傲慢・怨嗟・弱肉強食を色濃く含んだ欺瞞世界が出現するであろう。これが現在の“よりよい社会”であることはいうまでもない。これは釈迦の仏法が夢や希望を「苦悩」とし、一般社会が無意味な孤独死を「問題」とすることに起因するようだ。

  我々凡夫にできることは、まず個人も社会も夢や希望を持って進歩向上し、その中で必ず出現する絶望者の一群(自殺者・ホームレス・引きこもり等、線引きはなかなか困難だが)を蔑視するのではなく尊重する態度が求められると思う。人間の性分として大半の人はそうならない(目的意識を愉しみ、満喫する方を選択する)、この視点もまた釈迦のものである。このような絶望者(社会性喪失者)の一群を排除するのではなく受容し尊重してこそ仏教的互恵社会といえるかと思う。この分野で傲慢な拝金主義者が出るのだが、卑見では俯瞰者は無目的の上位にはなれないのではないかと妄想する。

  すなわち「解脱知見を得た」というのは目的意識であって無明の領域だということか? 解脱知見を絶対他力の下位に置いて“絶望させる修行”が必要(巡礼先での狂死・野垂れ死にや下坐の精進、断食による自身のミイラ化)だということか? 理性的な俯瞰者自体を超越否定(絶望)したのが釈迦であり、俯瞰者個人を肯定善導(希望)するのが大乗精神である。私のレベルではかなり踏み込み過ぎたが、以降はまた娑婆世界の諸問題に話を戻して行きたい。こう見て来ると真言密教は遁世寂滅(絶望)も理想世界(希望)も止揚した中道=現実的実践を示す宗教のように思えるのだが、皆さんは如何だろうか。

人間性の自覚とは?

2012.01.01(12:23)

  昨年からバグワン・シュリ・ラジニーシのDVDを眺めているのであるが、クリシュナムルティと双璧をなし互いに争うこの2大宗教的哲人は、同一の内容を語っているように思われる。例によって卑見と妄想で言い換えてみたい。つまり、大自然宇宙は諸行無常であり、絶対他力であるが、その中心に何か特定の目的はあるか?ということであろう。道教でも無為自然というが、人間もこの一部であることは疑いがない。しかし往々にして我々個人というものは目的意識(それを願望・欲望という)が強く、身体と精神を自己だと捉えている。心とか霊という用語よりも敢えて私は「無目的」「目的放棄」「無為」とズバリいわせて貰おう。勿論何の権威もない。“梵行”とはこの無目的を目的とし、目的放棄する修行のことであろうか。

  人間の内奥的本質を「無目的」とすれば「無明」とは何なのか?そう、「目的意識」である。一旦目的意識をもつや否や、世間はその目的に適うものと適わないものとに二分化される。目的意識に随順する景色がある一方で、他方がままならない現実として当人を脅かす、これを「苦」という。従って「集」とは個人に埋め込まれた種々の「目的意識(=無明)」である。その潜在的な目的意識が対象に名前をつける行為(言語化・記号化=名色)の原動力となっている。この記号化能力が薄いと「愚者」、濃いと「狂人」になることは現代社会においても自明であろう。

  やはりバグワン(OSHO)も「努力は不要」と言っている。努力とは目標設定を前提とするA地点からB地点への移行だからである。対して、自身の無目的性を実感するにはまずマインド上の優・劣双方の観念を消し、かつ丹田呼吸法を手掛かりに深く瞑想に静慮しなくてはならない。“本当の自分”とは自分本来の目的のことであろう。欺瞞の多い世間的な目的にどうしても真剣になれず、社会的な私は“偽者の自分”だ、本当の自分を探したいといって海外(の山奥)やボランティア活動に身を投じる人もいる。私も少し憧れるし、それはとても善い事だと思う。しかし、人間の幸福・自由・解放とは無目的が与えられる事によるのであり、特定の目的が与えられる事によるのではない。たとえそれがどんなに崇高な宗教上の目的だとしてもである。

  平成24(2012)年  賀 正  本年も宜しくお願い申し上げます。

2012年01月

  1. NY護摩と地球壊滅(01/25)
  2. 余震と雑感~汚泥と蓮華(01/25)
  3. 余震と雑感~既知と未知(01/24)
  4. 原発賛否の過去・現在・未来(01/24)
  5. 増税路線に変節する野田総理は「自爆に快感を覚えるマゾヒスト」(01/24)
  6. 教団霊と因縁霊(01/22)
  7. 内田樹: メディアの自滅(週刊現代)(01/22)
  8. 2012年、新たなる闘い!(01/22)
  9. 貧者と他力、そして法華(01/15)
  10. ピラミッド、パブリック、などのコンゴ…(01/15)
  11. 累進課税の強化と、消費税「暫定3%」で景気を刺激せよ(01/15)
  12. シリーズ・カルトの疑惑③阿含宗(01/09)
  13. "ヒロポン”より「ワクチン」を(01/09)
  14. 差別と肉食(01/09)
  15. 法華と民主主義(01/09)
  16. 消費税とマスコミ、偏向に潜む危険(01/09)
  17. シリーズ・カルトの疑惑②創価学会(01/09)
  18. シリーズ・カルトの疑惑①真如苑(01/09)
  19. 魔法のピラミッド、その内外の「格差」(01/03)
  20. 余震と雑感~釈迦と大乗、そして密教(01/03)
  21. 人間性の自覚とは?(01/01)
ルミガン効果