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余震と雑感~暮れ往く2011年

  今年を総括すると、まず山田詠美先生の「ジェントルマン」が書かれたのは、発表時期から推定して菅さんが辞める辞めないと紛糾し、亀井さんが首相補佐官をされていた頃であろうと憶測する。私が週刊ポストの車谷先生の扱いが酷いと批判し、ついでに漱石の「こころ」の作品中で誕生寺のある小湊から帰って来たら2人とも色情因縁でおかしくなって自殺してしまった、との素人コメントが気に入らなかったのであろう、文芸春秋と文壇を代表して山田先生が一撃を加えたということである。面白いとは思ったのであるが、ある種日本を代表して牽引すべき人々が、ここまで一ダメ人間のつまらない過去、それも実際の人物云々よりもマンガや小説、映像化作品のキャラクターの行状や、さらに一方的な噂話の方を優先して敢えて人口に膾炙させるのか?ということである。そのメリットもデメリットも双方あるのだが、ここまで来ると相手方の行き過ぎた杞憂が見えて来る。そしてその奥には触れられたくない“社会的な疚しさ=利権構造の死守”という悲願が存在するであろう事は想像に難くない。

  蛇足だが“ジェントルマン”には帝国主義を謳歌したイギリス内部の貴族・郷紳・医師・軍人ら利権階層のロンドン・シティ金融を介した文化的サロン、つまり原発事故で脚光を浴びた“政治・官僚・財界・学会・報道”のペンタゴンに通じるような利権複合体サロンのような意味合いもあるようだ。日本の中小企業の精密部品がなければイスラエル・アメリカの戦闘機、そして韓国の有名大企業の電気製品も造れない、と聞いたことがあるが、下町でロケットを製作しても、それが海外に渡って日本国土に叩き込まれるようではグローバル経済も困りものであろう。

  卑見だが、まず件の呼吸法であるが、これは元々芸能界というところはお上や大商店、さらにヤクザ(つまり右翼)が興行して進歩的・左翼的アーティスト・芸人が上演するというのが通り相場であった。まずこの双方による相克を収めるために見るからに誠実な先生が創始したものであろうと憶測する。つまり健康とかアンチエイジングは効果はあるにしても建前で、ロシアの演出家や演劇理論に影響を受けたこの先生の現代的・現実的対応法なのだ。つまり脚本の進歩的内実を保ちつつ、体制迎合的で“売れる”演目をできる「オーラの開発」ということである。ロシア文化の精華をアメリカ的にショーアップする、と極論してもよい。「ブラックスワン」を観れば一目瞭然であろう。ラストは勿論「新・必殺仕置人」です、ハイ。私個人はゲラゲラ笑って観ましたが。ポランスキー作品が好きなので違和感はなかったです。

  公安や創価学会が「思考盗聴」なる技術を開発して、告発した者は「自我漏洩」という精神病にして収監するという記事も読んだが、私の卑見ではやはり念力・念波による「荼吉尼天修法」の考えを採る。呼吸法の初期、先生が厨子に向かって何やら神霊?を拝んでいた、という噂があるからだ。NEC・ソニー・セガ、多くのゲーム開発会社のトップが見学体験に来たことからも、単一のエネルギーではなく、パソコンにプリインストールされている沢山のプログラムのように、各種の新興宗教、各種のヒーリングのエネルギーが内包されていたように思われる。

  このブログでは真如苑・阿含宗・創価学会を採り上げるが、最上稲荷が日蓮宗に帰属するという記事からもこれらの新興宗教の仕組みが解ると思う。つまり、荼吉尼天(=お稲荷さま)を本尊に法華経を唱える、これは共通である。ただし本尊は金色の仏像を据え置いてこれは釈迦ですよ、観音ですよ、仏舎利ですよ、と隠しているだけである。短期的な願望はキツネを使役して(稲荷イコールキツネではなく、稲荷神とはキツネ=自然霊の支配者・使役する主人である)殆ど叶うのであるが、このご本尊は代償が高くつくのが特徴なのである。つまりキツネとは頭脳か身体が弱く、一人前に役に立てない、未熟な霊体である。これが稲荷の下に縋って続々と集まってくるのであるから、稲荷神は彼らを養い、食わせなくてはならない。従って依頼者は稲荷神に祈願を重ねるたびに、段々に増えていく行き場のないキツネたちの分のお布施を増額していかなくてはならないのだろう。

  さらにもうひとつの問題点は、新興宗教はこの稲荷本尊を用いて「先祖供養」をする、ということである。本来衣食住を整える自然の神さまが本業である。自然の山や海から衣食住の原料が調達・供給されるという意味である。稲荷に願意を伝えるということは、念力を凝集して固着させるという作業である。一方「成仏」「浄化」とはこの凝集固着した念力の塊を溶解・融解する作業であるから、この2種の異なる作業を同一の本尊で同じような読経でやっていたのでは、成仏効果など生じるわけがない。稲荷神は先祖供養のため、と称してさらに大勢のキツネを集めるから結局信者の周囲に多くの怨霊(すなわち先祖の凝念)が飛来し、皮相的な慰労をするだけで、それらが消失することはない。ついでにいえば簡単な願意も叶わないという事態になる。逆に現世に未練・執着を残した怨念・凝念自身の願望が叶って、現実の人間に憑依して狂わせ、テロリストの手伝いのような事態を引き起こすのである。荼吉尼天・稲荷神は密教でも認めている神サマではあるが、世俗的な現世利益を願う対象であろう。

  では成仏法とはどんなものかとは当然私などに応えられる能力も資格もないが、明治の神仏分離以前、修験道や陰陽道を通じて神社と仏閣は修法を共有していたのであり、むしろその形式が日本本来のものである。明治以来の仏教を排斥した神道への一本化で日本は見事玉砕したのであり、叡山や高野、さらに各地の神社巡りで密教を研究・実践した筈の日蓮曼荼羅もこの動きを天皇を超えた暴走までして促進した。日蓮曼荼羅には日本の神々も書いてありますよね?富士山や神祇に対して法華経題目を唱える、これは前述した稲荷神に対して法華経を唱えるのと同じような効果を生むのではないかと妄想するのである。これをやると一部の者に衣食住の資材が集中するが、一方何も知らない者にとってはガダルカナルのジャングル中で食料も水もない、弾薬を棄てて生きた蛇を食べるという欠乏状態になるのであろう。脱線したが自分の罪状を懺悔するには真言を唱え、さらに本尊は天御中主神を据える、これは一見チグハグな印象を受けるが、修験・陰陽の祈祷方式である。

  非常に中途半端になってしまったが、この続きは来年に持ち越したい。拙いブログをお読み下さり、反応を下さった皆さん、本当にありがとうございました。特に夕刊フジさんに関しては意見の相違を越えて感謝の念を禁じ得ない。20年前も髪結い伊三次で村上さんが出演されてあの当時破格の扱いであった。5年位は中退したから、と思って笑って眺めていたが、10年位してからこれはおかしいぞ!と慌て、神社仏閣に詣でるようになった。霊能者に相談し、精神病理の本も読んだ。5年前から真如苑や阿含宗への在籍をきっかけに、仏法や幽界修行の知識と実践に触れたわけです。いまはブログで発信できるので、20年前の何も解らずただ受身の状態とは雲泥の差である。一般の読者の皆さん、宗教団体やマスコミのご関係者、その他著名な先生方からの過分なコメントにも関わらず、来年も宗教・報道・政局・社会を相手に卑見と妄想を綴ります。被災地・避難中の皆さんも含め、どうかよいお年をお迎え下さい。ありがとうございました。
  
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仏法探究!

池田大作名誉会長の埋葬地は何処になる?

  池田家にまつわる墓は全国で5カ所あるとされる。そのうち一番最初に作られた墓から話を始めよう。東京都大田区大森。マンションや商店が並ぶ一角にその寺はあった。平安時代に開創され、1100年以上の歴史を持つ密厳院。境内には、あの〝八百屋お七〟を祀ったお七地蔵なども安置されている。ちなみに大森は池田氏の生誕の地でもある。当地で海苔製造業を営んでいた父・子之吉(ねのきち)氏が昭和30年にこの密厳院にお墓を建立した。

  「子之吉さんは、昭和20年、にビルマで戦死した長男の喜一氏を供養するためにうちに墓を建てられたのです」というのは、住職の喜田啓照氏である。なお、池田氏は10人兄弟の五男坊だ。「その翌年、子之吉さんもお亡くなりになり、このお墓に納骨されました。ですから、ここにはお2方のお骨が納められています。子之吉さんの死後は次男の増雄さんがお墓を継がれた。その増雄さんも逝去され、今ではお墓の所有者はその息子さんになっています」 ここが池田家のそもそものお墓であるが、奇妙な点がある。実はここは真言宗智山派の寺院。池田氏らが日頃、邪教としている異宗徒の墓地なのだ。

  「このお墓の存在によって、浮かび上がってくる事実があります」というのは、学会問題に通暁し、『池田大作金脈の研究』(第三書館)などの著書があるジャーナリストの野田峯雄氏だ。「つまり、会員には“親兄弟や友人を折伏して入信させろ”と大号令をかけながら、自分は父親の子之吉さんさえ折伏できなかったということです」野田氏によれば、池田父子の間には宗教を巡って激しい相克があったらしい。池田氏が創価学会の第3代会長に就任した後の昭和40年代、この大森のお墓を巡ってある“異変”が起きた。

  「まだ存命だった増雄さんが来られ、“弟がああいう立場なので…”と、お父さまと長兄の遺骨を分骨したい旨の申し出をされました。本堂で分骨したことを今でも覚えています」(前出・喜田住職)池田氏の意向で、分骨が実施されたようなのである。「この時、2人の骨は、学会が土地を提供し、日蓮正宗が開発・運営している東京・八王子の高尾墓園に移されました。子之吉氏の法名も『浄徳清道信士』から、『種田院法子日実居士』に替えられた。喜一さんの戒名もしかりです。要するに父親も長兄も池田氏によって、2つの全く異なった宗派の法名を持ち続けるという、実に奇妙なホトケさんにされてしまったのです」と、前出の野田氏。それにしても、なぜ彼はこのようなことをしたのか。

  「推測になりますが、本人にしてみれば、“自分が家族も折伏できず、まとめられなかった”といわれることは我慢ならない。お骨をそのままにしておくと、この事実が残るので、容認できなかった、ということではないでしょうか」(同)いずれにせよ異教の宗派のお墓であるから、池田名誉会長が死後、ここに永眠することはまずあり得ない。 次に建てられた池田家の墓は、野田氏が語った、八王子市の高尾墓園である。この墓園がオープンしたのは昭和38年。3000坪ほどの広大な土地を創価学会が日蓮正宗の総本山、大石寺に寄進した。ただ造成は日蓮正宗が行い、その後の経営も総本山が行っている。墓園を管理する常修寺の関係者が語る。

  「この墓園には学会の初代会長、牧口常三郎氏や2代会長の戸田城聖氏らのお墓もあります。池田大作さんはその区画の周辺を学会用に押さえました。池田家の墓も牧口、戸田家のすぐ下に設置したのです」前述したようにここには、池田氏の父、子之吉氏と長兄の喜一氏が分骨され、後には母、一(いち)さんや昭和59年に29歳の若さで急死した池田氏の次男、城久氏のお骨も納められている。池田氏もここに埋葬されていい筈だが、そうもいかない事情がある。なにせ、高尾墓園は日蓮正宗が運営している。本来、日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった創価学会。それが巨大化し、“池田教”へと変貌する中で、宗門と激しい“戦争”を繰り広げたことはご存じの通りだ。その結果、平成3年、池田氏率いる創価学会は日蓮正宗から破門されてしまった。池田氏にしてみれば、その憎き仇敵の運営するお墓に入れる筈がないのである。

  3つ目に紹介するお墓は古都、鎌倉の「鎌倉霊園」にある。昭和30年代に西武鉄道が開発したものだ。この地に、昭和49年、前述の増雄氏が年老いた母親、一さんと自分のためにお墓を用意した。なお、この鎌倉霊園は無宗派の墓苑である。「増雄さんは老齢の母の面倒を見て、一緒に暮らしていました。その母親が昭和51年9月に亡くなり、鎌倉霊園で供養しようとした。この時、割って入ってきたのが、池田さんです。すでに学会の3代会長となっていた彼にしてみれば、母親を無宗派の霊園に埋葬ざれては周りに示しがつかず、たまったものではない。だから、葬儀の喪主は増雄さんでしたが、実質的には創価学会に取り仕切らせました。まだ蜜月関係だった日蓮正宗のお寺で、品川にある妙光寺において葬儀は営まれた。そして一さんの死の翌年、彼は、日蓮正宗総本山の大石寺に墓を建立。結局、一さんのお骨はその大石寺と高尾墓園、鎌倉霊園の3カ所に分骨されたのです」(学会ウォッチャー)

  ともあれ、この増雄氏が建立した鎌倉霊園の墓も無宗派だけに、池田名誉会長の墳墓としての適格性を欠いている。次にご紹介するのは、いわずと知れた日蓮正宗のお膝元。前述した総本山大石寺にあるお墓である。富士山を望む、緑豊かな墓地にある池田家の墓は一際、豪壮なものである。「建立は昭和52年9月6日。これは池田氏の母親、一さんの命日です。したがって母親のお骨を分骨するために建立されたお墓ということが窺えます」と語るのは、日蓮正宗の宗務院渉外部の担当者だ。

  「墓石には、他に子之吉氏、喜一氏の名前も刻まれていますが、納骨されているかどうかは分りません。ただ、名前の記されている次男の城久氏はここに分骨されていると思います。池田氏は破門される直前まで総本山に参詣していました。その際にお墓参りもしていたでしょう。今もお墓はいつも綺麗に掃除され、樒(しきみ)もよく取り替えられていますよ」本来、「学会VS宗門」戦争がなければ、こここそが大本命。ご本人も入るつもりで建てた墓だったと思われる。しかし、破門された今となっては、この墓に埋葬されることは100%ないと断言できる。

  最後に紹介するお墓は、奈良・生駒の山間の町にある。日蓮正宗・法雲寺。ここに池田氏が墓を建立したのは、昭和58年のことだ。「法雲寺の住職だった故・石川秀頴(しゅうえい)氏と池田さんは非常に親しい間柄だった。そうした関係から、池田さんが石川さんのお寺に約1000万円ものお金をかけ、墓を建てたと聞いています」(前出の学会ウォッチャー)現在、墓には誰の骨も入っていないという。いずれにせよ、ここも日蓮正宗のお墓である以上、池田名誉会長が埋葬されることはあるまい。こう見ると、池田氏は5つも縁(ゆかり)の墓地がありながら、そのいずれにも居場所がないことになる。大教祖様にすれば何とも寂しい限りで、哀れにすら感じられる。

 では、池田氏にもしものことがあった場合、本人や家族はどこに埋葬することを望んでいるのだろうか。もっと変則的な展開があるのではないかと予想するのは、元学会広報部副部長の小川頼宣氏である。「学会には北海道から九州まで全国13カ所に学会墓苑があります。池田氏が亡くなった場合、まず信濃町の本部にお骨を置いて、そこで一周忌の盛大な回忌法要を行うでしょう。その後、本骨は高尾墓園など首都圏に置きながら、七回忌あたりから全国の学会墓苑に徐々にお骨を分骨していくというショーを始めると思います。各地に分骨しないと、彼と共に眠れると思って墓苑を購入した会員から〝騙された〟という不満が出かねませんから」むろん、現時点でこれだと断定はできないが、いずれの予測も説得力があり、あり得そうである。

  そんな中、最も現実性がないと思われるのが「ミイラ化による池田廟建設」だ。しかし元公明党委員長の矢野絢也氏も学会幹部から同じ相談を受けたと証言する。「私が公明党書記長をしていた70年代に、ある幹部から“池田先生が亡くなられた後、ミイラにできないか。レーニン廟みたいなものを作りたいんだ”と相談を受けたのです。当時は学会上層部で真剣に検討もされていた。ただ日本では法律的に不可能であることがはっきりし、そのまま立ち消えになりましたが」スターリン、毛沢東、金日成…冒頭の証言も併せれば、こうした独裁者が抱いた野望が、特異な宗教団体の基底でも何十年も保持され、燻り続けてきたといえよう。しかも厚労省によると、現在の死体解剖保存法の下では、遺族が了承し、指定病院が行えば、遺体を標本化できるという。それを病院などの医療施設以外に安置することも、当該の都道府県知事等が許可すれば間題ないというのだ。名誉会長ミイラ化には実現性が出てきたわけである。
(週刊新潮、6月9日号より抜粋)

  「真言亡国」ならば智山派に祖霊の墓碑を持つ池田会長の折伏説教は説得力が落ちますね。創価学会は日蓮正宗からも否定されていますから、やはり宗教的に問題のある政治的集団といえそうです。マスゲームも好きだしね。週刊ポストで佐野眞一氏の連載が始まったようです。正剛先生・溝口さん・佐野さんと揃いましたね。きっと得るものがあると思います。

  サンデー毎日は小島慶子サンのパワーが凄いのですが…隣に置いてあったフラッシュ表紙のオーラとそっくり? 「ストリーム」の終了理由以上にこの方ののめり込みはコワイです。関係ないけど杉本彩さん、虫垂炎で年末仕事をほとんどキャンセルせざるを得なかったそうです。また芥川賞委員って慎太郎知事や宮本輝先生もいるんですんね。全く何の関係もありませんが…池田名誉会長のご冥福、じゃなくてご長命を心よりご祈念申し上げます…! 佐高先生の疑念・不審は仰る通りですが、それでも潜在意識の力は強いんですよね。ただ人生の選択肢として、全員がハリウッドスターやウォール街の証券マンになればいいのか、ということでしょう。毎日新聞は私の愚かさを単純には笑えませんね。

  安岡先生の著作は若い頃読み、運命より立命だ、ではどうするか、というので袁了凡の「陰隲録」が出てきます。すっかり忘れた後年、阿含宗に入会し「密教占星術Ⅰ」を読むわけですが、ここにその陰隲録の“運をよくする(悪くする)ポイント対照表(功過格)”が出てきます。さらに準胝観音行の必要性が出てくるわけですが、現在の阿含宗で「それを信じている」というと皆から笑われますw さんざん実験した結果、教団は基礎教学とは違う権威的な方向へ舵を切ったということでしょう。ハハハ、たしかに私は“魔女”には弱いですね、笑ってる場合じゃないですが… 細木先生は当たる当たらない以前の面白さがあるんですよ! 毎朝テレビや新聞紙面の星占いに苦情は来ませんよね。日本人はそれだけ占いが好きなんです。

  日本全体が敗戦とバブル崩壊、大震災と原発罹災を踏まえ、さてこれからこれからどうするの・どうするかというのが2012年だと思います。「ポジティブに努力して偉くなれ」じゃダメだわね。週刊ポストとサンデー毎日、どちらも茂木先生のコラムが好きで読んでいたのですが、両誌とも急に終っちゃいました。特にサンデーは提灯広告まで企画したのに…出版編集内部が一枚岩でないとは思いますが、常人が外から伺い知れる様子はたかが知れています。
 
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仏法探究!

あいた口が塞がらない! 朝日社説の“変節”に呆然!

   驚き、あきれてしまう事実がまたも明らかになった。小沢一郎・民主党元代表の政治資金をめぐる裁判で、秘書だった石川知裕衆院議員を取り調べた東京地検の検事が、事実と異なる捜査報告書を上司に提出していたことを認めた。

  石川氏は昨年1月に逮捕されたとき、「政治資金収支報告書にうそを書くと元代表に報告した」と認める供述調書に署名した。元代表を「起訴相当」とした検察審査会の1回目の議決を受け、この検事は改めて5月に石川氏から事情を聴いた。その際、あえて不利なことを認めた理由として氏が語ったという、報告書の中の生々しい言葉は、実は架空のものだった。捜査員がねじまげた調書を作ることが問題になっている。

  それでも調書の場合、調べられた当人が署名しなければ証拠にならない。だが報告書は部内資料のためルールは甘く、捜査員が署名するだけだ。そこにうそを書く。ある意味で、調書のねじまげより罪深いといえる。なにより真実でない報告を受ければ、上司は捜査の方針を誤るだろう。この検事は「別の取り調べの時と記憶が混同した」などと弁解したが、本当ならばそれだけで検事失格だ。自覚と緊張感のなさは、報告を受けた側も同様である。

  元代表の刑事責任の有無を考えるうえで、石川氏はカギを握る重要人物だ。再聴取の様子をしっかり確認していれば、今になって「報告書は事実と違う」という話が出てくることなど、およそなかっただろう。結局「起訴に向けてさらに捜査を尽くせ」という審査会の指摘には正面から向き合わず、一方で、自分たちの調べに問題がなかったことを組織内で確認しあって再捜査を終わらせた。はた目にはそのように見える。

  素人である検察審査会の審査員や裁判員に正しい判断ができるのか、という声はくすぶる。もちろん絶対に間違えないとは言わない。だが国民の能力を云々する以前に、専門家の手で正しい証拠が隠されたり、不当な誘導がされたりすることが、誤った結論をもたらす。この当たり前のことを、いま一度確認しておきたい。

  今回の問題が元代表の裁判にどう影響するかは軽々しく言えない。確かなのは、検察不信がまた深まったということだ。なぜうその報告書が作られ、チェックもできなかったのか、経過を解明・検証して国民に説明する作業が欠かせない。「公益の代表者」の名が泣いている。再生の道は、はるか遠い。
(朝日新聞、12月18日)

  今更こんな“正論”をぶたれても、偏向紙面に慣れた読者は困惑狼狽するばかり。何せ一億総国民は「偏向する朝卑新聞は捏造報道で司法と心中・崩壊するんだ!」と思い込んでいるんですから…朝卑の不実を激しく糾弾・断罪するのはライバル紙や対抗勢力などではなく、長年の“朝日新聞愛読者”と、久米さんの「ニュースステーション」や鳥越さんの「スーパーモーニング」、田原さんの「サンデープロジェクト」、愛川さんの「パックインジャーナル」、ついでに藤田さんの「必殺シリーズ」他に親しんで触発された“テレ朝視聴者”が中核ですぞ…

  民主党の代表選挙が始まりましたが、またぞろ「政治とカネ」という言葉がそちらこちらで飛び交う、と思うとうんざりしますね。なぜかって? それはその言葉を使っている当人が「政治とカネ」の事実関係について正しい知識もなく、ある種のレッテル張りに使っているケースが多くて不愉快だからです。

  そんなある日のこと。テレビ朝日「スーパーモーニング」でちょっと面白いシーンを目撃しました。金曜日でしたので私は出演していない日です。民主党の国会議員2人が出席していて、そのうち1人、生方幸夫議員が「政治とカネ」の話を持ち出し、小沢一郎氏の批判を始めました。私はあーあ、またか、と思いながめていると、この日のアンカー役、山口一臣・週刊朝日編集長が生方議員に向かって問いかけました。「『政治とカネ』とあなたは言うが、被疑事実は何なのか知ってるんですか?」生方議員はムニャムニャ分からないことをしゃべっていると、山口編集長はズバリと喝破しました。それはまさに“喝破”の名に値する寸言でした。

  「生方さん、あの事件は“虚構”ですよ」

  スタジオは一瞬静まり返り、話題はすぐ変わりましたが、“虚構”という言葉がコダマのように私の頭の中で響きました。私もそう思うからです。捜査のプロ・東京地検特捜部が必死になって捜査して出した結論が「不起訴」。検察審査会は“市民目線”と新聞では持ち上げられてはいますが、しょせん素人の集団。もし強制起訴になれば小沢氏も堂々と受けて立てばいいだけの話なのです。

  それにしても小沢氏が代表選出馬を表明した翌朝の新聞各紙の社説見出しはひどかったですねえ。「政治とカネ」の言葉に惑わされているんですね。「小沢氏出馬へ あいた口がふさがらない」(朝日新聞)…だって。あいた口がふさがらないのはこっちだよ。新聞は小沢氏が嫌いらしい。
(鳥越俊太郎、毎日新聞「ニュースの匠」2010年9月6日)

  8月27日付の朝日新聞の社説には、「小沢氏出馬へ あいた口がふさがらない」の見出しが躍っている。指摘しているのは「政治とカネ」の問題だ。幹事長を辞して3ヶ月も経っていないうえ、いまだ国会で説明もせず、検察審査会での起訴相当の議決を受けて、2度目の議決を待っていることから、「けじめがついていない」というのだ。

  小沢氏の出馬表明までの鳩山由紀夫前首相の言動を含め、「どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか」、「(小沢氏と鳩山氏の)2人のこの有り様は非常識を通り越して、滑稽ですらある」とボルテージを上げている。 円高・株安で混乱している金融・経済情勢にあって、企業経営者をはじめ、「派閥争いをしている場合か」「代表選どころではないだろう」との声は多いし、たしかに「あいた口がふさがらない」と感じている国民は少なくないかもしれない。

  さらには、小沢氏が党内の多数派工作に成功して「小沢首相」が誕生しても、1年で3人もの首相が代わる「政権のたらい回し」に、「自民党時代と、なにも変わっていない」と感じている人も多いはず。朝日新聞は「1年ほど前、新しい政治に期待して1票を投じた有権者の思いを踏みにじるにもほどがある」と激怒している。
(J-CAST、2010年8月27日)

  優秀なジャーナリズムを擁して視聴者・読者の広範な支持を得ていながら、混迷する民主党の反動政治を後押しし、偏向報道と言論統制に邁進した朝卑の浅ましさは国民の思いを踏みにじるにもほどがある。世論調査も駆使した一大キャンペーンも張ってこの始末・このザマだ。これでは小沢さんが有罪になっても無罪になっても朝卑新聞の不実“有罪”は確定結審し、以降「ウソつき!」の指弾を免れ得ない。朝日新聞の名が泣いている、いや戦前・戦中の“大本営礼賛”の亡霊が蘇ったのか。テレビ・新聞・週刊誌、大手マスコミの信頼回復への道は限りなく遠い。

  とにかく、秘書裁判の過程でも前田検事の供述調書を却下して、検察の杜撰捜査を認めたにも関わらず、推論と憶測の積み重ねで“ゼネコン口利き収賄”を認め有罪を下したわけです。当初から無理筋の小沢有罪への対策として“捏造”された「国民の声・市民の目線」たる「第5」検察審査会はあくまでも検察シナリオの一部に過ぎず、実態があろうがなかろうがどっちでもいいのです。特権マフィアが民主主義・法治主義を濫用し、一部の政治勢力・既成利権と癒着して国民主権を詐欺に掛け、一蹴するような事態にでもなれば、隣国ではなくこの国の“北朝鮮化”が決定されるのです。もはや司法・行政・報道は懲りない常習的な「大嘘ツキ」だと国民は考えています。拝金エリートの知略と特権に満ちた詐欺によって“愚民”などカンタンに籠絡できるんだ、と自己陶酔に耽っていれば、遠からず鉄槌が下るであろうことは想像に難くない。大崩壊はいつも想定し得ない“絶対他力”によって“神話を確立した万全の強者”に突発的に降りかかるものなのです。
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ポスト現代時評

真言系のキツネ、天台系のオオカミ、さらにテング

  …そのほかに狼神社には御嶽信仰(蔵王信仰)に関わるものもありますが、御嶽(吉野金峯山)は金峯山寺のある山ですから、とうぜん天台宗山門派とも関係があり、江戸時代には「天台宗・日光輪王寺門跡」に属しています。ただし、吉野金峯山は、もとから天台宗と真言宗の両派の僧によって共同で運営されていましたから、かなり複雑で、数多くある地方の「御嶽」も天台宗と真言宗の両方に関わっていることが多いようです。また、御嶽信仰は江戸時代になると修験道ともすこし異なった形態をとり、彼等はとくに「御嶽行者」と呼ばれます。狼神社のいくつかはこの御嶽行者と関わりが深いようです。

  ところで、奈良・平安時代から江戸時代末まで、ずっと興隆し続けていた寺社(寺と神社)など珍しく、どの寺社もなんどか存続の危機を迎えています。いつも柔軟に時勢に対応してきた寺社でしたから、ずっと同じ宗旨(仏や神)を守り続けてきたというわけでなく、一度くらいは宗旨を変え、真言宗から天台宗に変わった例もその逆の場合もあります。そういうわけですから、関わった修験も単一ではなく、たとえ長い時代を通し本山派が主導権を握っていたとしても、ある短い期間には当山派修験が幅を利かせていたなどということは、どこの寺社においても珍しくありません。

  鎌倉時代、天台宗から曹洞宗などの新しい宗派が生まれたため、天台宗から曹洞宗へと改宗した寺は、かなりの数にのぼります。春埜山大光寺などもそうです。狼神社(寺)は、天台宗から生まれた本山派修験道を基本型としているのですが、天台宗から曹洞宗へ改宗した寺はかなり多いので、狼神社(寺)のなかにも曹洞宗がかなりあります。また曹洞宗は、通常は釈迦牟尼を本尊とする事が多いのですが、このように改宗した寺が多い為、以前の宗派の本尊をそのまま引き継いでいる場合もあって、本尊はそれほど統一されていません。

  例えば、豊川の曹洞宗・妙厳寺は、稲荷神と同体とされる荼枳尼天(だきにてん)を祀ります。オオカミで曹洞宗という上記の春埜山大光寺と同じくらい面白い、もうひとつの形態がキツネの曹洞宗で、有名な豊川稲荷がこれです。仏教でありながら、なぜか神社のように「稲荷神」を祀っているということになります。

  曹洞宗の妙厳寺が、稲荷神を祀っている理由としては、もともと妙厳寺では「荼枳尼天」を守護神として祀っていますが、多くの稲荷社でも「稲荷神=荼枳尼天」とみなしています。そこで、妙厳寺でも「荼枳尼天」を「稲荷神」と同じものとして、「稲荷神」を祀るようになったとされています。しかし果たしてそうでしょうか。話はもっと簡単なような気がします。

  天台密教(台密)でも真言密教(東密)でも、荼枳尼天は大変重要な仏で、とくに東密では荼枳尼天と稲荷神を同じものとみなしています。妙厳寺がかつて密教に関係した寺であったなら、荼枳尼天を祀っているのは不思議ではありませんし、真言宗から改宗し曹洞宗になった寺もかなりの数に及び、全国には天台宗の流れを汲む曹洞宗でありながら、真言宗の稲荷を祀ってある寺もかなりあります。また、不思議な気もしますが、天台宗(比叡山)のお膝元の日吉神社には稲荷社もあるくらいで、寺が稲荷堂を管理していても不思議はありません。

  荼枳尼天を祀るのは山住神社の里宮、秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)も同様で、こちらも曹洞宗です。しかし、こちらはキツネとオオカミが混じってもっと複雑になりますので、いままでのパターンを少し整理します。天台宗系修験道の狼神社の三峯神社などと、真言宗系修験道の狐神社の伏見稲荷などは神使は違いますが、原初の形のまま現代まで残ってきたものです。そしてもう一つの形が、途中で天台宗から改宗した曹洞宗の狼神社(春埜山大光寺)や、真言宗から改宗したと思われる曹洞宗の狐神社(豊川稲荷)です。

  そして、秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)が更に複雑だというわけは、真言宗系・キツネ系の荼枳尼天を祀りながら、オオカミ系の山住神社の里宮と言われているからです。オオカミ神社の里宮が、キツネを祀っているというのは不可解です。これの答えは、柳田国男が出しています。

  山住は地形が明白に我々に語るごとく、本来秋葉の奥の院であった。しかるに、いつのころよりかニ処の信仰は分立して、三尺坊大権現の管轄は、ついに広大なる奥山に及ばなかったのである。 「山の人生」柳田国男著

  上記の文を読むと、途中から山住神社と秋葉神社は異なる信仰を持ったようで、三尺坊大権現(秋葉大権現)の管轄から山住神社が離れていったようです。柳田国男の言が確かなら、秋葉神社は狼神社ではなくて、最初から変わることなくずっと狐神社だったのです。もとから秋葉山はキツネの山で、山住神社のほうがキツネからオオカミに、つまり真言宗系修験道から、天台宗系修験道に変わった可能性があります。神使の狐を、途中から狼に変えたことになります。

  秋葉山・秋葉寺の三尺坊大権現が、狐に乗った烏天狗の荼枳尼天であるのは、秋葉山が真言密教であったため当然のことです。それ故、秋葉山にオオカミの痕跡が全くないのも当然です。そして、山住神社は世にも珍しい、キツネからオオカミに変わった神社なのかもしれません。当山派から本山派に変わった可能性があります。もはや山住神社と全く関係のない秋葉神社で、狼探しが徒労に終わるのは当然ですが、元の秋葉神社である秋葉寺でも狼を見つけられないのはそのためです。逆に、秋葉寺や山住神社で、狐探しをした方が面白い結果が得られると思います。境内のどこかに、キツネの足跡くらい見つかるかもしれません。

  延暦寺と関係のあるとされる東北の羽黒山も、稲荷社で祀っている「宇賀御魂神」を祭神としています。この経緯は、当初、真言宗の山だったのが、江戸時代初期に天台宗に代わったためで、こちらは山住神社の歴史などよりずっと確かです。
(「ヤマイヌ」HPより抜粋)

  東京新聞の終面に渋谷の宮益御嶽神社が紹介されていたので参考までに引用しました。小沢さんの裁判がのっけから嘘八百・ペテン・八百長・根も葉もない中傷デマだったのは明白で、小沢さん周辺や週刊ポストらの尽力には脱帽感服しますが、最近の公判の成り行きはごく当然のものであり、裁判所判断の行方が注目されます。真摯な世論を無視して現代の政治犯を捏造し、法治主義に対する国民の信を崩壊させ、共産的警察国家へ傾いて社会秩序混乱の糸口を自ら開くのか、あるいは検察の結果主義・杜撰な聴取・情報公開の恣意的な偏向を糺し、検察審査会の正しい運用に道筋を付けるのか―裁判はまだまだ予断・楽観を許しません。
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仏法探究!

「利息」を生むおカネと“減価”するポイント・マネー

  私たちはふつう、借金をしていなければ利子を払う必要はない、と思っている。だって利子とはそういうものでしょう。借りた私と、貸した相手との関係でおさまっていればそれもまちがってはいない。ところが、ドイツの建築家、マルグリット・ケネディは、「私たちは借金があろうとなかろうと、この経済システムの中で生活している限り、つねに利子を支払わざるをえないようなしくみになっている」のだという。

  「えっ、そんなあ」とは思うが、思い当たるフシがないわけでもない。旧国鉄の債務支払い。運賃にも入っているだろうが当然それでは支払いきれない金額をだれが負担するかというあきれるような議論。毎年大量に発行される国債。地域振興券だって、結局は子どもたちがそれを払っていくんだから、2万円なんてもらっても結局は迷惑な政策…。思い当たるのはこんなあたりだろうか。

  いや、それではまだまだ足りない。ケネディは、「たいていの人は借金しなければ、利子を支払う必要はないと思っているが、私たちの支払うすべての物価に利子分が含まれている。商品やサービスの提供者は、機械や建物を調達するために銀行に支払いをしなければならないわけで、銀行への支払い部分が物価にふくまれている」という。なるほど、当然である。さらに、こんなこともいう。「今のドイツでは、一戸あたり1万8000~2万5000マルクの利子を支払っていて、年収が5万6000マルクあるとすると、その30%もの金額を利子の負担にあてていることになる」。30%! マルクだと自分の生活感覚に直接落とし込めないけれど、30%はすごい。

  「うちはどのくらい利子を払っているんだろう」と思わないではいられない。30%という数字がそのまま使えるかどうかはわからないけど、もしそうなら、確実に何百万円かは手元に残るわけで、にわかに信じがたいが、もしかしたら本当かもしれない。そして、ケネディは、「もし利子をやめて別の有効な流通メカニズムを採用することができたら、その流通促進のために新たな負担が生じたとしても、たいていの人たちは、所得が2倍になります。あるいは、現在の生活水準を維持するのにもっと少なく働けばよくなります」とまで言いきるのである。

  利子を当然とする今の経済のシステムは、「持っている人はお金をガンガン集め」持っていない人は「利子を払うためにどんどん貧しくなる」かっこうだ。先進国は第3世界から毎日2億ドルの利子をもらっている計算になるという。その経済システムが、第3世界のよってたつ財産ともいえる自然と環境を破壊し、貧富の差を押し広げているのだとも。

  この言葉は強烈だった。これで、「利子当たり前」という気持ちをとつぜん翻らせて「利子は悪者だ!」と叫ばせるほどの力強さがある。第3世界から2億ドル! しかも毎日。これはたまらない。利子がなくなれば、30%が自分の手元に残るどころか収入が2倍。夢の利子暮らしならぬ、「夢の無利子暮らし」ではないか! そう、そんなにお金があったら銀行に預けて利子を稼ごう! ああ、私っていったい…。

  こんな利子のシステムがめぐりめぐって、時間がたっていったら、どういうことになってしまうのかということにも、思いをめぐらせる必要がありそうだ。ケネディの言葉にも「今の金融システムは、これまでのあらゆる戦争よりも、あらゆる環境の困窮よりも、あらゆる自然の災害よりも、多くの死と貧困を生みだしています。(中略)私の希望は、若い人たちがいかにこのシステムが自分たちの将来を壊しているかを大人以上に理解することです」。ミヒャエル・エンデもまさしく、このことを言いたかったのだ。

  この『エンデの遺言』の中で、エンデは、「お金には異なる2つの役割があり、それが問題を引き起こしている」という。子どものころのこんな会話を思い出す。「色えんぴつ貸して」「返してくれるの?」「じゃあちょっともらう」。色えんぴつの大部分は返すけど、使った分は返せない。消費した部分は「もらう」のである。つまり借りるとは、そういうことなのだ。ちょっと貸してもらって、消費し、消費しきれなかった分を戻す。これが「借りる」の本質であるとすると、お金を借りるというのは、借りたお金とその同じ金額を返すか、それよりも少ない金額を返す、というのが借りるということになる。借りたお金よりもたくさんのお金を戻すということは、「元金」という商品を「利子」という金額で買っている、と言うことができる。

  エンデがお金に2つの機能があるといったのは、「ものやサービスの対価としてのお金」と「お金それ自体が商品となっているお金」である。パンを買ったらお金を払う、これが一つ目のお金。そして株式投資や先物取引、利子などお金がお金を生むのがつぎのお金。 エンデは、お金の機能は、「実際になされた仕事やものと対応する価値として位置づけるべき」だと語る。それが、そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなければならないかを皆が真剣に考えるべきであり、これこそが、「人類がこの惑星で今後も生存できるかどうかの決める決定的な問だ」とも。

  「生存」。「お金貸して」「利子10円ね」。子どものころ、小銭のやりとりでこんな他愛のない会話をした。実際に10円なんてもらわなかったけど、そんなふうにして当たり前と思っていた利子が、商品としてのお金を意味して、その商品としてのお金が、自然や環境を破壊し、生存まで危うくするシステムだとは。ぜんぜん「他愛なくない」。「生存」、そこまで言うか。しかし、ケネディの理論を広げて考えると、それは乱暴に「考えすぎ」とかたづけられないほど、リアルに迫ってくる。
(市民科学研究所より抜粋)

  この「利子・利息」という「社会的な契約」があるからこそ、「ポタポタ落ちてくる水の下にコップを置いて、半分溜まった時点で喉が乾いたとしても、決して飲まない。なみなみいっぱいになって溢れて垂れてくる水滴を舐めてガマンする」という考えが生まれてくるのです。これでは大企業と労働者の所得格差が拡大し、右肩上がりの成長目標が経済も環境も暴力的に破綻させてしまうのは必然でしょう。この“永遠の右肩上がり”“無限の供給と繁栄”を人間サイズに適合させるには、そう、おカネにも人やモノと同様に「減価償却を性とする寿命」を持たせてやればいいのです。

  具体的に説明しよう。このシステムは、「子育て支援ポイントシステム」として導入され、政府とは別にこのシステムの運営委員会(以下「運営委員会と表記」)が設立される。この子どもの保護者のみならず、個人に加えて企業・NPO・行政機関などあらゆる法人が、このカードを取得することができる。このカードは基本的に電子マネーではあるが、今やSUICAに代表される電子マネーに慣れている日本人であれば、新たな電子マネーの使用について特に違和感を覚えることもないだろう。

  18歳未満の子どもの保護者のうち、このカードを持つ人であれば、子ども1人あたり毎月2万ポイント(=2万円)が、運営委員会から振り込まれる(もちろん子どもが2人いれば毎月4万ポイント、5人いれば毎月10万ポイント)。このポイントは地元商店などで日本円のかわりで使用することができ、地元商店も仕入れ代金や公共料金、税金などの支払いにこのポイントを使うことができるが、このポイントを日本円に換金することはできない。

  また、政府や地方自治体も、公共事業や人件費などの形でこのポイントを支出することができる。しかし、毎週月曜日になるとこの残高が持ち越し費用として2%(たとえば残高1万ポイントの場合には200ポイント)減価するため、このシステムでは最終的に子育て支援ポイント全額が持ち越し費用という形で運営委員会に還元されることになり、財源は必要なくなる。

  前述の例であれば、毎週約998億ポイント(1年52週では5兆1892億ポイント)が運営委員会に還元されるため、運営委員会によるポイントの過剰発行によりインフレが発生することはない。むしろ多少多目に発行することで、流通量の減少を補わなければならないほどである。

  また、当然のことながら誰も自分のカード残高の減価を望まないので、できるだけ早目にこの残高を使おうとし、その結果5兆ポイントほどの通貨発行量でもおびただしい乗数効果によって日本経済が急速に振興すると考えられる。この5兆ポイントが週1回のペースで取引を生み出したと仮定すると、年間では260兆ポイント(日本の2009年度GDPが約476兆円なので、なんとGDPの55%!)もの経済効果を生むことになる。
(ブログ「減価する貨幣とは?」2010年10月27日より抜粋)

  オーストリアで実施されたこの制度は早急に目に見える形で成功・卓効を実現しましたが、利子で食べている富裕層らの猛烈・強力な反発・バッシング・弾圧によって霧散してしまったそうです。貨幣や流通の需給バランスを調節する経済の基本的な対策も、“永遠の右肩上がり”を信奉する成功者らの強固な怨念によって断固粉砕されてしまう…問題を解くための正解はとっくに出ており、それをやる能力も充分に揃っているのに、人間社会はいまも昔も、洋の東西も変わらないですね。
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ポスト現代時評

拙速な消費税増税は亡国への道(平野貞夫)

  さて、消費税増税を急ぐと、なぜ亡国の道になるのか、その理由の一部を述べておく。

  (1)平成9年に消費税を5%に上げたときの歴史を学んでほしい。金融危機と重なり、国民生活を苦しめて自殺者を増しただけではない。期待した総税収を減らした上に、橋本政権は参議院選挙中に減税に言及し、自己破綻した。

  (2)東日本大震災や、福島原発事故の被災者の生活が元に戻る目途もない。世界の金融危機は、日本のデフレをさらに深刻にさせている状況は平成9年の比ではない。日本経済をどん底に追い込むのは必至だ。消費税を払わない新聞社や、一旦は払っても、いろいろな制度で還付を受けられる大企業だけが影響を受けない仕組みを放置して良いのか。

  (3)赤字財政を放置できない論があるが、その通りだ。財政再建は大事なことと私も思う。しかし、よく考えてほしい。財政赤字を解消するための消費税増税なら、財政が恒常的に正常化することは絶対にない。財政赤字の解消は「その原因を改革することが必要」だ。テレビタレント出身の女性大臣がやっている事業仕分けなど、どんな言辞を弄しようとも、財務省作のシナリオを読んでいるに過ぎない。政権交代の総選挙で公約した「総予算の組替」をどうしてやらないのか。予算編成権を手離したくない財務省の振付で踊っているのが野田政権だ。

  (4)世界規模の金融パニックが起きて、国債の金利が上がったら日本も財政破綻だ。消費税増税で財源を確保しておくなど、バカも休み休み言え。財務省や日銀の責任回避のために消費税増税をするというのか。財源は「総予算の組替」と節約で捻出可能だ。それに民間の埋蔵金「休眠口座」も立法措置で活用できる。

  最後に結論として言いたいことは、20世紀の福祉社会を前提とした消費税増税はやめるべきだ。社会保障に経費が掛かるから増税という論は、財政赤字のための増税論と同じであることに気づいて欲しい。21世紀の資本主義をどういう形にするか、その原点を何故論じないのか。その上で、公正・公平な総合的税制改革を断行すべきだ。米国マネーゲーム資本主義をモデルにする、野田政権では、日本国民を亡国の道に誘うことになる。「国民の生活が第一」の共生資本主義社会をつくることが急務だ。
(12月6日より抜粋)

   浜矩子先生の「恐慌の歴史」を読みましたが、経済グラフだけ重視すれば失業者・困窮者が出ようが自殺者や病人が増えようがそんなの関係ねえ!まず経済グラフの成長なんだ、というのが「自己責任」の意味でしょう。この言葉をマスコミや権力者が中心になって敗者に投げつけ、軽蔑して嘲笑してきたわけです。一方、“適者生存”の経済競争を「弱肉強食」と故意にすり替え、適宜な対策を採用する者を違法な手段で闇に葬って環境破壊をよそに暴利を貪っているのが日本の現状です。財務省の適宜な目的は税収の安定・増加で消費税ではない筈です。それをどこまでもこだわり続けるのは、財政赤字や社会保障ではなく、公務員・大企業・マスコミ・新興宗教からなる特権貴族階級による搾取構造の確立という邪な野望を秘めているからに他なりません。財務省や官僚に“よきサマリア人”を期待するのは夢のまた夢…
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ポスト現代時評

創価学会と岸信介~新自由主義から憲法改正・全体主義への野望

 対談: 平野貞夫(前参議院議員) VS 魚住昭(ジャーナリスト)

魚住: それにしても、神崎さんの滞在わずか1時間というサマワ訪問もそうですが、いま政権与党は国民を馬鹿にしていますよ。イラクでの多国籍軍参加も国会の議論なしに決めてしまったし、公明党もそれをよしとしてしまう。これは憲法体制の完全な否定ですよ。

平野: 評論家の大宅壮一さんが、学会が公明党を作って政界に進出したときに、「ファシズムの体質がある」と指摘しています。最近になって私は、まさにそれは慧眼だったと思うんです。

魚住: 現在の公明党にもファシズム的体質が受け継がれているということですか。

平野: そうです。いまの自公政権の構造は、自民党内の柔軟な保守層を政権中枢から外した小泉首相と、ともすれぱ一気にファシズムに傾きかねない公明党との結合体となっています。これが議会を機能させないような働きをしているんです。自民・公明が合意してしまえば、多数を握っているわけだから、もう民主党に議論させないでしょう。これでは本来、国民の要請を受けて国会議員が果たすべきチェック機能が働きませんよ。それから日歯連から橋本派へわたった迂回献金の問題について、本来だったら公明党が一番、政治倫理の確立を言うべきでしょう。それなのに、橋本元首相の証人喚問もしようとしない。「これで打ち切り」となったら、一切議論しない。

魚住: 結局、自公政権になってから、議会が機能しなくなっているのですね。

平野: まさに、それこそ間題なんです。私がもっとも心配するのは、公明党がいままでの動きを反省せずに、この路線を突っ走り、近い将来、彼らと安倍晋三が組んだ政権ができることです。公明党は田中角栄以来、竹下派─小渕派─橋本派というラインとの関係が深いことはよく知られています。しかし、じつは創価学会は戸田城聖会長の時代から、岸信介と関係が深かったんです。岸さんが亡くなったときには聖教新聞が一面トップで大きく報じ、追悼記事を組んだほどです。岸の政治的DNAを引き継ぐ安倍さんと、ある意味で戸田城聖の遺言を忠実に守っている池田大作体制下の創価学会が、もういちど結びつく可能性は決して低くありません。私はそれを懸念しています。安倍さんには、いま国内の一部の勢力が振り付けをしようとしている。そこに学会まで乗ってきたら、間違いなく日本のデモクラシーは壊れます。
(月刊現代2005年7月号~宗教に権力が屈するとき・創価学会と公明党─「談合と癒着」のウラ政治史より抜粋)

  民主党が総選挙で政権公約した政治目標は「国民の生活が第一」であった。国民はこれを新しい資本主義の骨格だと思い、民主党政権を選んだ。消費税を含む税制改革もこの発想で行うべきだ。「4年間消費税を増税しない」という方針は、ここから発信している。「子ども手当・農家の所得保障」などなどは、米国式マネーゲーム資本主義へのセーフティネットといえる。

  野田首相ら増税派は、「国民の生活が第一」で政権交代して、「マネーゲーム資本主義」という小泉政治に逆戻りし、日本を亡国に陥れるつもりなのか。税制度は国家の政治を特徴づける源だ。急激に変化する21世紀の世界で「国民の生活が第一」の国家社会をつくるため、今まさに税制改革をするべき歴史的必然性がある。しかし、野田首相を狂わせている財務省は、20世紀の資本主義の福祉社会を前提としたものだ。経済成長なき資本主義時代に入った日本社会で、どう日本人が生きていくのか、これを前提に消費税のあり方を議論するべきである。
(平野貞夫、12月13日より抜粋)

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ポスト現代時評

オジャマモンの詐欺~公明党、清和会、そしてライブドア

  安倍官房長官と小嶋社長との関係が浮上したのは、2005年11月20日。ヒューザーのマンション「グランドステージ川崎大師」の住民への説明会の席上のことでした。民主党の馬淵澄夫議員によると、この場で小嶋社長は「私は(安倍氏を支援する)安晋会に入っており、その会長から(政策秘書の)飯塚氏を紹介してもらい、将来の(国交省の)事務次官になる人に連絡してもらっている」「その人に電話してもらったから、安倍長官が閣議後に『遺漏なきよう対応させる』と発言したのもそのため」と発言したといいます。「発言のテープもある」との追及に小嶋社長は「申し上げました」と証言。さらに飯塚秘書とは「時期は定かでないが、議員会館で相談した」ことを明らかにしました。

  焦点の一つとなった伊藤元長官との関係では、多額の献金やパーティー券を購入していたことは「事実」としたものの「力になりたいという純粋な気持ちから」と特別な意図を否定。しかし、日本共産党の穀田恵二議員が、小嶋社長が伊藤元長官を囲む特別な勉強会をつくっていたことを指摘すると小嶋社長は「住宅政策研究会」であると、その名称を明らかにしました。

  穀田氏は、勉強会の席上、メンバーが各社から集めた300万円弱を伊藤元長官に渡したと指摘。伊藤元長官が住宅・土地行政に影響力を高めるなかで、元長官への献金や森派(清和政策研究会)のパーティー券購入額が増えていることに触れ、「献金の目的は国から公的資金を出させるためではないか。そのための保険だったのではないか」と追及しました。

  小嶋社長は、公明党の山口那津男参院議員の秘書が同党区議の依頼を受け、「小嶋さんに会ってほしい」と国交省幹部に電話したことについて、この区議が東京・大田区の有川靖夫議員であることを明らかにしました。また小嶋社長は相談したことがある政治家として、自民党の伊藤信太郎衆院議員、阿南一成元参院議員と、石原慎太郎東京都知事の名前をあげました。
(しんぶん赤旗、2006年1月18日)

  耐震強度偽装マンションを多数販売してきた「ヒューザー」の小嶋進社長は22日出演した民放テレビで、公明党について「ご信頼申し上げている」と述べました。小嶋社長は2005年11月、国土交通省が耐震偽装問題を公表する2日前に自民党の伊藤公介元国土庁長官とともに同省を訪れていますが、その10日以上前に公明党の有川靖夫・大田区議を通じて、山口那津男参院議員の秘書に仲介を依頼していたことが明らかになっています。小嶋社長は番組のなかで、「国交省の誰が担当になっているかを聞いていただきたいということで、いちばん最初に公明党の先生方にお願いした経緯がある」「(公明党を)ご信頼申し上げている」と述べました。(同、2006年1月23日)

  元創価学会員であった小嶋社長には、有川靖夫氏という心強い味方がいたんですね。有川氏は小嶋氏擁護の書籍「国家の偽装~これでも小嶋進は有罪か」まで出版しているのです。

  耐震データ偽造事件で、強度不足のマンションを引き渡して代金を騙し取ったとして詐欺罪に問われた販売会社「ヒューザー」(破産)元社長、小嶋進被告(58)に対し、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は12日付で被告の上告を棄却する決定を出した。懲役3年、執行猶予5年の1、2審判決が確定する。

  1、2審判決によると、小嶋被告は05年10月、姉歯秀次・元1級建築士(54)=懲役5年などが確定=による構造計算書の改竄で神奈川県藤沢市のマンション「グランドステージ藤沢」の耐震強度が不十分と知りながら、売買契約していた11人に部屋を引き渡して購入代金約4億1410万円を詐取した。耐震データ偽造は05年に発覚。その後、建設会社の粉飾決算などで計6人が起訴され、姉歯元建築士の実刑と、4人の執行猶予付き有罪が確定している。
(毎日新聞、12月14日)

  畏兄・江藤淳氏は僕に繰り返し、「田中君、フォニーか否かを嗅ぎ分ける事が肝要だよ」と述べました。フォニーとは紛い物。即ち、真っ当とは対極に位置する模造品、偽造品を意味します。思えば昨今、耳目を集める事象に共通する心智は何れも、耐震偽装、偽計取引に象徴されるが如く、「偽=フォニー」です。

  法律という名のルールに抵触さえしなければ何を行っても許される、とのアメリカ的強弁を振り翳し、跳梁跋扈してきた小泉構造改革なる弱肉強食な新自由主義に、時代の潮目が訪れています。「人生色々」と嘯き、我が世の春を謳歌してきたフォニーな人々の儚き栄華が、潰え始める潮目であります。

  17日前夜のライブドアに対する検察の動きは、国会に於ける証人喚問を目眩ましするべく官邸発で用意周到に仕組まれたのではないか、と心配性な事情通は絵解きしました。が、“官邸のラスプーチン”なる符丁で口さがなき霞が関官僚が冠する飯島勲氏が、縦しんば斯くなる思惑を実行したのだとしても、証言「拒絶」を繰り返す一方で小嶋某が“暴露”した安倍晋三氏との「接触」は、新たに耳目を集める展開となっています。

  奇しくも伊藤公介氏は長野県高遠町の出身。飯島勲氏も長野県辰野町の出身です。何れも伊那谷の北部に位置する町です。而して、同じく伊那谷の駒ヶ根市には、「適価」な金額での福祉施設建設を提唱し、実績を積む建設会社が存在し、その会社は何故か、遠く離れた神奈川県平塚市での耐震偽装ホテル建設も請け負っているのです。「偽」の世界は、ゼネコン体質なハコモノ福祉を脱却し、既存の民家を改修してデイサーヴィスを行う宅幼老所に代表される、真っ当な地域福祉を信州で充実させんとする田中康夫にとっても、他人事ではないのです。

  とまれ、自民党にとっても公明党にとっても、臑の傷程度では済まされない、との予知能力に優れていたのか、「ヒューザーの耐震偽装問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」なる趣旨の不遜な発言で指弾された武部勤氏は、今一度、「ライブドアの偽計取引問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」と絶叫してこそ、朕・純一郎の家臣たり得ましょう。彼の“豚児”とホリエモンが若き「刎頸の友」で、であればこそ、先の“ええじゃないか総選挙”で刺客の1人として重用したのですから。
(田中康夫、日刊ゲンダイ2006年1月18日より抜粋)

  蛇足ですが桐山さんも長野県佐久の出自。小嶋氏は清和会のバックを持つ「安晋会」に会費を払って“安心”を買っていたのでしょうか。ブログ主である私めは紛れもなく「本物を嗅ぎ分けるフォニー」ですw何だそれは?
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ポスト現代時評

愉しいテレビに潜むウソ~国民洗脳工作の罠(トラップ)

  

  “TPR”と呼ばれる言論統制事業がある。この事業は1986年に発足した。TPRとは「TAXのPR」と言う意味である。大蔵省財政金融研究所研究部に事務局が置かれた。事務局長は当時の財政金融研究所次長である。TPRを創設した目的は売上税導入を成功させることにあった。中曽根政権は売上税を創設する一方、所得税、法人税の減税を提案しようとした。増税額と減税額を同規模にするレベニュー・ニュートラルの前提が置かれた。当初は売上税と言う名称が決まっていなかった。大蔵省内部ではこれをKBKという符牒で読んだ。
 
  「課税(K)ベース(B)の広い間接税(K)」を略してKBKと呼んだのだ。TPR事務局では、まず、政界・学界・財界3000人リストを作成した。税制論議に影響力のある3000人を選び出した。そして、この全員に大蔵省職員が説得工作を行った。事務局は3000人リストを作成し、それぞれの名前の右側に日付とマークを書き込める表を作成した。何月何日、大蔵省の誰が説得工作に行って了解を得たか、あるいは得られなかったかを記入する。3000人の説得が終了するまで説得工作は続けられた。
 
  他方、TPRウィークリーが作成された。1週間の間の新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌、単行本における主張、論評が検閲の対象とされた。売上税賛成論と反対論とに分けて、人物を分類する。賛成者は売上税導入の太鼓持ちとして活用する。反対者はブラックリストに載せて説得工作の重点対象とした。さらに、テレビ局、新聞社、広告代理店の最高幹部を対象に、築地吉兆などを使用しての高額接待が展開された。マスメディアを上からコントロールするための工作活動である。もちろん、国民の血税を用いての高額接待だ。
(植草一秀の知られざる真実、12月18日より抜粋)

  消費税を増税したい、小沢政治の金力を殊更に誇大化・捏造することによってその政治課題・社会思想(とその支持者)を壊滅・抹殺したい、国民無視の原発利権を温存したい-大手新聞社を親会社とするテレビキー局はこの考えで一致しています。「物分りの悪い」現場の記者・テレビマンの心意気など大企業・資本の論理で踏みつけ、弾き飛ばしてしまうのです。手放しで一方的にもなれませんが、自由主義・共産主義という枠を外し、報道の自由・思想の自由・政策を支持するその論理性合理性を見た場合、この国に重苦しい全体主義支配の暗雲が立ち込めていることに否応なく気付かされます。人気のあるテレビ番組はむしろ積極的に増税・小沢潰しの役割を担い、その方針に反した番組や出演者は視聴者ニーズに関係なく、テレビから消えてゆくのです。そして社会的に力を有した大の大人たちが、かりそめの社会的快適さと引換に、この成り行きを指を咥えて黙って眺めているのです。「それが勝ち組に乗る秘訣だよ」という暗黙の空気・社会的洗脳工作に嘯かれて。ご自身の裁判中、消費税増税と原発鎮災のチェックを忘れない小沢さんはさすがにこの怪奇な狂気の構造の“意図”を見抜いています。大久保元秘書の行為?何故弁護士が共通だったのか?が気になるところですが、来年2月中旬といえば皆さんお待ちかね、あの「阿含の星まつり」の開催の後です。どんな仰天判決や政局騒動、そして天変地異が突如として巻き起こるのか、まだまだ小沢裁判の行方、そして日本政治の行方は予断を許しません。

  大阪地検で証拠を改竄した事件で実刑が確定した前田恒彦元検事(44)が16日、民主党元代表小沢一郎被告の陸山会事件第10回公判に証人で出廷した。青いジャージーの上下にオレンジ色のフリースを着込み、サンダル姿。検察不信を招いた張本人のはずだが「今日は全部しゃべろうと思って来た」と“独演会開演”を宣言。特捜部の証拠隠しの暴露や、検察改革案の披露など、およそ場違いな持論を4時間半、展開した。

  元代表の捜査を担当した東京地検特捜部を「主任検事が直接調べたが、小沢氏を『割れ』ず、現場の士気は下がった。負けて帰ってくるような主任のもとで、頑張ろうとは思わない」と批判。検察審査会による元代表の強制起訴について「検察には証拠隠しがあったと思う。検察審査会はすべての証拠を見ていない」と指摘した。「私が裁判官なら、小沢さんは無罪」と、言ってのけた。

  独演はさらに続く。「検察は、自分たちの想定と違う取り調べ内容は調書にせずメモにして、捜査後は廃棄した。私も感覚がずれて事件を起こすことにつながったのかもしれない」と反省の弁も出た。9年近く特捜部に在籍した自負もある。「(特捜部は)手持ちの証拠を隠さず開示し、取り調べを全面可視化するべきだ。そこまで踏み込めるかどうかだ」と主張した。

  暴走気味の発言も飛び出した。元代表の弁護側を「もっと他に聞くことがあるでしょ」「抽象的な質問だね」と諭したり、冗舌ぶりを裁判長から「聞かれたことだけに答えてください」と注意され、傍聴席で失笑が起きた。小沢元代表に対しても昨年1月の会見内容を「へたくそな弁明だった」と目の前で酷評。言いたい放題のまま法廷を後にした。
(日刊スポーツ、12月17日)

  《裁判官は続けて、佐久間達哉・東京地検特捜部長が東京拘置所を訪れ、事件についての見立てを説明した状況について尋ねていく》

  証人「(見立ては)妄想かもしませんが。小沢、小沢先生には申し訳ないが、検察はみな小沢と呼び捨てにしていますが、(特捜部長は)『小沢は当然分かっている』と。ダム工事の謝礼を秘書個人に渡すわけがない、そういう金だから(収支報告書の虚偽記載で)隠す、という見立て。だから(土地購入の原資が)業者からの4億円でなければ、見立ては崩れると」

  裁判官「(石川議員の取り調べを担当した)○○検事(法廷では実名)も聴いていたんですね」

  証人「会議室で。そうです」

  《左陪席の裁判官は最後に、この日、前田元検事が長々と続けた捜査批判について質問する》

  裁判官「今日は陸山会事件についての捜査の問題点を話されていましたが、何か言い残したことはありますか」

  証人「はははっ。抽象的な質問ですね。えーと…」
(MSN産経ニュース、12月16日より抜粋)

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ポスト現代時評

桐山さんとさかもと先生~意地悪な神サマ!

  私は実家を出てからずっと産経新聞を購読している。産経新聞の愛読者だ。産経新聞の論調にたまに合わない意見もあるが、概ね思想は一致しているので、気に入って読んでいる。また、産経新聞社が発行するオピニオン誌月刊「正論」も何年も買い続け、全て本棚に収めている。今月も発売日の1日(土)に「正論」10月号を購入し、通勤電車の中で読んだ。そしてある記事の内容に驚き、怒りに震えた。

  その記事とは、10月号202ページから8ページに渡り掲載されている阿含宗管長・桐山靖雄(きりやませいゆう)と産経新聞お抱えの漫画家・さかもと未明による対談記事である。「戦後日本人が忘れた感謝の心 よく生きればよい報いがある」と題されたその記事は、新興宗教を持ち上げるだけの提灯記事で、読んでゲロを吐きそうになった。

  阿含宗は関西の人にはなじみが深い。毎年2月前になると「阿含の星まつり」のCMを流す宗教だからだ。京都市山科区に総本山がある阿含宗は、桐山靖雄が創立して30年にも満たない新興宗教である。一大イベントの「阿含の星まつり」では、護摩儀式が行われ、1枚数千円で護摩木が売られ、人々はそれに願いやら何やらを書いて燃やすのである。漫画家の西原理恵子は「阿含の星まつり」を「キャンプファイヤーで金儲け」と評した。言い得て妙の表現で、「阿含の星まつり」を的確に言い表している。

  週刊新潮にも阿含宗と「阿含の星まつり」の胡散臭さを紹介する記事が掲載されたが、阿含宗はオカルト儀式で人々から金を集める新興宗教に他ならない。桐山靖雄は護摩壇に積み上げられた木々を何も使わずに念力で燃やす。信者が相談内容を書いた手紙を封を開けずに読む。これらはいずれもトリックのあることだが、桐山は修行を積んだことによる超能力であるかの如く嘯く。

  そもそも桐山靖雄は過去に密造酒を製造して酒税法違反および有印私文書偽造で懲役1年6ヶ月の実刑を受けた前科者である。そんな桐山靖雄と阿含宗を宣伝するかのような記事を「正論」は掲載した。始めは、桐山が戦没者慰霊をしていることに触れる保守系オピニオン誌が好むような内容であったが、次第に宗教色が濃くなっていく。205ページには次のようなくだりが掲載されていた。

さかもと: 親の愛を受けられない、そういう子たちでも、救われる可能性を残しておきたい。どうしたらいいんでしょう?

桐山: 愛に恵まれない子供は、その子供自体に徳がないんです。

さかもと: え、そうなんですか?救えないんですか?

桐山: 難しいですね。薄情のようだけれども、それが事実ですからね。それを救ってあげようという縁が働くということは、何かその子が救われる徳があるんです。だから、その子に徳がなければ救われる縁が出来ない。私と縁が出来れば、私はその子を徹底的に救ってあげますよ。

  直前のさかもとの会話で出てくるのだが、パチンコ屋の駐車場の車内に放置され、熱中症で死ぬ子供は、桐山に言わせると「徳が足らない子供」であるらしい。徳が足らないから、誰にも助けて貰えない。ところが、桐山にすがれば徳を授けて貰えるのだという。人を脅して自分に頼れと言う。どこぞの気違い宗教ではないか。そして、極めつけは207ページにある吐き気を催す会話である。


さかもと: 阿含宗がこんなに大きくなったのはどうしてなんでしょう?

桐山: それは仏さまの教えをそのままストレートに通しているからです。

さかもと: それがほかのお坊さまじゃなくて、先生に現れたっていうことですね。

桐山: それは私が正しいことを言っているから。釈迦の教えたことをそのまま私はストレートに届ける。だから私が負けたら、釈迦が負けることになる。負けるはずないんです。

さかもと: じゃ、もう釈迦そのものになっていらっしゃるわけですね。そんな先生にお目にかかれて、ほんと嬉しいです。

  何だこれは。さかもと未明のようなヤツに任せるから、このような教祖様を祭り上げる会話が出てくるのだ。桐山が釈迦そのもの?アホか。バカも休み休み言え、このエロ漫画家が。さかもと未明は新興宗教教祖のただの太鼓持ちではないか。これらの対談は、先月の8月3日に阿含宗総本殿で行われた対談を掲載したものらしいが、この記事の目的は何だ。阿含宗と桐山靖雄の宣伝ではないか。こんな「正論」は、創価学会の「潮」や「第三文明」と変わらない。詐欺まがいのオカルト新興宗教を持ち上げるような提灯記事を載せるのなら、私はこれから「正論」を買わない。編集部にとれば、私が買う1部が減ったくらい屁でもないだろうが、私はこのような宗教雑誌など読みたくはない。私はただ、優れた人々が述べる"正論"を読みたいだけだ。
(先っちょブログ、2007年9月4日)

  私に関しては阿含宗在籍の前後も両親の態度は変わらないし。まあ先祖供養によって家族が変わると言いたかったんでしょうが…週刊新潮もいまや提灯広告や平河出版社の広告を載せる体たらく。さかもと先生に関しては現在少しずつ体調は持ち直したようですが…以前はこんなんでした。

  膠原病と診断されたのは2007年秋です。自分の体に対する抗体ができて、全身を攻撃してしまう難病です。症状の出方によって様々な病名がつきます。私の場合は、全身性エリテマトーデスと強皮症、シェーグレン症候群という3つを抱えています。

  受診したきっかけになった主な症状は、指先の血管が次々と切れて、指先が黒くなり、はれて痛いということでしたが、ほかにも色々ありました。その1,2年前から明らかに体調に異変が起きていました。発熱や軽いうつ、疲れている時には顔に紅いあざのようなものができていると指摘されたことも。咳がとまらず、体がだるくってちょっとの距離も歩けなくなっていました。

  正式な診断を受けたのは都内の大学病院です。手や足を何人もの医師が診察しました。医師たちの気の毒そうな表情から、「もしかしたら深刻な病気なのかもしれない」と感じました。そして、難病・膠原病と診断されたのです。でも、すぐには現実と思えませんでした。だって、私これまでもよく調子を崩しては病院に行っていましたが、いつも「問題ない」と言われていたぐらいだから、勝手に大病はないだろうと思っていました。

  昔、事故で脊髄損傷になった従兄弟がこう言いました。「本当に重篤なときは痛いとか悲しいとか思わない」と。告知を受けて、その通りだと知りました。すごくショックな時は、涙はだいぶ後から出るんですね。告知されてまず、お金のこと、今やっている仕事をどうまわしていくかを考えました。医師には、「入院治療も含めて今後を考えて欲しい」と言われましたけれど、血を吐いて倒れたり、誰かにうつす可能性があったりしない限りは仕事をしたいと伝えました。

  そのころ、仕事がとても充実していたんですね。マンガのお仕事だけでなく、自分で取材して原稿をかき、テレビも出演していました。3日に1度は締め切りがあり、収入もピークでした。そういった仕事を得るまでは、生半可な努力ではなかったです。漫画家としてデビューして、テレビに出ることもあるので、華やかなイメージを持たれることもおおいのですが、仕事だけに生きてきました。恋愛やグルメ、旅行といった楽しみは一切無し。心を許せる友人もいませんでした。仕事しかなかったのです。孤独でした。誰も頼る人がいなかった。そう思っていたのです。だから、告知を受けてすぐ考えたのが仕事なり、お金なりだったわけです。

  どうしようもない悲しみがおそってきたのは、病院からの帰り道。自宅にほど近い路地で、一人になったときでした。なぜ私が難病に?と考えていました。表現する仕事を持つ私を、神様がみて、「あなたはこれからも表現していく人なんだよ」という意味を込めて難病という印をつけたのかな、とも考えました。重い十字架ですが、書き手としては神様に選んでもらい、表現する上でプラスになるのかな、と。でも、やはり神様はいじわる、とも思いました。大学を卒業して家出して、結婚して、離婚して、一人で必死に生きてきた。イヤな仕事も引き受けて、休まず走ってきた。一度たりとも怠けなかった。なのになぜ?って。

  そして、気がつくと「お父さん、お母さん助けてください」と心の中で叫んでいたのです。不思議ですね。だって、ずっと一人で生きてきた、私はひとりぼっちと思っていましたから。父や母とはほとんど連絡をとっていない状態でした。お酒を飲むと暴れる父に、「お金がない」が口癖で、子どもたちの色々な夢を阻んできた母。その二人を頼るなんて。でも、そこで両親の名前を言えたことが、人を頼れたことがその後、闘病する上で救いになりましたね。

  両親と久しぶりに連絡をとり、しばらくは身の回りの世話をしてもらうなど助けてもらいましたが、今は再び距離を置いています。上手に甘えられなかった。ずっと疎遠だったのに、うまくやらなくちゃと思って、お互いに大きなストレスになっていたんだなと思います。
(2010年8月13日 読売新聞)

  9月発売の10月号掲載、対談取材は8月3日に京都の総本殿で行われたわけですね。阿含・桐山杯の日中囲碁対決もここで行われ、私も1度だけ勤行をし宿泊し、感動しました。京都から東京に帰ってきたら失業同然で1ヶ月8万円前後の収入が10ヶ月続きました…退会したら当然の如くレギュラーバイトが決まったというわけです。一方阿含宗は2006年アウシュビッツ、07年シベリア、08年イスラエル・エルサレム市、09年ガダルカナルの海外柴燈護摩で戦没者供養を修して、オウム捜査で落ち込んだ内外の評価を一気に挽回していたのです。その時期が丁度私の在籍時期と被ってたわけですが…全部たわいのない偶然・私だけの杞憂妄想なのじゃ。信者や支持者の生き血(健康・財力・人徳)をドラキュラのようにすすり上げ、桐山さんもどうかお元気で。

  NHK-BSの岸恵子さんの再放送も観ましたが、共産陣営が思想の独裁ならば、自由陣営は拝金独裁。財務省・創価学会・読棄新聞に反逆した人間は犯罪者のレッテルを貼られ、社会の表舞台からパージ・追放されるのです。彼らは金集めで社会的信頼を勝ち得ているからです。アメリカにロシアから亡命者が来たら、まずスパイ容疑をかけられ尋問されますよね? 沖縄の米兵レイプはロシアよりマシってことですか。拝金にせよ思想にせよ独裁VS自由の旗印を鮮明にすべきです。白楽のバカ女は哀れな女間諜です。真如苑の考察は後日やります。朝日もNHKに頼るようじゃ新聞もテレビもいっそ止めたら? 亀ちゃんが「ボク、ヤッターマン大好き!」女子アナが「変なセンセイ!」と突っぱね、「うるさいよ!」と紛糾しなくて、ホッとしましたw 「パブリック・ライ」北朝鮮拉致・小沢裁判…色々示唆を与える深い問いかけでした。秘書有罪の時、アナウンサーも取材記者も「いや~、これは信じられない!」という表情を露にしていました。それこそが報道の意義なんですよ。原稿にして冷静に見立てを伝えるべき内容です。NHK職員はワシントン経由の大越御大にフリー転進のメリットを電卓で数字を示して勧めるべき。高瀬アナ、TBS出演の誰かにクリソツのような気がするのは私だけ?結局官僚・マスコミ擁護のためなら主張はコロコロ変えますよ、ということ。
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仏法探究!

余震と雑感~釈迦と大日、ジェントルマン

  未読の人は読まないで下さい。まず地下鉄CMで流れていた山田詠美先生の新刊「ジェントルマン」(講談社)を一気に読みました。主人公に劣らず妄想家の私による内容とは直接関係のない卑見雑感です。現代ではゲイの方にプータローは叶いませんがね。まず漱太郎は右翼、夢夫は左翼。漱太郎のアソコをチン切ったのがイコール夢夫である。社会的力を持つ紳士と優しい男…「ジェントルマン」の捉え方が違うんですね。阿含宗に強引にこじつけて行くと、まず私の近所のドンキーの近くの神社に、阿含宗は太鼓を奉納し、毎年法要を行っている。信者時代は誇りだったが、いまはウザい。桐山さんの著作「変身の原理」には往時の芥川賞・直木賞作家が推薦文を寄せた。長年の直木賞委員である著名作家に才能を見出され、現在芥川賞の選考委員を務める詠美先生は、この大御所2人からの華麗なる女刺客なのだ! でどこぞの知事は漱太郎。もう1人は一見出て来ない…が、「重信」は早稲田に結びつく。夕刊フジコラムの「ファンとのスキンシップって大事だよねー」のコメが頭をよぎる。

  サイン券はゲットしたが、金融庁や大学教授の記述があったこと、また詠美先生や編集が剪定鋏を忍ばせてチョキチョキ隠し持ってるようでコワイから行くのは遠慮しましたw 愛に飢えた主人公がハードな状況下で救いに包み込まれるテーマは健在です。ただオノ・ヨーコに見立てた先生と圭子ママは名前を逆にしてほしかった…ママがヨーコ、プチ緊縛向日葵レイプでよがるのがケーコ。あくまでも個人的な希望ですが。私は昔受験直前に詠美先生と中沢先生の対談集を読んで、そこの「老婆心が大切」という部分を中心に内容を余り噛み砕かず、結果的にかなり引用して小論文に記述したら期せずして志望校に合格してしまった、という経験がありますので今回の新作は落伍してしまった大学の思い出に一区切をつけるいい機会になりました。藤木先生の「イツロベ」、桐野先生の「グロテスク」と並んで私のお気に入りとなりましたw  若い頃と違い現在の私は小説の意図とは別に、漱太郎のことを市井の一般人と捉え、悪いとも何とも思いません。鬼畜性の物足りなさは否めません。ただ夢夫の内部にある幻滅が生じ、その失われた何かを回復せんとする執着・狂気・残虐のどす黒さ―まさに「聖なる価値を求めた結果堕ちて行く」点では漱太郎イコール夢夫も同じなのであり、読者たる現代人はまさにこのステージの住人なわけです。

  まあ作家志望だったのは桐山さんで私ではありませんから。歯医者さん・W田・ぽっちゃり娘も私の周囲にいるし。それは桐山さんの奥さんでしょ! さてさて前回の続きですが、まず日蓮宗では仏塔を本尊として題目を上げるお寺も多い。そして真言宗では稲荷に近い如意宝珠を珍重します。仏塔と宝珠、この2つの要素が真正仏舎利尊には存在するのですが、桐山さんが仏舎利を手に入れるまで、阿含宗(旧観音慈恵会)の本尊は黒陶製の宝塔で、中に宝筐院陀羅尼(現在も阿含宗勤行で読経)の紙が入っている、これを本尊としてそこに準胝観音真言・法華経普門品・般若心経を唱えるというのがかつてのスタイルだったようです。桐山さんは信長・日蓮・白隠へのリスペクトを公言していますから始めは日蓮宗から仏門に入った。闇事業で嫌疑がかけられてしまい、それを無罪にしたかったわけです。当然これは冤罪とは違います。滝に打たれもしましたが、結局懲役をくらってしまいましたので、前述のように新興宗教に入って真言宗ビジネスの道に進んで成功するわけです。

  桐山さんの著書によれば、「準胝観音の本地はナウマクサマンダ ボダナンバクである」との経書?の記述を見つけたことから、久遠実成の釈迦と大日如来の双方の意味合いを準胝観音に持たせ、「大日・釈迦・準胝」の概念が生まれたのだと思います。これは後年「仏塔・宝珠・舎利」の概念に受け継がれ、真正仏舎利尊となるわけです。阿含宗がまず日蓮宗と真言宗を統合した密教だということが本尊の成立から解ると思います。ただそれでは神秘性が薄れるため、教祖に関してのみチベット密教のベールを纏い、そこは信者も解らぬブラックボックスとなっているわけです。フォーラム21もサンデー毎日も読みました。

  あるとき、わたしはこのように聞いた。ある日のこと、仏陀はサーヴァッティのジェータ林にあるアナータピンディカ園で、集まって来た比丘衆にこのように説かれた。「比丘達よ、数々の外道が存在しているが、四双八輩、聖なる流れが存在しているのは、真理の道だけであるとわたしは獅子吼する。」「比丘達よ、供養に相応しい応供である、正等覚である仏陀が説く四つの法がある。それではこの四つの法とは如何なるものか。第一に、仏陀に対して、浄らかな信を持つこと。第二に、法則に対して、浄らかな信を持つこと。第三に、僧伽に対して、浄らかな信を持つこと。第四に、師弟に対して、清らかな愛を持つこと。」

  「確かに、外道の中にも、多少の道がある。しかし、道が究極かと問えば、そうではない。彼らの中には、貪と瞋と痴、三毒が残っている。」「比丘達よ、三毒の証となる、執着がある。外道が、囚われている見解、二つの見がある。それでは、この二つの見とは、如何なるものか。第一の見は、存在していると見る、常見である。第二の見は、存在してないと見る、断見である。」「あらゆる見解に、味著と禍患が存在する。味著を楽しむと拘り、禍患に苦しむと越える。見解の表と裏を味わい、一切の見解を出離する。」「比丘達よ、内なる道の者は、出離するが、外の道の者は、四つの囚われに、執着をする。それでは、この四つの取とは、如何なるものか。

  第一の取は、欲望に執着すること、欲取である。第二の取は、見解に執着すること、見取である。第三の取は、戒誓に執着すること、戒取である。第四の取は、自説に執着すること、我取である。」「これは、目指す処が、異なるからである。内の道の者は、在りのままを見つめていて、外なる道の者は、思いのままを見とめている。」「内の道の者は仏を見つめ、法を修める。彼は、仏の説いている法を解いているため、法が信じられなくなると、我を離れるのである。」「外の道の者は我を見とめ、業を修める。彼は、法を信じている、我を信じているため、法が信じられなくなると、法を捨てるのである。」

  「それでは、この取著は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、取は愛から生まれ、渇愛から生じる。」「それでは、この渇愛は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、愛は受から生まれ、感受から生じる。」「それでは、この感受は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、受は触から生まれ、接触から生じる。」「それでは、この接触は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、触は処から生まれ、六処から生じる。」「それでは、この六処は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、処は蘊から生まれ、名色から生じる。」「それでは、この名色は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、蘊は識から生まれ、識別から生じる。」「それでは、この識別は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、識は行から生まれ、意志から生じる。」「それでは、この意志は、何を因縁として、何から生まれ、何から生じているのだろうか。比丘達よ、行は痴から生まれ、無明から生じる。」「比丘達よ、こうして、究極の道を進めば、取著を離れて、無明を越えて、明智が生じる。我らと彼らの違いは、実に、智慧の有無である。」これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。
(獅子吼小経より)

  私は誰が何と言おうと、「清い心」なんてキライです。邪悪な妄想、タブーな妄念で満たされていたい。お前のスケベ心は全部お見通しだ! 彼は清い人、お前は汚い人、そういう高尚な裁判官にだけはなりたくないのです。判決を下す自己逃避・自己陶酔よりもその時その時の強い衝動・違和感を大切にしたい。レビューをざっと見ても夢夫クンに賛否両論、読者それぞれのようです。人によって裁判官役が漱太郎派と夢夫派に分かれ、「そっちが悪い」となるわけですね。でも社会的権力者は漱太郎の方でしょう。弱者は強者と違って、宗教的権威なんて信じていません。欺瞞の神への態度の違い、というところでしょうか。
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仏法探究!

余震と雑感~二身・三身、三輪身?

  私自身年明けからやるつもりでしたが、市川先生が逝去されたため、急遽前倒して阿含宗の「準胝観音」を引き合いに、阿含宗や真如苑のパワーと魔性に迫ってみたいと思います。それが結局創価学会の本尊解明のヒントに繋がって来るかもしれません。さて、阿含宗の星まつりは昭和54年にTBSの「3時にあいましょう」で採り上げられ、視聴者に反響を呼びました。この年現形(ゲギョウ:炎の中に仏尊らしい形象が見られる心霊現象)した「三身即一・応供(オウグ)の如来」は、阿含宗の本尊=大日如来とされているのです。観音慈恵会からはずっと準胝如来でした。そこにこの教団興隆期において大日如来が加わった。阿含宗の本尊とは、桐山教祖によれば3つか4つ位あります。それをまとめると、

  1.準胝如来=三身即一・応供の如来
  2.真正仏舎利尊=阿含経の「七科37道品」

  …となります。阿含宗は現在、桐山さんは法話を休んで代役を立てるか、本人が出てきても中身の薄い連絡事項が中心のようですが、以前の桐山さん(昭和50年代頃)は上記の教団興隆期で、ご本人も法話に出てくるのは2時間遅れでも、出てきたら最後精力的に喋り捲り、法話終了は午後10時なんてことも普通だったようです。かつてはその月の第4土・日・月にかけて2日半(月曜は午前のみ)、計5回護摩と法話を行っていたようですね。衛星中継がない時代には東京・関西の支部にそれぞれ登壇していたらしいです。私は伝聞のみでよくその時代のことは知らないのですが。で、現在は本尊変更前後辺りの桐山さんの法話DVDを信者各自が自発的に視聴しなくてはいけません。実際余り見てる人もいないのですが、この1979年・昭和54年の応供の如来の出現を、桐山さんは「阿含宗に仏さまからの認可が下りた」証拠とみなすのです。当時は仏舎利尊ではなく、本尊はまだ準胝如来、でも名称は阿含宗で阿含経を奉持する、この時代の教団の熱気が法話DVDからも伝わってきます。従って阿含宗はTBSに対して格別の思い入れがあるのです。

  この三身即一・応供の如来とは何か? 桐山さんによればこうです。

  大日如来(法身)・釈迦如来(報身)・準胝如来(応身)
  応供・如来=仏の十号

  私は数年前の当時もいまも仏教不勉強うろ覚えの知ったかぶり・浅薄な解ったつもりの人間ですが、著書にも出ているこの主張を聞いて、「どっかで聞いたことあるな~、でもどっか違うな~」と漠然と思いましたがどこがどう違うのか、愚か者・田舎者の哀しさでそれより先に思考が進みませんでした。この言い方は一見仏教的ですが、とても乱暴です。この説明が阿含宗が一見もっともらしく実はいい加減な似非教団であるかの一端を物語ると思います。

  まず龍樹からの「2身説(プラス1)」というのがあるんですね。これは「真身・化身」という2身と我々凡夫人間の肉身である「生身」、これが2身プラス1です。真身というのは、宇宙万象に遍満する真理法則としてのホトケであり、これは目に見えたり人格を持ったりする以前の根本的存在です。でそれが人格・神仏となって顕現したのが化身です。しかし俗世間の生身の人間とは一線を画し、どこまでも聖なる存在であるわけです。この前記2身を「法性法身・方便法身」として親鸞上人もコメントしています。これが「2身説プラス1」です。

  これが通常いわれる大乗仏教の「3身説」に進み、「法身・報身・応身」となるわけです。ただ応身は前記の生身とは異なり、「人間の肉体を持った仏さまの化身」となります。姿なき真理法則・その人格的聖なる顕現・さらに地上界の具体的な化身、これが本来の3身説でしょう。

  でややこしいのですが、密教において如来・菩薩・明王の「3輪身説」というのがあるわけです。これは大日如来他全5如来を自性輪身、5菩薩を正法輪身、5明王を教令輪身と分類し、密教ですから当然大日如来ひとつに集約されるわけです。自性が真理法則、正法が説法教導、教令が破邪顕正というわけですね。

  で、桐山さんはこれらをぐちゃまぜにして炎の中の形象にこじつけ、ホトケさまに認められた、つまり日蓮宗の文証・理証・現証が揃ったとみなしたわけです。言われるとそうかなーと思いますが、アタマがぐちゃぐちゃで何がなんだかよく判りません。アラ探しをしてみましょうか。

  まず2身説・3身説の真身・法身が大日如来だというのはまあいいでしょう。でもその次は逆じゃないかと思うのです。つまり、準胝観音(準胝如来)というのは2番目の「化身・報身」的存在であり、釈迦って実在の生身の人間じゃないかと思うのですが…さらに桐山さんは続けます。「応身というのは普通ここに不動明王が来るが、宗派によっては常用する本尊をここに持ってきてもよいのだ」…もう説明がいつのまにか「大乗の3身説」から「密教の3輪身説」にすりかわってしまっているのです。応身と教令輪身、どちらも確かに第3の概念ではありますが、違う内容ですよねw 当時の私のボンクラ頭では目が白黒するばかり、ただ「聞いたり読んだりしたけれど、何か違うな~」というなか卯のウドンのような?違和感だけは湧いて来ます。でも具体的にどこが違うかは解らない。

  やっぱり通常は生身の釈迦は応身、如来・菩薩・明王の分類が3輪身説ですから、上記の桐山さんの解説は少々乱暴です。まあ準胝如来の本地(正体)は釈迦如来だ、ということを強調したかった、さらに大日如来を加えてキリスト教のように3位一体だ、ということをいいたかったらしいのですが、3証からも判るとおり、真言密教だったのがいつのまにか日蓮宗の方に移っていくわけです。まあ総合仏教だともいえるし、ツギ接ぎ宗教ともいえるのですが…ここは阿含宗の特徴ですね。

  つまりいつもの卑見ですが、真如苑・阿含宗・創価学会などの新興宗教はちゃんとした宗教ではなく「民間の宗教サークル」「素人の霊能サークル」的な側面が強いと思うのです。だから学究的好奇心がきっかけとなって大小の心霊現象体験を通じて人間関係を作っていくのが愉しいと思うわけですよ。サークルだから眉間に皺寄せて真剣に打ち込むのも、友達同士でワイワイやるのも自由だと思います。ただ、死人が出たり社会進出が過剰になったりするのはどうかなあと思いますね。サークルに碩学や専門家が目くじら立てられるわけもありません。長くなるので今回はここまで。次回は準胝如来=釈迦如来、そこから日蓮宗との関連をさぐります。…BSの窓際太郎の再放送もできる限りは観てますが、稔侍さん入魂の熱演も相俟ってこのシリーズは是非全話DVD化を望みます。日曜夜の放送の内容も凄かったですね。まんがはじめて物語…脇役キャストも実力派で厚く固めているんですよね。
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仏法探究!

市川森一、阿含宗を語る

  市川森一(談): 冬の星まつりをテレビ中継していますが、ゲストとして関わって、もう7年ぐらいになります。僕にとっては阿含の星まつりが正月みたいなもので、元旦よりも、2月11日の春を迎える習慣が僕の中に出来ていて、毎回ここに来て、皆さんと一緒に春を待つということが僕の年中行事にもなっています。また、星まつりや護摩法要を通じて、桐山雄管長の世界平和への想いを知り、深く共鳴しています。

  管長と同様に僕自身も世界平和を希望していますが、具体的にどういう行動を起こせばいいのか分からないでいました。しかし、桐山管長はシベリア・アウシュビッツなどの世界中の戦争で多くの犠牲者が出た場所に行かれ、護摩法要の供養をされています。過去に僕もテレビで中継する仕事の中で、管長の護摩法要による平和運動に参加しました。イスラエル・ガダルカナル・パプアニューギニアでの平和運動に参加して、あらためて平和の大事さを強く感じました。

  特にガダルカナルでは、桐山管長の個人的な強い想いに打たれました。桐山管長の同世代の方々が戦死している中で、桐山管長は結核になり、戦地に行けなかった慙愧の想いが強くあります。その懺悔の想いと英霊を自分の祈りで祖国へ連れて帰りたいという強い想いがあり、そのことがガダルカナルでの護摩法要でも強くあらわれていて、僕が管長の気持ちをお聞きすると涙をポロポロと流されて、言葉にならない場面もありました。そのようなことを通して、僕もますます、世界が平和でなくちゃいけない、桐山管長のこの想いだけは後を継いで行かなければならないと想いを新たにしました。

  今回は星まつりと同じ場所ですが、オーラの祭典は初めてで、また全然違う感動を覚えました。星まつりの時は、非常にダイナミックで、個人的には自分の想いが内側に入っていく気分でした。今日は様々な国の人たちが同じ祭壇で一緒になっている姿を見ることができました。管長のコメントの中でも、人類は滅びないという思いを強く持っている人がここに集まっていると仰っておりました。本当にみんなが手をとりあって、人類を滅ぼしてはいけないという想いで心が一つになり、その中の一人であるという喜びを感じました。

  また紀元前1800年の最古の文明と仏教とが合同で一つの祭典を持つという凄さに圧倒されました。阿含宗の護摩の煙とマヤの煙とが、見上げると天空で両方の煙が一つになっていました。その混じり合っていく煙の真ん中の向こうに太陽があり、そこへ両方の煙が吸い込まれ、踊るように舞い上がっていく情景は胸が詰まるようでした。意外なところで勉強したのは、僕は長崎出身ですが、長崎の龍踊りがでたことに驚きました。長崎の龍踊りはこの間見たばかりで、そのときには龍踊りの龍は月を追いかける習性があり、龍踊りに使っている宝珠は月であるといわれています。

  龍踊りではないですが、似たようなお祭りが江戸時代の唐人屋敷にもありました。お腹の中にロウソクを灯した龍を飾るというものなのですが、これも夜の祭りである聞いています。ですから、龍踊りに使っている宝珠は月だと聞いていました。しかし、今日、龍踊りの宝珠は太陽でもあるということを知りました。また、龍踊りの龍は方位学にも関わっている龍神であるということを龍踊りの会長に教えていただき勉強になりましたね。このような場に自分の同郷の自慢の出し物が出てきたので嬉しかったです。さらに、今日はマヤのククルカンの日、龍の日であり、単なる郷土の専有物でなく、地球規模で龍踊りが通用するということも勉強になりました。

  また、マヤのドン・アレハンドロ大長老には宗教家というよりも、牧歌的な人柄をすごく感じました。グアテマラは3人に2人がローマカトリックの信徒で、グアテマラそのものはカトリック王国と言ってもいいのですが、最近は原始へ帰っていく自然回帰への想いや滅び去ったマヤ宗教とも呼ぶべきものが見直されて、復興しつつあります。今日のように阿含宗に日本へ招かれて、それに対応できるようなグループが出来ており、あのような素敵な方が中心となっていることが、マヤ宗教復興の一つの表れであるという印象を受けました。

  星まつりで護摩法要に参加して、いつも2つのことを思います。一つは火に対する魅力で、燃えているものを見続けることは見飽きません。人間は火が好きだと思います。戦争をするのもそういったところに由来しているのではないでしょうか。火が様々なものを破壊していく元であることと、暴力的なもの、ものを破壊したいという誘惑というのが人間の中にあるからだと思います。そして、もう一つは護摩法要を行うことで人間が火を希望に変えていく行事だということです。

  もっとも人間が恐れ、人間にとって危険なものを祈りの対象にしていくということは人間の叡智であり、火を鎮めなければ人類は滅びる、火を支配できるものになって平和を保てるという畏敬と恐れが一体になった世界だと思います。そのようなスリリングな人間の原初的な誘惑を誘いながらも、平和の象徴に変えていく祭りというのは人間を魅了し、星まつりにみんなが惹かれる理由がよくわかる気がします。阿含宗はそういった面で演劇的だと思いますね。今日の様々な行事も演劇的に構成されていましたね。火に祈ることは、最も恐ろしいことを祈りに転化していくことだと思います。

  世界平和というのはハト派的な発想があります。しかし、桐山管長を見ていると平和を続けて行くには、相当な戦いを必要とすることがわかります。戦争を忘れていない、忘れられないから祈りへ繋がります。僕は、それから戦争を起こしたもの、あるいは戦争が作り出した罪を忘れてはいけないし、許してはいけないと言うことを学びました。世界を平和にしなければならないということは、憎むべきものは憎み続けなければならない、戦い続けなければならないと言うことでもある。日本人は大いに反省してもいいと思います。

  例えば、原爆投下などはあまりに寛容すぎると思います。長崎では原爆投下は神の摂理などという言葉が定着しつつあり、それには疑問を持ちます。祈りや神は悪魔の詭弁にもなり、聖書はそれを警告していると思います。典型的な例がアメリカの爆撃に対して、牧師が任務の成功に祈りをささげるなど、神や祈りはそのようなことに利用されます。そのようなことを僕らは実感しなければならず、世界平和を守ることは、同時に怒ることでもあると感じています。僕は護摩法要の炎に怒りも覚え、そのような怒りを忘れてはならず、そうでなければ平和は来ないという想いをあらためて感じました。
(2010年11月18日、阿含宗第2回オーラの祭典ブログより抜粋)

  仰天なのか当然なのか、実際のところ阿含宗では市川先生のような考えはこれっぽっちも持っていません。私自身、数年経つまではそこに気付きませんでしたけど、「こうすれば大金をはたく宗教好きな人間が大勢いる!」という単なる宗教ビジネスが本音のようです。だから興味の対象がコロコロ変わる。世界滅亡と阿含宗に関わった末の頓死とどちらが早いのか…それは人それぞれ。名脚本家、市川先生のご冥福をお祈り致します。

  発言内容の誤報で小泉純一郎元首相の秘書官だった飯島勲氏の名誉を傷つけたとして、名誉棄損容疑などで告訴された毎日新聞社の朝比奈豊社長と当時の政治部長、担当記者の3人について、警視庁麹町署は8日、書類を東京地検に送付した。同庁は「捜査した事件はすべて検察庁に送る刑事訴訟法の全件送致主義に基づき処理した」とし、処分に関する意見内容を明らかにしていない。告訴状は、小泉元首相の引退表明を聞いた飯島氏が「次期衆院選で小泉氏が応援しても小泉チルドレンは負けるだろう」と語ったとする誤った記事を2008年9月26日付朝刊に掲載、飯島氏の名誉を傷つけたとしていた。毎日新聞は翌27日付朝刊で「数日前の話を誤った形で引用した」と訂正した。飯島氏は告訴とともに同社に1千万円の損害賠償を求めて提訴。東京地裁は今年1月27日、100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。(2010年2月8日)

  日付が星まつりの直前ですよ。何故私が警告を発しながらも若干呑気かといえば、阿含宗は小泉政権末期から自民党を支援しているからだ。小沢潰しで本腰を入れたのかも知れないが、相手の政権交代を呼ぶ支援とはお粗末過ぎるのではないか。違法にはならないだろうし、信教は自由だ。それでも私はダメ元で警告する。のめり込むように信じて依存するのではなく、心理的に離れるだけでも魔性の本尊の影響が違うと考えるからだ。

  阿含・桐山杯~全日本早碁オープン戦: 日本棋院主催、毎日新聞社、京都新聞社後援、阿含宗特別協賛。1994年創設、第5期まではアコム杯。唯一アマチュアが参加できる棋戦。参加できるアマチュアはアマ本因坊戦のベスト8、女流選手権の優勝者・準優勝者、学生本因坊戦の優勝者・準優勝者の12名。1期毎のトーナメント戦。決勝戦は一番勝負。持ち時間90分。優勝賞金額1000万円、準優勝500万円。優勝者は中国・阿含桐山杯優勝者との日中対抗戦に出場する。

  市川先生も毎日新聞も知的な善人。桐山さんもご自分なりに苦労して阿含宗を大きくした。信者職員も献身的でいい人が多い。そこには決して悪意があるとはいえない。しかし一方、元会員の私めも卑見は重々承知ながら、伊達にデマを飛ばしているわけでもない。阿含宗は勿論、桐山さん自身の修行目的が「運を好転させるため・悪因縁の呪縛を解き、霊障から離脱するため」だからである。頓死・検挙は阿含宗の教義で「悪因縁による霊障が出た」と評されるのだ。仏教とは若干違うが、そうならないための阿含宗の修行なのである。一般の仏道修行云々ではなく、新興宗教・阿含宗や桐山教祖の目的はそうなのだ。市川先生や毎日新聞社のように、桐山さんの思想・活動に共感・協力し、イベントに出資して世間への広報活動に寄与する行為は、「阿含宗の仏さまに多大な功徳を積む」とされているのである。信者職員を含め、そのご利益が実感できますか?ということだ。「利益利益とほざくな! 無償奉仕のココロだ、このスケベ」と貞潔な高みから説教されそうであるが。心意気・言葉だけはとても崇高で否定のしようがなく、もうこれは「まじめの罠」の最たるケースといってよいだろう。しかし当然小沢バッシングについては特定の一個人・一団体とは思っておらず、巨大な複合体を想定している。以降さらに新興宗教本尊の魔性に迫ります。
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仏法探究!

余震と雑感~逆転するピラミッド

  小沢公判に合わせて阿含・桐山杯の記事を載せていたサンデー毎日、信教は自由ですからどうぞお好きに。で、うって替わって自分好みの今週号、みのさんよりもずっとマスコミを私物化してるような気がするのは仕事疲れで私の精神が病んでいるのでしょうね、きっと。まず岩見さん、いや~、昔の時事放談は面白かったですね。いまはダメ、司会者には悪いけど。サンデーモーニングで佐高先生や金子先生にいい味出してもらうしかありません。結局TBSはそういう考えなんですよ、「面白いけどどぎついね」という。時事放談・全員集合・クイズダービー…面白いかつまらないかはマッキンゼーじゃなくて視聴者が決めるもの。月形龍之介氏を念頭に、水戸黄門の東野英治郎氏や西村晃氏だって時代劇や現代劇で女性に襲い掛かる悪辣なヒヒ爺イを演じていたわけで、そういう大物役者の方が国民的英雄を演じるギャップが面白かったわけでしょう。

  韓流ドラマは見なくても座頭市やってれば見ちゃいますよ!「バイタリティーが強くなければ悪巧みは解けないし裁けない」、そういう共通認識が視聴者の間にあったと思います。佐野浅夫さんは娘の結婚話に狼狽する菜っ葉服着た田舎親父のイメージで、これまた葵の御紋とギャップがありました。そういうギャップが印籠のバーンという衝撃音に集約されるのがこの番組の醍醐味だったのですから、里見さんはシリーズを負う方としてそのギャップをどうお考えになられたのか、制作側とともに問われるところですね。桃太郎侍・遠山の金さん・必殺の中村主水は何故人気があるのでしょうかということです。「トラック野郎」も「仁義」で築いた文太像をぶっ壊してしまったわけです。クライマックスからは水戸黄門と同じですね。従って由美さんの人気はシリーズのテーマに適うものであったわけです。石坂さんのシリーズ中で、江藤潤さん扮するバカ殿が登場する話があるんですよ。黄門様の講義中に居眠りばかりしているんですが… 藤原弘達氏のある書名にも当然このブログ名は因んでいるわけです。

  橋下市長誕生に因んで内田先生、山口先生、書評で香山先生が採り上げられてるわけですが、ここでまた前回に続き何故格差社会・競争至上主義はいけないのかを稚拙に綴りたいと思います。学校でも職場でも勤勉な人と怠惰な人を数で較べれば、当然勤勉努力の人の方が少数派なわけです。それで弱肉強食、というよりは競争原理で優位に立ち、少数精鋭グループの選抜審査に合格するわけです。ピラミッドの頂点部分にのし上がるわけです。残りの敗者は下部構造である底辺に属します。彼らはその他大勢・多数派です。しかし、自由主義・民主主義の世間・社会では、商品販売でも選挙でも多数決、大多数の支持を受けた者が勝ち残るのです。この原理においては、頂点を上部、底辺を下部とした三角形ピラミッドがくるっと逆転し、頂点を下、底辺を上に成立してしまうのです。そこでは少数精鋭の“勝ち組”は独裁者の罵声を浴び、負け組の世論は“社会の声・市民の目線”となります。勝敗によって順列が入れ替わるのではなく、優劣基準が多数派基準にすり換ってしまうのです。これが勝間先生の「まじめの罠」にも述べられた「祭上げ」から「神殺し」への反転現象です。拝金ユダヤと貞潔キリスト教会、小泉首相と自民党、小沢代表と民主党…全部このメカニズムが当てはまると思います。

  ですから自助努力によって不特定多数から少数精鋭にのし上がった際に、「俺はお前らとは違うんだ!」と一線を画すのは危険なのです。努力の結果、能力差が残存してるのは間違いないのですよ。勿論もっと強いライバルが出現する可能性もありますが、それよりもこのピラミッドの逆転現象の方が怖いと私は思います。ですから「運のいい人と悪い人がいる、学校でそう教えるべきだ」とか発言すべきではないのです。仮に運の善し悪しに敏感な人がいたとしたら、その人はまずこの発言者を避けると思います。どんなに能力が高く、恵まれていてもこういう思考法を主張してしまう人たちは、卑見による狭い了見では、原因不明の難病や精神病、または殆ど冤罪に近い理由での失脚をする事例がよくあるからです。必ず120%そうなるとは言っていませんよ。偶々そうなる人もいるから、運を好くしたかったらそういう言い方はやめましょうね、と自分で考えているだけです。蜘蛛の糸みたいにゾンビ全員を救え!と示唆説教するつもりはありません。ただカンダタ自身で、「ああ、俺もあのゾンビの一員なんだ」と位置づければ無用な線引きは止むのではないでしょうか。

  格差社会もこれと同じです。ホームレスになった人の中には、元大学教授・元プロボクサー・元会社社長もいるといいます。だから彼らのプライドは本当に高いのです。その根拠があるのです。知力をつければ、体力をつければ、オーラを増やせば、貧乏から脱出して成功するといわれます。でも彼らは現にそれらの能力技能を身につけてきたのです。住居も仕事も飲食も用意してもなお拒絶するのは彼らのプライド、「俺はお前らとは違うんだ」という思考法ではないでしょうか。そしてそれは多くの人が潜在意識で成功を望む際の強い動機となっているのではないですか? 密教の阿字観では俯瞰者を対象宇宙の一部として位置づけ埋め込み一体化させます。大日曼荼羅の上に葉っぱを落とすのも同じ意味合いがあるのでしょうか。俯瞰者の優越感伸張をどこまでも放置すれば、当の本人が奇異な人と化してしまいます。ピラミッドの上も下も全員がそれぞれ俯瞰者です。そしてまた全員が対象となるべき存在なのです。ゲームやパソコンの普及でこの俯瞰者の誇大病が一層進んでいるのではないでしょうか。勝ち組も負け組も等しく「自分は社会・全体の一員」としての位置づけをしっかりなすべきだと思います。「砂の器」は高度経済成長がハンセン氏病の隔離・断種政策に苦しむ人々を繁栄の影に隠して無いものとしてしまった、TBSもテレ朝もそのテーマに対して犯人の父親から病気を削除してしまったから意味がないのです。有名作品のドラマ化からしてそういう姿勢だから原発報道も東北食品も放射能被害は原則なし、白血病も吉田所長も原因不明・非公表となるのです。作品の批判を全く受け止めていないじゃないですか。震災は結果的に不誠実な制作に対する業報となりました。

  官僚やマスコミは少数精鋭のエリート集団であることを自覚した上で、「我々は絶対多数派だ」という印象工作を捏造し続けています。政策監視は必要ですが、松井・橋下両氏の圧勝はその点快挙だと思います。司法・報道・宗教など、本来弱者の力になって不正を糺すべき存在がエリート化の結果、弱肉強食思想による上から目線に陥っています。司法・報道・宗教に対する不信派が、私などの予想よりもずっと早くそして深く、多数を占め始めていると思います。政治はどこの党も弱者救済を叫ぶエリート集団です。本来は弱者救済、だが権力維持のためには小沢派だけは切る、沖縄だけは切る…この延長上に国民救済は不可能です。消費税増税ではなく、累進課税を強化し、生活必要額を大幅に超えた巨額報酬という“夢の実現”への意欲を削いで中産階級の復活や弱者の安心確保のために充当すべきです。アメリカン・ドリームとは異なるジャパニーズ・ドリームの構築、それはオバマのいう「分相応」や「共生社会」に近いのかも知れません。今日はピラミッドに頂点と底辺は存在するが、その一点一点の力は平等かも、というお話でした。浅田尚子さん、私も朝日新聞の向かい辺りで少しバイトしたことがあります。掃き掃除や冷凍庫からのピッキングでしたが…虚弱な私にはバテバテでエロどころの話じゃありませんでした。マイナス40度では濡らした爪が剥がれます…大変なお仕事ですが生活に必要不可欠、築地の方は親切で気持ちのいい方が多かったですね。正気は当然の独特の空間です。三角形上下合一の六芒星というのもエロいですけどねw アワビでも何でも居酒屋の水槽にあると美味しそう…メーテルより宇多田ヒカルが好きな人は多いと思うよ。岩井先生と中瀬さんの木曜日はつい見てしまいますね。「すきま風」のセンパイなんかどうですか? 四国の人には慣れてますからwオススメです。
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余震と雑感~欺瞞と世間と現実と

  やっと勝間先生の「まじめの罠」を読みました。「断る力」に次いで2冊目です。そんな私が当然カツマーである筈もないのですが、この先生がどうしてそこまでバッシングされるのかも理解できません。しかし本書は「欺瞞の虚偽を暴く現実派は、“欺瞞儀式通過グループ”から排斥弾圧を受ける」という深い考察・体験を語っています。本書の始めから終わりまで政見関連を除いてはほぼ全篇共感できる内容であり、本書執筆の意図に拙ブログを綴っている意図は準じてます。まあ成功者の代表である勝間先生と失敗者・落伍者の代表である私とでは説得力で比較にもならないんですけどね、ハイ。

  この「まじめの罠」というのは何かというと、これも売れた「断る力」に代表されるような「批判抜きの従順性」、その効用を盲目的に信ずるのではなく、実際的効用が出るように具体的に見直し・手直せということだと解釈します。「断る力」でいえば、従順に来る仕事を拒まず受けていたら待遇が悪化し、逆に依頼を断ってみたら好待遇の仕事が来るようになった。これは私も小さな例ですが実際に体験があります。普通「来た仕事は断らない方が先方に印象が好い」と考えますよね。勿論その態度で事態が好転する場合もあります。しかしそうはならない場合、状況を見極めて断ってみましょうという現実的実践論なのです。

  とにかくこの世間の欺瞞と問題解決のための現実的前進、日本は特にこの両者を感情や権威を利用して巧みにすり替え、単純解決できる問題解決を複雑化することで既得権益を促進する構造が強いままです。本書においてはすべて内容の通りであり、コメントのしようもないのですがw、ただ実際に欺瞞集団からの「合法的弾圧」が仕掛けられているわけですから、それに対抗・迎撃する手法の準備が必要かと思われます。やっぱり非現実的でない、退歩的な手法で実際に権益を守っているというのはそこにある種のパワーがあるわけでしょう。だから「悪い・悪い」と非難したところで相手は法律をひっくり返すは冤罪はふっかけてくるは、それを大集団でうわーっとやってくるわけですから、哀しいですがそれもひとつの現実として対応しなければ、悪戯に殉教者を増やすばかりです。

  男の私も含め、何故家庭に住む善良な婦女子がこの欺瞞世界の強力な支持層になっているかといえば、現実認識が余りにもグロテスクで顔をそむけたくなるような醜悪さに満ちているからです。世間観が醜悪なオジサンは「うるさいよ、あっちへ行ってて!」となるわけです。従って欺瞞グループは弱肉強食というグロテスクな金科玉条を敢えて採用し、現実派人間を徹底的に貶め辱めることによって信者を物理的精神的に囲い込んでいるわけです。しかし仏教的に言えば本来相対的・流動的な「強者」「弱者」という背後観念を絶対的・固定的なものと見做す格差社会は強者と弱者の逆転現象を生じ、欺瞞的な「強者」が現実的な「弱者」の渦中に埋没して衰亡する危険性を孕んでいると思います。弱いから楽をしたい、だから努力した―だから楽をしている人間は弱いままなのです。そんな個人が「強者」として固定化され、悪いのはすべて負け組のせいだというのは自己陶酔・被害者意識・責任回避から来る欺瞞です。ずばり日本人は弾圧は好むけれども、改革は望んでいないのです。

  とにかく本書は共感・同意部分が多すぎてコメントのしようもありませんw 欺瞞を好む人もいれば現実を好む人もいて、そのどちらも主観なのだ(優越根拠としての背後観念は無い)としかいいようがありません。今日は全くコメントになっていませんでした。しかし法華経の解説でよく「存在するものはあるべきだからだ」といわれますが、これは単なる権威主義で間違いでしょう。乱暴に言えば、人間は2種類のタイプ、すなわち「成功者」か「宗教家」になりたいのです。前者は「やりたいことを体験する」後者は「求める価値を体現する」です。この2者が優越を争ったり、1人の人間に同居してるから欺瞞世界が生じ、両者の推進にブレーキ、ストップがかかるわけです。だからどっちつかずかも知れないけれども、「やりたいことだけ」「あるべき価値だけ」ではダメなんだとしかいえません。

  それでは、欺瞞世界・欺瞞人間がそれらを両立しているのかといえば、現実には彼らは皮相を追う行為(まじめの罠)によって「やりたい」「あるべき」どちらからも離れていっているのが現実ではないでしょうか。そこに気付いてしまうと、引きこもりになってしまうということなのでしょう。いきなり「正解はこれだ!」と宣言するのではなく、「正解はわからない、でもこれは実験したけどダメ」という消去法の継続であとは絶対他力に問う、好転しても慢心を棄て謙虚に・謙虚に…位しか書けましぇーん! 私は勿論、勝間先生ご自身が人一倍“まじめの罠”にハマるタネをお持ちなんだなーとも思わせる、どこまでも「まじめな」本でした。

  小泉改革や対日要求は短期的で欺瞞が多く、長期的かつ現実的じゃないと思いますよ。ホリエモンや木村剛は小泉・竹中勢力の支援を受けたし、検察捜査もスケープゴートを捏造する小泉政治的な危うさが濃いわけです。それで小沢さんが狙われてるわけでしょう。民主党も欺瞞の仮面を脱ごうか利用するかで逡巡してるわけです。しかし元々自民党や社会党他にいた人がとにかく自民党政治を終焉させようと結集してるわけですから、民主党そのまま正解とはいかなくとも、消去法で自社体制を止めてみた、というのは大いなる前進だと思うのです。従って民主党を否定するなら自民党でない、次代の結集勢力が期待されますよね。
 
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