ルミガン効果
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霊能があるから騙される?(山蔭基央)

   この1ヶ月で、神社宮司・寺院の僧侶を含む4人程の人間が、霊能者に騙された。 軽いものでは「心霊写真」と称するものを持って来て、この霊能者が祈るとこの様に「光の筋」が写るんです。「どうです? 龍神さんですよ。凄いでしょう」と、私に見せる。

  神社宮司は、この霊能者を信じて、神社に招き「祈り」をしてもらい「神符・霊符・神龍の書」をもらっている。この人に支払った金額は知らない。おそらく「幾十万~幾百万円」に及ぶだろう。 寺院の僧侶も「一筆書きの龍」を買った。その龍の前で記念写真を撮影すると「光の筋」が走っていると言って「この人は『神人』ですよ」と言う。 後の二人は「中年の男性と女性」である。 いずれも「10年程、祖先の供養をせよ。今月は誰が出て来ている。お墓に詣って、墓を洗って来い」など指示された。

  余りにも際限が無いので、私のところに来た。二人共、合計幾百万円も支払ったと言うのである。 全くの「詐欺事件」である。聞いていて、ただ、呆れるばかりである。 聞くと、神社宮司も寺院僧侶も「私は霊感がある」と言うのだ。前記二人の中年男女も「私には霊感がある」という。これが、なお「悪い」のである。生じっかの霊感とやらがあるので「光の筋」が写真に映る人だなんて言うと「凄い」と思ってしまう。

  龍神界は「人間界=現世」のすぐ隣の世界であるから「感応」する人はたくさん居る。しかし、ここで注意しないといけないのは「龍神の眷属の狸霊」である。 龍神と交流している人の80%が狸霊との交流である。一時は不思議(神秘)を見せるもので、得意慢心して誰が注意しても気づくことなく、「賞味期限」が切れて蹴り飛ばされるように大怪我をして死んだ人物を幾人も知っている。物品引寄現象ができる霊能者がいたが、彼は冬の寒い日、長野市のある町の坂道で転び、商店のガラス戸の中に首を突っ込んで即死した。

  古い有名寺院、有名神社には「龍神」はいるもので、事実そこに「龍神」は住んでいるのだが、通信者の殆どは「狸霊」の感応である。どうも、この文明の世の中に、未だ「動物霊」が騒ぐのかと思うと、不思議でしょうがない。それがため「精神病理学」では、昭和初期までは「感応性精神病」と命名していたが、今では「妄想症」という病名らしいが、事実は「憑霊」ということで、巷の祈祷師の「メシの種」になっているようである。現代社会に、まだ安倍晴明のような陰陽師が必要だとはあきれてしまう。

  こんなことは至るところで述べてある。先ず詐欺師霊能者の体に「明るい品位」がない。その人の「背中・腰」を見よ。ツマ先を見よである。先ず「ツマ先に力がない。裏腰が暗い。背中に明るい輝きがない」ということを知るべきである。人の顔の表は「どっちか?」と言うと「背中」が表の顔なのだ。正面の顔は「裏の顔」なのだ。女性なら化粧の顔と、着ているファッションで騙されるだろう。「美人は七難隠す」の諺があるほどに、美人に騙されてはならない。また、美男にも騙されるのである。

  学問のある詐欺師もある。得体のわからぬ哲学を論じて「煙に巻く」のである。こうした人物の発表する「技術」は、ちょっと面白いこともある。その論理や技術もちょっとは効くものだが「長続き」はしない。大自然の中には「神秘」は一杯ある。大阪に「陰陽療法師」がいた。彼は「温灸師」である。そして言う「私のハンカチで一さすりすると、今、当てた温灸器の熱くなかったところが、サアッと熱くなるからね」という。患者に聞くと「その通りだ」と言う。ハハッ、これは「体を流れる気の順と逆を利用しているのか?」とわかったから、「先生、私がやった後を温灸器を当てて下さい」と言い、友人の体を実験台にした。

  私が、温灸師の言う「マヒしている所」を逆なでにした。そこへ温灸器を当てると「熱い」と実験台は言った。 温灸師は「邪魔しないで下さい」と言った。我々はその夜、料亭でご馳走になった。昭和30年代の話で、その「陰陽療法器」だけで「新興宗教」が生まれたのである。こんなのは、まだ良い方である。今、その教団も潰れ、その療法も潰れて無い。けれども、その方法は「良い技術」で、良い「健康法」だと今でも思っている。かくに「正しい」ということは一般人(素人)には難しいことで、多くの人々は、まやかしに騙されるのである。 「飾る」ということと「内なる神秘」とは異なるものである。とにかく「本物の霊能者は地味な者が多い」ということを知っておこう。
(2004年9月17日、抜粋)

  インチキ宗教否定は勿論ですが、さりとて引用文を含めて特定のどこかの団体・教義を推奨している訳ではありません。私のお勧めは弘法大師の真言宗で、その宗派も問いません。霊障の悩みから抜けたくとも、憑依霊と同レベルのインチキ宗教を転々とする羽目になるんですよね、これがコワイ。おカネや美女やイケメンが即悪いのではなく、いたずらにきらびやかなパワーを求めると、変な霊を引き寄せる怖れがある、ということです。自分にとって何が「本物」かは自己責任で・・・
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仏法探究!

有事の際の気象庁の態度を考える(武田邦彦)

  (激しくやります。腹が立って・・・!)

  原発事故が起こった3月12日の夕刻のことだった。私は、政府やNHK、それに東大教授が「遠くに逃げろ!」と言ったのにビックリした。原発から「放射線」が出るのではない。「放射能物質の灰」が火山の噴火と同じように風にたなびいて移動する。だから、「遠く」ではなく、「風をみて」ということだ。

  政府は直ちに気象庁に風向き予想を求め、それをNHKが発表し、それを東大教授が解説しなければならない。ところが、気象庁は福島原発付近の風向きを出さなかった。奇妙なことにNHKは事故から2週間ぐらいたって、「地震で風向風速計が壊れていたが、昨日から使えるようになった」として風向きの報道を始めたが、実は気象庁は風向きの予想をIAEA(国際原子力機関)には報告をしていたのだ!

  原発の事故でもっとも大切なのは風向きだから、IAEAは原発の事故が起こったら、その国の気象庁に直ちに報告を求める。だから気象庁は風向きが大切であることをよく知っている。そして気象庁の職員が生活しているのは「日本国民の税金」だ。それなのに、気象庁は日本国民を見殺しにして、IAEAに英語で報告し、一週間たって官邸から指示されると、「私たちは日本国民に報告する義務はないが、官邸から指示されたので、しかたなく公表する」という注釈までつけて英語のまま発表した・・・福島の人が被曝した量が「即死」までいかなかったから良かったが、もしもう少し放射線の量が多ければ、気象庁は「殺人犯」だ!

  気象庁は「放射性物質の飛散を予測するのは文科省だ」と言ったが、何省だって良いのだ。必要なときにはそれを判断して国民の命を救う。それができないで税金など貰うな! 原発事故が起こったとき、政府は「健康に影響がない」と言った。ということは「たいしたことはない」ということだ。それなら気象庁の、テレビ局の気象予報も福島原発からの風を報じれば良いのに、凍り付いたように報道しなかった。そして、気象学会は学術団体なのに、こともあろうに「福島の気象を発表するな」と憲法に定めた学問の自由に反する規制をした。

  今でも、気象庁や気象学会は存在するのだろうか? 2つとも犯罪団体だから、職員や学会員は嫌気がさして辞めているだろう。原発を動かすと事故が起こる可能性が高い。だから、それまでに新しい気象庁を作っておかなければならない。誇り高き日本人は、自国の事故にドイツの気象庁からデータを貰いたくないからだ。
(7月28日)

  一般には難解な専門知識の公開を操作して、非常時に公務員としての背信行為を行っていた気象庁。自国民の安全・健康よりも高給待遇の組織保持、東電と全く同じ体質・発想です。エネルギー・エコロジーを隠れ蓑にした安全無視の商業主義神話を、科学者として、人間としての良心が鋭く追及しています。
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ポスト現代時評

蜘蛛の糸~エネルギーと行動

  犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

  阿含宗ではこの説話を引き合いに出して、「調子のよいお前は我利我利亡者のカンダタなんだ、周囲のやる気のない奴らをもっと助けろ」と言われます。進歩に失敗した奴は「早く会員を辞めろ」と罵倒されるのですが・・・「俺がこんなに大変なのに、助けてくれないお前は卑劣だ!」これは桐山さんの口癖でしたが、言ってる方も聞いてる方も地獄に片足を突っ込んだ亡者である事は間違いありません。ベテラン勢の多くは苦笑しながら奉仕修行を余りしない宗教でしたw ただ霊能ある人で、自分の居場所を求めて半ばインチキを承知で新興宗教に身を置く人もいるようです。しかし彼らも管狐や猫又を仏舎利とか、無知で悪戯な狸を準胝観音とか法華経守護の龍神とか崇め奉っているからもうどうしようもありません。他人を洗脳する人は自分が霊に憑依洗脳されている人。自殺した芥川の物語に囚われず、悪い仲間とはきっぱりと手を切ることが肝心です。「世界の中毒者が覚醒剤を止めるまで、私はシャブ中との関わりを止めない!」すぐに止めたほうがいいでしょう。地獄から天国に移行する、なんて発想が分別を捨てよと説いた釈迦の思想の対極にあるものです。どこまでもご都合主義な餓鬼・亡者の新興宗教は地獄に堕ちよ。

  で、今回言いたいことは利己的なエネルギーと利他的なエネルギーがあるよ、ということです。まずこうした行動原理は潜在意識の抜本的転換が必要とされ、ある時は利己的、ある時は利他的、という風にはなかなかいきません。利己的な人は奉仕をやっても自分のためだし、利他的な人は自分のことをやろうとしても他人のためになる。どっちが偉くてどっちが悪い、という観点はここではとりません。ただそういうものである、という視点から政治・右翼左翼の理念というものを眺めて見たいと思うのです。

  カンダタ自身のエネルギー比率とは、自分自身の徳分に応じて、お釈迦様からの救いである蜘蛛の糸も、そして奈落の底から追随してくる大量のゾンビ群も、カンダタ自身のエネルギーです。蜘蛛の糸は上方に、ゾンビ群は事実上下方に引っ張りますよね。そして、このどちらのエネルギーもカンダタの望み・願いを叶えてくれます。但し、その願望の種類や叶い方、成就の形態に制限があるのだと思います。プロの画家が絵を描くのと、素人の落書きとの差ですね。しかし2人とも依頼者に対して、特に不誠実であるというわけではないのです。さらに霊の世界では、プロ並みの画家が「無料でいいよ」と言い、素人の殴り書きが「この作品は高いよ」と言って法外な請求書を送って来る場合がある、ということはよく覚えておいて下さい。

  餓鬼・亡者や低級霊を集めて、その軍勢に願いを聞いて貰うのと、浄化された高級霊を召喚して願望実現を祈る違いがここにあります。低級霊に世界平和を祈っても破壊的な事象が起こり、高級霊に競争での勝利を祈っても人が集まってきて和解する、結果の出方に大きく違いがあるのです。願望のレベルがエネルギーレベルを決定するというだけでなく、エネルギーレベルが願望の結果・質を変えてしまう、ということもいえるのではないでしょうか。カンダタは下ばかり見ていました。上を向いてお釈迦さまに「こういう場合はどうすればいいんでしょうね?」と尋ねていたら局面は違っていたかもしれませんね。話に感動するのはいいことですが、自分の出来る範囲で進めばいいではないか、そこにがつがつ比較をしなくても、と思うのですが・・・
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仏法探究!

中村うさぎ:東電・官僚・ファシズムの元凶はコレ?(サンデー毎日)

  私は知性が欲しい。この暗い迷妄の道を照らす確かな灯りが欲しいのよ。だけどそれらしきものを手に入れた瞬間、自分が賢者になったつもりで別の迷妄に堕ちていくことが目に見えている。私はそれが怖いの。私が過去の自分を脱ぎ捨てて、何か偉くて崇高なものになろうとする、その醜い野心が怖いのよ。人間は進化したがる生き物ね。種として進化したがるだけじゃない、個としても進化したがるの。より高い場所へ、より強く明晰なものたらんとして、何かに駆り立てられるように登っていく・・・それが人間というものよ。

  犬にも猫にも煩悩はあるだろうけど、この進化の煩悩(そう、「進化の意思」ではなく、もはや「進化の煩悩」よ)は人間ならではのものなんじゃないかしら。人間が「神」という概念を発明したのも、この煩悩ゆえかもね。より高き場所を目指すには、目標となる存在が必要だもの。あらゆる知、あらゆる明晰、あらゆる悟りを身に付けた存在を想定し、少しでもそれに近づこうと、険しい崖をひたすらよじ登る。そして、少しでも高く登れたものはたちまち驕り高ぶり、周囲の人間を侮蔑して悦に入るのよ。わぁ、最低。私は誰よりも競争心の強い浅ましい人間だから、この「賢者の罠」に堕ちやすい。だからこそ、「愚者の自意識」を手放してはならないのよ。
(7月26日、抜粋)

  大河の武蔵で「俺は強い!」夜の六本木でも「俺は人間国宝だ!」と実際に叫んでいた海老蔵。スパコンとなでしこの世界一で蓮舫議員のかつての「2番じゃダメですか?」発言が批判されていますが、リラックス効果とともに、実際に「私の自我が最上だ・頂点だ・絶対だ!」という認識を「しなかった」結果のスパコン・女子サッカーの快挙ではないかと思いますが・・・

  「有頂天」という言葉は「周囲が見えていない」という意味ですよね。深意ある発言に対して何故批判するのかが理解できません。「努力」というのは自我の枠内にとどまるのです。元々能力が違うし、実際の状況もあります。その狭い呪縛を解放して生活し、後から付いてくる結果は結果、それではダメですか? 電力供給は国民生活に不可欠です、だから職員関係者の給与待遇は特に手厚くしています・・・その結果、どうなりましたか? 現場の実務作業を彼らが責任を持ってやっていたのですか? 公共料金が低すぎて不祥事が起きたのですか?

  とにかく潜在意識で夢を実現すれば何でもいいんだ、これはいまの中国もそうだし、小泉路線の新自由主義であり、大きな負債が付いてくるのです。アメリカは国債デフォルトの問題がありますね。なでしこの快挙は素晴らしいですが、それがトータルな生き方や実務の現状も見据えた政治となると価値観を広げなければなりません。マスコミも煽る「なでしこジャパンは素晴らしい、民主党は悪い」確かにそういうところもありますが、この価値観・論理は社会を狭量化する危険なポピュリズムであり、そうであれば柔ちゃんこと谷議員は国会議員などやらず、金メダルだけ取っていればいいわけです。
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仏法探究!

日本は国債発行によって財政破綻する、だから「消費税やむなし」?(三橋貴明)

  先日の6月25日、日本経済新聞に大変興味深い記事が掲載された。

  「海外中銀、円資産35兆円に 4年で倍増、円高要因」
  海外の中央銀行が保有する日本国債など円建て資産の合計が昨年末時点で約35兆円となり、1年前よりも24.6%(約7兆円)増えたことがわかった。最近4年で2倍以上の増加。海外中銀の円資産を管理する日銀が、日本経済新聞の情報開示請求を受けて資料を一部開示した。海外中銀の円資産保有の大枠が明らかになったのは初めて。海外中銀は米ドルに偏っていた外貨準備の構成を見直しており、円建て資産の積み増しもその一環。円高傾向の要因のひとつになっている。

  さて、日本国内では各マスコミや評論家たちが口を揃えて、
「日本は財政破綻する(だから消費税アップが必要)」
「日本は財政破綻し、円が暴落する(だから消費税アップが必要)」
「日本国債は紙くずになる(だから消費税アップが必要)」
 などと叫んでいるわけだが、外国の中央銀行は淡々と日本国債などに投資し、円建て資産を増やし続けているわけだ。「財政破綻する!」はずの日本国債を購入することを続けているなど、外国の中央銀行も愚かなことだ。しかも、「暴落する!」はずの日本円建てである。さらに言えば、世界主要国と比べて極端に低金利の日本国債を、外国の中央銀行は買い進めているわけだ。主要国の長期金利は、概ね3%から6%の枠内で推移している。

  それに対し、日本国債の金利は1%強と、「超低金利」状態が続いている。現時点において、世界で最も安い資金コストで市場から資金を調達(=借りる)することが可能な組織体は、日本政府なのである。なぜ、外国の中央銀行が円建ての日本国債の資産残高を増やしているのかといえば、もちろん、誰も「日本が財政破綻する」「日本円が暴落する」などの日本破綻論を信じていないためだ。さもなければ、ここまで超低金利の日本国債を「円建て」で購入するはずがない(日本政府は現在は外貨建て国債を発行していないため、日本国債への投資は自動的に円建てになるわけだが)。

  ちなみに、長期の国債ではなく、短期の株式について見ても、外国人は震災後でさえ「日本買い」を進めていった。こちらは中央銀行ではなく、一般投資家の話になるわけだが。東京証券取引所が5月26日に発表した投資家別売買動向によると、外国人投資家は昨年の11月、すなわちアメリカの量的緩和策発表以降、何と29週も連続で日本株の買い越しを続けていたのだ。震災直後の株価暴落局面においても、外国人が日本株を買い続けていた傾向に変化はない。震災後の日本の株価暴落は、外国人の「日本売り」ではなく、国内投資家の投げ売りに起因していることが分かる。外国人投資家たちは、あの震災後の混乱状態の中においてさえ、日本への投資を続けていたわけである。

  長年(すでに15年間という長きに渡る期間!)日本の「破綻」を待ち望んでいるかに見える国内マスコミと比較し、外国の中央銀行や投資家が、恐ろしく冷徹な視線で、我が国の経済を観察していることが伺える。改めて「数値データ」を基に考えてみれば、世界最大の対外純資産国(=世界一のお金持ち国家)の国債や通貨が暴落するような局面が、近々に発生することは考えられない。各国の中央銀行が「安全への投資先」として、日本円建ての日本国債を選んだとしても、不思議でも何でもないのだ。
(6月28日)

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ポスト現代時評

浜岡原発の危険性~設計者の告発(JANJAN)

  私は日本原子力事業株式会社(現・株式会社東芝)の社員として、中部電力浜岡原子力発電所2号機の設計に当たった技術者です。浜岡原発は基礎を固定する岩盤の強度が弱いという問題があり、当時、技術者たちは原子炉が地震に耐えられるようにいろいろ工夫をしましたが、いずれも耐震計算をしてみると「持たない」という結果が出たのです。それでも2号機の建設はそのまま進みそうでした。私はとても悩みました。そして、技術者の良心に従って会社を辞めました。周りの人たちへのささやかな「警告」になればと思ったからです。

  それから30年余りが経ちました。今年1月には、浜岡原発の運転中止を求める署名運動が全国的に進められていることを新聞記事で知りました。中部電力が浜岡原発の大規模な補強工事をすることも新聞記事で読みました。ほんとうに恐ろしい事態が起こっているに違いありません。私はこの際、私の知っていること、私が経験したことを、すべて明らかにすることにしました。それが社会に対する私の責任と考えたからです。

  2つのことを申し上げたいと思います。
 第1は、浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に耐えられなかった。
 第2は、直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある―ということです。

  私は1969年4月に東芝の子会社である日本原子力事業(株)に入社し、東芝鶴見工場で、原子炉の炉内構造物の設計に従事しました。上部・下部シュラウド(炉心隔壁)、上部・下部格子板、緊急冷却装置など核燃料を支える部分の設計です。最初は東京電力福島原発2号炉、次に中部電力浜岡2号炉の設計を担当しました。設計者は計算担当者の指示にしたがって、炉内構造物をいくつかの部分に分け、その部分の重量など計算用のデータを提出します。そのデータに基づいて計算担当者が耐震計算をします。

  浜岡2号炉の場合、設計者は100人近くいました。部門ごとの設計者代表が集められた会議の席で計算担当者から聞かされた話は「建屋と圧力容器について、いろいろ耐震補強の工夫をしてみたが、空間が狭すぎてうまく行かないので諦めた」ということでした。原子力発電所の建設は、建屋→建屋内の圧力容器→容器内のシュラウド、格子板などといった順に、安全性の許可を得ながら5、6年掛かりで進めますので、後になって補強のための空間がないとわかっても、それから広げることはできないのです。

  私も私が担当していた核燃料集合体の上部の水平の位置を保持するための上部格子板の応力計算をしてみましたが、「完全につぶれる」という結果が出てしまったのです。計算担当者の説明によると、浜岡2号炉が地震に耐えられない原因は次の2つです。
 (1)岩盤の強度が弱いこと(福島は強かった)。
 (2)核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近く共振し易いこと。

  そして計算担当者は、「対策」として、次の3つの方法で再計算すると述べました。
 (1)岩盤の強度を測定し直したら強かったことにする(福島なみ)。
 (2)核燃料の固有振動数を実験値でなく米GE(ゼネラル・エレクトリック)社の推奨値を使用する。
 (3)建屋の建築材料の粘性を大きくとる(振動が減衰し易い)。
  つまりごまかしの計算をして、当初計画のまま押し通してしまうということです。

  私はその直後の1972年7月に退社することにしました。会社の会議室で上司に辞意を伝えました。自分の席に戻ったときには、耐震計算結果のバインダーはなくなっていました。私の退社後に耐震補強を行ったかどうかは私にはわかりません。しかし、浜岡1号機は配管破断事故とシュラウドの亀裂で停止中、2号機も亀裂の入ったシュラウドの交換が終わる(08年3月)まで停止と報道されています。私が設計に携わった頃から今日まで大きな地震もなかったのに、このように深刻な事態が起こっていることから推測すれば、中部電力は耐震のための設計変更はしないまま建設を進めたものと考えられます。計算担当者が中部電力に内緒でごまかしの計算書を提出した可能性がないわけではありませんが、技術者が関係者に相談もせずに偽の計算書を出すことはまずあり得ませんから、中部電力は地震に耐えられないことを承知していたはずです。

  浜岡1、2号機が造られた70年代初めには東海地震の震源域のど真ん中に位置していることがわかっていなかったという報道がよくありますが、もっと問題なのは原子力発電所立地について地盤強度の基準がなかったのではないかと思われることです。プレート境界や活断層の有無以前の問題として、なぜ、地盤強度の弱い浜岡に電発が立地したのか。基準さえあれば浜岡原発の建設は避けられたはずなのです。退社して10年ぐらい経ったとき、大学院時代の研究会のOB会で、大手重機メーカーで原子力施設の仕事をしている後輩に会いました。「浜岡2号機は耐震が持たないので会社を辞めた」と話したところ、彼はたまたま浜岡2号機の圧力容器を担当していて「そう言われれぼあそこはちょっとした地震でもビンビン揺れます」と言っていました。これが大地震もなかったのに配管が壊れたり、シュラウドに亀裂が入った原因と思われます。

  中部電力は、地盤および原子炉の建家、圧力容器、配管などに、震度計を設置して、地震時のデータを公表すべきです。そうすれば、すべてが明らかになります。公表できないとすれば、それは浜岡原発がいかに地震に弱い構造であるかを自ずと物語ることになります。現在の原子炉の耐震計算は横波(水平方向の揺れ)に対してのみを行っています。しかし、阪神・淡路大震災のような直下型の地震では、縦波(上下方向の揺れ)も強く、建物がつぶれました。この縦波を原子炉について考えると、制御棒の挿入が不可能になり、原子炉は制御不能の状態に陥ることが考えられます。

  ご存知のように、軽水炉(BWR型)原子炉の燃料集合体は使用済みになると、原子炉から引き上げられ、新しい燃料集合体に換えられます。これが簡単にできるのは、燃料が下部格子板の上に乗っているだけだからです。ただし、燃料集合体と燃料集合体の間を制御棒が動くスペースを確保するために、下部格子板の穴にはめこまれ、横方向には動かないようになっています。ここを直下型の大地震波が襲うことになると、大きな上下の振動と、水平方向の振動が同時に来ます。上下の振動が激しければ、燃料集合体は上に投げ出され、下部格子板から離れて宙に浮き、下部格子板は水平方向にも振動してますから、穴の位置がずれて穴に戻らなくなる可能性があります。したがって、強い地震を感知して、自動的に制御棒を挿入しようとしても、制御棒が核燃料集合体にぶつかったり、破損したりして、挿入できなくなる可能性があります。

  原子炉が制御不能に陥れば、核反応は止まらなくなります。その後、液注、配管破断による炉内の水漏れ、緊急冷却装置の故障を経て、やがてはメルトダウン(炉心熔融)です。浜岡原発は世界に放射能を撒き散らす最悪の事態を引き起こす可能性があります。過去に設計に関わった者として、そのことを明確に申し上げます。
(2005年4月15日)

  福島は地盤が強かった・・・ということですね。現状容認の原発再稼動論は果して「科学的見地」と言えるのでしょうか?
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ポスト現代時評

「いまここにある」原発チェック機能を強化する(首相官邸)

  昨日、原発の安全チェックの仕組みが、具体的に大きく前進しました。総合的な安全評価(いわゆるストレステスト)の手法と実施計画が、原子力安全・保安院によって策定され、その報告を受けたのです。今回の件では、「ストレステストの必要性についての私の指示が遅かった」ことで、関係者に大変ご迷惑をおかけしました。しかし、ことの本質は、「原発を推し進めてきた経産省に属する保安院だけで、原発の稼働再開に関する安全基準を決め、自ら判断するというやり方で良いのか?」という点にあります。

  《段取りの問題》は反省しますが、《仕組みの問題》はより重要です。近い将来、抜本的な安全基準や体制の見直しが必要ですが、それが出来上がるまで手をこまねいているわけにはいきません。当面は、保安院だけでなく、独立機関である原子力安全委員会にも関与してもらいながら、現実の安全チェックを進めてゆかねばなりません。実際、昨日の実施計画決定までには、【安全委員会からの要請(今月6日)⇒保安院による計画案提出⇒安全委員会からの強化指示⇒保安院による修正⇒安全委員会が妥当と確認(昨日)】という経緯がありました。

  あまり報じられていませんが、「保安院だけで決めて良いのか?」という問題の核心は、制度的変更を待たず、事実においてクリアされつつある状態です。さらに安全基準は事前に公開することで、多方面の専門家の目によるチェックも働くようにされました。今後は、この安全評価の実施計画を地元自治体に説明し、その後、電力事業者に実施を指示することになります。そして、1~2ヶ月を要する評価の結果については、電力事業者からの報告を受けて、まず保安院が、次にここでも安全委員会が、その妥当性を確認するという手続きを踏みます。こうした複数の機関の専門家の判断を受けた上で、私を含む4閣僚で協議し、地元の意見も聞いて、最終判断を行うことになります。手間はかかりますが、これは必要な手続きです。国民の安全、安心のために。
(7月22日)

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ポスト現代時評

【緊急提灯広告】半年購読で防災セットをゲット! 吉瀬美智子サンと五木先生「親鸞」の東京新聞を読め!

  中日新聞を母体とする東京新聞。「反原発」の記事を掲載しました。反原発の態度の為、大手企業が広告から撤退しています。 収入が激減し「兵糧責め」状態です。権力や既得権益集団が得意のカネでヒトの魂を奪うエゲツ無い作戦で来ています。東京新聞を守ってください! 地方紙のようですが、系列の中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井を会わせると日本で4位の発行部数です。日経や産経を上回ります。新規契約の際には 朝日・読売・毎日 だけでなく東京新聞も選択肢に加えてください(安いのも魅力です)。圧力がかかっているので契約時にはおきまりの「お礼の品」はつかないことも多いようですが…

  東京新聞というメディアは知りませんでした。中日新聞系列で、60万部の関東圏ブロック紙。中日新聞系列はまとめると日経新聞なんかより部数が多く、全国4位とのこと。その東京新聞が、東電の不誠実を鋭く糾弾しています。企業としてのモラルもここまで堕ちると人命なぞ屁でもない、というのが東電ゾンビの実態なのでしょうか。ツイッターを追っていると東京新聞の強い姿勢に拒絶感を抱く保守的な感じ方の方の書き込みも見受けられます。しかし、こうした記事が書かれる事で東電が説明の土俵へ引きだされ、同時にあからさまな原発延命工作へのプレッシャーになるのは誰が見ても明らかです。

  中身のある東京新聞は120円でも読む価値アリ! いまの日本に貴重なメディアであるのは間違いない。朝刊は1部100円、朝刊のみは月2550円。いまなら1週間無料で試読できます!「吉瀬美智子、東京を試す。」いまなら半年契約で防災グッズをプレゼント! 


   現在役職停止中・河野太郎議員のブログ

  今、東京新聞がおもしろい。特に特報面が凄い。僕のまわりで東京新聞に替えたという人が、国会議員を含めて結構いる。ブログに書いた道路保全技術センターの元理事長の退職金裁判も、被告も原告も判決の申し渡しにはいなかったけれど、東京新聞の特報部の記者はいた。一時センターのひどさが話題になって、ずいぶんとマスコミが取材してくれたけれど、さすがにこの時期に退職金支払いの裁判を取材しているところは滅多にいない。

  政治部の記者が、夜、議員会館で帰ってくる政治家をわっと取り囲み、話を聞いて、その後、各社の番記者がメモを読み合わせているのを見ると違和感を感じる。それならば、通信社が一人いれば済む話だ。昔、オヤジが新自由クラブの代表だったころ、議員宿舎に泊まりに行ったら、オヤジ番の記者さん達があがって話をしていたので、先に風呂入りますと風呂に入ろうとしたら、お湯を抜いて風呂桶の中に記者が一人隠れていて、びっくりしたことがある。他の記者がいたら話を聞けないので、隠れてみんなが帰るのを待っているんだ、と。

  政治部の意味のない夜回りをやめさせて、東京新聞のようにそれぞれのメディアが特報面を作れば、報道のレベルも上がっていくだろう。まずはがんばっている東京新聞の部数が増えるように、我が議員会館事務所も東京新聞を取っている。
(7月21日)

  長谷川幸洋サンがこれ以上痩せ細ったらどうするんだ!w 広告が引いた東京新聞、不信任案賛成の小沢さんと同じ風景でしょうよ・・・それとも聖教新聞や創価雑誌の広告を大量にジャンジャカ載せて更なるドツボに嵌まりますか? それとも中日本社で潮と第三文明の印刷業務でも受注する? こうなっちゃうから創価=潮とのタイアップはダメだって言ってるの! 民意不在で嘘ばっかりの醜悪な偏向5大紙に購読中止・不買行為でノーを示し、美しい吉瀬さんの宣伝する東京新聞・中日新聞に切り替えましょうねw 勿論五木先生の「親鸞」もヨロシク。読売・朝日は広告を読むための新聞ですが(その内合併?)、東京新聞は記事を読むための新聞デスヨー!
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ポスト現代時評

原口一博×武田邦彦が激論、「原発に寄せる日本人の“論理”」(ビジネスメディア誠)

原口: 誰か分からない人が作業をしているということは、その中にテロリストがいるかもしれない、ということになります。爆弾を持ったテロリストが原発の中に紛れ込んでしまったら―それこそ終わってしまう。原発ではどのようなチェック体制になっているのか、調べてみました。すると、作業前のチェックは5分ほどで終わってしまう。これで十分と言えるかどうか、疑問です。

武田: 僕は旭化成工業のウラン濃縮研究所で働いていました。濃縮ウランの研究がうまくいき始めると、濃縮ウランがどんどん増えていきました。そして、ついに臨界を越えてしまった。僕は国の担当者に「臨界を越えてしまった。国家として、この状態をどのように対応するんですか?」と聞いてみた。すると「国家は介入しません」といった返答でした。

  それを聞いて、ものすごく驚きましたね。「あれ? 日本という国は、国内で臨界状態になっているところがあるのに『私企業の問題だから、知りません』という対応でいいの?」と感じました。さらに「日本には危機管理という概念がない」と思いましたね。確かに原発はテロから守らなければいけません。内部では核爆発に対する準備をしなければいけません。しかしこの2つの準備が不足していたのは間違いありません。なぜなら準備をしていれば、今回の事故のように電源が全部一緒であることはあり得ないですから。要するに日本は危機管理を考えない、また考えることが嫌だったのかもしれない。

原口: 背筋が寒くなる話ですね。今、福島第1原発では、警備会社がいない状態。自衛隊も警察官もいません。ちなみに僕の地元・佐賀県にも玄海原発があります。警備員の数は言いませんが、恐ろしく寒いくらいの人数しかいません。原発というのは「都合の悪いことは見なかったことにしよう」という体質があるんですよ。

  日本全体は「もうやめてくれ」「もうつらい話はいい」「目をつむって、耳をふさいでいたい」と思っている人が多いのではないでしょうか。しかしこれでは政治的なニヒリズムにつながっていきます。政治的なナショナリズムについてはジャーナリズムも備えがあります。ところが政治的ニヒリズムについては、ものすごく弱い。「誰が政治家をやっても、同じ」といった声をよく耳にしますよね。しかし民主主義というのは“学び”。自分たちが少しでもいい政治家を選ぼうとする努力を拒否すれば、自分たちの命に関わるということを忘れているのではないでしょうか。誰が政治家をやっても、同じ」と簡単に言う人がいますが、僕はそういう人たちを見るとこのように感じています。「そんな考えをしていれば、あなたたちはいつかファシストに飲み込まれますよ」と。

  原発事故について「もういいよ」と思っている人はたくさんいます。例えば50歳以上の人で「自分にはあまり関係ないから」などと言っている人が多いことも知っています。飯舘村から避難している、ある住民はこのように言っていました。「ホールボディカウンターが福島医科大学にあることが分かり、そこで検査を受けました。しかし数値を教えてくれないんですよ」と。

武田: 信じられないですね。

原口: その飯舘村の人は千葉県にある放射線医学総合研究所に行きました。そこでは結果だけを見せてくれたそうです。そもそもなぜホールボディカウンターの検査を受けて、その結果を教えてくれないのか。理解できません。情報は全て開示しなければいけないんです。

武田: 原子力安全委員会の会議で「原発はエネルギー的に必要だから、原発は安全である」といった議論がありました。「エネルギーは必要なんだから、事故が起こるようなことは言うな」「必要なんだから、あまりケチをつけないでくれよ」などと言われたりしました。また「生きている間は、大きな地震なんて来ないよ」といった雰囲気が漂っていましたね。

  ところがこれだけの事故が起きても、原子力安全委員会の体質は変わらないんですよ。柏崎原発、福島原発、女川原発、東通原発が同じ原因、つまり地震でやられてしまったのに。技術系の人間から見れば、同じような設計で4基がやられてしまえば、とりあえず停めて、対策を練らなければ再スタートできない、そう考えるのが普通でしょう。しかし技術者サイドから、そうした声が聞こえてきません。政府から「原発を動かしてくれ」というのであればまだ分かるが、今は逆の現象が起きています。

原口: 確かに。

武田: 「今の状態では原発は不安定なので、停めなければいけない」というと、このように言われます。「武田さん、それじゃあ電気はどうするんですか?」と、違う方向から矢が飛んでくるんですよ。仕方がないので、こう反論しています。「僕はそんなことは言っていませんよ。誰が電気のことを言いましたか? 『原発は不安定』とだけ言いましたよ。電気の問題は、原発が安全かどうかを切り離してから考えましょうよ」と。でも彼らは電気と原発の問題を一緒にして議論してくるんですよ。

原口: なるほど。

武田: そして、最後に僕はこういう質問をしています。「あなたは電気がほしいから、子どもが被曝してもいい、というお考えですか?」と。ここまで切り込んでいくと、相手も「いや、そういうわけではなくて・・・」と言葉につまってしまう。しかし今でも「電気は必要なので、原発は安全にしておこう」といった議論をする人が多いですね。彼らの言動は、僕にはこのように見えてしまうんですよ。「原発にはいろいろな問題があるが、見ないでおこう。とりあえず動かしてみるが、どうか壊れないでくれ」と。

原口: 希望的な観測を結論にしているわけですよね。考察の結果ではなくて、あくまで希望的観測に過ぎません。ファクトに基づいて物事を進めていく人たちが、本当の科学者なのですが・・・。

武田: その通りだと思います。
(7月6日)

  原発論議から論理性を抜いて情緒的主張のみになったら、それはヒステリーと揶揄されますよね。しかもこれが震災前からの常態だったとしたら・・・原発の見切り発車が科学的行為なのかどうか、非科学的でもやむをえないのか、それは結局国民生活にプラスなのか、日本には歴史的に地震が多いのか少ないのか、問われるところです。原発事故対応に見られる日本人の政治的危機、平時から論理性の欠如した御用科学者による経済的事情からの思考停止とその天文学的な負債・国難、といった問題点を明快に抉る深い対談です。原口さんも総理を狙い、日本の変革にさらに一役買ってくださいね。
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ポスト現代時評

余震と雑感~仏の世界「密と空」

  もう一度ラーメンの話をしましょう。あなたは行きつけのラーメン屋に入り、いつものラーメンを注文する。あなたがいつものラーメンだと思っているのは実は「記憶上のラーメン」であり、実際は「時々刻々と変遷する絶え間なく新しいラーメン」を食べているのだという話でしたね。

  さて、この考えを我々の「自我」にも拡張してみましょう。少し飛躍しますが我々が求める「安楽」とは実は経験認証を司るこの自我存在そのものに帰着するのであり、人間の理想、通常望まれる神仏とはこの自我と同一の投影物である場合が多いのです。この経験認証者である自我は当然固定的なものでなくてはなりません。そうでなくてはどうやってロゴスによって世界を認識把握できますか?

  ところが心はコロコロ変わり、身体は新陳代謝をしていますから自我というものはありません。でも現に自我はある、そう感じている、実際に私は経験認証者ではないか! そうなのです。だからその自我は無明・迷い(真理にとって誤り)と設定されるのです。経験認証者がロゴスによって世間を把握する―このプロセスは「記憶のラーメン」「イメージ上のラーメン」と同じですよね? 実際には時々刻々の「ラーメン」と名付けて呼ぶことさえ難しい現象でした。自我が経験認証した世界というのは記憶のラーメンで記憶のラーメンを見ているようなものだ、より正確には時々刻々と変わる形而上的ななにやらが、同様に時々刻々と変わるなにやらを、勝手にシンボルで決め付けているだけだ、という見方もできるでしょう。でも「無」「ゼロ」なんて一切否定もできませんよね。

  「色相是空・空即是色」という言葉がありますが、色とは認証対象のことでしょう。これが記憶のラーメン=時々刻々の(ラーメンを超えたサムシング)形而上的なものということではないでしょうか。従って無明たる経験認証者のフィルターからはロゴスに満ちた世界が確立されているのです。しかし空の世界を観ようと思ったら、自我を空にするしかありませんね。自我からロゴスがシャットダウンされた瞬間、世界も滅亡し、形而上的なものとなるのです。それを密教では密といいました。奉仕に生きる菩薩でさえも見聞できない、と。虚構世界に対する真理存在として「空っぽ」とは対極の「充・満」を連想させる「密」という言葉(不漏の意もある)を当てはめたのも、密教が「無・ゼロ」でなく大日如来や阿字などの宇宙的存在・形而上的存在を想定していることが伺えると思います。

  般若心経だと色空不二で平等のようですが、真言密教では空の方を本質存在とするようです。金剛界曼荼羅は法則、胎蔵海曼荼羅は人心を表すのでしょうか、どちらも凡夫や獣性ではなく仏法真理をその本質と位置づけているようです。苦集滅道、安楽が確定しないこの世間、そもそも経験認証者の主体感覚というものが誤認なんだ。その意識を削除・超越すれば空の世界・密の世界が拓ける―とまあこんな感じでしょうか。

  努力の問題も経験認証者を中心とし、そこを目指す無理・無駄・ムラを手段化するわけです。しかし実際にはその試行錯誤の過程で経験認証者自身が変質し、いわゆる「目が肥え」「コツが呑み込めて」来るのであり、最後には劣等感の集積に過ぎなかった過程への視点が転換されるわけです。実際には潜在意識に打ち込まれた記憶がタイムラグの末、また再建されるだけに過ぎません。それは自分が変わったのか周囲が変わったのか判りません。固定観念で一直線に努力することへの危険性がここにあります。病気になったら気張りまくって薬を通常の何倍も服用すれば早く治りますか? 努力の守備範囲はルールの確立された人為の分野に限定されるでしょう。何よりも成功にこだわるとその物理的な面に意識がむきがちですが、仏教ではロゴスの対象存在を信じるのではなく、自分と対象の形而上的(=宇宙的)存在のあり方に意識を置くという事だと思います。そういうところに「気」という概念もうまく作用するということでしょう。

  仏教や密教ではこの現世に意味を見出さず、さりとて強いて意味ある人生に漕ぎ出そうともせず、宇宙の一部である空の世界・密の世界にその意味付けを委ねて、それが不明ながらもその宇宙的価値・意味・貢献を確信する生き方になるようです。これは「ダメな自分が宇宙の一部としては救われている」という考え方に通じてくるのではないでしょうか。しかし経験認証者の世界が粗雑な幻想の産物であり、実際は宇宙の一部たる形而上的な存在であるというのは、何となく理に叶っているような気もするのですが・・・
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仏法探究!

消費税賛成で上乗せ免除?(J-CAST)

  大手新聞社の社説や記事では、消費税の増税が必要だとする論調が圧倒的に目立つ。一方で、大手新聞社など130社以上が加盟する日本新聞協会は、消費税について「軽減税率の適用」を国に求めている。「財務省主導の増税路線にマスコミも乗っかっています」「消費税が上がっても大手新聞社は困らないカラクリがあります」―みんなの党の山内康一・衆院議員はブログ(6月19日)でこう指摘している。

  経産省が税制改正要望を受け付けていた 山内議員がいう「カラクリ」とは、「大手新聞は『新聞購読料は消費税対象外』という主張をし、その主張に財務省はOKを出している様子」のことを指す。「財務省と大手マスコミはすでに蜜月状態にあります」とも書いている。確かに、大手新聞の論調は、消費税の増税に前のめりだ。たとえば菅政権が、消費税について「2010年代半ばまでに10%に」とした、税と社会保障の一体改革案を決定したことを報じた7月1日付各紙朝刊をみると、次のような文言が並んでいる。

  「(税率10%の表現を弱めようとする声を)はねつけた点は評価していいだろう」(読売新聞、社説)、「(引き上げ時期を曖昧にしたことなどについて)原案から大きく後退した」(日経新聞、社説)、「消費増税と社会保障改革は待ったなしだ」(朝日新聞、解説記事) 一方で、新聞協会は7月12日、経済産業省が募集していた12年度の税制改正要望に対して、要望書を提出した。協会担当者によると、要望書の中で消費税については、軽減税率の適用を求めた。消費税関連を含む国への同様の要請は「今年が初めてではなく、以前から行っている」そうだ。

  OECD加盟の「ほとんど」の国では、消費税に類する税制で、新聞には軽減税率が適用されるか、中にはゼロ税率の国もあるという。確かにドイツやフランスなどで軽減税率を新聞や食料品などに適用している。また、要望書の中で、軽減税率を求める理由としては、新聞は、民主主義の健全な発展や生活向上に寄与しており、民主主義の基盤を支えるリテラシーの向上に不可欠だと説明しているという。消費税率の10%への増税は国にとって必要だが、自分たちの業界には税率軽減を―こうした主張には、どの程度説得力があるのだろうか。

  みんなの党の衆院国対委員長、山内康一議員に話をきくと、「矛盾があるし、フェアじゃない気がします」と答えた。文化的な意義の話をするならば、情報発信メディアは新聞だけではない。さらに、増税で新聞が高くなると所得が低い人たちが困る、という主張ならば、低所得の人たちへ税の一部を還付するなど別の形を取れば良い。いずれにせよ、「新聞を特別扱いする必要はありません」

  元財務省官僚で、「これからの日本経済の大問題がすっきり解ける本」などの著書がある、高橋洋一・嘉悦大学教授にもきいてみた。高橋教授は、新聞の「消費増税必要」論調について、「財務省の主張に媚びることで、自分たちへの税率は甘くしてもらおうという期待が透けてみえる」と指摘した。新聞業界は「自分たちの利益に忠実」で、消費税だけでなく、再販制についても「手前ミソの議論」をしている。「おかしな話です」

  消費増税をめぐる新聞の社説などでの主張と、新聞への軽減税率適用の要望について、「矛盾だ」との指摘も出ていることについて、新聞協会にコメントを求めた。担当者だという男性は「コメントはない」「ノーコメント」「載っけてくれなくていい」と話した。「記事化する際、『ノーコメント』で良いか」と確認すると、「コメント載っけたいのはそっちの都合でしょう。載っけなくていいって言ってるでしょ」と先方が電話を切ってしまった。念のため電話をかけ直し、コメントを載せたいので、検討して欲しいと改めて伝えると、同じ男性が出てきて「載っけなくていい」と話し、また電話を切った。
(7月24日)

  ここでは本文から離れ、小沢裁判の背後関係を私なりに憶測します。小沢裁判には2つの大きな特徴があるのです。

   1.池田大作証人喚問の理由「政治と裏金」がそっくりそのまま小沢一郎氏の個人問題として転嫁されているということ。

   2.佐藤栄佐久氏へ贈賄した企業であるとされた西松建設・水谷建設から小沢事務所も現金授受に関係したとされていること。西松・水谷は原発施設受注に携っており、原発村の金力によるマスコミ操作・懐柔策は創価学会のそれと酷似していたということ。

  小沢さんは新進党で懲りたとは言いながらその実公明党の創価学会からの離脱を促すためなのか、創価学会にも一定の支持とパイプを保ち続け、鳩山政権時代にも幹部と麹町で会見していたわけです。そして創価学会=公明党は市川元書記長を復活させる一・一ラインの再構築まで準備していた。しかしその一方で小沢さんは高野山に出向き、松長管長と宗教法人課税について話をしていたわけです。松長管長はe‐TAXの広告塔も引き受けたと思います。

  これでは検察に存在する学会員検事を中心に小沢氏を陥れる一大陰謀を創価学会や自民党支持の新興宗教が仕組むのも半ば当然のような気もします。官僚・マスコミ・芸能界に創価学会員は一大勢力を形成していますから、「嘘も千遍言えば真実となる」を座右とする創価学会が個人の犯罪をでっち上げるくらい、造作もありません。現に小沢擁護論を展開した日刊ゲンダイ・週刊ポスト・週刊朝日なども最近具合がおかしくなりました。これらの雑誌メディアが創価シンパだから小沢氏を応援したのか、小沢氏を応援したから創価から洗脳電磁波を流されて支離滅裂になったのかは判りませんが、当の小沢さん自身でさえ、菅首相の不信任騒動の時には清和会と組むという、反小泉路線からは到底理解できない失態を演じてしまいました。

  これは菅さんもそうなのですが、創価は検察・マスコミを使って徹底的に小沢潰しを強める一方、民主党にも見捨てられた小沢さんには「唯一の味方」として救いの希望を見せるのです。これは個人会員を祟りと救済で囲い込む、アメとムチ=マッチ・ポンプの常套手段です。そこで小沢さんが「創価の救い」に藁をも掴む想いで飛びつけば、その瞬間小沢さんに有罪が決定されるというわけです。小沢事件で4億円の記載を指摘した郷原信郎氏は、小沢裁判がこの流れの中、創価学会の「潮」誌に登場しました。果してこれは検察による意図的な暴走なのか、それともさらにその背後に創価学会などの新興宗教がデマゴーグの増幅装置として大きな役割を担っていたのかは不明です。産経新聞の小沢さんの鉄格子はまるで心霊写真でした。

  当然今回の文章も根拠のない憶測なのですが、毎日新聞が凋落気味なので、事実上聖教新聞と併読されるのは朝日新聞が多いというデータがあるようです。そしてその朝日新聞は聖教新聞と読者層が重なるため、創価学会を無下には出来ないとも。つまり、朝日新聞は一方で菅首相を応援しながら他方で創価学会を無視できない。従ってニュース革命の各番組で事実上民主党政権の立役者となった朝日新聞の次の狙いは松下政経塾を中心とした菅抜き・小沢抜きの「民・公政権(民主党には小沢Gの代りに自民党一部を含む)」ではないかと訝ってしまいます。

  松下政経塾ならイケメン揃いでテレビ映りもいいし、政権運営も若年を理由にかたや朝日新聞・かたや創価学会から思うがままに恣意的な助言・指導をすることができる。現に朝日新聞は菅政権に対し「もっと小沢切りを断行せよ」と高飛車かつ露骨な指示を出しているのです。政治家は国民の代表です。読者からの反論投書が多数載り、売上が落ち込む一方の大新聞主幹が国民の声を黙殺し、世論調査を操作して恣意的な政策を推進する。これが異常でなくてなんでしょうか。小沢さんは創価学会と完全に決別することを強くお勧めします。その上で宗教法人課税を断行することです。それが官僚改革の大前提となると思います。

  これは三井環さんが朝日の記者の善意の助言に従って、鳥越さんに告発しようとしたら逮捕されてしまったということから勝手に連想したものです。三井さんの動きは読まれていたわけです。菅さんの相談相手の財務省職員というのも怪しいですね。またパソナの社長は熱心な創価学会員なので菅さんが天敵の筈なのですが・・・財務省からのブレーンによって支離滅裂にされ、裏で内通している公明党に不信任案を提出されて踊らされていたとしたら、こんな間抜けなことはありませんね。以上がすべて杞憂であるとよいのですが・・・

  長谷川幸洋さんはフロントラインに出演、佐高信先生は田原さんと対談しましたね。背後に潜む「身延霊能」の影? きっと暑さと疲労で私のアタマがさらにおバカになってしまったのでしょう。創価学会は勿論ですが、テレビ朝日や朝日新聞(日刊ゲンダイも築地)は次代に何を狙っているのか、何かを囲い込んでいるのか、要チェックです。まあ一社に多様な意見があるのは承知なのですが・・・

  (脱線)「真如苑」「阿含宗」「美輪明弘」の共通項は「身延山日蓮宗」だと思います。霊能でお伺いを立てるんですね。私個人は「霊能があるから判断を間違う」という立場です。子供が父母どちらかの影響を強く受けるというのはあると思うのですが、本来社会的後天的に女性は強く積極的になり、男性は角がとれて丸く繊細になっていくべきだとも思います。これが是であるからといって法華経効果で女がガサツになり、男がオカマ掘るようになってしまったらそれは違うと思うのですが・・・低級霊でやろうとするからどこかおかしくなるのでは?

  逆に狐が憑いて大声で怒鳴りつけるコワイ人もいます。荼吉尼天を法華経で祀るのは聖天でも稲荷でも同じでしょう、真言が共通の筈です。真天の真は魔の当て字。日蓮宗も鬼子母神、十羅刹女って夜叉でしょう。こういう鬼神も自分の霊的向上を願って縋って来るから、浮遊霊・先祖霊とひっくるめて「地霊」と呼ぶのです。で、日蓮系や新興宗教はこういう鬼神や霊たちに願望を叶えてもらうわけです。だからコストも代償もかかるし、結果も違和感あるものでさらに祈祷の継続が必要、となるのです。しかし低級霊の彼らが願望実現のために働いてくれるのは間違いありません。従って新興宗教が「もっとお布施を積みなさい」というのは低級霊たる本尊の性質からして嘘ではないのです。低級霊はおカネも欲しいんですね、だからこれも元人間なのです。「奇跡の海」っていう映画もあるでしょう。都会で新興宗教が流行るのは、地方でかつては豊かな家系出身の人間が、そういう先祖からの地霊パワーを無意識に求めて集うからではないかと考えています。

  (余談)BS-TBSのエルサレムの壁問題の再放送を見ました。阿含宗の活動も保守に賛同して問題の解決を祈念したように見えますが、これは大間違いで実際はそのままイスラエル礼賛だったのですw ダライ・ラマも昔書籍や武道館で交流を大宣伝したのに、いまや中国仏教界と親密で善光寺やオバマのような態度はこれっぽっちもないですからねw 千鳥ヶ淵法要も靖国べったり、自分に期待が強すぎると全然そうは考えていない相手に勝手に投影しちゃう、というお話でしたw 週刊現代もスッキリ重厚化、新鮮な誌面です! サンデー毎日はお笑いも入って多様性とバランス・・・全部誰かさんが悪いんですねw マスコミ現場はこんなに実力あるのにどうしていままで狂態を演じていたのでせうか? こういうところから日本の希望と復興は始まるとマジで思います。阿含宗に供養を出した森元首相の長男が若くして亡くなられましたね。菅首相はゲンダイ見出し上で何回「頓死」したか分かりませんが・・・
 
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ポスト現代時評

首相、政権運営に意欲(時事通信社)

  菅直人首相は23日、都内のホテルで開かれた山口県立宇部高校の同窓会に出席した。女子サッカーのワールドカップで日本チームが優勝したことに触れ、「『なでしこジャパン』に負けず、いくら得点されてもそれを逆転するため頑張り抜く」と述べ、政権運営への意気込みを強調した。(7月23日)

  自民・公明なんて得点攻撃はおろか復興への協調姿勢さえも中途半端ではありませんか。小沢裁判の流れが物語るように、マスコミ含めた既成勢力は手段を選ばず民主党トロイカ潰しに躍起になっているのです。この民主党を潰す存在が、果して日本国民に恩恵を与えるものなのかどうか、冷静な吟味が必要です。細川厚労相の言う通り、民主党政権が革新的であるのは間違いありません。改革はまだまだこれから、問題は優先順位の見直しとその手段・戦略の再構築でしょうか。菅首相も8月に向けて更に一層、突き進んでもらいたいと思います。

上杉: 政治でいえば最近、連日のように菅さんと海江田さんとの対立が報じられていて、メディアはこぞって「海江田さんは頑張っているのに可哀想だ」という論調を展開している。これも完全に<官=報複合体>によるイメージ戦略です。

古賀: 私は全く菅擁護派ではありませんが、菅さんが脱原発を仮に思いつきで言っているにしても、一国の首相がそれに賭けようと思っている時に、担当大臣が従わないで、かつ首相を批判するというのはちょっと異常な事態です。

上杉: それを記者クラブも後押しする。「海江田さんが素晴らしい政治家だ」なんてこれまで1回も書いたことがないのに「敵の敵は味方」だから突如持ち上げる。1年前は小沢一郎が敵だったから、菅直人を「素晴らしい政治家だ」って言っていた。今度は菅が自分たちの利権に歯向かって来たから菅を潰す。そのためなら誰でも神輿に乗せるわけです。

古賀: 菅さんの問題点は具体策を作る部隊がいないんです。経産省に作れといっても、経産省はやる気がないから毎回違うものを出してくる。一方で、官僚を信頼している海江田大臣は「それで行こう」と言ってどんどん進めていく。だから、玄海原発の再稼動のお膳立てが出来た時に、菅さんは「俺はそんなことはやりたくない」と言い、海江田さんの方は「梯子を外された」となる。

上杉: 要は海江田さんが官僚の言いなりになっているだけのこと。本当ならメディアが「内閣不一致」と海江田批判をすべきなのに、新聞もテレビも原発推進だから、首相である菅さんを批判する。官僚システムの補完機関になっていて、事実を伝えるのではなく、役所の言いなりの海江田さんを応援する。日経なんかは「無責任」「場当たり的」と社説で総理を徹底的に叩いていた。どこが中立公正なんだか。

古賀: これは普通の国じゃあり得ませんよ。
(週刊ポスト7月23日号より抜粋、改変あり)

  財界も首相辞任をカウントダウンしていますから、マスコミの原発擁護はなおさらですね。国の議会で相手方の意見を取り入れ譲歩するという形ではなく、小沢さんにしろ菅さんにしろ、選挙で勝利した改革の大義というものがあったわけです。しかしお2人とも機を観るに敏というか、マスコミを通じた世間受けがどういうものかよく理解していた。これは稚拙なパフォーマンスと言うよりも大勢の世論との政策実行を備えたコミュニケーションであり、これができるからこそ、小沢さん・菅さんは国民的人気があるのです。そこで危地奪回のウルトラCを考え重ね、結局民主党の政策の方向性がよく判らなくなってきたわけです。これはアメリカと創価学会からの圧力を抜いての話です。渡辺喜美党首の識見を参考にして官僚対策を練り直す必要があります。労組があるからダメ、とは短絡的だと思いますね。官僚改革が進めば労働者の利益になる、真摯な公務員が報われる、ということを民主党の支持層含めよく訴えるべきだと思います。マスコミの扇動によって「やっぱり官僚改革・公務員改革はやらない方がいいのかな~、悪いのは国民の代表である政治家の方なんだ!」という気分の蔓延を断ち切るべきだと思います。
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ポスト現代時評

蓮池透氏が語る原発(ビジネスメディア誠)

  私は1977年から2009年まで、東京電力で働いていた。その間、原子力発電所や核燃料リサイクル業務を担当。最初の赴任先は福島第1原発で、そこで3年半ほど計測制御装置の保守管理などを行っていた。例えば原子炉の水位や圧力、中性子などを計測していた。その後、本店に配属され、再び福島第1原発に戻った。2年半ほどいたが、そのときには発電所全体の安全統括を担当。定期検査の結果を旧通産省に報告したりしていた。

  もちろん原発の中で、いろんな労働者がいたことは知っている。下請けとして1次、2次、3次、4次・・・一体何次まであるのか分からないくらい、たくさんの人が原発で働き、彼らが被曝している事実を知っている。原発は定期的に検査を行うが、そのとき東芝や日立などと作業契約を結ぶ。しかし東芝や日立の人が契約書にサインするわけではなく、そこからいろんな会社に作業が流れていくのだ。

  東電の人間が原子炉内で作業することはなく、あくまで「管理員」という立場。どういう作業が行われているのかを、最終的にチェックしている。簡単に言えば自分たちがお願いした作業が、ちゃんとできているのかをチェックするのが主な仕事だ。作業員名簿にはいろんな人たちの名前が掲載されている。しかしそれはリストがあるだけで、その人がどういう人なのか、ハッキリ言って分からない。街中で電柱の作業をしている人を見かけることがあるが、そこでも東電の人間が直接手をくだすことはない。電柱工事についても「管理員」という立場で、作業がちゃんとできているのかをチェックしているだけだ。

  私は福島第1原発に、計7年ほどいた。そして、被曝もした。通算で90~100ミリシーベルトほど、あびている。もう私の命もあまり長くはないかもしれない。現場では放射線量をたくさんあびた人間は「女の子しか生まれない」という噂がある。私も子どもが3人いるが、全員女の子。もちろん噂話のレベルだが、このほかこんな実話がある。作業員は放射線の異常を知らせるアラームメーターが鳴ると仕事ができなくなる。なのでアラームメーターを外に置いて作業していた。昔は頻繁に、こうしたことが行われていた。

  新入社員で原発に配属されると、先輩から「鍛えてやる」と言われた。そしてアラームメーターなどを持って、放射線量の高い場所に連れていかれるのだ。私は福島第1原発1号機にある廃棄物処理建屋というところに連れていかれた。配管をまたいだとたんに、アラームメーターから「ビーッ」という音が鳴った。このように新入社員は“みそぎ”のようなものを受けさされるわけだが、今振り返ってみると「随分無駄な被曝をしたなあ」と感じている。

  私が入社したころはトラブルがあって、原発はほとんど動いていなかった。原子炉に直結している配管にヒビが入っていて、その配管を交換しなければいけなかったのだ。その作業を誰かがしなければいけないのだが、そのとき米国のGEは、たくさんの黒人を連れてきた。当時、黒人には放射線量をどのくらいまであびることができるのかといった制限がなかったので、彼らを連れて来たのだろう。

  福島第1原発で事故が起きたわけだが、いまでも周辺の放射線量は高い。私は主に3号機を担当していたが、今では見るも無残な姿。個人的には残念で、かつ心配な気持ちが強い。福島第1原発から海を見ると、波は穏やかなことが多いので、まさか、あれほど巨大な津波が襲ってくるなんて想像もできなかった。一つの原子炉で炉心損傷が起きる確率は年間で10のマイナス6~7乗、つまり100万年、1000万年に1回程度と説明されていた。今振り返ってみると「なんだ、この数字は?」と思うのだが、当時は「炉心損傷なんで起こり得ない」と思っていた。しかし今回の事故で、その“神話”は崩壊した。

  工学的に炉心損傷は起こりえないわけだが、さらに安全性を高めるために、東電はアクシデントマネジメントという方策をとった。10年ほど前のことだったと思う。このアクシデントマネジメントというのは原子炉を冷却する電気系統が使えなくなったときに、消防用の消火水を原子炉の中に注入したり、原子炉格納容器から蒸気を抜く「ベント」をしたりするもの。この対策をとることによって、原子炉での炉心損傷が起きる確率が10のマイナス6~7乗から、さらに20~30%安全性が高くなると言われていた。

  原子炉の安全設計というのは「多重防護」といって、何重もの対策をとっているのが特徴だ。徐々に事態が悪化していくというシナリオがあって、第1の壁が破られれば、第2の壁が守る。それが破られれば第3の壁があり、それが破られれば第4の壁があるといった感じ。原子炉は多重に防護していて、もちろん運転マニュアルもあった。何かトラブルが生じればこういう操作をする、悪化すればこういう操作をする、さらに悪化すればこういう操作をする―このような段階的なマニュアルがあったわけだが、今回の事故は何段階もあるバリアが全く機能しなかった。通常運転から最悪の状態に一気にジャンプアップしてしまったことが、大きな問題だ。

  炉心損傷は起こりえないはずだったが、より安心・安全のために行っていたアクシデントマネジメント。今回、事故が起きたとき、消防用の消火水を注入し、ベントをした。ところが、水がなくなった。マニュアルには「原子炉に海水を注入する」などと書かれておらず、海水を注入するということは、東電の財産を捨てることを意味する。「海水注入が55分間中断した、しない」という“すったもんだ”の話があったが、そもそも海水を注入するというマニュアルはなかったのだ。

  ベントをすれば、格納容器の圧力は下がり、爆発する可能性は低かった。ところが1・3・4号機では原子炉建屋が水素爆発した。原子炉建屋が水素爆発することを、東電は全く想定していなかったのではないだろうか。格納容器内の水素濃度が高くなったときには、それを下げる術はある。ところが原子炉建屋が水素爆発するというシナリオは誰も考えていなかったはずだ。東電は「なぜ建屋が水素爆発したのか?」という問いに答えていない。私は、このことがとても気になっている。また「格納容器をベントしなければいけなくなったときに、なぜ格納容器の中の圧力が上がったのか」―このことも全く説明していない。今後、このことは明らかになっていくだろうが、どうも情報の出し方がスムーズでなく、かつ一元化されていないことが問題だ。

  民主党の細野首相補佐官をメインにして、東電、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、文部科学省が一緒になって会見している。最長5時間の会見もあった。私は「情報の一元化をすべきだ」と訴えてきたが、あの会見は場所を一元化しただけで、情報は全く一元化されていない。

  東京電力福島第1原発で事故が起き、2ヶ月が経過して、ようやく「メルトダウン」という言葉が出てきた。もし事故が起きた3月11日に「メルトダウンした」と発表していたら、日本は大変なことになっていたはずだ。だから東電は「メルトダウン」という言葉を使わなかったのだろう。毎日のように原発事故のニュースを見ていて、「もういいや」「もう飽きた」という人もいるのではないだろうか。多くの人が原発事故のニュースに“鈍感”になってきたタイミングで、東電は「メルトダウンしていた」と説明したのだ。

  工学的にメルトダウンが起きる確率は10のマイナス6~7乗と言われてきたが、それが1度に3機も起きてしまった。これほど大規模な事故が起きてしまった以上、今後の原子力政策はきちんと見直さなければいけない。私が最も心配しているのは、菅首相がいつも思いつきでこの問題を語っているのではないかということ。例えば菅首相は浜岡原発の運転停止を命令したわけだが、それを聞いて「なんなんだ!?」と思った。「今後30年以内に巨大地震が発生する確率は87%。だから浜岡原発は危ない」という気持ちは分かるが、なぜ浜岡原発を停めて他の原発は停めないのだろうか。菅首相は「国民が騒いでいるから、浜岡原発を停めておけ」といった思いつきで、語っている気がしてならないのだ。

  今後、原発を増設することは難しいだろう。ただ一度に原発を停止してしまうと、日本のエネルギーの需給関係はめちゃくちゃになってしまう。また日本経済はどうしようもなくなってしまうだろう。ドイツのように、日本の原発もフェイドアウトするしかない。何年後かに原発依存度を低くしていかざるを得ないわけだが、フェイドアウトしていく分を他のエネルギーで賄わなければいけない。代わりのエネルギーは水力なのか、火力なのか。水力は開発しつくしているし、火力はCO2などの問題がある。菅首相は「1000万戸の屋根にソーラーパネルを設置する」と、また思いついたことを言っている。原発をフェイドアウトしていくのであれば、新エネルギーに対してもっと予算をつけなければいけない。もっと効率の良い太陽光パネルや風力発電所を作りながら、同時に原発を減らしていかなければいけない。

  私は福島第1原発事故が起きる前から「今後、日本の原発はどうなるんだろう?」と思っていた。今、青森県の六ヶ所村で再処理工場を動かそうとしている。その工場から出てくる「ガラス固化体」というゴミをどこに捨てるのか。このことは、まだ決まっていない。青森県六ヶ所村に原発のゴミを貯蔵することはできるが、あくまで一時的なもの。政府は「最終処分場を建設できる自治体は手を挙げてほしい」と公募していて、これに市町村が手を挙げれば、それだけで1億円くらいが入ってくる。ただ今回の事故が起きる前に、手を挙げたところはなかった。事故が起きた今、「ウチの町に最終処分場を作ってください」という市町村は出てこないだろう。原発のゴミを捨てる場所がなければ、下流からどんどんふんづまりになっていって、使った燃料を出せない状況になってしまう。

  使った燃料を出せなくなれば、新しい燃料を入れることができなくなる。ということは“発電ができない”事態になってしまう。私の自論は「原発を増やしていくのはいいが、そのためには最終処分場をきちんと作ってからやってくれ」だ。しかしこれはもう無理だ。地元の人に“原子力文化”のようなものを根付かせるには、少なくとも10年はかかる。「邪魔なモノだけど仕方がない。地元住民の雇用にもなる」「いろんな交付金も出る」といった理由を挙げ、地元の人に理解してもらうのには10年ほどかかる。なぜなら何もないところに、いきなり原発のゴミを持って来ることは不可能だからだ。この最終処理の問題を解決しない限り、原発に将来はない。

  原発内で作業員が被曝しているが、とても心配だ。今回の事故で、被曝線量限度の250ミリシーベルトを超えた作業員も出ている。内部被曝というのは、ものすごく恐ろしいもの。原発作業員は「タイベック」という白色のつなぎを着ていればアルファ線やベータ線を防ぐことはできるが、内部被ばくをしてしまうとアルファ線、ベータ線、ガンマ線すべてをあびることになってしまう。福島第1原発では現在、内部被曝のチェックをしていないだろう。なぜなら内部被曝を計測できるホールボディカウンターがある建物が、津波でやられていると思うから。

  もし津波でやられていなくても、ホールボディカウンターという機械はとても敏感で、周囲の放射線量の数値が高ければうまく動かない。今、原発周辺の放射線量はとても高いので、ホールボディカウンターは使えない状態になっているはずだ。東電は、ホールボディカウンターで計測した数値を公表しようとしていない。原発で働いている作業員は、できるだけ早くホールボディカウンターで内部被ばくをチェックすべきだ。東電に「内部被曝の数値を公表せよ」と言っても「これは個人情報にひっかかるので・・・」といった話になるかもしれない。しかし、この数値は公表すべきだ。

  政府は、年間許容被曝量を20ミリシーベルトに設定したが、これには「けしからん」と思った。何を根拠にかというと、文部科学省は国際放射線防護委員会(ICRP)の声明をもとにしたという。最近になって「目標を1ミリシーベルトにする」と発表したが、大人、女性、子ども、みんなが20ミリシーベルトというのは、やはりおかしい。国や自治体による放射線量の発表は、信頼できない。自分で線量計を購入し、子どもたちが遊んでいる公園などを計測する人が増えてきているようだ。福島市や飯舘村などに行った人に聞いたところ「国が発表している数値よりも、放射線量は3倍ほど高い」と言っていた。赤ちゃん、子どもが心配だ。政府はできるだけ早く、避難を含めて検討すべきだろう。
(6月8日)

  今度は武田先生バッシングをやらかした週刊新潮こそ“脱原発ヒステリー”ですよw 制服向上委員会も保守層も脱原発多数だってゆっちょるのに・・・週刊ポストは正気に返りましたが、今度は週刊新潮編集部が福島海岸で真夏の海水浴取材敢行、現地の肉と野菜連日食べ放題で風評被害打破に貢献、「ほらみろ武田教授! 編集部はこんなに元気元気!」の追跡健康調査を載せるしかないっての、ジャンジャン!
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ポスト現代時評

賃金格差と世代間格差?(ビジネスメディア誠)

  「今の若い人は、40代以上の世代に比べて心がキレイ。だから給与や賞与について不満をいわない。彼らは心が満たされた世代だから」とある教育分野のNPO(特定非営利活動法人)の理事長がこう言った。彼は、自らが運営するNPOで働く20代の職員らについて語り始めた。有名私立大学で教育学を研究する50代後半の教授であるだけに、理路整然と話す。本人いわく、NPOで若き職員らと“実験的な活動”をすることで研究成果を確かめようとしているのだという。

  私は、この言葉を聞いたときにその場をボイコットしようと思うくらいの嫌悪感を覚えた。このNPOの職員は現在15人ほど。平均年齢は28歳。その大半が大学を卒業し、夢を持って入ってくるものの30歳前後で辞めていく。毎月の給与は平均で20万円ほど。手取りは17万円台になる人もいる。当然、賞与はない。これは職員数人から聞いた話だが、業務の一環で教育委員会などに行くときでも、交通費は自腹を切ることがあるという。

  劣悪な労働条件の中で部下たちを働かせておきながら、理事長は「彼らは心がキレイ」「給与や賞与について不満をいわない」などと口にする。話し合いを終えたあと、その場に同席した編集者と話すと、驚くことを言い始めた。「NPOはボランティアだから、あのような労働条件でも仕方がない」。会社という“安全地帯”に身を置きつつ、辛辣な批評をする姿はいかにも会社員らしい。

  私はますます分からなくなった。そもそも、どの世代にも心のきれいな人はいる。その反対の人もいるだろう。さらに、お金に無頓着なことを「心がきれい」といえるのかどうか。このあたりにも疑問を感じた。そこで、NPOを始めとした社会起業に詳しい竹井善昭さんに取材を試みた。主に「労働条件を始めとした内情」「50~60代の世代と20代との意識の差」「NPOがうまくいかない理由」などについてうかがった。

  「NPOの労働条件は民間企業と比べると全般的によくない。理事長など組織を運営している50~60代が、“無償のボランティア”ととらえている傾向があるからだ。中には、市民運動の延長として位置付けている人もいる。ビジネスとは考えていないので、いつまでも経営が安定しない。結局、“30歳定年”と言われているように、20代の人は数年で次々と辞めていく」20代の職員の退職後についても、竹井さんは厳しい見方をする。

  「その後、民間企業で働こうとしても、初めのうちは戦力にならないだろう。なぜならNPOのときに、ビジネススキルを磨くようなことをしていないからだ。それはスキルやノウハウの力が“低い”のではなく、それらが“ない(ゼロ)”という状況に近いから。そもそも彼らに教える人がいないのだ。私が役所や企業の人と話すと『NPO職員とは商談がなかなかできない』といった声も聞く」

  このあたりの指摘は、私が見てきたいくつかのNPOの内情と同じである。2010年5月の時点で、全国のNPOの数が4万を超えたという報道があった。これだけの数がありながら、経営がうまくいっているといった声はあまり聞かない。その理由を特に世代間の意識という観点で、竹井さんに聞いてみた。

  「50~60代で経営に関わる人は、“恵まれない人を救いたい”といった思いを持っている。ところが、そこから先のビジネスプランニングができていない。一方で、20代の一部には社会起業に漠然と憧れを感じて入ってくる者もいるが、学生のときから取り組むなど熱心な人が多い。本を読んだりして知識を獲得し、ビジネスとして考えていく思考は身に付けている。本来、20代の人たちの考えが理にかなっていて、50~60代の人の考え方はいまの社会セクターの流れにまったく乗っていない」

  ここで私は思った。確かに世代間の意識の差はあるのだろう。だが取材をすると、若い層にも「心がきれい」とは言い難い人もいる。つまり20代~30代で会社やNPOを「いずれ経営したい」と言っている人の中には、冒頭で述べた大学教授をはるかに上回る高慢さを兼ね備えた人がいるのだ。1ヶ月ほど前に会った20代後半の男性を紹介したい。

  「自分は、30歳前には会社やNPOを起業したい。いまの20代や10代は心がキレイなので、賃金が低くても文句はいわない。50~60代などオールド世代はお金など低次元のものにしがみつくが、20代は自己実現の欲求など高次元のものを求める。だから若い人は地震があれば、そこに駆けつけボランティアに力を注ぐ。社会人になっても安い賃金で不満を言わずに働く。もし不満をいったら、辞めてもらう」

  この男性は28歳。会社員経験はわずか5年。こういう人がいることを知ると、20代を「心のキレイな人たち」とくくることに無理があるのかもしれない。実はこれに近いことを話す若い経営者やその予備軍(起業を考えている人)がここ数年、私が取材で知り合う人の中で増えている。例えば「中高年が若者を搾取している」と、20代にとって耳触りのいい言葉を持ち出しつつ、実はその世代を搾取しようとする輩である。50~60代の傲慢な経営者をしのぐしたたかさであり、ずる賢さを兼ね備えていると私には見える。その意味では将来、有望な経営者といえるのかもしれない。

 竹井さんは、今後もNPOなど社会起業に取り組む若者は増え続けると見ている。また、今の高校生は大学生以上に熱心だという。この純真無垢な人たちを食い物にしようとする、若者がいることに注意すべきだろう。竹井さんは最後にこう話してくれた。「心のキレイな人たちが持続可能な活動を行うためには、まっとうな報酬が必要。欧米のNPOでは当たり前の理屈だ。日本の社会もこのことを理解する必要がある」と。
(吉田典史、2010年11月12日)

  小泉さんは首相時代、「30万円あれば贅沢はできないけれど、そこそこの生活はできる」といいました。しかし実際の収入は冒頭のようなもの、大手有名企業でも現場は子会社の管理社員とアルバイトなど非正規雇用がこの賃金で、本社の社員とは勿論、さらに下のワーキング・プア階層との上下格差が存在するわけです。現場軽視の日本社会の本音が賃金に現れています。拝金も困りますが、最低の給与を自分で稼ぎ出す力も必要ではないでしょうか。そして社会構造上、それすら困難といえる人が続出した場合、政治は働けるので生活保護までいかない、しかし必要生活費にも届かない階層への手当てを考えるべきでしょう。しかしBI導入にしても、働けるのに雇用・労働のない階層がどっと増えたら(いま現にそうなのですが)、助けになるのかさらなる窮状を招くのか、私にはわかりません。代償なしでお金を手にするというのは、何か代償を払わされるような気がするんですよねー。とにかくこの項・論も後まわしですw
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ポスト現代時評

上野「空海と密教美術展」にはもう行くしかない

  後々行こうと考えていた上野の密教展であったが、夏休みは混雑が予想されるということと、台風接近ということで急遽初日に夜勤を終えたそのままの足で向かうことにした。バスの中で疲れ果て、このまま帰宅しようか・・・とも考えたが雨も降っておらず、とりあえず行くことに。

  上野広小路からは遠く感じたが、上野駅公園口からはすぐ。行きのみ100円循環バスめぐりんも出ています。信号を左折、輪王院を右手にさらに100メートルほど・・・ありました。東博こと東京国立博物館。広い、でっか~い! こんなところ、来た事もなかったですね。上野はアメ横・パンダ・西郷さんしか知りませんでしたw

  左手の自動販売機でチケットを購入。傘たてを利用して正面から入館、エスカレーターで2Fに上昇・・・まあそれなりの人手ですが・・・展覧会初日の午前中、それも台風接近中でこんなに鑑賞する人の列がゆっくりと進む状態ですから・・・勿論すし詰めではありませんが・・・今日来てよかったかも。

  レンタル音声解説機。500円払って借りたら、お姉さんが「使い方は分かりますか?」と尋ねる。仕事で疲れた私は「知りません!」とつっけんどんに答えたら、何故か説明係の一人が喜んで?機器の説明をした後、「では88番から始めて下さい!」と観覧を促した。探したが当然88番の説明なんてのはリストにもなかったのだが・・・「ああ、あれはお遍路に引っ掛けたお姉さんのギャグだったのだ!」と覚醒したのは帰りの上野駅改札口でしたw

  でこのリモコンのような機械はwまず女性アナウンサーが選出された展示品を丁寧簡潔に解説、そして何と、東映の映画「空海」で弘法大師を演じた北大路欣也さんが漢詩紀行の雰囲気で空海の著作文の一節をを読み上げ、そのこころを解説します。これを特定の表示ある展示品の前で数字→再生と繰り返しながら暗いミュージアム巡りをしていると、特に細かくキャプション(説明文)を読まなくとも、展示品の説明以外の空海の生涯・思想も、さながら「NHKスペシャル」のように浮び上がって来るようになっています。このレンタル音声解説機はオススメ!

  だいたい美術展などというものは2・3点の誰でも知ってる超有名な展示品を順路の4分の3位の地点にMAXとして持ってきて、それ以外はタイトルに関係のある無名のものか、強引にこじつけたほとんど見に来る価値のないもので構成されるというのが私の狭い了見での固定観念であったが、この密教展は違う。キャッチコピーにあるとおり、展示品の殆ど全部近く(約99%!)が「国宝・重文」なのである。

  しかもその展示品が何故国宝や重文レベルなのか、素人でも判るような歴史的背景を持っている。勿論空海に影響を受けた後世の創作物もあるにはあるが、中国で空海が真言宗の伝授を得た、その真言密教の正統伝承者に代々譲られる仏尊の厨子とか、時の中国皇帝から贈られた艶やかな念珠とか、遣唐使から帰朝して日本の天皇に献上した持ち帰り品のリストを最澄が模写したやつとか、勿論力強く達筆・端正な空海直筆のお経(阿含経もあるんですよ!)・文章、そして真言祖師や師僧を描いた作者と対象ともに貴重な絵画などが、しょっぱなからこれでもか!という具合にラインナップされている。無駄なものがないのである。生の空海・レアな中国密教の実相が眼前に迫って来る。よくぞまあこれだけ揃えられたものだと驚嘆する。まあ協力団体の総力結集、関係者尽力の精華であろう。仏意からの応援があったのかも。

  仏像でいえばまずシルクロードで東西文化混交の影響を残した国際色豊かな中国美術を、寄贈された空海が日本に持ち帰った。そして日本で真言宗を興す際、中国の仏尊を見本に、経典の儀軌に応じた端正な日本の仏像を製作した。後年空海以降、空海式の仏像にさらに情味を加えた和顔の日本式仏像が定着した、という歴史が読み取れるであろう。しかし煩悩を下す魔王を仏智(=光明)だから「明王」って・・・煩悩から見たら仏さまは時に「まさに悪魔!」のようにも見えるのでしょうねw

 中間地点の売店には仏像や曼荼羅、仏教グッズなど大賑わいでした。曼荼羅高いな・・・とおもっていたら仏像の安いのがあったので買っちゃいました。この仏尊こそが私にこの貴重な展示会を授けてくれたのだと感謝しましたw 若い人も阿字観の色紙を購入していました。ささっと廻っても約90分かかります。そんなに展示品は多くないんですけどね、やはり国宝・重文、そしてお大師さまの徳とパワーに圧倒されるからでしょうか。普通は2時間、混雑したらそれ以上の所要時間が必要でしょうね。少し展示品が交換される後半期にまた行ってみようかな。

  行って後悔なし、いい意味で予想を裏切る、空海と仏さまからパワーを戴ける貴重な展覧会でした。素人から玄人まで納得・満足できる内容・ボリューム、長すぎず短すぎずまた来たくなる構成、お寺の事務員のような監視員、そしてミュージアム存在の意義・真骨頂を見せ付ける誰もが判る圧倒的にレアな展示品! 無駄なく充実、大満足です! 門外不出のVIPな“生ける”仏尊も東寺や醍醐から大挙上野に出張! 生の空海に触れたような気がしてきます。仏教信者、特に真言宗信者に至ってはもう涙が出てきますよ!w 夏休みの大混雑の中でよよ、と泣き崩れていれば後ろから突き飛ばされ、罵声とともに踏み潰されそうですが・・・とにかく、これはもう行くしかない! 私もまた行きます! 南無大師遍照金剛
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仏法探究!

余震と雑感~弘法大師と真言宗

  20日の水曜日より上野で「空海と密教美術展」が始まるそうだが、夏休みにぴったりの好企画でまことに結構なことである。こうした人間的価値観が喪失されがちな現代にこそ、弘法大師の真言密教の宣揚は重要かつ貴重で、興味のある方は普段の宗教心や自身の宗旨を問わず、是非美術展を訪れていただきたい。名実伴に「日本の仏教」といえるのは神道や基督教の要素も含んだ真言密教だけ、という意見もある。私自身は在家以下の一介の真言宗信者であるが、関係諸氏からの叱咤失笑、越法?を覚悟でいつもの卑見を述べてみたい。

  つまり一般個人が空海や真言密教に触れたとき、あなたは三密加持をしてみたくなるでしょう、ということなのだ。だって即身成仏義にそう書いてあるからだ。ここが密教の実践の肝であることには素人にも疑いがない。「曰く三密とは、一には身密、二には語密、三には心密なり。法仏の三密は深甚微細にして等覚十地も見聞すること能わず、故に密という」手には印契を結び、口には真言を唱え、心には仏尊を召喚・観想して自己と一体化し、祈念後には償還する。しかしその境地は深くデリケートで高位の菩薩にも未知の領域である、ということなのだろうか。

  特に専門家のお坊さまから授からない限り、一般の信者の方には「二密」をお勧めする。つまり「観想はしない」ということだ。真如苑・阿含宗、ちょっと違うが生長の家などでは勤行の威力もさることながら弊害も多い。つまり専門家のお坊さんは禁欲や戒律、瞑想や滝行などで潜在意識を浄化して、それから拝む。そうでない人は仏尊をイメージしても周囲に自身の煩悩がまとわり付き、それが念力=欲望の強化によって低級霊や祟り霊、過去のトラウマを引き寄せてしまう場合があるのだ。怒られてしまうが同様に、神想観で「身体はない、心もない」と深く念じて瞑想するのも私は勧めない。実際にそうなってしまう怖れがあるからだ。

  専門家僧侶ならともかく、一般信者が仏尊を拝んで功徳を引き出すのは難しく、願望の不成就どころか状況悪化・発狂・霊障のリスクをも併せ持つ。やはりお願い事がある時には所定の料金を支払って真言宗の寺院に護摩を依頼した方がよい。しかしいざその護摩札を自宅に持ち帰ったならば、その護摩札を日々拝むべきなのである。

  弘法大師が編成した空海生前の真言密教と、空海没後(入定後)の真言宗とは決定的に違う点がある。これは不勉強な素人の勝手な持論なので割り引いて聞いてもらいたい。すなわち、入定後の弘法大師=没後の空海は、単なる真言密教の高僧や祖師、つまり拝む側のエキスパートとしてではなく、拝まれる側の仏尊、すなわち「密教の本尊」に変化した、ということである(あ~あ、これは本当はヒミツにしておきたかった、私のロイ(=口伝)だったのに・・・エッ、そんな事皆とっくに知ってるって!w)。

  寡聞なので他の真言宗寺院には悪いが、何故高野山奥の院と川崎大師が祈祷の威力、その浄化度において別格なのかという疑問の答えがそれである。「本尊が弘法大師だから」。川崎大師は新義・智山派の大本山だが、創建時の1130年頃は覚鑁上人が高野山で座主としてバリバリ中興していた頃だ。その時期に関東に赴いた高野山の高僧・尊賢上人が川崎大師の建立に協力したそうなのだから、新義という割にはあの奥の院をそのまま関東に持ってきちゃったのかなーと妄想してしまう。一方高野山東京別院は1600年頃の開創という。

  高野山東京別院の護摩木の梵字は弘法大師を示す弥勒菩薩である。しかし川崎大師の梵字は不動明王なのだ。勿論不動護摩を焚いてはいるのであろうが、本尊は明らかに弘法大師である。また春秋の高野山結縁灌頂も葉っぱが100%必ず大日如来の上に落ちる。比叡山の結縁灌頂では「本格的に」落下した当の仏尊と結縁するのに、だ。これが何を意味するのか、何故“空海没後の真言宗”にこだわるのか、もうお解りであろう。

  まず我々のような仏法に不明で不浄な凡夫には、仏法の真義に精通した清浄な三密加持を修する事は難しいのである。それでも自分一人で拝む時の対策として、自分と観音さまやお不動さまの間にワンクッション、「人間大日如来」の弘法大師空海を置くのである。すなわち、通常の真言と伴に必ず「南無大師遍照金剛」を添えるか、または実際に仏尊・護摩木を拝んでいたとしても心の中では弘法大師をイメージする。心内では弘法大師に向かって観音真言、不動真言、13仏真言を唱えるのだ。

  これは素人の邪道かも知れないが、お大師さまは「生ける大日如来」なのできっと仏さまと一般信者との橋渡しをしてくれると信じている。弘法大師空海ならば仏尊よりも人間に近いし、比較的イメージもしやすいでしょう? 観想に伴うリスクをこれで回避し、勤行や護摩木に拝む時も安寧に集注できる。勿論専門家僧侶の指導・お授けがあった場合にはそちらを優先してもらうのは言うまでもない。ただ密教ブームに乗った“素人観想”は余りしない方がいいかも、というお話でしたw 私が乗っている地下鉄車内にサリンは撒かないで下さい!
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仏法探究!

餓鬼・亡者の軍勢は地獄へ堕ちよ

  おぞましきアストラルの住人とは、アストラル界に住む心霊たちのことを指します。彼等は様々なレベル、様々な種類が存在し、知的にまったく未発達な者から、高度な知識を有する者までいます。そういう意味では我々の人間界と同じようなものです。知的には劣るけど心の優しい者もいれば、才知に長けた狡猾な者もいます。能力的に未熟でも一生懸命に行を望む者もいれば、神霊かと思わせるほどの卓越した技術と能力で、人間をだます事しか考えていない者までいます。

  どのようなタイプにしても彼等の霊性は、エーテルからアストラルランクに留まります。彼等もまたアストラルの牢獄から抜け出られていないのです。己の持つ浅ましき欲望を抑えることのできない中途半端な霊たちです。そのために彼等が求道者の元に来ると、彼等の持つプラーナが求道者のプラーナに混ざり、彼等の霊性に引っ張られて穢されます。寄り来る彼等の中には、成長したいとかより高めたいと考える者もいますが、中には現状に甘んじて、それ以上良くしようなどとは考えない自分勝手で利己的で自己チューな心霊もいます。この辺も人間社会と似ています。彼等を大きく分類すると、次のようになります。

  自然霊・・・霊や動物,植物霊など未発達な霊です。特別な意思を持ってはおらず、知的レベルのかなり低い、ただ遊んでもらいたいだけの自由な存在が中心。中には心の優しい妖精のような霊も存在します。

  未成仏霊・・・現世への執着が強くて成仏できない者や、生前の悪事によって成仏できない者のこと。救われる事を求めていますが、中には成仏を望まない厄介な者たちもいます。

  行者さん・・・生前に信仰的な修行をしていた人で、信仰の重要性は知ってはいるものの、誤った意識で修行をしたためにエーテルランクまで落ちてしまった者たち。一般的に言う山岳修験の行者さんがエーテルだと言っているわけではなく、適当な呼び名がないものですから、これらの存在の事を「行者さん」と呼んでいます。

  霊神さん・・・やはり生前に修行をしていて、アストラルランクを超えられなかった者たちのこと。エーテルランクの行者さんが成長して霊神さんになる場合もあります。高度な心霊能力を持っている者もいます。

  眷属さん・・・神仏のお遣いです。神仏からのメッセージを伝えることが役目です。お知らせを運んできてくれるのはありがたいことですが、霊性の高くない神仏の眷属さんだと、アストラルランクであったりしますので、求道者の霊性は引っ張られます。

  自然霊や未成仏霊たちは、求道者のみならず一般に人にも近寄ってきます。その人が彼等のテリトリーに入ったときに、その人の持つ波長と彼等のそれとが重なると憑いて来ることがあります。行者さんから眷属さんは、治療家や霊能者の世話になったり、ヒーラー養成のセミナー(一切神仏を出していないところでも)を受けたりしたことにより、あるいは神社仏閣などの信仰的な地を訪れたことにより、それらの心霊と波長が合って何らかの縁ができると、彼等は求道者に憑いてきます。たまたますれ違った程度でもやって来ることもあります。

  心霊の影響を受けた状態では、いくら頑張っても霊性は高まりませんので、帰ってもらわねばなりません。何の目的も持たない(遊びたいだけ)無邪気な自然霊もいますが、必ず何かしらの狙いや欲求を彼等は持っています。彼等の一番の願いは霊性を高める事です。未成仏霊であれば成仏できるまで霊性を上げてもらいたいのです。行者さんや霊神さんも同様に高まりたいのです。アストラル界でしっかりとした指導者がいない場合は、修行をしている人間にすがってきて、一緒に修行をしてついでに自分もちゃっかり霊性を高めようとします。高まればそれだけ力が強くなりますし、高める事の重要性と必要性を良く解っているからです。その面から言えば、彼等の目的はまったく我々人間界と一緒なわけです。

  すがってくる者達はまだ素直なほうなので、彼等と求道者との縁を切る事はそれほど問題ではありません。すがるでなく人の身体を使って欲望を果たそうとしたり、自分の霊性の低さを自覚せずに、指導のつもりで来る奴らは厄介です。欲望を果たそうとするタイプを解説すると、彼等はいわゆる心霊能力を持っていますので、その能力を欲している人たちに近づき、その人のプラーナに同調して一体化(憑依)し、その人に心霊能力を持たせると同時に意識に影響を与えます。その影響が次第に強くなり、完全に彼等の言いなりになってしまうこともあります。そうしてエーテルな“悪い欲”を、人の身体を使って果たそうとします。

  指導のつもりで来るタイプは、求道者を指導することで、自分が頼りにされたり求められることに喜びを感じます。確かに求道者を導く事は悪い事ではなく、お互いにプラスになる行為ではありますが、高まったとしてもアストラルランク止まりなので、それ以上になるためには邪魔な存在になります。中にはエーテルな行者さんのくせに、すっかり先生気取りで『指導してやろうか』なんて来る奴もいます。己を理解していない奴は始末に負えません。

  メンタルランク以上の神霊が指導してくれるのなら話は別です。レベルの高い霊が来てくれた場合、その方がどのような存在なのかを求道者に伝え、御指導くださるようにお願いします。極稀に初めからそのような高い神霊が助けに来ているケースもありますが、大概は求道者の霊性がメンタルランクになってからです。霊性向上の足を引っ張る彼等と縁を切るには、彼等の目的を的確に掴まねばなりません。成仏を含め霊性を高めて欲しいのであれば、彼等が望むだけ引き上げてやります。そうすると納得して帰っていきます。指導のつもりで来ている者には、力のないことを諭して、自分で帰れる者はそのまま帰し、帰れない者は帰れるだけの力を与えて帰します。

  そのようにして縁を切るわけですが、なかなか縁の切れないケースがあります。具体的に何処の団体とは言えませんが、浄霊と称して手かざしで病気を治したりするところであったり、世紀末論が謳い文句のカルト的な修行をさせるところなどや、宗教とはまったく関係のないヒーリングを伝授するとある団体や、霊性の進化を説いている一部の非営利団体など、このような団体に一時世話になり“信仰”(例えそこが宗教ではなくとも)すると、その団体の信仰する神仏やその眷属さん、あるいは主宰者の背後霊の行者さんなどが指導に来ます。

  彼等を帰してもまた戻ってきてしまい、縁を切れません。当人が一度は心を許し“信仰”しているので、簡単にはそのつながりを断てないのです。きっちり返しても隙を見て何度も戻ってくることがあります。特に物事に対する依存性が強く自立心の乏しい人は、意識の中のそれら“信仰”を捨てきれずに未練が残って問題が長引きます。自己意識が強く協調性にかける人は、そのエゴイズムが彼等の波長と一致して関係を絶つことができません。

  そのような霊性の低い意識を持っている求道者に彼等は、『俺が守らんで誰が守る?!』とさえ言うこともあります。余計なお世話なのですがね。その他に求道者が彼等にとって魅力的であったりすると結構しつこいこともあります。それらの霊性の低さをはっきりと自覚し、しっかりと自立して決別する意識を持たねばなりません。潜在意識にも働きかけて一切を排除します。本人が意識を改め、依存心を捨て利他の精神が目覚めるまで少々時間を要す事もあります。本人が心霊能力を求めている、または今ある能力を良しとして捨て切れずにいると、彼らとの縁は切れません。霊視,霊聴,霊嗅,予知,病気治療などの能力は、優れた働きをしてその恩恵もありますが、アストラルランクで行使する力は高が知れています。心霊的なものを感じるのには長けていますが、神霊的な情報は理解できません。

  その程度の力に魅力を感じていては先に進めないので、潔く捨ててしまいましょう。目指すのなら、いずれもっと違った形で現れる能力にしたほうが良いでしょう。また憑依とは違うのですが、彼等がたむろする霊性の低い場所や人と関わり、その汚れたプラーナによって自分のプラーナが穢され、一時的に霊性が下げられることがあります。その場合は引っ張られた求道者の霊性を、元に戻してやれば直ぐに解決します。何もしないと回復するまで時間を要し、その間心身の不調が続きます。

  少しずつ霊性の世界が見えて来ると、今まで少しの疑問も感じなかった一般常識に対し、意外に多くの偏見やエゴで成り立っている事に気が付きます。その事を理解してもらいたくて、家族や知人,周囲を説得したくなります。しかしどんなに説明しても理解は得られないし、受け入れてはもらえませんので、腹が立ったり対立したりします。いろいろ努力してもそれが無駄であると解り、あきらめとは違う、適当な距離を保って穏やかに付き合えるようになると初級のクリアーは間近です。ここまで来ると入り口がはっきり見えてきます。生きるための真の目的が解り始め、いたずらに霊能力を求めるおろかさを理解します。また病気や命を別の角度から見ることができるようになり、セラピストさんらは治療の方針に“変化”と“悩み”が現れます。次はメンタルランクに入り、ブッディランクーを目指す中級編に進みます。

  アストラル(幽界)の世界はアニメ的な願望も含め何でも叶うのでなかなか抜けられませんw 当然新興宗教を通しこの低級レベルに留まり偽りの霊能力でバカ丸出しの自己陶酔に浸るもの多数続出w 暴力団や愚連隊はこの霊能力を開発し、違法マルチや洗脳“和合”レイプで人生を謳歌するのはもはや常識w それでも人生の充実・人間性の満足はそこからは得られません。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「バイオハザード」の迫り来るゾンビの群れを連想させますねw
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仏法探究!

拝金・形骸重視の亡霊・怨霊の断末魔?(時事通信社)

  与謝野馨経済財政担当相は15日の閣議後会見で、東日本大震災の復興財源について「一番いけないのは、復興のために借金だけして税目(の議論)は12月の2012年度税制改正に先送りする考え方だ」と指摘した。その上で「一部の閣僚が冗談のように言ってるが、不見識だと断ぜざるを得ない」と述べ、増税議論の先送りを主張する片山善博総務相を事実上名指しで批判した。

  片山総務相は12日、「増税が決まらなければ11年度第3次補正予算を組まないなんて、ばかげた考え方はやめるべきだ。『税税、税税』と言っていてはぜんそくになるw」と語った。これに対し与謝野経財相は、片山総務相が議員ではないことを念頭に「税は国会議員が政治生命を懸けてつくるもので、そう簡単な話ではない」と指摘。「選挙に関係のない閣僚が税について発言するのは軽率で、国会議員一人一人の苦しみを分かっていない」と苦言を呈した。
(7月15日)

  行政刷新と原発にほんのちょっと、ごく当然の改善要求をしただけで、民主党内は紛糾、菅政権への指弾は激烈化・・・これぞまさに“愚者の集団ヒステリー”と断じられるべきでしょう。政治も原発も稼動させるのは所詮“人”。この人間に対する責務・負荷の調整を軽視してただただ拝金主義の効率優先では健全な経済活動も破綻してしまいます。マスコミの偏向錯乱記事からも、誰が国民の味方で誰が仇敵なのか、見えてくるような気がします。悪徳新興宗教が幾ら洗脳電磁波を送信しても「もうそれではやって行けない」と呪縛を踏み越えて新たな時代・段階に移行する日本人が、保守・革新を問わず多数派なのではないでしょうか。新興宗教の洗脳電磁波がそんなに素晴らしい物なら、現実社会はこの体たらくにはなりませんよね。所詮は宗教の形を借りた、低級霊による社会の撹乱狙いの呪詛・呪いだということです!
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ポスト現代時評

日本首相、「脱原発」へ歴史的転換を表明(時事通信社)

  菅直人首相は13日夕、首相官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策について「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と述べ、原子力を基幹に据えてきたこれまでの方針を「脱原発依存」に転換する考えを表明した。首相は「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べ、最終的には原発のない社会を目指す考えを示した。

  退陣を表明した首相による重要政策の転換に対しては、与野党から批判が出る可能性がある。これに関し、首相は東京電力福島第1原発事故に触れ、「事故を踏まえて原子力政策の見直しを提起するのは、この時代の首相としての責務だ」と強調した。首相は原子力をめぐる自らの考えについて、原発事故までは安全性を前提に活用する立場だったが、事故後は「これまでの安全確保の考えでは(事故を)律することができないと痛感した」と説明した。

  「原発のない社会」を実現する時期的な目途については「基本的なところから積み上げていく必要がある。具体的なものまで申し上げるのは早過ぎる」と明言しなかった。また、「私の段階だけで全てできるとは思っていない」と次期政権以降に引き継いでいく考えを示した。一方、当面の電力需給対策については、「国民生活や産業に必要な電力供給は政府の責務だ。国民、企業の理解と協力があれば夏のピーク時の節電や自家発電などで十分対応できる」と強調。「十分にこの夏、冬の電力供給は可能だ」との見通しを示した。 

  原発再稼働をめぐって唐突にストレステスト(耐性評価)を指示し、混乱を招いたことに関しては改めて陳謝。再稼働を認めるかどうかについては「大丈夫ということであれば、十分にあり得る」と述べた。エネルギー・原子力政策を争点とした「脱原発解散」については、「こういう問題で解散するとかしないとかは一切考えていない」と語った。
(7月13日)

  自民・公明政権ならば、情報の隠蔽・操作が一層強化され、スケープゴートを差し出して東電を含む「政・官・財・学・報」の“悪徳ペンタゴン”の利権が温存されたことは間違いありません。また震災による事故に伴い「本当は原発存続してもいいじゃん」と思ってはいても世間の雰囲気から口に出せない人がいるのも確実。そんな渦中のこの首相の英断は原発の推進構造それ自体を問題として扱ったものであり、日本国民はもとより、放射能汚染に怯える国際諸国にも一定の安堵をもたらす事が予想されます。市民政治としては至極当然でも、これまでの日本のムラ社会の慣例からしたら「歴史的転換」といえるでしょう。これは当然、新たな科学技術分野の発展を後押し・促進することは言うまでもありません。たとえ原発を推進・擁護したくとも、不倫の西山審議官・デタラメ斑目委員長・“雲隠”東電清水前シャッチョーら最強トリオの前には海江田さんでなくともケツをまくりたくなりますw サンデー毎日の記事にもありましたが、実は「脱原発」論は保守・革新を問わない現在の潮流なのです。脱原発論者の保守層も多数存在するということです。
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ポスト現代時評

フィフィさんが震災報道を採点!(SPA!)

  エジプト国籍を持ち、数年間の渡米経験もあるフィフィさんに外国人視点を交え、選考してもらった。

  「『婚約指輪もバカ売れしてるらしい』(『週刊ポスト』4/22号)は奥が深い。きっと女の持つ動物的本能が“子孫を残さなきゃ”と思わせるんだろうね。丸一日節電に挑戦してみたっていう『電気半分で暮らしてみた』(『AERA』4/11号)は、雑誌らしい面白い切り口。速報性ではネットに負けてしまうけど、雑誌にはこういう強みがあるんだって再確認させてくれた記事だよね。1か月間ぐらい挑戦してたらもっとよかった」同じくベストの「『絶望の現場』と『死地からの生還』」(『FRIDAY』4/1号)は写真に注目。「毛布や布団にくるまれた100体近い遺体が、体育館に並べられてる写真が掲載されていたの。日本はテレビでも雑誌でも直に遺体を写さないでしょ? でも海外のメディアの多くは真実の姿を伝えようとして、バンバン生々しい遺体を写すんですよ。それこそ死臭が伝わってくるような写真を」ただ日本人はそういった凄惨な遺体写真への免疫が少ない。「だから、この包まれた遺体は、今の日本人に被災地の現実を伝えるギリギリの写真じゃないかな」

   ◆ベスト記事
  「婚約指輪もバカ売れしてるらしい」(『週刊ポスト』4/22号)
  「『絶望の現場』と『死地からの生還』」(『FRIDAY』4/1号)
  「電気半分で暮らしてみた」(『AERA』4/11号)

  次にワースト記事。最初に選んだ「卑怯者宰相・菅直人よ、ならば全原発を止めてみせろ」(『週刊ポスト』5/27号)は、「菅さん批判はもううんざり。わざわざ雑誌がやる必要ない」とバッサリ。『週刊文春』5/5・12号の「『危機に強い総理』は誰だ!」も同じく不毛な記事だと嘆く。「誰が首相をやっていても一緒。これだけの大震災の対応を完璧にこなせる人なんていないんだから、こんな議論は無意味だよ」最後に挙げた「優しすぎる日本人へ」(『週刊現代』4/9号)は外国人記者視点の記事。政府を非難する声が少ない日本人の気質に疑問を呈する内容だが、フィフィさんは外国人記者のほうに憤る。「“なぜ日本人は怒らないの?”ってところで終わってしまってる。そこから日本人の気質を掘り下げて考察でもすれば感心できるけど、彼らはそれをしてないでしょ。日本に根づいてない外国人記者の見たまんまを書いただけの感想文みたいな記事には感心できません」

   ◆ワースト記事
  「卑怯者宰相・菅直人よ、ならば全原発を止めてみせろ」(『週刊ポスト』5/27号)
  「『危機に強い総理』は誰だ!」(『週刊文春』5/5・12号)
  「優しすぎる日本人へ」(『週刊現代』4/9号)
(7月8日)

  「安全デマと言われても書く!」と威勢よく吠えた割にはその後急に「本誌が指摘してきたとおり、政府・東電は事故の重大さを隠蔽していた・・・」なんていうふうにトーンダウン、「大脳と小脳の回路が開いた天才」「科学的上達法の精華」「武士道・丈夫」「凄味・憧憬・美意識・滋味」を重視すると「卑怯者よ、ならば・・・!」のような記事が生まれてしまうのでしょうか? やはり天才の妙地に対して無理解な凡人には潔く敵前逃亡する他、為す術はありません・・・震災直後の記事は犠牲者の鎮魂と国民の鎮静化に一役買ったとの評判が高いのですから、これでは「焦点が読者よりも書き手に向いていた」と言われても仕方がないでしょうね。その後で上杉隆さん(「安全デマ」の提唱者!)を出して来てもうグシャグシャ・・・脱原発への道筋を付ける菅直人宰相と、読者=被災者含む国民の生命・健康そっちのけで売上アップの一発勝負、見事に外して更に居直る週刊ポスト編集部、「卑怯者」は一体どちらの方ですか?
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ポスト現代時評

民主党劇場はこのままでフェード・アウト?(時事通信社)

  民主党の前原誠司前外相が、党代表経験者がそろって菅直人首相に早期退陣を迫ることを鳩山由紀夫前首相に打診したのに対し、鳩山氏が10日に電話で「首相を支えている人が言うべきだ」と断ったことが分かった。与党関係者が11日、明らかにした。これに関し、同党幹部は11日、首相が退陣の条件としている特例公債法案と2011年度第2次補正予算案、再生可能エネルギー促進法案の三つについて「8月の第1週までに成立させたい」と語った。成立後速やかに次期代表選を実施したいとの考えも示した。ただ、同幹部は「希望的観測だ」と述べ、それまでにすべて成立させるのは困難との認識も示した。(7月12日)

   これぞ本来の鳩山さん、前首相らしい指摘・判断ですね。

   国民新党の下地幹郎幹事長は12日の記者会見で、民主党の前原誠司前外相、自民党の中谷元・元防衛庁長官らが沖縄県を訪問し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設実現を求めたことについて「民主党も自民党も(県外移設を主張する)自分のところの県連を口説いてから動きなさいと(言いたい)。やっていることが子供じみている」と批判した。下地氏は「米国の機嫌を取りたいと思っているのかもしれないが、米国にも笑われているのではないか」と酷評した。(同)

  嘲笑されているというよりも相手にされていないというか・・・話は既にグアムからハワイへ・・・同盟関係なら米軍縮小にもっと具体的に協力したら? 外相失格者は黙っていた方がよさそう。沖縄問題は外務官僚、財源問題は財務官僚、小沢問題は検察官僚を政治主導することが先決。それぞれが日本の“時限爆弾”といえます。結局今回の統一見解は、政府が経産省を主導する・改めてチェックするということでしょう。他の課題も同様に進めたいものです・・・

  枝野幸男行政刷新担当相は12日、国から公益法人に付与した権限51件を見直したと発表した。行政の透明化や予算の効率化を目指す事業仕分けの一環。具体的には、警察庁の通達を改正し、運転免許証更新時の教材として全日本交通安全協会の冊子を優先的に取り扱うことをやめる。また、社会福祉振興・試験センターが実施する精神保健福祉士試験の受験手数料を1万1500円から9750円に引き下げる。国から公益法人の補助金や委託費など約3900項目の約8割についても、一般競争入札への変更や契約額削減などを実施した。(同)

  本来もっと抜本的・構造的な改革が望まれるのですが、諸事情から鑑みて、現実に一歩でも二歩でも鉄壁に孔を開けようと努める時期だと思います。やがて数々の孔が繋がり、岩盤が崩壊する日を信じて・・・

  北沢俊美防衛相は12日午前の記者会見で、民主党幹部が、菅直人首相の退陣条件である特例公債法案などを8月上旬に成立させ、速やかに次期代表選を実施したい考えを示したことについて「党幹部なら首相や官房長官と連携を密にすることが必要で、一方通行的に発言するのは理解できない。もう少し成熟した政治家としての重みを持って発言すべきだ」と批判した。(同)

  全くその通り。難航は承知の上の政策課題に未曾有の震災と原発事故、降っては湧くような官僚・マスコミ・自称識者の嫌がらせ・・・改革の旗手たる民主党の一員が他人事のような寝言をバカマスコミのおだてに乗って“高説”と陶酔している姿を有権者は決して忘れない。いま現在の与党代議士として、必要ななすべき仕事が汗をかいている現政権のアラ探し・批判をして次のポストを狙うことなのか? 菅総理は資質や力量はともかく、連日責務に懸命に打ち込む姿は一般国民に伝わっている。当然ですが本人の立候補と社会の支持がかみ合わなければ国会議員にはなれない。国民の代表には単に個人の能力の高さよりも、いかに民意を国政に反映させる熱意や手腕が問われる。官僚や御用学者の方が政治家よりもよっぽど能力は高いが、彼らが国民の役に立っているのか? 野次馬政治屋諸君は邪見で悪用するかも知れないが、「底なし釣瓶で水を汲む」という逸話を善意の方向で慎重に解釈・応用した方がいい。「いまは何にもしませんが、次の選挙にはきっときっとお役に立ちますゥ~」・・・そんな奴要らんわ、仕分け対象じゃ!w
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ポスト現代時評

いまは政局騒動よりも「被災者の生活が第一」(夕刊フジ)

  復興担当相に就任した民主党の平野達男氏(57)が、小沢一郎元代表(69)の制止を振り切って入閣していたことが分かった。平野氏は小沢氏の地元・岩手出身で、小沢グループにも所属している。子飼い議員の“造反”は、小沢氏の求心力低下を象徴する出来事といえそうだ。

  6日の東京新聞によると、平野氏は菅直人首相から復興相就任を要請された際、小沢氏に連絡。小沢氏側からは「受けるな」と指示されたが、結果的には受諾した。入閣が正式に決まった後、平野氏は小沢氏に連絡したが、返答がなかったという。5日の記者会見で平野氏は「(小沢氏に)相談はしていないが、報告はしないといけない」と語っていた。

  平野氏は東日本大震災で被災した岩手県出身で、東大農学部を卒業後、農水省入り。2001年、小沢氏が党首をしていた自由党から参院岩手選挙区に出馬して初当選し、現在2期目。「専門の農業のほか、経済にも明るい。地味だが論客」(民主党関係者)と言われる。党内では小沢グループに所属しているが、小沢系が反対している消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)を推進する立場で、小沢氏とは距離を置き始めていた。最近では「反小沢」の玄葉光一郎国家戦略担当相に近づいているという。

  会見では汗をふきながら「(被災者が)1日も早く復興の実感を得られるような状況を、力を合わせてつくりたい」と意気込みを語った平野氏。倒閣色を強める小沢グループを尻目に、停滞している復興の動きを進めることができるか。
(7月6日)

  被災地の方にはタブーな発言かも知れませんが、民主党政権を応援していても投票したくない議員っていますよね。渡部黄門・安住淳・・・と個人の発言の軽さによる反発は否定できないと思うのですが・・・ 小沢さんもいいですが、困難な役職を受諾した平野さんも天晴れです! 創価に洗脳されている人の事は知りません。私も含めて、希望と失望のアップダウンの前に現実的対応を放棄してしまうんですね。それではコトは前に進みません。公明党政権で失われた50年・・・100年・・・少しは学びましょうね。相手を考えれば戦略上、常識・良識にすがらないのもひとつの手。一直線に「まともに」やってもその態度を“食物にする”連中がいるってこと。「かたくなな正気」は単純にコントロールされやすいものなのです。海江田大臣もここは冷静に首相の唐突さをかわし、“愚かな居座り”を続けてみたら、さてどうなるでしょうか? 推進派と慎重派が議論することはいままでにありませんでした。全部右に倣えでズブズブが当然、その末の大事故です。経産相の面子は潰れませんよ。首相も稼動停止ではなく、検査の強化を提案しているだけです。電力供給重視の推進派と原発稼動時の安全性を重視する慎重派、双方の存在があるのです。国民投票の必要性を促す、いい機会かも知れません。

  枝野幸男官房長官は7日午前の記者会見で、九州電力が社員らに玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働を支持するメールを送るよう働き掛けていた問題について、「言語道断の行為だ。原発の安全性に対する国民の理解を真摯にお願いしていかなければならない状況で、大変遺憾だ」と批判した。
 
  枝野氏はその上で、経済産業省資源エネルギー庁が同社に厳重注意を行うとともに、徹底的な原因究明と再発防止を指示したことを明らかにした。玄海原発の再稼働への影響に関しては「一定の影響は避けられない。安全性に対する信頼を得られるような説明が、九州電力においてもさらに必要になっていく」と述べた。
(時事通信社、7月7日)

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ポスト現代時評

金子勝:自民・公明の原発行政のデタラメを暴け(日刊ゲンダイ)

  政治の局面展開は早い。これまで菅首相は経産官僚に頼りきってきた。ところがTPPで失敗し、原発で裏切られ、きびすを返すように経産省が進めてきた原発政策に手を突っ込みはじめた。まず菅首相は浜岡原発を停止しエネルギー計画の見直しを打ち出した。世論はそれを好意的に受け止めた。さらに菅首相は、福島原発事故の「事故調査委」の立ち上げを表明した。しかも「事故調査委」に独立性、公開性、包括性を持たせるという。

  独立性とは、委員には利害関係者を外し第三者にするので、審議も官庁が関与しにくくなるということだ。公開性とは国民にオープンにするということ。包括性とは事故原因だけでなく原子力政策などについても議題にするということだ。となれば、経産省の原子力安全・保安院の責任はもちろん、過去の原子力政策、さらに電力の発送電分離などの電力改革も対象にならざるを得ない。

  多くの国民は「東電はウソをついている」「事実を隠している」と疑っている。なにしろ、東電は2ヶ月間も地震当日のデータを出さず、地震当日に圧力容器が壊れ、1号機が早い段階でメルトダウンしていたことも隠してきた。むろん「事故調査委」の委員選びで脱原発派を排除して骨抜きにされる恐れはあるが、国民は原発事故がウヤムヤに決着することを許さないだろう。

  菅首相がどこまで気づいているか分からないが、もし「事故調査委」が「3原則」を貫いて本気で調査したら重要な局面展開をもたらす可能性を秘めている。これまでのデタラメな原発行政が次々に暴露されて困るのは、東電・経産省と一緒になって原発行政を進めてきた自民党と公明党だろう。実際、自民も公明も、福島原発事故について多くを語りたがらない。

  事故隠しを放置し、安易な安全基準で原発を建ててきた張本人だから何も言えないのだろう。自民、公明両党は菅政権の不信任決議案を提出するというが、その前に国民に謝罪し、菅政権を上回る電力改革案を出すことが不可欠だ。たしかに菅政権は頼りないが、このまま自公政権が復活したら、原発事故の原因は曖昧にされ、東電は完全救済、電力改革も潰されるだろう。
(5月25日)

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ポスト現代時評

天木直人:国民自身の手による「もうひとつの日本」を(日刊ゲンダイ)

  もう、この国の支配者たちは国民を救えない。国民一人一人が「もう一つの日本」をつくるしかないのだが、そのキーワードは「脱原発」「共生社会」「世界都市」である。原発事故の被害に遭った住民が真っ先に進めるべきは脱原発エネルギーの町づくりである。生活に必要な電力需要をコミュニティーで安く、安全に確保して住民に供給できる町にする。「脱原発エネルギーの町づくり」が成功すれば、その後の可能性は無限に広がる。

  「もう一つの日本」のコンセプトは、この国の支配体制が当然視してきた効率優先の競争社会、地位や名誉や待遇にこだわる生活、そういう既存の価値観に押しつぶされない人生もまた主権を持つ社会である。それは決して既存の価値観を否定するものではない。既存の生き方に価値を見いだし、競争社会に勝ち抜いていくことのできる者たちはそういう生き方をすればいい。しかし、それができない、したくない者たちの生き方もまた、等しく認められる社会をつくることである。

  その根底にあるのはベーシックインカム制度(無条件の所得保障制度)の思想である。支配者たちがつくった年金制度や社会保障制度は既に破綻している。その解決策を彼らは見つけられない。それにかわってベーシックインカム制度を導入してみるのだ。面倒な手続きや審査をなくし、すべての住民が当然の権利とし最低収入を手にすることができる。最低限の生活が保障されれば、さらなる収入を求めて仕事を探す余裕ができる。これである。

   「3本の矢」で日本刷新を現実に

  職については地方議会や地方公務員の職を住民の全員に開放するという考え方を導入する。つまりその地方政治の職を地方政治家や地方公務員に独占させるのではなく、ローテーションを組んで住民が分かち合い、その収入も分かち合うという考えである。これこそが地方議会改革、地方公務員制度改革の究極の姿である。食の基盤である農業と漁業をコミュニティー全体で立て直し住民がその職を分かち合う。非常時だから国民は国産の食糧を優先して買うようにする、すなわち「バイ・ジャパニーズ」である。これは自由貿易の例外として国際的にも認められる。内需拡大につながる。
 
  今度の大震災は世界中の注目と同情を集めた。特に原発事故については、脱原発を目指す機運が世界的に高まった。脱原発を唱える世界の影響力のある人たちに向かって、日本の被災地から脱原発の町づくりをしますと宣言し、それに協力して欲しいと呼びかけるのだ。そうして世界の一流企業の誘致を行う。利害を超えて協力する優良企業は必ず現れる。それを誘致することは雇用創出になり、なによりもその地域を世界的に魅力的なものとする。

  住民(1本目の矢)が立ち上がり、その声を政府に届ける首長(2本目の矢)を見つけるのだ。原発に反対して国家権力から排除された佐藤栄佐久前福島県知事がいる。米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた南相馬市の桜井勝延市長がいる。小沢一郎が本物の革命者なら、いまこそ国会議員を捨てて岩手の一首長(一兵卒)として中央政府に立ち向かう時だ。これ以上のドラマはない。

  有力な著名人や経済人の応援団が3本目の矢である。脱原発に目覚めたソフトバンクの孫正義社長、民主党政権に失望した稲盛和夫京セラ創業者、「原発に頼らない安心できる社会へ」という考えを実践した吉原毅城南信用金庫理事長などが「もう一つの日本」つくりに合流すれば鬼に金棒だ。大きなうねりとなって広がっていく。
(5月18日、抜粋)

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菅・小沢両氏に脅迫状(毎日新聞)

  東京都千代田区の衆議院議員会館の菅直人首相の事務所に、首相の辞任を求める脅迫文と刃物が入った封筒が郵送されていたことが分かった。事務所から1日に通報を受けた警視庁麹町署が、脅迫容疑などで捜査を始めた。麹町署などによると、郵便物は菅首相宛てで、消印から6月27日に大阪で投函されたとみられる。中身はナイフのような物(刃渡り約7センチ)と便箋1枚。「政権運営に失望した」「総理を辞任しろ」と記載。さらに自民党の幹部や民主党の小沢一郎元代表などを名指しして、「天誅を下す」とし、最後に「赤報隊一同」と記されていたという。同様の脅迫文は民主党の小沢元代表の議員会館事務所にも6月30日に届いた。(7月4日)

  「憚りながら」を持ち上げ、「お坊ちゃまよりヤクザがいい!」と論点をすり替え、民主党をこき下ろしていた週刊朝日にジャーナリストとしての資格はない。日本の皆さんはこういう人たちに政権を獲ってもらいたいですか?
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ポスト現代時評

小泉元首相講演「日本の歩むべき道」

   1.脱原発について

  東日本大震災。津波が押し寄せてくる様子、車や家が目の前で押し流されていくライブ映像が、世界中に配信された。福島第一原発事故の状況も毎日世界に向けて報道されている。今回の原発事故が世界に与える影響は「津波」のライブ映像と同様に、世界の人々の原発に対する認識を大きく変えるだろう。ドイツはいち早く原発の廃止を決定したが、日本においても新規の原発建設は、政治的に、住民の意識的に、非常に困難になったと思う。

  1970年代のオイルショックを経験して、日本は原油依存度(当時は70%)を下げる努力を継続してきた。あれから40年経過した今日、エネルギーにおける原油依存度は40%まで下がった。現在、原発に30%を依存しているが、今後はこれを下げる努力が始まる。原油依存度も増やさず、原子力依存度を下げるのだから、太陽や風力など自然エネルギーを効率的に利用する技術革新を長期間にわたって実施することになる。

  1970年代において、原油依存度を低下させるなど不可能と思われた。「日本は終わる」と多くの専門家・政治家が予想した。しかし日本人は必死で努力を続けた。そして今や日本の省エネ技術は世界でもトップクラスだ。原子力依存度を下げることは不可能と主張する人もいるが、それは1970年代に原油依存度を下げるなど不可能だと主張した人と同じだ。最近、石油が暴騰したが、パニックにならなかった。これは石油ショックからまなんだ3つのことを実践したからだ。

  ①備蓄 ②省エネ技術 ③代替エネルギーの開発

 日本はピンチをチャンスに変えるのが得意であり、これは今でも世界に誇っていい分野だ。これまで常識だと思っていることにこだわってはいけない。日本人は危機に際して大胆に変化を受け入れてきた。明治維新において武士は刀を捨て、着物を背広に変え、戦後は天皇制を変え、国難を乗り越えてきた。日本人は未来に生き残るために過去の常識を大胆に変える能力を持っている。

   2.「明治時代」から学ぶこと

  「明治時代」と言えば、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を連想する。歴史から見て明治は良かったとか明治は立派だったといわれる。小泉元首相は、明治時代に生きていた国民はつらい体験をしていたと言う。明治の時代に生活していた人はどれほど苦労していたかということを忘れてはいけない。戦争の連続であり、この時代に生きた人は本当に苦労が多かった。社会保障も年金制度も医療保険も介護保険も失業保険も何にもない時代で、日本は戦争に勝ったけれども、国民は大変な苦労をした。

 ①戊辰戦争(明治元年~2年):幕府を倒した時、江戸は無血開城ではあるが、明治維新を成し遂げるために、日本人同士が戦っている。

 ②西南戦争(明治10年):明治政府ができたら、二人の盟友、西郷隆盛と大久保利通が戦い、西郷隆盛は敗れ、大久保利通はその翌年に暗殺された。

 ③日清戦争(明治27年~28年)

 ④日露戦争(明治37年~38年):明治23年に議会制度が始まって間もなく、大国、中国とロシアと戦争を行う。

  そして、昭和時代。昭和恐慌から戦争にいたるまでの苦労。これは今の状況どころではない。多くの若人が亡くなっていった。日本周辺の諸国、中国も朝鮮もロシアもアメリカも戦争を経験しているにも関わらず戦後60年、日本は戦争に巻き込まれずに平和の下に、成長をなすことができた。これに感謝しなければいけない。これからも戦争の無い日本、戦争を起こさないような対応、これがあらゆる政策を発展させるための一番大事な政治の要点だ。

   3.自助の精神

  明治期の知識人の間でベストセラーになった本がある。この本を読んで明治の知識人は国を富ませるために頑張った。先ずは、イギリスのスマイルズの『自助論』。天は自ら助くる者を助く、セルフヘルプ。いかなる時代にあろうと、どのような状況にあろうと、自ら助ける精神を持った人たち、この自助の精神がもっと大事だということを訴えている。様々な具体論をあげて、自ら努力している人たちを応援している。自らを助ける精神と自らを律する精神。この二つほど大事なものは無いといっている。

  次に、福沢諭吉の『学問のすすめ』。かの有名な「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」のほかに、「一身の独立あって、一国の独立がある」と訴えている。個人個人一人の独立があってこそ、一国の独立がある。戦争が続いた厳しい明治時代に、個人の独立無くして一国の独立は無いといっている。

  時は過ぎ、ケネディ大統領がアメリカの大統領に就任した。アメリカ市民に向かって、「諸君は、国家が諸君に何をしてくれるかを問い給うな、諸君が国家のために何をなしうるか問い給え」と言っている。しかし、同じことを今の日本の首相が言ったら『そんなこと言える資格はない!』と言われそうだ。「国家のため」を会社や組織に置き換えると理解しやすい。会社のために働いている人、社員のために働いている社長は信頼される。同じく、アメリカのオバマ大統領の就任演説では、『今は責任の時代だ。自分への責任、国家への責任、国際社会への責任』が問われていると説いた。明治時代も、50年前も、今も、困難な時代ほど自ら助ける精神が必要だ。自ら助ける精神、自らを律する精神、自らやろうという気運がなければ日本の経済は発展しない。厳しい時代だからこそ、自助と自立の精神を忘れてはいけない。

   4.人生の本舞台は常に将来にあり

  1890年(明治23年)、最初の衆議院議員総選挙が実施された。尾崎行雄は、その年に33歳で立候補して当選した。以後、明治大正昭和戦後にかけて、大選挙区、中選挙区、小選挙区制を生き残って連続当選25回、議員勤続を60年続けた。尾崎行雄の揮毫が、今国会議事堂の隣の憲政記念館に石碑で刻まれている。

  「人生の本舞台は常に将来にあり」尾崎行雄

  「あとは野となれ山となれ」という気持は無く、もう明日死ぬかもしれない、死ぬと思っていながら常に将来のために備えなければいけない。そんな祈りにも似た強烈な思い、「老成に安ぜず将来に目を向けねばならぬ」という自戒を込めて警句を作った。厳しい時代であればあるほど、今だけがすべてではない、明日のために何ができるのかを考えて死んでいった。厳しい時代こそ、チャレンジ精神をもって、日本の元気を取り戻そう! 以上

   特別講演「日本の歩むべき道」 小泉純一郎 元内閣総理大臣

  脱原発を唱えた進次郎氏への援護射撃かも知れませんが、既に国民は自国民に背を向けた所詮売国目的の自民・公明政権、ワイドショー政局への信頼を喪失してしまいました。小泉さんは現役時代も社民党の政策をパクりまくり、庶民性を大いにアピールしておいて選挙で圧勝、売国と格差はびこる荒廃した日本を見事実現してしまいました。で、自分で日本を破壊しといて「立ち上がろう」とか言って講演料をせしめる商売上手です。マスコミが持て囃すわけですね。小泉さんの演説中に社民党関係者が切腹自殺を図った現場は衝撃的でした。日本人一同切腹志願?

  それでも一読する価値のある講演内容です。海老蔵観劇は成田山繋がりでしょう。とすると、ここに真如苑介入の余地があるのです。福田赳雄さんが応援してました、中曽根さんは後追。成田不動尊は将門の乱鎮圧のためにわざわざ関東に請来された仏尊です。

  私の家系は将門崇拝と熱心な成田講(首都圏から成田山まで徒歩で参拝したそうですよ!)信者双方の流れ、先祖供養を実際に放棄し、強権と拝金に偏向した浄土真宗の先祖と、保守的な真言宗観音信仰檀家の双方の流れを汲むので、実際には戦後双方の家系に創価学会の要素が侵入して、先祖の意向を踏まえた調整・供養がもう大変! どの家庭にもある事だとは思いますが、でも供養は少しずつ進んでいるようですね、何も見えませんけど。現実生活が概ねスムーズに正しい生き方で廻れば、不徳非才を日々痛感する私は何も文句は言いませんよ。自民党政権でも共産党政権でも狡猾に不労所得を得る人と、懸命に尽力して不満を鬱積させて行く2タイプの人が出るのは避けられないでしょうね。実はイデオロギーは関係ないのです。
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ドラゴン復興相の真意とは?(時事通信社)

  松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地の岩手、宮城両県を就任後初めて訪問し、両県知事と会談したが、配慮に欠けるとの指摘を受けかねない発言を相次いで行った。達増拓也岩手県知事に同相は、「(国は)知恵を出したところは助け、知恵を出さないところは助けない、そのくらいの気持ちを持って(ほしい)」と話し、復興に向け、被災地側が具体的な提案を行うよう注文した。このほか、「九州の人間だから東北の何市がどこの県か分からん」とも述べ、政府の事務方が「しょっちゅう(被災地に)入っているのに、何をおっしゃる」とフォローする場面も。

  その後の村井嘉浩宮城県知事との会談で同相は、宮城県が漁港の集約化を国に要望していることについて、「3分の1とか5分の1に集約すると言っているけど、県の中でコンセンサス得ろよ。そうしないとわれわれ何もしないぞ」と述べ、県内での合意形成を急ぐよう求めた。会談の場に知事が同相より遅れて入ったことについても、「お客さんが来る時は自分が入ってから呼べ」と話した。
(7月4日)

  この記事を一読すると、アレレ松本大臣ひどいな・・・と思ってしまいますが、彼は昨日今日で震災担当に着任したわけではなく、ことばの真意をよく読みとることが必要です。共産党が「地元住民の合意を無視した、上からの押し付けはするな」と復興に関しての提言を出しています。特に被害を受けた東北の各地は自然豊かな風土色に彩られた個性ある文化の地、そこへ国が自治体を飛び越えて、ああしましょうこうしましょう、できまりです、どうですか?などというやり方では地元民の住みたい故郷からかけ離れてしまいます。内舘さんも地霊(=当地の文化・風土)を大事にした、金太郎飴的でない復興を提言していたと思います。実家がゼネコンの人権派、松本大臣の一見突放したような態度は、この方針を知事に対して強く明確に打ち出したものと言えるでしょう。自民・公明・民主の不信任案騒動なんて、復興担当大臣から批判されて当たり前。大変でしょうが知事が地元の合意をまとめ、復興ビジョンを国に提示し、そこに国が協力していくのが望ましいあり方でしょう。民主党の政策の柱である地方分権・地域主権って、このように地元自治体、そして地元民の側が責任をもって変わらなければいけないものなんですね。ただ震災でナーバス気味な地元民の皆さんにあらぬ誤解・不信を招かぬよう、丁寧に説明するフォローも必要かも。
  
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首相補佐官・亀井静香の「大いなる野望」?

  国民新党の亀井静香代表(首相補佐官)は2日、宮城県石巻市で記者団に対し、菅直人首相が2011年度第2次補正予算案と特例公債法案、再生可能エネルギー促進法案の成立を退陣の条件としていることについて「3条件が早く成立するよう自民党も協力すべきだ。そうすれば『ああ、やることはやったな』という思いで(首相に)お遍路に旅立ってもらうことができる」と語った。また自身が主導した自民党の浜田和幸参院議員の総務政務官起用に、同党が反発していることについて「こんな未曽有の大災害に際して批判ばかりしていてはいけない。恥を知れと言いたい」と強調した。(時事通信社、7月2日)



  自民党参院議員だった浜田和幸(離党)の一本釣りで暗躍した国民新党の亀井静香。74歳の策士は、菅に要請された副総理ポストを蹴り、特別補佐官という格落ちポストを引き受けた。この男、いったい何を考えているのか。「オレが何人か連れてくるから、しっかりしろ」。亀井は15日、公邸でサシで会った菅にこう激励したという。大幅改造を進言する一方で、元自民参院のボス・村上正邦に協力を要請し、参院自民の引き抜きに動いた。最終的に菅が大幅改造を見送ったことで、提示ポストがなくなり、一本釣りは浜田1人に終わった。

  「大規模に改造していたら、自民からもっと来て、ねじれを解消できたのに」閣僚人事が決まった27日夜、周囲にぼやいた。ぼやきの裏にどんな思い、思惑があったのか。「亀井は今年初めから村上正邦や石原慎太郎らと連絡を取りながら、自公も加えた救国内閣を目指していた。あわよくば自分が総理に、という思いもあったのではないか。ところが、菅の“辞める詐欺”で、野党は猛反発し、構想は頓挫した。そこで今度は、大幅改造をにおわせて参院自民の切り崩しを画策し、ねじれ解消を狙った。自ら復興相に就任して超党派の実務をこなすことで、政界再編への足がかりを築こうとしたのではないか」(民主党関係者)新党が狙いだったとの見方も強い。

  「国民新党は郵政改革法案の成立こそがレゾンデートル。その時点で使命は終わりです。そこで政界再編の起爆剤となる亀井新党を画策していたのだろう。最終的には民主からも引き抜いてね」(政界関係者)危険なにおいを察知した菅が、大幅改造を見送ったことで、亀井の野望はついえたかに見える。しかし、そこは老獪な政治家、まだあきらめてはいない。政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏はこうみている。

  「亀井氏が副総理を引き受けていたら、単なる菅内閣の一員で終わってしまう。ところが政務全般が担当の特別補佐官なら、大臣のような権限はないが逆に仕事の枠もない。官邸内で自由に暴れまわることができるのです。消費税引き上げ、TPP反対の亀井氏が好き勝手に動いたらどうなるか。首相の命運と世論を左右することだって可能になる。悲願の政界再編に向けて次の一手を考えているはずですよ」特別補佐官を引き受けた亀井は「今後とも徹底的に支えていきたい」と記者団に語った。だからといって、おとなしく従うわけではないのである。
(日刊ゲンダイ、6月29日)

  自民党を出し抜いた浜田氏の“一本釣り”をルパン三世に洒落てか、「男の美学だ」と応じた亀井さん。この大作戦は急ごしらえではなく、年明けからの水面下の折衝あってのもの。慎太郎知事が「次は亀井」と指名し、サンデー毎日で「腹案がある」と述べた村上氏のコメントが繋がって来ます。結局引き抜きは1人でしたが、その後の参院自民内部の閉塞感、まとまりのなさは、統一地方選に謳っていた「復興・防災につよい街づくり」へのやる気のなさ、野党ずれした国家有事への緊迫感の欠如を被災者・国民の前に露呈してしまいました。亀井氏には首相の心強い相談役・ご意見番として、内閣のアクセント的役割を期待しています。イエスマンしか採用したがらないトップが多い中、すでに菅首相は虚飾を排した実務の方面に重点を置き始めたかのようです。
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長谷川幸洋:政府、官僚、メディアと国民(現代ビジネス)

  政府や政治に対する国民意識がこれまでになく先鋭になっている。4月1日付けコラムで、大震災と原発事故が政治や経済、メディアに対するパラダイムシフトをもたらす可能性について書いたが、コラムへの反響はまさしく、そうした意識変化を物語っているようだ。パラダイムシフトとはなにか。簡単にいえば、これまで政府は国民の命と暮らしを守り、豊かな生活を実現するために仕事をしていると思われてきた。ときどき批判にさらされていても、基本的に政府は国民のためにある。これまではそう思われてきた。

  ところが、実はそうではない。官僚が、自分たちの既得権益を守るためには、国民に犠牲を強いることさえある。そのことが今回の震災ではっきりした。一方、メディアは政府を批判しているように見えるが、実は細野発言のような官僚の本音は報じない。それどころか、官僚が「ここはオフレコで」と言うと、唯々諾々と従ってしまう。「なにを報じて、なにを書かないか」というメディアの生死にかかわる最重要の判断基準を官僚に委ねてしまっている。だから、官僚に本当に都合が悪い話はなかなか表に出てこない。

  「政府は国民を守り、メディアは真実を伝えている」と思われたパラダイムが大震災と原発事故をきっかけにガラガラと音を立てて崩壊している。多くの国民が「本当に起きていることはなんなのだ」と怒りをにじませて、声に出している。そうした認識の変化である。普通の人々が認識の大変化をもっとも先取りして、肌感覚で理解している。ところが、メディアはその変化を捉えきれず、相変わらず政府と東電の発表を追いかけるのに精一杯になっている。たとえば、メルトダウン(炉心溶融)と汚染水問題である。

  原発がメルトダウンしているのは、事故の非常に早い段階から多くの専門家が指摘していた。いまになって「専門家の間では常識だった」などと報じられているが、そうと知っていたら、なぜ書かなかったのか。汚染水も毎日、上から大量の水を注ぎ込んでいるのだから、汚染除去に成功して循環システムが構築できない限り、タンクに収容するといっても、いずれ満杯になるのは、だれにも分かる話だった。それなのに「タンクへの収容話」は連日報じられても「一杯になったらどうするのか」はほとんど報じられなかった。

  私は専門家ではないが、常識的に考えて抜本的な解決策が見つからない限り、いずれ高濃度の汚染水が再び、海に垂れ流されてしまうのは時間の問題だと思う。メディアは基本的に当局が言わない話は書かないのだ。なぜなら、当局が言わない話なら「当局によれば」と責任転嫁できず、メディア自身が責任を負わねばならなくなる。あるいは「風評被害を撒き散らすのか」と批判されかねないからだ。深刻な危機になればなるほど怖い話を書けなくなる、というジレンマに陥っている。

  これは、かつて「大本営発表」を垂れ流した事情と本質的に同じである。当局が好ましくない「戦争は負けている」という真実を書けば、メディアの責任が問われ、投獄されてしまう。いまは投獄されないかもしれないが「風評被害」と批判されるのだ。たとえば、メルトダウンは4月末にテレビ朝日系列の『朝まで生テレビ!』に出演した原発推進派と反対派の専門家が番組中で奇しくも一致して認めていた。推進派と反対派が一致して「もうメルトダウンしていると思う」と語ったところに「報じるべき、新しいニュース」があった。スタジオで同席していた私がその点を指摘すると、なにが起きたか。

  同じく出演していた大塚耕平厚生労働副大臣が私の発言に割って入り「ちょっと待ってください。これは全国の人が見ている。まだ分からないことを確定的に言うべきではない」と発言を制止したのだ。このシーンが事態を象徴している。大塚はそうやってメルトダウン話が一人歩きするのを封じた。私が「あなたは政府の人間だからね」と言ったら、大塚は「いや、そうじゃない」と返した。大塚は分かっている事態を正確に伝えるべきだと思ったのかもしれない。それはそれでよし、としよう。だが、メディアが政府と同じであってはいけない。

  立場の異なる最高の専門家がともに指摘するなら、それをそのまま伝えるべきなのだ。「朝ナマ」は討論形式ながら、それをやった。だが、ストレートニュースとしてメルトダウンの可能性を真正面から報じたメディアはあっただろうか。メルトダウンの可能性がもっと早い段階で報じられていれば、飯舘村をはじめ被災者たちの避難ももっと上手に進んだかもしれない。事実は後になってみなければ分からない。だが、結果的に「可能性という真実」を報じなかったことで、浴びなくてもよかった放射能を浴びた住民もいたはずだ。東電の賠償問題でも同じことが言える。

  経産省・資源エネルギー庁の本心は東電の温存だ。そのために税金投入も厭わない姿勢だったが、それは財務省に阻まれた。すると銀行の金融支援が鍵を握る。銀行の支援がなければ資金がショートして、不測の経営破綻が起きかねない。だから細野は枝野幸男官房長官が「銀行に債権放棄を」と発言すると「それでは、いったい何のために苦労して案をまとめたんだ」と反発したのである。経産省・エネ庁は東電温存のためなら将来の電気料金値上げで「国民に賠償負担のつけを回してもかまわない」と本心から思っている。そういう官僚の本心を報じないと、普通の人々は「国民負担を極小化する」という政府の公式発言にまどわされてしまう。

  メディアは政府ではないのだから、政府の大本営発表ばかりを大々的に報じるのではなく、細野のような官僚の本心が表れた発言こそ報じるべきなのだ。オフレコかどうかなんて、はっきり言えば、たいした問題ではない。メディアが自立しているかどうかの問題である。ネットでの議論を読むと、「オフレコ話を書いてしまうと、官僚から情報をとれなくなる」とか「信頼関係を損ねる」とか議論もあった。それに短く反論しておこう。

  表の政策情報は別に官僚から話を聞かなくても、いまは役所のホームページをみれば、いくらでも手に入る。それ以外の情報をオフレコで聞いたところで、報じなければ、なんの意味があるのか。かつて私は官僚にとって「特Aクラスのポチ記者」だった。だからこそ、たとえば財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の臨時委員にもなった。そういう私からみると「官僚に信頼されなければ情報がとれない」などとは、チャンチャラおかしくて話にならない。官僚が信頼するとは「自分のポチとして使える」というだけの話である。官僚が記者に書いてもらいたくて流す情報とは、ほとんどが「官僚の既得権益にプラスになる話」である。その本質が分からないなら、ジャーナリスト失格である。細野発言は珍しく本音がポロッと漏れ出た例外なのだ。だからこそ書く価値があった。それだけの話である。
(5月27日、抜粋)

  本文とは無関係ですが、2ちゃんねるでの愚連隊による殺人予告を正当化する動きがありますが、それは許されることではないでしょうね。同様の手口でこれで3回目、犯人の目星は付いています。いい加減にしてほしいのですが、全く同じパターンが延々と続くので無理なようです。まず女の「いつも応援しています」のなりすましコメント、直後に羅列口調で女を持ち上げる男のコメント、そして最後には殺人予告にまでエスカレートします。サーバーに連絡して使用不可にするのもいつものこと。ちょっと気持悪く、しつこいですね。支持する勢力は当然その共謀とみなします。
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消費税と小沢裁判の進展

  政府・与党は30日、社会保障と税の一体改革で関連会合を相次いで開き、最終案を決定した。焦点となっていた消費税率の引き上げ時期については「2010年代半ばまでに、段階的に10%」と幅を持たせることで決着。当初の政府案は「15年度までに」としていたが、民主党内から異論が相次いだため修正。同党の要求で、引き上げの条件として「経済状況の好転」も盛り込むことになり、党側に大きく譲歩した形での決着となった。

  菅直人首相は同日夕の「政府・与党社会保障改革検討本部」で、「歴史的な決定だ」と述べた。政府は今後、最終案をもとに野党との協議を呼び掛け、本年度内に法整備を進めたい考え。しかし、民主党や連立を組む国民新党の批判や反対で、政府の正式決定である閣議決定を先送りせざるを得ず、野党側も早期の退陣を表明しながら時期を明らかにしない菅首相に対して反発を強めており、議論は難航を極めそうだ。最終案は7月1日の閣議に報告される。
(中日新聞、6月30日)


  小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、政治資金規正法違反罪に問われた衆院議員石川知裕被告(38)ら元秘書3人の裁判で、東京地裁(登石郁朗裁判長)が採用を却下した供述調書には、「小沢元代表に収支報告書の虚偽記載を報告し、了承を受けた」とする石川被告らの調書も含まれていることが1日、関係者の話で分かった。小沢元代表については、検察審査会がこれらの調書の信用性を認定して、起訴すべきだと議決していた。小沢元代表の公判は別の裁判官が担当するが、影響を与える可能性がある。

  関係者によると、採用が却下されたのは、石川被告と元私設秘書池田光智被告(33)の供述調書計十数通で、検察側が証拠請求して採用が未定だった調書の約半数に当たる。いずれも検事による威圧的な取り調べや違法な誘導があったとして、供述が任意でなされたことに疑いがあると判断されたという。
(時事通信社、7月1日)

  いや~、それにしても暑いですね・・・週刊新潮の中吊り見ました? 口を真一文字に結んだ西山さんと遠くで口をぽか~んと開ける海江田大臣のツーショット・・・これには思わず笑ってしまいますね!w
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