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無告の民の夢「キリストはエボリで止りぬ」

2011.04.30(12:33)

  私はどの家でも他の肖像は全く見かけなかった。国王の肖像も、ムッソリーニ統領の肖像も、況やガリバルディや我が国の他の偉人たちの肖像も見かけたことはなかった。また当然あってもよさそうなものなのに、聖人たちの肖像すら見かけなかった。しかしローズベルトとヴィッジアーノの聖母だけはどの家にも必ずあった。その安っぽい複製画に収まっている両人を見比べていると、彼らはさながら世界を分割支配する権力の二つの顔であった。ただ役割は通常の場合とあべこべであった。ここでの聖母は凶暴で冷酷で闇に包まれたアルカイックな大地の女神、この世の農耕神的支配者。一方大統領は一種のゼウス、慈悲深く微笑んでいる神、あの世の主人なのであった。

  ルカーニアの農民の多くの者たちは、そのアメリカへ出かけて行ってその地で爪に火を灯すようにして僅かばかりの金を貯め込み、そしてある日、ほんの一時帰省のつもりで帰って来て、そのままになってしまった出戻り移民「アメリカーノ」なのであった。アメリカでも彼らはいわゆるアメリカの生活様式は参加せず、何年間もガリアーノにいた時のようにパンだけの生活を続けている。彼らは天国の間近にいながら、そこに入り込もうとはしないのだ。それからある日、ほんのすこしばかり休暇をとって親族やコンバーレたち、すなわち洗礼が同じ代父の兄弟的同志に挨拶しておこうと思い立ってイタリアに戻ってくる。ところが戻ってくると、少し土地でも買わないかと勧める者が出てくる。また幼馴染の娘に会って、結婚しようかという気になる。こうして半年が過ぎ、アメリカへの再入国許可の期限が切れて、故郷にそのまま留まらなくてはならなくなってしまう。

  出戻り移民たちの村々があるルカーニアはキリストも足を踏み入れた事のない土地、罪もなければ贖いもなく、農民たちが貧困と疎隔の裡にあって乾いた土地で死を絶えず目の前にしながらいつまでも静止したまま動く事のない文明を生きている土地であると描かれている。ところが、そのような土地で歴史への参入を拒否されて別世界に住むとされる農民たちは、何と近代文明の最先端に位置するアメリカ生活の経験者でもあったというのだ。しかも、当時移民問題とも密接に関わって誕生した「プロレタリア民族イタリア」のナショナリズムによってファシズムに流れ込んだ「第3のローマ」の理念に対して、ガリアーノの農民たちは背を向けたまま、何の関心も示さなかったというのである。
(カルロ・レーヴィ著、上村忠男による講読解説書、平凡社ライブラリーより抜粋、改変)

    4月の最後はちょっとイタリアしてみました。一曲聴いて一息入れましょう。 エイミー・マン「モメンタム」 よいGWを!
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人生を狂わせる背後霊(皆本幹雄)

2011.04.30(12:02)

  背後霊が動物霊となると分別もなくのしかかってくる。動物霊が大芝居を打つ時は、肉体人間には茶番劇・悲惨劇の種が尽きない。脚本も書けば演出もするし、監督も俳優も観客も兼ねる。肉体人間は耐えかねて気が狂ってしまうかも知れない。背後霊には支配霊(神)、指導霊(神)に分類できる。まず支配霊は、肉体を占領して霊自身が肉体を操り、自分の目的を達成しようとする。がむしゃらに肉体を酷使し、人体の蒙る災害・病気などを全く考慮しない面がある。一方指導霊とは、肉体人間が何かを願望した場合、その信心・祈願や欲望に加担する霊である。しかしその目標達成のためには、願望主の健康や心の安定は忘れてしまいがむしゃらなので、やはり肉体を酷使する。

  昔の話だが、まだ霊感が身に付いていない無信心な頃、強烈に思い悩んで拝み屋さんを訪ねた事がある。「あなたの背後に神さんが付いている、龍神さんだ。このお方を守護神さまと奉っていけば成功する」その時は有頂天になったが、後年その拝み屋さんは守護神も背後霊も憑依霊もいっしょくたにしている事に気が付いた。私に言ったのは背後霊の事だったのだ。ただの背後霊が神として奉られたら、思い上がって全く自分が神のつもりになり、霊幽界(アストラル)を無茶苦茶に引っ掻き回す。そして諸霊や人間たちに迷惑をかけた祟りは祈った側に廻って来るのがきまりである。
(「霊は生きている」成甲書房刊より抜粋、改変)

  成功哲学・念力、気の力・生命力などのダークサイド・落し穴ですね。特に勤務先で強い企業オーラを持っているところも多い筈ですから、常に一般常識と人間らしいココロを忘れずに、オーラに酔っ払うのはホドホドにしたいものですね。

  結局私が言いたいのは土曜版の25面と31面のオーラはよく似てますね、ということです。そう考えればポストの唐突な差別ヒステリーのピンボケも、有名な先生とオーラの泉との関係も辻褄が合います。日蓮宗はセックス異常を引き起こし、国魂を批判否定しながらそれに擦り寄る、違いますか? 岸本加代子さんは学会員ではないのですか? 星野監督もたけし監督もその高い才能と努力によって国民的人気を得て成功する過程で、暴力的・権威主義的なところがありました。創価会員でも創価嫌いでもない“創価シンパ”という立場は、見た目のよさとは裏腹に実はすごく危険なポジションだと私は見ています。霊的に何が起こるか判らないし、宗教や霊界に関心がないから手の施しようがないのです。脱線しましたが25面と31面広告の理論主張はまさにこのとおり。31面の雑誌だって有名人が多数出ているし、彼らがギャラに目がくらんで無茶苦茶なおべんちゃらばかりふかしてるなんて思いません、真摯な意見が数多くある筈ですよ。25面の先生の師匠だって非常に指導が判り易いし、精神論から脱却したその視点のメリットは多大なものです。

  ただド素人で幼稚なダメダメ君の目から見たら単純に、上記のページのオーラは汚く濁っているように見えた、ただそれだけの事です。毎日新聞の岸井氏が小沢氏に感じたと言われるどす黒いモノ、まさにそれです。当然権威は向こうにあるのですから私の主観は「狂気の妄想」という事になりますね。私は麻原のオーラが毒々しい、ただそれだけの理由でサリン報道はテレビ雑誌、一切見ませんでした。上祐が30人近くの元創価会員がサリン事件前に脱会した事を認めていますよね。教学への賛否両論ではなく単純にオーラが心地好いか、濁って気持ち悪いか、ただそれだけです。黒く濁ったオーラを感じたらそこから離れなさい、というのは気功や霊能の初歩の初歩、言わずもがなの一般常識ですよね。日蓮曼荼羅は怨霊を集めて願望を叶えて貰う仕組みです。従って後日、怨霊から借金の催促・請求書が来るのです。池田大作が闇金出身者だという事実は、霊的に偶然ではないでしょう。牧口常三郎は北一輝の同志だったわけです。こう妄想すると肚・丹田重視の国語教育は「新しい歴史教科書をつくる会」の流れに入って来るのではないですか?

  とにかくこの主観的独善的な直感からはこの先生や団体は確かにいい事を言ってはいるが、心理的・物理的に距離を置いて離れたほうがよい、ということです。まして若い女性や幼い児童がここから気や生命力の指導伝授を受けるなどとんでもありません。熱心な側近弟子の学生さんが休暇中に郷里に帰って、そのまま半年以上も原因不明の寝たきり状態に陥ったのではないですか? 静岡の湯治場のような効能を施すのが気功治療ですよね? 霊能・霊視ができる人は因縁(霊憑依)が逆に強い事が多いのです。多くはお金の心配ばかりしていたりします。でも人間的にはとても好ましい、情に厚い方が多いのですよ。私は中村天風のように正常なオーラを保てば必要なだけの収入は勝手に入って来る、むしろむやみな拝金主義によってオーラを損ない、凶事が起こる事の方が怖い、という考え方です。でも菜食重視の広岡さんよりは酒色に強い森さんの方が好きでしたね。当時の西武はいまの阪神打線のような隙のない強力ラインナップでした。

  強力な肉体トレーニングでこの濁ったオーラが出るものだとすれば、スポーツ選手やインストラクターの写真からは皆同様のオーラを感じる筈ですが、そうではない。それで世間から弱虫意気地なし甲斐性なしと罵倒されてもそれで構いません。「いま生きている事だけが真実」だからです。「自分を愛する」など、これらは一見哲学・宗教・ヒーリングからの癒し・慰めの教えのように見えますが、実は生死を懸けた実戦中国拳法によるサバイバルの心得です。リスク多大な無謀な挑戦よりも安寧な撤退の方が賢いという考え方です。ゴルゴ13のように、というと不謹慎にも笑ってしまいますが(何故か只野仁の濡れ場が被りますw)、クリシュナムルティの文章にも自己観察を真剣に行ないたいと思えば、魚を捕らえるアオサギのように何時間もじっと集注し、一意専心にして待機すべきで、それはとても困難な行為だ、というくだりがあります。

  まあこれも稚拙な私の卑見主観には違いありませんから参加される方を止める気は毛頭ありません、興味のある方は是非どうぞおやりなさいというのは当然です。主張に正しいところがあり、メリットが多々あるのは認めます。でもしつこいですがオウム真理教や阿含宗も示唆に富む視点の提示も沢山行なって来たし、善男善女の割合の方がむしろ多いのですよ。もうこの位で止めましょう。にわか雨が心配ですが初夏の兆しも予想されるGWは柳沢先生の理想?実像?の「大市民」のように生ビールを豪快にかっくらいたいものですね。

菜食主義とナショナリズム

2011.04.30(11:29)

スワミ: 私はバラモンでしたから、何が起こったか知っています。我々はカルマの観念を弄び、その報いが来たのです。我々はこう言って来ました、「それはあなたのカルマだから苦しまねばならないのだ。私のカルマはよく、それ故私はそのすべてから無縁なのであり、地主でいられるのだ」しかし、いまや形勢は逆転しました。

  ある菜食主義者、それも狂信的な菜食主義者の女性が私に尋ねました。「純粋な菜食主義がヨーガの修行には必要なのではありませんか?」私は言いました、「いや、それほどでも。何か他の事を話しましょう」すると彼女はあからさまに反感を示しこう言い返しました。「何故そう言えるんですか?菜食主義が二義的だなどとは言えない筈です」私は答えました「どうかお許し下さい、私は何かを言いましたが、しかしそれは問題ではないのです。ところであなたは戦争を、防衛力、祖国防衛等などを信じますか?」「ええ」と彼女は答えました、「さもなければどうやって生きていけるんですか? そうしなければなりません」「もし私があなたをカニバリスト(人食い人種)呼ばわりしたらそれにどう答えますか? 自分の生活のために小動物を殺す人がいますが、同様にあなたは自分の生活を維持するために進んで他人を殺そうとしているのです。まるで人食い人種のように」彼女は不愉快そうにしましたが、しかし後で要点をつかんだようです。

クリシュナムルティ: つまりあなたがナショナリズムの危険を見れば、その時あなたはそれを抜け出すということです。あなたが断片化の危険を見るとき、あなたはもはや断片には属さなくなります。私たちはその危険を観ていないのです。それがすべてです。

スワミ: いかにも妄想的なのです。人々は考えたがりません。ですから私の思うにクリシュナジー、あなたがもし真理を言えば人気が急落します。ある僧が見事にこう言いました、「人々は快い事を聞きたがるものだ、言って快く、聞いて快い事を」
(対談集「私は何も信じない」コスモス・ライブラリー刊より抜粋、文意を尊重し改変)

  通常はクリシュナムルティが相手の宗教家をやりこめるのですが、今回は相手の宗教学者、スワミ・ヴェンカテサーナンダ師がクリシュナムルティの主張を汲んだエピソードを披露しています。ここでも当然、菜食主義や防衛力などを即廃絶しろなどと言っているのではなく、それらが当然「絶対無くてはならないものなんだ、それらがなかったらダメになってしまうんだ」と思い込み、頑なに信じ込んでしまっている依存性、思考の固定化に警鐘を鳴らしているわけです。まず結論ありきで、それに反する意見は何が何でも絶対に認めない、という態度は攻撃的で偏向していますよね。だからスワミはベジタリアンに頑なに偏執する女性の思考パターンを見抜き、「おそらく貴女は防衛力を当然の如く信じ込んでいるでしょう、このカニバリストめ!」と気付かせたわけですね。

BRICsと対米核武装(世界日報)

2011.04.30(10:46)

  ブラジルのジョビン国防相は29日、同国海軍創設92周年式典で、9月7日(ブラジル独立記念日)に発表する新国防計画の中にブラジル初の原子力潜水艦を建造するプランがあると言明した。ブラジル国営通信などが報じた。新国防計画では、2020年までに原子力潜水艦を建造する予定。完成すれば南米では唯一の原潜となる。これ以外にもブラジルは新国防計画の中で総額35億ドル(約3850億円)をかけて軍備の近代化を図る予定だ。南米では、ベネズエラもロシアから新型戦闘機や通常型潜水艦を購入する予定で、同地域で軍拡が拡大するとの懸念もあがっている。現在、南米に核保有国はない。ブラジルは今年2月、フランスとの間に通常型潜水艦(スコーピオン型)建設などを含む相互技術協力協定を結んでおり、フランス側からは船体の建設や電子機器の技術供与が行われることになっている。ブラジルの原子力潜水艦はフランスのスコーピオン型を下地に建設されるものと見られており、同国は原子力潜水艦建設においても数少ない原潜保有国のフランスに技術協力を求めるものと思われる。ただし、フランス側が技術協力に応ずるかは不明。原子力潜水艦を保有しているのは、世界でも米国、ロシア、中国、フランス、英国の5カ国のみ。また、ブラジルは、通常型のディーゼル潜水艦に加えて空母(フランスから購入)も保有しており、南米最大の海軍力を持つ。(2008年8月31日)

  世界経済を牽引するBRICs諸国、言うまでもなくロシア・中国は共産主義から脱皮しようとする大国であり、インドは核保有に成功、アメリカも対パキスタンから友好連携を深めています。もうひとつのブラジルですが、核武装をめざしているようですね。まず原潜の建造を、という時に技術供与をしたのがまたまた出ました、サルコジのフランスです。もしブラジルが核武装に成功すればBRICs4国はすべて核保有国となります。日本も原発を推進して核武装に向かうという話もありましたが、その賛否はともかく、原発も満足に運営できないんじゃ核武装なんて全く無理ですね。他国がどうであれ、日本は非核主義で行くしかなさそうです。

水谷証言の信憑性(パックインジャーナル)

2011.04.28(04:34)

愛川欽也: あくまでも推測ですが、郷原さんは、この4億円の裏には、ゼネコンやなにやから引っ張ってきたレールのようなものをみつけたぞ、というようなものを、検察はもっていると思いますか。

郷原信郎: 私には思えませんね。私は、政治資金規正法違反、公共工事がらみの捜査を現場でしてきました。その経験からいいますと、水谷建設からの5000万円の裏金が、石川さんとか小沢さんに渡されて、それがこの4億円の原資だという話は、ちょっと考えられない。

愛川: 5000万でなくて4億円ですよね。

郷原: その一部です。少なくとも4億円のうち5000万が、水谷建設から来た裏金だということが問題にされていて、それ以外にもゼネコンからの闇献金がたくさん入っているんじゃないか、という想定のもとに、あえてこういった形式的な事実でやっているわけです。ただ、水谷建設側の供述なんですが、今服役中の社長が、刑務所の中で供述したことなんですよ。一般的にいって、そういう供述はあやしい。普通は刑務所の中で作業をやっていないといけない人なんだけど、検事さんが来て、一日取調室で話しを聞いてくれるというハッピーな時間ですからね。こういう時の供述は、大変気をつけないといけない。しかも、この水谷建設の社長というのは、例の福島県知事の佐藤栄佐久さんの供述者です。1年半も検察は水谷建設をとことん追いかけた。なんとか事件にしようと思ってもなかなかうまく行かなかった。それで、最後佐藤栄佐久さんの逮捕までいったんだけども、なかなか一筋縄ではいかない会社で、その社長の供述はなかなか信用できない、と一般的には言われている。
(2010年1月16日)

  立場の弱い者を力づくでガンガン追い詰めれば周囲の事を考えて自発的に卑劣な行為を買って出る…検察や創価の常套手段です。やはりこの小沢氏への贈賄疑惑は、原発利権に絡む汚職隠し、裏金隠蔽工作と何か繋がりがありそうです。菅さんだったら何もできませんが、小沢さんは政治・企業・役所の闇金ルートを余りにも知りすぎているのでしょう。総理になってそこを追及・暴露されたらフクシマ以上の大惨事!と拝金の悪魔にすっかり憑依された彼ら“旧勢力複合体(自民・創価・黄門・官僚・マスコミ・御用評論家)”は世界中に放射能が拡散しようと目先の裏金利権を死守するのに手段を選ばないのでしょう、完全に狂っていますね。宗男さん、ホリエモン、みんな既成の社会改革を訴え、庶民の支持を得て勢いづいていましたね。そこに自民党や小泉さんが近づいて来てオイシイ利権に一枚噛ませた後に検察によるクビチョンパ、よくある話です、改革抹殺の方程式ですね。

  (敬称略)パソナ 明電舎 中国電力 日刊現代 住友金属鉱山 日本エネルギー経済研究所 前田道路 東京放送 日本電気 集英社 外務省 国土交通省国土地理院 日本原子力研究開発機構…その他大勢の読者さま、いつもごらん頂きありがとうございます。当店は麻酔うすめ、もしくはナシがモットーですので、悪しからず…w この国の選挙前には必ずいつも洗脳による電磁波ヒステリー(言論封殺)が盛り上がりますが、もう慣れましたか? え、まだ抵抗力付かないの? もう北朝鮮と同盟するしかありませんね。

  ハリウッドは勧善懲悪映画でも敵役の元凶に悪魔の霊をモチーフにしている事が多いのに、それを大量に見ている日本人には所詮他人事でしかないんですね~。市議会・区議会は何となくポスターの好感度で投票しちゃう。私もそうですがwそれでは集団行動操作・支配の余地が生れてしまいますよね。理性よりも感情の方が深い意識ですから、集団を動かしやすいのです。これが生存本能に訴えかければもっと大きな集団を動かせますよね。競争社会のアメリカにも霊や心に対して意識が高い人々が存在するという事実です。狂気の高学歴層と冷静な庶民層、そして勿論成功と正気の間で迷える感情的な普通の人々、今後の日本権力をどう変質させるのでしょうか。個人一人一人にではなく「集団にかかる霊(思念体)」という考えも存在しますよね、会社・宗教・政党のように。「寄らば大樹の陰」一面の真理はありますが絶対ではありません。

余震と雑感~円満と拝金

2011.04.25(16:10)

  週刊ポストの車谷長吉先生のインタビューを読みました。心配になってネットで検索してみたら、朝日新聞やNHKの寄稿や取材にはしっかりと答えています。全集が公刊されて気が抜けた、ということもあるのでしょうが、氏の価値観は非常に常識的な一般のものであるため、これは取材する側の心的態度に由来すると思います。ちなみに私はこの連載を毎週興味深く愉しみにしています、念のため。
  
  「誰からも好かれる人間」「誰からも認められる人間」になれというのは前述した「金の稼げる社会的な人間になれ」という事でしょう。要は専門分野の技術と感情面に常識的な“円満な自分”のイメージを社会に売って、安定した収入を得る、という事でしょう。でも実際の自分は醜く、卑しく、薄汚れているのです。でもそれでいいのです、それがフツーなのです。神さま仏さまが現れて、「お前は汚い!こんなに卑しく堕落しているんだ、閻魔鏡でもっと自分の姿をよく見ろ」と説教を始めたとしても、「うるさい、俺が堕落しているからこそアンタ達の商売が成り立ち、出番があるんだろうが、共存共栄、持ちつ持たれつだ!」と言い返してやればいいのです。週刊ポストはPTAのように若手エリート記者や女性有識者が安直に、この仕事上で必要な“円満な人間性”と個人の生き方の一致を単純に信じ込んでいる節があるように感じます。だからわざわざたけしさんが当たり前の事を説かなければ収まらないわけでしょう。それは潔癖症や「人間は観音のようであらねばならない」といった「行き過ぎ」に繋がります。潔癖・観音、それ自体は価値のある、いいものなのですよ。ただ全体主義・ファシズムのようにそれ一辺倒に熱狂的に執着する傾向が問題なのです。日刊ゲンダイというのは「職務上の人格と個人の生き方は違って当たり前」という前提が明確にあるように思えます。車谷先生はその円満なる人間性というのが想像上の、存在しないものであると見抜いて、そのイメージを破壊してしまったのではないですか?

  エヴァンゲリオンの庵野監督も「絶望から本当の人生が始まる」とか言ってませんでしたっけ? 個人の生とは精神の彷徨を含めて、もっと自由で偏向しているのが普通でしょう。仕事上では皆から好かれたくても、個人としてはある特定の人物とだけ親密になりたいのが人間でしょう、勿論違法行為は困りますが。従ってそうした社会的円満さに何とかして反抗したい車谷氏は、普通なら愛想よくするのが当然な仕事上の対応も、特に必要を認めなければ、殊更に媚を売らず拒絶・黙殺という態度をとるのではないでしょうか。「ぼけたい」とは呆けてる人が言わないでしょう。奥様のことばは取材側への気遣い、単なるフォローです。手洗いから行儀悪く戻る姿は潔癖症や強迫症と正反対です。薬剤投与で強制的に精神を抑えた末の副作用ではないでしょうか。専門家ではないのでただの想像なのですが… 私には世間からの離脱を図りながら結局は商業的にも成功し、家庭も立派に維持してしまった車谷先生が全集発刊と長年の治療で強迫神経症も癒えて、また新たな精神の転換を模索しているように見えました。私小説をお金に替えて社会的に成功しまった先生の中で、円満に対抗する業苦としてのわたくし小説への信仰・期待も消失してしまったのではないでしょうか。先生は痴呆症に反社会的な業苦、パッケージ化された商業的成功とは対極の個人的生の顕現を期待しているのかも知れません。精神病に対する興味本位の取材では、足元を見透かされてしまいますね。稚拙・失礼な雑感で恐縮ですが、本質への深みを目指す週刊ポストには今後も期待しています。やっぱり切り口がいいですよね! でも通院して病気と闘っている作家先生を野次馬的上から目線で辛辣に描写する態度には大いに疑問符です。ポストも小沢擁護が急速に下火になって創価支持に転じましたか。

緊急提言:震災対応が示す政権交代の課題(日刊ゲンダイ)

2011.04.25(08:26)

   軍事ジャーナリスト・田岡俊次氏
  政権交代はあった方がいい。震災後もその考えは変わりません。「菅首相ではダメだ」といった声が聞かれますが、「自民党政権なら違った」とはとても思えないのです。いまの自民党は具体的な対案を掲げる事もなく、ひたすら菅首相のやり方にケチをつけているだけ。菅首相ではなくても、原発にかかりきりだった可能性は高い。よくやっている、とまではいいませんが、途中で政権を放り出した自民党の首相よりはマシでしょう。原発視察も行かなければ行かなかったで「現場も見に行かないくせに何だ」と指摘された筈。「東電に乗り込み、幹部を怒鳴りつけたのがけしからん」と非難されていますが、指示が伝わらなければ腹の立つ事だってある。菅首相が特別な欠陥を抱えているわけではありません。だいたい福島原発の基本設計の杜撰さの責任は旧政権=自民党にある。原発問題の元凶である当事者からとやかく言われる筋合いはありません。

  大震災と大津波によりフクシマで深刻な重大事故が発生した事は東電・官邸の共通認識だった筈です。だが専門家である東電は鎮災復旧の不可能性・困難さ、それに伴う被曝量と人的被害の度合いを充分に認識していた。だからこそ現地住民よりも一早く遠方に避難する気でいたのです。それを菅さんが官僚や大臣など間接的人材を介在させず、自ら直接東電に乗り込んで怒鳴りつけたのです。だから、のらりくらりが社風の世界に冠たる東電もしぶしぶと現場に赴かざるを得ず、試行錯誤の末に少しずつ鎮静化が進んだのです。この蛮勇行動に対しては左翼系野党議員だった菅さんの見識がなければなし得なかった事です。東電幹部と首相官邸が安全圏に避難して、そこから「仲良く」大枠の指示を発する事も可能だった筈です。しかしそういった現場無視の高所からの作業指示が杜撰な原発運営を招き、世界に放射能を撒き散らかす結果となったのです。早急な20キロ圏内退避勧告とこの直接東電乗り込みに関してはもっと評価されてよいと思いますね。しかしこれらの菅さんの数少ないお手柄の裏には、ご本人の政策豹変に対する悔恨、免罪への意識が少なからずあるのではないでしょうか。社民連時代から代表選まで言い続けたその理念を、強大な圧力に屈せず小出しにしても断行するべきだったのです。それを赤坂の美酒や官僚・マスコミの甘言に惑わされ、「改革を標榜する皮相的パフォーマンス」に転じたところに菅内閣の致命的欠陥があるのです。

   同志社大学教授・浜矩子氏
  「解答を求める事なかれ、乗り越えよ」これは17世紀のオランダの神学者・スピノザのことばです。大問題が発生した時に何故そうなったのかの答えを探るよりも現状の克服策を考えよというもので、いま流行のドラッカーなどは「まさに経営とはそうあるべきだ」と持ち上げる数多いスピノザ支持者の一人です。だがこの発想はおかしい。答えを見極められないものを乗り越えられるわけがないからです。大事な手順をすっ飛ばせばすべて行き当たりばったりになる。問題の本質を探り、教訓を得てから進もうとしない。私は“スピノザ症候群”と呼んでいますが、菅首相もこの病を患っています。目の前にやる事があればやる、という態度です。唐突な消費税増税やTPP参加もそうだったし、震災対応も思考停止状態。“多様な分散型経済社会に向かうべき”との解が得られる筈なのに、エコタウンとかいうだけ。原発は東北、米軍は沖縄、首都機能は東京にそれぞれ集中という形は極めていびつです。このままだと、21世紀にふさわしい新日本を設計する好機を逃してしまいます。

  仏教でも「毒矢の喩え」「底抜け釣瓶で水を汲む」などの説話がありますね。しかし、現状で求められているのは社会の抜本的改革であり、「下層労働者にも金銭を配分すれば消費が上向いて経済が循環する、労働品質が向上する」という世界的潮流です。しかし日本は高学歴者を中心に官僚・マスコミや銀行、新興宗教が特権階級を形成し、民意による選挙結果を覆してでも既得権益を堅固に維持するのだ、という方針です。しかも日本に没落してほしい外国勢力がそれらの特権階級を強力に洗脳、バックアップしています。普段は公務員の待遇改善と消費税増税を叫ぶ国家公務員らは被災地に派遣されてもその怠惰とやる気のなさを隠そうともしません。これが日本のエリートの現状です。「優秀な人材や政策は闇に葬った方が社会のためになるんだ!」日本人はこの悪魔の詭弁に盲目的に追随してきた部分があるのは間違いありません。

   経済評論家・山崎元氏
  政権交代の仕組みは間違いではありませんが、民主党政権には過剰な期待を抱き過ぎました。自民党より立派だと思ったら、どうも違ったようですね。なかんずく菅首相はひどい。復興会議に時間をかけるより、いまは現金を直接被災者に渡した方がよい。ベーシック・インカムとして1ヶ月10万円ずつ毎月配って、払いすぎたら後から調整すればよいのです。被災地の厳しい状態が放置されればされるほど結果的に菅首相の延命に繋がっていくという矛盾に私たちはそろそろ気付くべきです。“菅累積シーベルト”の被曝量はもう限界まで来ています。

  定額給付金の交付で国民的実験は終わっているわけですから、ここは被災地限定・期間限定でBIを導入すべきです。ただBIに乗じた消費税増税には疑問符です。「消費税をいつ何%上げればよいのか」という論点がまさに財務官僚の洗脳誘導で、問題の本質である「そもそも消費税という税制は公平ではなく、経済的弱者に不利な不公平な制度」で、現状のようにカネは中央にジャブジャブあるのに、多数の国民が貧困生活に失望しているという現状格差を助長するだけである、という事実を華麗にスルーしています。お金が労せずに湯水の如く入ってくるから、それまで真面目一直線にやってきた筈の東大出身者が脳味噌からヨダレを垂らし、やれこのプール資金で投機運用をしよう、客の来ない展示場やホテルを作ろうとなり、クリーンから離れ腐敗し、個人犯罪を免れるために癒着・集団化していくのでしょう。繰り返しますが「待遇が悪いから、給与が低いから働かないんだ! 本音では劣悪な条件・環境からは逃げたいんだ!」というのは国家公務員や東電職員が言ってるんですよ。「財源がないから施策はできないんだ!」と全く同じ言い方ですね。天下り官僚・地震予知・原発周辺、原発の保安に関してどれだけの研究費と“優秀な”人材、いまなおどれだけの予算がかかっているのか? “選ばれた”彼らがこれまで消費者や国民の利益を重んじた仕事をして来たのですか?それとも国民の生命・財産を軽んじて税金や公共料金による既得権益を無駄に浪費し、食い物にしてきたのですか、現実はどっちですか? 厳しく断罪すべき重大なところです!

   元週刊現代編集長・政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏
  政権交代は間違っていなかった。長い自民党一党支配の中で制度が疲弊・硬直し、時代に合わなくなっていた。政権交代はこれをゼロから更地にして、新しい政治の形を創っていく為のものだった。小沢・鳩山政権はそこに取り組もうとした。問題は菅首相にある。民主党政権への期待を無視して、自分が個人としてやりたい事をやっているだけ。政権交代を望んだ有権者は民主党に一票を投じたのであって、菅さん個人を支持したのではない。総理に選ばれれば好き勝手にやっていいと考えるのは大いなる間違いである。解決策は菅首相を替えるしかない。こういう時期だから総理を替えるのはよくないとか、政治空白を生むなどの慎重論がいわれるが、先日の福島視察での住民の反応からも判るように、人心は菅さんから離れている。代表選を1日で終え、すぐに本会議を開いて首班指名すれば2日で政治空白なしに新首相を選ぶ事ができる。すぐにでも総理大臣を交代すべきだ。(4月23日、抜粋、一部改変)

  小沢裁判が進んでいます。小沢を徹底的に貶めたテレビ・新聞の制作者と評論家、特に週刊現代と立花隆、自民党・公明党と共産党、それに民主党内の小沢批判の急先鋒である前原凌雲会と渡部恒三、世論調査で「小沢は黒い」と答えた国民、お前らが犯罪者に加担したのは事実なのだ。先見力が問われる政治家・評論家が強力に犯罪者擁護を行なっていた…! そんなお前らの姑息な見識をこれからも信用しろというのだな? 前田検事が有罪であるのなら、お前らも有罪である事を忘れるな! この東京地検の汚職には創価学会が深く関わっていると見られるため、小沢陣営と公明党との連携は絶対に不可能、禁止項目です。そんな話を本気で進めたら最後、小沢の逆転有罪が決定するのは火を見るよりも明らか。この格差社会は創価学会の躍進によるところが大きいのですよ。何回バカをやれば気が済むのでしょうか? 宗教(悪霊)を舐めているのではないですか? 信濃町に税金が還流する構造では政治改革なんて夢のまた夢。亀井国民新党を軸に、自民党・社民党を含めた広範な層の支持を結集すべきです。

テリエ館~堕落と免罪

2011.04.24(19:45)

  その時である。先程から両手に額を埋めていた(あばずれ、おしゃべり、食いしん坊の娼婦)ローザはふと母親の事、生れた村の教会の事、最初の聖体拝受の時の事などを思い出した。あの真っ白な式服にすっぽり包まってしまうほど、あんなに小さかった時の、あの日の自分に戻ったような気がして、急に彼女は泣き出してしまったのである。…と、その時、自分のとは別の、深い引き裂くような2つの溜息が彼女に応えたのだった。…で、義妹の方をそっと見たら、同じ席の者たち全部が泣いていたのだった。祭司は聖体を産もうとしているのだ。

  男は猛り立ち、顔を朱で染め、殆ど素裸の格好で自分に纏わり付いてくる2人の娼婦を猛烈に振り払いつつ、渾身の力を振り絞ってローザのスカートを捲りながら、「このスベタめ、言う事を聞かんか!」と早口に言う。
(モーパッサン著、青柳瑞穂訳、新潮文庫より抜粋)

  今日はイースター、復活祭の日の皐月賞! オルフェーブルには着目していましたが、1着とはね。やはりサダムパテック、岩田騎手には勢いがあります。で、今日から始まったWIN5、皐月賞に迷いましたので買いませんでしたが何と80万! 5頭全部が一番人気なんて皆無でしょうか、ミニロトよりは悪くないかも知れません。

  マッチョマンの清原・赤星・金本の故障・爆弾…全員が六本木やミナミでお姉ちゃんと遊びすぎたのでしょうか? 共通点はマシンを使った筋トレでしょう。確かに基礎体力は必須です。イチローはオリックス時代の細い身体からの肉体改造に着手・成功しましたが、どうやらそれ一本槍ではないようです。

イチロー:「(これは)筋肉の硬化を招き辛い、むしろ弾力性のある柔らかい筋肉をつくるマシン。動作中に酸素供給がうまくいったり、乳酸を発生させないような動きができるマシン」
茂木教授:「柔らかくてしなやかな身体を創るという事ですか?」
イチロー:「そうです、(器具を使用しながら)こんな動き、日常生活では絶対にないです。(メジャーリーグでイメージされるような大きな身体にする目的は)全くない。むしろ、肥大させないで筋力をアップさせたい。僕の身体って、割と神経が行き届いた状態にあるので、何でも頭で表現したことをイメージしやすい身体になっている。それは僕の大きな武器ですから。これがそんなに(大リーガーでイメージされるような)大きくなっちゃったら、絶対にできないですから」

  どうやら筋肉よりも神経の方を鋭敏に鍛える事にコツがあるようですね。
 

余震と雑感~拉致と宗教

2011.04.23(11:24)

  今日は10年位前のある日の出来事についてです。私は大型書店の社会物や宗教書などのコーナーでうろうろと立ち読みをしていました。さぞ怪しかったのか、とても貧相に見えたのかは分りませんが、背後から中年の男性が話しかけてきました。書店で立ち読み中にはめったにない光景です。ことばは一見ぞんざいですが、内容にしっかりしたものが感じられました。
「いまの世の中、間違ってるな」「そうですね~」私は話しかけられやすいキャラなので軽く受け流していました。「お前、ここで何を目的にして本を探しているんだ」
「何って…暇潰しもあるし、いま仰った世間の問題を勉強しようかな、と思って」
「お前仕事は何してるんだ」「アルバイトですけど」
「アルバイト…って将来はどうするんだ、このままでいいと思っているのか、親は何て言ってるんだ」
「そりゃいいことはいいませんね」「そうだろう」
  男性はちょっと話があるからそこのマックに行かないか、と誘うのです。は?とは思いましたが、私は暇だったので2人で近くのマックに入りコーヒーを注文しました。
「お前みたいなふらふらしている若い奴にいい教えがあるんだよ」
「はあ何ですか」昼前のマックで客も少ないのですが、男性は大声で喋ります。
「日蓮上人の教えなんだ」
「創価学会なんですか」
「創価学会はダメなんだ」何でも富士山にあるお寺に連なるK正会という宗教で、創価より本物らしいのです。
「お前みたいなダメな奴がみんなウチでよくなっている、救われているんだよ」
「結構です」
「結構じゃないだろ、お前このままでいいと思っているのか!」
  ダメだめ君の私は答えに窮して考えました。
「あのう…うちは…浄土真宗で、母方は真言宗の檀家なんです…」
「だからだめなんだよ、だからお前はだめなんだ」
「でも実家の近くに真言宗の寺もあって、うちは弘法大師を信じてるんですよ」
「真言亡国、お前長男だろ(そうです)、真言宗は長男が駄目なんだ」
「でもお墓は浄土真宗なんですよ」「念仏無間!」
「私は宗教に入る気はないのでこれで失礼します」
「ダメだ!表にクルマが停めてある、会館が近くにあるから、な、行こう」クルマに同乗したら高速道路に乗られても逃れられません。宗教論議など分からなかったのですが、川崎大師に初詣に行ったこともある私は苦し紛れにマジメぶって言いました。
「私は大日如来を信じています」「大日じゃないんだよ、久遠成仏の釈迦なんだよ!」マックの店員は哀しそうに下を向き、他の客も携帯や本を眺めながら、聞き耳を欹てています。クルマで誘拐されちゃ敵わない、と私は憤激する男性を尻目に退散しましたが、これ以降、新興宗教でも何でも、日蓮宗以外の宗教に所属しておこうと強く思ったものです。アホ面さらして歩いているから悪いんですねw このK正会という宗教、私は特によくも悪くも思っていませんが、その後も声をかけられたことがあります。否定する気もないですが、私は日蓮宗を認めません。功徳の力はありますが、エネルギーの質として余りよくないのでは…という印象です。何分ド素人の感想ですので関係者・信者の皆さん、お許し下さい。これで実際救われた方もいらっしゃるでしょうが、私は嫌ですね。
「ヘ~イ、そこのダメなキミ! きっと成功したボクみたいになりたいんでしょ! 迷わずついて来なさい!」
「ダメ人間でも自分の道は自分で決めます、あなたみたいになんかなりたくありません」
  これがフツーでしょ。

ファシズム入門(5)

2011.04.21(12:53)

   ムソリーニも極左活動家だった

  ファシズムの始祖・ムソリーニは、もともとイタリア社会党の党員でした。つまり、左翼活動家だったのです。しかもただのヒラ党員ではなく大幹部で、29歳にして党中央機関紙『アヴァンティ』の編集長に抜擢されています。この役職は、中央集権的な党組織がととのっていなかった当時のイタリア社会党においては、党全体の活動方針に最も大きな影響力を発揮できるという意味では、形式上の党首をしのぐほどの地位であったと云えるかもしれません。さらに云えば、当時の社会主義運動は、社会民主主義的な「右派」もマルクス主義的な「左派」も、たいていの国ではとりあえず一つの政党にまとまっており、イタリア社会党も同様だったのですが、まもなくファシズム運動の指導者となるムソリーニは、実は「右派」ではなく、それどころか党内の極左派を代表する指導者だったのです。このこと一つとってみても、ファシズムが単なる右翼思想とはまったく異質なものであることが容易に想像されるでしょう。ムソリーニの左翼活動家としての経歴を、ここで多少細かく追ってみます。

   スイスで組合活動家となる

  1883年生まれのムソリーニが社会主義運動の世界に本格的に足を踏み入れたのは、1902年、19歳の時のことでした。学校を卒業後、ごく短期間(数ヶ月)を小学校教員として過ごしますが、徴兵逃れの意味もあって突然スイスへの冒険旅行に旅立ち、あっというまに食いっぱぐれたムソリーニは、当地のイタリア人社会主義者のコミュニティに接触し、宿と職を提供してもらいます。

  その背景には、父親の存在がありました。というのも、ムソリーニの父は故郷では有名な社会主義者で、何度も逮捕されるほどの熱心な活動家でした。「ベニート」というムソリーニのファースト・ネームも、メキシコの革命家であるベニート・ファレスにちなんでこの父親がつけたものです。ムソリーニは13歳の頃から、後に自身がその編集長を務めることとなる社会党機関紙『アヴァンティ』を読み、15歳のころから地元の社会党支部に出入りしていました。活動に参加していたわけではないにせよ、1900年ですから16歳か17歳の時に形式上はイタリア社会党の党籍を得ています。ムソリーニはスイスで石工労働組合の活動家として、19歳にして本格的な政治生活をスタートさせたわけですが、当時のスイスにはたくさんの社会主義理論家や小説家、哲学者といった知識人が、ロシアをはじめヨーロッパ各国から亡命してきており、そうした人々と親しく交わる機会を持つことができました。また、個人的にも努力して思想的な書物を読み漁ったようで、後にムソリーニはこの時期に読んで強い影響を受けた人物として、マルクスの他に、ソレル、クロポトキン、ニーチェなどの名を挙げています。ソレルとクロポトキンは著名なアナキズム理論家で、社会主義者としてのムソリーニはかなり初期からアナキズムへの傾きを持っていたことが分かります。またニーチェの哲学は、ヒトラーのナチズムにも影響を与えており、ファシズムを語る上で最重要の思想家ですから、これについては後述します。

  2年間のスイスでの生活を経て、1904年、大赦によって徴兵逃れの罪を赦されたムソリーニはイタリアへ帰国、改めて2年間の兵役につきます。模範的な兵士としてこれを務めあげたムソリーニは、軍隊生活が意外と自分の性に合っていることに気づいたようですが、もちろんそれを機にいきなり「右転向」するわけではなく、むしろ左翼活動家としてのムソリーニの華々しい活躍はこの後に始まるのです。

   イタリア社会党の地方機関紙編集長として

  兵役から戻ったムソリーニは、ふたたび教職につくかたわら、フランスのマルセイユでイタリア人労働者組合をまとめて国外追放されたり、イタリア社会党の地方機関紙に寄稿したり、それなりの活動を継続しますが、それらは基本的には落ち着き先を見いだせないための半ば放蕩的な生活でした。イタリア社会党内でムソリーニが最初にちょっとした注目を浴びるのは、1908年、農村地帯で起きた小作争議の支援におもむき、一時投獄されたことによってでした。社会党は機関紙でムソリーニの行動を盛んに称賛したのです。

  翌1909年、ムソリーニは初めて、イタリア社会党における正規の役職を得ます。『労働者の未来』という地方機関紙の編集長の仕事でした。赴任地のチロル地方は当時、オーストリア・ハンガリー帝国の一部でしたが、そこは同時に、住民のほとんどがイタリア人であるいわゆる「未回収のイタリア」の一つでもありました。「未回収のイタリア」とは、19世紀半ばから後半にかけて、数百年にわたって分裂状況にあったイタリアの統一が進められてもなお、他国の領土としてその枠から漏れたままとなっているいくつかの地域のことです。ムソリーニはここで数々の闘争を指導し、この同じ1909年のうちにオーストリア・ハンガリー帝国の官憲によって投獄、国外追放となって、またもや社会党の英雄となりました。

  1910年、別の地方にやはり地方機関紙『階級闘争』編集長として赴任し、その地の社会党勢力の急激な躍進を実現、その年の党の全国大会に支部代表として送り出されたのが、全国的な舞台に公に登場した最初です。そのわずか二年後には、先に述べたように党の中央機関紙編集長に抜擢されるのですから、ムソリーニがいかに優秀な活動家であったかが分かります。ヒトラー同様、ムソリーニにも演説の才能がありました。しかもヒトラーは喋るだけですが、ムソリーニは文章を書かせても一流だったのですから、党を躍進させ、党に重宝されたのも当然と云えます。

  またこの地方機関紙編集長の時期に、20世紀の前衛芸術運動の源流ともなった「未来派」の運動にいちはやく注目し、これを援護する記事を多く書いたことからも、時代の動きを察知するアンテナの鋭さがうかがわれます。未来派については改めて書きます。これもすでに述べたように、ムソリーニはイタリア社会党における最左派の活動家の一人でした。当時のイタリア政府は、反体制運動を暴力的に弾圧する姿勢をやめ、むしろこれを宥和する穏健な政策に転じていたため、社会党内でもやはりこれに期待する社会民主主義的な右派の指導者が主導権を握って、議会への進出を順調に進めていました。党のこうした方針に、左派は当然、反発と危機感を強めます。実はムソリーニは、地方機関紙において党中央を極左的な立場から激しく攻撃することで、体制内化する社会党に不満を感じていた層を熱狂させ、その発行部数を増やすことに成功してもいたのです。

   中央機関紙編集長に

 さて1910年の党大会で公式に全国デビューを飾ったムソリーニですが、政府と協調する右派全盛の時代ですから、単に一地方の代議員にすぎない立場で、そう易々と頭角をあらわせるはずもありません。そこへ戦争が勃発します。イタリア対トルコの戦争です。そもそも統一を実現したのが日本の明治維新とほぼ同時期で、ヨーロッパ列強の植民地獲得競争に乗り遅れていたイタリアは、地中海を挟んで対岸にある北アフリカのリビアに進出する機会を虎視眈々とうかがっていました。トルコはかつて強大な帝国で、北アフリカ全域を領土としていましたが、その大部分をイギリスとフランスに奪われ、残るはリビアだけとなっており、1911年9月、さまざまの事情から今が絶好のチャンスと見たイタリアが、トルコに宣戦布告したのです(翌年勝利し、イタリアは望みどおりリビアを植民地として獲得します)。

  右派に指導された社会党は政府の開戦方針を支持しますが、ムソリーニは地元で強力な反戦運動を指導、暴動教唆や戦争遂行妨害の罪などで逮捕されます。それまでにも何度かごく短い投獄を経験していましたが、実刑判決を受けての本格的な投獄はこの時だけです。判決に先立って、ムソリーニは法廷で裁判官にこう啖呵を切っています。「あなたが私を無罪とするならばそれは私の喜びとするところである。もしあなたが私を有罪とするならばそれは私の名誉とするところである」判決は懲役1年。控訴審で半年に減軽されました。

  右派指導者の戦争支持方針は社会党内に深刻な対立を生み、路線闘争が本格化した結果、ムソリーニが服役している間に左派が主導権を奪い返しました。したがって1912年、出所後まもなく開かれた党大会で登壇したムソリーニは英雄でした。右派を論難する激しい演説は満場の拍手を浴び、ついにムソリーニは最左派を代表する「社会党の新星」として党内外の注目を浴びることになりました。中央機関紙『アヴァンティ』編集長の要職に抜擢されたのは、その後まもなくのことでした。ムソリーニは、その非妥協的で一貫した、直接行動を重んずる反議会主義の姿勢によって、とくに血気にはやる若い党員の熱狂的な支持を得ていました。後に社会党から分裂するイタリア共産党の指導者で、非ソ連的な西欧共産主義の理論家として知られるアントニオ・グラムシも、当時のそんな青年党員の一人でした。ムソリーニは大衆にも人気が高く、機関紙編集にあたって紙面を党外のサンディカリスト、アナキスト、共和主義者らに開放し、寄稿させたことも党のイメージ・アップにつながったようで、その編集長在任の間に『アヴァンティ』の発行部数は3万部から10万部へと急増、それは当時のイタリア最大の商業紙に次ぐ数字でした。

  1914年4月の党大会の頃が左翼活動家としてのムソリーニの絶頂期で、イタリア社会党の主導権を完全に掌握している状態でした。第1次大戦への参戦論の発表をきっかけに失脚し、党を除名されるのはそのわずか半年ほど後のことです。

   第2インターナショナルと第1次世界大戦

  世界史をある程度勉強したことのある人は、各国の社会主義政党が第1次大戦の勃発に際して大きく混乱したというエピソードを覚えているかもしれません。第2インターナショナルは、マルクス主義派とアナキスト派の対立が高じて解散した第一インターナショナルの後をうけて結成されたものですが、それについて『現代用語の基礎知識』は次のように説明しています。

【第2インターナショナル】1889年から1914年まで存在。第1インターナショナルにつぐ労働者組織の国際的結合。エンゲルスの指導によりフランス革命百周年を記念してパリで創立大会を開く。メーデーを祝うという決定はこの大会で採択。エンゲルスの死(1895年)後指導者は修正主義者のベルンシュタイン、ついで日和見主義者のカウツキーに移り、帝国主義段階における労働者階級の任務を回避し、ついに第1次世界大戦に際して自国政府の帝国主義戦争に協力して第2インターナショナルを崩壊させた。

  1972年版での記述で、おそらく執筆者はマルクス・レーニン主義の信奉者ですが、現在の世界史教科書もほぼこのように書いています。つまり第1次大戦が始まるや、日和見主義的な「右派」に指導された各国の社会主義政党は、「労働者に祖国などない」という国際連帯の原則を放棄し、突如「愛国心」をふりかざして自国政府の戦争参加方針を支持、よって第2インターナショナルそのものが崩壊、さらに反戦を主張する「左派」が新たに共産党を結成するなど各国社会主義政党の分裂をもたらした、という整理の仕方です。

  結論から云えばこれはでたらめです。少なくともイタリアには当てはまらない話であることは確かです。たしかに各国の社会主義政党では自国の参戦を支持するか否かの激しい論争がおこなわれましたが、とくにイタリアの場合、参戦支持を打ち出したのは必ずしも単純素朴な愛国心に目覚めた「右派」だけではなかったのです。むしろあくまで反戦を主張したのは、「左派」の中でもごく一部でしかありませんでした。

   「右派」の参戦論

 第1次大戦の基本的な構図は、イギリス・フランス・ロシア対ドイツ・オーストリアですが、実はイタリアはドイツ・オーストリアの同盟国でした。ですから常識的には、参戦するならばドイツ・オーストリアの側に立つことになるはずです。しかし政府の主流は、イギリスが圧倒的に強いと見ており、かといって同盟を反故にしてイギリス・フランスの側に立って参戦するというわけにもいきませんから、大戦が勃発するとすぐに、イタリア政府は中立を宣言しました。もちろん社会党も当初は戦争反対を掲げ、ムソリーニの編集する『アヴァンティ』の紙面も反戦論で埋められていました。

  が、まず国内の右翼勢力、つまり社会党内の「右派」ではなく、民族主義者など普通の意味での右翼勢力が参戦を主張しはじめました。彼らは、同盟を守ってドイツ・オーストリア側に立って参戦せよと云うのではなく、実はその正反対でした。イギリス・フランス側につこうというのです。なぜなら、イタリアはオーストリアとの間に国境問題を抱えていたからです。先に述べた「未回収のイタリア」です。イギリス・フランス側について戦勝国となれば、オーストリアからそれらの領土を獲得できるかもしれません。

  また未来派の前衛芸術家たちも参戦運動をリードします。未来派が参戦を叫び始めたのは、むしろ民族主義勢力より先だったかもしれません。この特異な芸術運動については後述します。参戦論と「未回収のイタリア」の問題が結びつくと、左翼勢力の中にもこれに同調する部分が出てきます。ナショナリズムは必ずしも右翼思想ではありません。フランス革命の「自由・平等・団結」、この「団結」つまり国民的な共同性を創出するという理想が政治理念化したものであるナショナリズムは、近代化を推進する方向性を持つという意味ではもともとは左翼思想ですらあると云えます。日本でも、右翼と左翼の双方が幕末の志士を称賛するように、イタリアにおいてもかつてのイタリア統一運動を左右双方が誇りとしていました。したがって、社会党内のナショナリスティックな部分が「未回収のイタリア」問題を思い出して参戦論に傾いたのも、それほど奇妙な話ではないのです。

  もっとも、この20世紀初頭においては、左翼思想からのナショナリズムの分離もかなり進んでいます。国家権力は資本家階級が労働者階級を支配・抑圧するための道具であり、ナショナリズムはその国家権力を往々にして利するもので、労働者は国境を越えた連帯を実現しなければならない、というマルクス主義者の見解がヨーロッパ中の左翼勢力に浸透しているのです。よってナショナリスティックな動機に基づいて参戦論に傾いたのは、たしかに社会党内の「右派」ということになります。
(全10回予定)


ファシズム入門(4)

2011.04.21(12:35)

   自由主義と民主主義は両立しない

  またもやフランス革命の話です。「自由・平等・団結」の話ですが、「近代」の出発点に掲げられたこの3つの理想は、実は必ずしも互いの相性がよくないのです。正確には、「自由」と「団結」、また「平等」と「団結」も両立可能ですが、「自由」と「平等」が問題なのです。「自由」の原理を政治的に理念化したものが「自由主義」であり、「平等」の原理を政治的に理念化したものが「民主主義」ですが、自由主義と民主主義とは本質的に対立するという指摘を、実は過去にもたくさんの論者がおこなっているのです。

  自由主義と民主主義は、そもそも発想を異にする、云わば「ジャンルの違う」思想です。自由主義とは要するに、国家権力の縮小を求める思想です。自由主義者にとって最も重要な関心事は、国家権力に諸個人の言動をできるかぎり制約させないということで、自由主義者の云う自由とはまず何よりも国家権力からの自由です。極端な話をすれば、たとえその国家権力の行使に関する意思決定が国王一人の手に委ねられていたとしても、実際にその権力の及ぶ範囲がかぎりなく小さく設定されているのであれば、それでまったく構わないというのが自由主義です。

  これに対して民主主義とは、国家権力の行使に関する意思決定に、できるだけ多数の「国民」が関与することを求める思想です。国王一人が決めるよりも、たとえ全体の中のごく一部であっても複数の有力者を、一部有力者だけでなく成人男子全員を、男子だけでなく男女双方を、意思決定に参加させろというのが民主主義者の基本的な要求で、つまり選挙権拡大の程度が民主主義がどれだけ実現しているかを示す象徴的な指標ともなります。最近では、特定の問題については「国民」だけでなく外国人にも何らかの形で投票権を与えよという主張さえ登場していることはよく知られているとおりです。これまた極端な話、「みんなで(多数決で)決めた」結果であれば、諸個人の自由を大々的に制限するような国家権力の強化がおこなわれても、民主主義者としてはまったくそれで構わないのです。

  民主主義にはそもそも国家権力の強大化を招きやすい傾きがあります。全員参加の国家権力なのですから、必然的に国家機構それ自体が巨大で複雑なものとなります。また「自由からの逃走」と呼ばれる問題もあります。圧倒的多数の大衆は、あまり切実に「自由」など欲しないという現実です。大衆には、国家権力からの自由よりも、国家権力による保護を求めたがる傾向があります。

  そしてまさにここに、自由主義の理念と民主主義の理念とが、単に性質を異にするのみならず、いずれは必ず正面衝突してしまう原因があります。程度の問題にもよりますが、自由主義者は多少の安全上のリスクを負うことになるとしても、自由を犠牲にしたくないと考えるものです。しかし圧倒的多数の大衆は、わずかばかりの安全のために、平気で自由を国家権力に売り渡します。旧西側諸国が掲げていた「自由民主主義」なるものは、旧東側の奇妙な(あくまで自称ですが)「共産主義」体制に、自由主義者と民主主義者とが協力して対抗するためにひねり出された云わば妥協の産物であって、本来そんなヘンテコな「主義」はありません。

  あえてそれらしく整理すれば、「自由民主主義」とは、政治制度としては民主主義的な多数決の原理を採用し、啓蒙的なスローガンとして自由の価値を喧伝することでバランスをとるしくみですが、実態としては民主主義がメインで自由主義はしょせん飾りのようなものです。それでもまだ共通の敵たる旧東側諸国が存在している間は、なんとか取り繕っていられたわけですが、その共通の敵が倒れてしまえば、両者の間にある本質的な両立不能性が顕在化してくることになります。つまり民主主義的な多数決の原理によって、「安全・安心」な社会環境の整備と引き換えに、自由はどこまでも縮小されていきます。

   アナキズムとマルクス主義

  アナキズムとはつまり、近代の出発点に掲げられた理想の一つ、「自由」を政治理念化した自由主義を、最大限に徹底した政治思想です。国家権力はできるだけ縮小すべきであるというのが自由主義ですが、それを徹底すれば当然、国家権力などなくしてしまうべきだという話になります。徹底した自由主義者であるアナキストが、民主主義者と対立する局面は、歴史上、現実に存在しました。普通選挙制の導入に際してアナキストがこれに反対したことなどはその典型的な事例といえます。選挙権を持つということは、否応なく国家権力を形成する一員とみなされる、要するに自らも国家権力に取り込まれるということですから、アナキストが本能的に反発するのは当然です。

  しかしそもそも国家権力を完全に廃止するなんてことが、本当に可能であるとアナキストたち自身は思っているのでしょうか。発想というか、気持ちや動機は理解できるが、しょせん非現実的な妄想、おとぎ話の類ではないかと、ほとんどの人が感じることでしょう。アナキストがそれなりの政治勢力として存在感を示していたのは19世紀後半ですが、それは既存の雑多な社会主義の思想がマルクスによって整理、体系化されていく時代であり、自身が体系化をほどこす以前のそれらをも「空想的社会主義」と嘲笑的に呼んで一刀両断にしたマルクスにとって、アナキズムなどは空想以前の妄想、お話にならない、論外の存在だったでしょう。しかし実際のところ、次第に社会主義の「統一理論」のようなものへと影響力を拡大していくマルクス主義に反発した社会主義者たちはむしろアナキズムへと接近し、1864年に結成された史上初の社会主義者の国際組織「(第1)インターナショナル」の内部では、プルードンやバクーニンを中心とするアナキストと、マルクス本人やエンゲルスを中心とするマルクス主義者との間で激しい論争が繰り返されました。

  フランス革命で提示された近代的な理念、「自由・平等・団結」の理想を徹底した、左翼思想の究極の統合態であるマルクス主義も、実は「国家の廃止」を掲げていました。しかしマルクスによれば、階級というものが存在しているかぎり国家の廃止は不可能であり、なぜなら支配階級が被支配階級を、つまりフランス革命以後の「近代」という時代状況にあてはめれば資本家階級が労働者階級を抑圧する装置として国家権力は存在しているのだから、まずは革命によって労働者階級が国家権力を奪い取って逆に資本家階級を抑圧する装置としてこれを活用、ついに資本家階級というものが一掃された段階で、初めて国家権力は不要となり、その廃止も実現可能となるのでした。

  このように「国家の廃止」というアナキストの専売特許であったような壮大な理想さえ、まがりなりにも現実的で「科学的」なビジョンとして提示したマルクスにとって、そうした具体的な道筋も踏まえず今すぐにでもそれが可能であるかのように云うアナキストなど、聞きわけのないダダっ子の類としか思えません。そして結局、アナキズムは展望のない非現実的な夢物語であるとのイメージが支配的となり、急速に影響力を失っていきます。

   アナキストのマルクス主義批判

  しかしこの「国家の廃止」を掲げたマルクスのもっともらしいプログラムに対して、アナキストのバクーニンがおこなった反論は、もちろん対案とまでは呼べませんが、正しいものでした。それは、いくら「国家の廃止」を目標に掲げる階級や勢力でも、いったん国家権力を手中にした連中はそれを手放すまいと躍起になるだろう、しかも実際には、マルクスの提示したようなやり方では、労働者階級の利益を代表すると称する特定の集団が実権を握り、さらにはその特定の集団の利益を代表すると称する特定の個人が実権を握り、要するに現在の資本家階級が握っている国家権力よりもはるかにろくでもない最悪の国家権力が誕生するに違いない、というものでした。ロシア革命が勃発した時、すでにマルクスもバクーニンも生きてはいませんでしたが、ソ連をはじめとする旧東側の「共産主義」諸国は、もしかするとバクーニンの想像をも上回るほどの暗黒社会を実現してしまいました。

  結局、アナキストというものは、「永遠の反体制」のようなものとしてしか存在しえないのかもしれません。頑固な自由主義者として、国家権力の横暴に悪態をつき続ける、またその拡大の兆候に敏感に反応して世間に警戒信号を発する、アナキストに可能なのは、現実的にはその程度のことでしかないのかもしれません。あるいは、社会全体のことはもうどうでもいい、少なくとも自分のことは放っておいてくれという態度を徹底させるのも、アナキストが現実におこないうる実践でしょう。税金など払わない(収入が捕捉されるような仕事にはつかない)、その代わり福祉の世話にもならないし、何かあっても警察なんかに頼らない、そういう生き方を徹底するのです。冗談2割本気8割ですが、私はゴルゴ13こそはアナキズムの究極の理想像だと思うのです。

   マルクス主義は必ずスターリニズムを招く

  マルクス主義を放棄したのはもちろん、マルクス主義に基づいて革命をやれば、スターリニズムを結果してしまうのは不可避であるとの説に、納得させられてしまったからでした。スターリニズムというのは、簡単に云えばかつてのソ連や東欧諸国、そして現在の中国や北朝鮮のような体制です。「自由・平等・団結」を真に実現しようというマルクス主義の理想を、当事者たちはそれなりに本気で追求したにもかかわらず、その理想とはほど遠い、単なる独裁政治とも異なる独特のグロテスクな暗黒社会が形成されてしまう、それがまあ、スターリニズムです。ソ連でそれを完成させてしまったスターリンの名前が語源ですが、このスターリニズムという言葉は、後に本格的にファシズム論を展開する際、さまざまに意味づけを変えながら頻出させますから、もし知らない人がいたら必ず覚えておいてください。

  マルクス主義に基づく革命は必ずスターリニズムを結果するという説を、私は、笠井潔氏の一連の著作を熟読することで受け入れました。特異な思想家であると同時に、近年では探偵小説の作家としての活躍がむしろよく知られる笠井氏ですが、彼はさらに、革命をふたたび現実的な希望として甦らせるためには、革命に関する思考を、マルクス主義の呪縛から解放しなければならないと云い、私はこの点についてもそのとおりだと納得しました。私は1990年代の大半の時期、「反共左翼」を自称していました。論理矛盾だと非難されることもありましたが、これは「反マルクス主義の左翼」(「非マルクス」ではなくあくまでも「反マルクス」)ということで、論理矛盾ではありません。実は後になって知ったことですが、大正時代に一部のアナキストも使用していた言葉でした。そもそもマルクス主義の成立期からアナキストはこれに執拗に批判を加えていたわけで、仮にアナキズムも左翼思想の枠内に入れておくとすれば(実際、通常はそうみなされているのですが)、アナキズムは本来まさに「反共左翼」だったのです。

  それでも私が断固として自らがアナキストであることを当時認めなかったのは、何よりも、日本になお細々と存在するアナキズムの運動の多く(というよりほとんどすべて)が、もはやマルクス主義者の運動との間に緊張感を持続させ得ず、むしろ事実上、消極的にではあれその同伴者へと成り下がっている現実があるからでした。マルクス主義と対決する意志を欠いたアナキズムになど、当時の私は一切の魅力を感じなかったのです。


極無自性心(秘蔵宝鑰)

2011.04.21(11:19)

  実に奇中の奇であり、絶中の絶というもの、ただそれは自心の仏であろうか。自心の実相に迷うから六道に沈んで妄想の波が激しく動くが、もし自心の本源を悟れば、一心の広大な水は湛えて澄み浄らかである。その澄浄の水面に森羅万象が影を映すように、一心の本性に住する仏はすべての法を如実に感知する。しかるに衆生はこの道理を知らないのみならず、迷いの世界に輪廻して絶える事がなく、人々は甚だしく無明の酒に酔いしれて、自心の本性を悟る事ができないのである。

    風水龍王は一法界なり
     真如生滅この峰に帰す
    輪花よく体大等を出だす
    器・衆・正覚極めて甚深なり
    縁起の十玄は互に主伴たり
     五教の呑流するは海印の音なり
    重重無碍にして帝網に喩う
    隠隠たる円融は錠光の心なり
    華厳三昧は一切の行なり
    果界の十尊は諸刹に臨めり
    此宮に入ると雖も初発仏なり
    五相成身追って尋ぬべし

  龍猛菩薩の「菩提心論」に曰く、「凡そすべての迷いの世界の諸法は無明の妄想から生ずる。そしてそれから次々に迷執が生じて、ついに無量無辺の煩悩が生じ、この煩悩によって悪業をなし、その悪業によって六道に輪廻する。しかしもし仏道修行によって知見を開き覚悟すれば、無明による妄想が止み除かれて、種種の迷いの法が滅する。それ故にこれらの妄法はそれ自らの本性があるのではない。
(勝又俊教、1977年大蔵出版、抜粋)


ファシズム入門(3)

2011.04.21(10:39)

   左翼思想の代名詞となったマルクス主義

  社会主義者たちの主張はさまざまで、要するに資本主義が悪いのだという認識は徐々に共有されていったとはいえ、どうすれば資本主義を終わらせる、あるいはその弊害を最小限に食い止めることができるのかという具体的な運動の形は、長い期間をかけて試行錯誤されました。労働者が団結し、労働組合を作って資本家や政府にさまざまの要求をするとか、あるいは選挙権の拡大によって可能となった、労働者を支持基盤とする政党の議会進出などがおこなわれるようになりました。

  またさまざまの社会主義思想家が誕生し、要するに資本主義においては、一部の資本家がさまざまの産業を運営するために必要な資金(資本)や設備(生産手段)を私有しており、それに対して労働者は自分の体ひとつ以外に何も所有していない、ここにすべての原因があるのだから、資本や生産手段は特定の個人ではなく社会全体の共有財産とすべきだという主張は、かなり早い時期からおこなわれるようになっていました。ここから、社会主義の別称として「共産主義」という言葉も使われるようになりました。

  19世紀半ばから後半にかけて、これら一群の社会主義の主張を整理統合し、資本主義を廃止するための壮大な理論体系を構築したのがかの有名なマルクスです。社会主義の思想や運動に、マルクスがもたらしたインパクトはあまりにも大きく、20世紀初頭には、資本主義の弊害を最小限に食い止めるための漸進的な努力を続けようという妥協的な「社会民主主義」の勢力を除く、革命という強硬手段によって資本主義を廃止しようとする非妥協的な社会主義とは、ほぼイコール「マルクス主義」のことであるような状況となります。

  これら一連の社会主義の主張も、「左翼思想」に含まれます。というより、19世紀を通じて拡大・発展を続けた社会主義こそが、「左翼思想」の代名詞的な存在となるのです。というのも、社会主義も実はフランス革命の理想を、さらに純化していこうという方向性を持っているからです。フランス革命が、中世の身分制社会を終焉させたことは正しい、しかしそれに代わる新しい身分制が生み出されてしまった、それが資本家階級と労働者階級である、この階級対立を終わらせることで、やっと人類社会は真に「自由・平等・団結」の理想を実現できるのだ、という発想が社会主義の根底にあります。つまり彼らは社会の「進歩」を信じています。中世に比べれば、この資本主義近代ははるかにマシだし、それは進歩である、そしてそれは社会主義の社会へとさらなる進歩を遂げるべきである、ということです。

   「昔はよかった」と「昔よりマシ」

  さきほど右と左の対立とは、要するに保守主義と進歩主義の対立であるとしました。さらに平たく云えば、右も左も「今の世の中はおかしい」と感じ、それを現実に変革しようとする立場ですが、右翼思想は「昔はよかった(あるいは、まだマシだった)」というメンタリティに支えられ、左翼思想は「昔よりはマシになったが、まだまだ不充分だ」というメンタリティに支えられているということでもあります。

  仮に社会というものが少しずつでも「進歩」していくものだとすれば、かつて左翼的な立場に身をおいていた人が、彼の設定する「理想」が実現した時点で右でも左でもない現状維持派となり、彼が望んでいた以上の「進歩」がおこなわれ始めると、「元に戻せ」という右翼的立場へと自らを移行させることになるでしょう。逆に、これも「進歩」という発想を前提とすれば、右翼勢力の運動などによって社会状況が「後退」してしまうこともあり得ます。その時にはもちろん、今挙げた例とは反対のことだって起こり得ます。右翼的な立場に身を置いていた人が、当人の期待する以上に状況が「後退」してしまったと感じ、その段階での現状維持的な立場の人よりも自らの立ち位置が左側になってしまうケースです。

  繰り返しますが、右と左とは、真ん中に「現状維持」「現状肯定」の立場を挟んで、グラデーションを成しているものですから、ある立場が右であるか左であるかは、その時々の「現状」如何によるのです。しかし政治運動とはすべて現状を変革することを目指すものです。それが政治運動である限り、時間軸のある一点をとらえれば、その「現状」に比して右翼運動であるか左翼運動であるかの必ずどちらかであるわけです。つまり、右と左の対立は、冷戦や55年体制が崩壊しようがどうしようが、現在も絶対に存在するのです。

   「現状維持」は右か左か

  実は現状を維持しようという政治運動もあり得ます。逆に云えば、状況が右や左に変化しようとするのを、阻止しようとする政治運動です。これは、右翼運動なのでしょうか、それとも左翼運動なのでしょうか、それともそのどちらでもないのでしょうか。もちろんこれも、右や左というのはそもそも相対的な問題なのだということ、それから、状況はたえず右にも左にも揺れ動いているのだということを踏まえれば、すぐに分かることです。

  つまり、状況が左へ移行しつつある時に(つまり「進歩」局面である時に)、それに抵抗して現状維持を図るとすればそれは右翼的な政治運動であるし、状況が右へ移行しつつある時に(つまり「後退」局面である時に)、それに抵抗して現状維持を図るとすればそれは左翼的な政治運動です。そして、状況は常にどちらかに移行しようとし、局面の変化が完全にストップすることなどありませんから、現状維持の政治運動というのも、やはり局面によって右翼運動であるか左翼運動であるかのどちらかでしかあり得ないということになります。もちろん「無関心」という意味で、常にその時の「現状」維持を利する立場もあり、それは実際、右でも左でもない立場ということになりますが、無関心はそもそも政治運動ではありませんから、すべての政治運動は右か左のどちらかでしかありえないというここでの立論とは無関係です。

   左翼思想の根底には「普遍的価値」がある

  ここまで、フランス革命を挟んで、その前後の社会状況の変化を「進歩」とみなす前提で、右と左を定義してきました。では、それを「進歩」とはみなさない、あるいは、社会状況はいろいろと変化し続けるかもしれないが、それは「進歩」とか「後退」とかいった問題ではない、との考えに立って、それでもなお政治活動をおこなうことは可能です。この場合は、どうなるのでしょうか。

  結論から云えば、そのような政治運動はすべて右翼運動です。というよりも、実は本来の右翼運動はそういうものであるはずなのです。そもそも社会状況が「進歩」するとは、どういうことでしょうか。簡単です。社会状況が、「合理的」な方向へと変化することです。逆に云うと、結局は同じことですが、「理不尽」なことが減っていく方向での変化が「進歩」です。

  そして、実は左翼思想とは、合理的な社会をよしとする立場であり、右翼思想とは、合理的であることが必ずしもよいことであるとはかぎらないとする立場なのです。なぜフランス革命が今もって最重要の歴史的大事件であるかといえば、それがそれ以前になんとなく成り行きで起きていたいくつかの歴史的なやはり大事件、つまりイギリスのピューリタン革命、名誉革命、アメリカの独立革命などですが、それらに際して発せられた主張や、それらの地でその前後に実際に生じた社会状況の変化を体系的に意味づけした上で、つまり云わば理念先行の色彩が濃厚な形でおこなわれた革命であったためです。イギリスやアメリカの革命で、蜂起した側が自分たちの行動を正当化するために、実は後づけ的にひねり出したさまざまの理念、具体的には「社会契約説」だの「自然権(いわゆる基本的人権)」だの「三権分立」だのといったデッチ上げ理念が、何か人類が共通に目指すべき普遍的な価値であるかに盛大に流通していた状況を前提として、それに基づいて、あるいは少なくともそれを追い風として実現されたのがフランス革命なのです。だからこそフランス革命は、中性から近代へという世界史の重大な局面変化を、最もよく象徴する標準モデル的な事例となり得たのだとも云えます。

  そしてこのフランス革命以後、何らかの「普遍的」と称する理念に基づいた社会変革の構想が次々と提出され、また実行に移されることがそれこそ「普遍的」におこなわれるようになってきたのです。マルクス主義はその典型です。左翼思想とはつまり、何か実現すべき普遍的な価値が存在する、ということを前提とする政治思想です。逆に、そんなものは存在しない、ということを前提とする政治思想が右翼思想なのです。それが例えば「基本的人権」とか「三権分立」、「普通選挙制」のようなものであろうと、あるいは「平和主義」、「差別撤廃」、「自然保護」、「多文化主義」といったものであろうと、何らか目指すべき普遍的価値を掲げておこなわれる運動はすべて左翼運動です。

   「普遍的価値」を認めないのが右翼思想

  逆に右翼運動は、それぞれの民族や地域に特有の「伝統的価値」を守ろうというものですが、伝統的な価値はもちろんどれもこれも、普遍的な価値ではありません。それぞれの民族や地域の共同体の長い歴史の中で、突発的なものや偶然によるものも含めたさまざまの具体的出来事の積み重ねや、あるいは疫病や災害などの自然環境的な条件や、さらにはどの民族や地域でも歴史上たまに出現する強烈なキャラクターの言動などが相互に複雑に影響しながら、要は成り行きで形成されるのが伝統的な価値で、当然のことながらそれらは何ら普遍性を持つものではありえず、むしろ理不尽、不合理なものである場合がほとんどです。

  さらに踏み込んで云えば、右翼運動は、伝統的価値を守ることに汲々とするあまり、一切の変化を否定するというものでもないはずです。そもそも伝統的な価値それ自体が、さまざまの成り行きで形成されたものにすぎません。ですから、それがさらに長い時間の経過の中で、成り行きによってまた変化していくことは当たり前のことなのです。しかし、その変化が成り行きでなく、何か人為的に提出された普遍的な価値や理念のようなものに基づいて、意識的に引き起こされることに反対するのがつまり右翼運動だということになります。

  これは先に展開した、相対的な左右の定義ではなく、絶対的な定義です。相対的定義を援用すれば、例えばいかに急進的な共和主義を掲げていようが、さらに左の社会主義の立場から見れば右翼思想だということになりますが、絶対的定義を援用するなら、社会主義だろうが共和主義だろうが、あるいはさらに「右」の立憲君主主義だろうがもっと「右」のナントカ主義だろうが、それが実現すべき何らかの普遍的と称する価値を「何々主義」という形で掲げている以上はすべて左翼思想だということになります。


ファシズム入門(2)

2011.04.21(10:31)

   「自由・平等・何とやら」

  私のファシズム論の前提ともなりますから、右とは何か、左とは何か、という基本中の基本、初歩の初歩を、ここで簡単に整理しておきましょう。この問題をちゃんと理解するためには、フランス革命にまでさかのぼって考えなければなりません。といっても、本書は歴史の本ではありませんから、細かいところは無視して、大ざっぱに整理するにとどめます。

  まずフランス革命が終わらせた「中世」とはどのような時代であり、逆にフランス革命によって始まった「近代」とはどのような時代であるのか、ここのところを押さえておかなければなりません。それには、有名な、フランス革命のスローガンについて考えてみるのが手っとりばやいように思います。「自由・平等・何とやら」です。ここで「何とやら」と曖昧にしたのにはもちろん理由があります。一般に、「自由・平等・博愛」のセットで流通している言葉ですが、「自由」と「平等」はともかく、「博愛」では何が何やらよく分かりません。実際、多くの人がこの「博愛」はほとんど誤訳であると指摘しているのです。

  「博愛」と云うと、ヒューマニズムとか人類愛のようなものをイメージする人が多いでしょうが、元の「フラタニティ」という欧米語には、そのようなニュアンスはありません。「博愛」は誤訳であると指摘する人々は、多くの場合、「友愛」と訳すべきであると云いますが、それで明白な誤りは訂正されるにせよ、そのニュアンスはやはりぼやけたままです。これはファシストつまり団結主義者だから云うのではありませんが、私としては、ここはやはり「団結」と意訳した方がニュアンスは正確に伝わるだろうと思います。「自由・平等・団結」です。

  どうしてその方がよいのかという説明は後回しにして、フランス革命の推進者たちが「自由・平等・団結」をスローガンとして掲げたということは、つまりそれ以前にはそれらが実現されていなかったということです。まず「自由」が実現されていなかったというのは、どういうことを指して云うのでしょうか。それはつまり権力機構が強大であったということです。権力者が、諸個人の生活における細かな領域にまで介入する権限を持っていたということです。諸個人は、その同意なしに、あるいは合理的な説明を求めることもできないままに、逮捕され処罰されたり、あるいは税金を取られたり、特定の職業や居住地を強制されたりしていました。そういうことは今後はもう認めないぞ、というのがつまり「自由」の要求で、これはとても分かりやすい話です。次の「平等」についても理解は容易でしょう。それ以前には強固な身分制というものがあり、王や貴族、あるいは西欧では聖職者の身分と、それ以外の平民との間では、さまざまな差別的待遇が制度化されていました。そういうことはもう終わりにしようということです。

   「同じ国民」としての仲間意識が「フラタニティ」

 そして問題の「団結」です。これが少し難しい。というのも、中世のいわゆる封建制社会には、今のような「国民」という発想が希薄だったのだということが、すぐにはピンとこないからです。当時は「国民」などという存在は事実上なかったようなものなのです。簡単に云えば、王や貴族は、自分の国の平民どもよりも、他国の王や貴族との間にむしろ強い仲間意識を持っていました。聖職者にしても似たようなもので、聖権と俗権の棲み分けのようなものがあって、聖職者は自分のいる国の権力組織からは半ば独立した、ローマ教皇を頂点とする国際的な教会組織の一員として自己認識していたりします。つまり中世という時代は、かなり分権的な社会で、それぞれが身を置いている部分社会においてはまとまっていますし権力構造もしっかりしていますが、たくさんの部分社会を統合する中心を欠いていたようなところがあるわけです。別の云い方をすれば、「私は貴族だ」「私は聖職者だ」と自分をとらえている人はもちろんいくらでもいますが、「私はフランス人だ」「私はドイツ人だ」などと感じている人はほとんど一人も存在しない、そんな社会だったのです。貴族や聖職者と平民とを、「同じ国民」と考える発想がなかったということです。

  「フラタニティ」というスローガンには、「これからは、我々は『同じフランス人』である、という発想を持とうではないか」という意志が込められているわけです。身分その他の部分社会的な属性でまとまるのではなく、「国民」単位のまとまりを実現しようではないかということです。フラタニティ、直訳して「友愛」とは、「同じ国民」としての仲間意識のことなのです。

   左右対立の始まり

   フランス革命はもちろん勝利して、政治制度に関しては王政や帝政といった「中世」のシステムが廃止され(あるいはイギリスなどのように、残されるとしてもほとんど名目上の存在にとどめられ)、「自由・平等・(国民的)団結」の理念に基づいた、「近代」的な新しいシステムが整備されます。議会です。

  すべての「国民」が、社会のありようを自らの意思で決定する、あるいは決定の手続きに参加するのだという、「国民」としての自覚と責任をもって、一人一票という「平等」な資格でおこなう投票によって代表を選び、諸個人の「自由」を可能なかぎり侵害しないことを定めた憲法の枠内で、それら代表者たる議員たちが「国民」の利害に関係するさまざまの物事を決めてゆく、という制度です。フランス革命後に発足した議会の様子も、現在の我が国の国会のそれとまったく同じようなイメージを持っていただいて結構です。つまり正面に演壇があり、それと向き合って、数百の議員がそれぞれ所定の席に、ドーナツやバームクーヘンの切れ端のような形をなして座っています。

  この時、たぶん演壇から見てでしょうが、右側の議席に座っていた議員たちを右翼、左側の議席に座っていた議員たちを左翼と総称したのが、政治的・思想的な方向性の意味での「右翼・左翼」という言葉の始まりです。議員たちは、それぞれの思想傾向に沿って、似た者どうし固まって座っていたのです。

   最右翼の王党派から最左翼の急進共和派まで

  では、どのような考えを持った議員たちが右側に、あるいは左側に座っていたのでしょうか。まず、右側の議席にいたのは、フランス革命はもう充分に成果を収めた、これ以上の改革は不要、むしろ行き過ぎになると考えていた議員たちです。打倒されてしまった当時の王、ルイ16世はまだ処刑されておらず、この右翼席の議員たちの多くは、王政を完全に廃止するのではなく、すでにイギリスがそうなっていたように、王や貴族にほとんど実権のない、「立憲君主制」の形をととのえることで革命を収束させようと考えていました。この立憲君主主義者たちが固まって座っている右側議席のさらに右側には、革命を挫折させて、かつての王政を復活させたいと目論む「王党派」の議員もいます。

  ひるがえって議会の左側議席には、革命はまだまだ進行途上であり、少なくとも現時点で獲得された成果では不充分だと考える議員たちが陣取っています。王政や貴族制度を完全に廃止しようという「共和主義者」たちです。王政を単に廃止すればそれでよしという穏健派も、いやルイ16世を処刑すべしという過激派もいます。また、こうして選挙によって選ばれた議員たちによる議会が発足したといっても、実は選挙権を有しているのは一定以上の税金を納めている富裕層ばかりで、もちろん女性にはそもそも選挙権すらありませんでしたから、そうした納める税金の多寡による「制限選挙制」をやめて、財産の有無と無関係にすべての成人男子を有権者とする「普通選挙制」を、さらにはもっと進んで「男女普通選挙制」を、と左翼席の議員たちは主張しました。

  形勢はめまぐるしく変わり、もともと左翼席に座っていた共和主義者たちが躍進して、議席の大半を占めるようになると、今度はその中の穏健な議員たちが右側議席に、過激な議員たちが左側議席に陣取るようになります。このように右と左はグラデーションを成していて、今の例では「近代」という新しい時代を切り開いたフランス革命それ自体を否定しようという王党派が最右翼で、これは共和主義者から見ても立憲君主主義者から見ても「おまえは右だ」ということになりますが、立憲君主主義者は、全体の中では右寄りですが、王党派から見れば「おまえは左だ」ということにもなります。共和主義者にしても、まだ王党派や立憲君主主義者が右翼席に大量に陣取っていた状況では「同じ左」として共闘もしますが、主要な対立が共和政を穏健に推進するか、それとも急進的な改革をおこなうかという点に移れば、互いに「おまえは右」「おまえは左」ということになります。

  しかし総じて見れば明らかなように、中世的・前近代的な価値に対して(妥協、さらには維持、もっとさらには復活しようと)肯定的になればなるほど右だということになり、それに代わる近代的な価値(自由・平等、そしてそのための団結)を定着させようという姿勢が強固であればあるほど左ということになります。自由や平等といった近代的な価値に対して肯定的であることを「進歩的」とするならば、右と左の対立とは、そもそもは保守主義と進歩主義の対立です。

   「社会主義」の登場

  19世紀に入ると、フランス革命直後には最左翼であった急進的共和主義者のさらに左に、新しい政治勢力が登場します。社会主義者です。社会主義がなぜ社会主義の名で呼ばれるのか、実は私もよく分かっていないのですが、おそらく今で云う「社会派」みたいなニュアンスではなかったかと想像しています。というのも、実は「社会問題」という言葉そのものが、中世には存在しないのです。なぜかと云えば、ある時期までは、その社会が暮らしにくいものであるとすれば、それは為政者個人の性格や力量によるもので、為政者の首をすげ替えればそうしたことは解決可能であったからです。

  ところがある時期以降、そんな簡単な問題ではすまされない状況へと急速に変化していきます。資本主義の進展ということです。フランス革命自体、実は資本主義の急激な発達を助長するものでした。云いかえれば、中世のさまざまの制度が、資本主義の発達にとって足かせとなっていたということでもあります。職業選択の自由がないことはもちろん、王や貴族によって保護された一部の職人団体がさまざまの特殊権益を維持していたり、あるいは商品を流通させようとすればその過程のあちこちに税金がかけられていたりもします。職業選択の自由がないということにも関係しますが、例えば工場で大量の労働者を雇わないことには安価な商品の大量生産など不可能ですが、農民は農民、職人は職人という身分社会には、わざわざ工場に雇ってもらわなければ食っていけないような「なにものでもないただの人」というのがそもそもほとんど存在しないのです。そのため当時成長しつつあった初期の「資本家」の多くは、フランス革命において革命勢力側についたのです。

  ところがフランス革命を典型とする「中世」から「近代」への転換をもたらすいくつもの歴史的大事件と共に、資本主義のメカニズムが全面解放されていくに従い、その弊害もまた目に見える形で次々と表面化していきます。資本主義の発達には大量の労働者が必要とされますし、それを困難としていたさまざまの中世的諸制度が次々と撤廃されていきますから、資本家はありとあらゆる手段で、自らが経営する工場で働く労働者を確保します。食いつめた最下層の農民は、なまじ職業選択の自由があるために、そのまま最下層の工場労働者へと立場を移行させてゆきます。労働者を保護するための法律などほとんど整備されていない時代ですから、労働者たちは完全に資本家の云いなりです。多くの労働者は低賃金・長時間労働など劣悪な条件で酷使され、資本家側の一方的な都合で失業する可能性に日常的に直面しています。最下層の労働者や失業者、そして移民労働者たちがスラムを形成しはじめます。こうしてとくに都市部の住民は、一握りの資本家とその他大勢の貧しい労働者とに次第に二極分化していきます。

  このような、資本主義メカニズムの全面開花によるさまざまの深刻な問題は、為政者個人の責任に帰すことができません。これらは誰か特定の極悪な権力者がいるせいで生じている問題ではなく、資本主義という大きなメカニズムそれ自体が生み出している問題だからです。つまり、社会構造そのものをどうにかしないことには解決不能の問題であり、だからこれは「社会問題」なのです。そしてこの「社会問題」の解決を目指す人々が、「社会主義者」と呼ばれ始めるのです。


ファシズム入門(1)

2011.04.21(09:52)

    ファシズムとは団結主義

  ムソリーニはなぜ自らの思想や運動を「ファシズム」と命名したのでしょう。もちろん、ムソリーニは例えば何かカッコいい響きの単語をオリジナルに発明したわけではありません。「ファッショ」という、ごくありふれたイタリア語の単語がもともと存在しています。「ファッショ」とは「束」のことです。「花束」などと云う時の「束」です。この言葉は、例えば日本語で「~の集い」とか「~の会」とか云う場合の「集い」「会」の意味でもごく普通に使われると聞きます。私はむしろ「~団」の「団」と云うほうが、ニュアンスとしてはよく伝わるのではないかと思います。

  1919年、ムソリーニは「戦闘ファッショ」という組織を作ります。ファシスト党の前身です。「戦闘ファッショ」などと云うと、「ファッショ」という単語に何か特別な意味合いがあるかのように感じられますが、少なくともこの時点ではそんなものはなかったろうと私は思います。どの世界史教科書・参考書の類を見ても、この団体名はそのまま「戦闘ファッショ」とか「戦士のファッシ」(ファッシはファッショの複数形)などと記述されており、おそらく「ファシズム」の語源を読み手に理解させようとの意図からそうしているのでしょうが、ここは素直に「戦闘団」とでもしておいた方がいいのではないかと私は思います。 何か組織を作る時の、「~の会」くらいの意味合いでしかなかった「ファッショ」という言葉に、‐ism、‐istをくっつけた時に、「ファッショ」という言葉は特別な意味合いをかもし始めます。

  それにしても「会」主義、「会」主義者とはまことに奇っ怪な表現です。普通は、「~の会」の「~」の方に「主義」や「主義者」の言葉が接続されるものですが、ここでは「会」の方にそれがくっついているのです。このこと一つとっても、「ファシズム」というのが極めて特殊な政治思想であることがうかがわれることでしょう。つまりファシズムにおいては、その主張の中身よりも、自分たちが一つの「会」、集団を形成しているのだという現象の方に重きが置かれているわけです。云い方を変えれば、ファシズムとはつまり「仲間意識」のことであると考えてよいかもしれません。私はファシズムを「団結主義」と訳します。ニュアンスとしては正しいはずです。

   戦友的な「絆」

  くりかえしになりますが、ファシズムとは何らかの共通の政治的目標を実現するために団結する、その団結それ自体に価値を見いだす思想であり、その際に掲げられる「共通の政治的目標」の中身についてはどうでもいい、とまで云うと云い過ぎになりますが、少なくとも二の次にしてしまうという、まことにヘンテコな「政治思想」なのです。ファシストの党なり組織なりが、まがりなりにも一つの政治結社である以上、自分たちとは違う政治的目標を掲げる他の政治的な党なり組織なり勢力なりと相争うことになります。その時、ファシストの政治結社に結集した個々のメンバーは、「共に闘う仲間」となります。「単なる仲間」ではなく、「共に闘う仲間」です。おおげさな云い方をすれば、「戦友」であるということです。

  このあたり、ファシズムに対する共感をしばしば表明し、また自らも冗談とも本気ともつかぬ口ぶりで時に「ファシスト」を自称する批評家の福田和也氏も、的確に云い当てています。いわく、ファシストの理想とは「戦友的絆による社会の求心化」である。ファシストは、たしかに特定の社会全体が、「戦友」的な仲間意識を基盤としたまとまりや秩序のようなものとして形成されることを理想としますが、それ以前に、ファシストの組織そのものが、戦友的な「絆」の感覚によって結ばれているのです。話を戻すと、ファシストにとって重要なのは、自らが掲げる政治的な目標以上に、まず自分たちが団結していることそれ自体なのです。

   政治思想で結ばれたヤクザ

  云うまでもなく、これは「ヤクザの論理」です。ファシストの組織のありようは、ヤクザとかマフィアのそれに似ています。映画『ゴッドファーザー』に美しく描かれた、「ファミリー」の団結です。マフィアやヤクザは、自分の属する「ファミリー」や「一家」を守りながら、その勢力を伸ばしていくことにすべてを、時に生命すらを賭けます。道徳的・倫理的に善であるか悪であるかではなく、「ファミリー」や「一家」にとって有益であるか否かが唯一絶対の判断基準です。そしてここで重要なのは、マフィアにしてもヤクザにしても、その「ファミリー」や「一家」が必ずしも生物学的な血縁関係だけに基づくものではなく、むしろ多くの場合は自らの意志でまずそこに加盟することから始まる、疑似的な家族・親族の共同体であるということです。いわゆる「義兄弟」や「義理の親子」の盟約が、組織の基盤となります。

  ファシストの組織は、べつにそうした疑似家族の組織ではなくむしろ近代的な政治組織の形をとりますし、マフィアやヤクザのそれとすべてが同じということはないのですが、やはりよく似ていることは確かです。自らの意志で加盟する組織であり、最大の価値はその組織の維持拡大、そして仲間意識の涵養に置かれるといった点はまったく同じだと云っていいでしょう。そしてファシストの組織があくまでも政治的なものである以上、加盟に際しては、その掲げている政治的目標を共有することが当然ながら最低限の条件ともなります。

  例えばヤクザは彼ら自身がよく主張するようにいわゆる「任侠道」によって結ばれているのか、それとも彼らを非難する側が云うようにしょせんは「カネ」のための団結なのか、その実態については私もよく知りませんが、ファシストの組織は、もちろん特定の政治的目的の共有がその団結の基盤です。ファシストの組織とは、「任侠道」(もしくは「カネ」)の代わりに、政治思想で結ばれたヤクザである、と云ってしまってもよいと思います。
(2005年、外山恒一)

  映画「ゴッドファーザーPARTⅡ」では若き日のビトー・コルレオーネの姿が描かれます。まずアメリカ移民の主力となった南部イタリアの人々は粗野な反面、寛容で人情に厚いという特徴があります。そんな彼らがニューヨークで社会の下働きをするわけです。しかし諸々のトラブルや、ヤクザの跋扈、不条理な搾取などがある。そうすると仲間内で庇い合おうという事に成り、裏の仕事も引き受けてしまうビトーはイタリアン・マフィアのボスへと押し上げられていく事になるのです。

五木寛之:明日なき時代の生き方(日刊ゲンダイ)

2011.04.21(00:58)

  「人は何のために生きるのか」と問う声があります。「生きるために何かをするのではない、何かをなすために生きるのだ」と励ます声もあります。要するに、ただ漠然と生きている人生には意味がないというわけでしょう。しかし私はそんな堂々たる人生に共感する気は毛頭ありません。悔い多き、恥多き自分の過去を情けなく思いながら苦笑しつつ死ぬ方が、よほどいいと思う。「生きる」ということだけでも大変なことです。豚のように生きようと、虎のように生きようと関係ない。森に散る一枚の木の葉にも生命はある。人が一生どう生きたか、などということは大したことではありません。5年だろうと50年だろうと「生きた」という事実に価値がある。寝ていようが遊んでいようが怠けていようが働いていようが、生きているということはそれだけで大変な事だ。

  人間の世界は無慈悲かつ非合理的なのものだと私は信じています。だからこそ、その世界にけなげに生きる命が尊く思われるのです。明日はどうなるか分からない、だからこそこの宇宙から見ればゴミのような自分の命にこだわる。生きているこの命を大事にする。「明日死ぬとわかっていてもやるのが養生だ」それが口癖だった父は早くに世を去りました。それも天命だ、と自分に言い聞かせつつも残念に思わずにはいられません。
(4月20日、連載第8691回より抜粋、改変あり)

  フクシマ(ヒロシマ、ナガサキと同様の表記ですね)原発事故のニュース解説で再三見せられた原子炉の図解フリップ、これは動物的本能を人間的理性が覆っている人間の構造を模しているかのように思えます。核分裂がどんどん連鎖継続してゆく臨界状態のように、また増殖するアメーバのように、生命体とはただ盲目的に滅亡と闘い、争い逆らって生存繁殖してゆく、そのようなある意味“形而上的な存在”なのではないでしょうか。そこにロゴス・人為という理性の蓋を被せて「意味・意義のあるふり・ポーズ」をとっているのが我々人間だとはいえないでしょうか。原子力それ自身に有害・無害の判断・判別はありません。人為であれ自然であれ関係なく、外的圧力そのままにその核分裂反応による爆発的なエネルギーを放散増殖させ、時には人工の蓋や隔壁を溶解、吹飛ばしてしまいます。丹田・太陽神経叢から脳幹があり、それを大脳新皮質がおおっているのです。我々は理性で本能を支配・管理しようとしますが、その前に言語的理性が形而上的本能の一部である事をよくよく認識すべきではないでしょうか。その上で「知恵の完成に実体はない」とか「只管打坐・不立文字・無功徳」などの文句を考えてみるべきだと思います。「どこの馬の骨とも分らぬ男にそんなに親切になさってはいけません、こんな世の中ですからもっと用心なさらなくては…」ますます好調、冴える筆致の五木先生「親鸞・激動篇」は、東京新聞朝刊にて絶賛連載中です!
  

軍産複合体と政治家=日米の武器商人

2011.04.18(06:48)

  クリントン政権で国防長官を務めたウィリアム・コーエンは、次のような発言をしています。これは、1997年4月28日にジョージア州アセンズのアトランタ大学で行われた「テロ・大量破壊兵器および国家戦略に関する会議」の基調演説の中の一節です。

  一部の国がエボラウィルスのような病原体を作ろうとしてきたことを示す報告書が複数存在する。そんなことが現実になれば、控えめに言っても極めて危険な事態になるだろう。アルビン・トフラーも「特定の人種や民族を抹殺するため、一部の科学者が人種に特異的に作用する病原体を生み出そうとしている」と記している。特定の作物を狙い撃ちにする技術や昆虫を開発する動きもあるそうだ。電磁波で遠くから火山の噴火や地震を人為的に起こしたり、気候を変えたりする環境テロに手を染める者たちもいる。多くの優秀な頭脳が、他国を恐怖に陥れる方法を探している。これは現実に起こっていることであり、我々も対策を強化しなければならない。

  コーエンは他人事のよう語っていますが、米国国防省で行っていることを述べたのでしょう。自分の管轄内のことだからよく知っているわけです。コーエンがこのように述べた理由は、最後の「我々も対策を強化しなければならない」という件りに表れています。これはつまり、「米国はこれから大々的に生物・気象・地震兵器の開発を行うので、この分野は投資先として魅力的ですよ」とセールスしているわけです。生真面目に国防を論じているのではありません。
(陽光堂主人、2月24日)

     ウィリアム・コーエン 前米国防長官 基調講演

  久間先生、武部先生、瓦先生、松本先生、宝珠山様、西岡様、アワー博士、そしてその他のパネリストの皆様方、再びこの重要な会議に参加することが出来、誠にありがとうございます。この会議をスタートさせた額賀長官、また特に久間先生のご尽力により、この会議は今日における防衛関連の議題に対しての、我々両国の政策決定者やオピニオンリーダー達の意見交換の場として非常に有益なものになっていると思います。久間先生のご意向により主要な防衛関連展示会も含まれ、これがこの会議をより重要なものとしていると考えます。

   ミサイル防衛協力について

  先般の北朝鮮による一連のミサイル発射によって、効果的なミサイル防衛の真の価値と重要性が浮き彫りにされました。このような防衛を開発し配備する為には多くの年月を要することを考えると、北朝鮮の行動によって日米が合意した、1990年代からのミサイル防衛共同開発への尽力は正当化されたといえるでしょう。また北朝鮮の行動により、我々の協力関係が賢明で望ましいものであることが示されたと思います。皆様ご存じの通り、日本の開発する技術はSM-3にとって不可欠であります。SM-3とは次世代のシーベースの迎撃機でありますが、最近わが国でテストが行われており、これは我々両国のミサイル防衛能力を強化するものでしょう。

  またPAC-3における主要な生産工程は日本に移行されるでしょう。米国は日本を唯一のPAC-3の部材の米軍への調達先として頼りにし、これは単に産業間の協力の強化ということではなく、両国の防衛産業ベースでの実質的な統合であるといえるでしょう。また米国側から見ますと、日本は対米国だけでなく、他の友好国がこのPAC-3に興味を示すのであれば、それらの国々にもこれを供給するべきであると私は考えております。

  この2つの良く知られた計画の他に、ミサイル防衛開発の初期段階における計画が幾つかあり、それらはミサイル防衛能力の教科とその適正化に資するものであります。日本は新たなD-19型の迎撃機の開発計画に着手しておりますが、これはその飛行中に敵ミサイルを探知するレーダーを搭載するものであります。このような新型の迎撃機を日本のイージス艦こんごう型と米国のイージス艦で共同運用可能にすることにより、日本はこれが最も有力なシーベースのミサイル防衛能力であることを明らかにできるでしょう。(略)

   防衛産業の協力

  現在そして将来的なミサイル防衛の開発、建設、配備のための共同計画は、その他の防衛産業での協力にとっても良いモデルとなります。日本の産業界は技術面、製造面において多くの長所を持っており、また米国の産業界はその半世紀にわたる防衛業界での研究による多くの利点を持っております。そのため米国の防衛産業とのパートナーシップは、日本の企業が独自でやるよりも、より多くの良い機会をもたらすでしょう。この共同作業は日米の産業に、既存の防衛装備品の供給から新たな防衛装備品の開発・生産まで、幅広く機会を提供するものであり、それらは日米双方の市場だけでなく、その他の友好国に対してでもあります。

  このような目標を達成する為には、準備段階を経ることが必要となります。それは軍事機密情報の保護や適切な取り扱いを定める方法を採択することであります。久間先生は我々2国間政府でのGSOMIAの締結へ向けて、また日本において機密情報の効果的な統制手段に関して非常に重要なリーダーシップを取っております。効果的な手段とは統制の違反行為に対して重要な罰則を課すことでありますが、より重要なこととしては、機密情報を取り扱う為やセキュリティクリアランスを個人や施設に対して行う為のルールや組織をつくることです。セキュリティ文化を国家の安全保障体制の中に組み込むことが、機密情報の不用意な情報漏えいを防ぐ重要な鍵であります。典型的に、故意によるものよりもこういった不用意な情報漏えいが、より多くの被害をもたらしており、これに関してはこの数週間のうちで実際起こったことであります。違反を防ぐことが目的化されるべきであり、単に違反に罰則を科すということではありません。

  もうひとつ真に防衛産業の協力を強化する為の準備段階として挙げられるのは、日本の武器輸出三原則です。1年半前、日本政府は日米の産業協力を拡大するための重要な決断を致しました。それはミサイル防衛や、ケースバイケースにおいて他の防衛装備品に関しても認められたものであります。私はこのケースバイケースとなっている点に関してのさらなる検討が、9月に組織される新たな日本政府にとって、政権期間中の具体的な課題になると考えております。

  この会議で以前に述べましたが、日本の防衛関連輸出品の追加的領域を検討する際には、現行の武器輸出三原則の解釈においても、日本はその技術と設備によって国際的に軍事的役割を果たしているということを頭に置かなければなりません。米国の戦闘機の4分の3と、多くの欧州戦闘機のコクピットには日本製の指揮系統設備が搭載されている。また多くの米国海軍艦隊の電気系統は日本製であります。特に最近のミサイル防衛協力計画等によって、さらに多くの協力関係を作り上げていることを合わせて考えると、これは十分な実績があるといえます。久間先生のこの分野での主導的役割は称賛されるものであります。

   世界における日本の役割の増加

  この方向での防衛産業の協力に関連した動きとしては、本来的な要求として、日本が自身を普通の国家安全保障政策を持ち、普通の軍事力を持つという、普通の国になろうという動きがあります。またそれはさらに、世界の舞台で適切な地位を占め、指導的な発言をし、国際社会の平和と安全に貢献し、国際社会の義務に忠実で、また自国の国益の為に行動するということです。額賀防衛庁長官は先週防衛庁の年刊の防衛白書を発表しました。これは多くの点で新たな領域に踏み入ったものと考えられます。日本と地域の人々に対し、白書は以前よりさらに鮮明に下記の点について説明しています。

  ・日米同盟における役割を安定化
  ・日本の防衛能力を近代化する理由
  ・日本の地域、世界で持つ脅威認識について
  ・日本の地域、世界における安全保障への役割の増加

  この細かに分析された日本の防衛計画をもって、白書は非常に適切に、更なる安全保障上役割を担うことを熱望する地域の他の国々に、対等な透明性を示すよう呼びかけています。この“透明性の争い”はこの地域で度々見られるような他の争いよりも建設的です。ですから国際社会は日本に賛同し、日本の、さらに開かれた防衛計画の議論への要求をサポートするべきです。日本がこの大幅に強化された日英版での白書の発行を決定したことは、この目的にさらに貢献するでしょう。他の国々は時に日本と違った予測を持つでしょうが、これは理解できることです。しかし同時に、これらの国々に対してその見解を理性的に、細部まで、説明させることを責務とし、またその際、目線を国際社会に向けたものにさせるべきであり、愛国的な要素からは離すべきです。愛国的な要素というのはたいていの場合、公式的な発言を聞き、公式にメディアによって感化された聴衆であります。(以下略)

  野田財務相がG20のフランスで会合したクリスティーヌ・ラガルド財相はシンクロナイズドも得意なスーパー・エリートですが過去に米国で下院議員のコーエン氏を補佐した事もあったそうです。ちなみに山田洋行の項で触れた「日米平和文化交流協会」とは、そのソフトかつ人畜無害な名称とは裏腹に「国際的な兵器売買」を日本のトップが検討する会合だったんですね。まあ、米国覇権と核抑止力、イコール平和という発想でしょうから… 福田元首相や前原前外相もこのオイシイ話に一枚噛んでいたのは間違いないようです。上杉隆さんて福田さんの問題に絡んで活動停止騒ぎに発展したのではないですか?

  で、フランスのラガルド財相ですが…彼女の本業は世界を股にかける国際的な大物弁護士で、ベーカー&マッケンジー法律事務所の社長だったんですね。福島原発支援で来日した前述のアンヌ・ロベルジョン女史はこのラガルド女史と同志だそうです。前原・ロベルジョン・ラガルドの共通点は? そう、原子力発電を「世界に売る」、特にG20のような経済発展著しい新興国に外交面から営業をかける、ということでしょう。「防災体制の強化」を迫られる日本と、サルコジ政権下のフランスの大物女史2人の思惑、その背後に見え隠れする「原子力・核兵器商戦」、そして集団的自衛権と対米覇権追従の間で逡巡する小沢排除…つながりはありますよね。

神話と驕り~「思考停止」の代償・顛末(東京・中日新聞)

2011.04.18(05:07)

  「比喩的に、根拠もないのに、絶対的なものと信じられている事柄」広辞苑で「神話」を引くとこんな説明が出てきた。福島第一原発の事故は、「絶対安全」という原発神話を崩壊させた。今さらだが、神話といわれた時点で根拠が怪しかった。事故の深刻度評価がレベル7になってしまった。福島第二原発を抱える福島県富岡町の遠藤勝也町長は「四十有余年、東京電力と信頼構築しながら、共存共栄を図ってきた。絶対安全という神話を信じ切ってきたのに」とショックを隠せない。社会も原発の安全性に不安を感じながらも神話に頼ってきた。原発が生み出す電力を手放したくなかったからだ。東京に住む身としては、その恩恵は十分に受けてきた。もはや原発に全く頼らない生活は考えにくい。原発事故が落ち着いても、廃炉まで長い年月を放射性物質と向き合わねばならない。原発が動く限り、放射性廃棄物も出続ける。原発とどう向き合うのか。この課題も、少子化が進む次世代にのしかかる。大人の都合で進めてきた原発政策のツケの重さに、打ちのめされるばかりだ。(東京新聞、4月13日、抜粋)

  押収資料を改竄した大阪地検の元特捜検事に対する判決は、1年6カ月の実刑だった。特捜検察の悪しき体質が生んだ事件だ。再生策は緒についたばかりで、信頼回復への道ははるかに遠い。「わが国の刑事裁判史上例を見ない犯罪だ」と大阪地裁が断罪した。確かに郵便不正事件の主任検事だった前田恒彦被告が、押収したフロッピーディスクのデータを書き換えるという前代未聞の事件だった。「検察官の行為として常軌を逸している」「(データの)改変の態様は、巧妙なものであり、悪質だ」「刑事司法の根幹をも破壊しかねない所業」などと、判決が厳しい言葉を連ね、非難を浴びせたのは当然といえる。だが、常軌を逸した一検事の暴走だと単純に位置付けるわけにはいかない。特捜部という組織、検察庁という組織がはらんだ体質そのものが事件を生んだともいえるからだ。その点で、起訴された当時の特捜部長や副部長と前田被告のかかわりについて、判決が言及しなかったことは残念だ。

  最高検調査に全検事の26%が、実際の供述と異なる調書を作るよう指示されたと回答した事実は、何よりも組織の病根を物語る。とくに特捜部は汚職や企業犯罪など独自捜査を担う。責任感は「何としても事件を」という強迫観念と表裏一体で、ときに空中楼閣の事件をでっちあげてしまう。その一つが郵便不正事件だった。特捜検事はエリート意識も持ちやすい。だから、驕りが生まれる。「正義」の旗を掲げつつも、独善的な正義だったりする。処罰の実現を重んずるあまり、捜査の適正な手続きや人権への配慮が欠落してしまったりする。前田被告が「特捜のエース」と呼ばれていたのは、事件の見立てに合致する供述調書を作ることに長けていたからだろう。上司の意に沿う検事が重用され、異論を排す特捜風土があったはずだ。そこにも落し穴がある。「検察の在り方検討会議」は、人事面の改革や、捜査でのチェック体制の構築などを提言した。無罪となった失敗事件を研究したり、検事の研修制度も盛り込んだ。江田五月法相は検事総長に対し、特捜部の取り調べで、全過程の録音・録画の試行を指示した。さび付いた特捜という“金看板”の信頼を取り戻すには、これらの再生策を一つずつ実行し、ひたすら改革に打ち込むしかない。
(中日新聞、4月14日)

 

山田洋行事件の深層(山本峯章)

2011.04.17(19:32)

  民主党・小沢一郎と福田康夫首相の「大連合」構想は、破談から小沢の辞任宣言、民主党幹部による留意、辞任撤回とめまぐるしく変転して、結局、もとのサヤにおさまった。だが、この間の経緯の不自然さ、小沢の言動の異様さは、ただごとではない。最大の謎は、参院選に勝ち、安倍普三を首相の座からひきずりおろした小沢が、大連合などという与太話に乗ったことである。二大政党制を主張してきた小沢は、打倒自民に、政治生命を賭してきた。その豪腕小沢が、安易に、談合による連合にとびついたというのが、解せない。いったん、辞任を口にして、翌日、前言をひるがえすなどということも、以前の小沢にはなかったことだ。つまり、大連合談合から辞任撤回にいたる小沢の一連の言動には、まったく、整合性がないのだ。読売新聞・渡邊恒夫社主がもちこんできた大連合の話が、そもそも、胡散臭い。何かからくりがあるとにらんだのは私だけではないだろう。事実これをある方向から読み解くと、一本の筋が見えてくる。

  アメリカが、新テロ特措法を拒絶する小沢に業を煮やして、政治生命を断つぞ、と脅しをかけ、小沢がこれに屈したという構図である。だが、ただの心変わりでは、民主党も国民も納得しない。信念の政治家というイメージも地に堕ちる。そこで、大連合という舞台で「国連の国際治安支援部隊(ISAF)に自衛隊が参加できる恒久法を制定するなら協力する(国連決議にもとづく国際治安支援部隊への自衛隊参加は憲法違反にあたらない)」という条件をしめして、テロ特措法容認のみちをひらき、一方、民主党にたいして、辞任声明、留任懇願をうけて辞任撤回という芝居を打ち、変節をカモフラージュした。そういう推理が、十分成り立つのである。

  アメリカが小沢に脅しをかけてくる要因はいくつもあった。一つは、新テロ特措法への硬直した拒絶反応。もう一つはシーファー米大使にたいする無礼な対応である。小沢は大使からの一回目の会談申し入れを拒否、二回目で応じたものの、大使を党本部に呼びつけて、5分間、立たせたまま待たせ、さらに別室でも待たせ、そのすがたをテレビカメラに映させて、シーファー大使をさらし者にした。さらに、会談中も、テレビカメラを招き入れて、これ見よがしに、大使の申し入れを拒絶するじぶんのすがたを国民にアピールした。このパフォーマンスで、同法延長に反対する民主党は、後戻りも、自民党との取引もできなくなった。かつて、親米派だった小沢が、政権欲しさとはいえ、反米の急先鋒に立ち、いま、日本でもっとも期待されている政治家ということになれば、かつて、ロッキード事件で田中角栄を葬ったアメリカが、黙ってひっこむわけはない。

  手始めが、産経新聞がリークした「隠し財産」疑惑である。新聞記事によると、小沢の「隠しマンション」は10以上あり、そのうちの8つは、都内一等地だという。地元の岩手県盛岡駅前と宮城県仙台市の県庁近くにも、高級マンションをもっているが、「議員資産等報告書」には記載されていない。この手のリークには、かならず、裏があるもので、多くは、検察情報である。小沢をやるぞ、というシグナルは、このとき、すでにでていたのである。これが、ジャブで、山田洋行事件の守屋元次官の国会喚問が必殺パンチの初弾だった。さらに、宮崎元伸元専務逮捕、守屋次官の再喚問という連続パンチで、小沢は、窮地に立たされる。

  返還したというもの、小沢は、山田洋行から、600万円の政治献金をうけている。どういう因縁かといえば、山田洋行に、航空自衛隊OBで、防衛族の田村秀昭・元参院議員(国民新党副党首)を送り込んだのが、金丸信・小沢コンビだったのである。その田村が「山田洋行」に、政界引退後、専用のハイヤーや秘書をつける役員待遇で採用するようはたらきかけていたことが一部の新聞にリークされた。この時期、そんなニュースがとびだしてきたのは、偶然ではない。ある筋が「政界ルートを解明しろ」という世論をおこすべく、操作しているのである。

  宮崎元専務逮捕のあと、守屋元次官の再喚問という事態になれば「航空自衛隊次期輸送機CX1000億円の受注」をめぐる防衛庁の贈収賄事件が、いよいよ、白日のもとにさらされることになる。ターゲットは、政界ルートだろう。久間元防衛庁長官は、ビビって、病院へ逃げ込んだ。だが、政界のターゲットは、久間でも額賀でもない。かつて、小沢の側近だった田村秀昭である。田村は、防衛大一期生で1989年1月、航空自衛隊幹部学校長(空将)で退官。同年7月の参院選で初当選して3期を務めた後、今年7月に引退したが、現在も国民新党副代表の地位にある。田村の政界入りをバックアップしたのが、自民党元副総裁で防衛庁長官も務めた金丸信と小沢で、当時、田村の選挙資金を負担したのが山田洋行だった。

  このとき、金丸がつくった「日本戦略研究センター」は、防衛商戦の"陰の司令塔"と呼ばれたほどで、防衛庁に、深く食いこんでいた。政界の防衛利権は、ここからはじまったようなもので、90年代の役員には、自衛隊制服組OBの参院議員・元陸上幕僚長の永野茂門(98年引退)が理事長、田村秀昭(07年引退)が副理事長、伊藤忠相談役・瀬島龍三氏が顧問に就いた。山田洋行も、当時、日戦研センターの法人会員だったが、当時はまだ零細企業だった。同社が、驚異的に業績をのばしてゆくのは、防衛庁OBの宮崎元伸(93年から専務)が入社してからで、92年には120億円、07年には350億円と売り上げをのばし、短時日で、業界屈指の防衛商社となった。

  自衛隊の装備購入に絶大な影響力を発揮していた田村議員の肩入れがあったためで、総額2200億円のAWACS(空中警戒管制機)のエンジン・メーカーであるGE(ジェネラル・エレクトリック社)の代理店契約を、実績のある極東貿易から奪いとるなどの辣腕を発揮した。93年に海上自衛隊が米製ホーバークラフト一隻(503億円=輸送艦込み)を購入した際、納入業者が三井造船から山田洋行に移ったのも、田村議員の"天の声"があったからといわれる。「田村は小沢の側近中の側近」(防衛省関係者)だったことから、小沢の天敵・野中広務元官房長官が、93年10月の衆院予算委で「AWACS購入の決定に特定の政治家が関与している」と、当時の細川首相や中西啓介防衛長官を執拗に責め立てている。山田洋行事件が、政界に飛び火したら、小沢も、うかうかしていられない。

  今回の摘発は「山田洋行」と、同社から分離独立した「日本ミライズ」の商権争いや告訴合戦に端を発している。といっても、喧嘩両成敗ではなく、捜査は、同社の宮崎元専務の背任と守屋次官の収賄を軸にすすめられており、日米共助法で、地検に協力している米司法局も、その線でうごいている。現在、山田洋行の代理人に立って、守屋や宮崎を攻撃しているのは、「日米平和・文化交流協会」(理事・綿貫民輔/瓦力/久間章生/額賀福志郎/ウィリアム・コーエン/マイケル・アマコストら)の専務理事で、なおかつ、「安全保障議員協議会」(会長・瓦力/副会長・久間章生/額賀福志郎)の事務局長を務める秋山直紀である。

  今回、検察は、山田洋行側に立っている秋山直紀や米司法局と足並みを揃えている。捜査の矛先は、はじめから、宮崎・守屋コンビに絞られているのである。ロッキード事件のときも、検察と米司法局が手をむすんで、田中角栄を追いつめた。アメリカからの圧力は、アーミテージやラムズフェルドとも近い「日米平和・文化交流協会」を経由しているのではないか。ちなみに、山田洋行事件がおきると、福田康夫、石破茂、額賀福志郎が、揃って、同会を脱会した。どんな不都合があって、3人は、10月末日、あわてて同会を辞めたのであろうか(前原誠司は12月5日に退任)。

  ちなみに「原爆投下はしょうがない」という久間発言は、「日米平和・文化交流協会」の空気を反映したもので、それだけ、メンバーのメンタりティが、アメリカ寄りだったということになる。「日米平和・文化交流協会」グループの久間や額賀、秋山直紀、検察、そして、米司法局が標的にしているのは、山田洋行ではなく、「日本ミライズ」の宮崎と守屋元次官である。その視野のなかに、小沢がとらえられている。脅しの手としては、上等である。小沢がアメリカに楯突くと、防衛汚職の政界ルートを洗うぞ、というわけである。

  金丸失脚後、「日戦研センター」をひきついだのは、たしかに、小沢だが、同センターはすでになく、小沢が、どの程度、防衛利権にからんでいたのかもわからない。だが、田村元議員の線から、小沢を洗うことはできる。日米共助法は「相手国から協力を要請された場合、捜査に協力しなければならない」という義務項目がある。アメリカが小沢の捜査を検察に依頼した場合、検察は、アメリカ司法局から依頼という形で、小沢の調書をとれるのである。

  アメリカは、国益に反すると見れば、戦争をしかけて、元首(パナマ・ノリエガ/イラク・フセイン)でも、拉致して刑務所にぶちこむような国である。アメリカが海上自衛隊によるインド洋の給油を再開させるため、新テロ特措法に反対の小沢排除に非常手段をもちいたとしても、決してありえない話ではない。ワシントン発の時事通信によると、ゲーツ米国防長官は11月1日の記者会見で、日本政府が海上自衛隊によるインド洋での給油活動を中断したことについて「比較的速やかに、願わくば数週間以内に再開してほしい。数か月以上もかかってほしくない」とのべている。福田首相も8日、首相官邸で来日したゲーツ米国防長官と会談して、インド洋における海上自衛隊の給油中断を平身低頭で詫び、給油再開にむけて新テロ対策特別措置法案の成立に全力をあげると約束した。

  私の考えでは、検察・米司法当局による「日本ミライズ」捜査と、国会での新テロ特措法案の審議は、並行して進み、小沢・民主党が折れなければ、防衛汚職の政界ルートが洗われることになるのでないか。そうなると「田村ルート」のほか、山田洋行の顧問についている民主党の東祥三元議員へも司直の手がのびるかもしれない。アメリカの意向がはたらいているかぎり、捜査の方向が「日米平和・文化交流協会」「安全保障議員協議会」の関係者へむくことはないだろうが、守屋の国会証言、あるいは、宮崎の調書しだいで、捜査が、山田洋行へ拡散される可能性もないではない。とくに、守屋が、国会で爆弾宣言をすれば、その可能性が高まる。その場合捜査対象となるのは、政界ルートではなく金融ルートである。

  もともと、山田洋行の母体である山田グループは、不動産を中心としたコングロマリットで、社長の山田正志は、旧住友銀行・西川善文元頭取(現日本郵政社長)と組んで、RCC(債権回収機構)を一枚かませた債務トバシをやってきた男である。そのダミーに使われたのが、山田洋行で、これに反発した宮崎専務が、同志をひきつれて「日本ミライズ」を設立、GE(CXエンジン)の契約を山田洋行から移した経緯がある。宮崎は自分が育て上げた「山田洋行」を債権処理のダミーに使われたことに反発したのである。

  見方を変えると、背任は、山田洋行なのである。地検が解明しようとしている宮崎元専務の一億円の使途不明金も、3人の役員(宮崎専務・秋山常務ら)のボーナスで、これをプールして、新会社に投資したことが横領といえるか、疑わしい。先のブログで、わたしは、小沢が反米を戦略にするなら、徹底的にやるべしと書いた。これまで、経済摩擦はともかく、政治・外交分野で、アメリカに楯突いた政治家は一人もいなかったからで、反米も、日本という国が、大人になる試練となると思ったからである。だが、その前に、検察=米司法局の手で、隠れていた巨悪が掘りだされることになるかもしれない。
(2007年11月12日)

  大規模災害と有事というのは似ていて、自衛隊の出動や国民の避難・活動自粛など、首相や内閣のトップダウンの下、総動員体制が取られるわけです。そういうことを踏まえて統一選後半の「防災体制の強化・安全安心の街づくり」という謳い文句や異常にぶっとい文字の自民・公明ポスターを眺めてみては如何でしょうか。相変わらずの原発が急に「収束に向かう見通し」と新聞記事が出て、17日ヒラリーが来日し、皇后陛下との親密さをアピール、岡田幹事長は小沢さんを厳しく牽制しました。先週の週刊ポストの記事内容でも対米追従・東大擁護・原発収束の3点セットが揃っていましたが、編集部は何か掴んでいるのかも知れませんね。

アカハラってナ~ニ?(清友会)

2011.04.14(11:58)

 (1)アカハラと「法の支配」
  私が、アカハラの問題点を端的に申し上げるならば、アカデミックな領域は、「法の支配(法治主義)」が及ばない最後の領域であり、そこで問題が噴出しているということである。諸先生ご案内のとおり、民間会社においては、市場原理が働いており、コンプライアンス(法令遵守)を行わないと淘汰されてしまう時代である。行政については、京大の佐藤幸治教授が主導し(行政制度の改善については、戦後一貫して東大教授が主導権を握っており、京大教授がこのような大きな改革にとり組むのは異例のことと言われているが、東大ではできなかった可能性がある)、行政改革が行われた(ただし、これは短いスパンで行われ、大蔵省が財務省、文部省か文部科学省に名前を変えただけで、本当に行政において法の支配が貫徹したといえるかどうかはなはだ疑問である。現在、司法改革が言われているが、行政改革は何も言われなくなっている。この点、行政事件訴訟制度の改善の行く末を厳しく見ていく必要がある(ただし、地方行政において、大阪市の闇給与問題などが噴出し、一定の効果が出ているケースもある)。司法については、やはり佐藤京大教授の主導により、司法改革が提案され、現在は実現の過程だと言われている。裁判員制度、司法支援センター等が新しい制度として予定され、弁護士が急増し、司法書士が簡裁代理権を取得すると同時に本格的な法律相談を有料で行えるようになり、弁護士会の法律相談の件数が激減している。弁護士にとって真のリーガルサービスを提供していてももしかするとこれからは食っていけない時代が到来するかもしれない。これに対し、大学及び研究所においては、法の支配がまだほとんど及んでいない(法の支配を高唱する佐藤京大教授がこの問題提起をしないのは、身びいきだと批判されても仕方がない)。アカハラを起こすいわゆるボス〔大学における講座の教授、研究所における部長〕は、「俺は法律より偉い」と思っており、様々な権力が集中してやりたい放題である。これは、あたかも中世の専制君主を想起させるものがある。 

 (2) アカハラの実態
  大学や研究所は、世間から、「理性の府」と言われているが、その反面、「象牙の塔」とも言われている。「象牙の塔」の特徴を掲げると(ベテランの先生には、山崎豊子原作の小説「白い巨塔」における財前教授を想起していただければ分かりやすいと思います)、次のとおりである。第1は、閉鎖性である。問題すなわちアカハラを起こす人は、自宅と研究室と学会を行き来するだけで、世間というものを知らない。昔、最高裁事務総局が、裁判官は、街中で酒を飲むなと言っていたが、それが裁判官をして世間の常識と乖離させる原因だと批判された。大学の教員研究者は、学生と接触し、公的な活動を行う過程で世間と接するので、裁判官よりは世間に接しているが、接する時間及び人が限られていること、世間の人が持ち上げてくれるのに慣れてしまっていることなどから、世間の人や世事を真に分かろうとしない、分かっていない人が多い。これを別の観点から言うならば、権威性や専門性がありすぎる余り視野狭窄となり一般常識や他人の感情を配慮しない、できないといったが面が強いということがいえる(IQよりEQが問題である)。例をあげれば、某教授は、良い環境を整え時間をかけて大成するのは人間も癌細胞も同じであると書いた論文を発表しているのであるが、これは癌患者本人及びその家族の心情を全く配慮していない。

  第2は、権威性である。問題即ちハラスメントを起こす人ほど、自分は世界で一番偉いと思っており、何でも自分を中心に考えてしまう傾向がある。このような人はどうしても常識(コモンセンス)と乖離していくのであり、このような人を常識により説得するのは至難のわざとなる。自分が権威だと自覚する人は、自分の無謬性を信じ切ってしまい、自分に異議を唱える者を容赦なく徹底的に攻撃する傾向がある。第3は、前近代的な徒弟制度である。大学において(研究所においても同様である)、教授と教授以下の人は師匠と弟子の関係であり、いわば学説及び研究手法・成果並びにそれらから派生する出版権等の利権が師匠から弟子に伝授されるという関係にあり、そのような関係を基本的単位として成り立つ組織自体が極端なギルド社会を形成している。

  第4は、特に大学においては、「大学の自治」の名の下により、ボスの教授に様々な権力が集中する体制になっているということである。これは、「講座制」という形態をとっている大学において、講座の主任教授にすべての権力が集中するという形で現れる。たとえば、医学部や法学部は講座制をとる典型的な分野であり、1つの分野たとえば、医学部で言えば病理学講座または解剖講座等々、法学部で言えば、憲法、民法(普通は、たとえば民法財産法、民法物権法などとして、さらに細分化されて、講座が設けられている場合が多い)等々という講座において、主任教授にすべての権力が集中する。医学部において病理学の講座があったとする。そこにおいては、主任教授がおり、その下に助教授がいて、その下に講師がいて、その下に助手がいるという形になっている。助教授くらいになると一人しかいないので、教授の覚えめでたく、主任教授が退職することによりその助教授が講座の主任教授になること(いわば主任教授のポストを承継すること)が約束されている。講師や助手になると、複数いる場合もあり、そこでは講座の主任教授により選別がなされ、一人は助教授になれるが、他は教授の推薦により他大学に就職しそこで自分の進路を自分で決めていかなくてはならないことになるが、主任教授との関係を悪くすれば、推薦を受けられず、研究者及び教育者としての途を諦めねばならない事態になることもある。教授、助教授、講師、助手のポストは、大学設置基準及び大学院設置基準に基づいて一定の数に限られており、教授、助教授、講師、助手の昇進コースは、形式的には教授会で決められるが実質的にはボス教授により決められているのである。
(抜粋)

  京大・小出裕章氏も武田邦彦・中大教授も学会では出世コースから外された窓際・冷や飯食い扱いだそうです。人間・学者としての良心・良識をかなぐり捨て、テレビで「福島原発はいまのところ安全・安全・安全です、でもレベル7に昇格しましたから予断は許さない」なんて嘯いていれば高額のギャラが保障されるわけです。週刊ポストのトップ記事で不安を煽る左翼系デマ記事への批判から“東大擁護”に移行してしまったピンボケ現象も含め、要監視項目です。亀井さんも東大出身ですよ。NHKのアナウンサーにも気骨を感じます。古賀さん以外に忸怩たる思いを持つ現役官僚・良識ある公務員も多い筈。ブランドによる単純な仕分けはもはや無意味です。高学歴・高収入なのに、この人とあの人、どこが何が違うの? 菅執行部はその本来の良さを全く生かすことができていないのです。

  東大批判をすると何故教育・学習の否定まで行ってしまうのでしょうか。このようなすり替えを行なうからこそ、背後にある卑しい意図が透けて見えてしまうのです。阿弥陀仏が救済するような“精神の飢渇”には貧富の差や成功失敗、偏差値の高低には無関係ですよね。高学歴と鍛錬によって無制限の自由が許されれば、アメリカがハイテク作戦によって日本人を殺戮・蹂躙しまくっても何ら問題はないわけです。ポイント獲得に血道を上げるだけの価値観ではどんな分野でも必ず弱肉強食が持論になり、それは視野狭窄~自己破滅を招くわけです。“上から目線”の「がんばろう」はやめてくれという文章の割には全篇そのような気配が…あるのは自意識ばかりで人生・生命に対して畏怖の念が感じられません。技術もあり工夫と努力を重ねてはいるのですが、菅さんや創価学会と同じ陥穽にはまったようですね。

小沢陣営、菅不信任へ(産経新聞)

2011.04.14(09:36)

  内閣不信任案への同調を示唆する発言をした民主党の小沢一郎元代表がついに「菅降ろし」に本腰を入れ始めた。大震災前には「刑事被告人」として「党員資格停止」処分を受け、政治生命の危機に直面していたが、震災対応に四苦八苦する菅直人政権を尻目に、首相交代へと一気に舵を切った。昨年から続く民主党の内紛は、攻守逆転の様相を呈してきた。東京都世田谷区の小沢氏の私邸には、前日に続き13日夜も自らを支持する中堅・若手グループ「一新会」メンバー約20人が顔をそろえた。

  「酒で酔う前にみなさんに話がある」小沢氏は、珍しくもったいぶった形で話を切り出した。「福島原発について危機感を鳩山(由紀夫前首相)さんと共有した。失政の部分が大きい。これを許していたら、後世、『あの政治家は何をやっていたのか』と言われる」怒りをぶちまけた後に小沢氏の口から出たのは自らの決意だった。「私なり鳩山さんなりが菅さんに働き掛けをするが、それでもダメなら(われわれは)覚悟して行動しなければならない」酒が入ると小沢氏は上機嫌になった。出席者からの「新党を作りますか」と問われると「党を割ることはない。俺たちが本当の民主党だ。向こうが変節したのだから、向こうが出ていってくれるぐらいじゃないとな」。解散については「絶対にできない」と断じた。

  倒閣に向け、のろしを上げた小沢氏。13日昼に国会内で開かれた小沢氏支持の衆院1年生でつくる「北辰会」の会合では、小沢氏の見解が記された1枚のペーパーが配られた。「被災者への対応は遅々として進まず、原発事故の初動対応の遅れをはじめ菅首相自身のリーダーシップの見えない無責任な内閣の対応は、さらなる災禍を招きかねない…」北辰会の約20人はその後、官邸に乗り込み、首相あての「原発事故における国家的非常事態に関する緊急提言」を枝野幸男官房長官に提出した。「国内外の英知を結集し、一丸となり対策を実施できる体制が整っているようには見受けられない」「放射線の危険性は個人で判断するすべのないものであり、これまでの自主避難の方針は理解しがたい」提言には激しい政府批判が並んだ。

  小沢グループ内では具体的な「菅降ろし」のプランもささやかれ始めた。有力なのは両院議員総会で菅首相の「党代表辞任」を求めるリコール運動だ。小沢グループは衆参合わせて約120人の最大派閥であり、鳩山氏との「小鳩枢軸」が復活すれば両院総会で過半数を占め、リコールが成功する。民主党内では小沢氏の「党員資格停止」処分を見直すべきだとの声も強まっている。党倫理委員会(委員長・渡部恒三最高顧問)は13日に小沢氏の不服申し立てを審議する予定だったが、先送りされた。首相に批判的な小沢鋭仁前環境相は最近、渡部氏に「また小沢いじめと思われますよ。平成23年度第1次補正予算案が成立するまで待ったほうがいい」と直談判した。渡部氏は「そうだな」と応じた。執行部は処分見直しに否定的だが、党内摩擦を回避するため、渡部氏の判断を受け入れた。国民新党の亀井静香代表も13日の記者会見で首相に小沢氏の登用を進言した。「小沢さんを座敷牢から出しなさい。民主党が乱れていて、挙国一致なんかできっこない」
(4月14日)

  国民は小沢さんのスローガンで民主党を選び、菅首相は選挙に全敗であることは事実です。世論調査も捏造の疑いが濃厚で、何より当の検察庁の取調官、前田容疑者が実刑で有罪判決を受けてしまいました。この前田によって調査を受け、しかも不起訴処分を重ねた小沢さんを「市民の力で有罪」にするのは法治主義の放棄で、もう無理です。菅首相ももう思い通りにやったでしょう。欧米先進国が弱体化し、BRICs諸国が台頭してくる現在、BRICs陣営を「共産主義・独裁国家!」と攻撃する事はできないのです。日本を含む欧米先進国も同じ世界の一員として世界諸地域の経済発展に貢献し、同時に国内諸地域・諸分野の発展育成にも寄与する時代であることは明白なのです。

  民主党や国民新党の「お役所主義の改革! 市民の皆さんにお金を配る! 日本人の生活文化を守る! でも反自民・非共産・脱宗教!」…新しい多極型経済(文化)発展を示唆する、この世界の潮流にも叶った現実的・人間的なわかりやす~いスローガンからは、しかし民主党が何を目指しているのかいまひとつ伝わって来ませんw 国民はいまだに民主党は自民党なの?共産党なの?公明党の方が先見性があるのでは?と本質や既存の弊害を理解できず、先に進めないでいます。時代は共産主義の希望(逃げ場の提示)から次の模索に突入したのではないでしょうか? 原発からは離れても、放射能からは逃れようがありません。日本共産党も実はその事を人一倍実感しているのではないでしょうか? 国民はむしろ自民・公明・共産の公約のストレートで耳に心地好い部分に親近感を覚えるようです。それは現実逃避であり、更なる災厄を引き起こすのではないのでしょうか。

  しかし共産主義先導の大衆運動の隆起はファシズム部隊の出動にうってつけの口実・機会であり、大勢の一般民衆の平和へのデモ行進も、訓練された軍人・警察と最新鋭のハイテク兵器の前には無力です。だからといって自公政権に戻したら、更なる原発推進と、国家危機にも埋蔵金を握り締め財政緊縮のための大増税を叫ぶ官僚・公務員依存、癒着汚職による格差社会を口実とした軍備増強が進むばかりです。かなり出遅れてしまいましたがここで小沢・亀井内閣に命運を賭さなければ日本全体が戦後自公・官僚・財界政治の象徴=福島原発のようになるのは、もう時間の問題です。小沢陣営が「維新」「減税」の党名で左右の支持を結集できるかどうか…?

  まとめると、①菅さんは大震災が起こらずとも国民から選挙で明白に不支持を受けており、震災後もその動向は何ら変わっていない事。②小沢一郎氏の政治とカネの問題がマスコミを賑わしたが、結局有罪になったのは検察側の前田被告であったという事。③大マスコミの言論統制・収益減退に象徴されるように、内部留保重視・機能不全の既得権益保護に固執する日本社会は、生産力・国際競争力を如実に低下させている事。以上の理由から反自民・非共産・脱宗教を条件に、小沢・亀井政権に期待します。

日本CCS調査と余震の関係?

2011.04.14(08:08)

  日本の地球環境産業技術研究機構によると、CO2が枯渇した地下や海底のガス田などのスペースをすべて活用すれば、理論的には最大1500億トンのCO2を貯蔵できるという。また、CO2を枯渇油田に注入することで、石油の増産効果が期待できるため中東諸国も注目している。地中などに貯留されたCO2は、今後漏れ出す可能性が懸念されるなど、場所を置き換えるだけで、地球温暖化問題の究極の解決策とはいえないが、短中期的な解決策としては最も現実味がある有望な技術。また試算による、貯蔵スペースも十二分だ。南アフリカ政府では、新設する石炭火力発電所にCO2を回収して「地中に貯蔵する技術(CCS)」の採用を義務付ける方針を決めたとしている。同じく日本でもCO2の地下貯留に向けた動きがスタートしているという。周知の通り、地球温暖化はCO2など温室効果ガスの排出が主因とされ、その削減が急務とされている。ただ、会議での温暖化対策の国際枠組み協議など、各国の思惑が絡み足並みが揃っているとは言い難く、日本においても計画通りには進行していないのも実情だ。

  そこで、実現可能な対策として急浮上してきたのが冒頭から述べている「CCS」と呼ばれる、CO2を分離・回収し、地中に埋めるという仕組み。新潟県長岡市で実証実験を行っているが、貯留量は1万トンと小規模にとどまっている。このため政府は、今後5年間で約300億ドル(約3兆2000億円)を投じる革新的技術の1つとしてCCSを盛り込み、開発を加速させる意向だ。現在、日本では、今年5月に経済産業省の主導で電力や石油元売りなど関連業界24社が立ち上げた共同出資会社「日本CCS調査」で、09年度からの大規模実証に向けた準備を進めている。この新会社の目標は、2020年までに5000万トンのCO2の貯留。電力や石油元売り以外で関連する上場企業としては、千代田化工建設、東洋エンジニアリング、日揮、石油資源開発、住友金属、三菱ガス化学、新日鉱HD、新日本製鉄などが挙げられる。CCSとは、火力発電所などの排出ガスを溶剤に通すことでCO2を分離し、熱で溶剤を蒸発させてCO2のみを回収、深さ1000メートル程度の地中や海底に封じ込める技術。発電所が排出するCO2の約9割を回収できるといわれている。日本企業では、三菱重工業がノルウェーの国営企業から火力発電所に設置する世界最大規模のCO2回収・貯留設備の初期設計の受注を発表しているほか、IHIやJパワーがオーストラリアで2010年に始まる実証実験への参加を決めている。
(2008年)

  当社は、このたび、独立行政法人新エネルギー・産業技術開発機構(NEDO)の公募する研究開発委託調査事業「革新的ゼロエミッション石炭ガス化発電プロジェクト」のうち、「発電からCO2貯留に至トータルシステムのフィジビリティー・スタディー」(以下、「本調査」という)を受託することとなりました。本調査は、福島県いわき市にある石炭火力発電所から排出されるCO2を、福島県の沖合にある枯渇した海洋ガス田構造に貯留することにつき、今年度、フィジビリティー・スタディー(事業化事前検討)を実施するものです。上記の石炭火力発電とは、当社の株主である電力会社10社が出資する株式会社クリーンコールパワー研究所が、常磐共同火力株式会社の勿来(なこそ)発電所構内に設置した石炭ガス化複合発電(IGCC)です。また海洋ガス田とは、当社の株主である帝国石油株式会社が、1984年から2007年にかけて天然ガス生産を行った岩城沖ガス田構造です。本調査は、日本国内でのCCS大規模実証試験に向けた本格的な調査の一つであり、今後、検討・評価を行う上で、関連機関と連携を図りつつ、地域の皆様のご理解とご協力を得ながら進めてまいりたいと考えております。(2008年7月23日)

  続く余震震源地の緯度経度はこの勿来町付近に隣接しています。何か関係があるのでしょうか。ちなみに勿来発電所に隣接する常磐線植田駅の座標は「36.9、140.8」です。気象庁のHPで「福島県浜通り」と表示されている地点の緯度・経度を調べてみて下さい。

  磐城沖ガス田は、福島県楢葉町の沖合約40km、水深154mの海底下に位置する太平洋側初の本格的海洋ガス田です。1981年、当社はこの地で長期的な供給が可能となる埋蔵量を確認し、エッソ・グループとともに商業生産に向けて開発することを決定しました。その後、全額出資の子会社「磐城沖石油開発(株)」を設立のうえ、海洋生産施設、海底パイプラインの建設を進め、1984年7月から生産を開始しました。生産された天然ガスは、全量を東京電力(株)広野火力発電所に供給してきましたが、2007年7月末をもって23年間の生産操業を終了しました。この間の累計生産量は約56億立mに及びます。


不毛な「官僚主導」の地震予知(共同通信社)

2011.04.14(07:09)

 「日本政府は不毛な地震予知を即刻やめるべき」などとする、ロバート・ゲラー東京大教授(地震学)の論文が14日付の英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。「(常に)日本全土が地震の危険にさらされており、特定の地域のリスクを評価できない」とし、国民や政府に「想定外」に備えるよう求めた。「今こそ(政府は)地震を予知できないことを国民に率直に伝えるとき」とも提言しており、世界的な学術誌への掲載は地震多発国・日本の予知政策に影響を与える可能性もある。論文では、予知の根拠とされる地震の前兆現象について「近代的な測定技術では見つかっていない」と指摘し、「国内で1979年以降10人以上の死者が出た地震は、予知では確率が低いとされていた地域で発生」と分析。マグニチュード8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は、方法論に欠陥がある、としている。教授は「地震研究は官僚主導ではなく、科学的根拠に基づいて研究者主導で進められるべきだ」として、政府の地震予知政策の根拠法令となっている大規模地震対策特別措置法の廃止を求めた。また、福島第1原発事故についても「最大38メートルの津波が東北地方を襲ったとされる1896年の明治三陸地震は世界的によく知られている」とし、「当然、原発も対策されているべきで、『想定外』は論外だ」とした。(4月14日)


中国主席宛に首相親書(時事通信社)

2011.04.14(06:24)

  笹森清内閣特別顧問が菅直人首相の特使として中国を訪問し、戴秉国国務委員と会談していたことが13日分かった。笹森氏が同日、首相官邸を訪れ、首相に報告後、記者団に明らかにした。笹森氏は10日に訪中し、11日に北京で戴氏と約1時間会談。胡錦濤国家主席宛ての首相親書を渡すとともに、東日本大震災での中国政府の支援に謝意を伝えた。戴氏は福島第1原発事故への対応で協力を申し出る一方、低濃度放射能汚染水を海に放出したことについて「情報の伝達を正確、迅速にやってほしい」と求めたという。(4月13日)


フランス・アレヴァ社CEOが来日、収束に協力(産経新聞)

2011.04.11(18:01)

  東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて、仏原子力大手アレバのアンヌ・ロベルジョン最高経営責任者(CEO)は31日、経済産業省で海江田万里経産相と会談した。ロベルジョンCEOは「日本が必要とするなら、いくらでも専門家を派遣する」として、事態の収束に全面協力する意向を示した。

  ロベルジョンCEOは会談で、アレバが米スリーマイル島での原発事故で燃料棒取り出しにあたったことや、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、英国での軍施設での事故にも対応した経験があることを明らかにし、「日本にアドバイスできるよう努力したい」と述べた。

  アレバはすでに日本に対し放射性物質(放射能)除去の専門家2人を派遣しているほか、放射線防護服1万着、防護マスク3千個、放射線測定のための環境測定車両2台などを提供している。海江田経産相は「アレバの迅速な対応に感謝したい。危機を乗り越えるため、世界の英知を結集したい」と話した。

  アレバは原子力発電所の建設や核燃料の処理などを手がける原子力大手。アレバが扱う加圧水型の原子炉は福島第1原発の沸騰水型とは仕組みが違うが、核燃料処理にかかわるノウハウが、福島原発1~3号機の地下で見つかった高濃度の放射性物質を含んだ水の処理などに役立つと期待されている。

  フランスからはアレバ以外からも、発電機5台、ポンプ10台、核分裂を抑制するためのホウ酸100トンも提供されている。
(3月31日)

  外国の介入もありますから安易に主導権を委譲するわけにはいきませんが、幾ら原発推進や今後の外交上の打算含みとはいえ、日本の大ピンチにフランスからわざわざ大統領や大手トップのご本人が駆けつけてくれるのです。日産のゴーン氏も周囲の反対を振り切っていわき工場現地で激励し、感銘を受けました。純粋に見返りを求めず誠心誠意が保障された相手でないとフクシマに入れないというのも一理ありますが、日本政府と東電の信頼と実効性が地に堕ちているのですから、リスクを踏まえた上で仏米の協力を受け入れるべきです。中国の協力部隊は米軍に締め出されてしまったようですが、いまの日本に各国の協力部隊を調整している暇はありません。

日蓮宗と輪番制

2011.04.11(05:10)

  「祖廟輪番給仕」とは、日蓮聖人のご遺命により六老僧が一月毎に交替して祖廟を護持したことにはじまりました。日蓮宗宗憲第73条に「住職、担任又は教導である僧侶は、六老僧の芳躅に遵い祖廟に輪番給仕するものとする」、第78条に「檀信徒は祖師直檀の芳躅に遵い、祖廟に参拝奉仕するものとする」と規定されてあるように、日蓮宗寺院檀信徒は祖廟輪番給仕を行なうことは大事な務めとなっております。(身延山久遠寺)

  日蓮が出現したら蒙古が元寇で襲来し、真言宗や禅宗の祈祷で退散しました。戦前も日蓮宗の一派「国柱会」が八紘一宇を提唱し、2.26事件を起こして軍部が暴走、結果的に無謀無戦略の末、兵士は孤島で飢渇死し、本土には原爆が投下されました。いままた福島原発を推進してきた自民党が「安心神話」の下に統一選で勝利し、創価学会の政治団体・公明党は議席を増やしました。どうやら日本人は放射能被曝と世界大戦、社会の凶悪化・荒廃化を自ら求めているかのようです。思考停止もここまで進んでは、単に洗脳勢力を断罪すれば済むという話ではなさそうです。

福島、東電「プルサーマル」、水谷、西松、栄佐久、黄門、そして小沢と「創価=検察」

2011.04.09(12:18)

   福島県発注のダム建設工事をめぐる汚職事件で、収賄罪に問われた前知事佐藤栄佐久被告(70)と、実弟で元衣料メーカー社長祐二被告(66)の控訴審判決で、東京高裁(若原正樹裁判長)は14日、両被告を有罪とした一審判決を破棄、あらためて栄佐久被告に懲役2年、祐二被告に懲役1年6月、それぞれに執行猶予4年を言い渡した。昨年8月の一審東京地裁判決は、栄佐久被告を懲役3年、競売入札妨害(談合)罪も併せて問われた祐二被告を懲役2年6月とし、それぞれ5年間の執行猶予を付けた。祐二被告にはさらに約7千万円を追徴。一審に続いて控訴審でも、ダム工事を受注した前田建設工業(東京)の意向を受けたとされる水谷建設(三重県桑名市)から衣料メーカー側に支払われた土地代金が、栄佐久被告への賄賂に当たるかどうかが最大の争点だった。若原裁判長は、一審判決で賄賂に当たると認定した土地取引代金の差額約7000万円について、賄賂に当たらないと判断。土地を金銭に交換できた利益を受けたことにとどまっているとした。(共同通信、2009年10月14日)

  この後福島知事は民主党の渡部恒三センセイ(原発で健康増進!と発言)の甥っ子、佐藤雄平氏が民主・社民(!)の推薦で当選、2010年10月に再選し、同月末、福島原発のプルサーマル運転を稼動したばかりでした。前項で西松建設から福島原発に関連して資金提供が行なわれている旨の記事を紹介しましたが、西松・水谷…といえばそう、小沢事件でも贈賄したとされていますよね。黄門サマこと民主党の渡部恒三氏はテレビ・新聞で小沢批判の急先鋒。小沢潰しには自公も当然絡んでいるとは思いますが、菅執行部は小沢切りを断行していますから、大連立を組んでもよさそうな筈。でもそうしない、ということは民主党内に小沢潰しの首謀者がいるのかも…なんて妄想してしまいます。普通党内有力者の疑惑なら野党の攻撃から庇うでしょ。

   日本においてプルサーマル計画が大きく動き出したのが1997年だ。この年の2月4日、核燃料サイクルについて了承するという閣議決定がされ、同2月21日には電力11社によるプルサーマル全体計画が発表されるのだ。プルサーマルは日本にとり二重に有利な発電方法だとされる。つまり、輸入資源であるウランを有効に使え、かつ廃棄物であったプルトニウムを再度燃料として使えるからだ。このように本来日本にとりとても危険な原子力発電が促進された陰で、本来日本にとりとても有利な地熱発電は同じく1997年、政府の補助金対象から外されてしまう。この背景にあるのが同年3月に起こった東電OL殺人事件だ。

  1997年の3月8日、東京電力の上級女子社員が売春客に殺されたという事件だ。東電という一流企業のそれも上級社員が何年間にも渡って売春をしており、時には売春客を拾う路上で放尿までしていたとして、マスコミで大騒ぎになった事件だ。しかし、この事件には、大きな矛盾がいくつもある。もっとも大きな矛盾は、なぜ被害女性が売春をしていたのかというものだ。39歳で年収が1000万円ほどもあり、金銭的に困っていたとは思えない。また、自分が書いた経済リポートが賞を受けるなど、仕事上でも十分にその才能が認められていたはずなのだ。また、もし売春が事実だとしても、事件は殺人事件でありその被害者なのだから、たとえ刑事裁判の公判ではそのことを言わざるを得なくても、報道についてはそのことを伏せるという配慮がされてもよかったし、東京電力が大企業であることから、自社のスキャンダルを報道させないという圧力をマスコミにかけることもできたはずだ。更に、被害者は自分が東京電力の上級社員で経済レポートなどを書いていると再三再四売春客に語っていたとされる。

  それならば、なぜ、そういった噂が東電本社に伝わらなかったのか、または、週刊誌にネタとして売られなかったのか?更に、事件が起こってからマスコミが大騒ぎすることに対し、被害者の母親が、「娘がそういうことをしていたことを自分は知らなかった。殺人事件の被害者なのだから静かにしてほしい」という趣旨の手紙をマスコミに送っている。しかし、刑事裁判の場で警察は、被害者が自宅に帰らなかったため、母親が捜索願を出しに来て、「娘は売春をしているのでその関係で事件に巻き込まれたのかもしれない」と言ったと証言しているのだ。この二つの事実は完全に矛盾する。自らも東京の一流私大を出て、東大出の東京電力の管理職にまでなった夫を持っていた母親が、娘に東京電力社員ありながら売春をさせるだろうか、少なくとも何年間もそういった状態を続けることを許すだろうか?更に、刑事裁判の場で証言した売春客はすべて本名や顔を隠しての証言だった。つまり、本当にそれらの証言が正しいものかどうかの検証は一般人にはできないのだ。また、彼女が売春によって稼いだはずのかなりの金額の金についても噂を除いてきちんとした検証はまったくされていない。

  更に、東電OL殺人事件の犯人であるとされるネパール人は、犯行を否認しており、実際、第一審では無罪判決を受けている。殺人事件自体の経過でさえ、さまざまな矛盾点があり、事件後13年を経た現在でも冤罪事件であると言う主張がされている。つまり、東電OL殺人事件も、売春と言う実態があったとは到底思えず、一種の作られた「捏造」事件であるはずだ。(参考:佐野真一著「東電OL殺人事件」、「東電OL症候群」新潮文庫)
  
  では、なぜ、東電OL殺人事件が起こったのか? 被害女性の父親は、やはり東京電力に勤めていて、1977年に癌で亡くなっている。その2年前、工務部全体を統括する副部長と言う管理職になりなぜか1年で降格され、その一年後のガン死だ。そして、この時期は、原子力の危険性が世界中で言われていた時期なのだ。1974年、アメリカでもタンプリン及びコクランがプルトニウムの細かい粒子が肺に及ぼす影響を警告している。また、同年、カレン・シルクウッド事件という、プルトニウム燃料工場での放射線被爆に関する内部告発者が事故死すると言う事件が起こる。
(2010年9月14日)

  続いては阿修羅の投稿ですが…実際のところはどうなんでしょうねぇ。ネット情報は虚実が交錯しているのは常識ですからね。

  検察、裁判所、の組織犯罪を議論する上で欠かせないことは、検察、裁判所、警察、には相当数のカルト宗教信者(=創価学会員)が送り込まれているということである。彼らは、日本国の法律に基づき日本国民の為に職務を全うしているのではなく、創価学会の利益(帰化人を含む在日コリアン勢力の利益)の為に組織内組織を作り活動しているのである。

今回問題となっている前田恒彦、大坪弘道は創価学会員である。

  国会等で創価学会追求の急先鋒である民主党・石井一議員を陥れる目的で村木厚子さん冤罪事件をでっちあげたのである。

また東京地検特捜部の大鶴基成、佐久間達哉も創価学会員である。
  
  石井一議員同様、創価学会の天敵である小沢一郎氏を陥れる目的で西松建設事件、陸山会事件、をでっちあげ不当捜査を指揮したのである。(小沢氏が創価学会の天敵である理由は、宗教法人課税、国会議員比例定数削減、検事総長の国会同意人事、等を提唱し、尚且つ実行力を伴うからである。)

  真面目に職務を全うしている多くの検察官、裁判官、警察官、の為にも内部のカルト宗教信者の問題を議論せず、根本的解決は出来ない。
(2010年9月30日)

 ふ~ん。ここで指摘しておきたいのは原発反対運動というのは当然共産党・過激派・左翼が主導するという事。そして創価学会とは宗教団体の他に反共思想集団という機能も備えている事は明らかです。創価に関わると一家の大黒柱が急死して母子家庭になる事が多く、苦学して一流大学に入った将来有望な男子には共産主義者に転向することを阻止するために創価信者の女子と結婚させる事が多い…というのは単なる風説、デマ、“思い込み(!)”なのでしょうか? 周囲にはよく見られる風景だとは思いますが。ここでのポイントはその当人が学会員ではない場合も多いという事です。本人はアンチ創価のつもりでいたりする。しかし何かにつけ創価の環境にやたらと関係し、好きなタレントは実は全部創価で、知らぬ間に少なからぬ影響を受ける羽目になるのです。ちなみに前原さんの半生は…? まあいいや。それでは最後の記事です。

  押収資料を改竄したとして証拠隠滅容疑で逮捕された大阪地検特捜部の主任検事前田恒彦容疑者(43)が東京地検特捜部時代、捜査に関わった福島県発注工事をめぐる汚職事件で、事情聴取された元福島県幹部が「言っていないことまで供述調書に記された」と話していたことが22日、関係者への取材で分かった。関係者によると、元県幹部は県やゼネコン関係者が一斉に聴取された2006年夏以降、東京地検特捜部で事情聴取を受けた。県発注工事で談合があったかどうかや、業者との関係などの説明を求められたという。聴取後、県幹部は「自分は談合などに関して供述しなかったのに、担当検事(前田容疑者)は供述調書を作成した」と関係者に語ったという。

  関係者によると、前田容疑者は贈賄側(時効)の水谷功・元水谷建設会長の事情聴取も一部担当。水谷建設が02年9月、収賄側の前知事佐藤栄佐久被告(71)=上告中=の実弟祐二被告(67)=同=が経営する「郡山三東スーツ」に融資した1億円の趣旨を取り調べたという。検察側は、この1億円も賄賂に当たると主張したが、一審東京地裁判決、二審東京高裁判決ともに賄賂と認定しなかった。栄佐久、祐二両被告の弁護団は「捜査に関わった前田容疑者が逮捕されたことで、供述調書など福島県汚職事件全体の証拠の信用性が低いことが明らかになった」という趣旨の上告補充書を提出する方向で検討している。栄佐久被告は河北新報社の取材に対し「前田容疑者がどんな検事か知らないが、彼にかかわらず、検察は拷問のような取り調べをしていた」と検察を批判した。
(河北新報、2010年9月23日)

  私は警察官でも何でもありませんから、とりあえずネットからめぼしい記事を検索したまで。真偽の程は藪の中、とりあえず前田検事の調書に信憑性は薄いのですから栄佐久氏、小沢さんの意味不明な収賄疑惑は担当検事を変えて再調査、という事になりそうです。


首相、違法献金を返却、報告書は訂正(時事通信社)

2011.04.08(18:41)

  菅直人首相の資金管理団体が在日外国人とみられる男性から献金を受けていた問題で、首相側がこの男性が韓国籍であると確認した上で、先月14日に献金を返却していたことが8日、分かった。首相が代理人の弁護士を通じて明らかにした。近く政治資金収支報告書を訂正するとしている政治資金収支報告書によると、首相の資金管理団体「草志会」は、横浜市内の在日韓国人系金融機関の元理事の男性から2006年に100万円、09年に4万円の計104万円の献金を受けた。この男性について首相の代理人は「韓国籍であることを公的な書面によって確認した」としている。首相は先月11日の参院決算委員会で、男性からの献金を認めた上で「日本名の方で日本国籍と思い、外国籍とは承知していなかった。外国人と確認されれば全額返金したい」と答弁していた。政治資金規正法は、外国からの政治的な影響力行使を避けるため、外国人から献金を受けることを禁止している。外国人の献金問題では、3月に前原誠司前外相が京都市内の在日韓国人女性からの献金を認め、外相を辞任した。(4月8日)

  前原さんは献金者と若い時分から家族ぐるみの付き合いでしたが、菅さんはそうではなかったということなのでしょう。とにかく小沢さんをあれだけ引き摺り落としたのですから、普通なら退陣要求、政倫審喚問は必至の大問題です。でもスクープ記事が出た当日に「偶然」大震災が来ちゃいました。津波は小沢さん支持の「上流・川上」に当たる人々を直撃したのではないでしょうか。まあ菅さんの「お金を配らない」選挙手法(実際には配っている)は勝手連による運動を理想とした市川房枝先生に習ったものと言えなくもありません。ただ、ここまで国際情勢、特に経済崩壊が深刻になっている昨今では①軍国主義②多極型経済重視③緑の党(軍縮・福祉・環境)の合従連衡によって生き残りを図らねばなりません。日本は漸く①の破壊汚染による金儲け・自公反共政権から②の民主党への政権交代をなし得たものの、③社民・沖縄との提携に失敗し、前例しか頭にない菅さんは①と③の間で揺れています。世界では既に明確な潮流の②を提唱したのが小沢・鳩山内閣ですが、手続きの稚拙さも相俟って日本国民は付いていけませんでした。能力はともかく、議員・国民の意識がそれだけ未熟だったという事です。そしてドル崩壊前夜に日中提携許すまじ、TPPで日本勝てると思うなよ、という呪いのような大震災。引き続き国際情勢、国内汚職、宗教被害という項目で世間を観て行きたいと思います。

  杜撰な原発推進の原動力であった自民党、東電同様の安全神話が売りの慎太郎にこんなにも期待をかける日本人が多い事に呆れ返ります。これじゃ米仏が人工地震を盾に介入する筈だ! 凌雲会と清和会を軸とする前原-進次郎内閣で、ドル崩壊したアメリカ及び背後のイスラエルとつるんで、北朝鮮・中国・ロシアと東亜世界大戦(中東大戦と同時進行)を起こす日もそう遠くないのかも知れません。どうせ日本はもう放射能でシッチャカメッチャカなんですから。産業のジリ貧と大増税は必至です。小沢一郎氏も含め、我々日本国民は完全に改革の機を逸しました。

のりピー、中国で薬物撲滅をPR(東京新聞)

2011.04.08(18:36)

   2009年に覚醒剤取締法違反罪に問われ、懲役1年6ヶ月(執行猶予3年)の有罪判決を受けた元女優酒井法子さんが、中国で薬物撲滅PR活動をすることになった。7日、北京市の薬物乱用防止教育センターで記者会見した酒井さんは「今できることを一つ一つ、頑張っていきたい」と静かに意欲を語った。酒井さんらによると、中国当局から依頼があり、「明るい未来のために役立てるなら」(酒井さん)と無償で引き受けた。九日までの日程で、薬物乱用防止のビデオに出演するほか、老人介護施設などを訪問する予定という。北京の空港やホテルでは大勢の中国人ファンに囲まれたといい、「本当に、本当に感謝です」と神妙な面持ち。今後の活動に向けては「人として道を外してしまったが、最初の一歩を踏み出させてもらった。この機会を大切に、前を向いて歩いていきたい」と言葉を選びながら答えた。(4月8日)

  小向美奈子はよくてのりピーはダメ、というわけではありませんが、まず酒井法子は裁判員裁判のPRDVDに出演していたわけです。薬物容疑があって警察から任意聴取を求められた際には、自信満々の居丈高な態度で出頭を拒否し、6日間雲隠れしてしまいました。そこで上がった真如苑との関係ですが、のりピーは一時期、夫の高相氏と息子さん、そして何と元友人の女性が夫と不倫関係になり、4人で同居していたといいます。この愛憎もつれた三角関係の苦悩が現出するのも真如苑の特徴です。教祖である伊藤一族もどろどろの三角関係を経験しています。

  私が言いたいのは新興宗教を拝む事によって教祖の過去の罪業を信者が被ってしまう、という事です。これ普通は逆なんですね。イエス・キリストでもわかるように、普通の宗教は修行者であるお坊さんや聖職者が信者の業を引き受けて、浄化してしまうわけです。ですから霊視能力も何もない、普通の私から見ますと、新興宗教の霊は少しおかしい、といって失礼ならばちょっと違う、異質な霊ではないかと考えているのです。つまり元々暴力団関係者の親父さんを持ったのりピーには、それなりの業、それなりの霊が憑いていると考えられます。過去を克服して明るく真面目にやって来たのに、野島伸司との離別トラブルで精神が不安定になり、多忙のストレスも重なって潜伏していた悪い血がどっと噴き出して来たようにも見えます。この自称プロサーファーの高相さんという元旦那が常識的に見て明らかにおかしいわけでしょう。しかし彼には浮世離れした魅力があり、芸能界に疲れ倦んだのりピーははまっていったのかも知れませんね。「あの日、欲望の大地で」なんて映画もありましたが、もし宗教の力によって酒井法子が“幸運な”早期復帰を遂げたとしたら、彼女が薬物の件を心底反省したかには疑問が残ります。

  私のいつもの妄想公式では、新興宗教をやると、①教祖の業を引き受ける②自分から進んで問題のある人物と関わりを持つ③回復不可能なダメージを受けているので、ほんの微かな幸運で大きなカタルシスを感じる、このプロセスが生じるように思います。そして視野が狭く、自己中心的な人ほど、この③の部分しか見ないのです。私が何の霊能もないただの人なのに、新興宗教を批判しているのはこの①~③すべてひっくるめて教団の本尊霊による「化作(けさ)=騙しのテクニック」だと考えているからです。①修行の途中で業苦から外道に迷い、②憑依する邪霊・悪霊を神仏だと誤解して(騙されて)崇拝し、③続く怪事件や不幸を「膿み出しの修行」と捉え、目先のちょっとした幸運に狂喜するといった教祖の道筋を、同様に信者もなぞってしまうのです。当然数年以上も続くこの過程の最中に、精神不安・錯乱状態の信者は何とかしてこの苦境から脱しようと教団に供養金を積み、忠誠を誓っていくのです。

  とはいうものの、悪い霊と手を切れば普通に運は開けて行きます。周囲に翻弄されるだけの環境から脱して、自分の長所を活かした、自然で爽快な人生を歩みたいものですね。


多極化、覇権困難、ドルと日中(田中宇)

2011.04.07(11:52)

  基軸通貨など今後の世界体制を決める主要諸国の談合体であるG20では、議長国フランスのサルコジ大統領が、IMFとG20の機能を融合する組織改革案を作った。IMFとG20の財務相会議に国際経済に関する政策決定権を持たせ、ドルの単独基軸から人民元やSDRも含めた多極型基軸通貨体制への移行を推進したり、国際金融危機対策を主導したり、食糧など国際商品相場の高騰を抑止したり、世界的な貿易不均衡を是正できるようにする。2月18-19日のG20財務相会議で提案する。08年のリーマンショック直後にG20がサミット組織として立ち上がった時から、IMFはG20の事務局として機能していたが、その機能を強化し、事実上「世界政府の財務省」もしくは「世界政府の中央銀行」に格上げしようとしている。IMFには、中央銀行的な、世界に対する「最後の貸し手」としての機能を持たせる。その分、米連銀やドルの機能は縮小する。すんなり実現するかどうか怪しいが、これは世界の経済覇権体制の転換案である。(2月8日)

  米連銀はドルを大量発行して米国債を買い支える量的緩和策(QE2)を続けているが、QE2が予定の半分しか進んでいないのに、連銀は中国を抜いて、世界最大の米国債保有勢力となった。米国債の保有総額は、1位が連銀で1兆1080億ドル、2位が中国で8960億ドル、3位が日本で8770億ドルとなっている。QE2が終わる今年6月、連銀の米国債保有総額は1兆6000億ドルまで増える見込み。その時に世界が米国債を買いたくなっているとは思えないので、連銀はQE2をQE3へと拡大し、ドル増刷で米国債を買い続けるしかないだろう。米国が、国債を発行しすぎて、自国の当局しか買い手がいない状態になりつつあることが明確だ。買い手のない米国債をドル増刷で吸収しているのだから、ドルの過剰発行も明らかだ。今年か来年、米国債とドルの破綻、米国の財政破綻が起きる可能性が高まっている。(2月3日)
 
  世界は米欧日主導のG7からBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)やサウジらが参加するG20の時代に移行しようとしている。ドル基軸決済から各種通貨による決済への移行案も出て来た。このような状況で米国がロシア・中国・イスラム勢力などを敵視して軍事的覇権を背景に財政面での覇権を維持するのは困難になって来た。米国の本音はアジアでの覇権を中国に分担してもらいたいところがある。米国内でも経済協調による多極派と先制核攻撃の脅威によって覇権を維持する軍産複合体との抗争が続いている。政治家も単純ではなく、故意に相手方の方針を取り入れて失敗させ、結果的に自説勢力を増進させるなど、表面的な政策だけでは解らない部分も多い。しかし日本では軍産複合体支持による対米追従一本槍であり、多極的経済協調派は共産主義者と一括りにされて合法的に抹殺されるのが現状である。また日本の多極派も、対米追従を続けて焦燥する米国を孤立させないようにして、一方で日本の経済を国際協調によって守るといったような戦略は見られない。
(参考:田中宇著「メディアが出さない本当の話」PHP研究所2009年)

  サルコジ氏はエマニュエル・トッドには批判された右派ですが、G20を先導しています。米英と共にリビアを攻撃し、3月末に日本の断りを押し切って来日し、コートジボワールでは武装集団に襲撃された大使らを仏軍が救出しました。社民連の理念は自由・平等・博愛です。トッド氏は日独仏は長子(長男)型社会であるため、社会価値の共有がしやすい、と唱えています。右だ左だ、アメリカだ中国だとイデオロギー優先の紋切型に陥らず、是非未来型の社会体制を切り開いてほしいと思います。私としてはボナパルト一郎と亀井静香に先頭に立って貰いたいですが…400人いる議員中200人を封印・抹殺して自民と連立なんてアホの極み。日本の苦悩を察してフランスから応援に来てくれたわけですから、菅さんは自分の方向転換の誤りを認め、社民連から民主党で訴えてきた本来の理念を取り戻し、小沢さん・亀井さんの協力を得て、対米追従を継続しながら多極化に移行する戦略を練り直して社会改革を進めていただきたいと思います。

  日刊ゲンダイで紹介されていたモーパッサンの「脂肪の塊」を読みました。国語の教科書に載っていたドーデの「最後の授業」も普仏戦争が舞台でしたよね。ここに描かれている人間の本音と理想社会への待望は国境を越えて現代社会にも強く通じるものです。次はヒラリーが来日しますが、陰謀渦巻く国際社会で一方的な理念に拘泥せずに現実的な理想と国益を図るサルコジやオバマの姿には学ぶべきものが多いのではないでしょうか。菅さんも頑張っているのですが如何せん味方の層が薄すぎます。菅さんの側が方針の転換を撤回して力不足と民主党分断を謝罪し、小沢さんと亀井さんを迎え、その知恵や戦略・行動力を仰ぐべきなのです。減税新党とみんなの党の消費税増税反対・公務員改革での協力に注目です。

  結局ドル崩壊と日本がアメリカを離れて国際協調する動きを懸念したアメリカが焦燥しているところへ「偶然の不可抗力」である大震災と前代未聞の原発事故が起こったわけでしょう。ドル崩壊前夜に戦争が事実上できない日本が「偶然の不可抗力」で半壊し、米国は中国と提携、日本潰しで結託協調、環太平洋共同体の一環に食い込むかもしれません。確かに小沢さんは北朝鮮へも小泉さん以上に主張するし、米軍駐留に関しても不要とばっさりなんですよね。それは正論でも現実には世界で米軍がこれだけの力を有しており、現に日本国内に駐留しているわけですから、そこをどのように持っていくのか戦略が必要でしょう。それは一朝一夕に鳩山さんのような腹案ひとつでは力不足ですから、まずは抜本的かつ大規模な公務員改革を早急に断行して官僚と役所の人事を一新し、公務員の意識改革をするしかありません。
  

2011年04月

  1. 無告の民の夢「キリストはエボリで止りぬ」(04/30)
  2. 人生を狂わせる背後霊(皆本幹雄)(04/30)
  3. 菜食主義とナショナリズム(04/30)
  4. BRICsと対米核武装(世界日報)(04/30)
  5. 水谷証言の信憑性(パックインジャーナル)(04/28)
  6. 余震と雑感~円満と拝金(04/25)
  7. 緊急提言:震災対応が示す政権交代の課題(日刊ゲンダイ)(04/25)
  8. テリエ館~堕落と免罪(04/24)
  9. 余震と雑感~拉致と宗教(04/23)
  10. ファシズム入門(5)(04/21)
  11. ファシズム入門(4)(04/21)
  12. 極無自性心(秘蔵宝鑰)(04/21)
  13. ファシズム入門(3)(04/21)
  14. ファシズム入門(2)(04/21)
  15. ファシズム入門(1)(04/21)
  16. 五木寛之:明日なき時代の生き方(日刊ゲンダイ)(04/21)
  17. 軍産複合体と政治家=日米の武器商人(04/18)
  18. 神話と驕り~「思考停止」の代償・顛末(東京・中日新聞)(04/18)
  19. 山田洋行事件の深層(山本峯章)(04/17)
  20. アカハラってナ~ニ?(清友会)(04/14)
  21. 小沢陣営、菅不信任へ(産経新聞)(04/14)
  22. 日本CCS調査と余震の関係?(04/14)
  23. 不毛な「官僚主導」の地震予知(共同通信社)(04/14)
  24. 中国主席宛に首相親書(時事通信社)(04/14)
  25. フランス・アレヴァ社CEOが来日、収束に協力(産経新聞)(04/11)
  26. 日蓮宗と輪番制(04/11)
  27. 福島、東電「プルサーマル」、水谷、西松、栄佐久、黄門、そして小沢と「創価=検察」(04/09)
  28. 首相、違法献金を返却、報告書は訂正(時事通信社)(04/08)
  29. のりピー、中国で薬物撲滅をPR(東京新聞)(04/08)
  30. 多極化、覇権困難、ドルと日中(田中宇)(04/07)
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