ルミガン効果
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配慮したからやられますw

  これは周知のことであるが、このボンクラは現在に至るまで右も左も判らずうろうろしているだけであって、当局及びマスコミは陰謀論・謀略論の世界をほぼ捉え、その上で無難な与太記事を送り出しているのだと考えている。何故直截攻められないかといえば、ここに霊的・宗教的な要素が関って来るからで、これはそのまま法令違反とはなりにくい性質のものである。そのように忖度抑圧された情念の噴上げが昨今のガス抜き事件と形を変えているのであろうが、それはあなたたち自身の問題であり、事情に不案内なこの私の責任ではない。

  この私を叩けば叩くほど小心な私は「カルトって怖いな、悲惨だな」と距離をおくのであり、方法論として恐怖ゆえの服従を強いるそのやり方が「人権・平和・環境」のお題目に相応しいか否かということで、これは全く不相応である。従って現在でも実績ある著名人が立派な論陣を張る一方でこのようなカルトを強硬に擁護しているのを見ると呆れ噴飯し、メディアへの不信感が増すのでである。もうメディアも社会もこのカルトと心中することに決めたのであろう、それでよい。内面の自由は憲法で保障されている、しかしこのカルトは非会員の内面の自由を認めず、詭弁を以て人権蹂躙を促進する。

  私の母親は電話盗聴の証拠隠滅のために脳幹を破裂させられたと考えており、他の親戚も出勤不能にされた。これは動かしがたい事実であり、到底許すことはできない。過去グーグルアカウントがアジア某地点からの不正アクセスで使えなくなっており、最近もPCの保存フォルダに思考盗聴の成果を示す新規フォルダが出現していた。夜勤の最中にあるカルト団体に対して想いを巡らせると、Androidスマホの画面がいきなり変換したり、音楽が鳴り出すのはよくあることだ、ということは図星なのである。

  まず①AG宗②オウムスポーツ縄文③舛添美術館、勿論舛添一家は被害者であるが、配慮の対象である近所からやられた…のだろう。ここは重要なところである、配慮した人物に攻撃する・そうならないように配慮して保険を掛けたのにそうなってしまう、前者は反日の特質であり、後者はSN苑のそれである。

  私がいまだに許せないのは選挙の多数決で選出したのに一部の公私混同という批判によって都知事が交代してしまったことであり、この「選挙の無効化」についての議論がなかったことが解せない。小沢・舛添・森友と、「日本社会の反日化」を感じる。再三言っているが自己のパワーに誇り自信がある者は選挙に立候補して多数を集め、自己の主張を法令化すればよい。呪いを用いた社会的テロは即刻やめるべきである。

  酒鬼薔薇事件当時は、龍太郎内閣であり、社民・さきがけが協力していた。偶然犯人の少年Aも宮下先生の作品を読んでいたようである。障害者の年下少年の首を糸ノコでいとも簡単に斬首、この斬首というのがイスラム国からの脅迫映像に通じるのだ。他に少年の生き血を呑んだという自白もある、あたかも悪魔儀式を行っているかのようである。私が目を付けている魔術を扱う人物がそのままテロリストとまでは考えていない。ただ海外含む広大なネットワークや強い神霊パワーにつながっているんだろうな、という見当をつけているだけである。問題は呪い殺人や呪い事故、呪い災害を笑いで済まそうとするその態度で、そこから「サイコパス」「呪いの実行成就に性的快感」という図式が浮ぶのである。

  基督教は善意かつ潔白なる人物が処刑されてしまったという話で、これは「未来成仏」wであろう。死後天国=神の国に召されるわけで、生前の想念の周波数が類は朋の法則で分類されるということだろうか。この聖書の焼き直しが法華経ということにして日蓮曼荼羅を眺めてみると、妙法=基督=信者が第六天魔王(これは非常に位が高い)とコンビを組んで釈迦と宝塔をおだて、不動・愛染を利用し、天照や八幡つまり日本神祇を足蹴・踏台にする、と読める。神仏の慈悲を逆手にとってそのパワーを恣意的に操作するという意図を感じる。まあ祈祷とはそういう面もあろうが、ここには神仏の判断より自分の判断の方が上、という傲慢=魔境がある。カルマの因果応報が反転する世界、そういう霊界もあると思うがそのような存在のようにも思える。

  最後にボンクラ9条改正私案ですが、第1項は現状保持、第2項は現状を削除して自衛隊保持を明記、そして第3項を設け、「徴兵制度はこれを禁止する」。教育無償化よりも意味が明瞭で、大義の強い防衛戦争と、大義の薄弱な侵略戦争があると思うのです。国民の志願が少ない場合、政府も戦争継続を見直さざるを得ないでしょう。間違った戦争に志願者が多数…それは仕方がありません。
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仏法探究!

法印を解説してみるw

  さて、久しぶりのなんちゃってサトリ解説ですが、クリシュナムルティやニーチェを参考にします。とにかく、我々は生きる上で様々な前提・制約・条件を受けざるを得ないのであり、その内容は潜在意識下で千差万別・百人百様・百花繚乱状態です。ですからこのようなトピックが出されても、無神論者からいきなり「宗教とはこれこれこうあるべきだ!」とか演説されてしまうのですが、それは絶対条件ではなく、この人個人の考えなのは言うまでもなく、勿論この文章も私の個人的な卑見にすぎません。

  般若心経の三法印、四法印と呼ばれる四文字熟語があるそうですね、今回はこれを使いましょう。まず①「諸行無常」ですが、これは私「人生に決定的瞬間ということはない」と解釈します。誕生、節目、事件、大病、劇的、記念、死亡、充実、低迷…挙句は死後の世界で閻魔大王に判決を受け、極楽へ天使姿wで急上昇、またはグレート義太夫からバッテンが出て血の池で獄卒鬼たちから凄惨なリンチを受ける…人生にはいろんな時期がありますが、これらはその時々という意味において皆一律に平等でありw記念写真に収まった日も何もなかった無為の日も一様にその時期が人生全体をその方向に色付ける「決定的瞬間」にはなり得ない、勿論大事故または急病でその後ずっと寝たきりになってしまうケースも含めて、そういう風に私は解釈しています。

  次に②「諸法無我」という言葉の意味を考えてみます。プラトンのイデア論というのがありますね。この世はどこまでも不完全だけれども、その奥には完成された理念の世界というものが存在する。この不完全な現実に対する完成形の理念、これがイデアだと思いますが、釈迦の哲理はこうした「完成形の理念というものは存在しない」不完全な現実のみが存在するだけである、こう解釈しますね。これはクリシュナムルティが説く如く、我々人間のエゴ=自我=俯瞰者というものは対象に向ってすぐに「何糞~こん畜生!」と脊髄反射する傾向があるんですねw(私だけですか?)その結果、お腹が減ると反対の「満腹・満腹!」を徒に求め食べ過ぎてしまったり、ちょっとした欠損にも過剰に供給しがちなんです。同様に流動的な現実を見るとだんだん不安が募り、何か静止した、決定された、止揚された、ぴたっと決まったものを内面に拵えてしまうのです。不完全なものを見ても「ダメだなぁ~、全然なってない…いいか、完成されたものというのはだな…」と口上演説が始まります。そして、意地悪で穿った見方かもしれませんが、彼らが示した止揚された状態も理念の完成形も、どこか流動的で不完全なのです。またそこで「何糞・こん畜生~!」これが延々と続くわけですね。

  ③の「一切皆苦・涅槃寂静」ですが、これは上記の①②を踏まえ、どこまでも流動的・不完全な人生において止揚や完全を求めれば苦悩が訪れ、反対に人生はどこまでも流動的かつ不完全であると割り切れば永劫回帰でどこまでも生きていける、どんな平平凡凡でつまらない人生でもどこまでも続いていくと見出すことができる、こう思うのです。私が仏教信者ながらどこまでもアンチ法華なのは、「法華」とはこの「止揚・完成のシンボル」のように思えるから、なのです。釈迦の内面や人生に止揚も完成もない…それを示すのが大日如来ではないでしょうか?

  補足すると潜在意識の願望実現、思考は現実化する、これは潜在意識の内部要素の調整に成功すれば本当に何でもよく叶うと思います。ただ無限の可能性の中で少し、タブーというか目標・目的にしてはいけない項目があるんですね。それは(1)自他の人生にレッテルを貼れるようその内容を特定の傾向に色付けすること(2)理念の完成形と自己の同一、少なくともこの2つは目的にしてはいけない、こういうことも言えると思います。私自身は意義ある人生、無意味な人生、平等だという考えですね。

  ただそのような中において、自分が本当は心の奥でどう感じているのか、また何故自分はその点にこだわっているのか、それを内心で理解することが必要だと思います。そして自分はどのような感情を抱いた時に好意や幸福感を感ずるのか、どういう感情が嫌いで不幸に感ずるのかこれは各自でよく探し求め踏まえなければなりません。その上でその感情を獲得するためには自分は何をしたらよいのかを考える。どんな状況でも自分を大事に・大切にする、そのための感情を探し、そして行動するこういうことがポイントなのではないかと最近思いました。少しでもヒントや参考になれば幸いです。

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仏法探究!

激震の法廷④運命は改善できるのか?

  この項は現在までの総集編であり、話題が飛ぶが、我慢してお付き合いいただきたい。3S政策と細木先生でおなじみのw安岡正篤先生ですね 到知出版で「運命と立命」という本がある 私は五島先生のノストラ本から西野先生の呼吸法、さらに船井幸雄先生の「人間の研究」に感化されwボンクラなりにこういう本も手にとったわけですね。で宿命は存在するが、立命でそこを乗り越えていかなかければならない。というわけで「立命の書・陰騭録を読む」という著書があるんですけど、これも陰騭録の内容が漠然としててよくわかんないんですね。こういう本はよくあります。肝心の箇所をぼかしてあるというか…で後年阿含宗の桐山初代管長の「密教占星術Ⅰ」というのがあって、これは九星気学の暦の別バージョンで当たっているか外れているかよくわからない代物なんですが、九星気学の盤を回転させて考え込む行為に趣を感ずる好事家には一読の価値があった。それでそこに雲谷禅師と袁了凡の功過格バランスシートという考えとリストが掲載されているのです。これなんですけども、卑見としては仏道修行(瞑想か念仏)と並行して行うものでしょうね。勿論私は真言宗です。近年チベット密教僧の「ダイヤモンドの知恵」というのがありましたが、これも著者の先生が瞑想修行を日課にされてチベットで修行されている方で、こういうバックボーンを抜きにして、一般人がそのままバランスシートを実行して「本当だったウソだった」といっても片手落ちだと思うんです。特に真言密教では拝む行為によって仏尊の力を借りるので、その上でそのようなシチュエーション、積徳行為ができるわけです。これを自分でやると言ってもなかなか難しいですね。その理由は運命改善を目指す人は当面運の悪い人が多いからです。だから環境も心掛けも資質も条件が揃わないことが多いんです。そういう人が善行をして運命改善を志向したとしてもなかなかうまく行かないのが現実です。だから通常はご自分の信ずる神仏を拝むとか先祖供養をするとか、静かに瞑想を続けるとか寄付行為を続けるといったところが無難なところではないでしょうか。しかもそれで急転直下にラッキーが舞い込むということにはならないようです。潜在意識の変容には時間と根気を要する、といったところでしょうか。
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仏法探究!

激震の法廷①真如苑の霊体を考える

  (テッカマン 第18話)…やっぱりこれは幻魔の上級篇?

  PCをlenovoからhpの中古に変え、osをwindows10に代えて日経雑誌の付録からubuntuをインストールしました。気分一新の春と行きたいところです。まあこれはあくまでも私個人の卑見であり、皆さんそれぞれにそれぞれの見方と主張があっていいと思いますが、はじめから答えが出ているような宗教者会議をそっちのけで社会は激動を続け、日本国内の統一VS創価が世界各国の国益第一VSグローバル格差に拡大フィードバックしているように見えます。ここに真如・阿含の反動や呪術が乱れ飛ぶ、という感じかな。

  私の霊的状態も一進一退ですが、真如苑というのは彼の不動尊に入魂し真乗教主に進呈した浦野法海師とその御み霊(ご本尊=神霊力)である2匹の管狐が観えますね…これが陰陽太極図のように交ってパワーを発揮しているように思えます この禁欲に徹した修験僧と精力的な動物霊の組み合わせが真如苑の霊力ではないかと推測します。昼寝の釈迦や大般涅槃などは後付けでしょうね 稲荷系共通の特徴としてまず①化作(霊術による騙し欺き)、特に和服の美女②トイレ、体調不良③威嚇と苛虐(一方的な上意下達)が起こるケースが多い。この立川流風水術を使う僧侶と霊体、これが真如苑パワーの本丸のような気がします。

  このような真如苑や創価学会の組織というものは伏見稲荷の指導者養成講座に起源を見ることができ、資質のある人を神懸り・霊媒に養成していくようですが、私は資質もないし、怨霊を迎撃できればよいという考え方なのでこれも重要参考程度という感じです。宗教組織によってお稲荷さんのタイプが違うわけですね。サル山と同じで強力なボス霊の下部にそれ以下の霊がずらっと支え、ピラミッド構造を形成しているのでしょう。

  阿含宗も反動が強烈ですからね、これも霊力が強いわけです。しかしその分、どこか論理的に胡散臭く、支離滅裂さが漂うわけですね。百条委員会に登場した慎太郎氏は真如苑にも阿含宗にも関わりがあるようですが、公式には霊友会の法華経信者で、裕次郎氏は鶴見の曹洞宗・総持寺に眠るということでしょう。最後に渡瀬恒彦さんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。ナオコさんもお大事に。
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仏法探究!

桐山靖雄管長、死去

  阿含宗開祖で管長の桐山靖雄(本名・堤眞壽雄)氏が8月29日午後、老衰のため死去した。95歳。横浜市出身。葬儀は10月16日午後1時、京都市山科区北花山大峰町、阿含宗本山総本殿・釈迦山大菩提寺で。

  桐山氏はかつて本紙のインタビューに答え、若い頃に自殺を考え、人生に絶望したことなどをきっかけに仏門に入ったという。同宗によると、1954年に阿含宗の前身観音慈恵会を設立し、78年に阿含宗を開いた。海外の大学の名誉教授に就き、スリランカやブータンなどから僧位も多数受けた。また、無類の囲碁愛好家としても知られた。阿含宗として99年の第6期から、プロ棋戦の全日本早碁オープン戦に協賛。決勝は毎期、本山総本殿で解説会とともに行われ、ファンから「阿含・桐山杯」として親しまれている。日本棋院からアマ最高の名誉九段も贈られている。

  桐山氏の死去を受け、新しい管長に阿含宗法務局長の深田靖阿氏が就任した。
(京都新聞、2016年9月12日)

  新年明けましておめでとうございます。さて新春一発目から訃報ですが、いや~これは知りませんでした。とにかく私は職場で桐山さん以下阿含宗職員の化身に囲まれて仕事をしているので本体の方が亡くなっているとは思いも寄りませんでした。

  私の方は7月末から何もないのに足の裏が切れて痛むので相談するとプロのムーダン女史の呪いだといわれお祓いはお願いしました。8月27日付でシン・ゴジラの記述があり(ちょうど24時間テレビの時期ですね)、9月あたまに後妻業の映画を観に行きました。現在まで特にこれといった変化はないですね。ただ秋に実家の親が内視鏡手術をしたので見舞いに行くと、8月20日前後、伐採作業中ハリガネが4cm、足の裏に突き刺さったそうです。

  藁人形を五寸釘で突き刺しているんじゃないかと憶測しましたが、なす術もありません。深田新管長はじめ僧侶職員は高野山真言宗の寺院で修行していますから故桐山前管長よりもましなところがあるかも知れませんが、阿含宗をここまで大きくし、本を売って京都花山や日本全国に支部を建て、講話の衛星中継をしたのは桐山さんで、これまでのインチキ路線を深田さんがどう引き継ぎ、どう修正していくのか、まあ私にはどうでもいいことですw とにかく阿含宗のウリは教祖さまが釈迦の成仏法を体得しているということ(これは他の教団でもあるように開祖の神格化で対応可能)、さらに強烈な神通力をもつ、これが特徴ですね。

  本尊には本物もインチキもごった煮で込められていると私は思っていますが、初詣で普通のお寺で護摩札をいただいてご利益が出た、私も阿含宗でそれなりに護摩札を申し込みましたがそんな風(一般の真言宗寺院のご利益)になったことは一度もありません。ただ生活上で波の激しいドラマが展開しただけですね。私は浄化法の先生にいわれて退会後当然行法も変えていますので、真如苑・阿含宗もおおいに参考にしてはいますが、これらは浄化の対象でしかありません。

  95歳なら大往生じゃないですか。この2宗は強い念力が売り物でやはり似ていると思います、本尊神霊の質が。願い事をバンとインプットすれば周囲をぶっ壊してでも成就する、みたいな。これは仏尊ではなく魔物でしょう、その理由は後述できればします。でもそれだけ強烈な故に修法者は独自の世界に入っておかしくなりますね。精神世界の住民もおかしい、日本社会もおかしい、私もかなりおかしいwってまともな人がいないような現状ですが、さらに一歩を踏み出してみたいと思います。本年もよろしくお願い致します。
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